「嫌よ」
事情を一通り話した結果、廃ビルの汚れた天井にヒビが入るような鋭い声で、彼女は僕のリクエストを一蹴した。
「なんで私が、他人の色恋沙汰に首突っ込まないといけないの? バカバカしい」
「そう言わずに、話だけでも」
「嫌」
にべもない。そして声に迷いもない。
「そもそも私、青春モノって苦手なの。別に努力とか葛藤とか一所懸命さとか必死さとか暑苦しさとかを否定してる訳じゃなくて、なんかこう、素直に入り込めない苛立ちっていうか……『んぁあー』ってなるっていうか……わかるでしょ? わかるよね?」
「そんな曖昧な言い方で同意を求められても困るよ」
「とにかく、甘酸っぱいのは苦手なの。レモンのはちみつ漬けなんて、なんであんなに持て囃されてるのかわからないくらい。大して美味しくないでしょ?」
要するに、ひねくれモノらしい。それは初対面時からなんとなく感じ取ってはいたけど。
「そもそも、他人の事に首突っ込んでる暇はないのよ、私達は。この一週間、ロクに検証も進んでないでしょ?」
「それは……僕の所為じゃないと思うなあ」
内面の検証――――妙に仰々しく掲げてはみたけど、じゃあ実際に何をしてきたのかというと、ただ三〇分中身の薄い会話をしながら、たまに彼女が自分の発言について『これはこういうつもりで話したけど、どうだった?』と採点を求めてくるという、余り意味のないコミュニケーションのみ。検証という言葉が空しく響く。
「手詰まりね……」
やたらシリアスな声で隼瀬さんは呟く。正直、そんなに深刻になるほど手を尽くした感は一切ないんだけど。
この一週間で、彼女の内面、中身、性格……なんでもいいけど、要は人格について僕なりに暫定的な結論を出してみた。
彼女は基本、バカじゃない。自分なりの意見や信念を持っているし、察しもいい。目標に向かって進もうとする強い意志も感じる。
ただ、要領が悪い。それもかなり悪い。これと決めた事に対して猪突猛進という感じだ。
初対面時のミステリアスな雰囲気に騙されていた。彼女はバカじゃないけど幼稚だ。柔軟性がないというか、融通が利かないというか……その手の能力が欠如しているように思う。
斯く言う僕は、思い切りが足りないというか、自分の信念に懐疑的なところがある。自分に自信がない、とも言える。それは顔を認識出来ないという体質だけが原因じゃない。僕自身の性格とこれまでの生き方の問題だ。
僕はこれから、どうやって生きていくべきか――――隼瀬さんと出会って以降、僕は自分の人生観について、少しずつ考えるようになっていた。
「そんな訳で、今日はデートしましょう」
ただし、そうそう熟考する余裕を与えてはくれないのが彼女だ。
「……どんな訳なのさ」
「検証の第二段階よ。私、今日から貴方を悩殺する事にしたの。当然、中身でね」
悩殺なんて言葉、実在する人物から聞いたの初めてだ……
「内面の検証って話だった筈だけど……デートや悩殺が検証と何の関係があるの?」
「こうやってただ顔を突き合わせるだけじゃ、私の良い所も悪い所も出難いでしょ? それじゃ検証にならないじゃない。だから、違う一面を見て貰う為にデートをするの。ただし当然、デートといっても場所を変えての会話というだけで、それ以上を期待するのはダメ。貴方だって、毎日こんな辛気臭い場所で話をするのは嫌でしょ?」
それはデートの定義に属する行動なんだろうか……?
「僕は、下手に歩き回るよりここで話す方がいいくらいだけど」
「それはよくない考え方ね。知ってる? 世界のあらゆる薬に勝るのは、一日三〇分のウォーキング。人間は歩くのを前提に構築された生物なの」
登下校とアオの散歩だけで優に三〇分はクリアしてるんだよね……
「もう、何が不満なの! デートくらいしたっていいじゃない!」
最終的に彼女は声を荒げてしまった。
どうでもいいけど、隼瀬さんは機嫌が悪くなると瞬きが多くなるらしい。表情はわからなくても、瞬きの回数が通常より多い事くらいはちゃんとわかるつもりだ。
その正誤はともかく、彼女が真面目に考えてこんな指針を打ち出したのはわかってる。でもこっちだって、人生初デートを検証のついでにこなしたくはない。いや、今時デートする相手は好きな人じゃなきゃ嫌なんて、そんな主張をする人間は『真面目か!』とか言われて揶揄されるだけなんだろうけど、それが僕の本心であり欲求なんだから仕方ない。
「なら、交換条件でどう? さっき貴方が言ってた野球部のマネージャーと会うから、その代わりデートにも行く。これでいいでしょう?」
自分のプランを突き通したいのか、彼女はやたらデートに執着していた。
まさか、単にデートをしてみたいだけ――――って事はないよね、状況的に。
「それなら構わないけど。明日の放課後、校舎裏に来てくれる?」
「不本意だけど、背に腹は替えられないってヤツね。仕方ないか……」
彼女の声は本気で沈んでいた。気の毒とも思ったけど、あの女子マネージャーを納得させるには彼女の力が必要だ。ここは我慢して貰おう。
「その話はもういい? いいなら、早く出かけましょ。あと二〇分しかないし」
「やけに張り切ってるけど……何処か行きたい場所があるの?」
「一応ね。でも私、この土地に来てまだ一週間足らずだから。そもそもデートスポットなんて調べた試しもないのよね。目的の場所がこの近くにあるかどうかもわからないし」
……そんなんでよくデートに誘ったもんだ。
ちなみに、デートの経験なんて皆無な僕にはデートスポットとやらは一切わからない。彼女の言葉を聞くまでデートスポットという概念すら頭の中になかったくらいだ。
「ところで、根本的な事を聞くけど……外に出ていいの? 男の視線が嫌だからこんな人気のない廃ビルに集まってた訳でしょ?」
「当然。そこでコレよ」
彼女は学生鞄とは違う、革製の赤いカジュアルな鞄を掲げ、その中からサングラスとマスクを取り出した。
……二つずつ。
「奇異の目に晒されるのは不本意だけど、検証中くらいは我慢しようと思うの。でも、私一人が変装したら、貴方の方が却って目立つでしょ? だから貴方も変装。どう? この気遣い。中々出来る事じゃないと思わない?」
どっちかっていうと、怪しげな組織に所属している二人組になりそうなんだけど……今回僕が指摘すべきなのはそれじゃない。
「なんか、自分をよく見せようとし過ぎな気がする。検証結果をよくしたい気持ちが前に出すぎてるというか……ハッキリ言うとあざとい」
「ぐ……」
あ、絶句した。今のはちょっと言い過ぎたかな……?
「……ん、ま、それもそうね。適切な意見をありがと」
多少、挙動不審なリアクションだけど、隼瀬さんは僕の評価を受け入れたらしい。内面を磨くというのは中々大変みたいだ。
「確かに、自己アピールが過ぎたのかも。社会に出ると、どんどん自分を出していかないと、奥ゆかしいだけじゃダメだって何かの本で読んだのが裏目に出たみたい」
もしかして……啓蒙書とか読んでるんだろうか?
案外気が合うのかもしれない。いや、九九%思い違いだろうけど。
「とにかく! 早く行きましょ。時間は待ってくれないんだから」
彼女にそう急かされた僕は、嘆息交じりに仕方なくサングラスとマスクを着用する。
マスクはクオリティよりオリジナリティを尊重した商品らしく、濃いめのチェック柄だった。
まあ……これなら怪しい組織に属しているようには見えない。最上級の痛カップルには見えるだろうけど。
「……もう少し、丁寧な人生を送りたいなあ」
そんなボヤきとは裏腹に、サングラス越しに見る廃ビルの中の景色に僕は若干心を躍らせていた。サングラスをかけるのも、デートするのも初めての経験だから。
僕なりに、デートというものに興味があったのは確かだ。こんな形とはいえ、経験出来るのなら経験してみたいと思うようになってきてもいる。
とはいえ――――
「……思いっきり笑われてそうだけど」
廃ビルを出て街を歩く僕らは案の定、残念なカップルとして認知されたらしく、なんとなくそういう空気を周囲から感じていた。実際に笑われているかどうかは、声を出して笑われない限りわからないんだけど。
「いいじゃない。この感じなら話しかけられる心配もないし」
羞恥心に散々叩かれて心がモチみたいになった僕とは違って、隼瀬さんは堂々としたもの。普段彼女が向けられている視線と比べれば、この羞恥プレイはそよ風程度のものなんだろう。何より、同じ『好奇の目』でも、容姿に対するものと変装に対するものでは雲泥の差だ。
「で、目的の場所って何処なの?」
「イオン的な施設」
……ショッピングセンターの事を言ってるんだろうか。
「一応、イオンくらいはあるけど……ちょっと遠いよ? 電車使わないと」
「残り一五分では着かない距離?」
「そこまで頑なに三〇分縛りにこだわらなくていいけど。夕食までに帰れるなら」
「契約内容は遵守しないと信用は得られないのよ」
……親が弁護士か何かなんだろうか?
それ以前に、契約書もない口約束程度の決め事だった筈だけど……ま、いいか。
「イオンは却下。他に似たような施設ない? 例えば、プリクラが置――――」
そこで彼女の言葉がピタッと止まる。
要するに、プリクラが目的らしい。ようやく彼女の意図するところが判明した。
確かにプリクラなら、変装を解いても問題ない。そして僕を悩殺するという彼女のコンセプトにも合致する。いかにもデートスポットだし。
「べ、別にプリクラ撮る為に行くって決まった訳じゃないけど!」
「そう? でもこの直ぐ近くにゲーセンあるし、取り敢えずそこに行こうか」
僕がそう告げて先に歩き出すも、彼女の足取りは重い。どうやら彼女のプランでは、目的をギリギリまで告げず、僕を振り回そうとしてたんだろう。小悪魔的な感じで。
今、彼女は歯痒い顔をしているに違いない。プリクラという言葉を出してしまった時は痛恨の表情になっていた事だろう。
そういう一つ一つを楽しめれば、もっと他人と積極的に関わろうと思えるのかもしれない。何より、それがデートの醍醐味なのかも。僕はこんな短い時間で、結構大事な事を学んだ気がした。実際にその醍醐味を味わえれば、なお有意義だったんだろうと残念にすら思う。
「……プリクラ、一度撮ってみたかったのよね」
道中、隼瀬さんは割とすんなり自供した。
「更科は経験ある?」
「ないよ。男友達と撮るのも気持ち悪いし」
ゲーセンまでの道のりを並んで歩きながら、雑談に興じる。思えば女子と街中を並び歩くなんて初めての経験だ。
ちょっと役得。
……っていうか、苗字呼び捨てか。いや、結構嫌いじゃないよ。
「雑談ついでに聞きたいんだけど……更科の体質について、もう少し詳しく質問してもいい? 嫌なら嫌って言ってくれれば止めるから」
少し歩くペースを落としながら、彼女は慎重に言葉を選びながらそう問いかけてきた。変人なのか常識人なのか判断に迷う人だな、本当。
「構わないよ」
「なら遠慮なく」
本当に遠慮しなさそうな隼瀬さんのリズミカルな声に、僕は小さじ一杯程度の後悔をしながら、質問を待った。
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