殺し屋が俺の日常生活に当たり前のように登場するようになって、二週間が経過しようとしている。現在の状況をおさらいすると――――俺を狙っている三人の殺し屋の内、稼働中なのは一人だけ。三人中、最高の身体能力を持つ、緑川日向だけだ。一方、有沢と村崎先輩は、未だに業務停止状態らしい。有沢の所属してる殺し屋組織『アムロジャパン』は、現在も尚、例の漏洩騒動の洗い出しに奔走中。その為、先輩の組織『くのいちカフェ みずの』も迂闊に動けないと言う拮抗状態が続いている。
 と言う訳で、今この二人は暇を持て余している――――かと言うとそうでもなく、俺の登下校中は護衛と称し、必ず同行するようになった。緑川の暗殺を阻止する為に。その結果、もう標的とされて二週間も経過しているのに、俺は緑川から殺されずに済んでいる。尤も、仮にこの防御壁役の二人がいなくても、殺される気は全くしないんだけど。
「今日も良いお天気ですねー!」
 ニッコリ微笑みながら、学生鞄を両手で持つ緑川は、殺し屋と呼ぶには余りにも仄仄とし過ぎている。死の実感が湧いてこないのも、仕方のない話だ。
「確かに、最近は青天続きだな。こうも晴ればかりだと気が滅入るんだが」
「晴れの日が苦手なんですか? こんなに気持ち良いのに」
 緑川の『んー』と背伸びしながらの発言に、村崎先輩は長い髪を手で梳きながら、不敵に微笑み返した。
「いや、私は特にそうでもないんだが、庭で栽培しているトリカブトがな。基本的に日光は必要だが、当たり過ぎは良くないんだ」
「……トリカブトの栽培って違法なんじゃないの?」
 緑川の隣を歩く有沢が、ジト目で呟く。つーか、お前らの存在自体が完全に違法だ。
「ふっふっふ、甘いな有沢。トリカブトは観賞用として栽培する分には合法なんだ」
 いや、観賞用じゃないでしょ、アンタの場合は。
「観賞用? トリカブトなんて観賞してどーすんのよ。カブトでしょ? トリの」
 お前はトリカブトを鳥の被り物か何かと思ってたんかよ。戦国武将にそんな兜被ってる奴がいたら逆に尊敬するわ。ま、鳥兜って言う装飾品は実際にあるらしいけど。
「やはり甘いな有沢。トゲのあるバラが美しいように、植物の中でも最高峰の毒をもつトリカブトは、それはもう可憐な花なんだぞ?」
「え!? 花だったの!? 何でカブトなのに花!?」
 鳥兜と似てる形だからだろ。つーか有沢、仮にも先輩に対してその口の利き方はなんだ。親の躾がなってない……あ、そう言えばこいつの親、多分だけど離婚してんだよな。苗字変わってるって言ってたし。うーん、そう考えると、色々複雑な家庭環境の可能性もあるか。あんまり下手な事は言えないな。自分を狙う殺し屋相手に気を使うってのも妙な話だけど、人としての最低限のモラルは守らないと。それに、一応あれでも女の子だし。
「あの……さっきからダンマリしながらコロコロ表情が変わってるのが、見ていて面白いけどちょっと心配です」
「心配される謂れはねーよ」
 緑川の指摘で、俺は自分が暫く沈黙していた事に気付いた。なんつーか、いちいちツッコミを声に出してたら、喉が持たないんだよな。コイツ等といると。
「ところで、少し小耳に挟んだんだが。都築、殺し屋に狙われているようだぞ」
「……今更!」
 ああっ、思わず声に出してツッコんじまったよ! 仕方ないよな。幾らなんでも、そんなボケはない。スルーしろって方が無茶だ。
「いや、私達の事じゃない。別の勢力が、君を狙ってるみたいだ」
「はい?」
「だから、君を。他の組織の殺し屋が」
 いや、聞こえてはいたけど。いたけど――――理解が出来ない。いや、理解は出来てる。出来てるけど――――したくない。また……殺し屋だって? 俺、一体殺し屋に何したんだよ? そこまで狙われるような事したか? つーか、俺の人生! もう自分の人生にツッコミ入れざるを得ねーよ!
「……また競合相手が増えるんですね」
「しみじみ言うな!」
「はうっ」
 緑川を一喝しつつも、頭を抱えて俯かざるを得ない。暗殺者の総合商社状態だ。やってられっか、もう!
「なんて言うか……アンタさ、お払いとか受けたほうが良いんじゃない?」
「うるせえよ!」
「お、怒らないでよ」
 怯える有沢の顔に、若干の罪悪感を覚える。とは言え、この現状では、イライラするのも、不機嫌な顔つきになるのも、致し方なしだと思うんだ。この二週間で既に俺は四人の殺し屋に命を狙われている訳で。そこにあっさりと+1。生中追加、くらいのノリだ。いや、ビールは飲まんけど。
「あくまでも噂の段階だが、君のそのトラブル吸引能力の秀逸さからして、間違いなく狙われているのだろう。一切の楽観視を排除出来ると言う点では、ある意味便利な習性じゃないか。はっはっは」
「やかましいわっ! なんだよトラブル吸引能力って! 吸い取ってるワケじゃねー!」
 トラブルを肥やしにして、パワーアップ。そんな主人公体質が備わってるなら、まだ救いがある。けど俺、そんな感じ全然ないし。せめて、殺し屋に対抗できるような特殊能力でも備わってくれりゃ、もっとやりようはあるんだが……
「まあ、そう言う訳だから、今後暫くは私と有沢が二人体制で君の周囲を警護する。心配するな。君は他人には殺させん。トリカブトが育った暁には、ヤマカガシの毒でコーディネートして、苦痛のない死をプレゼントするからな」
「だ、ダメです! 都築君を殺すのは私ってもう決まってるんです! 誓い合った仲なんですから!」
「何好き勝手言ってんのよ! コイツを殺すのは私のレディスミスなんだから、邪魔しないでよね!」
 なんか拳銃の名前とか出てきて、凄く嫌な感じに盛り上がってきたんで、俺は揉める三人から離れ、とっとと登校した。


 その日の昼休み。
 俺はコッソリ学校を離れ、最寄のコンビニに来ていた。理由は単純。昼食を買う為だ。今日は母が絶好調の日――――なんだが、その日に弁当まで作らせると、無駄に豪華になりすぎて、食費がえらい事になる。って訳で、500円持参でコンビニ弁当を買いに来たって訳だ。いつもは学食を使ってるんだけど、今日はから揚げ以外の鶏肉が食べたい日。学食にはないんだよな。
「あれ、都築君? お買い物ですか?」
 そんな折、突然知り合いの声が届く。緑川だった。嫌な偶然だな……流石にこんな人の目のある場所で殺そうとはしないだろうけど……
「私はパンの耳を貰いに来ました。ちょうどこの時間に貰えるんです」
 俺の懸念を気にも留めず、緑川はニッコリ微笑みつつ、袋詰めのパンの耳を掲げて見せた。昔は無料配布が殆どだったソレ、最近は『家なきおっきな方々』によるトラブルを苦慮し、安価とは言えお金を取るケースが増えてるらしい。折角の慈善行為が、店の評判を落とす可能性があるなんて、世知辛い世の中だ。そんな中、このコンビニは時代の流れに逆らって、無料支給を行っているらしい。
「これで、今週も糊口を凌げます……うう、パンってすてき。端っこまでこんなに美味しくして、もう」
 緑川は感涙していた。俺は衣食住の点では恵まれてるから、そのありがたさは実感した事ないけど、もし食うのに困った状態だったら、確かにそう言う心境になるかもしれない。改めて、目の前の薄幸な同級生の普段の気苦労を垣間見た気がした。とは言え、同情は禁物。いつ寝首をかかれるか、わかったもんじゃない。
「ところで、都築君は何をしにここへ?」
「いろいろあって、弁当買いに。ってかお前、昼もそれなのか?」
「はい。流石に今から調理は出来ないので、そのままで頂きます」
 パンの耳をそのまま……口の中がカラカラになりそうだ。
「……レンジでチンして貰えば? それだけでも大分違うぞ」
「そんな! タダで頂いただけでも恐れ多いのに、そこまでコンビニエンスストアの皆さんにご迷惑は掛けられませんよ」
 何故かコンビニをフルネームで呼んだ緑川は、ぶるんぶるんと首を振っていた。その反動で、胸も揺れ――――ない。
 まあ……仕方ないよね。人間の体型って……個人差、あるもんね……
「都築君、どうして悲しそうな顔を……?」
「なんでもない。まあ、無理にとは言わないけど……せめてジャムくらい付けた方が」
「じゃむ」
 反芻。妙に呆けたイントネーションで。何か、ピンと来ていないような感じだ。つーか、記憶から一時消える程、遠い存在なのか、ジャムが。
「……………………あ。ジャムですね、はい。えっと、そう言う高級食材はちょっと」
「何処が高級食材だよ! 100円で売ってるだろ!」
「でも、100円って一日の食事代の半分ですよ?」
 一日200円でメシ食ってんのか……そりゃ、インスタントラーメンを軸に、もやしとかパンの耳とか、そう言う格安メニューで揃えれば、出来ない事でもないんだろうけどさ。けど、こいつは女の子。そんなモンばっか食ってたら、大変な事になる。しかも、あの身体能力を維持する必要があるだろうし。どんな食生活でやっていってるんだろ……
「わかった。奢る。ジャム買ってやるから、好きなの選べ。ただし100円の一個な」
「え?」
 同情なんてしちゃいけない。それはわかってる。目の前の女は、俺を殺すと宣言している、いわば人生最大の外敵。それもわかってる。でも……ま、100円ジャム奢るくらいは別に良いだろう。
「え、えええええええええええええええ!?」
 コンビニが震撼しそうな、咆哮。つーか、鼓膜がっ!
「お前な! いきなりどデカイ声出すなよ! 心臓が麻痺ったらどうすんだ!」
「お、おごる……おごる……驕る?」
「そのニュアンスじゃねーよ。やる、っつってんだ」
「ほ、本当に? 私、本当にジャムを貰えるんですか? 嘘……信じられないです」
 いや、たかが100円奢るのにそこまで大げさに感激されてもな。
「信じろ。奢ってやるから、好きなの選べ。つっても、イチゴとママレードとピーナッツチョコとブルーベリーの四択だけど」
「四種類も……」
 緑川は目をキラキラさせて、その四つの箱を見比べている。
「イチゴジャムの酸味と甘味の絶妙なバランスを採るか……ママレードの爽やかですっきりした風味を採るか……ピーナッツチョコの豊潤な濃厚さを採るか……ブルーベリーの少し酸味を抑えた渋い甘みを採るか……」
 そして、念仏のようにそれぞれのジャムの特性を語り出した。
「じゃ、俺は自分の分を選ぶから、それまでに決めておいてくれよ」
「イチゴ……ママレード……」 
 聞いちゃいねえ。
 ってか、俺も早く選ばないと、昼休みが終わっちまう。100円減って400円になったし、飲み物も最低70円くらいのパックのヤツが欲しいから、弁当は300円ちょいまでのを買おう。鶏系ってのは決めてたし……候補は鶏そぼろ、焼き鳥丼辺りか。鶏そぼろは、照り焼きも乗ってて、320円。コストパフォーマンスも申し分ない。よし、これにしよう。
「うーん、うーん」
 緑川はまだ唸ってる。仕方ない、先にこっちのレジを済ますか。
 嘆息しながらレジに弁当とお茶を置く。後はチンして貰いながら、緑川を待つ――――
「この瞬間を待っておった」
 刹那。不穏な声があがる。その声は、本来店員がかけて来る筈の『お弁当暖めますか?』とは、内容も語調もまるっきり違っていた。
「ようやく……ようやく貴様を……」
 声の主は、俺の目の前にいる女性店員だ。好戦的な目を一層鋭くし、睨み付けて来ている。う、これはアレだ。普段、立ち読みばっかしてる事への非難か……?
「あの、なんかすいません。貧乏なものでつい……ええと、必要であれば、父を謝罪に行かせますので」
「自分の父親を人身御供にするとは何事じゃっ!」
 怒られちゃった。
 って……『じゃ』? 俺と同世代くらいの年齢の外見なのに、何でそんな口調? 姫様か何かなのか?
「ふっふっふ。やはりと言うべきか、外道の極みよの、都築柘榴。この手で貴様を亡き者に出来るかと思うと、血湧き肉躍るわ」
 女性店員は、やはり外見に不相応な口調で言葉を紡ぎつつ、右手をワキワキさせ始めた。険しい表情の割に、髪型はお団子頭で、顔自体もどっちかって言うと童顔の部類なんで、あんまり怖さはない。とは言え、迷惑をかけた事を考慮しても、言ってる事は店員としての許容範囲を大きく逸脱してる気が。って言うか、もしかしてコイツ? 例の『新たな殺し屋』っての。
「覚悟するが良い。それだけの時間はくれてやろうぞ。ただし、逃げられるとは考えない事じゃ。小生に背を向け、無事で済んだ輩はおらん」
 ああ、間違いない。姫なんてとんでもなかった。コイツが、第五の殺し屋だ。
 殺し屋Eが現れた! どうする?
「狙われる身でありながら単身で行動するとは、危機管理能力のない事よ。さあ、己の戒名は読んだか? 血を見ても泣くでないぞ」
 口調は変だが、俺を殺そうと言う気概に関しては、他の三人より遥かにハッキリと感じる。こいつはマズい。今までのようには行かないかもしれない……!
「さあ、覚悟――――」
「すいませーん。タバコ下さーい」
「あ、はい。銘柄はどれにいたしましょう」
 ……今まで以上にあっさり回避してしまった。アカの他人、コンビニの客の意図なき助力によって。
「ありがとうございました、またお越し下さいませ。さて……都築柘榴! あっ、おらぬ!」
 そりゃ、いるかよ。
 レジに置いた弁当はそのままに、コンビニを一目散で脱出。時間を確認すると、昼休みは後10分で終わりだ。結局、今日は昼食抜きだな。
 それにしても……店員口調と通常口調があそこまで違うヤツ、マンガ以外で初めて見た。って言うか、そもそも話し方が常識の範囲から逸脱している人間自体、初めて見たんだけど。おらぬ、とか……ちょっと憧れるぞ、おい。
「つ、都築君!? 何処に行ったんですかーっ!? ジャムがっ、ジャムが買えませーーん!」
 そんな悲鳴が遠くに聞こえてきたものの、引き返す訳にも行かなかったんで、俺は素直に学校へと戻った。


 そんな騒動があった日の放課後と言うのは、どうにも嫌な予感がするもので。
「おーい都築。お客さんが来てんぞ」
 お呼びが掛かるドアの付近に目を向けると――――案の定、そこにはグラサンをかけた茶髪男の厳つい身体が見えた。無論、あんなヤツとこれ以上関わり合いになる気はないんで、コッソリ教室を――――
「都築君。何をしてるんですか?」
 ぐっ、このタイミングで話しかけてくるか、緑川日向。ジャムを買えなかった事を根に持ってんじゃないだろな。そりゃ、期待させておいて買ってやらなかったのは悪かったが、別に損させたんじゃないんだから、恨まれる謂れもない筈だ。
「この人でなし! せっかく俺の得意技『こっそりと教室を後にした』が炸裂する所だったのに、邪魔しやがって!」
「え、えええ!? うう、都築君に怒られたー」
 緑川が凹む。
「おっ、そこにいやがったか」
 そして、そのやり取りで、俺の存在があのヤンキーヤクザこと由良にバレてしまった。
「おう、ちょっと良いか? 話があんだよ」
「いえ、あの……どちら様でしょうか?」
「おいおい、何言ってんだよ。あ、グラサンかけてっから、わかんねーってか?」
 そんな訳ではない。俺にこんなアウトローな知り合いがいると教師にバレれば、内申がマズい事になるんだよ。ったく……嫌がらせか?
「ああ、今朝、道を聞いてきた人ですね? それだったら、『くのいちカフェ みずの』ですよ。そこに行けばいいんじゃないですかね。きっと、待ち人も来ると思いますよ」
 暗に『そこで待ってろ』って意図の発言。グラサンを外しかけた由良は、暫し呆け、そしてニヤリと口元を歪ませた。
「あーあー、そうか。ありがとよ。んじゃ、スペシャルキングパフェでも食って。午後のアンニュイな時間を優雅に過ごすとすっかな」
 周囲には意味不明の会話だろうが、一応待ち合わせ場所の指定には成功した。つーか、あの顔は、俺にパフェ代出させる言質を取った、とでも言いたげだったな。ゼッテー奢らねーぞ。そんな俺の決意に満ちた視線に対し、茶髪の男――――由良直哉は不敵な笑みを残し、教室を後にした。呆れつつ、俺も教室を出て、廊下から窓の外を覘く。
「喜べ光海! 都築の野郎がスペシャルキングパフェを奢ってくれるだと!」
「す、スペシャルキングパフェを!? 光海の憧れの!? やっぱり柘榴ちゃんは、光海を大事に大事にしてるだったのですね!」
 あいつまで来てたんかい。
 つーか、やっぱり奢らせるつもりだったのかよ……絶対奢らねーぞ、絶対。絶対。
「都築君。今聞こえて来た事は事実なんでしょうか」
 そんな、断固たる決意を胸に刻んだ俺に――――背後から底冷えするような緑川の声が迫る。あれ? さっきと雰囲気全然違うぞ。何故このタイミングで殺し屋モード発動? そこまでジャムを買わなかった事が怒りを買ってたのか?
「今の女の声の人を、大事に大事に……しているんでしょうか」
「待て。良くわからないけど待て。話せばわかる。つーか怖いっ! 顔怖いっ!」
「どうなんでしょうか」
 緑川がユラユラと揺れる中――――俺は生まれて何度目かの死神を見た。偶に出てくるんだよな、コイツ。俺が本気で死の予感を察知した場合に、二分の一くらいの確率で。顔はやっつけで描かれたドクロ。あ、いつもは持ってないカマみたいなの持ってる!
 あああああ。これは本当にヤバイかも……
「そこまでだ、緑川」
「日向! 抜け駆けは許さないから!」
 おおっ、護衛登場。ただならぬ殺気を察して駆けつけてくれたか。
「邪魔する人は、誰であっても……許しません……」
 だが、緑川の異常な状態に気付き、有沢が直ぐに身を竦ませる。あいつ、弱いからなあ。
「ど、どうしたのよあの子。なんか、殺し屋みたいになってる!」
 いや、殺し屋だろ。
「なななんか超怖い! 日向、どどどどうしたの!?」
 ガクガクと震えながら、有沢は殺し屋にあるまじきメンタリティの弱さを露呈しつつ、アタフタしていた。一方、村崎先輩はと言うと、真顔でう〜んと唸っている。
「あの状態は、テングタケを食して幻覚を見ているケースと酷似しているな。いや、シロトマヤタケの方が近いか……?」
「学校でどうやって毒キノコなんて食う機会があるんだよ!」
「いや、実は中庭にだな」
 先輩が、内窓の方を指差す。その方向にある中庭には、見たことない色と形状のキノコがビッシリと生えていた。
「トリカブトも良いが、私としては毒キノコの方が毒の質としては高いと思うんだ。致死性では大きく劣るが、症状が千差万別で……」
「いや、毒のレクチャーとかどうでも良いんで、取り敢えず眠らせる薬とかあったら、それ使って緑川を一旦落ち着かせてください」
「毒性のない薬など持っていないぞ」
 肝心なところで使えない先輩だった。つーか、ここ廊下だから、あんまり目立つと人が集まってきて、身動きが取り難くなるぞ。逃げるって言う選択肢もあるにはあるが、流石に女子二人に自分が狙われている状況を押し付けるってのは、気が引ける。仕方ない。この手だけは使いたくなかったが――――
「緑川! ジャムだけじゃなくてバターも買ってやるから!」
 絶叫に近いボリュームで、更なる譲渡。くそう、散財だ。高いんだぞ、バター。
「……都築君」
 あれ、前進が止まらないな。有沢も怯えて手出し出来てない。本格的にマズいぞ。
「ま、待て! たかがジャムじゃないか! そこまで大事にしてどうする!」
「大事にしてるんでしょうか」
「お前がしてるんだろ! 俺はしてない!」
 瞬間。
 ふしゅる〜、と。緑川の殺気が消えた。
「そ、そうだったんですか。してないんですか。私、てっきり……ふぅ」
 一体、何の溜息なのか。取り敢えず、ここ最近で最大の危機をどうにか乗り越えた。
「キノコの毒ではなかったようだな」
「こ、怖かったぁ……」
 村崎先輩と、何故か俺以上にビビッてた有沢が胸を撫で下ろす中、俺はこれで全ての厄介事が消えた訳じゃないと言う事を思い出す。アイツ等、放置したら今度は二人で乗り込んで来そうだよな……
「先輩。今から先輩んトコの店に行きますんで」
「ん? 客としてか? それは勿論歓迎するぞ」
 と、言う訳で――――場所移動。
「遅かったじゃねえか。もう二杯目だぜ」
「光海は四杯目に突入しました! 未踏の地にいざ、もぐもぐ!」
 出来れば余り来たくないが、クラスメートが訪れる可能性の極めて低いこの場所――――【くのいちカフェ みずの】は、こいつらと接するには最適の場所。まあ、奢らんけど。
「で、俺に何か用か。調査ならもうしねーぞ。自分でやれ、自分で」
「そうカリカリすんなよ。別に嫌がらせだけで教室まで会いに行った訳じゃねーんだぜ?」
 嫌がらせベースかよ。とは言え、それ以外の理由が気にならないと言えば、嘘になる。こんなホスト風ヤンキーでも、一応は殺し屋に関するいろんな情報を持ってる身分。新たな殺し屋に関して、何かアドバイスをくれるつもりなのかもしれない。
「実はよう。金、貸して欲しいんだ」
「ベーリング海峡だったら、日本からよりアラスカからの方が近いぞ」
「テメーは俺にマグロ漁船に乗れってのか!?」
 ちなみに、ベーリング海峡ってのは、マグロ漁やカニ漁で有名な、東シベリアとアラスカの中間にある海。年間かなりの死者や行方不明者が出るほど、厳しい場所としても知られている。どっちかっつーと、行方不明になって欲しい。
「光海も賛成です。社長が率先して従業員のお給料の為に汗水垂らすのは、正しい労働基準法だと思うです。その間、光海は柘榴ちゃんと一緒に頑張って会社を独立させます」
「テメーはだーってろ! 独立狙ってた事にまずビックリだアホンダラ!」
 由良の口汚い中傷に対し、光海は一切動じる事なく、ルンルン気分を全快にしてパフェに噛み付いていた。勿論、俺はこのパフェに関して一切出資する気はない。
「つーか、金なんて要んのかよ。評価の最新レポートは俺が作ったんだし、当分仕事もないだろ?」
「ところが、あんだよ。一つ、まだ評価してない組織がな」
 核心――――そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
「そう。今、テメーを狙ってる所だ。その様子だと、もう知ってるんだろ?」
「ああ。ついでにもう襲われかけた」
「それで無事なのかよ。そりゃ奇跡としか言いようがねーな」
 奇跡。今、由良は確かにそう発言した。
 三人の殺し屋に同時に狙われても生きている俺に対して。
 つまり――――
「テメーを今狙ってる所はな、先日評価してもらった三つの組織とは段違いだ。まともな、日本で唯一、ちゃんとした殺し屋の組織だからな」
「何……?」
 思わず血の気が引く。今までは、確かに命の危険もあったし、それなりに恐怖を感じる事もあった。けれど、同時に何処か緩んだトコもあった。あいつら、ヘッポコだし。だけど、今度は違う。あの女は、確かに緑川達とは違っていた気がする。殺そうと言う明確な意思が感じ取れた。初心者じゃないのかもしれない。となると、ちょっと今までのような感覚ではいられない。まあ、コンビニで働いてる時点で、どうかとは思うけど。
「一応、その組織に関する情報を用意してある。それ教えるから金を貸せ」
「……お前に金を貸すって事は、溶解炉に全力で投げ込むようなもんだよなあ」
 とは言え、この情報は欲しい。
「幾らだ」
「フッ。28,000円だ」
 また微妙な金額を……
「今月家賃を払えれば、各殺し屋組織から貰える予定の献金で、どーーーーーーーーにかやり過ごせる。フッ、ま……そう言う事さ」
「一体どう言う悟りを開いたら、この場面で格好付けようって気になれるんだ」
 つーか、賃貸料28,000円なのかよ。随分な事務所だな。
「って訳で、お金貸して下さいお願いします。オラ、テメーも頭下げんだよ! 社長が頭低くしてんのに、何で部下がふんぞり返ってんだよ!」
「光海はそろそろお腹いっぱいなんで、ぷくーってしてただけです」
 口論しつつも、二人揃って礼尽くし。俺にとって、その情報が重要なのはわかってる筈なのに、ここまで下手に出るとは……そんなに生活厳しいのか。
「大家がよう……マジ怖えんだ。薙刀、って知ってっか?」
「まあ、知ってるけど」
「それを高速で振り回してくんだよ……ジョーク抜きで殺されちまううううう」
「はううううう、光海あの人の事思い出すと眠れませんんんんんん」
 今度は二人して震え出した。
 つーか、薙刀って確か模造刀なんじゃ……銃刀法大丈夫なのか。
「だから、お願いしますマジで」
「光海も迸るほどお願うです」
「……良くわからないけど、持ち合わせはないから、明日払うって事でどうだ?」
 28,000円……ま、どうにかならない金でもない。無論、俺が出すつもりはない。この一連の殺し屋騒動の元凶、親父に出させる。どうせヘソクリがあるだろうし。
「おう! それでもいいぜ! おいやったな光海! これでやっと、やっと落ち着いて日中を過ごせるぞ!」
「はいっ! 扉の方から聞こえる物音にビクビクしながら過ごす日々とは、やっとおさらばですなのです!」
 今度は二人して両拳を突き上げて感涙していた。仲良いのか悪いのか良くわからんな、コイツ等。
「じゃあ、早速その殺し屋と組織の情報を教えろ」
「うむ。私も興味があるな。無関係、と言う訳ではなさそうだしな」
 突然、村崎先輩が割り込んできた。くのいちの格好で。
「……店員が客のプライベートな話に首突っ込んで良いんですか?」
「良い」
 すげー断言された。なんか、間違った事言ったような気分。
「まあ、良いじゃないか。私が君にとって、毒のような存在である事は間違いないが、今は君を殺す事が出来ず、尚且つ君を誰かに殺させる事も許されない。つまり、この状況下においては、君にとってかなり心強い味方でもあるんだぞ」
 確かに、それは一理ある。
 今はこの先輩に借りを作る事になっても、生き延びる事が重要だ。
「わかりました。つー訳で、話よろしく」
「おうよ。あ、俺、暗殺評価機構の由良って言うチンケなヤローっす。【くのいちカフェ みずの】サンには、いつもお世話になって……」
「営業トークは後にしろ!」
 ったく、社会人は。
「わーったよ。じゃ、早速その組織について教えてやろう。名前は【タナトス】。ギリシャ神話の死の神の名を拝借した、ってとこか」
「中二病フルスロットルだな」
「で、その【タナトス】。基本は要人や裏社会の人間しか殺さない、殿様商売の殺し屋集団なんだが、最近はそれじゃやってけないってんで、一般人の殺しも請け負ってるらしい」
 まともな殺し屋でも、不況の煽りは避けられないのか。迷惑な話だ。
「それで、つい最近、この界隈に住んでる一般人を狙うって情報が入ったんだがな。失敗したらしく、一向に情報が更新されねえ」
 この界隈で殺し屋に狙われ、結果未遂に終わる。
 何処かでそんな出来事、あったような……
「ふむ。間違いなくそれは、あの時の男だな」
「あ、そうか。俺だ」
 先輩の指摘で、ようやく思い出す。あれは、俺の部屋に初めて先輩等三人が来た時の事。ハデにガラスを割って登場した殺し屋を、この人と有沢があっと言う間に制圧したんだ。その後は、先輩が処理するってんで、お任せしたんだけど……どうなったんだろう。
「ンだよ、テメーかよ! 成程な。それなら話は早いっつーか、辻褄も合うな」
「光海限界突破! 店員さーん、おかわりお願いしまーす」
 光海が五杯目の自腹パフェを頼む中、一人納得する由良をジト目で睨む。
「そう急かすなよ。いやな、その失敗が尾を引いて、ちょっと勢力が落ちたんだよ、【タナトス】。だから最新の評価をしないとなんだけどよ」
「そうか。新たな殺し屋は、その時の失敗を帳消しにする為に派遣された、と言う訳か」
 先輩の推論に、由良も頷く。つまり。あのヘンな言葉遣いの女は、あの時の男と同じ組織の人間、って事か。
「せいぜい気をつけろよ。最初は一般人相手だってんで、三下を送り込んだんだろうが、今回はメンツを潰された相手への報復だ。一流の殺し屋を送り込んだに違えねえ」
「と、言う事だ。私も全力で守るが、当事者である君も十分に留意しておくように」
 人生の先輩二名から促されたものの――――一流の殺し屋相手に、一般人の俺が何を気を付ければいいのやら。マジで転校を考えないといけないか? でも、転校先にまで殺し屋派遣される可能性もあるよな、ちゃんとした組織なら。そうだとしたら、村崎先輩や有沢、或いは緑川もだけど、商売敵が結果的に壁になってくれる現状が、ベストなのかもしれない。
「わかりました。なるべく気を付けます。んじゃ」
 重い頭を抱えるようにして、俺は【くのいちカフェみずの】を後にした。
「……あれ? あいつなんかスッと出てったけど、支払いは?」
「無論、食事をした君達がすべき行為だ。ほれ、伝票」
 スペシャルキングパフェ×7――――8,960エン
「……………………」
「む、息をしていない。ショックの余り仮死状態となったか。仕方ないな、そっちの子、支払いを」
「はうっ!? 光海は、光海はそんなお金持ってません! あれ、柘榴ちゃん? パトロンの筈の柘榴ちゃんはいずこへ!?」
「よくわからんが、払えないのならば法的手段に訴えるぞ。殺し屋とは言え、表向きはカフェだからな。無銭飲食を放置していては、他の客への示しがつかん」
「はうわわわわわわわ。はうわわわわわわわ。光海、もしか、もしか失職の危機……!? 社長! 起きて! 起きて内蔵を売ってくださーーーーい!」
 壁を隔てたカフェの内部で、何か悲壮感溢れる慟哭が聞こえた気がしたが、そんな事に構ってる暇がある筈もなく、俺は周囲を警戒しながら帰宅の途についた。


 足取り重く、身体を引きずるようにして、自宅に到着。
 さて、どうしたものか――――
「んー? 柘榴なの? もー、黙って入って来ちゃダメじゃない。帰って来たら子供らしく『ただいま、ママ。今日の夕食は何? カレー? カレーがいいな、カレーが。ハンバーグも嫌いじゃないけどカレーがいいな。オムライスも悪くないけどカレーがいいな。ねえ、カレーだよね? え? カレーじゃない? ヤダヤダ! カレーじゃなきゃヤダ! ボクはカレーが大好きなんだい! そりゃエビフライもボルシチも好きだけど、好きと大好きには五郎と大五郎くらいの差があるんだい! カレーじゃなきゃヤダ! 食卓に並ぶと、まずあの立体的で豊麗な香りが鼻腔を複雑に擽って食欲を促進させて、匙ですくうと程よい粘り気が視覚的に美味さを演出して、一口含むと数多の食材の旨み成分が内包された辛味と仄かながらコクと深みのある甘みが絶妙なバランスでとろけ合ってその後に程よい具合で辛みが余韻を残し、二口目の呼び水になってくれるあのカレーじゃなきゃヤダもん! 絶対カレーじゃなきゃ食べないからね! 絶対食べないからね! ハヤシライスとかあり得ないからね! ハヤシライスなんて、カレーの出涸らしじゃん! 大体、あんなコクもないし酸味ばっかりで誤魔化してるルーは邪道だもん! 色もなんか汚いしさ! ハヤシライスって邪道だよ! 僕は認めないからね! 日本人ならカレー! 僕はカレーの為なら死ねるもんね! カレー食べないくらいなら断食して餓死しても悔いないもんね! 食べないだけに『クイ』がない! 上手い事言ったよね! ボク今上手い事言ったよね! だからカレー! もう全身全霊を賭けてカレーを要求するよ! なんたって、カレー愛しすぎてカレーの主題歌だって作ったからね! 歌うよ! オーオーオー♪ カレエエエエエエ♪ カレエエエエエエ♪ 鶏の血を抜き豚を切り裂き♪ そして牛は焼き茹で殺す♪ 断末魔の声こだまするけど、家畜だから問題ナッシン♪ オーオーオー♪ カレエエエエエエ♪ カレエエエエエエ♪ どう? 名曲だよね! 僕は未来永劫、カレーに人生を捧げるよ!』くらい言いなさい」
 母がいた。
 ウチの母――――都築苺は、年に何度か異常にハイテンションな日がある。今日がその日だ。我が母ながら、その情緒不安定さは、色々と心配だ。
「つーか、俺どんだけカレー大好き少年って思われてんだよ。別にそんな好きでもないし」
「好きになりなさい! カレーは作り置き出来るんだから!」
「自分の都合で息子の好みを変えられると思うなよ」
 頭が痛い……あの父ありて、この母ありか。俺や姉貴って、こんな連中に育てられて、どうしてここまでマトモに育ったんだろう。反面教師か? 世の中、良く出来てるよな。
「ったく、面倒な息子ね。あ、アンタにお客さん来てるんだっけ」
「早く言え、そう言う事は」
 客、ねえ。さっきの今だから、暗殺評価機構の連中や村崎先輩って事はないよな。
 残るは、有沢と緑川。
 ……ここ二週間の間に知り合った連中ばっかりが浮かぶってのは、悲しいもんだな。
 ジワッと汗に似た何かが沁みた目を押さえつつ、客のいる居間へ。
「遅かったではないか。待ち侘びたぞ」
 そこには、同世代と思われる女性がいた。が、想像した三人のいずれでもない。
 コンビニにいた殺し屋Eだった!
 マジかよ。流石に意表付かれまくりだ! いきなり乗り込んできやがった。
「この家の茶は美味い。中々良い葉を使っていると見た」
「そうでしょ? この子やW浮気野郎には、その良さがわからないのよねえ。ダメな舌」
 舌をダメ出しされてしまった。ちなみに、W浮気野郎とは我が父の事だ。俺のガセ情報は未だに生きてるらしい。若干、父への溜飲が下がる思いだ。
「それに引き換え、一途ちゃんはわかってるねー。私の娘化しない?」
「どう言う化体だ。つーか、一途ちゃんって何」
「申し遅れたな。小生、鈴木一途と申す。以後、お見知りおきを」
 コンビニでの剣幕はどこへやら、ペコリと一礼。恭しささえ漂わせている。って言っても、偽名だろうけどな。苗字はありきたりだし、ヘンな名前だし。
「では、早速参るとしよう」
「は? 何処へ?」
「無論、貴様の部屋じゃ。ほれ、とっとと案内せい」
 なんだかよくわからないが、部屋へ連れて行け、と言っている。つまり、俺の部屋で誰も見ていない所で殺す、って事か? でも、それだと母にモロバレだ。それはプロの殺し屋としては、幾らなんでもマズい筈。
「安心せい。ここで貴様を殺る気はない」
 そんな俺の思考を読んでか、立ち上がって廊下へ向かおうとする殺し屋Eは、俺とすれ違いざまにポツリとそう呟いた。無論、信じる気はない。とは言え、殺し屋を親の近くに長居させる気もない。従うしかない、か。
「母さん。お茶とかは持って来なくていいから」
「ええ、そりゃもう。これでも母親の端くれ、息子のいきり立った息子なんて、見たくはないからねー」
「あんたマジ最悪だな!」
 今まで聞いた、あらゆるシモ系のオヤジギャグの中でも、飛び抜けて醜悪だった。何が悲しいって、母親の下ネタほど聞いて滅入るものはない。
 何なんだろう……ティーン文化への擦り寄りのつもりなんだろうか?
 ごく一部の女子高生の風潮を真似てるんだろうか?
 なんか、殺し屋に狙われてるとか、その殺し屋が家に来たとか、そう言う事すら、どーでもよくなるな、本当に。
「……余り気を落とすな。気さくな良い母親ではないか」
 昨日俺を殺そうとした殺し屋に慰められてしまった。もう死にたい……
「ふむ、ここが貴様の部屋か。どれ」
 生気を失くした俺が自室のノブに手をかけると、扉が開き切る前に、殺し屋Eは中へスッと入って行った。その動作一つをとっても、非凡なものを感じる。でも、今はそれを考察しようって気にもなれない。
 ……母の下ネタ、予想以上に引きずるわー。
「貴様にしては、中々綺麗にしているのう。意外な事もあるものじゃ。明日は槍が降って来ようぞ」
 一人で勝手に喋ってる殺し屋Eを他所に、俺は勉強机に向かい、両手で顔を覆った。取り敢えず、区切りをつけよう。いつまでも醜聞に支配されてちゃダメだ。
 まずは、深呼吸。スーハー。リラックス。肩をプランプラン。よし、少しずつだけど頭の中が軽くなった気がする。後は、状況整理だ。
 殺し屋が家に来た。殺す気はないと言う。って事は、やる事は一つ。自己掲示だ。まずはそれを聞こう。それに、気になる点もあるし。
「考えはまとまったか?」
 やっぱり俺の思考を読んでるらしく、いちいち一手先を話してくる。厄介だな。このやり辛さは、村崎先輩に通じる所がある。
「まあ、一応。で、そっちは俺に何を話しに来たんだ?」
「うむ。何も語らずに殺す事も考えたが、それでは腹の虫が収まらんでな。何故小生がこのような社会の最下層に転落したのか、それを切々と語って聞かせて、罪悪感で押し潰されて虫の息となった所で、日を改めて物理的に殺傷する事にした次第じゃ」
「いや、お前さんがどんな理由で殺し屋になってても、俺は特に何とも思わんが」
「たわけがっ!」
 たわけって言われた! こんなの初めて……ドキドキする。
「貴様と小生が赤の他人なら、こんな話などせぬわっ!」
「他人……じゃないって言うのか?」
 そう。その点について、引っかかる所があった。コンビニでも、こいつは俺の事を知ってる風な発言をしてた。『やはり外道』みたいな感じの。やはり、ってのは、俺の事をある程度知ってる事が前提となる言葉だ。それに、俺が外道なんて風評、何処でも聞いた事ない。単なる思い込みに過ぎない。ただ、その思い込みをするには、何かしらの土台が必要だ。すなわち、俺の事を多少なりとも知っていると言う土台。
「貴様の方は知らずとも無理なき事。しかし、小生にとっては貴様は憎き、いや八つ裂きにしてもしたりない、そんな大罪を犯した下郎じゃ」
「良くわからないな。どうしてそんな、一方的な関係が成立する?」
「まだピンとこぬか。小生は名乗ったのだぞ」
 名乗った……鈴木一途、って言う名前の事か。偽名だろ? どうせ。偽名を名乗った事自体に意味があるって事か?
「ちなみに偽名ではない。れっきとした本名じゃ。個人事項証明にも記されておる」
 そう宣言し、殺し屋Eは本当に個人事項証明書を見せてきた。俺の、人よりちょっとだけ疑り深い性格を熟知してると言わんばかりに。
「まだわからぬか? 意外と鈍い男よの」
 鈍いと言われるのは不本意だ。つーか、あれが本名だと? 一途。妙な名前だな。鈴木は良くある、つーか日本では二番目に多い苗字だし……ん、待て。鈴木。確かに良くある苗字。ただ、同時に俺に縁のある苗字でもある。まさか……
「ようやく理解したか。その通り。小生は、貴様に間違われて誘拐された『三人の鈴木』の中の一人じゃ」
 うわー。また出てきちゃったよ。有沢に続き、二人目。いや、確かその中に依頼人の一人がいる筈だから、これで三人全員って事になるのか。って事は、その依頼人同様、誘拐事件を逆恨みして、殺し屋になって俺を殺しに?
 ……まさかな。そんなバカには見えない。
「勘違い誘拐事件と殺し屋との間に、接点を見出せぬか。情けないヤツじゃの」
「くっ……待て。少し考える」
 挑発的な殺し屋E――――鈴木一途の売り文句を、俺は買った。誘拐された小学生が、何故殺し屋になるのか。有沢の場合は、偶々その時に殺し屋に助けられた事で、憧れを持ったとの事。だが、流石にそんなトンデモ理由が二例続く訳がない。でも、他にどんな事例が考えられるかって言われると、正直思いつかない。こう言う時は、筋道を立てて一つ一つ考えるしかない。誘拐された小学生は、その後どうなるか。普通なら、安全を確保する為に、その地を離れるだろう。好奇の目もある。女子の場合は特に。もしかしたら、それが原因かもしれない。少なくとも、自分や周囲の人生は変わるだろう。実際、有沢は両親は離婚した(かもしれない)し……そこから転落人生が始まったのかも。つっても、その流れじゃ水商売あたりが関の山だ。殺し屋となると、また全然違ってくる。
 ……殺し屋、か。改めて考えると、特殊極まりない職業だよなあ。しかも、日本の静岡県だぞ、ここは。都会ですらない。何故そんな平和な地域で、俺は五人目の殺し屋に命を狙われてるんだ。
「結論は出たか?」
「ああ。俺は一瞬でも自分をご都合主義体質だと思った事が恥ずかしい。俺はやっぱり、アルティメット不幸体質だ」
「誰が貴様の自己批評を聞いておるか! たわけがっ!」
 ああっ。また言われた。たわけって、なんか言われると妙にスカッとする。何でだろう。
「まあいい。正解をくれてやろう。小生は、貴様を殺す為にこの職を自ら選んだのじゃ」
 タイムオーバーらしい。鈴木は、遠い目をしながら、己を語り出した。
「あの誘拐事件の遠因、いや直接の原因となった貴様の存在が許せなんだ」
「いや、だから何でどいつもコイツも誘拐犯じゃなくて俺を恨むんだよ」
「他の二人は知らんが、小生にはそれだけの理由がある。あれは誘拐事件から一年後の事じゃった」
 回想開始。つっても、俺のじゃないんで、当時の光景とかは周りに出てこない。
「小生は、誘拐された小学生として、一躍人気者となった。マスコミもこぞって押し寄せて来よった。この器量じゃ、無理もない」
「自分で言うな」
「そのほとぼりも冷め、周囲も誘拐事件について忘れてしまった頃、小生はどうしても一度、貴様の姿をこの目で拝みとうなっての。果たしてどのような人物と小生が間違われたのか。さぞかし、可憐な美少女なのだろう、と」
 あ、話が見えてきた。
「……男、とはな。それはもう、傷付いたぞ。いたく」
「いや、間違われたのは苗字だろ? 都築と鈴木で」
「それもあろう。しかし、幾ら小学生を誘拐すると言う、愚にも付かぬ蛮行に手を染める愚か者であろうと、写真の一つくらいは用意をするもの。実際、小生は誘拐された後に聞いておる。『間違いない、この写真の子供だ』と言う言葉を」
 まあ、確かに。普通の小学校に通ってる子供の写真くらい、調達するのはワケないからなあ。
「つまり、だ。小生は、容姿でも貴様と間違われたのだ。男と。この小生が……野蛮で不潔で不純極まりない、腐った性別の……男と!」
 ああ、わかった。
 この人、男嫌いなんだ。で、そんな男と勘違いされた事が、ガマンならなかった、と。
「いやいや、だからな! だったら誘拐犯を狙えよ! 何で俺を狙うんだよ!」
「まずは貴様じゃ。その後に連中は一人残らず始末してやるわっ!」
 不条理だ! 俺に間違われたのは俺の責任じゃねー!
「それ以来、小生は毎日毎日、男に間違われた己を呪った。クズでカスでゴミの男に間違われた自分も同類だとな。自分はヘドが出るような存在だと。堕ちる所まで堕ちるべき存在だと。気が付けば、ここにいた。人を殺めると言う、最低最悪の職業にな」
「そんなのお前の勝手じゃねーか! 俺を巻き込むな!」
「先に巻き込んだのは貴様じゃ! 誘拐された経歴のせいで、男子禁制の私立校へは小中高、いずれも入れず! 男と居住空間を共有する屈辱の日々……全て貴様が悪いんじゃ!」
「だから誘拐犯に言えやーーーーーっ!」
 俺はトラブルメーカー。それは知ってる。でもこれは、流石に言いがかりのレベル超えてる。トラブルって、原料が空気でも作れるものなのか?
「貴様がこの世で呼吸をしている限り、小生が男と間違われたと言う黒歴史は消えぬ。亡き者にし、この世に生を受けたと言う事実を抹消して、初めて小生は真っ当な人生を送れるのじゃ」
「人殺しといて真っ当もクソもあるか! 悪い事言わねーから、今から真っ当に生きろよ。俺と年齢変わらないくらいだろ? それでいいのか、お前の人生」
「喧しい! もはや後戻りなどする気もない。貴様を殺す日を夢見て、様々な殺人術を身に付けたのだからな。もう戻れぬのじゃ」
 一瞬、寂しそうな表情を見せた鈴木は、静かに、物音一つ立てず、いつの間にか立ち上がり――――気付けば俺の傍まで接近していた。
「今宵が、安眠出来る最後の夜だと知れ。明日からは、何時いかなる時も貴様を狙っている女がいると、肝に銘じておくのじゃな」
 そして、耳に唇が触れそうな位置で、囁く。男嫌いの割に、男に接近するのは問題ないのか。男が怖いとか、男が気持ち悪いとか、そういう類のものじゃないらしい。
「それと、複数の女暗殺者が貴様とつるんでいる事は承知している。男とは不様な生物よな。女をはべらし、虚栄の限りを尽くす事で自己満足を得るのじゃからな……」
「その物言いだと、まるで俺が好んで連中とつるんでるように聞こえるな」
 鈴木としては、最後に「ケッ、男なんて下等な生物ねっ」って感じの捨て科白を残して行きたかったんだろう。だが、聞き捨てならない。誰が好き好んであんな連中と仲良くなんぞするか!
「取り消せ。殺すぞ」
「む……良いじゃろ。今のは憶測も多分に含んでおる。取り消す」
 意外と素直に応じやがった。
「じゃが、例えその女共が貴様を護ろうと躍起になったとて、小生には到底及ぶまい。ゆめゆめ覚えておくが良い」
 不敵に笑い、鈴木は俺の部屋を出て行った。
 ……スゲー疲れた。逆恨みもここまで来ると、一種のパズルだな。もうどう解いて良いか、サッパリわからん。そもそも、小学生時代なんて、それほど男女の差が明確ってワケでもないだろうよ。体格もそうだし、目も今よりパッチリしてたし。実際、有沢も俺と間違われてた訳だし。つーか、俺だって『無個性の女顔』って言われたみたいで、なんか不本意だ。
 何にしても、明日からは地獄だな……どうしよう。
「あら? もう帰っちゃうの? 夕飯のカレー、食べていけば良いのに。あ、タッパーに入れるから、持って行きなさいな」
「忝い。出来ればその、ご飯の方も頂けると助かるのだが……」
 遠くから、そんな声が聞こえて来る。あいつも貧乏なのかよ。なんか、アレに狙われる事を恐れるのがアホらしくなってくるな。とは言え、これまでの殺し屋とは明確に違う点がある以上、侮れないし、軽く見る事も出来ない。あいつは、俺を個人的理由で狙っている。それは大きな差だ。気を引き締めないと。フェイントをかけて、今日殺しに来る可能性だってある。
「はい。大盛りにしておいたからね♪」
「有り難い……この一食のお礼はいずれ必ず。うう、優しさが目に染みる。コンビニエンスストアの余り物とは全然違う温かさだ……」 
 ……あの様子だと大丈夫か。
 と言う訳で、ドタバタした一日はようやく終わりを迎えるのだった。
 んで、翌日。
「都築。放課後、空けておいてくれ。場所は私の店だ」
 と――――登校中に村崎先輩の要請があったんで、多少戸惑いつつも、【くのいちカフェ みずの】へと推参。店に入ると、そこには予想通り、緑川と有沢も揃っていた。
「いらっしゃいませでございます! お一人様ですなのですか?」
 あと、光海もいる。何故か、くのいちの格好をしていた。
「……テメーがパフェ代払わずに帰った所為で、身体で返してんだよ。コンチクショーが」
 そして、客に対して失礼極まりない言動をブツブツ呟く由良ボーイの姿もあった。尚、格好は男の忍者じゃなく、至って普通のくのいちだった。
「どうだ、何かツッコんでみろよ。この俺の格好をよ」
「似合ってる。綺麗だよ」
「テメーマジぶっ殺すぞ! それだきゃあ言っちゃいけねーだろーがよ!」
 ヤンキー面をクシャクシャにして由良が咽び泣く中、意外とマトモな接客をする光海に案内され、緑川達の待つ席に着く。
「こんにちは。教室ぶりですね」
 妙な挨拶をしてくる緑川の顔は、何処か影を帯びている。何かあったんだろうか。
「……」
 一方、有沢に到っては、俺と目も合わそうとしない。ま、仕方ない話だ。こいつらにしても、まさかここまで話がこじれるとは思いもしなかっただろう。ただでさえ殺し屋の競合って言う、あり得ない事態が勃発してんのに、そこに大手の参入だもんな。怒りの矛先が俺の狂運に向くのも、当然かもしれない。
「さて、揃った所で早速、会議を始めよう」
 ニュッと、村崎先輩が例のルートを使ってテーブルから顔を出してくる。が、特に誰も声をあげない。貸切なのか、周囲に客もいない為、静寂が支配する。
「議題は当然、第五の殺し屋に関してだ」
 そして村崎先輩も、何事もなかったかのように進行する。
「……スベりましたよね、今」
「我々にとっては、由々しき事態だ。幸い、私の処理がカンペキだった事もあり、我々が以前の刺客――――第四の殺し屋を」
「スベりましたよね、確実に」
「任務失敗に追い込んだ事は【タナトス】の連中にはバレていないが、我々の標的が横取りされそうな状況に変わりはない」
 ……押し切りやがった。つーか、生首状態のままで議論進めんのかよ。
「前回は三下の襲撃だったが、今回は向こうも本気だ。そこでどうだろう、ここは共同戦線と行こうではないか」
「共闘する、って事?」
 有沢の言葉に、生首が窮屈そうに頷く。
「相当の手練が相手だ。一人では分が悪い。しかし、一本の矢なら折れても、三本の矢なら折れないと、毛利元就は本当は言っていないと思うが、言った事にされてるではないか」
「そこは素直に、言ったって事にしておけよ」
 妙な所に拘りを持ってる先輩だな。
「つまり、一時休戦、と言う事ですね」
 イマイチ覇気のない緑川の発言に、生首がかなり窮屈そうに頷く。
「ただ、これに関しては緑川、君には別の選択もある。有沢と私は、元々現在は一時休業中。この共闘は必然だ。しかし、君は立場が異なる。もし、我々と組む気がないのであれば、この席をそっと立ち去って欲しい」
 村崎先輩の言葉を聞き終え――――緑川の視線が、俺の方に向く。
 何処か物悲しい顔。悩んでるんだろうか。
「……都築君、どっちがいいですか?」
 そして、選択権は俺に放られた。
「何で俺に言う? 自分で決めろ」
「都築君が決めて下さい。私は……それに従います」
 尚、そんな殊勝な事を言ってくる。ったく、何だってんだ。
 仕方ない、考えよう。
 この状況で緑川を敵に回すのは、俺とってかなりのマイナス。とは言え、緑川にとっては、好機でもある筈。有沢と村崎先輩は、やはりあの鈴木に対して、より大きな注意を払うだろう。つまり、隙が出来やすい。俺を殺しやすい状況にある、と言う事。ただし、同時に鈴木と有沢・村崎連合軍の両方を敵に回すと言うリスクもある。難しい判断かもしれない。背中を押してくれ、と言う事なんだろうか。
「……わかった」
 俺は、静かに頷く。そして、考えをまとめ、それを口にした。
「席を立ってくれ」
「……!」
 一瞬――――いや、かなりの時間かもしれない。
 どっちかは良くわからなかったが、確かに空気が凍った。
「…………わかり……ました」
 緑川は緩慢な動作で、俺の言葉に従い、椅子から腰を上げる。
 そして、俯いたままで【くのいちカフェ みずの】を出て行った。
「あーあー、可愛そうに。露骨に仲間外れにされちゃって……泣いてたぞ」
 くのいちの格好のヤンキーが、茶々を入れるような語調で要らん情報をくれる。
 沈黙――――空気が重い。
「……では、会議を続けるとしよう」
 暫くして、村崎先輩が声をあげた。俺に対しての詰問は一切なく。
「由良氏。【タナトス】の詳細な情報を」
「おうよ。それ話したら、残りのパフェ代チャラにしてくれるんだよな?」
「くのいちに二言はない」
 あんまり聞かない文言だな、それ。
「んじゃ、ちょこちょこっと。【タナトス】はな、まあ簡単に言えば、新鋭の暗殺組織だな。一九九六年設立。本拠地は東京だが、北海道から九州まで万遍なく支部を置いてやがる」
「う……規模デカ」
 打たれ弱い有沢は、巨大権力に早速怯んでいた。
「今時のスタンダード、登録型派遣の組織だな。人材の育成はやってねーみてーだ。その地域にいる個人の暗殺者、殺し屋、刺客に登録して貰って、仕事が入った時に条件に見合ったヤツを依頼主へ寄越す」
「成程。技術者の少ない暗殺者と登録型派遣は相性が悪い筈だが、それで良く十年以上もやっていけているものだ」
「パトロンがいるんだろ。最近、『暗殺は芸術だ』とか、訳わかんねー事言ってる連中がいるくれーだからな。古代からある伝統芸能、とでも言いたいらしーぜ。アホくせー」
 まあ同意なんだけど、くのいちの格好をした野郎にアホ呼ばわりされたくはないだろな。
「そう言う訳なんで、地の利のある殺し屋が主に派遣されるみてーだ。で、都築。テメー確か、もう派遣された殺し屋と遭遇してんだよな?」
「ああ。妙に古臭い喋り方をする、俺と同世代の女だ。名前は、鈴木一途」
「え? もう名前まで聞き出したの!?」
 何故かそこで有沢が大声をあげた。
「私も驚いたな。都築はアレだ、ぷれいぼーい、と言うヤツだな」
「古い表現を……」
 なんだ? 今密かな懐古ブームなのか?
 つーか、何で名前を知ってたら遊び人になるんだよ。
「で、どうなの? 口説いたの? メロメロにしたの?」
「口説くか! お前等は俺を何だと思ってんだ!」
「でも、それ以外にプロの殺し屋が名前を教えるなんて事、ないじゃない」
 いやいや、お前はどうなんだ……有沢。確か思いっきり名乗ってたぞ。
「まあ、どうやって名前を聞き出したのか、と言う点においては不問としよう」
 まるで俺が悪い事して、見逃されたみたいになってるけど、一切そんな事はないぞ。
 印象操作も甚だしい。
「で、どうだ? 変態。その名前に聞き覚えはないか?」
「今しれっと変態っつったな、殺し屋の店員さんよ。このコスチューム渡して『これを着なければ働かせん』っつった張本人が……そりゃねーだろ」
「もう、社員として断固抗議しますよ。訂正して下さい。光海は社長の事を変態と思わない日は一日だってないです!」
「俺に抗議してんじゃねええええ!」
 拳一閃。
「わーきゃー! わーきゃー!」
 火の粉が飛び散るが如く、喧しい声が店内に響き回った。
「ま、名前まで聞かされちゃ、ないとは言えねーな。それでメシ食ってんだしよ。ただ、ここからは高くつくぜ」
「ふむ。止むを得んか。時給を歩合制にしてやろう」
「絶望的な変更してんじゃねーよ! 客いねーじゃねーか!」
 村崎先輩の毅然としたその態度は、いつも変わらない。その点は少し見習いたい。俺はまだ甘いしな、その辺。さっきも、結構態度に出てたみたいだ。なんとなく――――先輩はおろか、有沢にも意図を読まれた気がするし。
「時給二倍! これ以上は譲れねーぞ」
「仕方ないな……」
 そんな俺の内省を他所に、村崎先輩と由良による交渉合戦は無事着地点を見つけていた。時給二倍、って言うと凄く上がったように感じるけど、仮に元々時給1,000円だったとして、八時間労働と計算しても、一日16,000円にしかならない。殺し屋の情報の割に、安いよな……不況だからいろんな相場が破壊されてるらしいけど、それ以前の問題だ。こっちとしては、ありがたい筈なんだけど、なんか釈然としない。
「知ってるぜ。鈴木一途。ここ一年の間に急速に名を上げた、若きエースだ。コードネームのセンスは嘲笑モンだが、実力は相当だって話だ」
 本名なんだけどな。
「やはりか。となれば、こちらも本意気で臨まねばな。都築、暫くの間、我々は君の家に泊まるとする」
「「……え?」」
 俺と有沢の声がハモる。
「仕方あるまい。二十四時間体制で護る必要がある。となれば、必然的にそうなる」
「ちょ、ちょっと待ってよ! わわわ、私も?」
「有沢。お泊りセットはちゃんと用意しておけよ。くれぐれも、都築家の女性に拝借すると言う事がないよう……」
「わー! わー! わー! わかりましたわかりました!」
 何の事を言ってるのか良くわからないが、二人の意思の疎通は完璧だったみたいだ。
 つーか、お泊り? コイツ等が、俺ン家に?
「おい、勝手に決めるな。大体何処で寝んだよ」
「無論、君の部屋だ。家族の皆さんにご迷惑をかける訳には行くまい」
「「アホか!」」
 またハモった。
「ななななな何言ってんのバカじゃないの!? 何でここここコイツの部屋に私が泊まらなきゃなんないのよっ!」
「理由は今言ったが」
「そういう問題じゃないでしょー!? 男の部屋になんて泊まれるわけないじゃない!」
 有沢の剣幕は相当なものだったが、それも当然。俺だって、同じ部屋に同世代の女子を泊めるなんて、そんな夢冒険は流石に無理だ。襲う勇気もないのに、生殺しもいいトコだろう。睡眠不足で死にそうだ。
「だが、他に方法はない。実際、警備すべき対象と別室で睡眠を取るなど、どう考えても非効率的だ。と言うか、意味がない」
「う……そりゃそうだけど」
 おーーーーーい、引き下がるなそこで! お前、それで良いのか。他人の男と一つ屋根の下どころか、同じ部屋で寝泊りなんて、その時点で色んな人達に失望されるぞ! 見放されるぞ! 人気が人気なら、暴動起こるぞ!
「……わかった。仕方ないもんね。別に、やましい事じゃないんだし。ん、用意してくる」
「だーっ! 何でそうなるんだよ! 有沢、目を覚ませ! お前は今、十代半ばで夢を諦めるのと同じくらいの愚行をやろうとしてんだぞ! おーい!」
 俺の全力の呼びかけも空しく、有沢は店を出て行った。
「いーなー! 光海も柘榴ちゃんのおうちにお泊りしたいですのに!」
「いーよなー! 俺も自分ン家で女子にお泊りされてーよ! この虎! 虎野郎!」
 暗殺評価機構の面々のガヤを背に、俺は思わず頭を抱えた。
 どうなってんだ、俺の人生……
「取り敢えず、就寝時には君のベッドを使わせて貰おう。君には寝袋を用意するから、それを使うと良い。兄の残した物だが、心配するな。洗濯はしていないが十分使える」
「勘弁してくれ……」
 生首のままで堂々と他人のベッドを分捕る事を宣言する村崎先輩の言葉で、俺の周囲の重力は10Gくらいになった。


 で、夜。
「本当に来やがって……」
 有沢と村崎先輩は、やけに大きめのバッグを持参し、俺の部屋を訪れていた。
 パジャマ姿で。
「取り敢えず、有沢はここにいてくれ。私は見回りをしてくる。何か、妙な物を仕掛けるかもしれんからな」
 先輩は、微妙に表現を間違えつつ、部屋を出て行った。
 或いは、あの人も緊張してるのかもしれない。
 一方、有沢の方は、無言のままボーっと突っ立っていた。
 さて、例によって状況整理。
 これは由々しき事態。大問題だ。殺し屋に命を狙われた結果、俺は自分の部屋に女子を二名、寝泊りさせる事になってしまった。ナイーブで小心者の俺は、緊張と恐慌を禁じえない。ヘタレだと言われても仕方ないトコロ。なにせ、問題が多過ぎる。
 まず――――コイツ等が殺し屋、と言う点。何かしようとしたら、殺されますよね、やっぱり。そう言う仕事してる訳だし、そもそも今の標的は俺なんだし。休業中とは言え、自分の身に危険が及べば、正当防衛ならぬ正当抹殺を上の人達に主張するだろう。
 それだけなら、まだ良い。コイツ等、二人揃って無駄に顔だけは良い。体型も、極端に出たり引っ込んだりせず、比較的シュッとしてる。俺はどっちかってーと、ちょっとくらい丸みを帯びてる方が好みだが、ストライクゾーンを無理に狭めるつもりもない。
 なんか、やけにドキドキする。一時の劣情に支配され、万が一手を出せば、待っているのは死だというのに。しかも、自分を護ろうと集まった女子に手を出そうとして、結果殺されると言う、末代までの恥と断言出来る絶命を遂げる事になるのに。
「ところで都築」
 突然、先輩が戻ってきた。この人、サプライズが好きなんだろうか。
「もし、可憐で清らかな私達二人がお泊りに来たと言う事実に対して、三次元内における充実、略して『リア充』と言うらしいが、それを感じているのならば、その感情に関しては一旦端に置いておけ。常に緊張感を持って夜を過ごす事を強く推奨する」
「いや、感じてないと言えば嘘になりますけど……それ以前に、リア充って言葉スゲー嫌いなんで、使わんで下さい。なんかイライラする」
「……相変わらず沸点が読めないヤツだな。まあ良い。それにしても、この部屋には毒草図鑑がないな。健康的な男子とは思えないぞ」
「エロ本と毒草図鑑をごっちゃにするなよ。後、エロ本はアンタ等と知り合った次の日に全部捨てたから、そっちもない」
 なにしろ、いつ死ぬかわからない身。自分の性癖は、墓場まで持って行きたい。死に対して謙虚になった訳じゃない。単に、自分を見つめ直した結果、部屋に置いておくべき物じゃないと判断しただけだ。こうやって人間、枯れていくんだろうか。
「それにしても、有沢。さっきから一言も発していないが、具合でも悪いのか」
「確かに。声すら聞いてないな」
 村崎先輩の指摘通り、ここに来てから有沢は一度も口を開いていない。と言うか、俺からずっと顔を背けたままだ。最初は周囲を警戒してるのかと思ったけど、違う様子。まさか、照れてるんだろうか?
「体調が芳しくないのであれば、早退しても構わないぞ。私は一人でもそこそこ闘える。多分」
「……」
 そこはもうちょっと自信を持って欲しいトコロだが……有沢は村崎先輩の曖昧な言葉にも、リアクションを示さない。流石におかしいと感じたらしく、村崎先輩は眉を潜めつつしゃがみ、有沢の顔を下から覗き込む。
「……目が渦を巻いている」
「そんな訳あるかよ。マンガじゃあるまいし」
 俺も覗き込む。すると――――蚊取り線香のような形の目が二つ見えた。
「うわ! 本当だ!」
「有沢、大丈夫か。横になっていろ。都築のベッドで」
「……!」
 今度は蒸気が! 部屋中が湿気だらけだ!
「ど、どうした。何があったのか話してみろ。これでも先輩だ、悩みがあるのなら相談くらいは乗れるつもりだぞ」
 ついに先輩風を吹かすくらい心配し始める。だが、そんな村崎先輩の声にも、有沢はブンブン首を横に振るだけで、最終的には部屋を犬掻きのような所作で出て行った。
「……私には先輩としての威厳や頼りがいがないのだろうか。生徒会副会長としての力量不足が露呈してしまった」
「そう言う問題じゃない気が……」
 あれってやっぱり、異性の部屋に泊まる事に対するテンパリ、だよな。
 有沢の性格は、この二週間である程度把握している。殺し屋っつっても、その精神年齢は中学生レベル。ある意味、緑川よりも純粋なのかもしれない。殺し屋になった動機にしても。殺そうとしてる男相手にこれじゃ、いざ好きになった男が出来た場合、どうすんだろ、アイツ。自分を狙う殺し屋に対する感情としては不適切だが、ちょっと心配だ。
「うーん、弱った、弱ったぞ」
 一方、村崎先輩は村崎先輩で、後輩から頼られない自分に対し、延々と悩んでいる様子。まあ、悩ませておけば良い。俺に解決できる問題でもないし。つーか、今鈴木が襲ってきたらどうすんだよ。一名は自分の殻に篭って苦悩中、一名は所在不明。これ、警備の観点から言えば、史上最低の状況じゃねーか。
「……俺、トイレに行って来ます」
「うーん、うーん」
 警護対象が部屋を出るっつってるのに、全く付いて来ようともしない。まあ、殺し屋が警備なんて言う、業務と真逆の事をやろうってのが、そもそも無謀なんだろな、きっと。コイツ等には、攻めの精神しか備わってない筈。その分、全員打たれ弱いトコがある。守りに徹するのは苦手そうだ。やれやれ……
「わ」
 嘆息しつつトイレの扉を開けると、有沢がいた。
 幸い、この空間における本来の目的に勤しんでた訳ではなく、単に一人になれる場所で自分を落ち着かせているだけだったみたいだが――――
「……っ! ……っ! ……っ!」
 言葉にならない噴火。つーか銃! 銃はヤバイ! 逃げないと!
「女の子と二人きりになるのが怖い臆病な息子の為に発奮して、影で奥ゆかしく介助する母の粋な計らい!」
 何故か扉が閉まってるし!?
「な・・・……//////・・……//////……///・・・なんなのよもー! もー! もーーーっ!」
 なんか色々な感情が入り乱れてるのか、有沢は百面相を見せつつ、銃を天井に向けて乱射し始めた!
 止めて! いや、俺に向けられるよりマシだけど、家が! 世間体が!
「もーっ! なんで私がアンタの家に泊まって、しかもトイレにいる所を襲われないといけないのよーっ!」
「襲ってねえよ! どんな発想だ!」
「もーっ! もーっ!」
 聞いちゃいない。ああっ、トイレの天井が蜂の巣に。幸い、この上に部屋や廊下はないから、人が撃たれると言う心配こそないけど、修理高くつくぞ、コレ。
 勿論こいつに払わせるけど。
「つーか、いつまで撃ってんだよ! 止めろバカ!」
 恐る恐る、だが素早く踏み込み、有沢を止める。銃を持っている方の手首を掴み、もう一方の手首も掴む。自然と、チークでも踊ってるような格好に。
「……うあ」
 有沢はようやく乱射を止めた。と言うか、硬直していた。
「ご、ゴメン。なんか、ちょっとテンパっちゃって……」
 それでも、ぎこちない言葉で謝罪してくるその顔は、悔しい事に可愛かった。
「まあ、仕方ないけど。警備の為に来てる訳だし、もう少し割り切った方がいい気が」
「う、うん」
 余り上手くないまとめだったと思うけど、有沢は頷いてくれた。
 とりあえず、一安心。ご先祖様に顔向け出来ない死に方は回避できた。
「……一つ、聞いて良い?」
 安堵する俺に、突然のクエスチョン。とは言え、断る理由もないから、頷く――――と顔がぶつかりそうな距離なんで、小刻みに首を動かす。
「日向を外したのは、やっぱり……危険な目に遭わせない為、よね?」
 う、やはり読まれてたか。
 とは言え、そればっかじゃない。
「三人固まってても、あんまり意味がないだろ。こんな狭い家で。それだったら、トリックスター的な存在があった方が、仮に窮地に陥った際の切り札になる可能性がある」
 まあ、実際にはトリックスターってより、自由属性と言った方が良いのかもしれない。緑川には、そう言う役割が期待出来る。例えば、有沢や村崎先輩が出し抜かれて、俺一人の時に鈴木が襲ってきた場合。ヤツの牙が今まさに俺を捕らえんとする緊迫した場面で、空気を読まずに玄関のチャイムを押して玄関から入って来るとか。そう言うパターンも、ヤツなら考えられる訳で。
「……アンタ、ホントに危険慣れしてるのねえ」
 俺の説明を、有沢は嘆息交じりに聞いていた。
 同情される謂れもないと思うが。その危険慣れの一因を作ってる女に。
「ふーん、そう言う事か」
「ま、俺の責任で緑川に万が一の事があったら、それはそれで夢見が悪いってのもあるし」
「私は?」
 不意に、蓋を閉めた便座に腰掛けていた有沢が立ち上がる。
「私がもし、アンタの為に死んだら……どうなの?」
「そりゃ、同じだろうよ。誰だって、自分が原因で他人が死ぬなんて、肩身狭い思いするもんだ」
「そう言う事じゃなくて……あー、もう。何て言えばっ」
 頭を掻き毟る有沢の頭上で、微かな物音が聞こえる。ふと、視線を上に向けると――――穴の開いた天井がグラグラグラグラ揺れていた。
「危なっ――――」
 刹那。
 天井が音もなく崩れ――――便器を押し潰して飛散した。
 そんな中、俺はと言うと、その様子を半ば放心状態で想像していた。と言うのも、俺の顔面の方向に便器の成れの果てはない。目の前には、見慣れた廊下の、見慣れない構図。板張りの上、死んだ蚊がいた。掃除を怠っている証拠だが、そんな事は今はどうでも良い。
 そう――――俺は、全力でドアに体当たりして、トイレから滑り出ていた。
 大惨事の果てに、問題が三つほど発生。トイレの修理をどの業者に頼むか。ドアの修理はどうするか。そして――――無理矢理引き寄せた有沢の体重が思いっきり乗った俺の身体が、無事かどうか。所詮は一般人、腕力なんて大してない。それでも、どうにか回避させる事が出来たのは、有沢自身も危機を察して、脚力を使ったからに他ならない。つまり、その分のエネルギーも俺にそのまま圧し掛かった訳で。
「うう……」
 うつ伏せと仰向けの中間、左腕を下にして寝そべった状態の俺に覆い被さっている有沢が、険しい顔で目を開ける。
 そして――――
「……ううううううああああああああっ!」
 俺の鼓膜を破る攻撃なのか、羞恥心が火をつけた衝動か。
 有沢は、絶叫しながら――――それでも退かない。
「近! 近! 近! 近! 近! 近! 近! 近! 近! 近! 近! 近! 近!」
 そして、ゲシュタルト崩壊を引きこしそうなほど、同じ単語を連呼し出した。
 つーか、俺だって恥ずかしいっつーの! ただ、それ以上に――――
「重いから早く退け!」
「誰が重いですってえ!?」
 マウントポジションでゆっさゆっさ揺らされる。いや、冗談抜きで重いんだって! そりゃそうだろ。どんなにダイエットをして脂肪の少ない身体を作った人間だって、健康な身体であれば、30キロくらいはあるだろう。30キロっつったら、学習机くらいの重さだぞ?
「取り消せーっ! 私だって、ちゃんとダイエットして、いつでも『ったく、バカだよなお前。ホラ、手。いつまでもそんなトコで寝転んでてもしょうがねーだろ? ホラよ。あ? 何言ってんだよ。背中向けてんだから、負ぶされって事に決まってんだろ。良いから。その怪我じゃ家まで帰れねーだろ?』って言われて良いように用意してるんだからーっ!」
 一体何の事か良くわからんが、上で暴れられると意識が……意識が……
「何の騒ぎだ、一体」
 朦朧とする中、村崎先輩の声が聞こえる。
 助かった……のかどうかは、予後を見ないとわからんけど。
「む、有沢。休業状態にも関わらず都築を撲殺しようとしていると言う事は……襲われたか?」
「今まさに俺がだ!」
「まあ、それはともかく」
 あっさり流された!
「その、トイレの中で伸びているのは、何者だ?」
 あ? 伸びてる……って、ホントだ、なんか壊れた便器の上でグッタリしてる女が一人いる。一瞬、緑川かも――――と思ったけど、その予想は見事に外れた。
「きゅ〜」
 鈴木一途と言う名の、虚仮威し殺し屋だった。


「……まさか、小生の隠密行動を看破し、躊躇なく『ぴすとる』を連射してくるような手練がおるとはの……感服じゃ。完敗じゃ」
 俺の部屋で、ロープによってグルグル巻きにされた鈴木は、潔く自身の負けを認め、覚悟を決めるように瞑目していた。一方、その鈴木を見事に仕留めた筈の有沢は、バツの悪そうな顔でそっぽを向いている。虚勢を張れないヤツだ。ただ、俺は違う。この状況を有効利用しない手はない。にしても、やっぱり俺はご都合主義体質なのかもしれないな……
「お前は相当なランクの殺し屋かもしれないが、上には上がいると言う事を失念していたようだな。標的の住処に長時間隠れているなんて、愚の骨頂だ」
「言葉もない。敗者に語る弁はなし、じゃ。さあ、一思いに殺すが良い」
 まるで、武士のような女だった。って言うか、武士の妻。夫に迷惑をかけるくらいなら死を選ぶ、的な。まあ、その方が利用し易い。これから俺の言う事を鵜呑みにして貰って、組織に伝えて貰い、警戒して貰う為には、なにかと都合が良い。
「お前を殺しても、俺には何のメリットもない。また別の刺客を送り込まれる……なんてイタチゴッコになったら最悪だしな。俺はこの機会に、お前らの組織を壊滅させようと思ってる」
 そんな俺の宣言に――――鈴木も、有沢も、村崎先輩でさえも、目を丸くしていた。そりゃそうだろう。一介の高校生に過ぎない若造が、暗殺組織を壊滅させる、なんて妄言を吐いたんだから。
「……気が大きくなっているのじゃな。無理もない事じゃ。小生はこれでも、【タナトス】のエースと呼ばれる身。それを無傷で捕縛したのじゃから」
 自慢なのか、哀れみなのか、呆れなのか、判断は難しくない。明らかに全てを含有した表情で、鈴木は続ける。
「とは言え、貴様では無理じゃ、都築柘榴。確かに持っているコマが優秀なのは認めよう。それでも、組織を壊すと言うのは、そんな簡単な話ではない。そう言う類の問題ですらないのじゃ」
 そうだろう。組織を壊すと言うのは、学級崩壊等とは訳が違う。それに、学級崩壊ですら、例えそれが起こっても、そのクラス自体が消えてなくなる事はない。同様――――と言う訳ではないだろうが、【タナトス】に問題や仲違いが発生しても、組織自体に変化はない。仮に負債過多で潰れても、そこにいた誰かが新たな組織を立ち上げれば、組織は生き残る。名前や形式、人数、場所。或いは代表。そう言ったものは、大して意味はない。そして、殺し屋と言う特殊な職業を選んだ人間には、他に行き先がないのも明白。どうやっても、組織は潰えない。それこそ、所属している人間を皆殺しにするしか手立てはない――――そう、思ってるんだろう。
「でも、『あっち』を敵に回したら、そうも言ってられないんじゃないか?」
 ニッコリと。俺は、普段余り使わない営業スマイルにも似た作り笑顔で、ゆっくり言い放った。こう言う場合――――まあ、ハッタリなんだけど――――重要なのは、落ち着きつつ、落ち着き過ぎない事。普段の口調より若干遅めにするのがポイント。言葉を選んでいるくらいの速さで、多少詰まりつつ、慎重さを演出する。それが重要だ。
「……どう言う事じゃ」
 案の定、掛かった。ただ、それに関しては特に達成感はない。大事なのはここからだ。
「そもそも、何故暗殺と言う、時代錯誤も甚だしい仕事が現代になっても成立しているのか。その点を俺はずっと考えてた」
「……」
 鈴木は、俺の言葉を訝しがりながらも聞いている。
「その理由はとっても簡単。お金を出してくれる所があるからだよな」
「それは、依頼者と言う意味か?」
 進行役を買って出てくれたらしく、村崎先輩が気の利いた質問をくれた。当然、NOである事を前提に。
「いや、全然違うよ。確かに、暗殺は単価が高いだろよ。でも、それだけじゃ賄えない。なにしろ、仕事を得る為に掴ませるお金も、かなり高額だろうからね。特に、まだ地元に根付いているとは言えないくらいの歴史しかない、派遣の大手となると、定期的に支援してくれるパトロンの存在が要る」
「ふむ。では、その支援をしているのは、何者と見ている?」
 村崎先輩、お勤めご苦労様。丁寧な進行に心で礼をしながら、俺はその回答を提示した。
「恐らく、国内の総合商社だと思うよ。」
 暗殺なんて仕事をこの日本に成り立たせておいて、それが得となる連中。実は意外といると思うんだ。ただ、それは遥か昔、お偉いさんがライバルを暗殺する為に派遣していた『暗殺者』の働きをそのまま期待しての事じゃない。今時、そんな手法がまかり通るとも思えない。
 それじゃ、何でこんな時代に殺し屋が必要とされているのかと言うと、一つは抑止力だ。現代社会における武力の役割の大半は、そこに集約されている。暗殺者の存在は、十分な抑止力となり得るだろう。尤も――――あくまでも、机上の空論ならぬ脳内空論。妄想と言って差し支えない。で、その妄想を続けるなら、こんな抑止力を必要としている機関は限られてくる。
 巨大権力。
 それも国内に多大な影響力を持つくらいの規模だ。そうなれば、当然対象は限られてくる。政府、若しくは……日本の経済の中枢、総合商社。由良曰く、暗殺評価機構は『官庁と関わってない』らしい。関わっていないって事は、運営は勿論、接触もしていないって事だ。つまり、由良の話が正しい事が前提ではあるけど、政府と暗殺者に接点はない。あれば、評価機構と結び付かない訳がないんだから。そうなれば、必然的に対象は絞られる。抑止力を発揮する相手がライバル企業なのか、怖い人達なのかは、俺にわかる筈もない。実際、ハッタリだしね。ただ、確かなのは――――殺し屋でなくとも、既に似たような役割を担っている連中が、この世にはいるって事。それがどんな組織かなんてのは、ある程度生きていればわかる事だ。撲滅運動が提唱されながら、一向にいなくなる気配もないあの組織と言えば、誰もが思い浮かべるだろう。つまり、暗殺者ってのはそんな彼等と同じような存在。より、殺傷力に特化した組織と言う事だ。
 これが、俺なりの『殺し屋の需要』。
 そんな俺の妄想は、果たしてどの程度、的に当たっているのか。
「……貴様の言いたい事は理解した。つまり、小生の失敗が支援者を失望させ、別の暗殺組織に鞍替えする、と言いたいのじゃな?」
 鈴木は――――苦笑した。嘲笑う訳じゃないが、少し疲れた様子で。
「随分と、都合の良い考えじゃの。小生が捕らえられた程度で、これまで築き上げた信用が変わる事はないと断言しようぞ」
 それは、鈴木本人に寄せられる信用なのか、【タナトス】の信用なのか。ただ、俺にとってそれは全く重要じゃなかった。
「そりゃ、お前が捕まった、くらいじゃ信用が大きく落ちる事はないだろう。俺に対しての暗殺を二度失敗した事も、汚名にはなっても致命傷にはならない。でも、もしその事が、国内に支社を持つ海外の同業団体に漏れたら?」 
 俺の言葉に、鈴木は一瞬怪訝そうな表情を作った。が、直ぐに理解したらしく――――今度は眉間に皺を寄せる。
「敵となるのは、支援者ではなく……アムロか。そう言いたいのじゃな?」
「え?」
 自分の所属する組織の名前が出た事に、有沢はかなり不意を突かれたらしく、素っ頓狂な声をあげた。ま、コイツを経由するのはムリだろうから、もし実現させるなら、暗殺評価機構経由になるんだけど。
「アムロにパイプを持っておると言うのか?」
 俺はそれに答えず、ニヤリと微笑んでみせる。
「アメリカはネガティブキャンペーンの本場だからな。これを機に、日本の商売敵を潰そうと動き出すだろうよ。そうなれば、【タナトス】の評判はどうなるか、言うまでもない」
「貴様……やはり予想通りの、いや、予想以上の外道ぶりじゃの」
 結果――――鈴木は静かに激昂した。今にも爆発寸前。逆鱗に触れようものなら、爆発でもしそうな程、身体を震わせている。
「いや、だからそんなに恨み買うのがそもそも筋違いなんだよ。俺とお前が間違われたのは、お前が男と勘違いされたからであって……」
「おのれ都築柘榴め! 言ってはならぬその言葉、ついに言いおったな!」
 ああっ、早速逆鱗に触れちゃったよ! 幾らしっかり縄で縛ってるとは言え、何か特殊な攻撃方法でも有してる可能性もある。あんま怒らせないようにしとかないと。
「待て待て。悪かったよ。言い方がよくなかった。あのな、小学生時代なんて、体型で性別を判別し難いんだから、間違われる可能性は十分あるだろ? つーか、何でそこまで男を嫌悪するんだよ」
「フン。男など、この世には要らぬ。あのような……外道の極みと同じ性の存在など……」
 うーん。なんか、トラウマの気配がビシビシ伝わってくるな。
 話を聞くと長くなりそうな上、あまり実がなさそうだ。切り上げるか。
「ま、それは兎も角」
「ここまで振っておいて切り替えるでないわっ!」
 怒られちゃった。
「そうよ。それは幾らなんでもあんまりじゃない?」
「都築。人間と言うもの、例え実がないとわかっていても、尊重すべき部分はあるのだぞ?」
 しかも、俺を警護する人達にまで諭された。村崎先輩に到っては、思考を読んでるし。この人はホントに厄介だ。
「その通りじゃ。では、改めて聞くが良いぞ。小生が男嫌いになった、その理由をな……」
 まるで、物語のクライマックスシーンのような重厚な口調で、鈴木一途が語った理由は――――やはり取り立てて実のある内容じゃなかったんで、割愛。要約すると、父親が姫様フェチだったらしい。そんで、その昔、お姫様を主人公にしたアニメがあったらしいんだが、リアリティより子供向け故のわかりやすさを重視したのか、科白が標準語だったらしく、鈴木父はそれに激怒。その鬱憤もあってか、娘にこんな口調を叩き込んだらしい。実にどーでもいー事だけど、俺の周囲の父親ってのは、どうしてこうも腐った奴等ばかりなんだ。
「その上、嫌がる小生に無理矢理姫の格好をさせ、街中を手作り馬車で練り歩き……おのれ男め!」
「でも、その程度で男全てを嫌うものなのか? チト弱い気がするのだが」
 よせば良いのに、村崎先輩が無粋なツッコミを。
「うむ、良くぞ聞いてくれた。姫の格好をさせられた小学生時代の小生は、とある夏の日に、東京国際展示場と言う施設へと連れて行かれ……」
「ストップ。もう良い。話が見えた」
 悲惨だ。それは悲惨だ。悲惨すぎる。
 俺も、そこまで詳しい訳じゃないけど、色々話に聞くところによれば、悲惨にも程があると推測するに何ら躊躇はない。
 この世で最も、小学生が足を運んじゃいけない場所と時期だ。男嫌いになるのも無理はない。俺は初めて、心の底から自分を狙う殺し屋相手に同情した。
「その日以来、小生は父親とすべての男に反発し、生きて来た。男に靡かぬよう、また男に劣情を催されぬよう、髪を切って粗野な格好で過ごした! それなのに何故、何故男に間違われる!? あっ! その所為じゃ!?」
「お前はアホかあああああっ!」
 こんなストレートなツッコミも、生まれて初めてだった。良く良く考えたら、小生って男の使う一人称じゃねーか。何でこのオチに気付けなかったんだ?
 ああもう、スゲー疲れた……
「結局、何がどうなってんの? 今の話だけ聞いても、全然わかんないんだけど。って言うか、何だったの? 今の話」
「聞くな。もう二度と話題にしたくない。記憶を仕分けしたい気分だ」
 眩暈のする目を押さえつつ、腰掛ける。取り敢えず、最強の暗殺者・鈴木一途の件はこれにて終了した訳だけど、達成感のなさが尋常じゃない。一体どうやったら、殺し屋に狙われた人間のハッピーエンドが、ここまで悲惨なものになるんだ。
「どうやら、小生は長い間誤解をしていたようじゃ。てっきり、貴様が原因だとばかり……済まぬ」
「もう良いよ。その代わり、『これ以上、都築柘榴に手を出すのは止めておいた方が良いぞ。スカンクのようなヤツじゃ』とでも言っておいてくれ。エースの言葉なら、従業員の話を聞かない事で有名な派遣会社でも、一応耳を傾けるだろ」
 流石に、こんな可哀想な女性に職を失わせかねないような行為は出来ない。
 これでも、ある程度は現状を改善出来るだろうし。
「じゃ、解いて良いの?」
「ああ」
 俺の言葉を受け、有沢がロープを解く。自由になった鈴木は、本当にどこぞのお姫様のような丁寧な仕草で深々と一礼し、踵を返した。
 そんな哀れな暗殺者に、村崎先輩が微笑みかける。
「帰りの道中は気を付けると良い。この家の屋根裏や庭、床下などには、人間の行動力と判断力を鈍らせる揮発性の毒団子を置いているからな」
「成程、道理で天井が抜ける際に動けなかった訳じゃ。見事、してやられたよの」
 苦笑しつつ、鈴木一途が部屋を出て行く。って言うか、陰の立役者はこの人だったのか。村崎伊吹。奥の深い女性だ。つーか、この人に貰ったあの『殺し屋の得物だけに反応するって言う防犯ブザー』を持ってれば、結構な確率で対抗出来たんじゃないかと、今更ながらに気付く。ま、あれも鈴木が金属の武器を持ってなかったら無意味なんだけど。
「さて、我々も帰るとしよう。泊まって行きたいのであれば、特に止めはしないぞ、有沢」
「ななな、何言ってんのよ! バカじゃないの!?」
 有沢が顔を真っ赤にして首を振る中、再び足音が。母か姉か、はたまたカス父か……と思いきや、今しがた去って行った鈴木だった。
「ポストに、かのような物が入っておったぞ。届け物じゃ」
「あ、ああ。ありがとう」
 律儀だなあ……実際には、しっかりした人なんだろうな。まあ、それは良い。
 問題は、その郵便物だ。
 こんな時間に郵便局からお届け物が届く、なんて事はない。つまり、手動による投函。差出人は……
「緑……川日向?」
 有沢が先に下を覗き込んでいたらしく、いきなり素っ頓狂な声を放つ。
 緑川から?
 取り敢えず、ご開帳。そこには――――手紙が入っていた。
 タイトルは『はたし状』。
 それを見た瞬間、今度は俺の携帯が震えた。メールだ。
 こっちのタイトルは『予告状』。
「まず手紙を読むぞ。『この度は、大変お日柄も良く、殺し日和と存じます。さて、私こと緑川日向は近々、都築柘榴君の命を頂きに参る所存です。どうぞ宜しくお願い致します』」
「メール、読んで良い?『日時を予告しておきます。明日、夜の十時。例のあの場所で』だって」
 敢えて手紙とメールに分けたのは、リスク管理の為。これなら、仮にどちらかが他人に漏れても、核心に迫られる心配はない。殺しの予告だけでは、どの場所で、いつそれを実行するか不明だから、悪戯としか思われない。日程だけでは、そもそも問題にすらならない。一応、成長の跡が窺える。一体、何きっかけで成長したのかは知らんけど。
 ただ、文面から、色々切羽詰ってる感はヒシヒシ伝わってくる。
「……日向……思い詰めてるのね……可哀想に」
「可哀想なのは、殺し屋に二日連続で本意気狙いされてる俺だろ、どう考えても」
 俺の言葉を無視し、有沢は胸に俺の携帯を抱いて、黄昏ている。
「あの場所、と記してあるが、心当たりはあるのか?」
「まあ、一応」
 クラスメートとしての、そして殺し屋としての緑川日向と初めて会った場所。
 そこしか考えられない。
「そうか。いずれにせよ、明日も警備は続行と言う事だな。とは言え、今日はもう疲れている、明日の午前中にこの家で対策などを話し合おう」
 そんな村崎先輩の言葉によって、本日は終了。
 その先輩は、パジャマ姿のままで家から去って行った。
「……ねえ」
 一方、有沢はまだ部屋に留まっている。
 まさか本当に泊まって行くんじゃ、と一瞬言いそうになったけど、どうも冗談を言える雰囲気じゃない。
「日向は、本当にアンタを殺すつもり、なのかな」
 鎮痛な面持ちで、そう呟く。
「あの子に、人が殺せると思う?」
 その答えは、俺にもわからない。わからないが――――
「狙われてる以上、『殺せる』と見做すしかないだろ、俺には」
「……そう、よね」
 有沢は、それだけを答え、覇気のない顔で俺に背を向けた。
 何にしても。
 全ては明日――――わかる。







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