いわゆる王族と呼ばれる人達に俺が持っていたイメージと先入観は、このリコリス・ラジアータで知り合った三名の王族によって悉くかき消された。
 アルテ姫。
 メアリー姫。
 そしてもう一人が、このゴットフリート殿下だ。

 三人に共通しているのは、気さくで話し易い点。
 実際偉い立場なんだから、偉そうにするのが寧ろ当たり前の筈だけど、彼女達は全員、俺に対してフランクに話しかけてきた。

 だから、俺のゴットフリート殿下への印象は、例えパオロがなんと言おうと、ジャンが疑問視しようと、どちらかと言えば"シロ"寄りだった。

「あっっ、あのっっ……」

 ステージ上でピュッピさんが困り果てている。
 その理由は、こっちへ向かって歩いて来るゴットフリート殿下の表情だ。
 普段の柔和さは影をひそめ、厳しい顔つきで迫って来るその姿は、それだけで恐怖心を煽る。

 大賞も決まり余興も終わった。
 残るは最後の挨拶のみ。
 さあ、自分の出番だ――――とてもそんな類の意気込みには見えない。

「……」

 何より象徴的なのは、ベンヴェヌートの様子だ。
 さっきの抜け殻みたいな状態はまだ心理的なものとしてわかるけど、今は病的に顔色が悪い。
 この姿を見た瞬間、俺は反射的に理解した。

 ゴットフリート殿下が"クロ"だと。

 その迫力は会場の隅々に行き届いているのか、水を打ったような静けさが続いている。
 たった一度の咆哮によって、場の空気を一変させてしまった。

 その人物が、いよいよ俺達の目の前まで近付いて来た。
 そして――――

「これより! 第一回カメリア国王杯の総評を行う!」

 ステージに上がったゴットフリート殿下は、メガホンも使わず肉声で宣言。
 それでも会場を飲み込む程の音量だった。

「まずは大賞を受賞したベンヴェヌート=ヴァスィリキーウシクィイ君。貴殿に心からおめでとうと言いたい。カメリア王国美術史の基盤たる古典派を決して廃れさせる事のないよう、これからも精進したまえ」

「は……はっ!」

 光栄なお言葉の筈なのに、ベンヴェヌートの顔色は変わらない。
 心底恐れている。
 その理由は、直ぐに判明した。

「だが、それには矯正が必要のようだ。己を大きく見せようとするのは良いが、少々度が過ぎるようなのでな」

 それは、この場での振る舞いを諫める言葉じゃなさそうだ。
 メアリー姫に対して行った、ゴットフリート殿下の名を使ったクーデターの虚言に代表される、ベンヴェヌートのハッタリ癖を指しているんだろう。

「君の才能は豊かだ。だから小生も君には期待せざるを得ない。が、これからは大賞受賞者としての"格"を身につけて貰うとしよう。わかるかね?」

 深い事情は俺にはわからない。
 でも――――ゴットフリート殿下が訴えている漠然としたモノの正体は、なんとなくわかる。
 脅迫だ。

 今までは好きにやらせてきた。
 だがお前は今、隣国の王子を招いてまで古典派の成功をアピールしようとした自分に恥をかかせた。
 その報いを受けて貰う。

 多分、こんな感じだ。
 ベンヴェヌートの震えている姿を見る限り、大きく間違っちゃいないだろう。
 国政に絵画の派閥が絡む、美術国家だからこその光景だ。

「次は、写実派のアーニュル=チュルリューニュ君。個人的に、小生は貴殿の絵が一番好きだ。モチーフが良い。古典派の良きライバルとなるよう、期待しているよ」

「……」

 いつもなら『よるれりほー』とでも返しそうなアーニュルですら、黙って深々と頭を下げるのみ。
 それくらい、ゴットフリート殿下の迫力は群を抜いている。
 今までは羊の皮を被っていたに過ぎなかったのか……?

「さて。問題は……貴殿だよ。ユーリ君」

 その皮が剥がれた原因があるとすれば、それは間違いなく俺だろう。
 無言でステージに上がるよう促すその仕草は、最早ヤクザやマフィアのようだ。

 どうやらさっきの光景は、古典派のパトロンである彼の逆鱗に触れたらしい。
 次期国王最有力候補を激怒させた今、どんな言葉を浴びせられるか想像も付かない。

 なのに、どうだ。
 あれほど精神的に貧弱だった筈の俺は、この苦境を前に、まるで動じていない。

 シロかクロかはっきりしなかったゴットフリート殿下の激変と、この展開。
 公開処刑どころか実際に処刑されかねない、そんな暗澹とした空気すら漂う。
 でも、俺は妙に冷静だった。

 自分への報復が完了した事で、満足し切って悟りの境地を開いた――――訳でもない。
 アルテ姫やメアリー姫が守ってくれる――――とも思っていない。

 一体なんなんだろうな。
 自分でもわからないまま、俺はゴットフリート殿下に続いてステージに上がった。

「ふむ……初めて王城で会った時とは顔つきが違うようだ。先程の民衆からの支持がそうさせたのか、或いはそれ以前に成長していたか」

 そんな俺の心理面での変化を、ゴットフリート殿下も気付いたらしい。
 怒号が飛んでくると思っていた俺は、少し拍子抜けした。

「貴殿の絵は、以前から知っている。実に独創的で、興味深い作風だ。大層変り者の描いた絵だと思えば、実に平々凡々たる青年という点も興趣が尽きぬ。どのような人生を送れば、その境地に到るのか……教えて欲しいものだが、今はそれを論じない事としよう」

 元いた世界には、俺みたいなイラストレーターは山ほどいるんだけどね。
 ――――と、そんな無駄口を心の中で叩く余裕が、俺にはあった。

 けれど、その余裕は一瞬で消し飛ぶ。

「問題は、貴殿の描いた絵のモチーフにある。単刀直入に聞こう。貴殿は亜獣を使い、人類を洗脳しようとしているのではないかね?」

「……は?」

 思わず俺は、そんな間の抜けた、そして王族に対して無礼な声を発してしまった。

 洗脳?
 何を言ってるんだこの人は。

「亜獣は人類にとって忌むべき存在。事実、小生自身が陽性亜獣と戦い、その獰猛さ、狂暴さを体感してきた。それ故に、傭兵ギルドや冒険者ギルドでは対応出来ぬと、総合ギルドの設立を立案した。無論、ここ王都でも亜獣対策を礎とした新部隊の創設を進めている。これは初めて発表する事実だが……」

 ゴットフリート殿下の声は、決して叫んでいる訳じゃないのに、遠くまで届きそうな芯の強さを感じる。
 恐らく観客席の多くの人の耳にも届いているだろう。
 その声で――――

「その国民の大敵たる亜獣を、正当化しようという動きがある。貴殿の絵にはその嫌疑が掛けられているのだ。もし真実であるならば……国家反逆に該当する大罪だ」

 ハッキリと、そう宣告した。
 国家……反逆?
 絵を描いただけで?

「ゴット! どういう事ですの!?」

 まだ事態を飲み込めていない俺の耳を、忙しない足音と絶叫に近いメアリー姫の声が劈く。
 彼女も貴賓席から降りてきたらしい。
 その遥か後方にはアルテ姫、そしてリエルさんの姿も見える。
 アーサー王子は……貴賓席から隣国のドタバタ劇を涼しい顔で眺めていた。

「メアリーか。どうやらようやく貴殿と議論が交わせそうだ。上がって来たまえ」

 ゴットフリート殿下にそう言われるまでもなく、メアリー姫は階段を三段飛ばしで上がって来た。
 運動神経までいいんだな、この人。
 万能樹脂並に万能だ。

「……話は向こうの通路で聞いていましたわ。ゴット、貴方の指摘は余りに不条理ですわよ」

「ふむ。まずは話を聞こう。小生の指摘の何処が、不条理なのかな?」

「全てが不条理ではなくて? ユーリの絵の何処に、亜獣を正当化する要素があるというのです。貴方はユーリの解説を聞いていませんでしたの?」

 まだ少し荒れたままの息で、それでも極力抑え気味に、メアリー姫は俺を弁護してくれる。
 対するゴットフリート殿下は、その視線を一瞬メアリー姫から外し、ようやくステージの傍まで辿り着いたアルテ姫に向けた。

 それで俺は気付いた。
 この男の狙いは、俺じゃなく両王女だ。

 ようやく、ゴットフリート殿下の全体像を捉えた――――そんな気がした。

「成程。確か彼は、市民の混乱を防止すべく亜獣を敢えて諧謔的に描いたと言っていたね。一応、筋は通っている」

「なら……」

「だがね。こんな情報もあるのだよ」

 その正体は、羊の皮を被った狼……という表現すらも生温い、凶暴な生き物だった。

「君達の父親、つまり現国王が亜獣狂いになってしまった! ……そういう情報がね」

 それを……ここで言うか。
 言ってしまうのか。
 これだけ観客を入れた、この場所で。

 国家反逆と言うのなら、今の発言こそそれに該当するだろう。
 幾ら王族でも、国王を公の場で堂々と侮辱するなんて普通は許されない。

「ご、ゴット……!」

「黙りこくりなさい! アンタ何言ってんのよ! 馬鹿じゃないの!?」

 絶句するメアリー姫。
 血相を変えてステージに上がり、今にも噛み付きそうな目で睨むアルテ姫。

 その二人を、ゴットフリート殿下は……ゴットフリートは冷徹な目で睨み返した。

「黙る訳にはいかないのだよ、アルテ。そしてメアリー。小生が何も知らぬと思っていたのかね? 貴殿達が国家に対し、裏切りに等しい行為を働いていた事を」

「裏切り……ですって?」

「亜獣狂いとなった人物が国王に居座り続ければ、この国の未来がどうなるか想像に難くなかろう!」

 まるで突風のような、突然の咆哮。
 俺は思わず顔をしかめたが、それ以上に王女二人は心を乱しただろう。

「ゴットフリート殿下! それは……!」

「リエル、貴殿も議論に参加するのなら歓迎しよう。反論材料があるのならね」

 反射的にゴットフリートの発言を止めようとしたリエルさんは、顔をしかめつつ押し黙る。
 反論材料は……多分、ない。
 国王が亜獣に魅了されているのは事実だから。

「残念だ、メアリー。まだ精神的に幼いアルテと違い、貴殿は聡明で大局的に物事を捉える目も持っていると思っていたが……」

 メアリー姫は何も言い返せない。
 本当なら、こう叫びたいに決まってる。
 父親を国王から引きずり下ろすような真似、出来る訳ないだろう、と。

 出来る訳ない。
 そして、突かれれば二の句が繋げない急所でもある。
 だからこそ、誰にも悟られないように隠して来たんだろうけど……古典派にはバレてしまっていた。
 幾らメアリー姫が有能でも、国王が王城に滞在している以上、今の状態を隠し通すのは難しかっただろう。
 俺ですら目にしたくらいだ。

「どうやら議論は長続きしなかったようだ。残念ではあるが、打ち切るとしよう。さて、諸君! 聞いての通り、現国王、現政権は最早国賊も当然!」

 勝利を確信したゴットフリートが、観客に向けて意気揚々と語り始める。
 観客の殆どは戸惑っているらしく、小さな喧噪を生じさせるのみ。
 ゴットフリートがこれまで国民にどんな接し方をしていたかは知らないけど、俺に対して見せていたあの気さくで大らかな顔だったとすれば、そんな人物が突然国王を国賊呼ばわりしたとなると戸惑って当たり前だ。

「ゴットフリート殿下!」

 その中で数少ない、彼の素顔の片鱗を覗いていたジャンが観客席から飛び降りてくる。

「ジャンか。貴殿も小生と語り合ってくれるのかな?」

「貴方は……話し合う気などないでしょう。対話をしようと言いながら、実は相手の意見を受け入れる気がない。ハイドランジアにいた頃からずっとそうだった」

「そんな事はない。小生は常に議論を求めているよ。小生は常に門を開いている。ただ、小生が自ら体験し、身につけた訓蒙に勝る言葉が余りに少ないだけの事」

 あっという間にステージ前まで駆けてきたジャンの訴えを、ゴットフリートは一蹴した。
 そして俺の方へ視線を戻す。

「これは絵画も同様だ。薫陶を受ける絵画は決まって古典派の絵。だから小生は古典派を支持する。尤も、近年の古典派の画家はやはり物足りないのだがね」

 本性を剥き出しにしたゴットフリートは、ベンヴェヌートとは違う形のナルシズムを持っていた。
 これまで何度も、ベンヴェヌートに政治家にでもなればいいと思っていたけど……どうやら本物は格が違う。

 彼はずっと、この時を待っていたのか?
 自分は好青年を演じながら、二人の王女の警戒心を削ぎ、一方で現国王の情報を集め、ベンヴェヌートの野心を泳がせ……全てを手に入れようとしたのか?

 黙っていても国王の座は手に入る可能性が十分にある。
 でも、それだけでは国民の支持は得られない。
 現政権を攻撃し、古典派の印象を良化させる事で、ようやく強力な王制を敷ける。
 ――――自分に相応しい王制を。

「ベンヴェヌートは品のない事に、国民の眼識を嘆いていたが……責任は全て現政権にあるのだよ。物事は全体を見なければならない。教育の質が低下しているのだ。亜獣に狂い、幻想派の絵に狂う人物が頂点にいるようでは、当然の帰結と言えよう」

「ゴット……貴方は……」

「フザけないでよ! お父様は……お父様はそんなんじゃ……」

 その為に――――彼女達の、アルテ姫とメアリー姫をこうまで平気で苦しめているのか?

「ユーリ、君がこの二人と親しくしているのは知っている。つまり、君もまた国賊たる可能性が濃厚という訳だ。だが小生は知っての通り、議論を好む。反論を受け付けよう。さあ、大勢の国民の前で自己弁護するがいい」

 ……なーにが、議論だ。
 揚げ足を取る為に発言を促してるだけだろ。

 ここに来て俺は、自分が冷静な理由が少しわかった気がした。
 正確には"冷静"じゃなかった。
 不安や恐れが、塗り潰されていたんだ。
 怒りによって。

 知らなかったよ。
 俺、怒ったらこんな風になるんだな。
 元いた世界じゃ、怖がったりふて腐れたりしてばっかりで、本気で他人に怒った事はなかった。
 それくらい、他人に、現実に向ける目を持てなかったんだ。

 なんつーダメ人間だ。
 喜怒哀楽なんていう、ある意味では起承転結並に基本的な人間の感情すらまともに表現出来てなかったのか。
 それでよくもまあ、表現者みたいな顔でイラストレーターを名乗ってたもんだ。

「……何が可笑しいのかね?」

 ゴットフリートが怪訝そうに尋ねてくる。
 そりゃ、自分の滑稽さに決まってる。
 こんな自分を誰が擁護するかよ。

「自己弁護じゃないんですけど、観客のみなさんに一言、言いたいですね」

「構わんよ。メガホンを使いたまえ」

「どうも」

 俺はメガホンを持つ巨匠へと近付き、それを受け取る。

「こういう時は、黙って嵐が去るのを待つのが賢い大人ってモンだぜ、ボーイ」

 巨匠のそれは、助言なのか自分の身の振る舞い方の解説なのか、判断に迷うものだった。

「ま、ボーイなんで」

 そう答えつつ、既に二十歳を超えてしまった自分を少し嘆く。
 そして、不安そうにこっちを見ている王女二人に微笑みを向けつつ、俺はメガホンを口に添えた。










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