「それでユーリ。あの女やこの方に、どんな事を言い含められましたの?」
「要約すれば『亜獣は安全な生き物だからメアリー姫の主張はおっぺけぺーだぜ』みたいな感じです」
「いや……そこまでは言ってないから。これ以上僕を危険に晒さないでよ」
割と余裕のない顔で、ジャンは顔の前に上げた右手をパタパタと左右に振っていた。
だけど直ぐに真顔になり、窓越しに自分を睨んでいるメアリー姫と向き合う。
「メアリー殿下。貴女の意見、思想は最大限尊重しますが、その上で申し上げたいのです」
「……一応、聞く耳はありましてよ」
視線は相変わらず冷えているものの、メアリー姫はジャンに発言の続きを許可した。
こういうトコ、器が大きいよな、この人。
「ありがとうございます。私は過去、亜獣に故郷を滅ぼされた経験があり、その復讐を誓い冒険者ギルド〈ハイドランジア〉で亜獣討伐を遂行しました」
「ええ。貴方の経歴は一通り把握していますわ。だからこそ、わたくしは貴方に期待していましたのよ。これからも亜獣被害を最少に食い止める働きをしてくれると。それなのに……」
陽性亜獣など元より存在しない。
亜獣は決して危険な生き物じゃない。
ジャンはそう主張するイヴさんの方についた。
そういえば、その根拠は聞いてなかったな。
元々、四英雄として共に戦った仲間だからか?
それとも、何か別の理由があるのか――――
「御期待に応えられず申し訳ありません。ですが、殿下が陽性亜獣と呼んでいるその亜獣と直接戦った私達だけが感知出来る事もあるのです。彼らに、能動的な攻撃性はありませんでした」
「……!」
その答えは、自分自身の感覚。
客観的、包括的判断とは言い難い上、『貴女にはわからないでしょうね』ってニュアンスも含まれている発言とあって、メアリー姫は今にも窓の外にいるジャンに食ってかかりそうなほど激高した。
でもそれは一瞬の事で、直ぐに表情を戻す。
まだ若いのに、自分をここまで制御出来るのはスゴいと、思わず場違いな感想を抱いてしまう。
「すいません。ただ、イヴも、パオロも、恐らくは……ゴットフリート殿下も、それを感じていたと思います」
「ゴットはそのような事、一度も申しておりませんわよ?」
「……」
ジャンが押し黙った理由を、恐らくは発言したメアリー姫もわかっていたんだろう。
ゴットフリートの立場上、一度広めた陽性亜獣の存在を敢えて取り消すメリットはないと。
ジャンが言っていたように、『攻撃的な亜獣は絶滅したからもう大丈夫だ』と国民に安心を抱かせる必要悪として、敢えて広めた可能性もある。
それがわからない彼女じゃない。
とはいえ、イライラは確実に積み重なっている。
幾らメアリー姫が寛容でも、流石にそろそろ限界かもしれない。
自分が信じて来た憎しみが、それを原動力にしてきた人生が否定されれば、誰だって苛立つ。
俺がストップをかけようと、二人の間に歩みよったその時――――
「……イヴについても、殿下は誤解しています。彼女は――――」
「お黙りなさいっ!」
ジャンのバカ野郎が地雷を踏んだ。
相変わらず、気が利きそうで天然系だなお前は!
「もう聞く耳はありませんわ。その膨れた顔を治しに施療院へ戻りなさい」
「お姉様……」
「そんな顔をしないの、アルテ。わたくしは冷静ですわ」
多分、あんまり姉の本気で怒った顔を見た事がないんだろう。
アルテ姫が今にも泣き出しそうな顔でメアリー姫に寄り添っている。
俺はそんな胸が痛くなるような光景から目を逸らし、その原因を全力で睨み付けた。
「ジャン。お前な……」
「ゴメン、先走り過ぎた。僕はいつもこうなんだよね……冷静に淡々と、を心掛けてるんだけど肝心な時はいつもこうだ。そうさ、僕はいつもこうなんだ。どんな役割を担っても最後には躓くんだ! 全部僕の力不足さ! 落ちぶれたのも自業自得なんだ!」
こっちはこっちで久々に錯乱かよ!
マズいな……雰囲気が悪すぎる。
これから古典派に対抗する為に一丸とならにゃいけないってのに。
場の空気を変えてくれそうな人はここにはいない。
ルカとルカ父は仕事に没頭してるし、壁越しに話を聞いているであろうエミリオちゃんは崩壊したジャンの声にアワアワしてそうだし。
せめてリエルさんがいれば上手くフォローしてくれるんだろうけど、彼女は今、ベンヴェヌートの動向を探る為に変装してルピナスの街を奔走中だ。
となると、俺がなんとかするしかない。
基本、こういうトラブルとは極力関わらない人生を送ってきた。
一人でいる事が殆どだったし、出来る限り感情の荒立つ場所には近寄らないようにしていた。
例えば両親のケンカ。
仲裁なんて一切しないで、部屋に引き籠もって台風が過ぎるのを待っていた。
でも、今はそれじゃダメだ。
ここにいる連中はみんな、俺にとって大事な人達だ。
その仲裁を他人任せにしちゃいけない。
「メアリー姫、よかったらもう一度、俺の描いた絵を見てくれませんか?」
そして、俺にとって唯一の武器は絵。
さっきまでみんなで眺めていたラストシーンの絵を、メアリー姫に手渡す。
「これを……?」
「ええ。朝方に貴女とリエルさんが指摘したように、この絵には古典派、写実派、幻想派の三つの様式が含まれています。どうしてそんな事したか、わかりますか?」
メアリー姫は答えない。
聡明な彼女は、単なる技法としてのミックスじゃないと感づいているみたいだ。
「一応、俺なりにメッセージを込めたんですよ。どれだけ異なる様式でも、こうやって一つの絵に閉じ込められる。メアリー姫とジャン達にも同じ事が言えるんじゃないですか?」
「それは……」
どっちも亜獣から市民を守りたいって思いは同じ。
だったら、自分の意見を強引に曲げなくても協力し合えるんじゃないの――――と。
ありふれた陳腐なメッセージかもしれないけど、今のこの状況では絶対に必要な事だ。
そう思ったからこそ、俺は三つあるメッセージの一つとして、それをこの絵に込めていた。
「……そうですわね。わたくしの思想や感情がどうあれ、今はこの絵のように、一つの目的に向かって調和させる事が必要不可欠ですわ。そうでなければ、古典派の暴走を食い止める事は出来ませんわね」
よかった、正しく届いたみたいだ。
それにしても、本当に柔軟な王女様だ。
仮に俺みたいな性格の人間が権力を得たら、絶対こうは出来ない。
もし国王が国民総選挙で決まるなら、絶対この人に一票だな。
「ジャン。貴方とわたくしの意見の相違はともかく、今は――――」
「僕はまたもまたもやってしまったんだ僕は僕はなんて愚かしくも小賢しいクズ野郎なんだ! 僕はもうこの国の疫病神だ! いや死神だ! 全世界から忌み嫌われるべき悪魔だ! もおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」
……肝心のジャンが壊れたままだったか。
「小一時間ほど放置してれば回復すると思うんで、しばらくお待ち下さい」
「そ、そうなの。思っていた人物像と少々違いますわね、彼」
「姫、あいつ怖い……」
二人の王女がドン引きした一時間後――――
「お見苦しいところを……」
どうにかジャンがこっち側に戻って来た。
「人間、弱い所は誰しもありますわ。気にならさない事ですわね」
「姫は気にした方がいいと思うけど……子供が見たら泣くんじゃないの? あれ」
王女二人の意見は割れたものの、場の雰囲気は大分マシになった。
取り敢えず良しとしておこう。
「各々思う事はあるだろうけど、今は取り敢えず棚上げしてさ。この街と国から不安の種を取り除こう」
半ば強引にまとめた俺に、ジャンが珍しく半眼で睨んでくる。
「一応、この件は口外しないよう頼んでいた筈だけど……」
「悪いなジャン。お前は仲間だし友達だけど、ここにいる全員が俺にとって仲間なんだ。情報は共有しないとな」
「ユーリ……今のちょっとカッコよかったわ! 良い事言うじゃない!」
意外にも、俺の何気ない一言がアルテ姫の好感度を上げたらしい。
今みたいな発言が女子に受けるんだろうか?
となると、リエルさんがこの場にいなかったのが悔やまれる。
「ユーリ、成長したね。この世界……この国に来た頃の君がそんな事を言うようになるなんて、想像もしなかったよ」
「あの頃は心が荒んでたし、余裕もなかったしな……」
……と、昔を懐かしがってる暇はない。
「印刷……一通り終わったけど……」
「つ、疲れましたあ……ひああ……」
「午前中だけで五〇〇〇枚はキっツイな…死ぬかと思ったぜ…」
幸い、印刷係の三人が頑張ってくれたおかげで、配布用の印刷イラストは揃った。
これを各家庭に配り歩いて、市民の亜獣への先入観、イメージを和らげる。
亜獣をゆるキャラっぽい可愛い絵柄にしたのもその為だ。
そしてこれが、二つ目のメッセージ。
亜獣は可愛い生き物だから、怖がらないで――――そんなメッセージだ。
その信憑性はともかく、まずは混乱を避けなくちゃ古典派の思惑通りに事が進んじまうからな。
「ただ今戻りました」
印刷したばかりの大量の絵を小分けして机に並べていると、変装したリエルさんが戻って来た。
ちなみに、変装の為の化粧を担当したのはアルテ姫。
白粉が顔全体に厚く塗られていて、髪もワシャワシャと乱している為に清潔感がなく、リエルさんの清楚な面影がまるでない。
っていうか、ちょっと怖い。
「古典派はまだ目立った動きはしていませんが、市民の不安はかなり募っています。酒場や飲食店で暴れる人も出てるみたいで……」
「頃合いですね。それじゃ、さっそく配り歩きに行ってきます」
実際にこの絵に何処までの効果があるかはわからないけど、やるだけはやってみよう。
そう思い、机に積んでいた印刷絵を一束取ろうと手を伸ばすと――――俺より先に、アルテ姫がその束を掴んだ。
「アルテ姫……?」
そしてニヤッと微笑み、それをメアリー姫に手渡す。
「お姉様、駄々を捏ねた罰よ。配り歩くお手伝いをしましょう」
「……仕方ありませんわね。アルテ、貴女は街の南部を。わたくしは北部を担当しますわ」
「ちょっ! 幾らなんでも王女様に配送なんてさせませんって!」
予想外の行動に出た王族を止めようとするも、二人は同じような笑顔を覗かせ――――
「仲間なんだから、協力するのは当然なんでしょ?」
「当然ですわね。それに、これは時間との勝負。ユーリ一人に任せてはいられませんわ」
そんな困った意地を張られてしまった。
「いや、行商人とか足のある人達にも頼むつもりですから……」
「それなら、その人達には比較的遠方の区域を回って貰うべきですわね。その方が合理的ですわよ」
メアリー姫が冷静に無茶な提案をしてくる。
俺はどうにかして欲しいという思いでリエルさんに視線を向けるが、彼女は既に諦めた様子で苦笑い。
「お二人とも、こういう所は似ていらっしゃって……」
「な、なんか慣れてません?」
「折れる時に折れないと、お二人の従者は務まりませんから」
その顔を直ぐにキリッと引き締め、両殿下と向き合う。
「ただし、お二人が配布するのは治安の良い南部限定です。当然、私もついて行きます。変装は念入りにして下さい」
「仕方ありませんわね。妥協しますわ」
「はーい」
見事な操縦術――――と言っていいものか。
ともあれ、俺は自分の作戦を若干後悔しつつ、絵を配る人員と担当区域を表にしたためた。
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