その絵は、実体験に基づいて描いた物だった。
 描かれているのは、エミリオちゃん、レナちゃん、俺、そしてフクロウ型亜獣の親子。

 そう。
 俺が描いたのは、一回目の亜獣騒動の時のラストシーンだった。

「これは……エミリオ最後の栄光……」

「ひああ! 最後じゃないですよう! これからですよう!」

 一夜明け――――ランタナ印刷工房の居間には、アルテ姫から許して貰い復活したエミリオちゃんを含む全員が集結していた。
 そのエミリオちゃん、絵の中では子供のフクロウ亜獣を掲げるかなりおいしい役。
 レナちゃんと俺は親亜獣とエミリオちゃん&子供亜獣の間に二人で並んでいる。

「でも……エミリオの服装と髪型……少し違うようだけど……」

「あんまり個人を特定する描写もどうかと思って」

 当然、エミリオちゃん以外の人物にも同じ細工がしてある。
 ぶっちゃけ、自分を描いたと思われたくないってのも理由の一つだ。

「ね、ねえユーリ。この大きくて丸っこい鳥みたいなの……もしかして有翼種亜獣なの?」

 元々大きめの目を更に大きく爛々とさせ問いかけてくるのは、アルテ姫。
 彼女が驚いている理由は、亜獣の描写にあるようだ。

「そうですよ。《絵ギルド》で子供の亜獣を描きましたけど、その時とは絵柄を変えました」

「変えたっていうか……変え過ぎよ! な、なんなのよこの愛らしさは!? うはーっ! かわいー!」

 アルテ姫は奇声を発しながら、絵の中の亜獣に頬ずりしていた。

 今回の絵は、人間だけじゃなく亜獣も思いっきりデフォルメしている。
 本来、表情がない筈のフクロウ亜獣に表情を加えるなど、一種の擬人化とも言える手法だ。
 ま……動物やモンスターや妖怪なんかのデフォルメは、元いた世界では何百年も前から行われていたし、そういう意味では《絵ギルド》の延長線上にあるやり口なんだけど。

 誇らしげな顔で子供亜獣を掲げているエミリオちゃん。
 驚いた顔でその様子を眺めている俺と、楽しそうに笑うレナちゃん。
 親亜獣を見つけ、こちらも純粋に歓喜の表情で微笑む子供亜獣。
 建物の上で涙を流し、子供亜獣との再会を喜ぶ親亜獣。

 その絵を、コミカルになり過ぎないよう、でも万人に親しまれるような絵柄で描いてみた。
 一方で、風景は下手なりに丁寧に丁寧に描いている。
 リアル描写とデフォルメ描写のコントラストを狙っての事だ。

「風景はあくまでも引き立て役。中央の三人と二体、五つの感情を浮き上がらせる為、敢えて写実的な風景にしたのですわね」

「ええ。写実派のメアリー姫にとっては面白くない表現かもしれませんけど」

「そうですわね。幻想派の絵を支援する脇役のようで、余り愉快ではありませんわ。けれど……」

 素直にそう述懐しつつも、メアリー姫の表情は穏やかだ。
 クーデター疑惑や亜獣対策で参っていた彼女のこんな顔は久々に見た気がする。

「このような写実描写の活かし方は、写実派に身を置く人間には中々思いつきませんわ。何より、写実描写と幻想描写の二つの融合させるという発想……やはりわたくしの目に狂いはありませんでしたわね」

「僭越ですがメアリー殿下、二つではないのではないかと」

 アルテ姫と並んでメアリー姫とは反対側から絵を覗いてたリエルさんが、遠慮しながら指摘。

「この明瞭な対比、そして流動性を持たない調和を重視した構図。古典派の絵に通じる所があります」

「言われてみれば……ユーリ、そうですの?」

 俺は少し照れつつ、二人に首肯してみせた。

 デフォルメ絵には元々幻想派の要素がある為、この絵には三つの様式の要素を全て取り入れた事になる。
 それぞれが国を三分するほどの派閥を持ち、各々の特徴を誇示する事で存在意義を主張しているこの国において、スタンダードな手法とは到底言えないだろう。
 でも俺には、自分の絵がどの派閥に属しているとか、どんな様式の絵を描きたいとか、そういう意識は一切ない。
 だから自由に取り入れていいんだ。

 本来、俺は自分のイラストにメッセージ性を込める事はない。
 仕事で描くイラストは、物語やキャラクターの設定に忠実に描くし、プライベートで描くイラストは自分の気の向くまま自由に描く。
 でも今回描いたこの絵には、三つのメッセージを込めた。
 そして、それぞれのメッセージが伝わりやすいよう、創意工夫をした。
 今までの俺にはなかった引き出しだ。

 でも、その事に充実感を覚えている暇はない。
 この絵を描いたのは自己満足の為じゃないからな。

「それにしてもリエルさん、よく気付きましたね。やっぱり、かつて画家を目指していた人は目の付け所が違いますね」

「え……?」

 何気ない俺のその言葉に、両殿下がやたら目を尖らせ食いつく。

「リエル、今の話って本当? 画家を目指してた事あるの?」
「どういう事ですの、リエル。わたくし、一度も聞いた事がなくてよ?」

「あ、え、えっと、その……はい。ほんの一時期だけ」

 意外な事に、リエルさんはこの件を王女達に話してなかったらしい。
 この二人に話してない事を、俺に話したのか。
 な、なんかそれって、ものすごく意味深というか――――

「……ユーリ。顔がにやけてる。嫌らしい」

「痛! 痛てて!」

 いつの間にか俺の傍に来ていたアルテ姫に頬を思いっきりつねられた。

「まさか、わたくしにも話していない事を……二人がそんな関係だったなんて……ショックですわ」

「ち、違いますよ! そんなつもりで話したんじゃなくて、その……!」

 ああっ、そんな強く否定しないでリエルさん!
 この件だけで俺、もう色々と悔いのない人生送れそうなのに!

「ま、いいですわ。この事はあとでゆっくり尋問するとして……ユーリ。この絵を〈カメリア国王杯〉に応募するという事でよろしいですのね?」

「はい。でも、預けるのはちょっと待って下さい」

「……は?」

 俺の即答に、メアリー姫は拍子抜けしたようにカクンと身体を傾ける。

「この絵には別の用途があるんで、先にそっちに使います。応募はその後で」

「別の用途……?」

「ええ。大事な用途です」

 今は朝方。
 上空にはやはりあのフクロウ亜獣が二体、飛び交っている。

 ジャンの話が本当なら、古典派に隠された子供亜獣を探しているんだろう。
 俺はその様子を印刷所の窓から身を乗り出して眺め――――ルカの方へ向き直った。

「この絵を大量印刷してくれ。費用は総合ギルドへの寄付金用に溜め込んだ金から出す」

「それは構わないけど……《絵ギルド》の印刷と並行して印刷しろと……?」

「いや、こっちを優先で。《絵ギルド》の増刷は一旦停止してくれ」

 現在、サイン会を実施した影響もあってか、また《絵ギルド》の注文が増えている。
 それを止めてまでこの絵を一気に刷り上げて欲しい理由を――――

「この絵を印刷した紙を、今日の午後よりウィステリア中に無料で配布する!」

 俺は高らかに宣言した。

 


 無料特典の配布。
 それはサイン会と並び、元いた世界におけるプロモーション活動の一つとして、特に新作をリリースした際によく行われている。

 例えばマンガやラノベの新刊発売において、ポストカードや小冊子を特典として付ける――――など。
 他にも、ピクシブやSNSで宣伝用のイラストを公開するケースもある。
 イラストレーターは、その手のプロモーションに協力する機会が比較的多い。

 ちなみに原稿料は、発生する場合、しない場合の両方ある。
 自分の関わった作品のピーアールなんだから無料でも文句はないし、仕事の一環だから報酬が発生して然るべしとも言えるし、どっちが正しいとは一概に言えない。

 まあそれはともかく……俺の描いた前回の亜獣騒動のラストシーン。
 これを無料配布すると決めたのは、元いた世界での経験が少なからず影響している。
 ただし配布の目的は俺の宣伝じゃない。

「亜獣パニックを防ぐ為……ですの?」

「え、えっと、姫よくわかんないんだけど……」

 ルカとルカ父、そしてお手伝いのエミリオちゃんが作業室で印刷を進めている中、俺は両王女にその説明をしていた。

「古典派の連中は、市民の恐怖感を最大限に引き上げ、パニックになったところで自分達が救いの手を差し伸べる事で、より大きな支持を得ようとしています。ならパニックを未然に防げばいい」

「確かに、わたくしもそう睨んではいますけれど……この絵とパニック防止がどう結びつきますの?」

「亜獣は怖くない、それどころか意外と可愛いんじゃないか――――そう思って貰うんですよ。ウィステリア市民に」

 俺がそう告げた瞬間、メアリー姫は露骨に顔をしかめる。
 亜獣を憎んでいる彼女にとっては、刺激の強い発言だっただろう。
 でも、幾ら彼女が王女であろうと、今はそのご機嫌取りをする訳にはいかない。

「もしや……"あの女"に何か唆されましたの? ユーリ」

「あの女がイヴ=マグリットの事を指すのなら、その通りです。先日、彼女とパオロ=シュナーベル、そしてジャンの三人に会いました」

「ひああ! ユーリ先生! ジャン様とお会いになられたんですか!?」

 作業室にいる筈のエミリオちゃんがいち早く反応。
 作業室は居間の隣の部屋だから、こっそり聞き耳を立ててたのか……流石は腹黒エミリオちゃん。

「ジャンなら……昨日ここに来ていた……そしてあたしに殴打されて……入院中……」

「どどどど、どうしてそんな事に!?」

「こっちは本気で身を案じていたのに……いざ再会したらあのすまし顔……イラッと来るのも仕方ない……」

「そんな問題じゃないですよう! 幼馴染みが暴力的なのはいけません!」

 よくわからんけど、壁越しに聞こえてくる声を聞く限り、幼馴染みは暴力的じゃダメらしい。
 それはともかく、ルカの言うようにジャンは思いっきり脳を揺さぶられ意識が朦朧としてたんで、最寄りの施療院で一晩様子を見る事になった。

「万が一死んだら、死因は幼馴染みの鉄拳か」

 実にジャンらしい最期と言える。

「生憎、そんな死因は嫌だから戻って来たよ」

 俺の独り言に返ってきたその返事は、他ならぬジャンのものだった。
 いつの間にか窓から顔を覗かせている。

 その様子を見たアルテ姫がビクビクしながら俺に近付いて来た。

「……ユーリ、あの変な形の顔した奴、誰?」

「面識あった筈ですけど……ジャンですよ、あれ」

「え? あれが?」

 まあ、左目が腫れ上がって完全に別人だから無理もない。

「で、身体は大丈夫なんだな?」

「一応……ルカのパンチ、ちょっとシャレにならないよね……ユーリも気を付けた方がいいよ」

「あんな本気で殴るのはお前だからだろ。アホか」

「?」

 ジャンは俺の発言を理解していないようだった。
 なんつーか……恋愛マンガの主人公みたいな奴だな。

「ジャン=ファブリアーノ。久し振りですわね。陽性亜獣殲滅の功績を称えた銀剣勲章の授与式以来かしら」

「ええ。こんな顔で失礼します、メアリー殿下」

 ツカツカと窓の方へ歩み寄ったメアリー姫の目は、何処か冷ややかだった。










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