「顔が認識出来ないって話だけど……それは例えば『のっぺらぼう』に見えるって訳じゃないのよね?」
 のっぺらぼう……確か顔のない妖怪だっけ。
「うん、違うね。目とか鼻とか口が付いているのはちゃんと見えてるよ」
「そのパーツパーツの区別は付くの? 目で言えば、吊り目とかタレ目とか」
「その概念はわかるよ。例えば目だけ映った写真とかイラストなら区別も出来ると思う」
 僕が顔を区別出来ない最大の要因は、まとまりを一つの個として上手く認知出来ていないところにある――――と自己分析している。目、鼻、口などそれぞれのパーツ単独だと問題なく区別出来るのに、目鼻口その他の集合体となると、それが『ぼやけたモノ』になってしまう。「解像度を極端に落とした画像みたいに?」
「うん、割と的確かもしれない。そういう感じだね」
 そう答えながら、僕は少し驚きを覚えていた。
 誰にも理解されない。少なくとも、普通の人にはない感覚だから共感や見識を得るのは無理だろう――――自分の体質はそういうものだと決めつけていたから。まさかここまで他人から言及される機会があるとは。
「それって、事故か何かでそうなったの? それとも生まれた時から?」
「多分、物心付いた時からそうだと思う。子供の頃はそもそも『顔は区別出来て当たり前』なんて知らなかったから、意識して他人や自分の顔を覚えようとした試しもないけど」
 もしかしたら、それこそ幼児の頃は区別出来たのかもしれない。だけど今となっては、それを検証する術はない。
「不便だって思った事は?」
 隼瀬さんは矢継ぎ早に質問をぶつけてくる。もしこれが好奇心によるものなら不快に思ったかもしれないけど、彼女の声は常に真剣だ。
 部活にも入っていない、習い事も塾も行っていない僕にとって、授業以外で真剣な声を向けられる機会は少ない。何気に貴重な体験かもしれない。
「今のところはないよ。狭い世界で生きてるから」
 だから僕はなるべく、僕の思う真実に忠実な話をする事にした。
「だけど、今の友達と離ればなれになったら、困るかもしれない。社会に出たら尚更。少なくとも、顔を覚えないといけない職業には就けないから。犯人の似顔絵描く人とか」
「……随分と局地的ね。保父さんとか学校の先生とか、他にもあるでしょう?」
「うん、結構あると思う。でもまあ、就きたい仕事に就けない人なんて幾らでもいるし、そこは適正ナシと割り切るしかないんだけどね」
 そう話しながらも、僕は余り普段考えない将来について、少し強めに想像力を働かせてみた。
 人の顔を覚える――――僕がこれまで生きてきた一四年間は、それがあんまり必要じゃなかった。シュウちゃん、そして両親との会話が大半を占める日常に、顔認知能力の出番はない。現に僕は不自由なく生活出来ている。
 でも将来、仕事をしなくちゃならない立場になった時もそうかというと、そんな都合の良い現実は転がってないだろう。営業職や教師、介護福祉など、知らない人と一からコミュニティを築いていく仕事は正直厳しいと思う。
 別にこれらの仕事に就きたいって願望は今のところない。だけど具体的な夢や目標もなく、特別な能力も一切ない僕が、この先どんな仕事を選べるのか――――そう考えると、このビハインドは今の僕が思っているより遥かにキツいのかもしれない。
「達観してる割に、顔色が悪いみたいだけど。実は割り切れてないみたいね」
 不安ばかりが膨らむ僕の精神状態を見透かしたかのように、彼女は意地悪くそう指摘してきた。といっても、僕を貶したり嘲笑ったりといったニュアンスは一切ないから腹も立たない。
「でも、当たり前か。今はともかく、将来的に不便なのは明らかよね」
「そう言う君は、自分の顔とどう折り合いを付けていくつもりなの?」
 人通りの少ない夕方の大通りを歩きながら、僕は反撃に転じた。正直なところ、彼女の考え方に興味がある。僕と真逆で、それでいて近い悩みを持つ彼女だけに。
「結論を先に言うと、私の内面が活かせる職業を目指すつもり。顔を表に出さなくても働ける職業なんて結構あるでしょ?」
「コンビニ弁当のお惣菜を盛りつけする人とか?」
「……だからどうしてそう局地的なの。確かに衛生面でマスクが必須だろうけど」
 まあ、昨日ニュースで見たってだけの話。
「とにかく、私は私自身が作り上げたモノで生きていくつもりよ。容姿の世話になんて絶対になるもんですか。お金がなくて芸能関係の仕事か水商売しか選択肢がない状況に追い詰められても、私は手タレの道を選ぶ覚悟よ」
「いや、もうちょっと違う選択肢があると思うよ……」
 手タレはともかく――――彼女はとかく内面にこだわっている。それはヒシヒシと伝わってきた。
「更科は、今まで他人を容姿や外見で判断した事はないのよね? 今友達付き合いしている男の人達も、内面だけで選んだんでしょ?」
「そうだけど、もうちょっと表現を……」
「恋人は? 片思いしか経験がないって言ってたから今はいないんでしょうけど、将来的には恋人も内面だけで選ぶつもりなの?」
 やけに踏み込んだ質問が飛来してきた。
「それとも、胸とかお尻の形とか、そういう所で選ぶ?」
「ちょっ、止めてよ体裁の悪い! 廃ビルの中じゃないんだからさ……」
 幸い、僕らの近くに聞き耳を立てている通行人はいなかった。今の僕らは明らかに怪しい風貌の二人組なんだけど、普通に堂々と街中を歩いていると、自然とその中に溶け込んでいけるらしい。すれ違う人達も、一瞬だけこっちに視線を向ける程度の関心しか寄せてこない。
 実際、他人への関心なんてそんなものだ。サングラスとマスクの二人組、その程度の奇抜さで大勢の関心を集めるのは難しい。
 なら――――ほぼ全ての男を魅了する隼瀬さんの容姿はどれだけ突き抜けているのやら。
 僕は日に日に彼女への関心が高まっている自分を認めざるを得なかった。
「それで、どうなの? 答えは?」
 考えが違う道へ逸れていた僕を、隼瀬さんは責めるように急かす。相当真面目な質問らしい。なら相応の真剣さで答えるべきだ。
「……別に、そういう部分に興味がない訳じゃないよ? でも、それで恋人を決めるってのは、今のところないかなあ」
 本当に興味がない訳じゃない。だけど、それは所謂『性欲』とは少し違う気がする。でも上手く説明は出来ない。
「そう。答えてくれてありがと」
 彼女はこのタイミングで礼を言ってきた。僕が相当に答えにくそうな顔をしていたのかもしれない。
 僕は顔や表情の認識が出来ないけど、感情を顔に出す事は出来ている。正確には『出来ているらしい』。出来ていなかったらさすがに両親や友達から指摘され、問題視されていただろう。声や仕草で喜怒哀楽を見せても、表情がないとなれば、それは“わかりやすい異常”だ。
 その指摘が一切ないって事は、僕は普通の人と同じように感情表現が出来ている証。自分で鏡を見て確認出来る訳じゃないけど、この推察は間違いなく正しいと自信を持って言える。
 そんな僕に――――
「片思いをした時も、内面だけで好きになったの?」
 彼女は思い切って攻め入ってきた。
 なんとなく、この質問をする機会をずっと窺っていたようにも思える。
 迂闊だった。下らない見得を張って、嘘をつくんじゃなかった。
 そんな後悔が脳裏を過ぎる一方で、僕は僕自身に同じ質問を問いかけていた。
 僕は内面だけで恋愛をするんだろうか?
 性格の好みとか、会話が弾むとか、一緒にいて楽しいとか、そういう部分だけで人を好きになるんだろうか?
 答えは――――今のところ見つかりそうにない。経験がないからだ。
「わからないよ。今思えば『好きにならないといけない』って焦りがあったのかもしれない」
 だけど僕は自然に、そんな言葉を連ねていた。
「自分が普通に女子を好きになれるのかどうか、不安があったのかも。だから、何かムリヤリ理由をつけて、好きになったと思い込んだだけかもしれない」
 実際にそんな経験をした訳じゃない。だけど、僕の言葉には自分でも驚くほどリアリティがあった。多分、不安そのものは事実だからだろう。
 とはいえ、これは『わからない』とだけ答えるべきだった。
「……ごめんなさい。調子に乗りすぎたみたい。今のは聞かなかったことにして」
 案の定、彼女は落ち込んだ声で質問を撤回した。モラルに反した質問だったと反省しているんだろう。僕を傷付けたとも思っているのかもしれない。
「内面、内面と言ってはいるけど……私、こんななの。配慮が足りないというか、対話の経験が不足しているというか……」
「うん。それをここにきて吐露されなくても、ちゃんと酌み取ってるから大丈夫」
「う〜」
 唸られても困る。
「一応私にも言い分があるの! 男子には色目使われるし、女子には距離を置かれるしで同級生とマトモに会話出来なかったのよ!」
 加えて中学生になると転校の繰り返し。確かに会話の経験が不足して当然の人生だ。
 となると、残るは身内。何気に彼女の親がどんな仕事をしているかは気になるところだ。何しろ、中学二年の夏までにの転校を四度もしている子の親。普通の職業でここまでフットワークを軽くするのは不可能だ。
「親はどっちも仕事で忙しくて、ロクに話もしてこなかったし。あ、今は別居中ね。こっちにはお母さんだけ来てるの。モノカキだから、融通は利くのよ」
 サラッと暴露されたその事情は、重い事実なのか、そうでもない事実なのか、僕には判断出来なかった。
 モノカキ――――小説家か何かなんだろう。もしかしたら啓蒙書やエッセイかもしれない。だとしたら、彼女がさっき言っていた『何かの本』っていうのは、母親の著書なんだろう。
「……私、お母さんとは本の中で会話してるの」
 どうやら推理は当たったらしい。でも嬉しい気分になれないのは、彼女の声が淀んでいたからだ。
「お母さんが書いた本は、きっとお母さんの考えとか信念が正直に書かれてると思うのよ。そうじゃないと、何百ページもある本を何十冊も書き続けるなんて無理でしょ? 延々と嘘を書き連ねるなんて、頭ヘンになっちゃうから」
「確かにそうかも」
「だから、面と向かって話をするより、お母さんの書いた本を読む方が素直な気持ちと向き合える気がするのよ。だから、別に寂しくはないの。ただ、会話術を磨く相手にはならないってだけで」
 そう言いながらも、隼瀬さんの声は終始寂しそうだった。
 僕は彼女の述懐に、内面へこだわる理由を見た気がした。
 隼瀬さんの抱えている問題は、『人と向き合えない事』。これに尽きる。
 その“人”には、親も含まれている。いや、自分以外の人間すべてなのかもしれない。
 余りにも顔が美しすぎて、向き合っても顔にばかり目が行く他人。
 忙しさの所為か他の理由か、著書でしか向き合えない親。
 彼女は――――隼瀬さんは、誰かと向き合いたいだけなんだ。一途に、まっすぐ。
 そんな時、僕が現れた。彼女の綺麗過ぎる顔を綺麗とわからない僕が。
 だとしたら……
「もしかして、ここがそう?」
 突然の隼瀬さんの声に思わず身を竦ませた僕は、そこでようやく目的地のゲーセンに到着していたのを悟った。










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