「な……」
絶句するしかない。
一体何がどうなってるのか。
ゴットフリートに脅された時でも冷静でいられたけど、流石にもう無理だ。
「あれ……?」
ジャンもここでようやく、亜獣が降下を止めた事に気付いたらしい。
が、その直後――――
「う、うわっ!?」
ジャンが踏み潰される。
――――ただし、亜獣じゃなく、亜獣から飛び降りてきたイヴ=マグリットによって。
ある意味大惨事なんだけど、想定していた悲劇とは程遠いダメージだ。
「この男はこういうところがある。だから妙に人気はあった」
「……いや、ジャンのヒーロー気質はいいですから。他に説明する事あるでしょ」
「それは余が引き受けよう」
え……?
「げうっ!」
再びジャンの悲鳴。
もう一人、誰かが亜獣から飛び降りた。
ジャンの容体も少し気になるところだけど、もっと気になったのは――――その声。
一人称も含め、俺はその声に聞き覚えがあった。
でも、どうしてもその記憶とは一致しなかった。
話し方、語感、何より声に宿る生気が全然違ったからだ。
「ふぅ……まだ本調子には程遠いか。目眩が止まらん」
そんな惚けた事を言いながら、イヴさんの方へ歩み寄るその人物の顔を確認した俺は、こっちこそ目眩がすると言いたくなる衝動に駆られ、必死でそれを堪えていた。
「あ……ああ……」
でも、俺より更に驚愕していたのは、隣のリエルさん。
無理もない。
そして多分、建物の中にいる王女二人が見れば、更に――――
「あ……あああああああああああああああああああああああああああああ!」
こうなるに決まってる。
アルテ姫の絶叫が、何もかも物語っていた。
一度だけ王城で見た、あの病的な姿とはまるで違う――――細顔ながら精悍な顔つきの男性。
伸ばし放題だった髭は剃り、髪の毛は後ろで束ねているけど、間違いない。
この人は――――
「国王……陛下……!」
そう。
国王ヒューゴ=ヌードストローム、その人だ。
真っ先に建物へ避難していたゴットフリートがいつの間にかステージ前まで戻って来て、国王を苦々しい顔で睨みながらそう口にした。
「ゴットか。上空から見ていたぞ。末代まで語られそうな、見事な逃げっぷりだったな」
「お戯れは止めて頂こう! これは一体どういう事ですかな? やはりあの噂が真実だったと、自ら宣言しに来たのですか!」
亜獣に魅入られた人物が、亜獣の背に乗って登場した。
確かに、そんな見方も出来る。
でも、恐らくゴットフリートもわかっているだろう。
国王がそれをする意味は全くないと。
「お前に貰った"これ"の事を思い出してな。返そうと思って持って来た」
その返事代わりに――――国王は背負っていた四角い何かを手に取る。
白い布に包まれているけど、大きさと形状を見る限りは……絵画か?
「!」
それを見た瞬間、ゴットフリートの顔色が極端に変わった。
あれは一体……?
「せっかくの貰い物だが、余の趣味ではない。高価な絵と見受けた故、返却しようと思うのだが」
「よ、よして下さい! よせ! 止めろ! 布を解くな! その絵を……小生に見せるな!」
突然、ゴットフリートが必死の形相で顔を腕で覆い始めた。
だけど彼の訴えは無視され、布の名から一枚の絵が出てくる。
それは――――
「……《親子の再会》?」
俺の描いた、その絵だった。
「おっと。うっかり間違えてしまったな。これはつい先日、余がイヴから受け取った絵だ。ははは、お前に貰った絵は忘れてしまったよ、ゴット」
「陛下……!」
「だが、これまでお前がしてきた数々の行為は決して、忘れはしない。お前のやり方が古典派の意向そのものであるならば、尚更な」
イマイチ要領を得ないやり取りだったが――――国王に対し、ゴットフリートが怯んでいるのはわかった。
反論出来ないままの彼を暫く睨んだ後、国王は貴賓席の真下まで歩を進め、その場に留まっていた(一旦は避難したと思うけど)アーサー王子を見上げる。
「アーサー王子! 貴殿の父君にも宜しく言ってくれたまえよ! 余は壮健であると!」
「あ……わ、わかりました」
そして、自らの健在ぶりをアピール。
更に今度はステージへと登り、中央でピュッピさんにメガホンを渡すようジェスチャーで請求した。
まるで演劇役者のような所作だ。
その間、ゴットフリートは憎々しげに顔をしかめ、足早に建物内へと去って行く。
幾ら彼が王族で大物であっても、こんなタイミングで正気の国王に出て来られたらひとたまりもない。
長らく練りに練った計画も策略も全てが白紙。
彼の夢は潰えたんだろう。
でも俺は、銀色のコーラ野郎のように突然発覚したラスボスよりも、通路の入り口付近で突っ立っているベンヴェヌートの方が気になった。
本来、この授賞式の主役となる筈だった男は、最早端役にすらなれず、こっちをギロリと睨み付け――――
「貴様さえ……いなければ……!」
唇の動きから察するに、そんな怨念の言葉を吐き、ゴットフリートの後を追って行った。
それは多分、俺に向けられた呪詛じゃない。
思い通りにならない現実へ向けた、精一杯の自己防衛だ。
……かつての俺が、そうであったように。
「長らく放置して済まなかった! カメリア国民の若人達よ、我が娘の発案したカメリア国王杯の授賞式に参加してくれて感謝する。余はヒューゴ=ヌードストローム。この国の国王だ!」
ステージ上では、メガホン片手に国王がスピーチを始めた。
本来の外見とは程遠いその姿からは判断出来なかった観客の人達も、ゴットフリートやアーサー王子への対応と彼らの反応から、この人物が国王だと確信したらしく、そのボルテージは一気に高まり、凄まじい熱量の歓声が上がった。
例えは変だけど、アイドルのコンサートを見ているみたいだ。
その様子を、彼ら以上に熱い視線で見守っているアルテ姫とメアリー姫に目を向けてみる。
本当なら、今すぐにでもこの場に飛び出して抱きつきたいのかもしれない。
でも、父親の復活の舞台を邪魔しないよう、目をウルウルさせながら耐えているアルテ姫の姿が印象的だ。
一方、メアリー姫はというと、取り乱す事なく、穏やかな表情で父親のスピーチを聞いていた。
それはまるで、聖母のよう。
彼女の心の中はきっと、俺がどう頑張っても描ききれないほど崇高な想いで満ち溢れているに違いない。
「今だから発表出来る事だが、余は重い病に伏していた。希望の見えない日々に諦めかけた事もあったが、周囲の者達の協力あって、無事こうして帰って来られたのだ。その恩人の一人をこれから紹介しよう。ユーリ!」
「へ?」
いきなり名前を呼ばれ、俺、困惑。
どうやら壇上に呼ばれているらしい。
「ユーリ先生、行って下さい。国王陛下がお待ちです」
「は、はい。行ってきます」
隣にいたリエルさんは、いつの間にか大粒の涙を流していて、俺を促すその声も震えていた。
彼女もまた、両王女同様に今の国王の姿を待ち望んでいた一人だ。
そして――――
「君がユーリ……この絵の作者か」
駆け足でステージへ上った俺に、初めて見た時とは別人の、精悍な国王が語りかけてくる。
脇に抱えていた《親子の再会》を、観客に向かって掲げながら。
「彼の描いたこの絵画を見た瞬間、弱っていた余の心は病に打ち勝つ力を手にしたのだ! そして今! 余は無事に回復し、亜獣を手懐ける事に成功した! 国民よ、亜獣に怯え恐怖する日々は終わったのだ!」
それは――――彼が亜獣と共に現れた理由でもあった。
俺とは全く違うやり方で、それも国王の器に相応しいやり方で、国民の亜獣への不安を取り除く。
その為のパフォーマンスだったんだ。
……一体どうやって亜獣を手懐けたのかは謎だけど。
当の亜獣は、いつの間にか再び上昇し、アルストロメリア野外劇場の上空を回るように舞っている。
心なしか、俺の真上で円を描いているような気がした。
「今し方到着したばかりで、流れが今一つわかっていないが、恐らく既に大賞は発表されているのだろう。だがそれとは無関係に、余はここにいるユーリを称えたい。何故なら、此度の余の回復は、ここにいるユーリの絵画なしには考えられなかったからだ! 余は彼の絵に見惚れ、そして大事なものを取り戻したのだ!」
観客は国王の宣言に対し、先程以上の歓声で応える。
それは図らずも、先程ゴットフリートが俺に突きつけた『一ヶ月以内に国王が俺の絵に見惚れたと宣言する』という条件の承認となった。
一ヶ月どころか一時間以内での決着に、俺は歓喜や驚きというより、一種の不気味さすら感じていた。
これまで散々、自分に降りかかる幸運をご都合主義体質だと茶化してはきたけど……ここまで来ると、そうも言っていられない。
俺、本当に大丈夫なのか?
一生分の幸運をこの二年で使い果たしてないか?
「ユーリ、君からも皆へ向けてメッセージを送るといい。皆、待っているぞ」
「へ?」
こっちに振られるとは全く予想していなかった俺は、狼狽したまま国王からメガホンを受け取った。
メッセージって……いや、そういうの本当に苦手なんだって!
しかも数万人の視線が集中してる中で、一体何を話せばいいんだよ!
拷問だ拷問!
俺は泣きそうになりながら、ステージの下のリエルさんに目を向ける。
『思った事を言っていいんですよ』
なんとなく、そう言われた気がした。
実際に彼女の声は聞こえなかったけど、表情とか、首の傾き具合とか、そういうのから伝わってきた。
……ええい、ならもう言ったれ!
恥のかき捨てだバカヤロー!
「えー、やけに持ち上げられた割に、最終選考止まりのユーリです」
ドッ――
自虐から入った結果、ややウケだった。
置きにいってややウケかい!
本当に恥かいちまったよ!
今は気持ち昂ぶってるからそうでもないけど、後日ずーっと引きずるヤツだ、これ。
もういいや。
思った事、言おう。
「先程、国王様が俺の絵の功績を称えて下さいましたが、こうして国王様が病を克服されたのは、カメリア王国と俺達国民を想う国王様の強さがあってこそ、です。国王様は亜獣被害を誰より憂慮なさっていたと聞いています。だからこそ、こうして復帰を果たされ、亜獣を手懐けた姿を披露なされた。国家の長、国家の父に相応しいお姿です」
ワアアアアアアアアア――――
今度は大きめの反応。
……なんかヒーローインタビューみたいになってんな。
それはともかく、今のスピーチは決しておべっかじゃない。
国王は以前、亜獣による被害状況が判明した時に一時的とはいえ正常に戻ったとリエルさんが言っていた。
国王の中に、国民を案ずる心が残っていたからだろう。
亜獣は怖くない。
俺が《親子の再会》に込めたメッセージの一つだ。
これはルピナスの人達だけに向けたものじゃない。
亜獣による被害が最小限で済んだ、無事に解決したそのシーンを描く事で、国王にもそれを読み解いて貰えないかと密かに思っていた。
そうすれば、国王の心が掴めるんじゃないかと。
そして実際、国王はこうして復活した。
その心にこの国と国民を愛する気持ちがあったからこそ、メッセージを読み解いたのは間違いない。
俺如きがこんな事を思うのは無礼だけど、立派な国王だと思う。
さあ、いよいよ大詰めだ。
「最後にお礼を言いたいと思います。皆さんの拍手と声援、本当に嬉しかったです!」
そこで一旦喉の調子を整え、覚悟を決める為の準備。
……よし。
深呼吸を一つした後、メガホンを掲げ、その覚悟を口にすべく視線を上げた。
「つきましては、皆さんにお礼をしたいと思います! お手元のパンフレットにサインしに回りますんで、欲しいって人がいたら、その場に残っていて下さい! 記念ですから、どうぞ貰ってやって下さい!」
ウ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ ――――――――
わ!
地鳴りだ地鳴り。
まるで夢の世界にいるような、現実離れした時間だ。
「随分と無茶な事を言ったものだな。この人数全員にサインをするというのか? 無謀にも程があるぞ」
俺からメガホンを返された国王が、呆れ顔で首を左右に振っている。
「全員って訳じゃないですよ。欲しい人だけです。要らないって人も沢山いるでしょ」
「それはどうかな? 君は余を、国王を救った英雄だ。君の絵の好き嫌いに関係なく、ただそれだけの理由で欲しがる者も多いだろう」
「なら、これを機会に名前を覚えて貰いましょう」
多分、画家の地位が高いこの国では、俺の姿勢は異端なんだろうと思う。
でも重要な事だ。
絵だけで評価して欲しいなんて、イラストレーターの思い上がり。
手に取って貰う為には、やれる事はなんでもやる。
これだけ大勢の人達にサインをする機会なんてもう二度とない。
なら、その機会を逃す手はない。
辛かろうが恥ずかしかろうが、とにかく、やる。
その積み重ねが、俺の絵を見て楽しんだり、喜んだり、心躍らせたりしてくれる人との出会いを作るんだ。
元いた世界で出来なかった事。
昔の俺にはやれなかった事。
さあ、報復の時間だ。
「どうやら、余が夢を見ている間、美術大国カメリアは新たな夜明けを迎えたようだ」
国王はニヤリと笑い、メガホンを肩に担ぐ。
今の表情、両王女とソックリだ。
「皆の者! 余の愛した画家ユーリのサイン、遠慮なく受け取るがいい! 恐らく一日がかりとなろう! 翌日までこの会場は空けておく! 寝泊まり覚悟で待つがよい!」
そ、そこまで煽らなくても。
流石に半分くらいは帰って頂かないと……
俺の弱気を余所に会場が大歓声に包まれる中、国王はメガホンをピュッピさんに返却した。
その刹那――――
「お父様! お父様ーーーーーーーーーっ!」
スピーチが終わるのをずっと待っていたんだろう。
アルテ姫が凄まじい勢いで突進してきた。
その光景を眺めながら、胸の中に去来したのは、安堵。
《親子の再会》が、無事に役目を果たしたという安心感と充実感で満たされていた。
「うわーーーーーーーーん! お父様のバカーーーーーーーーーーーっ!」
「こら、アルテ! 国民の前ではしたないぞ! 全く……泣き虫なのは変わっていないな」
――――アルテ姫の歓喜と感涙。
「お父様……」
「メアリー。お前には随分と苦労させてしまったな」
「本当にそうですわ。本当に、お父様は……これから暫く、わたくしの分まで働いて貰いますからね!」
――――メアリー姫の安寧と解放。
「良かった……本当に良かった……」
――――そして、リエルさんの笑顔。
自分の描いた一枚絵が、大事な人達に貢献した。
イラストレーター冥利に尽きる。
この瞬間に勝るものは何もない。
「ようやく……終わったのね……」
「ユーリ先生、お疲れ様でした!」
ジャンの両隣に、ちゃっかりルカとエミリオちゃんの姿が。
うん、本当に疲れた。
疲れ過ぎて頭の中がフワフワしてる。
「ありがと。でも、まだ終わっちゃいないよ」
ここからが大仕事だ。
観客席を見る限り、国王の煽り効果もあって半分以上の観客が残っている。
前代未聞のサイン会の開幕だ。
「おーし! やったるか!」
俺はいつも携帯しているペンをポケットから出し、軽く両頬を叩いて観客席へと駆け出した。
a ruined illustrator's records of right requital in a
parallel universe
chapter 5
-coloring are as wavering as the
wind-
その日、俺はランプの光が朝陽と同化するまで、ひたすらサインを書いて回った。
徹夜して待ってくれた最後の人と握手を交わした俺に、これまた終了まで待ってくれていた仲間と観客が喝采をくれる。
みんな疲れ切って、決して大きな音じゃなかったけど、俺はその音を一生忘れないだろう。
何度もありがとうとお礼を言い、心からのお礼を言い尽くしたのち、強い陽射しを覆うように右手をかざす。
「……はは」
――――その手にはいつの間にか、ペンだこが出来ていた。
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