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7月16日(日) 05:52
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真夏に突入しようとしている最中――――我がスパリゾート施設【CSPA】に初雪が降った。
「……は?」
珍しく目覚ましより早く起きたのは、季節的にあり得ない寒さの所為だったみたいだ。
窓を開け、思わず目を疑って一度瞑り、アメリカナイズなリアクションで
大げさに肩を竦めたのち、再び目を開けてみる――――も、そこには
積雪によって真っ白になった庭が広がっていた。
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7月16日(日) 07:16
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「明らかにおかしい事態が起こったんだけど、これって……ジェネドの仕業?」
夏の共命町に雪が舞い降りるなか、僕は会議室に集まった異能力者三名――――
城崎水歌、湯布院文奈、鳴子璃栖に向かって、単刀直入に尋ねてみる。
本日の気温、2℃。
7月半ば、もうすぐ夏休みですよ?
こんなの、異常気象がどうとかいう次元の話じゃない。
考えられるのはたった一つ。
彼女たちと同類の異能力者が現れ、雪を降らせている。
それしかない。
「雪を降らせる能力……ですか? 私の知る範囲ではわかりませんけど……」
「右に同じ」
「左に同じです」
中央に座る湯布院さんの意見に、城崎も鳴子さんも同意していた。
いきなり手詰まりだ。
いや……手詰まりとかそういう問題じゃないのは百も承知してる。
夏に雪なんて、全世界で報道されるような大珍事だ。
でも、それに対して驚くとかおったまげるとか、そういう真っ当な
リアクションをしている余裕は僕たちにはない。
ここは温泉。
寒い時期はかき入れ時。
――――大チャンス到来なのです!
「わかった。じゃあ一先ず原因は置いておこう」
「い……いいの? 割と歴史的現象だと思うんだけど。脳みそ凍ってない?」
「それより、この状況を確実に活かしたい。相変わらず売り上げが安定しないし」
僕の頭を本気で心配していそうな城崎に若干カチンときたが、
そんな怒りに身を任せている場合でもない。
できれば夏休みに入る前に知名度を上げておきたいところ。
特に県外の人達にアピールしたい。
「というワケで、今日は急遽『夏の真冬スペシャル! 灼熱の太陽と純白の雪の
コラボレーションデー』と称して入場券2割引、アルコール類3割引でいきます。
鳴子さんはパソコンでビラを作って。湯布院さんはバイトの胡桃沢さんと
接客をお願い」
「あたしは?」
「城崎は僕と一緒に、近隣の県でビラ配り。移動、よろしく」
城崎の能力は『サーチ・テレポート』。
携帯端末で検索した場所へ転移できる。
連続では使用出来ないが、交通費無料で他県に移動できるのは大きい。
「……ま、いいけど」
城崎はジト目で了承するという、なんとも煮え切らない態度だった。
どうせ、追加報酬の請求でも画策しているんだろう。
がめついからな、この女。
「では、私はすぐにビラを作ります。この雪の原因が誰なのか、気になりますが……」
「ビラを作り終わったあとでゆっくり考えてよ」
「わかりました。やるからには、この天変地異を一枚のビラで表現します」
ギラリと目を光らせ、鳴子さんはミーティングテーブルに置いてある
ノートパソコンを起動させた。
小説家志望の彼女、パソコンの扱いは【CSPA】で一番だ。
「それにしても……仮にジェネドの誰かの仕業だとしたら、一体
どんな意味を持って生まれた能力なのでしょうね」
牡丹雪の舞う窓の外を長めながら、湯布院さんは意味深に呟いてた。
彼女は、自分の持つ異能力には意味があると思っている。
自身の願望が具現化しているのでは、と。
だとしたら――――この能力を持っているジェネドは冬を望んだんだろうか?
雪が降る景色に憧れていたんだろうか?
……考えても、答えは出ない。
「できました、ビラ」
「早っ! え、もう? 本当に?」
「傑作です。傑作は得てして時間をかけず誕生するものです」
自信たっぷりにパソコンのモニターをこっちに見せてくる
鳴子さんに驚愕しつつ、ビラのデザインを確認してみる。
線香花火から落ちる火花が、雪に変わって落ちているというイラストだった。
「……ネットで拾ってきた?」
「失礼です。私がペイントソフトでササッと書きました」
鳴子さん。
悪い事は言わない、小説家なんて夢持たずにデザイナーの道を目指そう。
「なんですか? その今の私を全否定するかのような目は」
「いや……そのビラ傑作だから、すぐ大量印刷するよ」
「ありがとうござます。でもちっとも嬉しくありません」
それは彼女なりの意地なんだろう。
小説家を目指す自分は、小説を褒められなければ嬉しくない、という。
5月に彼女の夢を知って以降、僕は何度か鳴子さんに自作の小説……
というか詩のような文章を見せられ、評価を求められた。
いずれも、酷いものだった。
遠回しに告げると、毎度涙目で車椅子を動かし去って行く。
悔しいのはわかるけど、毎回心に傷を負ってる僕の身にもなって欲しい。
それで逆恨みされてちゃ報われないよな……
「じゃ、印刷したら他県に移動するから。城崎、用意しておいて」
「りょーかい」
ウンザリしつつ、僕はプリンターを置いてある部屋へパソコンを持って向かった。
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7月16日(日) 12:24
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「今、共命町には雪が降ってます! 雪の降る中、温泉は如何ですか!
スパリゾート施設【CSPA】、本日に限り入場料二割引、アルコール類三割引です!」
そろそろ昼食時だけど、僕は必死になってビラ配りに精を出していた。
この時間帯のオフィス街は人通りが多い。
今、食事休憩を挟むのは得策じゃない。
何より、手応えがある。
やっぱり『夏に雪』ってのはかなりのインパクトだ。
どうやら雪が降っているのは共命町付近だけらしく、今いる県は
夏特有の澄み切った青空が広がっている。
既に降雪のニュースは何度も放送されているらしく、
ビラを手に取る人の反応は上々。
家にあるビラ用特殊コーティング用紙を全部使った甲斐があった。
なにより、雪と温泉の相性が相当いい。
毎年、雪が降る日はお客様が増える傾向にある。
寒い日に客入りがよくなる業種なんてそうそうない。
まさに、僕たちの為の異常気象だ。
……まさか、この異常気象、僕の能力じゃないだろな。
もしくは両親。
いや、両親はないか。
寒いって理由で会議にも出ずに押し入れの中の布団にくるまってたし。
待てよ。
もう一人いる。
しかも、その一人は僕のために何かしようと考えてくれそうな人物。
彩莉だ。
彩莉が、僕の喜ぶ顔が見たくて異能力を発動させたのなら、
この状況にも一定の説得力が生まれるってもんだ。
彩莉は異能力を消す側、という話だったけど、それは所詮
あの三人娘の主張に過ぎないしな。
決定してる訳じゃない。
そうか、そうだったのか。
彩莉……なんていい子。
帰ったらナデナデしよう。
「……何ニヤニヤしてんの? 気持ち悪い」
背後から城崎の声。
振り向くと、既にビラを配り終えたらしく手持ち無沙汰になっていた。
チッ、認めたくないがコイツの外見はやっぱり目を惹くらしい。
「一応、次のテレポートできるけど……どうする?」
「お、もう溜まったのか」
「……溜まった?」
「テレポートのエネルギー。テレポイントと名づけたんだけど」
「勝手に名づけないでよ! そもそも、エネルギーとかじゃないし!」
そうなのか。
ま、原理に関してはどうでもいい。
その話しちゃうと、テレポートってどんな原理で成立するんだよって話になるし。
「なんにしても、この区域分のビラを配り終わってからだな。
僕の分はまだ少し残って……」
「貸しなさいよ」
言い終わる前に、城崎にビラの束を奪われた。
そして、二分後――――
「はい終了」
まるでオーケストラの最後を締めくくってオーディエンスに
答える指揮者のようなドヤ顔で、城崎は両手を広げてみせた。
当然、ビラはもうそこにはない。
「……ま、いい仕事をした従業員は褒めないとな。くたばれ」
「えーっ!?」
本音が思わず漏れたが、後悔はしてない。
「ま、助かるよ。それじゃテレポートよろしく」
「次はどこ?」
「当然、一旦戻る。もうビラないだろ。用紙買わないと」
「あっそ。それじゃ【CSPA】で検索……と」
城崎は器用に携帯端末を操る。
傍から見れば、単にスマホを弄ってる女子高生くらいにしか見えない。
制服は着てないけど。
「はい、入力完了。転移スタート」
緊張感のない声と同時に、景色が変わる。
本当に一瞬。
何の躍動感もなく、気付けば僕と城崎は共命町の【CSPA】前にいた。
周囲には相変わらず雪が舞っている。
これだけ景色が真っ白になるのは、かなり久々のこと。
今が夏だってこと、一瞬で忘れ去るくらいの効果がこの景色にはある。
実際、【CSPA】には昼間の割に結構お客様が入っているように見える。
この時間帯でこれなら、学生やサラリーマンの帰宅時間になれば
更に増えてくるだろう。
現時点ではビラ効果ってより、寒さ効果、雪効果だ。
「……お前らって、学校行かないの?」
学生、って言葉が頭に浮かんだついでに、なんとなく尋ねてみる。
同世代の人間が学校に通ってないってのは、他人事ながら
ちょっとしたハラハラ感を覚えてしまう。
「行っても意味ないでしょ。このままだとどうせ社会に出られないんだし」
「つっても、ウチで普通に働いているじゃん」
「それは、アンタらが特別なの。それにあたし、記憶が保存できないし」
そういえば――――そんな副作用的なリスクがあるとは言ってたな。
年齢の1000分の1の時間しか記憶を保持できない。
今のコイツは確か15歳。
頭の中には約5日分の記憶しか残らないってことだ。
その割に、業務はなんなくこなしてる。
正直、言われるまで忘れてたくらいだ。
「ま、重要な情報は全部この携帯端末の中に入れてるからね。
毎日の仕事なら、昨日の記憶、一昨日の記憶くらいで事足りるし」
「なるほど。でも、社会に出て臨機応変さを求められると厳しい、か」
「だから、そういう仕事を一切振らないアンタのご両親には感謝してる」
……随分と殊勝なことを。
らしくないのか、それともコイツの本質なのか。
「あたしね、記憶がもたないのって、そう悪くもないって思ってるんだ」
「……そうなのか? 当事者じゃないし、僕にはよくわからないな」
「わかった気になられるよりはいいかも。でも、案外悪くないのよ。
だって、本気で嫌な事でも1週間経たない内に忘れられるんだよ?
それってさ、結構ありがたいって思わない?」
……どうだろう。
確かに、人間は忘れることで生きていける生き物だとは思う。
人間は、他の動物より遥かに嫌な事を体験する時間は長い。
勿論、生命の危機って意味では動物の方が頻度は上だろう。
でも、そこまではいかない些細な嫌悪感やストレスは、人間特有のものだ。
だからこそ、人間は忘れることに長けている。
忘れることで、苦痛を和らげている。
そういう意味では、忘却ってのは優秀な機能だ。
「あたしにはもしかしたら、覚えてたらとても生きてけない、ってくらい
怖い思い出とか辛い過去とかあったかもしれないでしょ? でも、
今のあたしはそれを知らないし、知らないから何にも感じない。
これから先もそう。もう生きていくのヤだ、って思いをしても、
1週間後にはケロってしてるの。そう思えば、生きていくのが楽しいでしょ?」
「……そうか」
「そうなの。だから、あたしは辛いことがありませんように、なんて祈らない。
未来に何の不安もないのよ。これって無敵よね」
城崎は口の端を大きく左右に広げ、笑顔を作っていた。
それはどこか、威嚇する時の子犬の表情に似ていた。
敢えて口に出したりはしない。
そんな野暮な真似はできない。
でも――――僕は城崎が精一杯の強がりを言っているとわかっていた。
苦しいことを忘れられる。
それは同時に、楽しいことも、尊い時間も忘れてしまうことを意味する。
どれだけ大切な思い出も、感動的な光景も。
例え文字にして端末やメモ帳に残していたとしても、実感が伴うことはない。
その切なさは、テレポートと似ている気がした。
過程を吹き飛ばし、今に至る。
そんな城崎の生き方は、テレポートそのものだ。
「……なあ、城崎」
「あによ。あらたまって」
「お前さ、誕生日っていつなんだ?」
「何、祝ってくれるの? でもお生憎様。先月よ」
城崎はしれっと、既に通過した記念日を口にした。
「あたし、誕生日は特別何もしないようにしてるから。
それは文奈にも璃栖にも伝えてる」
「……そっか」
理由は聞くまでもない。
僕もその中の一人に加わった訳だ。
例え記憶には残らなくても……と思ったんだけど、
彼女にとってそれは、あまり気持ちのいい未来じゃないらしい。
「誕生日だけじゃないよ? クリスマスだってそう。あたしにとって、
記念日はいつもの一日。それでいいの」
「……本当にか?」
「ええ。今は……ね」
城崎は、異能力の除去を望んでいる。
それさえなくなれば、副作用もなくなる。
城崎の記念日は、それまでは封印……ってことらしい。
「いい思い出だって、きっとあったとは思うケドね。誕生日にも、クリスマスにも」
遠い目をして空を長めながら、城崎は呟いた。
彼女の記憶の中には、異能力に目覚める前までの記憶は人並みに残っている。
雪の記憶だって、その頃のものが残っている――――はずだ。
でも、城崎の言葉は推定のみだった。
それが何を意味するのかは、想像に難くない。
「予定変更」
「え?」
「昼メシ奢ってやる。テレポートで好きなトコ行って、好きなの食べていいぞ」
「え? え? な、なにそれ。怖いんだけど」
突然の僕の申し出に、城崎は驚いたというよりドン引きしていた。
援交でも迫られたかのように。
……やっぱ奢るの止めようか。
「たかが1食分の奢りだ。『6日』で忘れるにはちょうどいいだろ」
「……そう? じゃ、『カフェダイニング
アボカドメキシカン』って所に
一回行ってみたかったんだけど……いい?」
「アボカドって、そんなに美味しいか……?」
「美味しいとかじゃなくて、女子なら食べておかないとね!」
城崎は片目を瞑りながら、それなりに嬉しそうな笑顔で
端末での検索を始めた。
「……なあ、城崎」
「ん? あによ」
「お前、雪って好きか?」
雪を掌に乗せながら、なんとなくそんなことを聞いてみる。
答えは――――
「そんなの、どうだっていいでしょ?」
素っ気ないものだったが、急速に赤くなった耳の色がこっそり肯定していた。
雪が好きなんて子供じみてると思ったんだろう。
「そっか。雪が好きって女の子っぽいって思ったんだけど」
「……え? それマジ?」
「割とマジ。女ってそういうトコあるじゃん。なんとなく」
「ふ、ふーん。そう……」
城崎は、満更でもなさそうだった。
心持ち――――雪の勢いが増したような気がした。
結局その日、雪は共命町にずっと降り続け、翌日には何事もなかったかのように
まん丸の太陽と夏の青空が広がっていた。
歴史的異常気象も、過ぎてしまえば単なる特殊な一日。
でも結果的に、この日のおかげで【CSPA】は初夏を乗り切ることができた。
彩莉は昨日も今日も特に変わりなく、僕のナデナデにも首を傾げていた。
なんとなく、彩莉の仕業じゃなかったと僕は感じていた。
昨日の出来事――――あれはきっと、奇跡や深い思慮に基づいたものじゃなく、
一人の人間の小さな感謝や記憶にない記憶の投影として生まれたものに違いない。
これが異能力なのだとしたら、やっぱりこの能力は人間の『心』が反映されているんだろう。
だから、共命町の誰もが、そして本人が忘れたとしても、僕は忘れないだろう。
推定なんかじゃない、確かにあった――――
灼熱の夏にたった一日だけ迷い込んだ、かけがえのない冬の一日を。
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