僕の一日はミルクセーキから始まりミルクセーキで終わる。
  コンビニやスーパーで売ってるような甘ったるい既製品を買うなんて
 邪道な事はしない。自分で作るのだ。
  牛乳、卵、砂糖、氷それぞれ適量をボロっちいミキサーに入れ
 スイッチを押す。
「ポチっとな」
  壊れかけのフタを両手で押さえつつ三十秒。
  斯くして、美しいミルク色をした泡々のミルクセーキのできあがり。
  この泡あってこそのミルクセーキと言うものだ。
  僕はできたばかりのそれを口に……
「……ダメじゃん」
  ミルクセーキはもう飲まないと決めたのは昨日だと言うのに
 いきなり忘れてしまっていた。
  そうだ、僕は大人の男になる為に、敢えてこの……
  この……
  ……

 ★       ☆     ★    ★      

「さて、行ってきます」
  口についた甘い泡を拭いつつ、僕は誰もいないマンションの一室に
 そう告げて、学校へ向かう。
  僕の家庭に父親はいない。訳あっていなくなってしまった。
  つまり、母子家庭でござる。
  そしてその母親も、仕事の虫なので家にいる事は余りない。
  まあ平たく言えば、僕は鍵っ子なのだ。
  その事に対する不満はこれっぽっちもない。
  僕を食べさせる為に働く母親に対して『もう少し家庭を省みてくれ』なんて
 どうして言えよう。
  ってな訳で、食費さえ削ればそれなりの小遣いと自由が約束された
 今の生活には満足している。
「ふぁ〜……あ」
  まだ眠気が取れない。
  どうも眠った気がしないのは、昨日の夢の所為だろうか。
  ま、変な夢だったしな。思え返すのもアホらしい内容だった。
  何だっけ。人類ほか……
「違います」
「のをっ!?」
  突然の声に僕は思わず全身を震わせた。
  心臓が大きく跳ねる。
「……だ、誰だ?」
  声のした方を向く。
  しかし、そこに人影はなかった。
  気のせい……とは思えないんだが。
  昨日の視線といい、どうも変だ。
  自覚以上に疲れてるのかもしれない。
  やっぱり釈然としないものの、このままボケっとしてると遅刻してしまうので
 取り敢えず歩く事にした。
  ウチの学校は生意気にも進学校なので、受験生には毎朝補習がある。
  まだ空が青くなる前に起きるのはその為だ。
「おう」
  その受験生に該当する友人、結城一哉が現れた。
  どうする?
「人をモンスター扱いすんなや」
「いいじゃん、スライムとか現実にいたら可愛いし」
「その中には腐った死体とかアニマルゾンビとかいる事を忘れんな」
「聖水なんて別の意味で使われてっからな。現実は」
  なんの中身もないバカ話。それのなんと楽しい事か。
  さて、ここで一哉について説明しておこう。
  こいつとはもう十年来の親友だ。
  僕と同じく片親で、やっぱり母子家庭だったりする。
  そんな訳で、まあ不覚にも仲良くなってしまった訳だ。
  色々と口うるさい所はあるが、基本的には良い奴だったりする。
  ツラも頭も運動神経も平均をぶっちぎりで上回っているが、その事を
 鼻にもかけない。
  ただ、一つだけ欠点がある。
「一哉ク〜ン、おはよ〜」
「あ、一哉さん……」
「一哉ー、今日は空いてるのー?」
  そう、やたら女受けが良く、毎度毎度女性から話しかけられる点だ。
  あ? 僕にとっては十分な欠点だろうが!
  ……言っとくけど『一哉は僕のものだ!』みたいなノリは無いんで
 そこんとこ宜しく。
「ったく、これさえなきゃ、文句の付け所はあれどそれなりに良い友人なんだが……」
  声を掛けてくる女子生徒一人一人にへらへらと笑い掛ける一哉を見て
 思わずため息を吐く。
「羨ましいですか?」
「……あん?」
  また不意に声を掛けられた。
  さっきと同じ、女性の声だ。
「……」
  今度こそとキョロキョロ辺りを見回したが、先程と同様、徒労に終わった。
「ん? どうした?」
 一通り愛嬌を振り撒き終わったのか、一哉が話し掛けてきた。
「いや……昨日からどうも変でな。誰かに見られてるような気配を感じたり
 幻聴を聞いたり」
「何だ、そんな事だったら俺はしょっちゅうだぞ」
「……お前のはストーカー及びフった女の怨念によるものだろ」
  受験についてそれ程重圧を感じてるつもりはないんだが、それでも
 思っている以上に疲労が溜まっているのかもしれない。
  僕は何故か青い顔をしている一哉と共に、肩を落としたまま教室へと向かった。

 ★       ☆     ★    ★      

  放課後。
  キーンコーンカ〜ンコーン。
  ウチの学校のチャイムは何故か音が少しずれている。
  いい加減直せよな……
  おそらくこの音が鳴る度に全校生徒のうち少なくとも一人はそう心の中で
 そうツッコんでいるだろう。
「あの……」
  そんなどうでも良い事を考えているどうしようもない僕に天使が降りてきた!
  酒井優歌さん。
  昨日初対面である僕のハートを盗み取った宮崎系ルパン女の子Ver.だ。
「あ……」
  そんな恋泥棒を目の前にして、僕は完全に硬直してしまった。
  何しろ、向こうから話し掛けてくるなんて思考の外にすらなかったのだから。
「ちょっと、良いかな?」
  キュートな唇を上下させ、そう聞いてくる。
「な、なななにかな」
  僕はおにぎり好きの某大将のような喋り方になってしまったのを
 光ケーブルも真っ青の超スピードで後悔しつつ、彼女の言葉を待った。
「実は私……」
「ユ・ウ・イ・チ・ちゃ〜ん!」
  スウィートな酒井ちゃんの声を遮るように僕の名前を呼ぶのは……
 あらー、クソ親友じゃないですか。
「一緒に帰ろ……あれ?」
  一哉は酒井さんの存在に気付いたのか、驚いたように目を丸くした。
「なんだ、取り込み中か?」
「あのな、お前は……」
「あ、わ、私用事があったんだ! 春日君、ゴメン、そう言う事で」
  なんか取って付けたような理由を残して、天使は足早に飛び去っていった。
  …………ああ。あああ。
「あ、俺、お邪魔だった?」
「……」
「ゆ、祐一君? 目が動物園で見たモモイロペリカンみたく素で怖いんだけど」
「そうか。ならお前を素敵な所に宅配してやろう」
「ど、何処に……?」
「そうだな」
  僕は思考を張り巡らす振りをする。
  所謂『溜め』と呼ばれる演出だ。
「第二地獄と第三地獄、どっちが良い?」
「お、俺が悪かったぁぁぁ!」
  ごっこでない鬼ごっこは『鬼』とでも言えばいいのだろうか。
  僕らはその鬼を暫くの間堪能する事になった。









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