「……どういう風の吹き回しだ?」
  ステーキとちらし寿司と言う妙な組み合わせのオーダーを済ませた一哉が
 真顔で僕に聞いてきた。
「何が?」
「何がって……それだ、それ」
  僕は確信犯的な視線を自分の目の前にあるアイスコーヒーに送った。
「これ?」
「そうだ! 先日までミルクセーキ一筋だった奴が何でいきなりブラックのアイスコーヒーなんだよ!」
  一哉は予想通りのテンションとリアクションで 僕の自尊心を満たしてくれる。
 実に友達思いの奴だ。
「……何があった?」
「何言ってるんだ。お前が大人っぽい味覚になれっつーから、実際にそうしたんじゃねーか」
「いや、確かにそんな事言った記憶あるけどな。不自然だろ、どう考えても」
「不自然?」
「お前が俺の言う事をすんなり聞き入れる筈がない。
 何があった?」
  チッ、要らんとこで鋭い奴だ。
  前言撤回。こいつは実に友達甲斐のない野郎だ。
「吐け、さあ吐け! 何があった!?」
「落ち着けよ、みっともない。ってか何でそんなにキレ気味なんだよ」
「く……まさかお前のミルクセーキを弄れない事がここまで俺をイラつかせるなんてな」
  一哉は口惜しそうに感情を鎮めた。
「俺はさ、悟ったのよ」
  ごく自然に俺と言う一人称が出てくる。これも意識改革の賜物だろう。
「悟ったって……」
「前にお前が言った通り、今のままじゃロクな大人になれない。だから、感受性が
 豊かな内に自分を変えていかなくちゃいけないってな」
  僕の言葉を一哉は胡散臭い事この上ないと言った面持ちで聞いている。
「胡散臭い事この上ないな」
「フッ。実際に言われても今なら動揺すらしないさ。俺は生まれ変わったんだ。
 包容力と寛大な心を兼ね備えた余裕ある大人になる為にな」
  僕、じゃない俺は心地良い気分で目の前のアイスコーヒーをストローですすった。
  ……苦。
「……お前まさか」
  一哉は苦虫を噛み潰したような真顔で僕を睨む。
「な、何だよ……?」
「あの転校生に一目ボレして、口説き落とすために大人っぽくなろう、
 なーんて安っぽい決意した訳じゃねーだろうな……」
「あーうまかった。やっぱこの苦味がたまんねーや。ってな訳で飲む物も飲んだし
 僕はもう出るな」
「あっコラ待て! そんなんじゃお前いつまで経ってもちゃんとした大人になれねーぞ!
 って言うか今日はお前の支払いだろ!」
  僕は一哉の叫びを無視しつつ、その店を駆け足で出た。
  くそっ、隠れ天然の癖にたまーに鋭い事言いやがる。
  ま……そんな事はどうでもいい。
  とにかく、僕は決心したんだ。酒井さんに似合うような、カッチョイイ大人になると!
  その為には……
「ん?」
  首筋の辺りに視線を感じる。
  後ろから?
  僕は振り返ってその視線を探した……が、そこに人の気配はなく、
 いつも通っているファミレスの入り口があるのみ。
「……」
  何か釈然としなかったが、気にしない事にして家路を急いだ。

 ★       ☆     ★    ★      

  垂れ下がる紐を引っ張ると同時に、今日の勤めを終えた部屋の明かりが一足早く
 眠りに就く。
「はぁ〜あ」
  欠伸ともため息ともつかない気の抜けた声を発しながら、ベッドの上に倒れ込んだ。
  目を瞑る。すると、浮かぶのは酒井さんの顔ばかり。
  一目ボレなんだと改めて自覚した。
「…………」
  今朝の事を思い返してみる。
  休み時間になると男子の面々がものすごい勢いで酒井さんの周りを取り囲んだ。
  転校生恒例の質問攻めだ。
  特に、彼女のような可愛い子なら尚更、この儀式は避けられない。
  僕はその中に入ろうか否か迷ったが、取り敢えず耳だけ傾ける事にした。
『酒井さん、出身は?』
『前の学校はどこ?』
『ケーキは好き? この近くにおいしいケーキを置いてる店があるんだけど
 今度いっしょにどう?』
『に、人形とか興味、あ、ある?』
  ありふれた質問が続く中(一部妙なのもいるが)、僕の一番聞きたい事を
 代弁してくれる勇者が出現した。
『酒井さん、好きな男性のタイプは?』
『ええっ?』
  酒井さんは困ったような、照れたような表情を浮かべながらもこう答えたんだ。
『んー……大人っぽい人がいいかな』
  大人。
  この言葉を聞いた途端、僕の脳裏に浮かんできたのは今日のファミレスでの
 一哉の言葉。
『そんなんじゃお前いつまで経ってもちゃんとした大人になれねーぞ!』
  ちゃんとした大人、か。
  そもそも、大人ってのは何だ?
  子供と大人の間にある境界線は、どんな基準でどこに引かれてるんだ?
  ……まあ少なくとも、アイスコーヒーを飲んだぐらいで
 どうなる問題でもない事はわかる。
  だけど……
「その疑問、最もです」
「にょわっ!?」
  僕以外誰もいない筈の部屋に、部屋の主以外の声が突然浮かび上がりやがった。
「コ、コンポか……? コンポ暴発か?」
  知らない内にリモコンのスイッチを押してしまって、突然ラジカセやコンポの
 音が鳴ってビビった経験は誰にでもあるだろう。
  僕はすぐにコンポのある方を見た。
  しかし、電源は入ってない。
 ……じゃあ、さっきの声は?
「あの〜」
「どぅわっ!」
  またしても他人の声。
  今度ははっきりとそれが肉声だと判断できた。
  つまり、この部屋に僕以外の誰かがいる……
「ぞ、賊っ!?」
「……この二十一世紀のご世代に賊って……」
  気の動転した僕に賊は白けたツッコミを入れた。
「だから賊じゃないですってば」
「じゃ、じゃあ何だ!? 他人ん家に無断侵入していきなり話し掛けるなんて
 正気の沙汰じゃないだろが!」
「まあそんあ些細な事は置いといて」
「極めて重大な問題だっ!」
  何なんだ、この状況は。
  だいたい部屋は戸締りしてるはずだし、この部屋唯一の出入り口であるドアは
 閉まったままだ。
  それなのに侵入者を許すという事は……そうか、夢か。
 本当の僕は暖かい布団の中で酒井さんの夢を見ているに違いない。
  そう言えば、心なしか身体がフワフワして、現実感が希薄な気がする。
「あの、大丈夫ですか?」
  僕の顔色を伺っていた賊……もとい夢の住民が失礼な事を聞いてくる。
  これまでの僕ならオープンスタンスからのダウンスイングブローで
 それを是正する所だが、僕は既に生まれ変わっている。
「ええ大丈夫ですよ」
  よって、妖精のように清らかな顔でそう答えて見せた。
「そうですか。ならさっそく本題に入りましょう」
  真っ暗なため外見が見えないが声色で男とわかる夢の住人は
 何の反応もくれなかった。
「……」
「……」
  そして、本題に入るとか言った途端沈黙。
「あの、名刺……」
「見えるか!」
  どうやらこの暗闇の中名刺を差し出していたらしい。
「ああ、それはそうですね。失礼」
  男がそう言うと急に部屋が明るみを帯びた。
「……?」
  電気をつけた形跡はないし、そもそもこれは電気による光ではない。
(ま、いいか)
  一瞬怪訝に思ったが、これは夢なんだからこう言うのも
 ありだろうと納得する事にした。
  そうしないと話進まねーんだもんよ。
「では改めて。私はこう言う者です」
  そう言って男が差し出した名刺にはこう記されてあった。


  椛蜷l検定委員会事務所
      代表取締役
      シャーマン・カーン









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