翌日早朝。
「おはよう。眠そうだね」
「おう……」
僕はシュウちゃんの登校ルートを先回りして、密かに待ち伏せを遂行していた。向こうも気付いていたらしく、普段より少しだけ勝手が違うような空気を出している。
「珍しいな、お前が先に来てるのは。何かあるのか?」
「うん。シュウちゃんに聞きたい事が」
立ち止まる事なく、歩きながら話す。それくらいが丁度いいと思った。
「部活、休んでるんだって?」
普通なら、何気ない会話なんだろう。でも僕は、シュウちゃんに部活の話を振った事は一度もなかった。だから、緊張が伝わらないよう努めた。
「……珍しいな」
さっきと同じ言葉。でもそのニュアンスは全然違う。
シュウちゃんは驚いたみたいだ。
「お前が俺にそういう話をしてくるのは」
「そうだね。僕から話題を振る事自体、珍しいかも」
僕は上手く笑えてるだろうか――――ふと、今の自分の表情に不安を覚える。
だけど、それも僕の限界でしかないんだろう。
誰にでも限界はある。なら怯えていても仕方がない。
「どうして休んでるのか、聞いてもいい?」
「……」
シュウちゃんは暫く黙ったまま、僕の歩調に合わせてポツポツと進む。
ポツポツと、ポツポツと。
その移動距離が電柱間を越えようとしたその時――――
「俺、転校するんだよ」
普段と変わらない声で、そう告げた。
僕は一瞬、自分が何処にいるのかを見失った気がして、思わず立ち止まる。目の前には電柱。横を見ると、普段の登校時にも目にする冴えない黄土色の看板と駐車場の入り口。車は一台しか止まっていない。ここは紛れもなく登校風景、そして現実だ。
「転校……? シュウちゃんが? いつ?」
ようやくシュウちゃんの発言を飲み込めた僕は、それでも信じられないまま詳細を問う。それでも尚、シュウちゃんは平常通り穏やかな声で答えた。
「夏休みに入ってすぐ。親父の実家に、な」
――――と。
夏休みまではあと二日。たった、たった二日。
僕は余りにも急な、余りにも唐突なその事実に、目の前が真っ暗になるような錯覚に陥った。
シュウちゃんが……いなくなる。僕の前から。
いつかその日が来るのは当然、わかってた。最近、将来の事を考えるようになってからは特に、その時の為に覚悟をしておく必要性を感じていた。でもそれは、例えば大学進学、早くても高校生になる頃だと思っていた。
「親父の勤めてた会社が今年の冬に潰れてさ。失業保険って言うんだっけ? それでしばらく食いつなぎながら再就職先を探してたらしいけど、この辺じゃ見つからないみたいでな。結局、実家の自動車整備工場で働く事になったんだと」
シュウちゃんの親父さんとは、二回会った事がある。小学生の時の運動会と、街中で偶然バッタリ。温厚な声の人で、いつも朗らかだった。
でも、シュウちゃんの家で会った事はない。
「お前とは長い付き合いだけど、こういう家の事情、話したのは初めてだよな」
「……そうだね」
まだ気持ちを整理しきれていない僕は、歩行を再開出来ず、駐車場の前で佇んでいた。
「正直言うと、最後まで話さないつもりだったんだけどな」
そんな僕に、追い打ちをかけるようにシュウちゃんはそんな心の内を明かす。つまり――――転校する事を最後まで僕に告げずにいようとしていたと。
「どうして……?」
「そんな顔すんな。別にお前が嫌いだったとかじゃない」
「なら、どんな理由だよ!」
無意識に、僕は声を荒げていた。それは僕にとって初めての経験だった。
「……お前が戸惑うって思ったんだよ」
シュウちゃんは僕から顔を逸らしたまま、少し疲れたような声でそう答えた。
「お互い、これまで深い話はしないで来ただろ? それなのに突然、こんな事言われても困るだろなって思ってさ。なんか無理に悲しい顔しなきゃいけない、とか、ダリぃけどお別れ会開かなきゃな、とか、そんな面倒な思いさせちまうのは嫌だったし」
「そんなの……思わないよ」
悲しかった。
シュウちゃんにそんな事を言わせる自分が、ただただ不甲斐なかった。
シュウちゃんは見抜いていたんだ。僕が距離を置いている事を。
それでも――――そうせざるを得なかった理由を話せない自分が情けなくて、泣きそうになった。
「俺が野球部に入った時も、リアクション薄かったろ?」
「あれは……驚きすぎて何も言えなかっただけだよ。大体、なんで野球だったの」
「一番稼げるからだよ。日本のスポーツ選手の中で」
その答えも、当時の驚きを思い起こさせるような内容だった。だけど、直ぐにその真意に気づき、納得する。
「……両親の為?」
もし息子がプロのスカウトの目にでも留まれば、例え父親の勤め先の会社が傾いても、希望が持てる。野球には詳しくないけど、野球選手の契約金が規格外なのはニュースで何度も耳にしたから知ってる。
「ま、今となっちゃ浅はかだってわかるけどな。当時は真剣だったんだよ。貧乏だったし、親父もお袋も外ヅラはいいのに家の中ではえらい暗いし。俺がなんとかしなきゃって思ったんだ」
「それで、プロ野球選手になる為、野球部に?」
シュウちゃんはわかりやすいくらいハッキリと首を縦に振った。
「いざ入ってみると体育会系のノリは苦手で大変だったよ。お前とは中身のない薄い話するだけでよかったけど、あいつらは逆に熱い話ばっかしたがるし……今年入ったマネージャーもそうだしな」
それはシュウちゃんが慕われているからだよ、とは流石に言えなかった。
ただ、部活を休んでいた理由はほぼ判明した。
「部員に負担をかけたくなかったんだね」
大会を目前に控えた野球部に、どう伝えるべきか――――散々迷ったに違いない。早めに伝えてたら、要らない気を使わせる。かといって、何も告げず突然主力がいなくなったら、動揺は免れない。
ならどうするか。
「練習をサボって、チームにシュウちゃんへの悪感情が生まれた頃合いに転校。そうすれば動揺が少ないって、そう思ったんでしょ?」
「……我がなら、不器用だとは思う」
確かに。本当はサッサと話して、カラッと別れるのがベストなのは明らかだ。
でも、シュウちゃんにはそれが出来なかった。それが出来ないくらい、シュウちゃんもまた野球部への想いが強いんだろう。その想いは野球部について語る時のシュウちゃんの声から、ヒシヒシ伝わってきた。
「ま、とにかくそういう訳だ」
そこで話は終わり、と言わんばかりに、シュウちゃんは歩き出す。
隼瀬さんの事を気にしてたのは、自分も転校するからだったんだ。
『転校って、どんな気分なんだろうな』
『あんまり、いいものじゃないと思うよ』
今更後悔しても始まらないけど――――僕は答えを誤った。
僕は知っている。
シュウちゃんは動物好きだ。
そして、猫派だ。
それでも僕に合わせて、犬の話題を多く振っていた。
そういう人だ。
そういう奴なんだ。
「……」
駐車場に唯一停まっていた車が動き出し、僕の脇を抜けて公道へと出ていく。僕はその後ろ姿を、暫くじっと見ていた。
結局――――僕には、親友を得る事は出来なかった。
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