思わず生唾を飲みそうになるのをグッと堪え、発表に備える。
 だが――――

「ただしっっ、大賞発表の前に最終選考に残ったお三方によるスピーチを行いますっっ。御自身の作品の解説もよろしくお願いしますっっ」

 そこで予想外の告知。
 予定では受賞後、つまり大賞発表後にスピーチだった筈だ。
 案の定、今のピュッピさんの発表に審査員の方々もなんかザワザワしてる。
 巨匠だけは口笛吹きながら呑気に構えてるけど。

 もしかしたら、さっきメアリー姫がピュッピさんに指示したのかもしれない。
 万が一、俺のスピーチで審査員の誰かが心変わりする可能性に賭けて。

 ……姉妹揃って憎い事してくれるな、お姫様がた。
 ますます逃げ道なくなってきたじゃんか。

「それではまずっっ、アーニュル=チュルリューニュさんっっ! どうぞ壇上にお上がり下さいっっ!」

「よるれりほー」

 急な変更、それもトップバッターに指名されたってのに、アーニュルはまるで動じずにゅるにゅるとステージへ上がっていった。
 丁寧な絵を描く人って、どっちかっていうと几帳面でアドリブに弱いんだろうなーって勝手な先入観持ってたけど、あいつ見てると如何にそれが誤りか良くわかる。
 色んな絵描きがいて、だから色んな絵が生まれる。
 当たり前の事なんだけど、そういうモンなんだな。

「客席にお越しのお客様にはっっ、予め最終選考に残った大賞候補三作品の載ったパンフレットをお渡ししてると思いますっっ。それを御覧になりながらっっ、スピーチをお聴きになって下さいっっ。それではアーニュルさんっっ、お願いしますっっ」

 パンフレットは俺も事前に貰っていた。
 当然、元いた世界みたいなコート紙などの半光沢紙じゃないけど、なめらかな質感の上質紙が使われていて、かなり金がかかった印刷物になっている。
 写真はないから、パンフレットに載せるには絵を直接印刷をするしかなく、それを前提に募集も行われていた。
 勿論、印刷物の方には色は再現されていないけど、原画の方は色づけしてある応募作も多かったと思われる。

 で、そのパンフレットに載っているアーニュルの絵はというと――――

「フン。相変わらず技に頼った絵だ。情感がまるで宿っていない」

 そうベンヴェヌートがケチを付けているが、確かに情感なんて入る余地がないほど綿密に描き込まれている。
 モチーフは城。
 タイトルは……《城にゅる》だそうな。
 恐らく俺も滞在したあの王城だろう。

 構図や手法に大胆な発想はないけど、城壁の手触りや温度まで伝わってきそうなほど、その描写はすさまじく高密度だ。
 ある意味、本物の城より本物っぽく、にゅるにゅる要素は一切ない。

 一方、その絵を鼻で笑ったベンヴェヌートの絵のタイトルは《輝かしき群像、革命の時》。
 市庁舎の中庭で見たあの光景を描いたものだ。
 何百人もの甲冑を装着した兵士達の並び立つ姿を、やたら重々しく描いている。

 思うんだが、真のナルシストは自分を描かない気がする。
 自分を描いた絵がそこにあれば、どうしても自分本人の容姿と自分の画家としての腕が相対性を帯びるからだ。
 それはナルシストには耐え難い。

 だから、自分の地位や名声、経済力や内面を誇示するような絵を描く。
 ベンヴェヌートにとってそれが、あの兵士達だったんだろう。
 亜獣対策で集めたのも事実だろうけど、この絵を描く為ってのもあったんだろうな。

 ……と、色々訝しがってはみたものの、なんだかんだで上手いのは間違いない。
 アニュアス宮殿での俺の非難は、半分は言いがかりだ。
 それでも半分は正鵠を射ているからベンヴェヌート本人も根に持ってるんだろうけど、上手い事は確か。
 絵の中で強弱と明暗を上手く使い分けている。
 黒光りする甲冑の群れは、確かに情感がかなり籠もっていそうに見える。

「ご紹介に預かったアーニュルでにゅるん。最終選考に残れて嬉しいにゅ。審査員のみなさん、どーもにゅる」

 壇上では、メガホンを受け取ったアーニュルがいつもの軽い口調で挨拶していた。
 あいつが自分の絵をどんな風に解説するのか、ちょっと興味あるな。

「解説と言われても、見たまんまとしか言いようがないにゅる。この絵を見た人が見たまま、感じたままの感想が、この絵の持つ価値にゅるん。それでよろしくにゅる」

 ほぼ説明しないに等しかった!

 こんな大舞台でそれを言うか……自己顕示欲なんて微塵もないんだな。
 正直、絵描きとしての技量が違い過ぎるんで劣等感が邪魔しまくると思うけど、それでもあいつとは良い関係を築けるかもしれない。
 ま、宮廷絵師と親しくなる機会も今後なさそうだけどさ。

「あっっ、ありがとうございましたっっ。では次っっ、ベンヴェヌート=ヴァスィリキーウシクィイさんっっ、どうぞ壇上へっっ」

 名を呼ばれた瞬間、ベンヴェヌートの瞼がピクッと動く。
 真打ち、つまり最後じゃなかった事に対する不満らしい。

「成程、メアリー女史の謀略か」

 でも、それを見抜くだけの冷静さはあるみたいだ。

「だとしたら、愚策と言わざるを得まい。君と私、どちらが優れた弁舌家か……それも白日の下に晒されるのだから」

「いいから早く行けよ。進行遅れるぞ」

「主役は遅れるのが良いのだよ。それもまた、私が大物であるという証明になる」

 ゆっくり歩いて現場に行けば大物――――そんな浅慮な言動につき合う義理はないんで、俺は表情を無にしてその意思を伝えた。

「フン。そこで聞いているが良い。私の絵に対する思想の雄大さを。そうすれば、君も自分の絵に羞恥心を抱くようになる」

 今にも零れそうな笑みを携え、ベンヴェヌートはステージへ上がる。
 その背中を見ながら、俺は事前に用意していた耳栓をポケットから取り出した。

「考える事は同じにゅる」

 スピーチを終え帰ってきたアーニュルもまた、同じ耳栓を握りしめていた。
 一つ頷き合い、それを両耳に入れる。
 さて、これで集中出来るな。
 俺にとって最初で、もしかしたら最後かもしれない大舞台だ。
 後悔のないよう、可能な限り良い精神状態で臨みたい。 

 思えば――――ここまで来るのに色々な事があった。
 四畳半の安アパートで死んだように生きていた俺が、気付けば見知らぬ地に投げ出され途方に暮れたあの日から、二年以上が経った。

 冗談を言い合える友達が出来た。
 信じられる仲間が出来た。
 絵で大きな成功を収める事が出来た。
 王族の弟子が出来た。
 尊敬出来る人達が出来た。
 ……多分、好きな人が出来た。

 自分には一生縁のないと思っていた沢山の出会いや体験が、リコリス・ラジアータにはあった。
 時には上手くいかなかったり悩んだりもしたし、中傷されたり地面に叩き付けられたりもしたけど、そんなのは別に大した事じゃない。
 そう思えるくらい、この世界で俺は充実していた。
 みんなから、この世界から強くして貰ったんだと思う。

 耳栓を貫通し、微かな拍手の音が聞こえてくる。
 どうやら出番らしい。

 言う事は決まった。
 予定に変更なし。
 最初から言葉を用意する事はしていない。
 今の俺をそのまま、この場で話そう。

「――――ユーリさんっっ、どうぞ壇上へっっ」

 耳栓をとった直後、ピュッピさんのそんな声が聞こえてきた。
 俺はしたり顔ですれ違うベンヴェヌートに目も合わせず、ピュッピさんからメガホンを受け取る。

「しっかりっっ」

 激励の囁き声に小さく頷き、ステージ中央に立った。
 周囲の観客席の視線が、一気に俺一人に集中する。
 緊張しない訳がない。
 メガホンを口に近付けると、その手が震えてるのが良くわかる。

 でも、あの観客の中にはきっとジャンやルカ、エミリオちゃんもいるだろう。
 列車の中でサインした、ウィステリアの人達もいるかもしれない。
 リエルさんはきっと、両王女の護衛で貴賓席かな。

 味方はいる。
 元いた世界でひとりぼっちだった頃の俺じゃない。

 いや……あの時だって、味方はいたのかもしれない。
 俺の絵を好きだと思ってくれていた人も、もしかしたら何処かにいたのかも。
 俺を心配してくれた人も。

 結局――――全部俺自身の気の持ちようだったのかもしれない。
 自分の殻の中に閉じこもっていたんだから、そりゃそうなるよな。

 アホだ、俺は。
 もっと外に出て、恥かいて、傷付いてれば、気付けたかもしれないのに。
 どうせ引き籠もっていても、ゆっくりと傷付いていたんだから。 

 ……それじゃ、その反省を活かすとしますか。

「えー……ユーリと申します。応募作《親子の再会》を評価して頂き、最終選考にまで残して頂いた事、深く感謝致します」

 まず一礼。
 さ、ここからが本題だ。 

「本来、ここで《親子の再会》について解説しなきゃいけないんですけど、その前に少しだけ、俺が思う"絵"についての考えを聞いて下さい」

 一人称も普段のまま。
 何かを狙っての事じゃない。
 口をつくそのままの言葉だ。

「絵って不思議なんです。魔法を使う訳でもないし、本当にありふれた何処にでもある資材だけしか使わないのに、妙に心を惹きつけます。これまた妙な話なんですけど、自分が描いた絵でも心が擽られるんです。完成品よりは描いてる最中の方が断然多いんですけど、スゴく幸せな気持ちになれます」

 目の前には、審査員席に陣取る審査員達の顔がある。
 古典派の巨匠を含む彼らが俺をどんな目で見ているのか――――それは知ったこっちゃない。
 初めから、彼らに訴えかけるつもりはなかった。

「俺はずっと、売れない画家でした。自分の描いた絵が売り物にならない……そんな毎日の中で、それでも絵を描いていました」

 訴えたいのは、俺自身に対して。
 過去の、報復を誓った数多くの自分に向けて、言いたい事がある。
 特に、イラストレーターである事をやたら強調してきた自分に向けて。

「不思議なもので、お金にならないとわかってても楽しいんです。この絵が商品にならないと生活出来ない、ってくらい切羽詰まってても、それでも楽しいんです。なんでだろうってずっと思ってました。絵が好きだからかなって最初は思ったんですけど、どうも違う。それで、最近ようやくその答えが出たんです」

 どうして俺は、イラストレーターになったんだ?
 マンガから逃げ出して、でも身につけた描画技術は活かしていきたかったからか?
 そんな後ろ向きな理由だけか?

 違う。
 今、ハッキリそう言える。
 イラストには、一枚絵には、マンガとも違う魅力がある。

 マンガは物語を絵で表現する。
 でも。

「一枚絵は、それだけで物語なんです」

 それこそが――――俺の出した結論だった。

「絵を描く作業は、自分の中にある、若しくはモチーフの中にある物語を読み解いていく作業だったんです。そしてその絵を見る人も、同じように、でも全く違う物語を読み解いていくんだと思います。一つの絵があると、そこには無限の物語が生み出される。美しい絵に恐ろしい物語を読み解く人もいるでしょう。稚拙な絵に高尚な物語を読み解く人もいると思います。そうやって、絵は決して消費される事なく人の心を解していく。描いてる途中も。だから絵を描くのは楽しいんだと、そう思うようになりました」

 長々と話した後、一度深呼吸。
 そこで俺はふと、最後にラノベの挿絵を手がけた時の事を思い出していた。
 得意分野のファンタジーで、ちょっと現代の要素がミックスした作品だった。

 仕事を始めた当初は、自分の絵が書籍として全国各地の本屋に並ぶ事にワクワクしていた。
 作者の方が一所懸命考えて書いた物語を、自分の絵でより魅力的なものにしたいと思っていた。
 多くの人の目に触れる事で叩かれたり鼻で笑われたりする事に怯えてもいた。

 でも次第に、自分の絵が読者に、そして市場に響かなくなるにつれ、そんな感情の上下動はなくなっていた。
 そして、結果的に最後となったラノベのイラストを完成させた時、俺の心に去来したのは――――充実感も寂寞感もない、虚無感すらもない、ただの平凡な疲労感のみだった。

 それでも今、あの時の絵を読み解いていくと、当時の自分が紡いだ物語が確かにあったんだと思える。
 殆ど流れ作業のような感覚で、なるべく心を動かさないよう努めながらも、小説への貢献と好結果への一縷の望みを持ちながら描いたイラストだった。
 資料を何度も眺め、担当編集のリクエストと自分なりのアレンジの比重を調整しながら、当時の自分のベストを尽くした。

 あのラノベも、残念ながら売れなかった。
 もう結果を聞くのも見るのも止めていたけど、続刊の予定が立たなかった事でそれがわかる。
 作者の方からの連絡は何もなかった。

 それでも――――あの絵には物語があった。
 俺なりの物語もあった。

 物語っていうのは、一本の線だ。
 点と点が繋がり、連なり、そして画になるまでの道標。
 白の中にある黒を、黒の中にある白を見つけ出す一筋の光。
 俺にとってそれは、希望の光だ。
 だから俺は、今も絵を描いている。

 そして当然、《親子の再会》にも俺なりの物語がある。
 俺は今からこれを話さなくちゃいけない。

「応募作の《親子の再会》は、俺の住むルピナスという街に亜獣が現れた際の一場面を描きました」

 自分の作品を言葉にして伝える作業は、正直苦痛に近い辛さがある。
 恥ずかしいし、言葉にすればするほど絵の持つ奥行きがなくなっていく気がする。
 絵を良く見せようとすればするほど、押しつけがましい自画自賛になってしまう。
 だけど今回は、自分の羞恥心や絵の価値なんてどうでもいいんだ。

 ……よし。

「この時、ルピナスに住む多くの人達は不安でいっぱいだったと思います。その後、幸いにも大きな被害はなく亜獣は一旦去ったんですけど、後日また上空に二体、現れたんです。混乱は必至でした。その時にこの絵を描きました」

 俺は当時の情景を思い描きながら、ありのままを話した。
 あの時に何を思い、どう感じていたか――――

「一度目の亜獣出現の時の事を思い出して欲しかったんです。あの時も大丈夫だったんだから、今度も心配ないよ、と伝えたい一心で。出来るだけ各家庭のお子さんにも見て貰えるよう、自分なりの配慮とか工夫もしてみました。そうやって完成したのが、この《親子の再会》です。どれだけ貢献出来たかはわかりませんけど、再び亜獣が去るまでルピナスで目立った混乱は起こりませんでした」

 自己主張が苦手だから、絵を描いているという所も少しはある。
 絵というフィルターを通せば、自分を表現してもそれほど抵抗はない。
 絵をそんな逃げ道にしていた。

 と、いう事はだ。
 このスピーチもまた、過去の自分への報復なのかもしれない。

「今話したストーリーは、この絵を描く上で俺が読み解いた物語です。でもそれはそれとして、みなさんの中で、みなさんの物語を読み解いて欲しいと、そう思います」

 無事言いたい事を言い終わり、深々と一礼。
 さざ波のような拍手が鳴り、俺は顔を上げる。
 でも拍手は鳴り止まない。
 次第にその音は大きくなり、やがて地響きのような凄まじいパワーとなって、メインホールを覆い尽くした。










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