ウィステリアの市庁舎はルピナスからは割と近く、南に四時間ほど馬車で揺られた先にある中心街〈ベロニカ〉にある。
 リチャードが視察と称してちょくちょくハイドランジアへちょっかい出しに来たのは、近いからってのもあったんだろう。
 そのベロニカの南西部、中心市街地の一角にそびえ立つ横長の建物へ到着した俺とリエルさんは、暫くその外観を眺め、お互いに向き合い、そして頷き合った。

 建物はコンクリート製で、総合ギルトとはまた違った迫力の建築物。
 でも、この遥か高水準の建物を当たり前のように見てきた俺と、王城に住む騎士のリエルさんが圧倒される筈もない。
 しっかりした足取りで正面玄関へ向かう。
 すると――――

「画家のユーリ様ですね?」

 受付けじゃなく、玄関の前に立っていた黒服の男に呼び止められた。
 どうやら俺限定の案内役らしい。

「玄関から入って左へ曲がり、突き当たりを右へ。その右側から中庭へ抜けられますので、そこへ来るようにと」

「中庭?」

 応接室や会議室を想定していたんで、ちょっと虚を突かれた。
 ってか、中庭で話をするのか……?

「まずは行ってみましょう、ユーリ先生。対面しない事には始まりません」

「……ですね」

 リエルさんの言葉に背中を押され、俺は彼女と共に市庁舎へと入った。

 当然だけど、元いた世界の市役所とは全く構造が違う。
 俺の住んでいた地域の市役所は、市民課だの福祉総務課だの会計課だのが壁の仕切りなく並んでたんで色々とゴチャゴチャしてたけど、この市庁舎はかなりシンプル。
 やや広い幅の通路があって、その左右に部屋があり、各課の名称を記した表札が設置されている。

 市民に親しまれやすいよう、オープンにと考え過ぎた結果があの市役所だったのかもしれない。
 こっちの方が足を運びやすい気がする。

「突き当たりを右へ……ありました。中庭へ抜ける道」

「さて、何が待ってるのやら」

 中庭という時点で、ベンヴェヌートが単独で待っているとは思えない。
 フクロウ亜獣の子供を待機させてるかもと一瞬考えたけど、それならとっくに親亜獣が見つけてそうだし……
 いや、ここまで来てあれこれ考えても仕方ない。

「ユーリ先生、私が先に入ります。私の背中に隠れる形で付いて来て下さい」

「わかりました」

 向こうから見たら、女性の後ろからコソコソと現れる情けない男に映りそうだ。
 でも仕方ないんだよ。
 イラストレーターに武士道とか大和魂とか日本男児とか、その手のメンタリティは必要ない――――

「……あの、胸は張らない方が」

 ――――けど、情けない姿を見られるのはやっぱり嫌なんで、せめてふんぞり返っての移動となった。
 その所為か、中庭に入った瞬間に視界に入ったのは、雲一つない青空。
 俺はそれを、良い事がありそうな暗示と思った事なんて一度もない。
 寧ろ皮肉めいたものを感じ、少し陰った気分で視界を下げると、徐々に中庭の全容が明らかとなっていった。

「な……」

 思わずそう漏らしたのは、俺じゃなくリエルさん。
 でも俺も全く同じ、絶句せざるを得ない心境だった。

 中庭の広さは学校のグラウンドくらい。
 その半分が埋まるほどの数の――――兵士が、綺麗に整列して並んでいた。
 全員、仰々しい甲冑を身につけている。
 リエルさんを始め、王城で見た騎士達もあんな鎧は装着してなかったぞ……

「銃剣が主流となっているこの時代、甲冑の価値などないに等しい」

 中庭に入ったところで呆然と立ち尽くしていた俺とリエルさんは、背後から聞こえたその声に思わずビクッと身を震わせる。
 反射的に振り向くと、通路側からベンヴェヌートが不遜な表情で仁王立ちしていた。
 そして、こっちの様子を暫く値踏みするように眺めた後、中庭へと入ってくる。
 そのまま俺とリエルさんを素通りし、兵士達の前で立ち止まった。

「そんな事を言う無粋な輩も多いが、この光景を見れば主張を翻す者も多いだろう。見たまえ、彼らの勇壮なる美しさを」

 この男の言葉に従う理由はない。
 だけど俺は、自然と夥しい数の兵士へ再度目を向けていた。

「古き良き文化、受け継ぐべき慣習を無視し、新しくも無価値なものに飛びつく能なしの多いこの世の中で、私は確信する。古典こそが、私達のカメリア王国の土壌であり未来であると」

 あの甲冑姿は、カメリア王国を長年守り抜いてきた兵士のスタイル。
 銃の登場で重厚な鎧の存在価値が薄れ、軽装の兵士が増えた事に対する一言――――という形で、自らの属する古典派を肯定しているらしい。
 確かにこの光景は、重厚かつ調和を重んじる古典派の絵と通じるものがある。

「彼らは私の私兵だ。今回、万が一亜獣が襲ってきた場合を想定し、私が呼び寄せた。どれだけ亜獣が獰猛であろうと、彼らの甲冑を貫く事は出来まい」

 私兵……つまりベンヴェヌートお抱えの兵士達。
 一体どれだけ稼いでたら、これだけの数の兵士を雇えるんだ……?

「彼らは皆、古典派の絵を愛し、私の絵を愛する者達だ。つまり、古典派がカメリア王国を統べる事になった今、彼らこそ我が国の王国兵士という訳だ」

「クーデターの件なら、もうガセだって判明しましたよ」

「正式な戴冠がまだというだけの事だ。亜獣に魅入られ、幻想派のような中身のない様式に肩入れする愚王をいつまでも認めるなど、カメリア王国の恥。ましてその王族に付き従う騎士など論外」

 露骨な挑発だ。
 それでも、騎士であるリエルさんは自分じゃなく国王への暴言に対し、黙ってはいられないんだろう。
 普段の彼女が決して見せる事のない、鋭い眼光で眼前の敵を睨み付けている。

「さて。本日ははるばる遠方までご苦労だった。まさか殿下直属の騎士まで同伴するとは思わなかったが……ある意味丁度良かった。リエル殿、貴女もまた新しくも無価値な存在の中の一つと数えられる故に」

「私が未熟なのは否定しようのない事実です。今更何を言われようと動じません」

「フフ、誠実でありながら芯の強い女性。そこが君の美点なのだろうが……芯の強さ、意志の強さなど女性には必要のないものだ。儚くも脆き存在だからこそ、女性は美しく在るのだから」

 ……どうやら、女性に対する思想までも古典的らしい。
 今の時代――――といっても、ここは元いた世界じゃなくリコリス・ラジアータなんだけど、この世界でもこんな偏った考えの人間はそうそういないだろう。
 ただただ呆れるばかりだ。

「さて、早速だが主題に入ろう。ユーリ殿、随分と気前の良い事をしているようではないか」

「絵の無料配布の事か?」

 最早敬語を使う理由もない。
 俺は生まれて初めて、明確に敵意というものを目の前の人物へ向けた。
 けれどベンヴェヌートは意にも介さず、鼻で笑う。

「私の目は節穴ではない。君が何を意図して自らの作品を大量に印刷、配布しているかは瞬時に見抜いている。そして、その成果が一定の水準に達している事も認めよう。その上で、君に宣告をしようと思い呼び出した」

「何を宣告するんだい?」

「あのような、画家の価値を著しく貶める真似は即刻止めるんだ。有識者はともかく、一般市民は君の作品に関心を示している。その君が対価を受け取らず作品を配布するなど、絵画市場への冒涜、引いてはカメリア王国の歴史への冒涜だ」

 ……そう来たか。
 てっきり、権力をかざして無理矢理止めさせようとするとばかり思ってた。

 主張自体は割と真っ当だ。
 この国に独占禁止法と同じような法律があるかどうかは知らないけど、不当廉売が倫理的に悪なのはルールの有無が関与しない。
 元いた世界で特典の無料配布が許されているのは、あくまでオマケだから。
 今回俺が配った印刷絵は、この世界の基準で言えばオマケとは言えないだろう。

 でも、こっちだってそんなのはわかってる。
 絵画市場の健全性の確保と、亜獣によって不安をもたらされた一般市民の安寧。
 どっちが重要かって話だ。

「誰かさん達が私利私欲の為、みだりに不安を煽らなけりゃ、直ぐにでも止めるよ」

「フン……君達には"元"王族がついている。充実した情報網を抱えている者同士、腹の探り合いに意味はあるまい。腹を割って話そうじゃないか、ユーリ」

 馴れ馴れしく呼び捨てにされた事に若干苛立ったが、言葉遊びをしにこんな所まで来たんじゃない。
 俺は沈黙でベンヴェヌートに同意を示した。

「ハッキリと言うが、私は今のカメリア王国の国民を信用していない。特にこのウィステリアの市民は信じるに値しない。理由は単純。君の稚拙な作品をありがたがっているからだ。美術大国の国民も、レベルが低下したと言わざるを得まい」

「なっ……!」

 不快感を示したのは、俺じゃなくリエルさん。
 俺の方はというと、今更こいつに何を言われてもなんとも思わなくなっていた。

「だからこそ、ゴットフリート陛下率いる古典派が国民を正しく導く必要がある」

「その為に、わざわざ亜獣の子供を捕らえて騒動を起こしてるのか。前に起こった騒動を参考にして」

「全てはカメリア王国の為、美術大国復権の為だ。今の国民には正しい判断が出来ない。我々が政権を握り、教育をし直す事で、ミーハー気質に染まったこの国は正常化されるだろう」

 腹を割って話すって言った割に、自分から認める気は一切ないらしい。
 この辺は師匠譲りだな……

「さて。君をここへ呼び出した理由だが……私は君に一つ謝罪をしなければならない」

「お前が? 俺に?」

「そう。私が君にだ。だが畏まる必要はない。実際、こちらの監督不行届なのだからな。リチャード! 入ってきたまえ」

 イマイチ要領を得ない説明を続けていたベンヴェヌートが、突然市長の息子を呼ぶ。
 すると――――今までの不遜さは何処へやら、すっかり覇気のない顔になったリチャードが姿を見せた。

「彼には私も期待していてね。だが彼はどうやらその期待を履き違えてしまっていたようだ。冒険者ギルド〈ハイドランジア〉の吸収合併を推し進める過程で、事もあろうに元国王のサインを偽造したとの自己申告があったのだよ」

「……!」

 トカゲの尻尾切りか!
 やられた。
 俺が国王のサイン入り立ち退き状の件について何を知ってようが、全てリチャードに責任を押しつけてしまえば関係ない――――そういう訳かよ!

「国王が変われば有耶無耶にも出来そうなところだが、やはりケジメは付けなければならないという彼の心意気を私は全面的に支持するよ。彼には暫く地方で頑張って貰う。それで溜飲を下げてはくれないか?」

「お前……そこまで腐ってやがったのか」

「何の事だね。私はただ、友人の過ちを共に謝罪しようというだけなのだよ。さあリチャード、彼は冒険者ギルド〈ハイドランジア〉という職場を本来の予定より早く失った被害者だ。彼に頭を下げたまえ」

 リチャードの同情の余地はない。
 自分の冒険者時代の劣等感をジャンにぶつけ、憂さを晴らすような奴にはお似合いの末路だろうよ。 
 でもな…… 

「……す……すいません……でした……」

 リチャードは言われるがまま、その憎らしい顔を歪ませ、俺に頭を下げた。
 これほど謝罪を受けて気分が悪くなる体験は初めてだ。

「ジャン=ファブリアーノには総合ギルドの方で謝罪させて貰うよ。尤も、彼も近い内に役職を変える事になるだろうがね。代表共々」

 古典派の影響が増せば、ジャン達の立場上そうなるのは確実だろう。
 国民を危機に晒し、邪魔になる相手はゴミを掃くように隅へ追いやり、自分に忠誠を誓った人間までも切り捨て……何だこいつは?
 一体どうして、こいつは画家をやってるんだ?

「ベンヴェヌート殿! 貴方は……貴方はそれでも王宮に身を置く宮廷絵師ですか!?」

 俺よりも一足早く、リエルさんの怒気が最高潮に達したらしい。
 その声は怒りで震えていたけど、お構いなしに声を荒げ続ける。
 まるで、抜けない剣の代わりと言わんばかりに。

「私は画家の方を尊敬しています! たった一枚の絵で沢山の人達を感動させる事が出来る、優れた人達だと思います! だけど貴方は……貴方は自分のステータスの為だけに画家という立場を利用しているだけに見えます!」

「……それは当たり前ではないのかね?」

 だが――――リエルさんの剣なき斬撃は、事もなげに躱されてしまった。

「この国では、絵を描く事で最も優れた自分を証明出来る。それが美術大国であるカメリア王国の歴史、そして文化だ。それを非難するのなら、リエル殿。君はカメリア王国そのものを否定していると言う事になるね」

「違います! 私は宮廷絵師の方々を沢山知っています! 皆さん、本当に絵を愛していますし、自分の絵を愛して欲しいと思って描いています! 画家の方々だけじゃありません! アルテ殿下もそうです! ここにいるユーリ先生もそうです! 貴方は……絵を愚弄しています!」

「それは、ジャック=ジェラール氏にでも言ってくれたまえ。彼になら金言にもなるだろう。彼は金の為だけに絵を描いているのだから」

 常に多弁なベンヴェヌートがより饒舌になっていく。

「だが私は違う。私は私が誰より優秀だと証明する為に生きている。絵画もその為に描いている。そして、その絵は多くの者に支持を得ている。事実、私はこの年齢で古典派の中心人物の一人となり、ゴットフリート殿下の信頼を得ている。それの何が悪いのかな?」

「……っ!」

 明らかに、リエルさんの旗色が悪い。
 何故ならベンヴェヌートの主張は、決して間違ってはいないからだ。

 何を目的に絵を描くのかは本人の自由。
 まして、自分を証明する、自己表現の為に描いているという動機は誰に貶されるものでもない。
 リエルさんは感情的になり過ぎて、理想論を語り過ぎている。

 彼女はとても真面目な騎士。
 それは人間として大きな利点だけど、この場面では裏目だ。
 俺がどうにかしなくちゃいけない。

 ……でも、どうする?
 先手を打たれてしまった感は否めない。
 クーデターがハッタリだって事も向こうは認めてるようなものだし、武器にはならない。
 何かこの男を、このどうしても許せないこの男をぶった切るような武器はないのか?

 何か――――









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