――――――――――――
  6月19日(火) 16:30
 ――――――――――――

「やあ、良く来てくれたね」

 市立総合病院の327号室を訪れた僕を待っていた日比野君は、
 満面の笑みで迎えてくれた。

「……何か、イメージと違うよね。そんな笑顔する人だったっけ」
「そうかな。僕はいつもこういう笑顔で接してるつもりだけど」

 若干引いている僕に、日比野君は更なる明るい笑顔を向ける。
 こう言っちゃなんだけど……ヘンだ。 
 僕は口直しすべく、視界を動かして別の人物に目を向けた。

「千里ちゃん、こんにちは」
「こんにちは、です」
「身体はどう? なんともない?」
「ないよお、です」

 うーん、やっぱりこれが自然の笑顔だよな。
 僕は思わず、顔を綻ばせていた。
 
 日比野千里の容体は、昨日の午後に安定。
 そして今日、無事に意識を取り戻した。
 幸いにも、脳波やMRI検査での異常は無し。
 まだ確定じゃないけど、後遺症の心配は特別に憂慮する必要はないとの事。
 治癒した……という訳じゃないけど、少なくとも危険は脱し、
 2日前までの状態には戻った。
 そして、もう一つ。

「でもお、2と、3と、7と、9のすうじがでなくなったの、です」
「そっか。でも、また出るようになるかもだよ」
「んー?」

 僕の答えが良くわからずに首を捻るその仕草は、小動物的でとても可愛い。
 ――とは違う可愛さだ。

「……?」

 一瞬、誰かと比較したような意識が湧いて来て、自分自身に驚く。
 この子と比較するような存在は、僕の周囲にはいないのに。
 
「それにしても、本当によかったよ。意識が戻って」
「君が休みを許可してくれたお陰さ。だから僕は、一晩中念を送る事が出来た。
 僕の『意識よ戻れ〜戻れ〜』って念が、千里に通じたんだね」
「……やっぱり、イメージと違うよね」

 日比野君は、これまで僕に見せてきたどの顔とも違う、普通の高校生の顔で
 僕に対して笑って見せた。
 彼にしてみれば――――妹の事でずっと、彼なりに虚勢を張って生きてきたんだろう。
 余裕があるように見えるのは、そう見せる為。
 妹に対して不安を覗かせない為。
 そう解釈すれば、今日のこの姿も納得だ。
 さて……と。

「ん? もう行くのかい?」
「ああ。お仕事、続けられるようなら連絡して」
「そのつもりでいるよ。明日にでも連絡する」

 どうやら、従業員の募集を再度行う必要はないらしい。
 僕は暫し千里ちゃんに手を振った後、病室をあとにした。

 


 ――――――――――――
  6月19日(火) 23:55
 ――――――――――――

 本日の業務は全て終了。
 今日もまずまずの客の入りだったけど、疲労感と同時に覚える筈の満足感は
 心の何処にも存在しない。
 代わりにあるのは――――

「……」

 不安と焦燥。
 それを少しでも和らげようと、僕は温泉に浸かっている。
 千里ちゃんの意識が戻ったのに、どうして不安を覚えなくちゃならないのか。
 理由はわかっている。
 二つの不確定要素があるからだ。
 一つは、千里ちゃんをはじめ、城崎、湯布院さんの『異能力』が消えた事。
 突然の事だったから、正直驚いている。
 まあ、結果として『全員』の良いように事が転がったんで、それはいいんだけど――――
 もう一つの不確定要素が、僕の心臓を掴んで離さない。

 ……何かが足りない。

 何か大きな、とても大きな欠落感。
 それがずっと、昨日から、いや一昨日からある。
 でも、何を失ったのかという具体的な事は、一切わからない。
 僕の心に、一体何が起こっているのか。
 或いは、何も起こってなくて、ただの思春期特有の漠然とした不安感なのか。
 結局この日、長時間お湯に浸かっても、その不安が洗い流される事はなかった。

 


 ――――――――――――
  6月20日(水) 00:48
 ――――――――――――

「……ん」

 湯上がりで廊下を歩く僕の視界に、見覚えのある姿が映る。
 あれは……湯布院さん。
 理由は不明だけど、彼女の異能力も消えてしまったらしい。
 副作用もなくなったみたいで、昨日から一日中起きている。
 もうごく普通の人間。
 そうなってくると、単純に綺麗な女性というのが、彼女のパーソナリティになる。
 ちょっとドキドキ。
 でも、一体いつまでここにいるんだろう。
 目的は果たしたんだし、いつ立ち去っても不思議じゃないけど、城崎共々
 まだここにいる。

「こんばんは」

 なんとなく、こっちから声をかけてみる。
 
「こんばんは、有馬さん」

 湯布院さんは立ち止まり、僕に向かってニッコリと微笑んだ。
 うーん、美人だ。
 湯上がりなら尚更美人なんだろうけど、生憎湯上がりなのは僕の方。
 残念。

「ちょうどよかった。報告があったんです」 
「報告?」
 
 湯布院さんの突然の言葉に、火照ったからだが若干冷める。

「明日、水歌と一緒にここを出ます」
「え? そんな急に……」
「急じゃありませんよ。本当なら、一昨日出るべきだったんですから」

 つまり――――異能力と副作用がなくなった今、ここに居る理由はない、という事。
 少し寂しい言葉だったけど、それが現実だ。

「有馬さんには、本当にお世話になりました。ありがとうございます」
「いや、僕は何にも出来なかったし」

 本当に、何も協力は出来なかった。
 そもそも、どうして異能力がなくなったのかもわからないくらいだ。

「では」

 特に雑談をする気もないらしく、湯布院さんは歩き始めた。
 その後ろ姿には、長年悩んできた副作用からの解放感に溢れている。
 喜ばしい事――――の筈なのに、僕はその姿を見て、何か釈然と
 しないものを感じていた。

 


 ――――――――――――
  6月20日(水) 01:20
 ――――――――――――

 自室のベッドに腰掛け、一人静かに今日の自分を労う。
 片手には、甘さ控えめの和菓子。
 片手には、リアルゴールド。
 ちょっとした贅沢だ。
 誰に褒められる訳でもなく、報酬が発生する訳でもない。
 高校生の身で、自由な時間の殆どを犠牲にして、毎日労働に
 勤しむ自分を、どうにかして奮い立たせる為の儀式。
 この瞬間があるからこそ、過酷な日々にも文句を言わず
 やっていける……と思う。
 
「ふう……」
 
 リアルゴールドの美味さは異常だな。
 これを飲まないと一日が終わった気がしない。
 風呂上がりには最高の一杯だ。
 フルーツ牛乳を否定する気はないし、ビール好きを拒絶する事もないけど、
 僕にはこの一杯に優るものはない。
 さて……明日もまた早い。
 とっとと寝て、疲れを取ろう。
 疲労回復には適度な睡眠が一番だ。

 電気を消して――――目を瞑る。
 この瞬間は、いつも何があるかわからない。
 眠りにつく時、考える事は日によってまちまちだ。
 何も考えないまま意識が沈む事もあれば、眠れないくらい
 あれこれと考える事もある。
 あれこれと――――

「……あれこれ」

 思わず、そう呟く。
 確かに僕は勤労高校生だから、それなりに悩みはある。
 接客の事。
 勉強の事。
 混在する苦悩は、時折借金みたいに嵩んで、負債を迫ってくるくらい。
 でも……その程度なら、特にあれこれ考える程でもない。
 接客業なんて、ずっと前からやってる事だし、勉強にしてもそうだ。
 一番の悩みは進路についてだけど、これも今すぐ結論を出さなくちゃ
 ならないほどは切羽詰まってない。
 でも――――僕は、あれこれと考えている。

 何を?

 何を考えていた?

「……」

 奇妙な違和感に、目が冴える。
 ムクリと上体を起こして、なんとなく明かりを点けた。

 何かがおかしい。

 ここ2日かくらい、違和感が頭の中を巡り巡ってる気がする。
 自分が何かをしようとして、ふとド忘れしてしまったような感覚が
 ずっと続いている……そんな感じだ。
 何かが欠落している。
 でも、思い出せない。
 いや……もしかしたら、物忘れなんて次元じゃないかもしれない。
 なにしろ、全く手掛かりすら出てこない。
 単なる思い込みかもしれない。
 仕事や学校で何か大事なことを忘れてるのなら、順を追って思い出せば
 何かしら引っ掛かるものがある筈なんだ。
 僕に限らず、一日の活動なんて大体はルーティンなんだから。
 なのに、何も出てこない。
 違和感の正体が掴めない。
 まるで、幽霊みたいに。
 僕の中には今、見る事も触れる事も出来ない、漠然とした不安だけが
 存在している。
 存在する事すら曖昧なままに。

「……」

 完全に目が冴えてしまった。
 こういう時は、無理に寝ようとしても無駄な抵抗。
 時間を潰して、朝を迎える方が建設的だ。
 といっても、僕は本を読んだりゲームをしたりはしないし、
 インターネットにも興味がない。
 時間を潰す方法を余り知らない。
 元々、時間に追われる日々を過ごしてきたから。
 かといって、勉強をする……って気にもなれない。
 こういう時に学業を優先できる気概があれば、
 将来の選択肢も増えるんだろうけど。

「何かないか……」

 心中でそんな事を呟きながら、物色。
 っていっても、自分の部屋だから、ある物ない物はよくわかってる。
 殺風景な部屋だから、暇潰しできるような物は特にない。
 かといって、宿泊している人もいるのに、徘徊するのも気が引けるし――――

「……?」

 ふいに、視界に一つのメモ帳が収まる。
 こんなメモ帳、持ってたっけ?
 買った記憶も、貰った覚えもない。
 父が地味な嫌がらせで置いた……とも思えない。
 どっちかと言えば、母がやった可能性が高い気もするけど、それでも考え難い。
 あ。
 もしかして……城崎と湯布院さんじゃ。
 明日立つ、って言ってたし。
 面と向かって挨拶するのは何かヘンな感じになるから、こうして
 お別れの手紙をメモ帳にしたためて……うん、あり得ない話じゃない。
 妙に湯布院さんが素っ気なかったのも、それで納得できる。
 勝手に僕の部屋に入ったのはどうかと思うけど、まあいい。
 取り敢えず、見てみよう。
 実際には全然違う可能性もあるけど――――

「……あれ」

 実際には、全然違った。
 街の探偵さんに憧れてる身としては、推理の才能がないって事を
 思いっきり現実から突きつけられたみたいで、ちょっと凹むなあ。
 けど……何だコレ。
 とりとめのない内容の箇条書き。
 何かの要約文というか、あらすじというか、そんな感じの文章。
 そして……

『光のベル』

 そうタイトルの付けられた、良くわからない物語。
 僕はその奇妙さに惹き付けられるように、それを暫く読み耽った。


 それほど長い文章じゃなかったから、読み終わるまでには30分も
 かからなかった。
 感想としては――――よくわからない。
 少なくとも、面白くはない。
 というか、意味がわからない。
 何の為に書かれた物語なのか、主人公が何者なのか、何を訴えたいのか
 全く伝わってこない。
 伝わってはこないけど――――僕はこの物語に、不思議と引き込まれていた。

『ルーティンに支配された、穏やかな一日』 

 この記述の所為かもしれない。
 これは、僕の日常そのものだ。
 忙しないし、クレームだってある接客という仕事は、
 当初はとても穏やかとは言えなかった。
 でも、人間は順応する事を最初から知っている。
 慣れてしまえば、そこには穏やかな一日が連なっている。
 そして――――この物語の『無』ともいえる造形は、
 単なる虚無感とは違って、最後に希望が提示されていた。
 うっすらとだけど。
 これは――――僕の事なのか?
 それとも、違う誰か?
 少なくとも、僕そのものじゃない。
 共感できる部分と、全くそうじゃない部分が混在している。
 まるで、外から見た僕をモチーフにしたような……

「あれ……」

 今、ふと思った事がある。
 不自然だ。
 ここにコレがある事も不自然だけど、もっと不自然な事。
 
 これを読んだ後に押し寄せてくる――――ものが何もない。
 知らないメモ帳が自室にあって、その中身を読んだ。
 そこには、意味不明な、でも自分に一部かするような表現が
 含まれている。
 ここまで来れば、不気味な感情が湧いて来て当たり前の筈なのに、
 そういうものが一切自分の中に生まれてこない。
 状況と感情が一致しない。

 欠落感。

 それが一番近いかも知れない。
 何かが決定的に欠落している。

 何が?
 
 考えられるのは――――記憶。
 このメモ帳に関する記憶がない。
 記憶が一部欠落していると考えれば、一応の辻褄は合う。
 でも……記憶喪失なんて、そんな急に発覚するものなんだろうか。
 しかも、特定の事に関して。
 そう考えると、なんか自分に都合の良いように解釈してるだけの
 ような気がしてくる。
 
 ま……何にしても、このメモ帳だ。
 この持ち主を特定しよう。
 話は、それからだ。

 


 ――――――――――――
 
 6月20日(水) 06:50
 ――――――――――――

「メモ帳……ですか?」
「むにゅむにゅ……なにがメモ帳?」

 結局、一睡もしないままで夜を明かした僕は、湯布院さんと城崎が
 ここを立つ前に、彼女達が泊まっている部屋を訪れて例の件を聞いてみた。
 第一リアクションは、微妙。
 どっちもピンときていない。
 っていうか、城崎は寝起きでボーッとしてるだけみたいだけど。

「私には覚えがありませんね……」
「っていうか中身何コレ。意味不明じゃん」

 結局、どっちも心当りナシ。
 やっぱり両親の仕業か。
 この二人がないとなると、僕の部屋に入る可能性があるのは、あの二人だけだ。

「そっか。朝早くからゴメンね。えっと……何時にここ出るの?」
「一応、8時を予定しています」

 湯布院さんがニッコリ微笑みながら答える。
 8時か。
 登校時間がお別れの時間、って事になりそうだ。

「なら、僕が見送られる事になるのかな。で、行くアテはあるの?」
「……」

 二人は顔を見合わせて、苦笑いしながら首を捻る。
 どうやら、ないらしい。

「ないんなら、無理に直ぐ出ていかなくてもいいのに。
 こっちとしても、アルバイトがいなくなるのは結構厳しいし」

 城崎は、アルバイト経験皆無だった割に、かなり接客業に関しては
 上手くこなしていた。
 子供に対しては、僕より明らかに上手い。
 地味に忙しくなってきてるだけに、痛手だ。

「そう言って貰えるのは嬉しいけどね。せっかく副作用がなくなったんだし、
 早めに第二の人生をスタートさせたいじゃない?
 私達の場合、学校にも行ってないんだし」

 城崎の言葉は、現実的だった。
 確かに、副作用がなくなったとはいえ、学歴がないってのは大きなハンデ。
 今の時代、それなりの学歴があっても厳しい就職事情が待ち構えてるってのに。

「ま、現実はキビシーだろうけど、異能力と副作用がなくなったんだから、
 前向きに考えなきゃね!」

 ツインテールをピコピコ動かしながら、城崎はニッコリと笑った。
 僕には想像できないけど、彼女達の抱えていた不安は相当なものだったんだろう。
 それがなくなった今、希望に満ち溢れてるのは当然だし、良い事だ――――

「……何で、なくなったんだろね」

 僕の何気ない言葉に、城崎の笑顔が少し掠れた。
 3日前。
 突然、何の前触れもなく、城崎と湯布院さんの異能力は使えなくなった。
 同時に、副作用も消えた。
 この部屋で眠っていた湯布院さんは目を覚まし、城崎の健忘もなくなった。
 時を同じくして――――千里ちゃんの状態も安定した。
 そうなると、関連性を考慮せざるを得ない。
 あの子の急変は、異能力の副作用、つまりは脳の異常だった事が確定した訳だ。
 って事は、少なくとも悪化する事はなくなった訳で、日比野君が浮かれるのも
 当然の事だ。
 尤も、これまでに確かにあった脳の異常が治癒した訳でもないんだろうけど……

「単なる偶然、とは思えないですよね」

 湯布院さんが、ポツリと呟く。
 
「恐らく、私達ジェネドの異能力は、何らかの方法で共有化されていた。
 元々そういう性質の能力だったのかもしれません」
「僕もそう思うよ。じゃないと、3人の異能力が同時に消えるなんて、奇妙な話だ」
「4人なのじゃ!」

 突然の声に、僕は特に驚かず振り向く。

「う……せっかく良いタイミングを見計らって入ってきたのに、
 淡泊なリアクションなのは残念なのじゃ」
「いや、知らんけど」
「伊香保さんも、異能力がなくなったんですか?」

 湯布院さんの言葉に、イカはブンブンと首肯してみせた。

「不幸も幸運も訪れなくなったのじゃ。伊香保はフツーの子になったのじゃ」
「個性の没落か……」
「どうして伊香保にだけ悪いように言うのじゃ! フツーは良いことなのじゃ!」

 まあ、普通じゃない喋り方だから、個性が完全に消えた訳じゃないけど。
 それはともかく、3人が4人となると、いよいよ偶然の可能性はゼロだ。
 何かがあった。
 共有化されている異能力が消えてしまう何かが。

「ま、何でもいいじゃん。念願の除去に成功したんだから」
「念願の除去……か」
「あによ。何かケチ付ける気?」

 城崎の物言いに、僕はまた引っかかりを覚える。
 念願。
 それはそうだろう。
 彼女達は、それを叶える為にここに来たんだから。
 でも――――

「いや……アンタ等がここに来たのって確か、僕が異能力除去をできるかも
 しれない、って理由だったよね?」
「そーよ。それが何なのよ」
「いつ、その可能性がないってわかったんだったっけ」

 ふと湧いた疑問。
 当然、答えて貰えるとばかり思っていたが、城崎は押し黙ったまま、
 難しい顔をして視線を宙に漂わせている。
 答え難い、というより、わかってないという顔だ。

「そういえば……いつだったでしょうか」

 湯布院さんまで、明瞭な答えを持ち合わせていない。
 何気ない疑問だったけど、これは――――厄介な問題だ。
 厄介なのは、誰も答えられなかったって事だけじゃない。
 僕は何の疑問もなく、『自分が異能力除去をできる可能性がない』
 という事実を頭の中に持っていた。 
 そして、彼女達も。
 そんな検証をした記憶はないのに。
 これは――――何だ?
 僕は、僕自身が記憶を欠落させているのかも、と危惧していた。
 でも、これはどうやら違う。
 僕だけじゃなく、この2人も記憶が欠落している。
 欠落が共有化されている。
 そうなってくると、事は複雑だ。
 人間が記憶を一部失う事は、珍しいけどあり得る事だ。
 でも、同じ記憶を複数の人間が失うってのは――――普通はあり得ない。
 何が起きている?
 このメモ帳の存在する意味は?
 どうして……彼女達ジェネドの異能力が急に消えた?

「やあ、おはよう。旅立ちにはピッタリの良い天気になってよかったなあ。
 本当に……よかったなあ。本当に……」

 突然、父が陽気なフリして泣き顔のまま部屋に入ってきた。
 彼女達がいなくなる事を寂しがっているらしい。
 母が見たら、一悶着起きそうな場面だった。

「あ、父。聞きたい事があるんだけど」
「何だ。言っておくが、今日はお前の事なんぞ知らん。俺の中では今日に限っては
 お前は超脇役だ。この二人の旅立ちの日なんだからな……うう、なんで突然
 旅立っちゃうんだよう。俺の青春が、青春が去って行くううう」
「父の青春は20年以上前に去っただろ。それよか、このメモ帳に見覚えない?」

 一人クネクネ身悶える父に、僕は例のメモ帳を掲げて見せた。
 父は怪訝な顔でそれを取りあげ――――中を見る。
 まじまじと見た後、不思議そうな顔でそれを返してきた。

「これはお前のじゃないか」
「……そうなの? 確実に?」
「間違いないぞ。この俺が前に確認したからな。何だ? 父の健忘症をチェックしてるのか?」

 嘘を吐いているような気配はない。
 じゃあ……コレ、僕のメモ帳って事か?
 そうなってくると、この中身も僕が書いたって事に……

「……うわー」

 城崎がドン引きしながら後退っていく。
 僕だって自分にドン引きだ。
 こんな意味不明な物語を書いた記憶なんてないけど、
 もしそうだとしたら、完全にビョーキだ。
 だとしたら、尚更事の真相を知る必要がある。
 
「あの、ちょっとお願いがあるんだけど」

 僕は、意を決して2人に目を向けた。

「ここを出ていくの、一日待ってくれないか?」

 


 ――――――――――――
  6月20日(水) 07:58
 ――――――――――――

 3日前――――6月18日。
 この日、何かが起こった。
 その結果、ジェネドから異能力と副作用が失われた。
 それは間違いない。
 となると、その『何か』を突き止めれば、この奇妙な欠落を補う事が出来る
 ……かもしれない。

「でも、いいの? 3日前も学校休んだのに、週に2回も」
「仕方ないよ。風邪がぶり返したんだから」

 世の中、そんな事だってある。
 そう押し切って、僕はこの日の自由を得た。
 そして、ここでやるべき事は――――その日の検証。
 勿論、異能力の消去が僕等とはなんら関係なく起こった可能性だって
 十分にあるから、検証する事には意味がないのかもしれない。
 でも、僕等には異変が起こっている。
 同じ記憶を失っている点。
 何より、ここに僕が含まれているところがポイントだ。
 ジェネドじゃない僕が、同じように記憶を失っているとなると、
 この日何かが起こった結果、異能力は失われたと考えるのが妥当だと思う。
 そしてそこに、メモ帳の謎も隠されている……筈だ。
 本当に、あれが僕の書いたものなのか。
 書いたとすれば、どうしてあんなものを書いたのか。
 
「とにかく、真相を暴こう。じゃないと僕は僕自身を呪ってしまいそうだ」
「ま、あれを書いたのが自分だって思いたくないのはわかるけど……」
「まだ決まった訳じゃないやい!」

 父の言う事を全面的に信用するつもりはない。
 僕をからかって楽しんでいる可能性もある。
 嘘を吐いている風じゃなかったのが気になるけど……

「とにかく、あの日の行動をもう一度なぞっていこう。まず……
 何をしたんだっけ」
「異能力の除去を行う予定でした。だから、それを見届ける為に
 有馬さんは学校をお休みになった筈です」
 
 湯布院さんの言葉に、ようやく僕はあの日の始まりを思い出す。
 そうだった、確かに――――

「って、なんで伊香保を仲間はずれにしてそんな大事なことを
 しようとしたのじゃ! 仲間はずれはダメなのじゃ!」
「……」
「なんで黙って薄ら笑いなのじゃ!?」

 素で忘れてた、とは言えないし。
 まあイカはともかく、確かにあの日は能力除去をやるって日だった。
 でも……

「そもそも、誰が言い出したんだっけ?」
「それは……」

 湯布院さんも言い淀む。
 元々、この3人はその為に僕に近付いた。
 だから、言い出しっぺが(イカ以外なら)誰でもあり得る。
 なのに――――誰も答えられない。
 これも欠落の一つだ。
 こうなってくると、いよいよ『6月18日』はヘンだ。
 この日に何かあった。
 それは間違いなさそうだ。

「取り敢えず、その辺は置いておきましょ。何をしたか、を確認するんでしょ?」

 城崎も危機感を覚えたらしく、真剣な眼差しで建設的な事を言ってくる。
 こいつなりに、この異常を感じ取ってるんだろう。
 僕達は、何を忘れている?
 何が起こった?
 それを明らかにする検証が、始まった。

 

 ――――――――――――
  6月20日(水) 12:45
 ――――――――――――

「確かに、ここでうどんを食べたな」

 市立総合病院の近くにある、うどん屋。
 ここで僕達は昼食をとった。
 ほぼ同じ時間だった事も覚えている。
 
 でも、どうしてここを選んだのか。
 僕はそんなにうどんが好きって訳じゃない。
 他の2人も同じ。
 他にも飲食店は多数ある中で、どうしてここだったんだ?

「覚えてる?」
「……いえ」

 城崎と湯布院さんも、怪訝な顔をしている。
 ここに来たことは覚えていても、ここにした理由は覚えていない。
 不自然だ。
 3日前の事を、3人とも局地的に覚えてないなんて。

「っていうか、うどん食べたいのじゃ。伊香保は天ぷらうどんが好みなのじゃ」
「……」
「イカの天ぷら食べてるのを見て『共食いだ』って言いたい顔をしてるのじゃ!
 無言で雄弁に語っているのじゃ! 心外なのじゃ!」

 イカの妄言はともかく。
 少しずつ、全容が見えてきた。
 僕達の中で欠落しているもの――――それは。

「誰かを忘れている……そんな気がします」

 そうだ。
 誰かの存在が欠落している。
 メモ帳を置いた人物。
 率先して、能力除去を唱えていた人物。
 この場所に来る理由となった人物。
 その人物が記憶から消えているから、こんな訳のわからない状態になっている。
 ただ――――全く思い出せない。
 誰かがいないのは確かなのに、その誰かがわからない。
 こんな事って、あり得るのか?
 
「2人は、何かわからない? 忘れられている誰かについて」

 僕の問い掛けに、明瞭な回答はない。
 僕と同じような心境って事か。

「伊香保にも聞いて欲しいのじゃ。さっきから輪の中に入れなくて
 孤立しているのじゃ」
「お前はメインじゃないから仕方ない」
「身もフタもない事言われたのじゃ!」

 いや、この件に関しては実際、メインじゃないし。
 当日、こいつはあの場にいなかったしな……ん、待てよ。

「なあ、イカ。お前は何かわからないか? 例えば、僕達の中に
 いつも一緒にいた人がいなくなってる、とか」

 あの場にいなかったからこそ、それがわかるかもしれない。
 例えば、あの日何かあって、僕達は強制的に『とある人物を忘れさせられた』
 のだとしたら――――

「わからないのじゃ」

 ……役立たずめ。
 ゲソでももう少し役割を全うしてるぞ。

「うう、すまないのじゃ。伊香保はあんまり絡んでないから、情報不足なのじゃ」
「いや、そう素直に謝られると心の中でいじれないから、寧ろイカって欲しいんだけど」
「敢えてイカるって言わないで欲しいのじゃ! おこるでいいと思うのじゃ!」

 プリプリイカるイカに、僕達は何となく癒やされた。
 いや……癒やされてても仕方ない。
 取り敢えず、ここで昼食をとるとしよう。


 

 ――――――――――――
  
6月20日(水) 13:18
 ――――――――――――

 取り合えずお腹がふくれたところで、あらためて僕達は今回の件を
 見つめ直した。

 多少は真相に近付いたけど、肝心の『欠落した人物』がわからないんじゃ
 袋小路もいいトコだ。
 どうすれば、思い出せるんだ……?

「こういう時に、サイコメトリングが使えれば……」

 生き物、そしてあらゆる物質の『思念』を読む能力。
 今、彼女の手元にその力はない。
 あればあったで便利。
 でも、副作用とセットだから、どうしても除去しなくちゃならない。
 そして除去に成功した今――――湯布院さんは、その能力を惜しんでいた。
 皮肉な話だ。

「なんか……不気味よね。このヘンな感じ、異能力がなくなった事と絶対関係ある
 だろうし。なんか、これだとスッキリ第二の人生歩めない気がしてきた……」

 城崎の不安も、尤もだ。
 僕だって、記憶が失われたままなのは不気味だし、なによりあのメモ帳が
 僕の物っていうのだけは、どうしても納得できない。
 あんな意味不明な、主人公のハッキリしない話……

「……」

 僕はうどん屋のテーブルに、例のメモ帳を広げてみる。
 そして『光のベル』というタイトルの物語を、もう一度凝視した。

「何? やっぱり書き覚えがあんの?」
「いや……」

 城崎の言葉を適当に流し、読み耽る。
 相変わらず、主人公がハッキリしない。
 存在するのかどうかも怪しい。
 でも、『この人物』はこの物語の中に確かにいる。
 存在は不明。
 でも、いる。
 それは――――ひょっとして。

「この物語の中の主人公は、僕達が忘れている人物の事なんじゃ……?」

 つまり。
 このメモ帳は、意味不明な中身って訳じゃなく、この状況を示唆している、
 或いは解き明かすヒントになってるんじゃ……

「えー? それって強引なこじつけじゃない?」
「そうかもしれません。でも、可能性がないとも言い切れません。検証しましょう」

 余り乗り気じゃない城崎とは対照的に、湯布院さんは僕の説に食いついてきた。
 ちなみに、イカは明らかに理解していない筈なのに、何度も相槌を打っている。
 まあ、好きにさせとこう。

「この物語のストーリーは、学生の日常を示しています。学生、という事でしょうか?」
「いや。違う」
 
 湯布院さんの指摘を、僕は自信を持って否定した。

「学校生活の描写が殆どない。これは、学校生活を知らない人が学校生活について
 ムリヤリ描写したって気がする」
「だとしたら……私達と同じって事?」
「ジェネド、ですね」

 城崎と湯布院さんに、僕は小さく頷いた。
 多分、その可能性が高い。
 彼女達の他にも、ジェネドがいた。
 僕の身の回りに。

「だとしたら……その人物の異能力で、今の状況が生み出されている可能性もあり得ますね」
「ええ。寧ろ、その可能性が高い」

 この理不尽な感じは、常軌を逸した能力の成せる業に思える。
 だとすれば、異能力って可能性が高い。

「記憶を失わせる能力……ですか。そんな能力、覚えがないですね」
「だから、それを忘れさせる能力って事でしょ? 何でそんなのを
 使ったのか、わからないけど」

 湯布院さんと城崎の会話を聞きながら、僕も異能力について考えていた。
 もしかしたら――――その事も、この『光のベル』記されているかもしれない。
 具体的な描写はないけど。
 漠然とした雰囲気の中に、ヒントが隠されている。
 そう判断する明確な理由は……ない。
 勘とも違う。
 単なる、可能性の虱潰し。
 ローラー作戦だ。
 もしここにヒントがないなら、お手上げってのも大きな理由。
 強引にでも見つけるしかない。

「イカ」
 
 僕はその大役に、イカを選んだ。
 この中で一番、先入観なくこの話を読めそうなのは、彼女だからだ。

「ん? 突然何なのじゃ?」
「コレを読んで、感想を聞かせて欲しい。お前にしかできない大事な作業だ。頼む」
「……わかったのじゃ! 伊香保に任せるのじゃ!」

 必要とされる事に飢えていたのか、イカは直ぐにメモ帳を読み始めた。
 ……今まで随分冷たくしてきたのに、いじらしいヤツ。
 今後はもっと優遇しよう。


 

 ――――――――――――
  6月20日(水) 14:02
 ――――――――――――

「意味がサッパリわからないのじゃ」
「……優遇制度は取り止めな」
「いつの間にそういう話になって、いつの間に立ち消えになったのじゃ!?」

 イカの感想は役立たずも良いトコだった。
 時間の無駄だった。
 まあ、この話自体、モラトリアム(猶予期間)を描いてるっぽいけど。
 作中、何度も『時間は止まったまま』とか『時間は沢山ある』とか
 出てきてるからな。
 人生の中における、無駄な時間。
 それを是とするか、非とするか……そんな話でもないけど。

「……」

 時間、か。

「有馬さん」

 湯布院さんが、僕に真剣な眼差しを向けた。
 もしかしたら――――同じ事を考えていたのかもしれない。
 そう判断し、僕は一つ頷く。
 仮に。
 仮に――――『忘れられた人物』が、時間を止めているのだとしたら?
 そういう能力だったとしたら?

「水歌。私達は、もう暫くここに留まる方がいいかもしれません」
「え? な、なんで?」
「あくまで、仮定の話ですが……」

 僕等は、果たして結論に辿り着けたのか。
 それがわかるのは、いつの事になるのか。
 結論は、意外と早く出た。 


 

 ――――――――――――
  6月20日(水) 23:50
 ――――――――――――

 それは、【CSPA】の玄関先で起こった。
 
「よかった……残っていてくれたんですね」

 その一言。
 あれから2日と8時間が経過したこの時――――城崎と湯布院さんに向けて発せられた
 その一言に、全てが集約されていた。
 発言の主は、ホッと胸を撫で下ろし、車椅子を愛おしそうに摩る。
 そう。
 僕達がずっと、忘れていた人物。
 正確には『存在しないものとして認識していた』人物。
 鳴子璃栖。
 この日、彼女の止まっていた時間が動き出し、そして【CSPA】へと帰ってきた。
 そして、もう一人――――

「彩莉!」
「ふえ? お兄さん?」

 彩莉もまた、時間を止められていた。
 だから僕はこの2日間、彩莉の存在をないものとして生きていた。
 この僕が、あの彩莉を忘れるなんて……!

「ああ、このダメな兄を許してくれ彩莉。僕は、僕は……」
「あの、よくわからないですけど、彩莉はお兄さんを許します」
「優しいなあ〜! 彩莉はどうしてそんなに優しいなあ〜!」
「……日本語になってないんだけど」

 城崎の冷たい視線なんぞ、今はどうでも良い。

「っていうか、2日間も市立総合病院近くの空き地にいたのか?
 何も食べずに? おいどうなんだ、鳴子! おいどうなんだ!」
「呼び方から口調まで、全部ムチャクチャですね……」

 呆れている様子で、鳴子さんは首を小さく左右に振る。
 疲れている様子も、ハラが減ってる様子もない。
 彩莉も同様。
 って事は……

「時間が止まっている間は、存在しない訳ですから、そこにいるといっても
 いないも当然なんです。当然、疲労もなければ空腹にもなりません」
「そういうものなのか。で、何かおかしな変調とかは……?」
「ありません。そもそも、有馬さんも一度直接レーザーに当たったでしょう」

 まあ、一部だけど。
 何にしても、彩莉が無事で本当に良かった。
 この直前まで、彩莉の時間が止められてる事すら認識してなかったけど。

「で……事の真相を話して貰えるんだろうな?」
「勿論です。取り敢えず、部屋に戻りましょう。彩莉さんは早く寝かさないと」

 気の所為か、鳴子さんはこれまでの彼女より少し柔和な顔で、
 僕にそう促した。

 


 ――――――――――――
  6月21日(木) 00:20
 ――――――――――――

 事の真相――――それ自体は、到ってシンプルだった。
 鳴子さんが、タイムレーザーで彩莉を撃った。
 そもそも、その予定だったわけで、それ自体は特筆すべき事でもない。
 問題は、その時間だ。

『奪う時間は10秒です』

 鳴子さんは確かにそう言った。
 
「すいません。あれは嘘です」
「……おい」
「本当は、3297分でした」

 3297分……2日と7時間。
 それよりなにより。

「その数字って、まさか……」
「日比野千里の異能力、クレヤボヤンスで見える数字です。
 あの日のラッキーナンバーだったんです。確率的には相当なものですよね」
「いや、それ以前にアンタ、千里ちゃんと……」
「直接知り合ったのは、ずっと前です」

 つまり――――施設時代。
 鳴子さんは、千里ちゃんの事を知っていた。
 そういえば、日比野君の事は知らなかったと言ってたけど、
 千里ちゃんに関しては言及してなかった気がする。
 城崎が知らなくて、鳴子さんが知っていた……としても、
 あの施設での状況を考慮すれば、不思議じゃない。


「知ってて、黙ってたのか」
「すいません。6月18日に照準を合わせていて、どうしてもあの日に
 あの場面を作らなければならなかったので」

 あの場面――――それは、彩莉を撃ったあの場面の事か。
 
「結局、あのタイム・レーザーにはどういう意味があったんだ? 
 異能力がなくなった事と関係あるんだよな?」
「はい。一時的に異能力が失われたのは、彩莉さんの時間が止まり、
 この世界からいなくなったからです」

 ……一時的?
 彩莉がいなくなったから?
 つまり……

「今は、異能力は復活しています。副作用と共に」
「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」

 鳴子さんの宣言に、城崎は大声過ぎる大声で悲鳴をあげた。

「じゃ、じゃあ……私達、また元のまんま……?」
「悲観しないで下さい。進展はありました」
「いや、だからちゃんと説明してよ」

 アタフタする城崎を尻目に、鳴子さんはゆっくりと頷き、事の真相を語った。

 

 鳴子さんと千里ちゃんは、施設時代に面識があった。
 そして、その時に一度、千里ちゃんにクレヤボヤンスを使って貰っていた。
 覗いた情報は、20以上。
 その中で、一つだけ2、3、7、9の4つの数字で全部表示される回答を得た情報があった。
 それは、『千里ちゃんのラッキーナンバー』。
 鳴子さんにとっては余り意味のないものだったけど、彼女はずっと覚えていた。
 そして、月日は流れ――――鳴子さんは僕や城崎を通して、
 千里ちゃんの危機を知った。
 そこで思い出したのが、彼女のラッキーナンバー、3297。
 でも、その数字を使って鳴子さんに出来る事は――――

「タイム・レーザーによる時間の凍結しかありませんでした」
「それはわかるけど、なんで彩莉になの? 普通は直接千里ちゃんに、じゃないの?」
「あの状況で、面会謝絶の千里さんにそれをするのは不可能です。
 最初は、水歌のテレポートで……とも考えましたが、ちゃんと彼女のいる
 病室に着地できるとは考えられませんでしたから」
「あー……なるほど」

 城崎のテレポートの弱点。
 着地点があやふや。
 何気にテレポートとしては致命的かもしれない。
 城崎は「あによ」と言わんばかりのふて腐れた顔で、僕から目を逸らした。

「そこで、次善案として考えたのが、彩莉さんの能力除去。可能性はいくつかありましたが、
 どれも上手くいかず……最終的には、彩莉さんの存在自体が、能力除去のトリガーになる
 と考えたんです」
「トリガーって……」
「彼女の存在が、異能力と密接に関わっている、という事です」
 車椅子の上で、鳴子さんはその目に鋭さを増す。
「以前、有馬さんにタイム・レーザーを撃った時、彩莉さんが近くにいた事で
 無効化されたという事件がありましたよね」
「覚えてるよ。あれは結局、彩莉の力だったの?」
「はい。ただし、『彩莉さんが近くいた』というのが要因ではありません。
 それなら、昨日の実験の段階で、能力そのものが消去される、若しくは出力した能力が
 消されるという状況が生まれた筈です」

 確かに。
 だとしたら……先の僕に対するレーザーの例と、あの空き地での検証の例と、
 何がどう違うんだ?

「正直言いますと、まだ正確にはわかりません。ただ、彩莉さんの存在自体が
 異能力の有無と関係しているとは思っていたので、彩莉さんに対して異能力を
 使用すれば、自ずと間接的に千里さんにも影響が生まれる、という算段はありました」
「つまり、次善案ってのは、その影響を使ってラッキーナンバーの効力を
 発揮させようって思った訳か」

 でも、そこまで間接的だと、余り効力が発揮されそうにないけど……

「実はもう一つ、ラッキーナンバーの要素があったんです」
「そうなの?」

 3297なんて数字、そうそう組み込めるとは思えないけど……

「6月18日。あの日は、千里ちゃんが生まれて3297日目だったんです」

 ……ああ、成程。
 だから、『6月18日に照準を合わせていて、どうしてもあの日に
 あの場面を作らなければならなかった』のか。
 結果として、ラッキーナンバーは千里ちゃんの体調を戻した。
 治癒までは到らなかったけど。
 
「って事は……今回の騒動は、私達の異能力を消す為じゃなくて、
 千里ちゃんを助ける為だったのね」
「不服ですか?」
「まさか。璃栖、グッジョブ!」

 真夜中だというのに、城崎はハイテンションで鳴子さんの頭を
 グシャグシャ撫でる。
 千里ちゃんが取り敢えず無事だった事を、心から喜んでるんだろう。
 ここ数日の城崎を見てきた身としては、素直にそう思える。

「ただ、今回の事で、『彩莉さんの存在が消えると異能力が消える』という事は
 わかりました。これは大きな進展です」
「そーね。文奈さんもせっかく長く起きられるようになったのに、残念……」

 湯布院さんは、いつの間にかベッドの上で寝ていた。

「……だけど、光は見えたし。何より千里ちゃんが無事だったし、よしとしましょっか」

 前向きな城崎の言葉で、今回の件は一区切り。
 色々と奇妙な事件だったけど、無事一件落着となった――――

「そういえば、あのメモ帳には驚いたな。用意周到だよなあ。
 あれって、いつから仕込んでたんだ?」
「……メモ帳?」

 終わりついでに、鳴子さんに向けてメモ帳を渡すと、鳴子さんは
 急に顔色が変わり、慌てふためいて自分の服のポケットに手を突っ込んだ。

「それ……私の、ですか?」
「もちろん。ヒントだったんだよね? みんなで知恵を出し合って、どうにか
 辿り着いたんだよ。やー、難しかった」
「ヒント……? みんなで……? みんな、見たんですか?」

 ……あれ。
 話が噛み合ってない。

「いや、だから。このメモ帳の中の、例の物語。あれって、今回の件を
 僕達に気付かせるためのヒントだったんだよ……ね?」

 言いながら、鳴子さんのリアクションから『あ、これ違うわ』と悟る。
 って事は……僕の検証は、ホントにただのこじつけだったって事か?
 実際には、全くの無関係だったって事?
 となると、このメモ帳の中身を他の人に見せたのは……

「あ……あ……あ……」

 思いっきり、彼女の恥を晒しただけ?
 で、でも、だったらどうして僕の部屋にメモ帳が……

「おーい、湯哉ー! お前今日も落とし物してるぞー。このハンカチはお前のだろー?
 昨日のメモ帳といい、うっかり屋だなあお前は。この粋で優しい父が毎度毎度
 部屋まで届けてやってるんだから、ありがたく思えよー」

 廊下から、父のわざとらしい感謝カモンな声が聞こえてくる。
 えーと……つまりですね。
 このメモ帳を、父は僕のだと誤解している訳で。
 その父が、落ちていた(恐らく鳴子さんがまたもうっかり落とした)
 メモ帳を拾って、僕の部屋にコッソリ戻した。
 それを僕が見つけて、今回の騒動のヒントだと勝手に勘違いした。
 これは……やっちまった。
 無駄に鳴子さんの創作文を、城崎や湯布院さん、果てはイカにまで
 晒してしまった事に……

「……え、えっと。取り敢えず、お疲れ。じゃ、そゆ事で!」
「待って下さい。有馬さん、お話があります。一晩では語り明かせない、
 とっても長いお話が」
「いやいやいや。明日も早いし、僕はこの辺で……」
「逃がしませんよ。私の時間を全て消費してでも」
 鳴子さんの指が、怪しく光る!
「いや、だから! それ撃って僕に当たっても、アンタだって動けなくなるんだから
 全く意味ないし!」
「私の時間と引換えに、貴方に永遠の安息を」
「だーっ! 無理心中はやめろーっ!」

 城崎の呆れる声と、鳴子さんの通常では考えられない凄まじい剣幕の咆哮が
 背後から聞こえる中――――僕は全力でドアを蹴り開け、廊下へと逃げ出した。

 


 ――――――――――――
  
6月23日(土) 13:20
 ――――――――――――

「お久しぶりです、千里さん」
「わぁ、おひさしぶり、です。こりすのおねえさん」

 少し遅めの昼休みを貰った僕は、彩莉、ジェネド3人娘+イカを引き連れて
 市立総合病院の327号室を訪れた。
 
 鳴子さんのかなり強引なラッキーナンバー起用が当たったのか、
 体調は良好との事。
 勿論、全てが解決した訳じゃない。
 早急に、能力除去の方法を模索しないといけない。
 でもま、経過は悪くないんだから、悲観的になる必要はない。
 明るく、楽しく。
 病室に持って行くのは笑顔だけで十分だ。
 と……本来なら、そこに『お見舞いの花』を加えたいところだったんだけど。

「花は、なるべく置かないようにしてるんだ。花は枯れるからね。なるべく
 部屋の光景が変わらないようにしたいと思って。個室なのも同じ理由なんだよ」

 日比野君の言葉に余りピンとこなかったんで、思わず首を捻る。

「病気の進行が進まないように……っていう、心理面でのアプローチらしいよ。
 僕も実際にはピンと来てないんだけどね」
「ふーん」

 僕の生返事に、日比野君は気さくに笑う。
 彼の本来の性格は、意外と明るいのかもしれない。
 先日の浮かれている彼ほどではないけど、今日も背負っている陰がかなり
 薄くなってるように感じた。
 僕と似ているとずっと思ってたけど……彼の方がより人間性豊かみたいだ。
 アルバイトでいろんな職業を転々とした人間と、1箇所で淡々と仕事している
 人間との経験の差……かもしれない、というのは言い訳。
 性格の問題なんだろう。

「はじめましてなのじゃ。伊香保というのじゃ。仲良くして欲しいのじゃ」
「はじめまして。私は、湯布院文奈って言います。よろしくね、千里ちゃん」

 そんな事を考えている間に、初対面組が千里ちゃんに挨拶している。
 こんな短期間で知り合いが結構増えたけど、戸惑ってないだろうか。
 っていうか……

「彩莉、ご挨拶は?」

 彩莉だけは、何故か僕の足元に隠れたまま、挨拶しようとしない。
 なんかモジモジしてるけど……照れてるのか?
 人見知りしない性格の筈なのになあ。

「年上と、同世代の子とじゃ、またちょっと違うのよ。子供心を理解しなさい」

 耳元で城崎が偉ぶった発言。
 ま……子供に関しては、コイツの方が上手だから仕方ない。
 実際、的を射ていると思う。
 スパなんてやってる実家で生活してるから、年上と接する機会が多かったし。
 彩莉に関してアドバイスを受けるってのは、癪だけど。

「彩莉。恥ずかしい?」

 僕の問いに、コクリと頷く。
 うむ、今日も実に可愛い。
 これだけ可愛ければ、いろいろと大丈夫。

「……あのお」

 他の面子と和気藹々と会話していた千里ちゃんが、彩莉の存在に気付き、
 率先して声をかけてくる。
 彼女はなんとなく内気な感じだったから、意外だ。

「は、はいっ。なんでしょか」
「お話しようよお、です」
「あ……はいっ」

 トコトコと、僕の足元から離れ、彩莉は千里ちゃんのベッドに近付いていった。
 自己紹介なんて後回し。
 年の近い二人は、あっという間に打ち解け、輪の中心となっていた。
 子供の持つ力、なんだろう。
 誰もが昔は持っていたのに、失ってしまった力だ。
 目を細めてその光景を眺めていた僕に、車椅子を器用に制御して
 鳴子さんが近寄ってきた。

「彼女達を危険な目に遭わせないようにするには、細心の注意が必要です。
 有馬さん、これからも協力して貰えますか?」

 一人はジェネド。
 一人は異能力除去のトリガー。
 この二つを同時に守るのは、確かに難しそうだ。
 でも、選択肢はない。

「言われるまでもないよ」

 彩莉を守るのは、僕の生命活動に等しい。
 千里ちゃんが彩莉の友達になるのなら、同じ事。
 仮にそうでなくても、やっぱり同じ事。
 あらためて決意するまでもない。

 僕達は、この和やかな光景を守る為に――――千里の道を一歩、踏み出した。











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