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6月18日(月) 5:22
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スパランド【CSPA】の一日は早い。
それは、例外なく。
例えば、台風が来ても、インフルエンザで従業員全員が高熱を出していても、
店が開く時間に変化はない。
当然、どうしようもなくやる気が起きない日でも、早起きせざるを得ない。
僕はこの日、眠る事が出来なかった。
朝の掃除や開店準備まではまだ間があったけど、もう寝るような時間でもない。
意識の寸断なく、僕はゆっくりと目を開けて、この日の始まりを自覚した。
日比野君の妹さん――――千里ちゃんの容体は、急変したあの後、
多少の波はあったものの、どうにか落ち着きを見せ、小康状態となった。
けれど、意識は戻っていない。
何より、いつまた急変してもおかしくない。
そして、その急変が取り返しの付かない結果になる事も、否定できない。
見守る側にとっても、治療する側にとっても、これは相当厳しい状態だ。
『……申し訳ない。暫く、休ませて貰えないかな』
力なく僕にそう告げた日比野君の苦悩は、測り知れないものがある。
僕は父に相談するまでもなく、承諾した。
千里ちゃんの回復がない限り、彼がこのスパランドに戻る事もないだろう。
「……」
気分が滅入る。
僕と千里ちゃんの間には、僅かな時間の共有しかない。
それでも、あの子が苦しんでいる、命の危険に晒されていると思うと、
胸が重くなる。
どうして……あんな年端もいかない子が苦しまなくちゃならないんだろうか。
健やかにこの年まで成長した自分すら、申し訳なく思ってしまう。
「はぁ……」
頭をかきむしり、カーテンを開ける。
今日の天気は、小憎たらしいくらいの快晴。
昨日の悪天候が嘘のよう。
せめて、現実もこれくらい希望に満ち溢れたものになればいいのに。
「……ん?」
そんな事を考えている最中、部屋をノックする控えめな音が聞こえた。
まだ5時半だってのに……なんだ?
「起きてるよ。どうぞ」
若干不気味に思いつつ、招き入れる。
暫くの間の後、ゆっくりとドアが開いて――――城崎が姿を現わした。
「……どうしたの、こんな早くに」
「千里ちゃんの事。出来るだけ早く相談したかったから」
いつもの快活さは影を潜め、ボソボソとした声で城崎は呟く。
そしてその後ろから、キュルキュルと車椅子の動く音が聞こえてきた。
「早朝からすいません」
「ごめんなさいね」
鳴子さんは予想通りだったけど、湯布院さんまで。
彼女の動く姿は結構レアだ。
にしても、こんな早朝に目を覚ましたのか?
「起きていられる時間が少ないというだけで、常に強制的に起きられないって
訳じゃないんです」
僕の考えを先読みし、湯布院さんはいつもの雰囲気で告げる。
僕や城崎のピリピリした空気を緩和させるかのように。
大人の女性――――そういう感じがした。
「昨日の件、水歌から聞きました。最早、一刻の猶予もありません」
城崎と湯布院さんが先に部屋に入り、最後に鳴子さんの車椅子を
全員で抱え(従業員の部屋はバリアフリーにはなっていない)、
部屋に収まったのと同時に、鳴子さんが強い口調で断言する。
一刻の猶予もない――――それは、千里ちゃんの容体の事だろう。
面識がない彼女に対しても、そう思うという事は、単純に人情の問題じゃなく、
彼女達『ジェネド』全員の問題だと認識しているから……だと思う。
「これまでは、有馬さんや彩莉ちゃんに遠慮して、余り深く立ち入る事は
しませんでしたが、こう言った事例が生じた以上、そうも言ってはいられません。
私達自身の問題でもありますし、何より、幼い命が懸かっています」
「日比野君、だったかしら。その妹さんを利用するみたいで気が引けるんだけれど……」
鳴子さんに続き、湯布院さんも申し訳なさそうに続く。
彼女達がこれから、何を話そうとしているのか――――わからないほどマヌケじゃない
つもりだ。
そして、これまでみたいにそれを回避する事が不可能な事も。
最初から、こういう運命だったのなら、もっと早い段階で突っ込んだ話を
しておくべきだった、と後悔しても遅い。
今はただ、千里ちゃんを回復させる可能性を模索するしかない。
それには、現代医療に頼るんじゃなく、彼女達『ジェネド』の声に耳を傾けるしかない。
僕はそう結論付け、話の続きを待った。
「まず、結論を言います。この現状、つまり日比野千里さんの体調を悪化させない為には、
能力の除去が必須です。それも、悪化させないというのが精一杯で、現状から
回復するかどうかは、私達にもわかりません。それでも、能力の除去をしなければ
何も始まらないというのが、唯一の出発点です」
「つまり、僕に許可を出せ、って事だよね。彩莉に除去能力があるかどうか
調べる為の」
「そうです」
言葉少なに、鳴子さんは答えた。
無駄な会話はこの場において必要ない、という意思表示だろう。
なら、僕もそれに従う。
彩莉に危険が及ぶ事は、絶対に許さない。
許さないけど――――
「わかった。今日、僕と彩莉は学校を休む」
その彩莉と年齢の近い女の子の命が懸かっている。
そして、僅かな時間だったけど、僕はその子とお喋りをして、楽しい時間を過ごした。
彩莉の性格上、そんな子を見捨てると僕が言えば、絶対に僕を許さないだろう。
何より僕自身がそれを許す事が出来ない。
正義感、なんてチャらいものじゃない。
人間誰だって、利己的な精神の裏側に、利他的な感情を持っている。
僕も、例外じゃないって事だ。
「御理解頂き、感謝します」
「感謝される謂われはないよ」
「だとしても、です」
鳴子さんは、車椅子の上で深々と頭を下げた。
それは、余り好ましい事じゃないと思いつつも――――彼女の律儀な姿を反映していると
解釈するあたり、僕もまだまだ子供だ。
「では、ここのお手伝いが始まる午後の時間帯までに終わらせてしまいましょう。
彩莉さんには少し早起きして貰う事になりますけど……」
「構わないよ。彩莉は自分の年の近い子の為だって教えれば、喜んで協力する」
「そういう子ですよね」
お世辞というふうでもなく、湯布院さんは微笑みながら頷いた。
こうして――――ずっと頑なに拒んでいた、彩莉の『能力除去』の可能性を
この日僕達は検討する事となった。
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6月18日(月) 7:25
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学校に欠席の連絡を入れて、準備は完了。
僕達は彩莉を連れて、少し離れた場所にある空き地へと向かった。
そこは、買い手が決まっていない売りに出されている土地。
勿論、勝手に入ってはいけないというのは重々承知しているけど、
この場所を選んだ理由が二つある。
一つ目は、万が一何かがあった場合、建物の中だと危ないという点。
もう一つは、ここは市立総合病院に近い場所、という点だ。
もし能力除去が成功したら、直ぐにでも駆けつけられる。
それが主な理由だった。
「万が一、不動産屋にでも見つかった場合は、私の車椅子が壊れたので
直していたとでも言えば問題ないでしょう」
「怖い人達が来たら、水歌のテレポートで移動するって手もありますし」
という鳴子、湯布院両名の意見もあり、空き地に各々腰を下ろす。
相当な期間売りに出されたままになっていたらしく、草は伸び放題、
ゴミも散乱している。
ま、手入れをしてないって事は、それだけここに管理者が来てない証でもあるんで、
そういう意味では利用しやすくはある。
「あ、あの……」
そんな中、事情を知らされないままに連れられてきた彩莉が、怖々と僕を見てくる。
うう、そんな顔をしないでくれ。
「彩莉さん。今日は学校を休ませてしまって、すいませんでした」
不安げな彩莉に対し、鳴子さんがペコリと頭を下げる。
このジェネドの三人と彩莉の関係性は、実は僕もハッキリと把握できていない。
学校から帰ってくるのは彩莉の方が早いし、僕は帰宅後直ぐに手伝いに出るから、
中々彼女達の交流の場には遭遇してないんだ。
彩莉から話を聞く分には、『とても優しい人達』だそうだから、
取り敢えず良好とは言えるんだろう。
ま、彩莉を相手に良好以外の関係を築こうとする輩なんぞ、この世には存在しないが。
見ろ、このキュートな佇まいを!
世の中のどんな悪意をも消し去るよう――――と……今日は自粛しよう。
それより、彩莉に説明だ。
「彩莉。あのな、彩莉には、もしかしたらスゴい力が隠されてるかもしれないんだって。
それを確かめる為に、ちょっとテストをしたいってこのお姉ちゃん達が言ってるんだ。
ちょっと時間かかるかもしれないけど、協力してくれないか?」
当然、彩莉に難しい事を言っても仕方がない。
嘘は吐かず、でも彩莉に理解できる範囲の説明となると、せいぜいこれくらい。
後は、当人次第だ。
とは言え――――
「よくわからないですけど、わかりました。彩莉でお力になれるなら、
精一杯がんばります」
彩莉なら、こう言う。
わかってた事だ。
恐らく、鳴子さん達も。
「……ありがとう、彩莉ちゃん」
最初に口を開いたのは、城崎だった。
ずっと沈黙を守っていたのは、彼女なりに昨日の事で思うことがあったからだろう。
だからこそ、彩莉への感謝も一入。
そう表情に出ている。
「私からも、御礼を言わせて下さい。彩莉さん、ありがとうございます」
「私も。彩莉ちゃん、ありがとう」
年上三人から感謝され、彩莉はテレテレだ。
普段なら、なんて微笑ましい光景だろうと目を細めるところ。
できれば、そんな日常を取り戻したい。
でも、もし取り戻す事ができたなら、ここにいる三人はもう、【CSPA】から去る事になる。
彩莉は悲しむだろうか。
でも、今の状態は決して健全じゃない。
彼女達には、彼女達の生きる場所があるはずだから。
「では、早速始めます。彩莉さんにもわかるよう、なるべく理解しやすい言葉で
説明しながら、試して行きます」
「よろしく頼む」
僕が祈るような心境でそう告げると、鳴子さんはしっかりと頷き、
視線を彩莉の方へと向けた。
少し吊り上がったその目は、一見冷たい雰囲気を持っているけど、
実際には彼女はとても温かい心を持っている……と、僕は思っている。
彼女だけでなく、城崎も、湯布院さんも。
もし――――今回の件だけが突然起こって、彩莉をテストしたいと言われたならば、
僕はすんなりとそれを認めたかどうか、わからない。
認めた理由は、彼女達と少しの間だけど接してきて、そこにある温かさに
多少なりとも触れてきたからだ。
接客業をしてきたからこそ、その鑑定には自信がある。
だから、信じよう。
彩莉に害を加えるような真似だけはしないと。
彼女達を――――そして、自分を。
昨日裏切られた自分を、もう一度だけ。
歯を食いしばる思いで。
「では、まず彩莉さんに話さなければならない事があります」
「はいっ、なんでしょう」
「私達は、少しだけ他の人とは違う事ができるんです。それを、お話しします」
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6月18日(月) 7:55
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空き地に着いてから、30分が経過。
彩莉への異能力の説明は、先の言葉通り、とても懇切丁寧でわかりやすかった。
難しい言葉は一切使わず、彩莉が少しでも理解できるようにという配慮に溢れている。
何しろ、彼女等の異能力は実践するのが難しい。
タイムレーザーは、時間が止まっている状態を外見上判断する事は困難だし、
サイコメトリングも、異能力というより占い師の領域に近い。
唯一、肉眼でハッキリ異能力とわかる城崎のテレポートも、一日一回限定だから、
怖いお兄さん方がやってくるケースへの対処として数えている以上、使えない。
それでも、城崎や湯布院さんも交えつつ、彩莉への説明はどうにか終わった。
「えっと……彩莉が、みなさんの特別なチカラを消せるかもしれない、ということでしょうか」
「その通りです。彩莉さんは頭がいいですね。飲み込みが早くて助かります」
鳴子さんの言葉には、多分におべっかも含まれているんだろうけど、
彩莉が褒められて悪い気はしない。
僕も思わず顔が緩みそうになる。
けど……ここからが大事。
ここからが本番だ。
「でも、どうすればいいんでしょう。彩莉、みなさんのチカラを消せるかどうか、
わかりません。やり方もわかりません」
「ええ、それは私達もそうです。なので、今日お時間を貰って、どんな方法が
あるか、試してみたいと思います」
「わかりました。上手くできないかもですけど、がんばってみます」
うう、良い子だ。
本当に良い子だ。
この子を危険な目に遭わせたくはない。
けど――――
『いいよお、です』
あの子もきっと、良い子だ。
そして今、危険な目に遭っている。
彩莉との優先順位は、今は考えない。
安っぽいヒューマニズムだろうが何だろうが、とにかくあの子を助けたい。
それだけだ。
「まずは……そうですね。能力を使っている状態で、彩莉さんに触れて貰いましょう」
「なら、私が適任ですね」
ふらりと、眠そうな目で湯布院さんが彩莉の傍に近付く。
彼女が起きていられる時間は、4時間。
もうそれほど猶予はない。
正直、ここで寝られるとなると、僕が背負うしかなさそうなんだけど……仕方ないか。
「私が水歌の腕を掴みます。その間に彩莉ちゃん、私に触って下さい。
まずは頭から……」
そんな事を考えている間にも、彩莉を中心とした『異能力除去』の試みは始まった。
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6月18日(月) 12:32
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「……この方法もダメみたいね」
明らかに疲労を伴った声で、城崎が呟く。
同時に、肩車していた彩莉をゆっくりと下ろし、ふーっと一息。
「肩車もダメ、と」
ずっと前から用意していたらしきチェックシートに、鳴子さんが記述を加える。
ちなみに、彼女達が実験(という言葉は彩莉が関わっている以上使いたくないんだけど)
をしている間、僕は眠ってしまった湯布院さんを背負って一旦家に戻っていた。
これが結構大変だったんだ。
なにしろ無断ではないものの、病気でもないのに学校休んでるもんだから、
万が一学校関係者に見つかったら、結構キツい。
しかも、女性を背負いながらの移動。
他人の目も痛い。
とはいえ、他に役立てる事もないんで、黙って彼女を部屋まで送り届け、
特に何の過ちもなく(当たり前だが)今に至る。
何かしらの進展がないか、不安と期待の入り交じった状態で戻ってきたものの、
今のところ能力が除去する方法は見つかっていない。
「ふう……ね、そろそろお昼にしない? 彩莉ちゃん、お腹空いたよね?」
「ええと、彩莉はまだ大丈夫で――――」
きゅー、と、アザラシの鳴き声のような音が彩莉のお腹から聞こえて来た。
「……ふあ」
「あー、大丈夫大丈夫。誰だってお腹くらいなるんだから。それじゃ、お昼にしましょ。
ね、璃栖」
「異論はありません」
という流れで、一旦昼食をとる事になった。
最寄りの飲食店の中から、車椅子可の店を吟味した結果、
唯一それを掲げていたうどん屋を発見。
僕等はそこに腰を落ち着けた。
にしても……
「城崎は子供の扱いが上手いよな。スパでの接客の時もそうだけど」
かけうどんを啜りつつ、僕はずっと心中で感心していた事をつい口に出して
褒め称えた。
子供の扱いって、実はかなり難しい。
子供といっても同じ人間。
そこには個性があり、個人個人の主張、思惑、思想がある。
だけど、つい『子供』って括りで、全員似たような扱いになってしまいがちだ。
でも、城崎は相手を見て接している。
例えば、昨日の千里ちゃんと今日の彩莉への対応。
似ているようで、実はちょっと違う。
彩莉に対してより、千里ちゃんに対しての方がやや甘い感じだ。
それでいて、子供の目線に立っているという共通の接し方は守っている。
見習いたいくらい、理想的だ。
「そ、そうかな。自分ではよくわかんないんだけど」
ツインテールを揺らしながら、城崎は照れていた。
ちなみに、彼女が注文したのは肉入りの力うどん。
肉を餅で豪快にくるみ、パクパク食している。
……なんでこの女に、子供に対する繊細な接し方ができるんだろう。
「水歌は、施設にいた頃から子供とよく接していたんです」
「成程。それでか」
僕と同じかけうどんをチョロチョロ啜る鳴子さんの言葉に、
僕は彼女達がここへ来る前の事を殆ど聞いた事がないという事実をあらためて認識した。
意図的に聞いてこなかった、というのもある。
そこに触れれば、自然と『異能力の除去』という話題になってしまうから。
ただ、もう封印する必要はない。
「その施設での生活って、具体的にはどんな感じだったの?」
好奇心というより、話題を振る感覚で訊ねてみる。
結果――――二人とも押し黙ってしまった。
「……聞いちゃいけない事だった?」
「いえ。そんな事はないんですが……」
「逃げて来た手前、ね。あんまり私達も積極的には話さないから。昔の事は」
話題に出なかったのは、何も僕だけの責任じゃなかったらしい。
彼女達にも、彼女達なりに思うところはあった、って事か。
「施設での生活は、簡単に言えば『寮生活』のようなものでした。
それなりに広い部屋が与えられて、そこでの生活。学校はなく、家庭教師のような
人が勉強を教えてくれていました」
「マンツーマンだから、相性次第では地獄だったみたい。私は、女の人だったし
優しい人だったから、よかったんだけど。食事もその人が運んでくれてたかな」
城崎の補足で、よりその情景が思い浮かべられた。
取り敢えず、監獄暮らしみたいな生活じゃなかったみたいだ。
「って言っても、基本はモルモット扱いだから、今にして思えば不気味な生活よね。
毎日血を抜かれてたし、能力を使う時間帯とか色々スケジュールで決められてたり」
「水歌は一日一回だったから、その辺は楽な方だったと思いますよ」
「ま、ね」
初めて彼女達の口から聞く、施設時代の生活。
僕にもその経験があるかもしれない――――という話だったけど、
正直全然回想シーンとか浮かんでこない。
やっぱり、僕はそこにはいなかったんだろう。
「でも、それだったらアンタ等はどうやって知り合ったの?」
ふと、素朴な疑問が浮かぶ。
個室が与えられていたんなら、同じ建物でも出会う機会は少ないんじゃ……
「基本外出禁止だけど、建物の中ならある程度はOKだったのよ。個室に
お風呂もトイレもあったけど、同じ空間にずっといると、精神的な面で
問題が生じる、とかなんとか言ってたっけ」
「はい。そのバイアスは実験する上で邪魔だと」
……よくわからないけど、そういう事らしい。
でも、そうなると、同じ『ジェネド』でも出会う人もいれば、出会わない人もいる
って事になる訳で、城崎が千里ちゃんを知らなかったのも合点がいく。
「はふはふ」
難しい話という事を理解してか、彩莉はヘタに話に介入せず、一生懸命
頼んだ『きつねうどん』を頬張っていた。
うーん、愛いよのう。
「……正直言いますと、私達も、まだわからない事だらけなんです。
そもそも、この異能力はどうして発生したのか。誰が、何の目的で調べているのか。
あの施設で本当は何が行われているのか」
「わかってるのは、この能力を持っている限り、副作用は消えないって事。
そうなると、私達は永遠に普通の生活が出来ない、って事」
それは――――あらためて聞いても切実な問題だ。
城崎は、不便なのは不便だろうけど、今のところはそれなりに順応している。
でも、湯布院さんは今のままじゃまずまともな生活は出来ない。
鳴子さんにしてもそうだ。
車椅子生活の人は沢山いるけど、だからといってそれが許容できるかどうかは別問題。
足が治るのなら、なんとしても治したいと思うのが普通の感覚だ。
「取り敢えず、今はこの能力の正体が何なのか、それは考えないようにしています。
除去する事だけを目的として、その為だけに動く。それが一番大事だと思って」
「……そうかもね」
余り無責任な事は言えないから、僕はありきたりな答えしか出せなかった。
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6月18日(月) 15:54
――――――――――――
「……ふう」
念じるように言われ、言われるがままに『能力とれろー』と唸りながら
念じていた彩莉は、限界に達したのか、念を解いて大きく溜息を吐く。
お昼休みが終わって、3時間が経過。
依然として、彩莉による能力除去は果たされていない。
時刻はもうすぐ4時。
彩莉はとっくに学校を終えて、家に帰っている時間だ。
一日中付き合わされて、流石にもう疲労もピークに達しているだろう。
「なあ、今日はもうそろそろお開きにしないか? 彩莉も疲れてるし」
「……でも、今日中に何かを掴まないと、明日からはこんなに時間とれないし」
そう渋る城崎の意見も、尤もだ。
今日は学校を休んだから、日中をフルに使えたけど、そう毎日休めるもんじゃない。
加えて、城崎には店の手伝いもある。
僕も彩莉に危険がないか、監視しなくちゃならない。
夜中になると、彩莉を起こす訳にも行かない。
この面子で長時間集まれるのは、明日以降だと難しいかも知れない。
でも――――もう店を手伝う時間だ。
「わかりました。でも最後に一つ、試させて下さい。時間はかかりません」
「璃栖!?」
僕の申し出を受け入れた鳴子さんに、城崎は驚愕した顔を向ける。
意外……というより、心外という顔で。
「まさか、アレを試す気なの?」
「仕方ありません。本命なのは確かですから」
「でも、アレは彩莉ちゃんに危険が及ぶかも……」
「だから、ありのままを隠さずにお話しして、許可が得られるかどうかを確認します」
僕と彩莉を置いてきぼりにして、二人は話を進めていた。
それも束の間――――直ぐに僕達の方に目を向ける。
鳴子さんの目は、明らかにこれまでとは違っていた。
これまで彩莉に向けていた優しい眼差しは影を潜め、決意に満ちた強い光が
目の中に漂っている……ように見える。
「有馬さん。以前、私のタイムレーザーが無力化された事を覚えていますか?」
「無力化?」
「私が、彩莉さんに能力除去の可能性があるとみなした時の事です。
その……有馬さんが私の秘密を握った、あの時の」
「秘密を握った……?」
鳴子さんの意味深な言葉に、城崎の目が猜疑に満ちる。
そりゃそうだ……なんて物言いだよ。
でもそのお陰で、ハッキリ思い出した。
あれは――――鳴子さんが書いた小説を拾った時。
確か、僕に中身を見られた事に激怒した鳴子さんが、
僕に向けてタイムレーザーを撃ったんだ。
なのに、効果は出ず。
そしてその時――――彩莉が僕の傍にいた。
射出されたタイムレーザーは、彩莉の存在によって無効化された、という
見方が出来る。
でも、この場合だと、『出力した異能力を無効にする』っていう、根本的な
解決には到らない能力除去って事になる。
寧ろ妨害の域だ。
これをどうやって、能力除去に持って行くんだ……?
「私がタイムレーザーを彩莉さんに向けて撃ちます」
「……は?」
突然の宣言に、僕は思わず素で口を開いたまんまになってしまった。
いや、理屈はわかる。
そうする事で、彩莉の能力除去がどんな性質のものか、確認する事が出来る。
もし、さっきの推測通り、『出力した異能力を無効にする』っていう能力を
彩莉が持っているのなら、そのタイムレーザーも無力化されるだろう。
けど、だからといって、それが今後の建設的な発展を担うだけのデータに
なるとは、とても思えない。
彩莉の危険度だけが高い、無駄な実験だ。
「私は反対。彩莉ちゃんの危険が大きいし」
城崎はキッパリと、彩莉の身の安全を憂慮した。
当然、僕も同意見だ。
タイムレーザー自体には殆ど害はないけど、もし彩莉が特別な存在で、
何かしらの能力を持っているのなら、そのタイムレーザーが普段通りの効力を
発揮するとは限らない。
ヘンな話、化学反応みたいな形で、イレギュラーな結果を招くかもしれない。
そういう危惧があるからこそ、これまで僕は彩莉に対するあらゆるアプローチを
遮断してきたんだ。
「試す価値はあります。私を信じて下さい」
「……」
鳴子さんの目は、決して利己的な欲望に囚われた人間の目じゃない。
あとは、僕がどう判定するか。
彩莉本人にその決断をさせる訳には行かない。
この子は、困っている人を見れば、意地でも助けたがる。
当然答えは『Yes』だろう。
それはカウントすべきじゃない。
僕が決めなくちゃならないんだ。
……どうする?
鳴子さんを信じるか?
城崎ですら、懐疑的だというのにか?
でも、このままじゃジリ貧なのも確か。
千里ちゃんを助けるには、何らかの進展が必要だ。
けど、それ以前の問題として『そもそも本当に彩莉に能力除去の力があるのか』
という根本的な疑問がある。
そこすら、今は証明できていない。
それなのに、鳴子さん一人の意見に従って、彩莉にリスクを背負わせるのか。
僕は――――どうすべきか。
「一つ……聞きたいんだけど」
「答えます」
僕は自然と、疑問を口にしていた。
「アンタは、千里ちゃんを助けたいの?」
「勿論です」
「どうして? 同じジェネドだから? 子供だから? 危険が目の前に来ているから?」
この疑問への回答で、答えが決まる――――という類のものじゃない。
僕自身、迷っている。
だから、明確な何かが欲しかった。
皆目するような、或いは刮目するような、鮮烈な答えが。
「……すいません。期待に添えるような答えはありません」
僕の考えは筒抜けだったらしく、先に謝られてしまった。
「でも、きっと有馬さんと同じです。助けられるのなら、助けたい。
子供ならば余計に。それは、弱者に対しての醜い人間心理なのかもしれませんが、
それでも私は、助けたいと思っています。勿論、私自身も助かりたいです」
鳴子さんにしては、拙い答え。
だからこそ――――同調する。
僕の思いと、同じだと。
言葉で説明すればするほど陳腐なこの思い。
子供だから。
もっと言えば、小さくて儚くて、拙くて覚束なくて。
そんな存在だからこそ、助けたい。
この上なく醜い、人間の持つ優越感や傲慢さ。
それを自覚してもなお、助けたい。
あの子の持っている朴訥さを。
可愛げを。
小さな命を――――助けたい。
「……わかった。彩莉、次はもしかしたら危ないかもしれない。いいか?」
「彩莉は大丈夫です」
そう応えが返ってくるとわかっているから、辛い。
でも聞かなくちゃならない。
そして、応えを聞いて、凹まなくちゃならない。
人生ってヘンだよな。
「本当に……いいの?」
「ああ。ありがと、城崎。彩莉のこと心配してくれて」
「感謝しないでよ。私にとっても、彩莉ちゃんは大事なお友達なんだから」
そう言ってくれるのか。
なら、感謝はお預けだ。
そして――――信じよう。
もう一度。
「では、タイム・レーザーを彩莉さんへ向けて撃ちます。
奪う時間は10秒です。害はない……筈です」
当然だ。
僕もあのレーザーは体感している。
じゃなきゃ、許可なんて出すはずない。
彩莉に向けて、鳴子さんは指を差す。
その指に、光が帯びて――――
「この時を待っていました」
……?
余りに、突然の。
それまでとは異質な鳴子さんの声に、僕が戦慄を覚えたその瞬間。
光が指先から発せられる、その刹那。
「後は頼みます、有馬さん」
鳴子さんの笑顔が、僕の目には映った。
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