《絵ギルド》の作者が新作の一枚絵を無料配布――――
 そのニュースは瞬く間にルピナスの街中から郊外、そして隣町まで響きわたった……らしい。
 特に、一度目の亜獣騒動があった民家周辺の住民の中には、あの場面を直接見たという人達も結構いたみたいで、大反響となっていた。

「今日の分の五〇〇〇枚、あっという間に配り終わりました! ユーリ先生の最新作が無料で手に入るなんて贅沢だから、皆さん大喜びです!」

 そう声高にランタナ印刷工房の居間で叫んだのは、行商人のクレイン少年。
 彼のツテを最大限利用し、とにかく広範囲で今回の絵をバラ撒いて貰った。
《絵ギルド》じゃない上に販売ですらない為、《絵ギルド》販売の妨害をしていた連中も止めていいかどうかわからず戸惑っていたようだ。

「助かるよ、クレイン君。身内だけで街の外まで配り歩くのは無理だからさ」

「とんでもないです! ボクもユーリ先生の身内みたいなものですから!」

 身内……かどうかはともかく、彼は信頼出来る行商人。
 そういう人物が身近にいるのは大きなプラス材料だ。

「うーいギッチョン……うーいギッチョン……」

「ひああ、そーれっ! ひあああ、そーれっ!」

「ウォォォォォラァァァァァアアアアアアアアアア…! ドゥォォォォォルァァァァァアアアアアアアアアア…!」

 隣の作業室では、フル稼働で三人が印刷を進めている。
 掛け声の仰々しさの割に、ルカ父のペースが他の二人よりかなり遅いのが気になるけど……まあいい。

「それで、肝心の成果はどう? 上手くいってる?」

「それは――――」

「予想以上の成果が出ていますよ」

 居間の扉を開け、リエルさんが笑顔で帰宅。
 王女二人もその後ろから充実感を携え入ってくる。

 ……それにしても、この光景はやっぱり不自然だ。
 俺も暇を見つけては配りに行って、サイン書いたりもしてるけど、それは作者として当然の事。
 幾ら緊急事態とはいえ、王族や騎士に化粧で変装までさせて自分の絵を配って貰うのは気が引ける。

「特に子供達への影響が大きいみたいで、子供が『あのお空を飛んでるの、この絵の動物さんだよね!』と亜獣を嬉しそうに指差している家庭が増えているようです」

「それによって各家庭の不安や焦燥が軽減しているのは事実ですわ。亜獣が子供に好まれるのは少々不本意ですけれども」

 メアリー姫が化粧を落としながらそうボヤく隣で、アルテ姫は俺の絵が印刷された紙を胸に抱きニコニコしていた。

「仕方ないじゃない。だってこの亜獣の絵、かわいー過ぎなんだもの。ユーリの絵はどれも好きだけど、今回のが一番ね!」

「アルテ……裏切りましたわね」

「かわいーは正義よ、お姉様」

 万人受けを想定して描いた身としては、子供だけじゃなくアルテ姫にも受け入れられているのは好材料。
 ……アルテ姫の感性が子供並じゃないと信じたい。

「ともあれ、今の様子だと亜獣パニックは防げそうですわ。そうなってくると……」

「古典派の動きがどうなるか、ですか」

「ええ。パニックは諦め、亜獣の子供を使い街を襲わせる――――という最悪のシナリオは回避したいところですわね」

 確かにその懸念はある。
 でも、俺はその可能性は低いと推察していた。

 あのベンヴェヌートは極度のナルシスト。
 自分に対する絶対的な自信がある筈だ。
 そんな人間が、俺みたいな何の肩書きもない絵書きに計画を邪魔されて、柔軟な対応をするとは思えない。

「古典派の動きはジャン達が監視してます。何かしでかす予兆があればこっちにも報せが来るでしょうから、今は待ちましょう」

「そうですわね。多少の歯痒さはありますけれども……」

 大げさに溜息を吐きながらも、化粧を落とし終えたメアリー姫は居間にゴロンと転がり、そのまま寝入ってしまった。
 無理もない、ここ数日相当歩き回ってるからな。
 もしかしたら、色んな心配事に押し潰されない為に、敢えて肉体労働に身を置いてるのかもしれない。

「ね、ね、ユーリ。時間があるのなら姫にあの絵を教えなさいよ。あのかわいー有翼種亜獣」

 片やアルテ姫はピンピンしている。
 王都からこのルピナスまで一人で旅してきただけあって、体力は俺よりありそうだ。

「ユーリの絵でお父様が復活した後に見せたいのよ。いいでしょ?」

「人の新作をいきなり盗もうとは、いい度胸してますね」

「いいじゃない、ケチ臭い事言わないの。ね?」

「……ったく」

 妙に熱心な弟子を持ってしまったのが運のツキ。
 俺は苦笑するリエルさんに肩を竦めてみせながらも、余った紙がないか探す事にした。

 


 その二日後――――ランタナ印刷工房に、俺宛の呼び出し状が届いた。
 差出人はベンヴェヌート本人。
 いつでもいいから、市庁舎に来いとの事。
 それが何を意味するのかは想像に難くない。

「どうやら痺れを切らしたみたいだね」

 こっちの様子を見に来ていたジャンの言葉に、俺は小さく頷く。
 目論見通りだ。
 わざわざ市庁に呼び出したって事は、俺への活動停止処分、ランタナ印刷工房への営業停止処分……その手の脅迫をしてくるかもしれない。
 でも、その可能性は既にルカにも話してあるから、彼女も今更動揺はしない。

「いや……営業停止は……いやーっ!」

 あ、動揺してた。
 いざこんな呼び出しを食らってみると現実が見えてきたらしい。

「ユーリ……どうにかして……絶対に営業停止だけは阻止して……このままだと……路頭に迷う……エミリオが」

「ひああ!? わ、わたしだけですか!?」

 まあ、最初に切られるのはアルバイトだよな。

「あのう、ジャン様、わたしこのままだと生活出来ません。例えばわたしがお仕事出来なくても生活出来る方法、何かないでしょうか……?」

「う、うーん。誰かのお嫁さんになる、のは早過ぎるよね」

「そのう、そんな事はありません。結婚を前提にしたお付き合いの中でお互いに経済面でも支え合うのは普通だと思います」

 いよいよなりふり構わなくなってきたな……エミリオちゃん。
 ルカがこっそりと歯軋りしてる辺り、修羅場なのかある意味微笑ましい光景なのか、微妙なところだ。

「それでユーリ、どうしますの? まさかバカ正直に自ら出向く訳では……」

「いえ、バカ正直に出向きます。せっかくの御指名ですからね」

 怪訝そうに呼び出し状をチェックしていたメアリー姫に、俺はそう断言した。
 市庁に危険を潜ませてるとは考え難いけど、それでも敵地に王族を連れて行く訳にはいかない。

 向こうは俺が国王のサイン入り立ち退き状の件について、何か掴んでいると思い込んでいる可能性が高い。
 恐らくその件で取引をしようと思ってるんじゃないだろうか。

「ま、大丈夫ですよ。公の場で取って食われる事はないと思います」

「それもそうですわね。とはいえ、護衛もなしに出向くのは危険ですわよ?」

「それなら僕が帯同します」

 真っ先にそう申し出たのはジャンだった。
 でもなあ……

「お前一応、総合ギルドの副支配人って肩書きだろ? 表立って古典派を敵に回したら立場狭くなるぞ」

 こいつらの目的は、総合ギルドを拠点として亜獣対策を強化する事にある。
 その総合ギルトを追い出されたら、これまで裏でコソコソやって来た意味がなくなるんじゃないか?

「うーん……多分大丈夫じゃないかな。古典派の増長さえ抑えられれば、総合ギルドへの介入も自然となくなるだろうし」

「貴方がそのようなリスクを負ってまで、ユーリに付いて行く意義はあるのかしら?」

 微妙に風当たりの強い、メアリー姫の鋭い一言。
 要は、ジャンにそこまで護衛としての価値があるかどうか、を問うている訳だ。

「亜獣との戦いにおいて、英雄視されたのは知っていますわ。けれども今回は人間相手の護衛ですのよ?」

「……」

 メアリー姫が何処までジャンの事を知っているかはわからないけど、その疑問は核心を突いている。
 何故ならジャンは、戦えない身体だからだ。
 以前見た無数の傷痕が、その事実を物語っている。
 一方的に遠距離から攻撃する狙撃手なら出来ても、人間相手の護衛は無理なんじゃないか。

「リエル。貴女がユーリに付きなさい」

 ジャンの沈黙を最終回答と判断し――――メアリー姫は静かにそう告げた。
 これには俺も、そしてリエルさんも驚きを隠せない。
 まさか彼女がリエルさんを他人に預けようとするなんて……!

「言っておきますけれど、今回限り、一時的に護衛させるだけですわよ。リエルはわたくしの"生涯の"騎士なのですから」

「異議あり! リエルは姫の騎士なんだから、勝手な発言はお姉様でも許さないわよ! リエルだって姫の所にいるのが楽しいに決まってるし!」

「あらアルテ、姉のわたくしを差し置いてなんて暴言を。貴女がリエルの何をわかってて?」

 まーた始まった、リエルさん争奪戦。
 下手に介入しても怒鳴られるだけなんで、放置しとこう。

「あの……」

 不毛な口論を続ける主君を背に、リエルさんが真摯な眼差しを向けてきた。

「お許しも頂けましたし、ユーリ先生さえ良ければ私がお供致します」

 それは、リエルさんにしては強い主張だった。
 そして俺だけじゃなく、ジャンにも向けられた言葉。
 ジャンは俺の肩に手をポンと乗せ――――

「ならば僕は両殿下の護衛代理を務めます。周囲に危険が迫っていないか察知するくらいは出来ますから。ユーリを、どうかお願いします」

 深々と頭を下げた。
 保護者目線っぽいのが若干気になるけど……ま、いいか。

 兎にも角にも、俺はリエルさんと共にベンヴェヌートの待つ市庁舎へと向かう事になった。

「それでは、いつ頃赴きます?」

「そうですね。取り敢えず一週間後を目処に」

「……え?」

 恐らく明日にでも、と思っていたであろうリエルさんが驚いた様子で目を丸くする。
 この人、結構表情豊かだよな。

「こういうケースでは、待たされれば待たされるだけ冷静さを失うんですよ。直ぐに行ってやる義理もありませんから、イライラするまで待たせてやりましょう」

 例えば、担当編集にデザイン案のラフ画を送って、『これで行きたいんですけど大丈夫ですか?』とメールした時。
 ちゃんとした社会人なら、自分一人の権限で決められない場合でも『ちょっと確認してみますね。正式なお返事は○○日を目処に』等のメールを二日以内には送ってくるもんだ。
 なのに、中には一ヶ月以上、下手したら三ヶ月以上放置しやがる信じ難い編集もいる。
 目処といった期日を数ヶ月オーバー、ってパターンもある。

 仮に何百ページにも及ぶ設定を送って、それを確認して下さいなんて無茶ブリしたのならまだしも、一通のメールと数ページのラフ画をチェックする間もないくらい忙しいのならとっくに過労死してろこのボケ!

 ……と、暴言を吐きたくなる事もあった。

 まあ要するに、自分が『これをする』と決めた事があって連絡をとった場合、その返事が遅いと人は苛立ちを覚えるって経験談だ。
 一度、期日を一週間遅れても返事がなかったから催促のメールを送ったんだけど、露骨に不機嫌な対応をされてしまい、それ以降は催促したくても出来なくなった。
 同じ事をやり返したら仕事遅い能なしと思われて自分が損するだけだから、泣き寝入りするしかなかったんだけど……まさかこんな所で鬱憤を晴らせるとは。

 ふふ……ふふふ……待たされる人間の苦痛がどんなものか、とくと味わうがいい!

「あ、あの……亜獣がいつ街を襲うかわかりませんし、早めに行った方がいいのでは?」

 そんな俺の過去など知る由もないリエルさんによる、至極真っ当な反論。
 向こうが子供亜獣の匂いか何かを使って誘導してるのは間違いないと思うけど、かといって親亜獣がまた街中に降り立たないとは限らない。

「そうですね。それじゃ今から行きますか」

「きょ、極端ですね」

「さっきのは冗談です。実行に移さなくても、声にするだけで復讐心が少し満たされた気もしたし、なんとなく満足」

「ユーリ先生、偶によくわからない事言いますよね……」

 呆れられてしまった。

「今のはユーリなりの気遣いだと思います。きっとリエルさんの緊張を解そうとしたんですよ」

 げ、ジャンめ余計な事を……

「中々の紳士ぶりですわね。大奮発して一〇〇ポイント差し上げますわ!」

 いつの間にかケンカを止めていたメアリー姫から超久々にポイントゲット。
 累計二四〇〇〇一一〇ポイントになった。
 ……意味あんのかこれ。

「と、とにかく。街の事を考えると早く解決するに越した事はありませんから、とっとと行って向こうの話を聞いてみましょう」

「わかりました。未熟者の身なれど、白の騎士会リエル=ジェンティーレ、お供します!」

 敬礼のポーズで応えたリエルさんが、凛々しく微笑む。
 俺はそれに一つ頷き、荷物を鞄にまとめ外出の準備を整えた。

「ユーリ! リエル! 頑張ってきなさいよ!」

 そして、そんなアルテ姫の声援を背に――――敵地となる市庁舎へと向かった。









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