「貴方には『大人検定試験』を受けていただきます」
「試験? 学校のテストみたいなのか?」
「いえ、筆記ではありません。内容については後々説明しますけど、掻い摘んで
話せば、大人になる為に貴方に最も欠けたものを試験によって導き出し、
それを自覚させ、矯正させるというものです」
「……」
大人になる為のもの……そんなものが存在するのなら、是非知りたい。
まして、僕に欠けているものなら、尚更。
「……で、その試験はいつからやるんだ?」
僕は少しだけ、ほんの少しだけ前のめりになって会話を進めた。
「一応時間はいつでもいいんですけど。そちらの都合に合わせます」
「まあ、学校がある時間以外は殆ど暇だけど」
我ながら受験生とは思えない発言だが、試験ったって
一ヶ月とか一年とかかかる訳もあるまい。
ならさっさと終わらせた方がいいだろう。
「では、早速今から始めましょう」
「い、今からか? 用意とかしなくていいのか?」
「はい、手ぶらで結構です」
余りの急展開っぷりに大人の余裕など出せる筈もなく、無防備に
狼狽してしまう。
「ま、まあいいや。で、どこでやるんだ?」
「こことは違う世界です」
僕がその言葉を理解する前に、視界に変化が現れた。
目に映る全ての物が、全ての景色が、波のようにうねり、揺らいでいる。
それはまるで、シュールレアリスムの絵画の中に迷い込んだような世界だった。
「最初は少し気持ち悪いかもしれませんが、すぐ慣れると思います」
「な、何をし……むおっ!?」
揺らぎがますます大きくなる。
もう頭の中はパニック寸前だ。
「…………」
そんな中でも、水崎は顔色一つ変えない。
これは彼女によってもたらされた現象なのだろうが、だとすれば一体……
ブ――――ゥ――――ン――――
「っ!」
脳内に直接響く、寒気を呼び起こすような音。
まるで蜂か虻が耳のすぐそばを飛んでいるかのようだ。
その音のすぐ後に、それまでぶれていた景色が次第に一本の線になる。
そして……
「着きました」
何事もなかったかのような、水崎の言葉。
半ば放心状態の僕は、今の現象について問う前に辺りを呆然と見回した。
「ど、どこだ? ここ……」
それまでいた、見慣れた通学路とは違う、だけど似たような場所だった。
「先程までいた世界とは違う世界です」
「違うって……」
戸惑う僕に水崎が話し掛けてきた。
「厳密に言いますと、貴方が通常いる世界とはオントロジーの軸座標が……」
「ストップ。言ってる事が全然わからなくなる気配を物凄く感じる。
わかり易く言ってくれ」
「わかり易く……そうですね、ここは夢の世界と言うのはどうでしょう?」
「ゆ、夢の世界?」
いきなりメルヘンな話になったな。
「はい。夢の中なら、いきなり場所が変わっても不思議じゃないでしょう?」
「……」
まるで幼稚園児に言って聞かせるような説明だ。
そりゃ、確かにわかり易くとは言ったが……
「一応、これを使って転送したんですが」
そう言って水崎が見せてくれたのは、1枚のカード、のようなものだった。
「転送回路、と呼ばれるものです」
「それでさっきみたいなへんちくりんな現象を起こしたのか?」
「はい。次元を微小な範囲で変換して……」
「わかったわかった。んで、試験はここでやるのか?」
どうにも現実感のない状況ではあったが、学校以外で小難しい話は
聞きたくなかったので先を促した。
「はい。暫くこの辺をうろついてください」
「……なんだそりゃ」
非常にアバウトなリクエストだった。
「こちら側で用意したシチュエーションによって試験が行われますので
心のままに動いてみてください」
「……心のままに、ね」
要するに、適当にブラつけばいいって事か。
それだったら特に予備知識は必要ないし、まあ出来るわな。
「わかった。どれくらいブラブラしてりゃいいんだ?」
「時間になりましたら私が声を掛けますんで」
「了解」
「では御健闘をお祈りします」
そう言い残して水崎は去っていった。
ま、去ったと言っても、どうせどっかで見張ってるんだろう。
じゃなきゃ試験官の意味ないし。
「はぁ……」
この溜息は現在の状況を憂うものではなく、流されっぱなしの
自分に対してのもの。
これじゃいかんなー、と本気で思う。
運命、とか言うのは信じないけど、世の中には何か大きな波が随時流れてて
それに逆らう力がない者は皆不本意な方向に流されて行くと言う
見えない大きな力のようなものは度々感じる。
今の僕は、まさにそれに流されたんだろう。
力が欲しい。
例えば腕力。
不良に絡まれても余裕の笑みさえ浮かべてそれを打破する力。
例えば知力。
テストで全ての答えに一点の不安も感じないような完璧な答案を作る力。
他にも、何事にも同じない胆力とか、全てにおいて貫かれる意思力とか……
「すいませ〜ん!」
「ん?」
不意に聞こえる、助けを求める声。
「家のおじいちゃん見掛けませんでしたか?」
そう聞いてくるのは、二十歳かそこらの若い女性。
容姿については語るまい。
人は、個性があるからこそ共存できる。
それのない共存はただの複数による存在に過ぎない。
「あの……?」
「あ、すいません! えっと、おじいちゃん?」
「はい。ちょっとボケが入っちゃってるんですけど、どうも
目を離した隙にフラフラと……」
「はあ」
それを僕に言われても、と言おうとした口を強引に閉める。
「……っ」
おかげで唇を少し噛んだ。
普通に考えれば、これはあの『試験』の一環だよなあ。
親切心でも試すのだろうか? でも、そんな単純な事でいいのだろうか。
うーむ……
「その辺にいると思うんです。ボケてるから一人でブツブツ言いながら
歩いてる筈なんです」
それは僕に一緒に探せと言っているのか。
……まあ、断る理由はない。
おそらくはこれが目的なんだから。
「えーと、じゃあ僕も探しましょうか?」
「助かります!」
ずいっ、と身を乗り出して感謝の意を示してくる。
「じゃあ、見つけたらここに連絡ください。あ、携帯持ってますよね?」
「ああ」
はい、持ってます、一応。
め〜〜〜〜〜ったに使わんけど。
「それじゃあ、よろしくお願いします!」
ペコリ、と九十度のお辞儀をしてその女性は足早に去っていった。
残されたのは、殴り書きされた携帯の番号の書かれたメモ。
「探す、か」
イマイチ自分の状況が掴めない中、流されるように老人を探す。
風景自体には既視感があるのだが、地理的には全く覚えがない。
そんな中で人を探すのは、はじめてのおつかいをTVカメラ抜きで
実行するに等しい行為だ。
尤も、水崎の話が本当なら、この空間には知らない場所しか
ないのだから、迷子になる事はない。
もう既に迷子なのだから――――
「あ」
五回ほど角を曲がった先に、老人がいた。
だが、例の女性が探している老人とは限らない。
高齢化社会の現代、日本人の3人に1人は老人と言われている。
そろそろ老人ドームとか老人都市とか老人通貨単位とか
そんなんができそうな情勢だ。
「できません。何ですか老人通貨単位って」
「うわっ!?」
何の気配も前触れもなく、水崎が隣に現れた。
「しかも人の思考読んでるし……お前、人間じゃないのか?」
「夢の中は何でもありなのです」
仮定を現実のように語る。
何か、とてもヤバい事に巻き込まれた気がしてきた……今更だけど。
「では、試験開始です」
「また唐突に……まあ良いや。で、内容は?」
「はい。まず、貴方の『度胸』を試します」
「度胸? どうやって?」
「あそこを見て下さい」
水崎が視線で指したそこには……
「デラクルーズ・グラッデン・コトー・マント・カステヤーノ・ダンカン・
クレスポ・レイサム・キャプラー・ディロン……」
さっきみつけたじじいがいた。
虚空を眺めながら何か訳のわからん呪文をブツブツ唱えていて
非常に恐ろしい。
「あれって……いろんな意味でもう末期じゃないか」
「因縁つけて来て下さい」
「……は?」
「だから、あの方にケンカ吹っ掛けて来て下さい」
それは……ある意味、ヤクザにケンカ売るより危険なのでは?
「ほら、早く」
「いや、無茶だろ……」
僕は滲み出る冷や汗を背中に感じつつ、じじいを見る。
「れ、れ、れ、レイサム! きゃっ、キャプラあああああ! 何故じゃ!
何故ワシを置いて去っていった!? 何故じゃあ……」
通りすがる人間に意味不明の言葉を投げ掛けている。
そして、何故かキレっぱなしだ。
「や、あんなのに関わったらロクな事にならないんじゃ……」
「だから『度胸』の試験なんです。ほらほら、行った行った」
「わっ、押すな!」
水崎は僕の背中を強引に押して行き、そのじじいの方へ追いやった。
うわ、じじいがこっち見てるよ……
「それでは、ちゃっちゃっとやってください」
無責任な発言を残し、水崎は離れて行った。
既に目の前には、何か涎を垂らしながらこっちを見ているじじいがいる。
どうやら興味を持たれてしまったらしい。
うう、やだな……背中を見せると何されるかわかったもんじゃない。
もはや、逃げる事もできない状況にまで追い込まれていた。
「くっ……」
僕は覚悟を決めた。
殺らなきゃ、殺られる。
僕の眠ったままの本能がそう告げている。
「おい、じじい」
精一杯のくぐもった低い声でそう呼びかけ、じじいの顔のすぐ前に
自分の顔を持っていった。
そして、おもむろに眉を八の字にし、首を斜めに傾けてガンを飛ばしてみる。
「テメエ、何訳のわかんねえ呪文叫んでんだ? 人生のベテランなら
ちゃんとしろ、コラ」
よくわからん因縁だが、この際仕方ない。
僕がそう凄んで見せると、じじいは何故か顔を真っ赤にした。
な、何だ?
恐れ戦く僕を尻目に、今度は急に般若のような顔になった。
「ききき貴様か!! 貴様がワシのレイサムを寝取ったのかあっ!?」
突然のシャウト。
唾なのか汁なのかわからん液体が僕の顔に降り掛かった。
その臭いたるや、賞味期限を一月以上過ぎたプリンにすら匹敵する。
「……!」
僕はその理不尽極まりない仕打ちに、純然たる憤怒を覚えた。
「何すんだ、このボケじじい!! 初対面の人間に唾か毒か
わからんようなもんぶっかけんじゃねーよ!!」
「○×¥△%*☆#@!?」
「ああ!? 上等だ!! 出るとこ出るなら千代田までの交通費用意しとけよ!!」
「……!!」
「……!!」
周りにギャラリーが集まってくる事を気にする事なく、僕は
そのじじいと同レベルで罵り合った。
「春日祐一(18)、小心者ほどキレると怖いという名言通りの行動……と」
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