「……うわ」
気恥ずかしさ、歓喜、戸惑い、安堵――――色んな物が交じり、感極まった俺は目頭が熱くなるのを抑えきれなかった。
《絵ギルド》が売れたと知った時とも少し違う、変な感動。
それは多分、《絵ギルド》では果たせなかった"イラストレーターへ逃げた自分"への報復を果たせたからだろう。
拍手はまだ鳴り止まない。
飲み込まれないようにするのが精一杯だった。
「鑑賞する側にも寄り添った素敵なスピーチっっ、ありがとうございましたっっ! あっっ、あのっっ、ええとっっ……」
いつまでも続く観客の喝采に困惑顔のピュッピさんから降壇を促され、俺は余韻に浸る間もなくステージを降りる。
「フッ、結局はそっちへ逃げたか。技術では勝負出来ないと言っているようなものだな」
俺が来るのを待ち構えていたように、ベンヴェヌートが第一声、嫌な事を言ってきた。
絵では勝負出来ないから、人柄や精神論をアピールした、そう思われてるみたいだ。
「しかし、それでもこの反応……やはり芸術国家の国民としてはあまりに浅はかと言わざるを得まい。アーニュル、君もそう思うだろう?」
何様だ、と思わず挑発に乗ろうとした俺から視線を外し、ベンヴェヌートはにゅるにゅるした写実派の宮廷絵師へ目を向けた。
同意を得ようとしてる訳じゃなく、俺を攻撃する為に技術の高い彼を利用しようとしているんだろう。
「絵だけで判断するよう訴えた君、絵に付加価値を求めたユーリ。今回のスピーチに関しては断然、君を支持するよ。私も同意見だ」
それに対するアーニュルの反応は――――
「オタク、勘違いしてるにゅるん」
随分と冷め切ったものだった。
「ボクチンは見たままを感じて欲しいって言っただけにゅる」
「それと私の見解と、何が違うというんだ?」
「絵は、完成した瞬間に作者だけのものじゃないにゅるん。それだけの事にゅ」
つまり、彼の考えは寧ろ俺寄りって事だ。
いい気味だ。
「……ギィ……」
完全に裏目に出た格好のベンヴェヌートの顔が、アニュアス宮殿で俺に一泡吹かされた時のように変化していく。
「絵は思想だ。己の思想をより高め、それを誇示する為のもの。他者の物である筈がない。君達の考えは、自分の絵に対する責任放棄に等しい!」
「俺は別に責任を放棄したつもりはねーよ」
歯軋りし、目を血走らせムキになるベンヴェヌートに、俺はそう即答した。
「俺の絵は俺の絵だ。権利を手放す気もないし、他人にだけ解釈を預けるつもりもない。俺には俺の意図がある。でもそれは、見る人間にとって作者の意図以上の意味はないし、それとは違う解釈をして貰った方が作品に幅が出る。そう言ってるだけだ」
「まるで話にならないな。自分の意図が正しく伝わらないのなら、芸術作品に最早何の価値もないだろう」
真っ向から対立し、睨み合う。
ベンヴェヌートの主張だって一理あるとは思う。
そういう強い信念を持った人間の方が、優れた作品を生み出すのかもしれないとも思う。
でもそれは、俺が求める物じゃないし、求められる物でもない。
「それではっっ、いよいよ大賞を発表致しますっっ! 発表はジャック=ジェラール様より行われますっっ! ではお願いしますっっ!」
……と、そうこうしている間に大賞発表の瞬間がやって来た。
名前を呼ばれた巨匠が壇上に登り、ピュッピさんからメガホンを受け取る。
「フッ、議論は一旦ここで切り上げるとしよう。せっかくの晴れ舞台だ」
さっきまでの形相とは打って変わり、自分の晴れ舞台だと信じて疑わない、確信を持った余裕の表情でベンヴェヌートが含み笑いを浮かべる。
こいつにとって大賞受賞こそが、自分の全てを肯定する材料なんだろう。
正直、この男が栄誉を受けるのは見たくない。
今後更に増長するのも目に見えてる。
頼む、俺の中のご都合主義体質。
これで最後でもいいから、発動してくれ。
お願いだ。
そんな俺の望みは――――
「大賞はベンヴェヌートだ。おめでとう、我が最愛の弟子」
――――いともあっさりと潰えた。
本当にあっさり過ぎて、直ぐには実感出来なかった。
……ダメだった、か。
「フッ……この澄み切った青空に浮かぶ太陽を見た時のように、当然ではあっても清々しい気分だ」
恍惚の表情で、ベンヴェヌートが天を仰ぎながらステージへ上がろうとする。
大賞受賞、その誉れを受けに。
が――――
「STOP。ちょいと待ちな、最愛の弟子。まだミーが話してる最中だぜ」
いち早くそれを察知した巨匠が、宥めるというよりは強めの口調で制した。
今この瞬間、主役はベンヴェヌートの筈。
一体どうして……?
「えー、会場にお集まり下さった紳士淑女の諸君。今発表したように、大賞を受賞したのはベンヴェヌートだ。この決定は、さっき三人がスピーチをする前から決まっていた。ミー達はプロだ。作者の意向がなんであれ、審査結果に変更はナッシン」
つまり、メアリー姫の仕掛けた最後の抵抗は、審査結果に何も影響しなかった――――そう巨匠は断じた。
もし俺が彼の人となりを何も知らなければ、古典派の巨匠が写実派であり反古典派とも言えるメアリー姫に嫌味を言っていると判断しただろう。
あれだけ弟子を毛嫌いしていた巨匠が『最愛の弟子』と言っているのは、大賞受賞者へ媚びを売っているからなのか?
金を積まれてそう呼ぶよう頼まれたのか?
いや、きっと違う。
『ミーはヤツに挫折を味わって貰う事にした』
初対面時のあの言葉が、俺の頭の中に鳴り響いた。
「だが、ここにお集まりの諸君。ユー達はどうだい? 最終選考に残った三作品、どれが大賞に相応しいか? ミーはそれを知りたくて仕方がない。ミーにユー達の心の声を聞かせてくれ」
な、なんだ?
巨匠は一体何をしようとしているんだ?
「お待ち下さい師匠! 貴方は……」
「この場にいるオールメンバーで、多数決を採ろうじゃないか。自分の気に入った絵に手を挙げるだけ。どうだい? 中々面白そうな余興だろう? HAHAHAHAHAHA!」
な……
「なんという戯言を! 師匠、貴方は弟子の晴れ舞台を汚す気ですか! そこまで私が栄光を手にするのが気に入らないのなら、ハッキリそう言えばいい!」
ベンヴェヌートがキレるのも無理のない話だ。
大賞を発表した直後に、ギャラリーを含む全員で審査?
元いた世界でも記憶にない、前代未聞の珍事だ。
俺が呆然としている一方で、観客席は巨匠の発言を歓迎する声と困惑する声が入り交じり、喧噪が生まれている。
そして、隣のアーニュルは――――
「なんだかメンドーな事になりそうにゅる……ふあぁ」
欠伸なんぞしていた。
緊張感とは無縁の生物らしい。
「Huu、何を熱くなってるんだい? 最愛の弟子よ」
混沌とした空気が漂う中、緊張感のない人物がもう一人。
ステージ上の巨匠は俺の傍にいるベンヴェヌートを見下ろし、挑発的に口元を吊り上げている。
「ユーは栄えあるカメリア国王杯の初代大賞受賞者だろう? もっと堂々と構えていればいい。これは再審査じゃなく余興なのだから。それにだ、真にユーの作品が優れているのなら、この余興でもトップ確実だろ? HAHAHA!」
「愚民にこの私の絵が正当に評価出来るものか! 彼らは何もわかっていない! 黄金比の持つ幾何学的な優美さも、クラクリュールによる歴史の重みも、何一つ理解出来ていない者達に何がわかるというのだ!」
「わかるさ。いい絵はそういうシロートが見てもいいんだよ。だから金になるんだ、ボーイ」
最後の言葉は俺に向けてのものだったのか、こっちを見ながら口角を上げていた。
彼の基準では、金になる絵がいい絵って事らしい。
それが、初めて彼と出会った時には聞かなかった、俺の絵に対する彼の評価だったのかもしれない。
「ただの余興。お遊びだぜ、最愛の弟子。それとも勝つ自信がないからと逃げるかい? そっちのボーイ相手にアニュアス宮殿でそうしたように」
――――それが、最後の一押しになった。
「……この私が、逃げただと? 色も付けない、まともな絵すら描けないこの男から、逃げただと……?」
「YES! そう話に聞いているぜ。如何にも最愛の弟子らしい、心温まるエピソードだと腹抱えて笑っちまったよ。HAHAHA!」
「フフ……フフフ……」
みるみる内にベンヴェヌートの目が血走っていく。
「いいでしょう、師匠。貴方の挑発に乗りましょう」
その目をクワッと見開いたまま、ステージの縁に立つ巨匠へ宣言した。
なんというか……壮絶だ。
師弟関係がここまで拗れると、こんな険悪になるのか。
アルテ姫には今後、もうちょい優しくしよう。
でも今は、この師弟ゲンカに感謝。
大賞が変わる訳じゃないけど、一矢報いられる可能性が出て来た。
もし、この余興で俺への支持がベンヴェヌートを上回れば――――
「GOOOOOOD! それじゃあ余興を始めよう! 引き続きミーが仕切るぜ! HAHAHA!」
「ちょっっ、ちょっと困りますようっっ」
ピュッピさん、巨匠に司会進行の座を奪われてしまった。
もしかしたらこの一連の流れ、メアリー姫が用意した策略だと思ったんだけど、ピュッピさんの様子を見る限り予定外の出来事みたいだ。
って事は、巨匠のスタンドプレー。
他の古典派の審査員が黙ってなさそうだけど……あ、やっぱり審査席の何人かが怒り狂ってる。
でもステージに上がってまで中止を促すつもりはないらしい。
巨匠の方が画家としての格が上なのかもしれない。
唯一、巨匠より明らかに身分が上のゴットフリート殿下は――――貴賓席で楽しそうにアーサー殿下と歓談している。
この状況を楽しんでいるようにしか見えない。
逆に、いつの間にか貴賓席に座っていたアルテ姫とメアリー姫の方が動揺してるように見える。
ゴットフリート殿下はシロなのか……?
「そんじゃサクッと行くぜサクッと! まずはアーニュル、ユーだ! 壇上に来な!」
混沌の中――――巨匠の言う"余興"は始まった。
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