俺も床に座り、お互い同じ高さの目線で向き合う。
 そういや、二人きりで話をするなんて、何時以来だろう?
《絵ギルド》で一喜一憂していた頃とは随分と状況が変わっちまったな。

「ユーリにはこれからも《絵ギルド》みたいな作品をどんどん生み出して欲しかったし、僕もそれに協力したかった。《絵ギルド》を生み出す過程での試行錯誤や、売れるかどうかわからない時期のドキドキ感、ものすごい勢いで売れている時の爽快感……僕にとってはどれも忘れられない体験だったよ」

「随分大げさだな」

「何かを成し得たと思っても、実は虚像に過ぎなかった……僕の人生はその繰り返しだったからね」

 陽性亜獣を殲滅したと思いきや、陽性亜獣なんて最初からいなかった。
 第二の人生を切り開こうと新たな仕事を始めたら、見事に騙されていた。
 ……成程、確かにその通りだ。

「だから僕は、その証とも言える《絵ギルド》をもっと多くの人に見て貰いたい。でも古典派をこのままのさばらせれば、それは叶わなくなる。イヴには申し訳ないけど……今の僕には、亜獣の誤解を解くより、こっちの方が重要かもしれない」

 ジャンの言葉はぶっちゃけ、何か悪い事を企んでいる人間が騙す為に言いそうな、如何にもわざとらしい、臭いセリフだった。
 そこを回避しないのがジャンらしいというか……多分、本心なんだと思う。

 元いた世界で落ちぶれた時、俺は劣等感から世の中を斜に構えて見てしまうクセがついてしまった。
 何を見るにしろ、疑心暗鬼になってしまう。
 綺麗事に対してやたら厳しい目を向けてしまう。
 心に余裕がないからだ。

 今、俺はその呪縛から解放されている自分を自覚した。
 もしかしたら――――これが成長なのかもしれない。
 幻想かもしれないけど、今は素直に喜ぼう。
 素直に信じられる友人と出会った事を。

「ユーリ。ここにアルテ姫とメアリー姫がいるよね」

 意を決したように、ジャンがほぼ断定的にそう聞いてくる。
 気配を消して監視してたのか、誰か見張らせていたのか――――何にしても、しらばっくれる意味はなさそうだ。

「ああ。いるけど」

「出来れば、王都に戻るよう説得して欲しい。ベンヴェヌートの狙いの一つは、彼女達に恥をかかせる事だ」

 亜獣に襲われている街に逗留しながら、何も出来なかった無力な王族――――そう仕向けるって訳か。
 それはメアリー姫やリエルさんも重々承知しているだろう。

「猶予は余りない。イヴの話では、君は二人と親しいようだし、適任だと思う。頼むよ、ユーリ」

「嫌だ」

「よかった、ユーリならそう言うと……ん? あれ?」

 最初から俺が断わらないと決めつけていたらしく、ジャンは軽く混乱していた。

「え、えっと……嫌、なの? 割と重要局面だよ?」

「だからこそ、お断りだ。そもそも、お前らだけで古典派の連中をどうにか出来るのならとっくにやってるだろ? 全員で力を合わせないとな」

「それってつまり、僕達と二人の王女が協力体制を築くべき……そう言いたいの?」

「ああ」

 俺は短い言葉で、力強く断言した。

 ジャン達もメアリー姫も、目指す方向は同じなんだよ。
 古典派の暴走を食い止め、亜獣から国民を守る。
 でもジャン達は『亜獣は人間を襲わない』というスタンスで、メアリー姫は『亜獣は人間を襲う可能性が高い』というスタンスで動いている。
 もっと言えば、イヴさんは亜獣に対して好意的なスタンスであり、メアリー姫は否定的なスタンス。
 そこが大きく食い違っている。

「理想を言えばそうなるけど……難しいと思うよ。特にメアリー殿下はイヴをかなり嫌ってるし」

「その理由は誤解なんじゃないのか?」

「そうだけど……あれ? その件まで君に話したっけ?」

「普通に考えればわかるだろ」

 イヴさんは国王に対し、亜獣の絵を献上し続けている。
 そしてそれが、メアリー姫がイヴさんを嫌っている最大の理由だ。

 でも昨日の話を聞く限りでは、イヴさんは国王を"亜獣漬け"にするのが本意じゃなさそうだ。
 なら何が目的なのかと考えた場合――――

「国王の誤解を解こうとしてるんだろ?」

 それ以外は考えられない。
 亜獣は危険な生き物じゃないと、そう国王に認識して貰おうとして、亜獣の絵を描き続けているんだ。
 イラストレーターだからこそ、その感覚がわかる。

 例えば悪魔やモンスター。
 本来なら怖い筈の存在が、イラストとして普遍的に存在するようになった事で、いつの間にか"カッコいい"とか"勇ましい"とか"美しい"と認識されるようになった。
 何度も絵に描かれた被写体は、身近な印象を持ちやすくなる。
 それは描く方も見る方も同じだ。

 国王は変なモノが好きな人だという。
 なら、亜獣を変なモノ、歪な存在だと考えている筈。
 イヴさんはその誤解を解きたかった。

『亜獣は決して危険な生き物じゃない。他の動物と同じ生き物』

 彼女のその言葉が、俺がそう推察する最大の根拠だ。

「……驚いたね。彼女の事を説明なしにそこまで理解した人間は、君が初めてなんじゃないかな」

 どうやら正解だったらしい。
 ジャンは感心した――――というより呆れた様子で自分の膝を軽くペチッと叩いていた。

「でも、例えそれが真実であっても、メアリー殿下の誤解を解くのは容易じゃないよ。彼女は陽性亜獣の提唱者だ。ゴットフリート様に利用された可能性が高いとはいえ、ね」

「……お前はメアリー姫をどんな人間だと思ってるんだ?」

「少なくとも、相容れるのは難しい立場の人だと思ってるよ。ユーリもそうなんじゃないの?」

 唐突に同意を求められた俺は、思わず顔をしかめた。
 一体何の根拠があって……?

「ユーリは本当に、彼女達を信用しているの?」

 ジャンの目は真剣だ。
 それなら真面目に答えなくちゃならない。

 俺は、お姫様二人とリエルさんを信じているのか?
 本当に、あの人達を信用しているのか?

《絵ギルド》の価値が下がるのを承知して、古典派の巨匠に金を握らせて《絵ギルド》を模倣させ、古典派を失墜させようとした黒幕である可能性は?
 陽性亜獣の存在をでっちあげたゴットフリート殿下と、裏では結託している可能性は?

 ……現時点での答えは"わからない"。
 こんな事、本人達に聞く訳にもいかない。
 幾ら俺が無礼でも、余りにも礼を失した質問だ。

 信用ってのは、過去の実績やその人となりに対しての評価だ。
 そういう意味では、俺は彼女達を知らな過ぎる。
 そんな関係性で信用なんて言葉を使うのは、ちょっと違う気がする。

 あるとすれば、信じたいという願望だ。
 彼女達と接してきた、それほど多くはない機会の中で、そう思うだけの理由に心当たりはある。

 けどそれは、正しい感情なんだろうか。
 王族や騎士っていう、自分とは全く住む世界が違う彼女達に、そこまで気持ちを入れているんだろうか?
 それこそ、絵の中の登場人物に感情移入するのと同じで、現実とは一線を画した思いを抱いているんじゃないか……?

 俺は、『王族や騎士と親しくしている自分』『頼られている自分』に酔ってるだけなんじゃないか?

「……バカバカしい」

 敢えて、過去の自分をなぞって一通り自分を疑ってみた。
 出た答えは言葉の通り。
 ジャンの問いかけに全く心当たりがない訳じゃないけど、俺は彼女達を信じたい。
 彼女達の力になりたいんだよ。
 頭も良くない、人間としての力も足りない俺に、彼女達はよくしてくれたんだから。

「僕の誤解だったのかな」

 ジャンは俺の言葉より先に、表情で答えを悟っていた。
 でも、そこで終わらす訳にはいかない。

「誤解なのは俺に対してだけじゃなくて、お姫様達についてもそうなんじゃないのか?」

 ジャンはアルテ姫やメアリー姫と殆ど面識はない筈だ。
 なら、彼女達の事は表面上しか知らないだろう。

 俺は知ってる。
 メアリー姫が、聡明で優しく茶目っ気のある人物だと。
 あの人はきっと――――

「とっくに気付いてると思うぞ。イヴさんの狙いにも、亜獣が危険な生き物じゃないって事にも」

「え……?」

 驚くジャンとは裏腹に、俺はそう確信していた。

 だってそうだろ?
 亜獣が危険な生き物だと本気で思ってたら、経過観察なんて呑気な事は言ってられないだろう。
 亜獣は先に手出しさえしなきゃ安全、そういう目算があって初めて成り立つ作戦だ。

 イヴさんについても同じだ。
 本気でイヴさんを諸悪の根源だと思ってるのなら、王族の権限で彼女を追放してるだろう。
 幾ら国王お気に入りの宮廷絵師でも、その国王が正気を失っている今なら、どうにでも出来る筈。

 それに気付けないのは、メアリー姫への先入観がジャンの中にあるからだ。

「……得心がいった、って言うんだっけ? こういう時」

「その日本語堪能アピールいい加減止めろ」

「はは。でも、君の言う通りかもしれない。僕には王族への偏見があった。っていうのも……」

「ストップ。お前の過去話はもういい。それより、お前に見て欲しい絵がある」

 俺の制止にジャンは一瞬不満顔になりながらも、さっき仕上げたばかりの絵を差し出すと直ぐに受け取った。

「完成したばかりの絵だね。こっちからは何を描いていたのか見えなかったけど……どれどれ」

 そしてその絵を目にした瞬間――――ジャンは表情を変え、俺の方に強張った顔を向けた。

「こ、これは! まさか……あの時の!?」

「だーっ! 声が大きい!」

「あ……いや、でも! この絵はスゴい! スゴいよユーリ!」

 人差し指を唇に当てて『シーッ』のジェスチャーをした俺に一旦自重を試みるも、ジャンは結局興奮を抑えきれず騒ぎ出した。
 描いた方としては嬉しいリアクションだけど……

「騒がしい……一体何……呪……呪……」

 案の定、ルカが奥の方から目を擦りつつ現れた。

「……ジャン?」

「あ」

 当然、ジャンと目が合う。
 いともあっさりと、ルカに見つかってしまった。
 今まで何の為に隠密活動をしてきたのやら……

「その……ルカ、久し振り。元気だった?」

「……」

 俺としては、このマヌケに対しルカがどんな反応を示すのか興味津々だったが――――彼女は無言のまま暫くフリーズした後、これまで見た事ない険しい顔で両手をポキポキと鳴らし始めた。

「あ、あれ? もしかして……怒ってる?」

「この後に及んで……そんなトンチンカンな発言……確かにジャンが帰ってきたと実感する……懐……壊……」

 そういえば、元いた世界では"懐かしい"と"壊す"って字、似てたっけ。
 と、そんな事を思いつつ、俺は今にも暴れ出しそうなルカと顔を引きつらせ後退るジャンの間に立つ。
 そして――――

「ユーリ、気持ちはありがたいけど、これは僕とルカの……」

 何か言ってるジャンに背を向けたまま、俺はルカの利き手にイヴさんから貰ったバンテージ代わりの包帯をしっかりと巻いてやった。

「印刷業に支障が出るのは困る。くれぐれも自分の骨は折らないように」

「ええ……感謝……感謝……」

「あ、やっぱりこうなるんだ」

 すっかり観念し脱力したジャンが、俺よりも数段鋭い拳の餌食となり宙を舞ったのは、その一秒後の事だった。


 ともあれ――――幼馴染み同士の久々の再会は、流血沙汰となった。









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