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  6月15日(金) 20:10
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 この日は大雨。
 朝からずっと、記録的な豪雨が共命町を叩き続けていた。
 外に出れば、騒音に等しい雨音が鼓膜にラッシュを仕掛けてくる。
 流石に、この日はお客様は来なかった。

「残念でしたね。手応えはあったんですが」

 事務室の窓から、日比野君は外をずっと眺めていた。
 彼の考案した企画第二弾は――――『スタンプサービス』。
 今日と明日、そして明後日、【CSPA】を訪れたお客様に、スタンプカードを配布。
 そして、来週末に温泉に一度入るにつき、スタンプを押す。
 ただし、スタンプを押す数は一度に一回じゃなく、抽選会で決める。
 抽選器(ガラガラ)で出た玉の色により、最大27コまで。
 27コ押したら、一日無料で何度でも温泉に入れる『ワンデーフリーパス』を配布。
 ……と、まあ良くある企画だ。

 とはいえ、抽選器をオシャレなデザインにしたり、玉の色の種類を27とやたら多めにしたりと、
 それなりに工夫はしている。
 子供には受けそうな企画だし、週末のみって事でファミリー層を狙い撃ってるのも
 意図が良くわかる。
 ツボは確実に抑えてる……けど、やっぱりありふれた企画。
 正直、そこまで集客に繋がるとも思えない。
 でも、彼には実績がある。
 事実、彼が来てからというものの、お客様は確実に増えている。
 今の時代、数よりも単価で勝負、という風潮があるだけに、
 余計この業績はスゴく思える。
 やっぱり――――彼は何らかの能力を使う異能力者なのか。
 それとも、平凡というだけで、実際にはとても有効な方法だったのか。
 何か、僕の知らないところで集客に繋がる+αをやっているのか。
 疑問は尽きない。
 ……聞いてみるか。
 
「日比野君」
「はい、なんですか? 主任」
「ここにお客様はいないよ」
「クセを付けておいた方が、あとあと良いですから」

 日比野君は、長い前髪の隙間から、僕をじっとりとした目で眺める。
 値踏みされているような気もするけど、ただ単に見ているだけのような気もする。
 どうにも――――感情がわからない。
 
「どうして、ここで働きたいって思ったの?」

 だから、敢えて探りを入れる事なく、そのままを聞いた。
 言い難い理由があるのか、それともこっちの考え過ぎなのか、これでわかる。
 これでも接客業のプロ。
 他人の表情の機微は、ある程度わかるつもりだから――――

「……」

 日比野君は答えない。
 それ以上に、感情が動かない。
 でも――――だからといって、考えてる事が全くわからない訳じゃない。
 聞かれてもなお、感情が動かないって事は、意図的に殺してるって事。
 少し、ホッとした。
 人間味のようなものが見えて。

「クラスメートがやってるから、話が通りやすい……ってのはなしな。
 アルバイトのキャリアを考えれば、そんな理由で選ぶ筈がない」
「そうだね」

 不意に、日比野君は敬語を止めた。
 プライベートな会話をする気になった、という意思の表れ――――
 と解釈していいんだろう。

「別に隠すつもりはなかったんだ。ただ、個人的な事だし、
 面接で言う事じゃないかなって」
「いや、個人的な事を聞くのが面接なんだけど……」
「生憎、受けは良くないんだよ。差し障りない言葉に、ひと掴みの
 スパイスを加えるくらいが、面接には丁度良い」

 少し、雰囲気が変わった――――ような気がした。
 日比野君は前髪を指で梳かしながら、僕から視線を外し、再び窓へと向けた。
 雨脚が弱まる気配はない。寧ろ強くなってる気さえする。

「僕が君に話しかけた理由は三つ。一つは個人的な経済事情、一つは君へ忠告する為、
 そしてもう一つは僕の運命を見定める為だ」
「……三つもあるの?」
「そう。三つもあるんだよ」

 僕のリアクションがおかしかったのか、日比野君は少し微笑んだ。
 それなのに――――感情が見えない。
 笑ってるのに、感情がわからない……?
 こんな経験は初めてだった。
 彼は一体、何者なんだ?

「君は僕を雇ってくれた恩人だ。そして、上司でもある。だから、二つ話すよ。
 今の中から二つ、好きなのを選んで」
「選ぶって……全部話してはくれないの?」
「三つは欲張りすぎだよ」

 それがどういう意図なのかはわからないけど……どうやら本気らしい。
 なら――――

「最初の二つを」
「了解。まずは君への忠告にしようか」

 窓を向いたまま、日比野君は吊り上がった口の端の角度を鋭角にした。
 それでもなお、感情は見えない。

「ここ1ヶ月くらい、この町にジェネドが集結して来てるみたいだ」 
「……ジェネド?」
「あれ、てっきりあの3人から聞いているものだとばかり」

 ああ、思い出した。
『genetically doll』。
 遺伝子を改変して、特殊な能力を植え付けられた人の総称。

「人工的な異能力者、だったか」
「意外だね。思い出す必要があるくらい、どうでもいい事だったのかな?
 てっきり、彼女等に悩まされてるとばかり思ってたけど」
「悩まされてはいたけど……ちなみに、君にもその容疑が掛かってる」

 敢えて隠す必要はもうない。
 ハラを割りやすい空気にするのと、カマをかけるのと、
 半々くらいの配分で口にしたその言葉は――――

「当然だよね」

 意外と言うべきか、予想していたと言うべきか、アッサリしたものだった。
 感情が読めない彼の表情や声は、まるで全てを達観したかのように、
 何処か浮き世離れしている。

「って事は、やっぱり君もジェネドなの?」
「いや。僕はノーマルだよ。僕は、ね」

 意味深な物言いは、自分以外のジェネドの存在を示唆したもの。
 それを僕にアピールする意味は……

「個人的な経済事情。僕には、ジェネドの妹がいる。彼女を守らなくちゃならない」

 日比野君は、シンプルにそれを答えた。

「御両親は?」
「いない。居場所も、そもそも生きているかどうかもわからない。
 何せ、売られた身だからね。僕たち兄妹は」
「売られ……た?」
「この御時世に人身売買。信じられるかい? 当然、子供の頃の話だけどね」

 そういえば――――今ウチにいるジェネドの3人娘が来た時、
 アイツ等はこんな事を言っていた。

『まさにそうです。実験です』

 実験。
 人体実験。
 アイツ等を含むジェネドは、そういう目的で集められ、加工された。
 その目的の為の手段として、人身売買が行われていた……?

「ま、僕は不適合者だったらしい。直ぐに追い返されて、親戚の家に預けられたよ。
 ひどく同情的だった。捨てられた子犬を引き取った、って感じかな」
「……妹さんは、今どこに?」
「この共命町にいるよ。去年、引っ越してきた」

 それが――――何を意味するのか、僕にはわからない。
 でも、想像は出来る。
 城崎みたいな能力を持っていて、物理的な意味合いで逃げ出せるのなら、
 とっくに逃げてたんだろう。
 
 たしか、アイツ等3人は『生まれながらに』って言ってた。
 先天性。
 でも、日比野君の証言が正しいのなら、後天性って事になる。
 矛盾……じゃない、多分。
 先天性の素養が、その後なんらかのきっかけで萌芽となり、異能力となって芽生えたんだ。
 以前、湯布院さんもこんな感じの事を言ってた。
 何より、日比野君の言う『素養』と、これなら矛盾はない。

 つまり、日比野君の妹さんは、素養アリと見なされ、研究対象として
 研究所に匿われ、ある時突然、異能力に目覚めた。
 でも、逃げ出す事は出来ず……って事は。

「用済みになったんだ。妹は」
「……副作用、ってヤツでか?」
「そう。妹の副作用は重かったんだ」

 ここに来てもなお、日比野君は感情を出さない。
 だから、淡々とした口調で吐露した。

「多分、もう長くない」

 それは――――どういう心情で言ったのか。
 僕には全くわからなかった。

「全員が全員、命に関わる副作用じゃないんだけどね。妹は、運が悪かった。
 いや、殺されると言うべきなのかな。僕等を売った両親に」
「どうにも……ならないの?」

 僕は彼の妹と、面識は全くない。
 だから、感情移入する理由もない。
 でも、言葉が沈んでしまう。
 まるで知り合いの事のように、感情が揺れてしまう。
 どうして……だろう。

「それが知りたくて、僕はここに来たんだ。2週間前、君とここにいるジェネドの1人との
 会話を偶然聞いてね」

 2週間前っていうと……湯布院さんと話した時の事か?
 確か、あの時は朝早く、店の前で話していた。
 聞かれてたとしても、不思議じゃない。
 そしてその時、湯布院さんが『彩莉に異能力を除去する力がある』って
 言ってたのも、覚えてる。
 これが――――動機か。

「調べたら、確かにこの施設の近くにジェネドが集まってきている。
 研究所から抜け出してきた人間もいれば、そうじゃない人間も。
 多分、妹たちとは別の形で能力に目覚めたケースもあるんだろうね」
「調べた……って、どうやって」
「妹の能力さ。『クレヤボヤンス(千里眼)』って言うらしい。
 こうして……」
 
 突如、日比野君はおむすびでも握るように、両手を重ね出した。

「手で密封して、右手親指と人差し指に隙間を作る。そこを覗くと、
 知りたい情報が中に見えるらしい」
「どんな情報でも?」
 もしそうなら、とんでもないくらいスゴい能力だ。
 この世の全てを掌握できるくらい。
「まさか。透過できる情報は数字しか表示されない。つまり、数に関する情報しか得られない。
 しかも、表示可能な数字は2、3、7、9の4つだけだ」

 ……前言撤回。
 なんて使い辛い能力だ。
 情報に関する能力って意味では、思念を読む『サイコメトリング』に似てるけど、
 あっちの方がまだ使い勝手が良い。
 数字だけ、しかも4つの数字しか表示されないなんて、故障した電卓みたいなもんだ。

「けど、幸いにも『この街にいるジェネドの人数』っていう情報に対しては、答えを得た」
「……何人だったの?」

 日比野君は、両手を広げると同時に、左手の親指を折る。
 
「9人。これは確実に、意図的に集まっていると判断できる人数だよね」

 否定する要素は何もない。
 異能力者が9人。
 ウチの3人、イカ、 日比野君の妹……先日会った彩莉のクラスメートを含めても、6人。
 まだ3人もいる計算だ。
 団体旅行でもしてるのならともかく、そうじゃないとなると、
 意図的に集まっていると言わざるを得ない。
 そもそも、3人とイカもそういう意図で来てるんだしな。

「だから、確信を得た。少なくとも、ここにいる『イロリ』という人物は、
 能力を除去する力を持っている可能性があると思われている」
「そういう事だったのか……」
「ちなみに、君が不思議に思ってるであろう、僕の企画が当たった理由は
 ラッキーナンバーを妹に探って貰ったからさ。ま、これは半分偶然みたいなものだけどね」

 ラッキーナンバーなんて、普通は気休め……ですらないようなモノ。
 でも、異能力で、情報として調べたものなら、少なくとも何かしらの
 特別な意味はあるんだろう。
 そういえば――――

『入場料39%引+酒類39%引』
『当たってたら39万円ゲットだったのじゃ』

「あの日のラッキーナンバーは39だったのか」
 結果として店が繁盛したのは、このラッキーナンバーのお陰……というより、
 ラッキーナンバーがイカの能力を誘発して、店に幸運をもたらした……という事なんだろう。
 ややこしいけど。

「4つの数字しかないから、確認できない日も多いんだ。あの日は偶々
 表示内の数字だった」
「それで、あの日に企画を実施したのか。これまでもそうしてきたの?」
「僕自身に企画力なんてないからね。ただの学生だから」

 やっぱり感情もなく、日比野君は肩を竦める。
 いつの間にか、窓の外の雨は弱くなっていた。

「……異能力がなくなれば、妹さんは助かるの?」

 ナイーブな質問だったけど、聞かないわけにはいかない。
 意を決しての問いにも、やっぱり日比野君は冷静だった。

「わからない。妹の副作用は『正体不明の異常』なんだ。異能力を除去して
 副作用を消しても、現存する異常が消える保証はないし、特定の治療で
 回復するワケでもない。身体から出てきた症状を抑えてるに過ぎないんだ。
 でも、もう限界は近い。心臓が弱ってるらしい」
「……」

 これまで僕は、『能力を消したい』という城崎達の訴えを退けてきた。
 彩莉に何があるかわからないからだ。
 何より、直ぐにそれをしなくても、城崎達がどうにかなる訳でもない。
 けど、今回は違う。
 消しても、どうなるかわからない。
 消さないと、確実に死ぬ――――という、強い予感が拭えない。
 悲壮感も焦りもない、何処か達観したような日比野君の雰囲気が
 そう訴えてるのかもしれない。
 これは全て――――本当の話だと。

「こんな形でお願いする事になるとは思ってなかったけど……
 妹の力を取り除いて貰えないかな」

 日比野君の声は、窓の外から聞こえる雨音を切り裂くように、
 鋭利に、そして煌めきを放つかのように僕の耳へと届いた。

 


 今にして思えば――――この時、なんとしても気付くべきだった。
 彼の真意に。

 


 ――――――――――――
  6月17日(日) 14:08
 ――――――――――――

 病院って施設にはあんまり縁がないから、恥ずかしい話、
 日曜日にお見舞いに行ってもいいなんて知らなかった。
 まあ、大抵の人は土日祝しか時間がないワケで、その期間じゃないと
 中々お見舞いなんて来れないんだから、当たり前の事なんだろうけど。
 どうしても、病院は土日祝にはお休み、ってイメージが先行してた所為だろう。
 そんなワケで、僕は今、日比野君と一緒に市立総合病院に足を運んでいる。
 僕等の職場は日曜には寧ろ忙しいんだけど、今日もかなり強い雨脚なんで、
 お客様は殆ど来ない。
 なんで、この時間抜け出してきた。

 理由は、昨日に遡る。
 僕に妹さんの事を話した後、日比野君はその妹さんに会って欲しいと言ってきた。

『いきなり、見ず知らずの人間を助けて欲しい、とは言えないからね』

 というのは、彼の弁。
 ただ、それは建前で、本音は僕に情が移るのを期待してるんだと思う。
 それをイヤらしいとは思わない。
 どうにかして、妹の副作用を取り除きたい――――という一心なんだろう。
 だから、僕は承諾し、ここに来た。

「……なんであたしまでついて来なきゃなんないのよ」

 ――――城崎と一緒に。
 こんな雨の中、移動するのは億劫だったんで、城崎のサーチ・テレポートを利用。
 これだけの雨量なら、視界はかなり遮られるし、みんな傘を持って歩いてる。
 テレポートで突然現れても、目の前じゃない限りはいくらでもごまかせるんで、
 傘差したまま飛んできたってワケだ。
 着地に不安はあったものの、水たまりに落ちる事もなく、無事に成功。
 で、今に至るってワケだ。

「タクシーで移動する余裕はウチにはないの。せめて片道だけでも
 楽に移動したいだろ?」
「ほー……あたしはタクシー代わりって事? アッシー君じゃなくて
 アッシーさんって言いたいの?」
「何年前の流行語を引用してんだ……」

 多分、ウチの母が使ってた言葉をメモ帳端末に書き込んだんだろう。
 母、バブル世代だからなあ……

「ま、その妹さんがジェネドだって言うなら、あたしも興味あるからいいけど。
 それより、なんで当事者の日比野は来ないワケ? 妹のお見舞いに行くってのに」
「自分が行くと、余計な事まで喋ってしまいそうだから、まずは君だけで
 妹に会って、ナチュラルな印象を植え付けて欲しい……だと」
「ふーん。でもヘンよねえ。私、日比野なんて苗字のジェネド、覚えが
 ないんだけど」
「お前の場合、忘れてる可能性もあるんじゃないのか?」
「ジェネドの名前は全員分載っけてるわよ。一応、仲間だから」

 仲間――――か。
 部活動もしてない、長らく身内だけで営んできた僕にとって、その言葉は
 少し羨望にも似た響きを持っている。
 何かしら共通の目的を持った、同志。
 僕の人生に、その存在は確認されていない。
 正直、少しそれが悲しい。
 友達は別に要らない。
 でも、仲間は欲しいと思っていた。
 自分の事を理解してくれて、僕もその人の事を理解して。
 そして、同じ価値観を持って、同じ目的へ向けて直走る――――そんな、仲間。
 今の状態だと、この城崎は仕事仲間と言えるのかもしれないけど、
 近い将来、こいつは【CSPA】からいなくなる。
 そういう意味では、仲間になり得る可能性があるのは、日比野君だけだ。
 彼は、僕と同じ匂いを持っている気がする。
 でも、やっぱり違うっていう事も、昨日感じた。
 その違和感というか、相互間の齟齬を見極める為にも、僕はここ、市立総合病院にいる。
 彼の目的を、目の当たりにする為に。

「で、妹さんの病室は?」
「327。多分3階だな」

 327号室まである病院だけあって、中はかなり広い。
 病院ってトコに殆ど縁がない手前、これが病院として広いのか、標準なのかは
 よくわからないけど。

「エレベーターを使うまでもないか。階段で行きましょ」
「ああ。待つの嫌いっぽいよな、お前」

 特に返答はなく、そのまま階段を利用し――――目的地へ到着。
 少し緊張する。
 何しろ、初対面でいきなりお見舞いなんて、経験がない。

「……」

 突然無口になった城崎も、同じような精神状態なんだろう。
 ちなみに、妹さんの年齢は聞いてない。
 会えばわかることだったから、聞く理由も特になかった。
 もし同世代なら、何を話して良いかわからない……から、城崎に
 一緒に来て貰った、っていうのもある。
 あんまり役に立ちそうにもないけど。

「と、取り敢えず、ノックするぞ」
「え、ええ」

 妙にカチコチになる中、327号室の扉を2回叩く。

「はあい、どうぞ」

 声と同時に、大体の年齢がわかった。
 彩莉と同世代か、少し下。
 思わず安堵の溜息が漏れる。
 苦手な女子の範疇外だ。

「よかったわね、ロリコンお兄ちゃん」
「……病院じゃなかったらブッ飛ばしてるところだ」

 引きつる顔を抑えて、扉を開ける。
 意外にも――――そこは個室だった。
 
「個室って高いんじゃないの? よくお金出せるわねー」

 ボソボソと聞いてくる城崎も、僕と同じ感想を抱いていた。
 高校生のアルバイトだけで、賄いきれるんだろうか。
 医療費自体は、各種制度でかなり抑えられるんだろうけど……

「……あのお」

 おっと、ついつい妙な事を考えてしまった。
 目の前に視線を向けると、困惑した様子の少女が、ベッドの上で
 上半身を起こし、こっちを見ている。
 日比野君とは似ても似つかない、可愛らしい女の子だった。
 年は声の印象通り、彩莉よりちょっとだけ下くらい。
 頭の両サイドにつけた、さくらんぼみたいな髪留めが印象的だ、
 ツインテールってほど長くないけど、ちょっと城崎に似てる髪型。
 顔も少し似てるかもしれない。
 病人でありながら、兄貴より顔色はいい。

「あ、ごめん。えっと、お兄さんの知り合い……お友達なんだけど、
 お兄さんから何か聞いてないかな」

 不安げな瞳を揺らしていた妹さんに、僕は彩莉に話しかけるより
 更に一つ目線を下げ、ゆっくり問い掛けた。

「きいてる、です。きょうくるってゆってました」

 キョトンとした感じの返答。
 イマイチ、俺等が何者かわかってない様子だ。
 これも、日比野君の計算通り……なのかもしれないけど、
 いちいちそれに対抗する気にはなれない。
 自然に対応しよう。

「あ、よかった。僕は、お兄さんと一緒にお仕事してる
 有馬湯哉って言うんだ。よろしくね」
「とーや」
「そう。で、こっちのが、城崎……お前、下の名前なんて言うんだっけ」
「ド忘れしないでよね。あ、はじめましてー。あたし、城崎水歌って言うの」
「きのさき」
「……なんであたしは苗字の方なの」

 と言いつつも、城崎は特に呆れたり不満だったりは一切なく、
 終始笑顔で対応している。
 彩莉との接し方でもそうだけど、子供慣れしてるみたいだ。

「日比野ちゃん、だよね? 下のお名前は?」
「ちさと」
「ちさとちゃんかー。お姉ちゃん、ちさとちゃんって呼んでも良い?」
「いいよお、です」

 がんばって丁寧語を使おうとしてるのが、なんとも微笑ましい。
 日比野ちさと、か。
 実は、下の名前すら日比野君には聞いてなかった。
 一方的に御願いしてきたと思ったら、一方的に『じゃ、明日お見舞いに行って。
 僕は明日早いんで、この辺で』とか言ってさっさといなくなったからな。
 もしかしたら、妹さんから直接名前を聞くのも、感情移入の一環と
 思ってるのかも……と、色々勘ぐり過ぎだな。
 町の探偵さんを尊敬する余り、ヘンなクセが付いちゃった。
 反省。

「あのお、ちさとになんのごよう? です」
「ちょっとお話をしたいな、って。いい?」
「いいよお、です」

 意外――――というのは失礼だけど、城崎は僕の想像以上に
 親身になって話をしていた。

 日比野せんり――――改め、日比野千里。
 年齢は予想通り、彩莉の一つ下で9歳。
 まだ甘え盛りの女の子、って感じで、年齢より少し幼い印象だ。

 異能力の副作用としての病状は、詳しい事はわからなかったけど、
 どうやら『脳』に関係する疾患らしい。
 って言うのも、ここは脳神経外科だからだ。
 日比野君は『もう長くない』と悲観的な事を言っていた。
 それが脳内の重篤な病気だとしたら、納得だ。

 ちなみに、日比野妹の命に関わるこの発言は、城崎にも
 他の連中にも言っていない。
 嘘か本当かわからないし、会わせる前にそんな事を言っても
 プラスにはならないから。
 
 で、ジェネドとしての彼女について。
 同じジェネドの城崎は、やっぱり彼女に見覚えがないと言う。
 同様に、日比野妹の方にも城崎を見た記憶はないとの事。
 当然、俺を見た記憶もない。

 例の能力――――クレヤボヤンスに関しては、日比野君の
 説明以上の事を聞き出す事は出来なかった。
 ただ、気になる事が一つ。

「えっとね、2と、3と、7と、9じゃない、ほかのすうじがでるように
 なったらいいね、っていっぱいいわれた、です」

 これは、兄にそう言われた訳じゃなく、研究所での一幕らしい。
 そこで何が行われていたのか、何となくわかる一文だ。
 ただ、この事を話した時の日比野妹は、少し悲しそうだった。
 それが叶わなかった事で、大人達を失望させた――――と、自分を
 責めてるような印象だった。

「千里ちゃんは、何が好き? 食べ物で」
「うーんとね……ケチャップごはんとお、あぼかど」
「え、そうなの? アボカド好きなんだー。あたしもなの」

 それを見越してか、城崎はそこで研究所の話は止め、雑談に切り替えた。
 僕はそんな彼女の心配りに感心しながら、ふと雨に濡れる窓の外を眺める。
 3階だから、並行に見ても建物の数は少ない。
 大都会なら話は別なんだろうけど、共命町はその範疇にない。

 下を覗くと、駐車場が見えた。
 日曜日だからか、車の台数は少ない。
 意外と、見舞いに来る人はそう多くないのかもしれない。

「……ん?」

 そんな事を考えていた僕の目の中に、一人の人物が映った。
 駐車場からこっちを見上げているから、イヤでも注視せざるを得ない。
 日比野君だ。
 驚いた事に、傘すら差していない。
 そもそも、この雨の中でなくても、あそこから中の様子を窺い知る事はできない。
 だったら、どうして……?

「城崎、僕ちょっと外に出てくるから、暫くここにいてくれ」
「へ?」
「このお姉ちゃんと一緒にお話しててな」

 城崎の返事は聞かず、日比野妹の頭をポンポンと叩き、病室を後にする。
 その途中、ふとある事に気付いた。
 ――――花がない。
 入院患者の部屋には、花瓶と花は常にあるって印象だったから、
 少し意外だった。

 


 今にして思えば――――その事をもっと深く考えるべきだった。
 それが例え、意味のない行為だったとしても。

 


 ――――――――――――
  6月17日(日) 15:23
 ――――――――――――

「雨の日に、傘も差さないで佇んでいるのは、果たして奇行なのかな?」

 僕の表情を見るまでもなく(どうせ傘が邪魔して見えないだろうけど)、
 日比野君の第一声はこっちの考えを見透かしていた。
 前々から思っていたけど、彼は偶に演技っぽい物言いをする。
 アルバイトとして働いている時も含めて、僕にだけ見せる顔。
 僕に、『悲劇の兄妹』と印象づけたいのか?
 どうにも、あの三人が現れて以降、僕は疑り深い性格になったような気がする。

「奇行かどうかはどうでもいいけど、そのままだと風邪ひくぞ。つっても、
 男と相合い傘する趣味はないけど」
「同感だよ」

 ちょっとホッとした自分がいた。

「妹、どうだった?」

 雨音にかき消されない程度に、日比野君の声は普段より少し大きく、
 それでも儚げに鼓膜へ届いてくる。
 灰色の風景と相成って、まるで墓地に引きずりこまれるかのような、
 奇妙な感覚を覚えた。

「……良い子だと思うよ」
「そう言ってくれて嬉しいよ。自慢の妹だからさ」
「で、それを僕にアピールして、どうしたいんだ?」
「当然、妹の副作用を消して欲しい。難しいアピールじゃないと思うけど?」

 それは、その通りだ。
 僕にだってそれくらいはわかる。
 でも、それにしては回りくどい。
 妹さんに会いに行かせておいて、ここで現れるってのも。
 傘を差さないでいるのも。
 全部『悲劇感』を演出するためだとしたら、幾らなんでも過剰だ。

「昨日、面接の時の事を少し話したよね。『差し障りない言葉に、ひと掴みの
 スパイスを加えるくらいが、面接には丁度良い』って」
「ああ」
「面接に限らず、あらゆるプレゼン、自己主張、もっと言えばコミュニケーション
 全般に言える事なんだよ。そして、ここでいうスパイスは、ギャップがあれば
 あるほどいい」
「……どうにも、回りくどいな」

 言葉遊びをする気にはなれなかったんで、本心を告げる。

「そうだね。でも、僕も必死なんだよ。今の状況を考えると、少しでも
 君達の中の優先順位を上げておきたい」
「……優先順位?」
「今の時点で、君の周囲には4人のジェネドがいる。働きながらチェックしてみたけど、
 全員が能力、つまり副作用の除去を目的としている。だから、現時点で妹は
 5番手って事になる。でもそれだと、確実に除去して貰える保証はないよね」

 ようやく、ピンと来た。
 日比野君にとって、僕は『天才外科医』なんだ。
 天才外科医には、常に多くの患者が依頼をしてくる。
 治して貰う為に、順番待ちをしている。
 で、今の時点で日比野兄妹の依頼は最後列。
 もし、能力除去を行う上で、回数制限なんかがあれば、自分達まで回って来ない
 可能性がある――――そんな状況だと言いたいんだろう。

「でも、一つわからない事がある」

 日比野君は、ズブ濡れのままで問い掛けてくる。
 明らかに、顔からは血の気が引いていた。
 逆に目の下のクマは濃くなってる気がする。
 雨の所為なのか、それとも――――

「どうして、君達の周りにいるジェネドは、君と彩莉さんにもっと積極的に能力除去を
 頼んでこないのか。逆に、君はどうして能力除去を拒否しているのか。
 その辺の事情が中々わからないんだよ。聞く訳にもいかないしね。それが致命傷にもなりかねない」
「だから、回りくどい事をしてたのか」
「下の立場だからね」

 それは、正社員とアルバイトの差――――じゃない。
 治療して欲しい方と、する方。
 そこに格差なんてない、って言いたいところだけど、当事者にしてみれば、
 そうも言ってられないんだろう。
 下手に出てでも、治して欲しいのなら。

 でも、僕も彩莉も医者じゃない。
 そもそも、彩莉に能力除去の力があるって言うのも、僕がその唯一の経験者って言うのも、
 鳴子さん達の憶測に過ぎないんだから。

「そんな事を言われても、困るんだよ」

 だから僕は率直に答える。
 
「医者なら、患者を治すのが仕事だし、責務なんだろう。でも彩莉にはそんな責任はない。
 何より、彩莉が異能力を消せる保証もなければ、彩莉になんのリスクもないって保証もないんだから」
「……ああ、そういう事だったんだね。僕はてっきり、君達がとんでもない条件を出して、
 それで他のジェネド達が躊躇してるとばかり思ってたよ」

 確かに……そう思われてても不思議じゃないシチュエーションではあるけど。
 実家は人気のないスパランド。
 そして僕は男。
 群がるジェネドは女ばかり。
 穿った見方をすれば、『僕が金銭的、性的に過度な要求をしてる』と思うのも不思議じゃない。
 だから、その面で不利な日比野君は、僕を籠絡しようとしてたのか。
 
 有能である事を見せ、長期的に見れば自分が利になる存在だとアピール。
 そして、情に訴える。
 経済面、そして感情面から、有利な方向へと持って行こうとする。
 これは、実は常連のお客様の中にも見られる傾向だ。

 数少ない、何度もお越しになるお客様の中には、従業員に気に入られたい、
 ご自分を特別に扱って欲しい、というオーラを出してる方がいる。
 常連風を吹かせたい――――というと失礼に当たるけど、実際にそういう方はいる。
 そしてそういう方も、経済面や感情面でアピールする傾向が見られる。
 だからこそ、僕は彼の行動に対して過敏になったんだろう。 
 結果として、それは正しかったワケだ。

「計算外だったな。能力を除去する方法そのものがまだ不透明だったなんて」

 日比野君は、少し落胆しているようにも思える。
 けど、感情はやっぱりわからない。
 声も、表情も、雨の所為とは無関係に、感情が消失している。
 まるで、そういう病気みたいに。

「妹の副作用は、脳の変質なんだ」

 だから、その言葉もまた、ポツリと、淡々と紡がれた。

「脳神経外科での入院だから、予想はついてたと思うけど」
「ああ。変質って、具体的な事はわかってるの?」
「いや。現代医学をもってしてもわからない。萎縮や肥大、腫瘍の発生みたいな
 わかりやすい変質じゃないみたいだね。だから、治療もできない。
 症状を薬で抑えてるだけだ」
「……」

 脳の異常、原因不明の症状ってのは、想像してた通りだ。
 なにしろ、人智の範疇を超えた異能力の副作用。
 それくらいの事はあり得る。
 でも――――実際に生々しい言葉にされると、背筋が凍りそうになる。
 あの小さな頭に、あの子――――日比野千里は、どんな爆弾を仕掛けられたのか。

 僕はこれまで、目の前に現れた異能力者――――ジェネドという存在に対して、
 極力向き合わないようにしてきた。
 受け入れるだけの器がない、ってのもある。
 だって、そうだろう?
 突然、テレポートを使う女が振ってきて、それに対して『テレポートが使えるのか。すごいね』
 なんて子供みたいな感想はとても抱けない。
 僕はどこかで、現実逃避していた。
 彼女達をスパの施設に住まわせ、働かせる事で、
 彼女達の存在を半ばムリヤリ自分の日常に溶け込ませた。
 そうする事で、日常と非日常の均衡を保っていた。
 彩莉に関してもそうだ。
 あの子を、非日常の一部にしたくなかった。
 当然、身の安全は第一。
 ただ、それだけじゃなかった。
 彩莉が、得体の知れない連中と同じ種類の存在になる事を、僕は畏れていた。
 あの連中に必要とされている事で、同じカテゴリーに入る――――そう思っていた。
 だから、頑なに城崎達の要求を拒んでいた。
 彩莉に彼女達ジェネドの力をなくす能力があるかどうか。
 それを調べる事すら、許さなかった。

 けど――――今回は、これまでと事情が違う。
 
「……妹さんは今、どんな症状が出てるの?」
「色々あるけど、一番酷いのは健忘。記憶喪失の事だね。正確には『逆行性健忘』。
『前向性健忘』が新しい事を覚えられないのに対し、こっちは過去の記憶が消失していく症状なんだ」

 その症状は、城崎と似ていた。
 城崎の場合、『前向性健忘』に当たるんだろう。
 あいつも、脳に異常がある……んだろうか。
 とすると、日比野妹と同様に、命の危険も否定出来ない。
 脳梗塞。
 脳腫瘍。
 脳挫傷。
 脳卒中。
 僕が知ってるだけでも、脳の病気はこれだけある。
 そして、命に関わる病気ばっかりだ。
 本人はそんな話、一度もしてないけど―――― 

「命は……どれくらいもつ?」
「わからない。全くわからないんだ。明日にでも、重篤な状態になるかもしれないし、
 一生今のままかもしれない。医師がお手上げ状態だから、手の施しようがない。
 だから、一刻も早く副作用の元になっている異能力を消して、状態を安定させなくちゃならないんだ」

 ここに来てもなお――――日比野君は淡々と告げていた。
 その事が、嘘がないという事を僕に刷り込ませる。
 僕が、接客業で日頃多くのお客様の『嘘』と向き合っている事を見越して。
 それが手口なら、彼は世界でも有数の詐欺師だ。
 けど、それを確認する必要もない。
 僕にとっては、騙されているかどうかなんて、どうでもいい事なんだから。
 
「……もう一度、本人と会ってみる。それから、今後の事を検討するよ」

 僕はそれだけを告げ、踵を返し、病院へと戻った。

 


 ――――――――――――
  6月17日(日) 15:43
 ――――――――――――

「……?」

 色々あって疲れていたからか。
 3階の廊下を歩く僕は、暫くそれが『変調』だと気付くのに時間が掛かった。
 327号室の前が、やけに慌ただしくなっている。
 その光景を少しの間ボーッと眺め――――事の重大さに気付く。
 まさか。

「っ……!」

 病院の廊下は家や学校以上に走っちゃいけない――――そんな自制心も働かない。
 ひたすら、空気の中を泳ぐように不格好な姿で走る。
 辿り着く直前、327号室からストレッチャーが出てきた。
 乗っていたのは――――酸素ボンベを装着した、日比野妹。
 表情は、見えない。
 一瞬で過ぎ去ってしまったから。
 彼女を取り囲む看護師の形相から、ただ事じゃないのは明らかだった。

「有馬!」

 程なくして、城崎が327号室から出てくる。
 顔面蒼白――――そんな表現がピッタリの顔で。

「千里ちゃんが……千里ちゃんが……!」
「落ち着け。僕達が焦ってどうなるものでもないだろ」
「落ち着けるワケないでしょ!? あたしの目の前で苦しみ出して、それで……!」
「いいから、落ち着けって!」

 これは、僕自身への言葉でもあった。
 それでも、先に日比野君から現状を聞いていた事で、少し抗体みたいなものが
 心の中に出来ていたのかもしれない。
 もっと言えば――――今日初めて会った人物だったから、そこまで
 感情移入していない事が、心を落ち着かせられた理由とも言えるんだろう。
 でも、城崎はそうもいかない。
 こいつは明らかに、日比野妹に感情移入していた。
 取り乱すのは当然だ。
 城崎だって、ここが脳神経外科だって事は理解してる。
 彼女の副作用が何なのか、それくらいは想像してるだろう。
 感情移入するなと言う方が酷だ。
 だからこそ、僕は何度でも繰り返す。

「まずは落ち着け。僕は日比野君を呼んでくるから、お前は看護師か医師を捕まえて
 話を聞いとけ。彼女に何があったのか。これからどうなるのか」
「……」

 返事を待つ余裕もなく、僕はまた外へと駆け出した。

 


 今にして思えば――――
 日比野君の第一印象は、『僕に似ている』だった。
 彼には陰があった。
 それは、妹さんの一刻の猶予もない状態が、そうさせていたんだろう。
 僕はそれを、『普通の高校生とは違う日常に疲れている、自分に似た境遇』だと
 思っていた。
 そして、そんな人物と出会った事で、僕は少し浮かれていた。
『仲間が出来るかもしれない』
 漠然と、そんな思いがあったんだろう。
 でも、違った。
 彼には僕とは違う、明確な目的があった。
 彼の企画力は、妹である千里の力を利用したものだった。
 だから、イカが【CSPA】に来たあの日――――イカの能力は、【CSPA】に対して発揮されたと
 考えるのが妥当だ。
 あの時、そこまで頭が回っていれば、違う未来があったのかもしれない。
 少しでも早く、僕達がここへ来ていれば。
 せめて、一日。
 彼から妹さんの話を聞いた時に、彼の真意に気付いて、一日早くここへ来れていたら、
 こうはならなかったかもしれない。

「……くそっ!」

 接客業をずっとやって来た。
 他人が何を欲しているのか、そればかりを考えてきた。
 それが僕の唯一の長所だった筈だ。
 そんな16年の集大成が――――このザマだ。
 

「くっそーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 豪雨の中、僕は力の限り叫んだ。
 その声は結局、大粒の雨にかき消され――――


 誰の耳にも届く事はなかった。










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