「さて……どうやら論破してしまったようだし、戯れ言はこの辺にしておくとしよう。ユーリ、先程の話の続きだ」
覚悟を決めた俺に、ベンヴェヌートが語りかけてくる。
いよいよ本題に戻るようだ。
「もし有翼種亜獣が街を襲おうとも、私の兵士達が盾となり市民を守る。無論、その旨を近日中に市民へ伝えよう。故に、君の絵を無料配布する必要はもうない」
実際には、襲う事はない。
恐らく俺が配布を止めた時点で、用済みとなった亜獣にはご退場願うつもりだ。
市外に子供を放せば、それで事は終わる。
その上で、亜獣は自分達が追い払ったと宣言すればいい。
この兵士達を目にすれば、誰もが納得するだろう。
「だが、せっかく君が描いた絵だ。このまま一部の市民の目だけに触れさせるのは惜しい。私は君の絵を認めてはいないが、君自身は評価しているのだよ」
はあ?
ここに来て、急に何を言い出すかと思えば……
「局地的ではあるが、ブームを起こしたのは事実。何より、古典派の重鎮の中に君の登場を極度に恐れている者もいる。君の作品がこのまま王国全土で流行となるのではないか……とね」
「だから、リチャードさんを使って邪魔していたんですね?」
「その通りだ、リエル殿。私はそこまで危惧していないが、どうしても……と彼らに頼まれたので仕方なくね。以前、君達の宿へお邪魔した時には敢えて伏せていたが」
実際にはどうだかわかったもんじゃない。
この男の言う事は何一つ信用に値しない。
「そこで、だ。ユーリ、君に提案がある。カメリア国王杯に、無料で配布したあの絵を応募しては如何か?」
「……何?」
「メアリー女史が提唱し、既に開催が決まっているこのコンテストに、君にも是非参加して欲しい。参加者の肩書きが良質であればあるほど、コンテストの格も上がるのでね」
そうか、わかった。
こいつ……俺をカメリア国王杯で潰す気だ。
俺を呼び出した一番の目的は、これだったのか。
「良い機会だと思わないか? コンテストに参加し、上位入賞を果たせば君はたちまち全国区だ。その場合、一部の重鎮にとっては不本意となるだろうが、コンテストで公平に選ばれたのなら文句も言えまい。悪い話じゃないだろう?」
「ユーリ先生、受けてはダメです。きっと罠です」
リエルさんが小声で俺にそう訴えてくる。
罠……だよな、普通に考えて。
大方、コンテストの審査員を自分達に有利な古典派の連中で固めるとか、そんなところか。
幾らメアリー姫が発案者でも、今の国王の状態を古典派に掴まれている以上、古典派のいいように進められるのは目に見えてる。
「ちなみに、以前も宣言した通り、私も参加する予定だ。もし私の絵と比較されるのが嫌なら、この場で辞退を申し出てくれたまえ。だが、それはあり得ない事だろう。君は私の絵をあれだけコキ下ろしたのだから。私を恐れる筈がない」
「……やっぱり根に持ってたか」
「とんでもない。とても参考になったよ。とてもね」
これだけ自分に有利な展開でも顔を引きつらせてる辺り、あのアニュアス宮殿での一幕をかなり気にしていたらしい。
たった数名の前で恥をかいただけなのに。
なら……もし、過去最大規模のコンテストで俺より下の順位になったら、一体どうなってしまうのやら。
「俺は別に、お前と比較されようがされまいがどうでもいい」
「ほう。ならば……」
「お前に言われるまでもなく、カメリア国王杯には応募するつもりだった。これでいいか?」
奴がこの言質を欲していたんだったら、もうここに用はない。
俺は踵を返し、ベンヴェヌートとリチャード、そしてその後ろに並び立つ兵士達へ背を向けた。
正直、とっととここから立ち去りたかった。
「ユーリ先生!」
慌てた様子でリエルさんが駆け寄ってくる。
そういえば、前の亜獣騒動の時は彼女の言う事を二回無視したよな。
これで三回目か……嫌われてなきゃいいけど。
「いいんですか……? ユーリ先生にとって確実に不利な戦いになります。あの男の目的は、『市民の支持を得て古典派の重鎮に恐れられているユーリ先生を破った』というステータスを得る事です」
幸いにも、心配してくれているだけみたいだ。
そして彼女の読みも、俺と全く同じ。
確かに、状況は相当不利になる事が予想される。
「ま、メアリー姫と約束しましたし」
「それは……でも、あの時とは事情が違います。国王陛下へ絵を献上なさるのなら、何もコンテストに拘らなくてもいいんです」
コンテストという形式にしたのは、国王の状態を公にせず、国王に見せる絵をより広く、より多く募集する為。
だから事情を知っている俺が敢えてその形式に則る必要はない。
「いえ。コンテストで上位に入った絵じゃないと、国王様が関心を示されないかもしれない。なら参加すべきなんです」
それが、メアリー姫が敢えてコンテストへの応募を要請した理由でもある。
今回の絵は、初見の一発勝負。
目に入れて貰えなければ、その時点で全てが終わる。
その為の可能性を引き上げる為なら、俺のエゴやリスクは気にしていられない。
それに俺自身、逃げるのは嫌だった。
中庭の出入り口まで歩いたところで振り返り、ベンヴェヌートの姿を視界に収める。
あの男の目もこっちに向いたままだった為、自然と睨み合う形になった。
「自分の絵を他の絵と比較されるのが嫌でした。いや、絵を描くようになる前から苦手でした。他人と競うのが」
――――長らく続いてきた報復は、どうやら幼少期の自分にまで及びそうだ。
ならきっと、これが最後。
俺は人生で最も嫌いな敵と、最も厄介な敵を同時に睨みながら、隣にいるリエルさんへ宣言した。
「立ち向かいます。今なら出来ると思います」
市庁舎から帰った翌日、ベンヴェヌートはウィステリアの中心街ベロニカで私兵による"大名行列"を実施した。
その上で、『もし亜獣が襲ってきても我々が街を守る。ただし可能な限り被害を出さないように亜獣を撤退させる方向で進めている』と宣言し、その三日後に亜獣はウィステリア上空から姿を消した。
それが彼らによる自作自演だと知る由もないウィステリア市民は、亜獣を追い払った恩人としてベンヴェヌートへの感謝を示し、古典派の支持率は一定の回復を見せた――――
「でも、彼らはもっと飛躍的な回復と熱狂的な支持を想定していたみたいだね」
フクロウ亜獣が上空から去った翌日の早朝。
俺はとある資料を見に、ジャンの待つ総合ギルド〈ハイドランジア〉西部支店へ足を運んでいた。
流石に営業時間外とあって、受付をはじめ他の人間の姿はない。
古典派の監視もなさそうだ。
「君の配布した絵が、亜獣に対する市民の恐怖心をかなり和らげていたのは間違いない。ほら、この西部支店に寄せられた亜獣退治要請および苦情の件数の推移を見てよ。絵を配布した翌日からどんどん減ってるのがわかる」
以前の冒険者ギルド時代からすっかり様変わりした受付カウンターの内側から取り出した資料には、確かにそんなデータが記録されていた。
だからこそ、ベンヴェヌートは早々に作戦を切り替え、亜獣の子供を解放したんだろう。
その証拠に、亜獣の親子と思われる三体が並んで飛び去る姿を多くの市民が目撃していた。
「それにしても、ここへ来ると思い出すね。君とここで働いていた頃を」
何処か寂しげに、でも感慨深げに、ジャンは現在のハイドランジアの様子をぐるりと見渡す。
亜獣出現の影響はまだ残っていて、人気はかなり少なく閑散している。
その点は、俺がいた頃のハイドランジアと近い。
「……ゴメン、ユーリ。君のいない間にここを総合ギルドに明け渡す事になってしまった」
「随分と今更だな。その件ならもう殴って済ませただろ?」
「あれは痛かったね……ルカのパンチほどじゃなかったけど」
まだ若干の腫れが残る左目の辺りを抑えながら、ジャンは苦笑していた。
「実はパオロが総合ギルドの代表になると聞かされた翌日に、彼から引き抜きの話があったんだ」
「マジで?」
「うん。あらかじめ僕の身辺調査をしてたみたいで、随分と怒られたよ。何をしているんだ、ってね」
確かジャンは四英雄の最年少だったっけ。
そのジャンがホームグラウンドとも言えるウィステリアで悪評を買いまくってるんじゃ、失望されても仕方ない。
「それでパオロは、僕を自分の元で更生させようとしたみたいだ」
「ああ見えて面倒見いいんだな……」
そういや、本来なら敵対する筈の古典派の巨匠宅に自ら出向いて問い詰めてたな。
その時には俺に助言もくれた。
ちょっと怖い印象があったけど、やっぱり案外良い人なのかもしれない。
「結局、強引に引き抜かれてから誤解を解くハメになったんだけどね。今思えば、事前にもっと深い話を出来ていればよかったんだけど……」
どうもジャンは、パオロと再会した当初は彼を避けていたようだった。
きっと、エミリオちゃんが俺と再会した時に目を逸らしたのと同じ。
落ちぶれた自分をかつての仲間に見られたくない気持ちが強かったんだろう。
「一度目の亜獣騒動で、総合ギルドへの風当たりが強くなっていたみたいでね。元々準備していた亜獣対策を本格的に進める必要に迫られて、それで僕を強引に引き抜いたみたいだ。それにイヴも……」
「そういやあの人、結局何しにウィステリアまで来たんだ?」
目的は数多ある――――本人はそう言っていた。
俺の動向を探る為、ってのもその一つらしいけど……
「亜獣騒動でウィステリア内の亜獣への悪感情が高まっていると知って、その火消しをしたいっていうのが一番だったみたいだね。それと……僕への説教とか」
「イヴさんからも絞られたのか」
「まあ……彼女の場合は『どうして亜獣に銃口を向けたのか』っていう理由で、三日くらい釈明に追われてたんだけど……」
ジャンの顔から生気が抜けていく。
こいつ、過去の話をすればするほど弱っていくな……
「にしても、なんでイヴさんはそこまで亜獣に肩入れするんだ? 絵も亜獣ばっかり描いてるって言うし」
「それについては、僕もよく知らないんだ。彼女、自分の事を全然語らないしね」
国王に亜獣の健全性を説く為に、亜獣の絵を描き続けるくらいだからな……相当な亜獣マニアなのは間違いない。
ここ最近の奇行に近い行動の所為か、以前ほどの怖さや神秘性は感じなくなったけど、やっぱり彼女は重要な何かを知っている気がする。
もし――――俺がこの世界へ来た理由と、亜獣が出現した理由が同じだとしたら、その予感は的中するかもしれない。
全て推察に過ぎないけど、俺は何故か確信に近いものを感じていた。
「ところでユーリ、カメリア国王杯に応募する絵はもう預けたのかい?」
「ああ。みんな揃って今朝発ったよ。ベンヴェヌートのブラフが確定して、王城での安全が確保されたらしいからな。古典派が偉そうにしてる以外はそれほど変わってないみたいだ」
亜獣の脅威が去った為、アルテ姫、メアリー姫、リエルさんの三人は王都へと戻っていった。
万が一、アルテ姫が王都を出た後にクーデターが起こっていた場合を想定し、伝書コルーを使って王都や王城の最新状況を探った結果、そういう事実がないと確認が取れたんで、無事帰還の流れとなった。
なお、王族専用の馬車を待つのは無駄に時間がかかる為、変装した状態で辻馬車と大陸鉄道を使っての移動を選択した。
マスカレードと白塗りで変装した三人が並んでいる様は、王女と騎士が並ぶ光景より遥かに目立つ気がしたけど、当人達の希望なんで仕方ない。
王族であるメアリー姫に対して色んな無礼を働いたベンヴェヌートに関しては、本来なら厳しい罰が与えられるところだけど、あの男には切り札がある。
もし奴が『国王が亜獣に魅入られ、王女達がその事実を知りながら黙っていた』と国民に向けて大々的に発表すれば、王族の信用は大きく傾きかねない。
現状でそれを実際に行えば、宮廷絵師という立場にいる本人にもダメージがある為、自発的に実行するとは思えないけど、追い詰めるのは危険だ。
結果、お咎めなし。
両王女の歯軋りが聞こえてきそうだ。
「コンテストで最終選考まで残れば、王都に招かれるんだってね。なら再会は直ぐだろうから、寂しがる必要はなさそうだね」
「簡単に言ってくれるな……応募数、一万を超えるかもしれないんだぞ」
あくまでもメアリー姫の予想ではあるけど、それくらいの数字にはなるとの事。
元いた世界のイラストコンテストなんて、どれだけ大手がやっても応募数は一〇〇〇に満たないって言うのに……
「心配ないよ。君なら大丈夫」
根拠があるのかないのか知らないが、ジャンはどこまでも俺を信じ切っていた。
「君の絵がコンテストで大賞に選ばれて、亜獣に魅入られた国王を元に戻せば、《絵ギルド》の流通を古典派に邪魔される事もなくなって、君は名実共に国内最高峰の新鋭画家として名を馳せる。それで万事解決さ」
「そう上手くいけばいいけどな」
「君はもっと自分を信じるべきだよ。この世界へ来て、何度も証明してきただろう?」
自分を信じる――――なんて、昔は一番苦手な言葉だった。
今は少し、それが出来るようになった。
もう応募用の作品は完成している。
あれこれ悩んでも仕方ない。
自分の可能性に賭けてみよう。
「それじゃ、僕は総合ギルドへ戻るよ。これからパオロと打ち合わせがあるんだ」
資料を全てしまい、足早にギルドを去ろうとするジャン。
「なあ、ジャン」
俺は少しだけその足を止めるべく、名前を呼んだ。
そして、何もない宙を指差す。
過去の栄光でも銃剣でもない、そいつの武器を。
「俺はまだ諦めてないからな。冒険者ギルド〈ハイドランジア〉を」
あくまでそれが、"自分への報復"と並ぶ当初の目的。
二人で誓い合ったのはもう、二年近く前か。
一度は消えかけたけど、今はまだそこまでの道がか細くとも続いている。
ジャンの言うような展開になれば、ここを買い取れるくらいの金額は溜まるだろう。
「もしかしたらお前はもう、今の自分、今のこのハイドランジアを受け入れてるのかもしれないけど、俺は――――」
「君はハイドランジアの為に、最高の絵を描いてくれた。自分への報復も見事に果たした」
ジャンは俺の言葉を遮るように、そんな事を口にする。
まるで、自分が置いていかれていると言わんばかりに。
「僕も戦い続けるよ。君が作品を描き続ける限り」
そんな妙に意味深な言葉で結び、様々な思い出の残るこの空間を出て行った。
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