「ジェラール先生。彼の作品の模造品を貴方が描いているという噂が立っています。しかも、その絵は一部卑猥な内容が含まれている、と。貴方の口から真実が聞きたい」
「ああ、描いてやったぜ! HAHAHA!」
巨匠ったら、そんな臆面もなく!
玄関で既に認めていたんで、俺達にとっては意外でもなんでもなかったけど、パオロはその返答に困惑気味だ。
「何故、そのような愚かな行為を? 古典派の巨匠ともあろう貴方が……」
「決まっているだろう。金さ」
でも、巨匠の次なる返答には俺も驚きを禁じ得なかった。
てっきり何か裏があるとばかり思っていたけど……結局、理由は金か。
「ジェラール先生、それは……」
「驚くような事かい? ミーはこれまで一〇〇〇点以上の絵を描いて来たけど、それらは全て金が目的だったんだがね! 古典派の絵、特に聖母の絵は金持ちが高値で買ってくれるから、つい筆が乗ってさ! それを繰り返していたら、いつの間にか巨匠になっていたよ! HAHAHA!」
「力説するような事では……」
パオロは失望しているのか、明らかに声が沈んでいた。
古典派の巨匠っていうと、かなりの重鎮。
そんな人が『今までの作品は全部金の為に描いたんだぜ!』と述懐すれば、まあ……確かに失望するのも無理ないか。
ましてここは画家の地位が高い国だし。
でも、斯くいう俺は巨匠を軽蔑する気にはなれなかった。
寧ろここまで言い切れるところにプロとしてのポリシーを感じたくらいだ。
金の為だけに働く。
そんな社会人はごまんといる。
でも、プロスポーツ選手とかミュージシャンがこれを言うと、妙に失望される。
イラストレーターも同じだ。
でも、それが悪い事とは特に思わない。
少なくとも、俺みたいなマンガ家から挫折して流れ着いた人間よりは芯がしっかりしてる。
「パトロンの中に、ユーリの絵の大ファンがいてさぁ、言うんだよミーに。あの絵を描いてみてくれ、って。しかもエロい絵なら倍の金を出すぞって。そりゃお前さん、描くってもんだろ? 画家冥利に尽きるってもんだ!」
そこまで言い切った巨匠に対し、パオロの表情が次第に消えていく。
どうやら彼には、或いはカメリア王国には、巨匠の思想を受け入れる為の器は存在しないらしい。
「今回の件で、様々な憶測が飛び交っています。有力なのは、幻想派が貴方を脅してムリヤリあのような模造品を描かせ、世間の失笑を買うよう仕向けた、という意見です」
「HAHAHA! 実にユニークなご意見だ。政治思想を安易に持ち込むあたりが特にハイセンスだね」
気さくで陽気なスタンスに変化はなかったけど、心なしか巨匠の笑顔が少し質を変えた気がした。
表情からはそうは見えないけど……もしかしたらこれは、睨み合いなのかもしれない。
「……了解しました。真偽の程は確認出来ましたので、これで失礼します。お忙しい中時間を割いて頂き、ありがとうございました」
「ノープロブレム! いつでも来なさい、歓迎するよ! HAHAHA!」
俺がそう思った刹那、二人は別れの挨拶を交わし合った。
性格的にも思想的にも水と油って感じだけど、お互い露骨には不快感を見せない。
そこが俺やあの宮廷絵師ベンヴェヌートとは違って大人だ。
「ひああ……ひっく」
でも、水面下ではバチバチ火花を散らしているのは間違いない。
それを本能的に察したのか、エミリオちゃんが恐怖のあまりしゃっくりをぶり返していた。
そんな彼女と俺に軽く会釈をし、パオロは一足先に部屋を出て行こうとする。
マズいぞ。
ここで帰られると折角の好機がパーだ。
かといって、巨匠の家を訪ねておきながらロクに話もしないで帰るのはあまりに失礼。
ここは――――
「エミリオちゃん。彼をしばらく足止めしておいてくれない?」
「ひっく……ふえ?」
「それがジャンを助け出す事に繋がるんだ。成功したらジャンにその事しっかり伝えるから」
「わ、わかりました。そのう、その節はよろしくお願いします」
エミリオちゃんにそう耳打ちした結果、多分全てを理解した訳じゃないだろうけど、打算だけを胸にそそくさとパオロの後に付いていった。
現状で打てる手はこれくらいだ。
頼むエミリオちゃん……なんとか時間を稼いでくれ。
「やー、ギルドのお偉いさんを怒らせちゃったみたいだ。こりゃ仕事減るかな? HAHAHAHAHA!」
こっちの緊迫感など知る由もなく、巨匠がケタケタ笑っている。
人生を達観してるのか、仕事が減っても困らないほどの財を築いているのか……何にしても、この余裕は見習いたい。
「さて、今度はユーの番だ。ミーに言いたい事があって来たんだろう? 何でも言いたまえよ。例の模造を止めて欲しいのか、金が欲しいのか。どっちだい?」
「……何でも言えって割に、その二択ですか」
ダメだ、この人とまともに会話を続ける自信がない。
色々誤魔化されない内にまとめに入ろう。
「結論から言えば、その両方を要求しに来たんですが……お金はもういいです。模造の方を止めて貰えませんか?」
「OH! ソイツは参ったな。パトロンから次回作をおねだりされてる最中なんだ。 ならこうしよう。ユーが描いちゃいなよ! よしそうしよう!」
「なんで俺の作品の同人誌を俺が描かなきゃいけないんですか!」
ついに我慢出来ず、巨匠に大声でツッコむ事案が発生。
いや、時間の問題だった気がするけど。
それはともかく、自分の作品の同人を自分で描くマンガ家やイラストレーターは割といる。
それ自体は問題ないと思うけど、少なくとも同人作家の代理で描く物じゃない。
「むう、ナイスアイディーアだと思ったんだが。ま、仕方ない。ならユーのサインで手を打とう。それならパトロンのご機嫌を損なう事もナッシン。オーライ?」
「サインですか……それを渡せば、模造品の制作を止めてくれるんですね?」
「トラストミー! ユーは何も心配せず待っていればいい」
あくまでも自分の口で『止める』と言わないつもりだ!
陽気で大らかな感じなのに意外とセコいぞ、巨匠。
「ま、目的は果たした事だし、悪いようにはしないから安心しな。まとまった金はもう受け取ったし、あのファッキンクソ弟子も十分嫌な思いはしただろうよ。HAHAHA!」
「クソ弟子って……もしかして、ベンヴェヌートの事ですか?」
「YES! ユーの存在をミーに教えたのはあのクソ弟子さ! ちょっと待ってな」
巨匠は一旦部屋を出て行き、暫くしてまた戻って来た。
手に折り目の付いた紙を持って。
「ホレ、これがその伝達の手紙だ。見てみな」
「はあ……」
嫌な予感、というより確信はあったものの、言われた通り手紙に目を通してみる。
所々難解なカメリア語があったものの、大筋は読み取れた。
要約すると――――
〈今、一部の国民を熱狂させているという絵を同梱するから見て欲しい。貴方はこれを見てどう思う? このような人間を極限にまで歪で不格好にした醜く拙劣な絵を、美術大国たるカメリア王国の国民がありがたがっている現実を。これは非常事態である。古典派の巨匠として、何よりこの宮廷絵師の先鋒たるベンヴェヌート=ヴァスィリキーウシクィイの師として、今回の件を重大に受け止めて貰いたい。あの悪書をこれ以上のさばらせてはならない〉
……要約しても長い。
実際、手紙は九枚にも及んだ。
しかもリバーシブル。
嫌われてるのは知ってたけど、こんな怨念レベルで忌避されていたとは……
「気持ちの悪い手紙だろう? 自分の文章に酔ってやがるのさ。ネチネチと男の腐ったようなヤツの喋り声が今にも聞えてきそうだぜ……WWWWWWAO! クソ弟子ファッキン!」
相変わらずライトな口調だけど、どうやら本気で嫌ってるらしい。
実際、性格は絶望的に合っていないけど……そこまで自分の弟子をコキ下ろさなくても。
「ミーがヤツを嫌うのがそんなにおかしいかい? 顔に出てるぜボーイ」
「そりゃ、普通はそう思うでしょ。顔にも出ますよ」
すっかり緊張感を失ってしまった俺の素直な返事に不満があったのか、巨匠が大げさなジェスチャーで肩を竦める。
「ユーもあの男と会ったのならわかるだろう? 宮廷絵師の新鋭だなんだって王都ではモテモテらしいがな、あんなのがチヤホヤされるようじゃカメリア王国も終わりだぜベイベー。美術大国の名もメソメソ泣くさ」
「わからなくもないですけど……不満なら再教育でもすればいいじゃないですか」
「HA! ヤツがミーの言う事なんか聞くワケがないさ。ヤツはミーの弟子、いや『巨匠の弟子』って肩書きが欲しかっただけなのよ。宮廷絵師になる為のな」
……なんだって?
「宮廷絵師になるのには幾つかの条件がありやがるのさ。自分の作品が王侯貴族に見初められる、有名画家のお墨付きを得る、その他諸々だ。それを満たせば、晴れて一生安泰のパトロン様ご指名ありがとうございます、ってヤツよ」
「その"お墨付き"欲しさに弟子入りしただけ……?」
「YEEEEEES。実際、ミーの教えなんて宮廷絵師になってからはガン無視、挨拶にもロクに来やしないんだぜ? 不肖の弟子たぁ、あのクソの為にある言葉さ! ファック!」
ベンヴェヌートの真意は知らないけど、あの性格なら巨匠を巨匠とも思わない無礼な行動に出てもなんら不思議じゃない。
自分以外全員見下してそうだし。
「今時珍しい、叩き上げの画家を目指す骨のあるヤツだと思ったんだがな。肩書きに酔って、周囲の賛美に酔って、勝手に作られていく自分の虚像に酔って……あんなクソみてえな画家になっちまった。素質はあったのによ」
そう口汚い言葉で弟子を罵るジャック=ジェラール氏は、怒りより哀愁を色濃く漂わせていた。
周りからは落ちぶれていると言われ、弟子には袖にされている巨匠。
身なりや口調は脳天気な感じだけど、抱えている苦悩は相当大きいに違いない。
でもその素振りを見せない所は流石、大物だ。
「だがミーも巨匠と呼ばれている男。ミーほどの画家が、己の弟子が腐り切っていく様をただ傍観していたのか? 答えはノーだ。ミーはヤツに挫折を味わって貰う事にした」
おお、ついにその大物の片鱗が明らかに――――
「ミーは考えたのだ。手紙でここまでお前の《絵ギルド》をコキ下ろすって事はだ、どうせ城の中でも日常的に酷評を垂れ流してるんだろうと」
……ん?
何故突然《絵ギルド》の話に?
「ならば、ヤツの師匠たるミーがその《絵ギルド》を模造してやればだ、ヤツの面目は丸潰れだろう? その上大金まで貰えて一石二鳥! 今頃、ヤツは顔を真っ赤にして抗議の手紙を書いてる頃だろうぜHAHAHA! ザマー! ザマー!」
腹を抱えてケタケタ笑うジャック=ジェラール氏の顔は、まさしく悪魔のそれだった。
な、なんて大人げない……いや、同情はしないけど。
要するに、ヤツの肩書きを『巨匠の弟子』から『自分が散々コキ下ろした作品のエロ同人を描いた巨匠の弟子』に書き換えたって訳か。
自分の評判だってガタ落ちするだろうに……なんてクレイジーな巨匠だ。
「そんなワケだから、ユーの《絵ギルド》には色々と世話になったのさ。サンキュー、ボーイ」
「感謝の気持ちは行動でお願いします。模造、止めてくれますよね?」
「ま、古典派が今以上に廃れてミーの絵が売れなくなったらまた世話になるだろうけどな、そうでない限りは控えておくぜ。その代わり、サインは頼むな」
「はあ……わかりましたよ」
これ以上エミリオちゃんに時間稼ぎさせるのも気の毒だし、さっさと済ませよう。
「本気描きで頼むぜボーイ。あの女冒険者の絵も付けてな。出来ればエロで」
「エロは描きませんから!」
そんなこんなで――――完成。
絵も添えた本気書きってヤツだ。
「はい! どうぞ!」
「GOOOOOOD」
巨匠は満足げに俺のサインを受け取り、ニヤリと微笑んだ。
老人ではあるけど肌艶が良いのは、普段から良いモノを食ってるからに違いない。
最後の最後で巨匠らしさを発見した俺は、心残りなく部屋から出て――――
「ところで、ユーの作品についてのミーの寸評は聞きたくないかね?」
――――行こうとしたところ、そんな不穏な言葉で引き留められてしまった。
古典派の巨匠が、《絵ギルド》をどう思っているか。
実のところ、興味がない訳じゃない。
どんな理由にせよ、同人誌を描いたくらいだから好意的なんじゃないかって期待もある。
でも、それだけに酷評された場合の精神的ダメージはバカに出来ない。
「いえ、結構です。恐いですから」
なので素直にそう答えた。
ただし、一つ意地を付け加えて。
「それに、《絵ギルド》は俺の生き様ですから。誰に何を思われようと気にしてられません」
そんな俺の返答に対し、巨匠はニンマリと口角を上げ、俺の肩をポンポンと叩いてくる。
露骨な品定めだったけど、不思議と不快感はない。
試されたというより、ハッパをかけられたような気がしたからだ。
「GOOOOOOOOOOOD。楽しみなボーイだ」
巨匠は新しい玩具を見つけた子供みたいな顔に、明日にでも死にそうな数の皺を刻み、そんな意味深な言葉を俺へ残した。
球体オブジェに囲まれた奇異な屋敷を出ると、門の前には二人分の人影があった。
エミリオちゃん、どうやら上手くパオロを引き留めてくれていたみたいだ。
これだけの時間、よく持ちこたえてくれたな。
一体どんな話術を使って……
「そのう、ええと……あなたはー、ミルクル神をー、信じますかー?」
話のネタが尽きて訳わからない事になっていた!
なんだミルクル神って。
牛乳に宿る神様なんているのか。
そこは聖母神とやらの名前を出そうよ、タゲテス教信者のエミリオちゃん。
「あ! ユーリ先生! こっちですこっち!」
今にも泣き出しそうなエミリオちゃんの手招きに従い近付こうとすると、パオロが少し疲れた顔で小さく息を吐き、向こうから俺の方に歩み寄って来た。
「君に一言言っておきたくて待っていた」
「……え?」
エミリオちゃんが足止めしたんじゃなく、彼の意思でここに残っていたのか。
もしかして、ジャンの事か……?
「今回の件、君の今後にも影響が出るかもしれない」
そんな俺の推察は、ゆっくり紙を破り捨てるような物言いによって否定された。
「先程ジェラール先生に言ったように、本件は幻想派の仕業だとする噂が多い。だが、中には古典派が君の作品の評判を下げる為に仕組んだ方策だったという意見もある」
「どういう事ですか……?」
「一部の地域とはいえ、君の作品は売れ過ぎている。しかも古典派の絵画とは対照的な、幻想派の絵に近い抽象画の色彩を帯びている。古典派にとって、君の作品が売れる事は歓迎し難いだろう。だから、『カメリア王国の発展に貢献して来た巨匠を惑わす悪書』というレッテルを貼る為に、巨匠に金を掴ませ淫らな模造品を描かせた……という見解だ」
そのパオロが述べた見解は、俺やルカが懸念した"悪書狩り"の延長線上にある展開だった。
とはいえ、俺達が想定してたのは、同人誌が出回った結果《絵ギルド》に悪影響が出てしまうというケース。
古典派が最初から悪意を持って、《絵ギルド》潰しに出ていたとなれば話は全く別だ。
例え今回の件がそこまで大事にならなかったとしても、また嫌がらせを受けかねない。
「どうやら、事の深刻さに気付いてはいるようだな」
パオロは黙りこくった俺を観察するような目で眺め、そして背を向けた。
「古典派の保守的な選民思想は、時として毒塗りの矢のような厄介さを見せる。気を付ける事だ」
「あ、ちょっと待って下さい! 話したい事が……」
慌てて呼び止めようとするも、身体の向きは変わらない。
ただ、返答はあった。
「総合ギルド〈ハイドランジア〉にとってジャンは必要戦力だ。奴にはこれからも総合ギルドの為に働いて貰う。君達と奴を会わせる予定は今のところ、ない」
こっちの目的は全て把握済み――――そう言わんばかりの。
どうやら、ジャンを取り戻すのは想像以上に難しい。
どいつもこいつも、俺には荷が重すぎる。
「……あのう、ユーリ先生」
「ゴメン、エミリオちゃん。折角足止めして貰ったのに」
「いえ。きっと何とかなります。ジャン様を取り戻す為、がんばりましょう」
俺はパオロの背中を見送りながら、そんなエミリオちゃんの前向きな言葉に何も答える事が出来なかった。
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