「よるれりほー」

 どんな時でもマイペースなアーニュルが、にゅるにゅるステージへ上がる。
 あの精神力は正直スゲーと思う。
 見習いたくはないけど。

「コイツの絵をステキだと思ったヤツ、手を挙げな! いや、手を叩け! 思いっきり叩いてくれ! HEY!」

 煽るような巨匠の仕草に反応し、アーニュルの絵を支持する観客が手を叩く。
 音の大きさで判断するって事か。
 アーニュルへの支持数は……比較対象がないからよくわからん。
 ここから見る限りだと、結構な数の観客が手を叩いているように見えるけど。

「THXXXXXX! いーい拍手だ! グレイト! 次はベンヴェヌート! こっちへ来な!」

「フン」

 呼ばれたにも拘らず、ベンヴェヌートは動こうとしない。
 俺の隣の席で座ったまま、まだ目を血走らせている。
 正直、ちょっと怖いんだよな。

「……愚民どもが私の絵をどう評価しようと興味はない」

 その怖い顔のまま、ポツリと呟き出す。
 俺へ……だよな?

「君達の思惑は読めている。ここで私への支持が少なく、君への支持が多ければ、私の絵は専門家にしか受けないというレッテルが貼られ、評価も商品価値も落ちると思っているのだろう」

「俺を共犯者みたいに言ってるけど、この余興に俺は一切関与してないぞ」

「最早どちらでもいい。私が言いたいのは、この程度の嫌がらせに私は屈しないという事だ」

 そう宣言しながら、堂々と、そしてゆっくりステージへ上がっていく。
 ……こいつの中では、自分は一点の曇りもないヒーローなんだろうな。

 まあ、奴の自己像なんざどうでもいい。
 大事なのはこれから下される審判だ。

 もし観客の人達もこいつの絵を全面的に支持するのなら、俺の完敗。
 古典派の絵が一般市民に支持を得たと喧伝され、古典派の増長は一気に広がって行くだろう。

 あ、今わかった。
 だから巨匠、こんなサプライズを仕込みやがったのか。
 古典派の巨匠にとっちゃ、どっちに転んでも痛くない。
 大した策士だよ、あの人。

 その巨匠とベンヴェヌートが、ステージ中央で並び立つ。

「YO、遅いじゃないか、最愛の弟子。ビビッてんのかい?」

「貴方を師匠と呼ぶのは今日までです。古典派の斜陽の象徴たる貴方の尻拭いが、私の最後の孝行と思って頂こう」

「HAHAHA! 大層な自信じゃないか。その斜陽にまで頭を下げて古典派で審査員を固めたチキン野郎が」

「ただの自己防衛に過ぎません。同じ事を写実派や幻想派にされる前に手を打っただけの事」

 静寂の中、二人の話し声が微かに聞こえてくる。
 恐らく観客席には届いていない、そんな絶妙な音量だ。

「いずれにせよ私は大賞を受賞した。それが現実だ。そして愚民共は"大賞"というブランドを崇拝する。連中に、己の目で判断する力などない。つまり……私の勝ちだ」

 孔雀の羽のような飾りを背に、ベンヴェヌートは両腕を左右に広げ、両脚をクロスさせ、天を見上げ顎を前に突き出し、拍手を浴びるポーズをとった。
 その姿に肩を竦めた巨匠が、観客を煽る。

「コイツの絵に惚れ込んだヤツ、力の限り手を叩いてくれ! YEAH!」

 拍手の音は――――

「……?」

 ない。
 なんだ……どうしたんだ?
 メガホンの調子が悪くて、合図が聞こえなかったのか?

 いや、耳を澄ませばちゃんと聞こえる。
 でもこれは……明らかに――――小さい。
 審査員の仰々しい拍手が、異様に目立つくらい。

「な……なんだこれは。どうなっているんだ!?」

 そう叫びながら立ち上がったのは、その審査員達だ。
 当のベンヴェヌートは、さっきのポーズのまま固まっている。
 完全にフリーズ状態だ。

「さあ! 大賞を受賞したベンヴェヌート=ヴァスィリキーウシクィイの絵を支持する者は大きな拍手を!」

 ものスゴくいい笑顔で、巨匠が更に煽る。
 だけど、観客席からの拍手はやはり疎ら。
 その拍手すら、気まずさからか、さっきより音が小さい。

 俺はあらためて、観客席に目を向けた。
 よく見ると、その多くが若者だ。
 ポツリポツリと年輩者の姿もあるけど、圧倒的に若い世代の人達が多い。

「こういうイベントに興味を持つのは、若い人が多いにゅ。古典派の絵にあんまり興味がない層にゅる」

 ポツリと、アーニュルがそう呟く。
 彼も気付いたらしい。
 この惨劇とも呼べる状況の主因に。

 でも、例えそうだとしても、ここまで露骨なものなのか?
 国民の総人口の一%にも遥か及ばない数のジャッジではあるけど……それにしたって異様だ。
 こんなにも古典派の絵は若者離れが進んでいるのか。
 だとしたら、古典派が危機感を抱くのは当然かもしれない。

 それに、ベンヴェヌートの絵は確かに上手いけど、若い市民にとって甲冑を装備した兵士は遠く、そして怖い存在なのかもしれない。
 銃剣が主流になった事で、甲冑自体が廃れてるみたいだし。
 余り馴染みのない、それでいて無機質な威圧感のある甲冑姿の兵士が並ぶベンヴェヌートの絵は、古典派という様式の特色により更に重厚感を増し、若い世代に取っつき難い絵になってしまっている。

 本来、ここまで支持されないような絵じゃない。
 だけど自己顕示欲ばかりを前景にした結果、こうなってしまった。 

「OK! 最愛の弟子への温かい拍手に感謝するぜ! 次が最後だ!」

 観客へ向けてシャウトした後、巨匠が弟子の肩に手を置く。
 それはまるで、レフェリーからTKOの宣告を受けたボクサーのようだった。

「HEY! ユーリ、何ボーッとしてるんだ? カモン!」

「呼んでるにゅるん」

 にゅるにゅるとアーニュルに脇腹を擽られ、俺はようやく巨匠に呼ばれている事に気付き、慌ててステージへと向かうべく階段を上る。
 そんな俺と入れ違いになるようにして、ベンヴェヌートが降りてきた。

 俺は――――その姿に過去の自分を見た。
 足取りは重く、目も虚ろ。
 あの自信の塊のようだった男が、今は抜け殻になり、表舞台から去ろうとしている。

 あれは、元いた世界の俺の姿だ。

 最初のラノベが売れて、有頂天になって、この先もずっとこの調子でやっていけると信じていたのに……いとも簡単に消えてしまったイラストレーター。
 違うのは、実力のなさが浮き彫りになった俺に対し、奴は閲覧者を軽視し過ぎた点。
 でも、根っこの部分ではどっちも同じだ。

 需要なき絵描きは去れ。
 お前の居場所はないのだから。

 ――――俺は、すれ違うベンヴェヌートの姿を目に焼き付けた。

「ヤツにはイイ薬さ」

 歩み寄った俺に、巨匠は一言、そう呟いた。
 そして直ぐに観客席へ向かって煽りを入れる。

「レディーズ&ジェントルメン! 拍手の準備はいいかい? 行くぜ!」

 俺が描いたのは亜獣。
 もしかしたら、兵士よりも嫌われるモチーフかもしれない。
 そんな懸念がふと頭を掠めた、その時――――

「このボーイの絵を気に入ったヤツは手を叩け!」

 俺の意識は、信じられない"音の群れ"に呑まれそうになり、あっという間に不安は消え去った。

 とてつもない数の、手を叩く音。
 この日一番の、それも圧倒的に一番の音量だ。
 何気に巨匠も陽気な笑顔で拍手している。

「サイコー! ユーリサイコー!」

「この絵も良いけど、《絵ギルド》も超クールだぜ!」

「ユーリ先生、こっち向いてー!」

 声援の中には、《絵ギルド》という言葉も多数含まれていた。
 ウィステリアから来た人達が観客としてやって来るのは期待していた。
 でも、それは少数だと思っていた。

 いや……実際に少数だろう。
 幾らなんでも、この授賞式を見に何百人、何千人ものウィステリア市民がやって来るとは思えない。
 殆どの観客は、地元の王都アルストロメリアの人達で間違いない。

 だとしたら、《絵ギルド》をこれだけ多くの観客が知ってるのはどうしてだ?

「こっちでも《絵ギルド》売ってくれよ! わざわざウィステリアの図書館まで行くの大変なんだ!」

「そうだそうだ! こっちなんて旅行の行き先まで変わっちまって大変だったんだぜ!」

 その答えは、声援の中にあった。
 ジャンの発案が、この王都の市民にまで《絵ギルド》を広めていたのか。
 そして作者の知らない間に、こんなに多くの人達に見て貰っていたのか。

 でも俺は、この余りにも出来過ぎな結末を素直に喜べずにいた。
 こうなりたい、こうあって欲しいという願望の遥か上を飛び越えた現実について行けてないのもある。
 だけど、それ以上に思うのは、まだ目的は果たしていない、果たさないといけないという使命感。
 すなわち――――

「鎮まりたまえ!」

 ――――その絶叫は、野外ホールと屋内を結ぶ通路の出入り口から発せられたものだった。
 余りの剣幕に、拍手の音が一瞬で鳴り止む。
 そして全員の視線が、声の主――――ゴットフリート=カミーユ=サージェントへと向けられた。











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