「感想を言うよ」
そんな思いが頭を過ぎった瞬間、僕は場違いにも……怒ってしまった。
でも――――
「左右の目の色が違うのは、不気味だと僕は思った。瞬間的に」
怒りにまかせて発言したつもりはなかった。イラッとしたのは事実だけど、それはそれとして、僕は務めを果たすべく本心を口にした。
「……そう」
隼瀬さんは沈んだ声でそう呟き、接近を止めた。
「もう少しオブラートに包むか、心にもない否定をすると思ってた」
「不気味だと思った事実は消せないからね。仕方ないよ。君のその目は、人間の顔を上手に認識出来ない僕の目に、不気味に映った。それが、君の望んだ検証結果だよ」
言いながら、なんて酷い事を言っているんだろうという自己嫌悪に苛まれる。
でも、僕は検証を任せられた。なら、嘘やまやかしは許されない。彼女に事実を、現実を知らせる責任が僕にはある。
何故なら、彼女がそう望み、そう仕向けたんだから。
「大体、望んでないでしょ? 口先だけの綺麗事なんて。これだけ周到に準備した人が」
「え……?」
僕の言葉が意外だったらしく、隼瀬さんは珍しく訝しげな声で真意を窺ってくる。
若干、不安のような感情も見え隠れしていた。
「あのデート。プリクラを撮りに行ったデートの真意がやっとわかったよ。僕が君のその目を見て、ちゃんと認識出来るかどうかを確認したんだね」
「……」
どうやら僕の指摘は正しかったらしい。反論は飛んでこなかった。
「それを確かめた上で、その目を見せるタイミングを見計らってた。違う?」
「……バレちゃったか」
少しふて腐れた声で、隼瀬さんは溜息交じりに肯定を示した。
「誤解しないでね。貴方に中身を検証して欲しかったのは本当。そのお願いを受けてくれた事に感謝してるのも本当。だから、そんな相手に対して失礼な事してるのもわかってるの。でも、どうしても確かめてみたかったのよ」
僕がオッドアイを見てどう思うか――――隼瀬さんは密かにその検証もしようとしていた。
「最初は、私の顔をなんとも思わないレアな人がいるって思って喜んだの。そういう人がいるのなら、私の未来に一つ希望が持てるって。そうなると、この目についても検証したくなったの」
その為の準備が、あの不可解なデートの正体。
「この目を見ても、なんとも思わないのかどうか。その検証に必要なのは、貴方が目の色の違いを認識出来るのかどうかの確認。もし認識出来ないのなら、検証するまでもないから」
目を大きくしたプリクラを僕に見せる事で、下準備を行ったんだ。
割となんでも思ったままを口にする彼女の性格を考えると、もっと直接的なやり方で確認してもよさそうなものだけど、彼女はこの方法を選んだ。
結果、自分でも驚いたけど、僕は『極端な目の違い』をちゃんとわかると判明した。
自分が人の顔をどの程度まで区別出来るのか、そのヒントを得た貴重な体験だった。
「目の大きさの違いがわかるなら、色の違いもわかる。少なくとも、可能性としてはかなり高いでしょ? だから思い切って試す事にしたの。この目を貴方が見て、どう受けとるか」
顔を視認出来ない人間が、彼女のその目にどんな反応を示すか。隼瀬さんは今日、その検証を実行に移した。
そして結果は、僕の答え通り。二つの違う色の目が同じ顔にある事を、僕は不気味に感じてしまった。
嘘をついても仕方がない。間違いなく、彼女はそれを見抜くだろう。
これまでずっとそうしてきたからこそ、今の彼女がある。
僕はようやく、彼女の自信の根拠を完全に理解した。
『初見で私の顔に無関心でいた人は一人もいなかった』
当然、その殆どは彼女の美しさに惹かれるか、嫉妬するかのどちらかなんだろう。
だけど、顔の綺麗さ、可愛さに然程興味を示さない幼少期については、違う根拠が存在した。
オッドアイ――――それを前にして、無関心でいられる子供はいないだろう。
「……ありがと。本当の事を言ってくれて」
一歩だけ後ずさり、隼瀬さんは形骸化した礼を言う。それは彼女なりの儀式だったのかもしれない。僕から距離を置くという、わかりやすい形の。
ふと思う。もしかして隼瀬さんは僕に対して、何らかの期待を抱いていたんだろうか。例え嘘でも彼女の目を『なんとも思わない』と言って欲しかったんだろうか。そうする事で、心の安寧を僕に求めたかったんだろうか。
いや、それはない。あったとしても不毛だ。
一ドットの不具合であっても、人はそれを見過ごせない。それが僕らだ。
そして僕以上に彼女はそれを知っている筈。なら、表面上だけ『気にしないよ。左右の目の色が違うなんて、神秘的で素敵だね』なんて言われたところで、嬉しくもなんともないだろう。
「やっぱり、人間なんてそんなものよね」
けれども隼瀬さんは、寂しそうにそう呟いた。自分の目が不気味に思われた事を悲しく思っていた。
彼女は自分の外見的な美しさを『両親の手柄』だと言っていた。その理屈なら、オッドアイという不具合――――と呼ぶのが相応しいか否かはともかく、彼女の日常にマイナスに働いているこの要素は、『両親の所為』となる。
自分は悪くない、両親が悪い、だから傷付かない。
理論上はそうなる。でも隼瀬さんは傷付いていた。少なくとも僕にはそう見えた。
「でも、その中でも私は最悪の人間かもしれない」
僕との距離をそのままに、隼瀬さんはポツポツと語り出す。
「コンタクトをしていない素の私は綺麗なの? 可愛いの? それとも不気味なの? コンタクトをした私は本当の私じゃないの? こんな薄っぺらいレンズだけで、私の顔の価値は大きく様変わりするの? そんな不確かな評価に、私の人生は左右されなきゃいけないの? ずーっと、そんな愚痴ばっかり心の中に溜め込んでたの」
それは――――恐らく世界中でも稀なケース。圧倒的に綺麗な顔と、ハッキリ違う双眸の色を併せ持つ彼女だからこそ抱く疑問。共感するのは難しい。
「だから、私はとにかく中身を、内面を磨こうって思ったのよ。このままじゃ変になるって思ったから。でも、中身の評価をしてくれる人がいない。誰も、私の顔にしか興味がないから。他人の評価なんて気にするなとか、よく無責任な人が言うでしょ? 客観的評価のない『性格のよさ』なんて存在しないのにね」
同感。性格なんて、他人と話して初めて成立するものだ。
「両親には相談しなかったの? 確かお父さんは……」
「私を不気味がって、家族から離れていった」
「え……」
「お母さんも父だった人も、普通の目。その二人から生まれた私のこの不気味な目が、家庭を壊したの」
……言葉もない。
「お母さんは私を養う為に、一所懸命働いてくれてる。だから、お母さんに余計な負担はかけたくないの。モノカキって、少し気が散るだけでスランプになる事もあるみたいだから」
「じゃあ、ずっと一人で抱え込んできたの?」
「貴方だって同じでしょ? 人の顔がわからない。それを私以外には話してないんでしょ? それって、親の所為にしたくないからじゃないの?」
その通りだった。
単に『顔を覚えられない』『認識出来ない』だけの問題じゃない。そこから派生する様々な問題、他の人とは違う生き方を強いられる事そのものも含めたあらゆる問題を、両親の所為にはしたくなかった。二人が悲しむから、だけじゃない。
「『どうして普通の子に生まれてこなかったの』って、言われたくなかったんだ」
僕はずっと、それに怯えていた。“普通”でいる事で、その恐怖をどうにか抑えていた。
「その点、私は隠しようがなかったから。最悪よね。両親にとっては」
彼女が自分を責めるその気持ちは、痛いほどわかった。
自分を否定すれば、自分を否定する人を否定しなくて済む。
『悪いのはこんな目とこんな顔で生まれてきた私』
そう思う事で、“親を恨まない”日常の中で生きていられる。
「更科の生き方は正解。他人と違う所なんて、誰にも言わない方がいい。理解者や共感者なんて、いなくていいの。リスクを冒して一人二人得たところで、どうせ大人になったら離ればなれになるんだから。それなら、今の内に一人でいた方がいいでしょ? 私みたいな、無駄な悪あがきをしなくても済むから」
内面を磨く――――彼女は常々そう口にしていた。他人との結びつきを作る為だ。
一人で生きるのなら、性格の善し悪しは意味を成さない。
彼女は必死で悪あがきをしている。その点、僕とは違う。僕は最初から諦めた。その結果、シュウちゃんとは親友になれなかった。
「だから、転校生にお別れ会なんて邪魔なだけ。貴方もそう思うでしょ?」
隼瀬さんは、僕を肯定する事で、自分を否定している。
普通である為の特別な存在。
自分が正常でいる為の安全装置。
それが隼瀬さんにとっての僕だ。
その役目を全うするのなら、僕は彼女の問いに首肯しなくちゃならない。
「いいや、違うよ」
そんなのは御免だ。馬鹿げてる。
僕はようやく、自分が怒っている理由を完璧に把握した。
最初は、彼女が『自分の内面を検証して』と言っておきながら、実際には外見の検証へと誘導していた事に苛ついていると思った。
でもどうやら、根本的な理由は別にあるらしい。
僕は怒っていた。水面下でずっと怒っていた。
自分自身へ。
「どう違うの? 説明してみなさいよ」
「そうだね」
その怒りを沈める為、僕は一旦言葉を区切り、携帯を取り出した。
「……?」
そして、訝しげに見ているであろう隼瀬さんを尻目に、電話をかける。直接通話なんて久し振りだけど、緊張するような精神的余白は今の僕にはなかった。
通話相手は――――
『どうした? 珍しいな、電話なんて』
「そうだね。シュウちゃんと電話で話すなんて、何時ぶりだろ」
僕のたった一人の友達。
「用件だけ手短に言うね。突然だけど、実は僕、人の顔を覚えられない体質なんだ」
その友達に、ずっとひた隠しにしてきた事を、あっさりと暴露した。
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