それから幾ばくかの時が流れ――――亜獣やら王族やら宮廷絵師やらが一時集っていたウィステリアは、完全に元の姿を取り戻した。
 とはいえ、それなりに変化した事もある。

 市庁舎からリチャードが姿を消し、息子を飛ばされたショックで親の市長も休養を宣言。
 で、次の市長を決める選挙の結果、《絵ギルド》のBL同人誌を描いていたあのフリーダさんの父親、ロード=デンドロン氏が見事当選を果たしたらしい。
 ウィステリア一の事業家だった為、その手腕を買われた格好だ。

 この選挙結果は、ベンヴェヌートの思惑を俺の絵が打ち砕いていた事を意味していた。
 フリーダさんの父親は古典派、写実派、幻想派それぞれにコネクションを持っており、以前の市長のようなバリバリの古典派支持じゃない。
 もしベンヴェヌートの目論見通り、古典派の支持層がウィステリア内で多くなっていたとしたら、もっと古典派の影響が色濃く出た選挙結果になっていただろう。
 そういう意味では、中々痛快な出来事だった。

 また、市長が替わった事でパオロやジャンが動きやすくなったらしく、総合ギルドが新たに『人外部門』を設ける事になった。
 亜獣をはじめとした、人間以外の存在への対応を主とした部署らしい。
 そこへ配置されたのは、以前冒険者ギルド〈ハイドランジア〉に所属していたヴァンディ、エリオット、ダエン。
 そして――――

「あのう、みなさん、今日も張り切ってお仕事をしましょう!」

 彼らの上司としてまとめ役を仰せつかったのは、なんとエミリオちゃん。
 亜獣だけでなく幽霊にも対応出来る為、まだレベルは低いものの異例の抜擢となったようだ。
 役職は"人外部門総隊長"。
 四人の部署に総隊長ってのもどうかと思うけど、本人はいたくお気に入りだ。

 そんな訳で、アルバイト職員を失ったランタナ印刷工房は、新たな従業員の補充を行った。

「あの……精一杯働かせて頂きます。よろしくお願いします」

 なんと、レナちゃんの母親の幼妻。
 俺が描いた例の無料配布の絵にレナちゃんが描かれていた事で、街で人気者になり過ぎてしまい、夫を残しレナちゃんと共に隣町のアドニスから引っ越して来たそうだ。

 流石にこの事態には顔面蒼白。
 一応事前に本人からの承諾は得ていたとはいえ、明らかに俺の所為なんで、てっきり恨まれていると思ったが……

「実は、あれからレナをモデルにしたいという画家の方からの依頼を沢山頂いて……お陰様で、ルピナスのお嬢様学校にレナを入れる事になったんです」

 要はその入学資金が貯まった為、仕事の関係で今年いっぱいはアドニスに残る必要がある夫に先駆け、二人で引っ越して来たとの事。
 俺の所為で家庭崩壊かと思っただけに、心の底から安堵した。

「あの……ユーリ先生と同じ街に住めて嬉しいです。いつでも来て下さい。私……待ってます」

 会話の最後に、住所を書いた紙を手渡された事だし、いつかエミリオちゃんを連れて訪ねてみよう。

 とまあ、周囲がそれなりに忙しなく変化している中、俺はというと――――

「……」

 宿の自室で、やたら仰々しい封蝋によって閉じられた封筒を睨めっこしていた。

「一体……いつまでそうやっているつもり……?」

「そのう、封を開けないと結果がわからないと思いますよ」

「わ、わかってるよ! でもこういうのは心の準備がいるの!」

 差出人はメアリー姫。
 伝書コルーで届けられたこの封筒の中には、カメリア国王杯の最終選考候補作品に残ったか否かの結果が記されている。

 カメリア国王杯の総応募数は、一二〇五六作品にも及んだ。
 その中で、一次審査を通過したのは一五〇八作品。
 二次審査通過は三二四作品。
 三次通過は一〇九作品。
 四次は三〇作品。

 一応、俺の描いたあの亜獣騒動のラストシーン――――応募用タイトル《親子の再会》は、この三〇作品の中に入っている。
 当然、コネで残して貰った訳じゃなく、正当に評価された結果だ。

 ただし、ここから先はその正当な評価が行われるかどうかわからない。
 仮に行われていても、俺の作品が選ばれたとも限らない。
《絵ギルド》がウィステリア市民から評価されたように、この世界にはない絵柄という理由で絵の専門家達から好評価を得られるかどうかは未知数だ。

「あのう、こっちの手紙は何ですか?」

「ああ。それは元市長の息子からジャンに届いた手紙なんだ」

「リチャード……から……? 呪いの手紙……?」

 ルカがそう思うのも無理はないけど、実際には違っていた。
 現在、リチャードはウィステリアにはおらず、カメリア王国の最西端の小さな街の役場で働いているらしい。
 その近況を報せる文章の後に綴られていたのは――――意外にも、謝罪の言葉だった。

 冒険者ギルド〈ハイドランジア〉に所属していた頃、リチャードは当時から市長の息子としてチヤホヤされていた。
 だが、ギルドが次第に亜獣退治へ活動をシフトしていくに連れ成果主義となり、チヤホヤされる対象はジャンやパオロへ移り変わった。
 次第にリチャードは、かつての相棒でもあったジャンを妬みの対象にしていった。
 あの天然の事だ。
 リチャードを気遣って、却って火に油を注ぐような事を言った可能性も高い。

 とにかく、そういう経緯でリチャードはジャンを敵視するようになった。
 親に媚び、パオロに媚び、ベンヴェヌートに媚び……人生の大半をジャンへの空虚な復讐に割り当てていた。
 そしてその結果、ベンヴェヌートにアッサリと切られ、地方へ飛ばされてしまった。

 味方と信じていた人物に裏切られた事。
 そして、本当の意味で挫折し落ちぶれた事。
 リチャードの中で心境の変化があったとすれば、それらが理由だろう。
 あの嫌味ったらしい人間が書いたとは思えない、しっかりした謝罪が手紙の中でなされていた。
 今更感は否めないし、逆恨みでこれまで散々ジャンを傷付けてきた事実は決して消せないけど、相応の報いは受けた事だし、これ以上彼を敵視するのは止めようと思う。

 そして、お詫びも兼ねてという最後の締めの文章に、俺に関わる記述があった。

「えとえと、『市庁舎を去る日、カメリア国王杯の審査員がほぼ固まったと、ベンヴェヌートがほくそ笑んでいた』……ひああ! これって……」

「裏工作が上手くいった……そういう意味……」

 エミリオちゃんとルカの解釈通りだ。
 メアリー姫の話では、古典派、写実派、幻想派の権威を極力公平に選び、彼らによって最終的に選ばれた作品を、国民の見ている前で表彰したいとの事だった。
 でも、そう上手くはいきそうにない。
 審査員の多くは、仮に中立を謳っていても、実際にはベンヴェヌートの息がかかっていると思って間違いないだろう。

 有識者で固められた審査員が実際に審査をするのは、最終選考候補選びから。
 って事は、俺の作品が今回落とされている可能性はかなり高い。

 ……見たくねー!
 落選のお知らせなんて絶対見たくねーよ!

「躊躇する理由はわかったけど……それはそれとして早く封を開けなさい……あたし達だって暇じゃないんだから……」

「あのう、わたしもこれから除霊のお仕事があるんです。あんまり遅くなると幽霊さんから祟られます」

「そうは言うけどさ、就職活動の結果報告がやたら薄っぺらい封書だったらその時点で開けたくないじゃん! 自分が挿絵を担当したラノベが明らかに評判悪いのに、二巻出ますかとか聞けないじゃん!」

「意味不明な例えをされても困る……困る……いいからさっさと開けるの……よーっ!」

 ああっ、手紙を取られた! 

「……王族や騎士からの封筒って……ビリビリに破ると怒られそうな空気があるのよね……」

 リエルさんの従姉だけあって封蝋に慣れているらしく、テキパキとした動作でルカは封筒を開け、手紙を取り出した。

「……ん……」

 でもそれを読もうとはせず、俺に差し出してきた。
 最初は俺が見ろってか。
 ジャン……お前きっと将来苦労するよ、こんな出来た女子を嫁に貰うのなら。

「はぁ……仕方ない」

 確かに、幾ら厳しい結果が待っていようと、いつまでも見ない訳にはいかないか。
 覚悟を決めて、俺はルカから手紙を受け取った。

 結果は――――

「最終選考を通過しました。したのかよ! え? なんで!?」

「そのう、わたしに聞かれても。でもおめでとうございます!」

 ご都合主義体質、健在!
 とっくに使用期限過ぎてるのかと思ってたぜコンチクショー。

 ともあれ、最終選考に残る事が出来たらしい。
 よかった……あれだけ啖呵切って舞台にも上がれないんじゃカッコ悪過ぎる。

「通過者は……何名……?」

「ああ。三人みたいだな。俺と、ベンヴェヌートと……アーニュル=チュルリューニュ」

 あのにゅるにゅるした写実派の宮廷絵師か。
 奇しくも古典派、写実派、幻想派の三人の若手が残った格好だ。
 イヴさんは……多分応募してないんだろう。

「最終選考通過者は王都で開かれる発表授賞式に出席する義務がある」

「どっわ!」

 いきなり飛んで来たその説明口調に、思わず奇声を発してしまった。

「授賞式には国内から賓客を招き、一般市民も入れる予定。そこで大賞作品が発表される。通過者三名は受賞後にスピーチをしなければならない。事前に考えておく事を推奨する」

「……なんで勝手に入ってきてるんです、イヴさん」

 この人は俺が脳内で名前を呼ぶと出現する魔法か何かかけてるのか?
 そう思わずにはいられない、今やすっかり定番となったイヴ=マグリットの登場劇だった。

「ひああ、この方があの……は、初めまして、エミリオ=ステラと言います」

「ランタナ印刷工房の……ルカ……御用の際はランタナ印刷工房を……よろしく……」

 突然現れた"黒の画家"に対し、二人は驚くより先に自分を売り込んでいた。
 この商魂逞しい精神力は見習いたい。

「で、なんで貴女はまだここにいるんですか。王女達もリエルさんもベンヴェヌートも王都に戻ったってのに」

 最近宿で見かけなくなったから、てっきり帰ったとばかり思ってた。

「私の目的は彼らとは異なる。私は亜獣への誤解を解く為にブラついているのだから」

「散歩みたいに言ってやがりますけど……それで、目的は果たしたんですか?」

「……」

 イヴさんは俺の質問に若干顔をしかめ、一枚の紙を差し出してきた。
 カメリア国王杯にも応募した、《親子の再会》の印刷絵だ。

「えっと、この絵が何か?」

「……悔しい」

 それは、何処かで聞いたフレーズだった。

「予感はあった。貴方があの絵柄、大胆な簡略化を用いたあの絵柄で亜獣を描けばこうなる、という予感はずっと」

「はい?」

「ウィステリアにおける亜獣への誤解は、この絵によってかなり解けた。私の力ではなく、貴方の絵によって」

 つまり――――俺の絵はイヴさんの目的を横取りする形で大きな成果をもたらしたと、そういう事らしい。
 無料配布した印刷絵は全部で三〇〇〇〇部。
 流通面も含め、相当な金額を負担しての試みだったけど、成果があったのならその甲斐もあったってもんだ。

「私は負けない。そう思って今まで亜獣を描いてきたけれど、敗北を受け入れる時が来たのかも知れない」

「いや、こっちはこっちで別に勝利宣言するような手応えはないんですけど」

「ならば、ヒューゴ=ヌードストロームを元の状態に戻せたら?」

 いつも何かと唐突なイヴさんだけど、その問いはいつにも増して唐突感があった。
 そういや、この部屋での俺とメアリー姫やリエルさんとの会話を盗み聞きしてたんだったな。
 なら、《親子の再会》を描いた真の目的を知っていても不思議じゃないか。
 にしても、国王をフルネームで呼び捨てとは……やっぱり只者じゃないよ、この人。

「そうですね。その時は実感が湧くかもしれません」

 ともあれ、俺は素直にそう答えた。
 勝ち負けが重要じゃないし、王女二人が喜んでくれればそれでいいんだけどさ。

「私はこれまで、何作もの亜獣の絵を描いてきた。どの様式が、どの手法が、どの絵柄がヒューゴ=ヌードストロームの関心を得るのか、試行錯誤の毎日だった。質より量をと、色を塗るのも放棄した」

 それが"黒の画家"の正体だったのか。
 服装が黒尽くめなのは、汚れを極力目立たなくして洗濯の手間を省く為かもしれないな。

「そんな私の日々を、貴方のたった一枚の絵が超えていくのなら……」

 そこまで言って、イヴさんは言葉を止めた。
 言いたくないのか、その先は自分で考えろと訴えているのか――――

「王都で待っている」

 最後にそう告げたイヴさんの表情は、そのどちらも違うような気がした。

「喋るだけ喋って……出て行ったけど……」

 部屋を出たイヴさんが開けたままにした扉を見ながら、ルカが怪訝そうに呟く。

「結局……何が言いたかったの……?」

「多分、激励じゃないかな」

 彼女、ベンヴェヌートを嫌ってるし。
 それに、亜獣のイメージ回復に貢献したんだから、俺への印象もそんなに悪くはない筈……多分。

「あのう、もしかしてユーリ先生、イヴ先生と恋人関係なのでしょうか?」

 とはいえ流石にエミリオちゃん、その解釈はおかしい。
 どう考えてもそんな甘い雰囲気は出てなかっただろ……

「ああ……成程……恋人同士の甘い語らいだったのね……ひゅーひゅー……熱い……熱い……」

 ……ああそうか。
 ジャンみたいなのを追いかけてるから、こいつら普通の恋愛感覚がないのか。
 なお、他人の事は言えない模様。

「……取り敢えず、コンテストの結果をジャンに報告しとくか」

 俺は嘆息交じりにメアリー姫からの手紙を懐にしまい、緩慢に外出の準備を始めた。


 その一週間後――――カメリア国王杯発表授賞式の招待状が俺の元に届いた。









   a ruined illustrator's records of right requital in a parallel universe

                         chapter 4




                   -beyond the background-









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