夜。
  日が暮れ、それまで暑いくらいだった気温は異常なまでの急降下。
  さらに、けたたましかった生き物の鳴き声がだんだんと消えていく。
「こ、怖ぇ……」
  風が吹き、草木が震える度に僕も震えてしまう。
  寒さよりも恐怖で。
「はぁ……」
  無意識に漏れるため息はこれで今日何回目だろう。
 そんな事を考えられるくらいの余裕がこの時間帯に来てようやく戻ってきた。
  そして、それまで真っ白だった思考回路に電源を入れる。
 取り敢えず、こうなってしまった以上は仕方がない。
 これから先、半年間生き延びなくてはいけないのだ。
「兎にも角にも、まずは水と食料だよなあ……」
  それらがなければ当然だが生きてはいけない。
  そして、それと同じくらい重要な問題がある。
  身の保全。
  何しろ、ここはジャンゴゥ。
 水崎の言っていた通り、僕を食そうと襲ってくる猛禽類がウジャウジャいるに違いない。
「水と食料は明日探すとして……まずは火だな」
  焚き木をすれば外敵からは身を守れる。
 僕はマンガとかで見た知識だけを頼りに、落ちてあった木の枝を
 石に擦りつけてみる事にした。
  …
  ……
  …………
  三十分くらい経過。
「……」
  携帯がウンともスンとも言わない状態なので、正確な時間の経過はわからない。
  そして、火の気配は全くなし。
  それどころか、摩擦で掌が擦り剥けてしまった。
「この方法じゃ駄目なのか……?」
  所詮、マンガからの知識。
 石の上で木の枝をくるくる回しただけじゃ駄目なのか。
  そう思いつつもこれしか方法を知らない故、続けてみる事にした。
  そして、(おそらく)一時間ぐらい経ったその時。
「おぉっ!」
  黒い煙がほんのちょっとだけ出てきたかと思うと、火の紅が辺りを
 うっすらと照らし出した。
「よ、よかった……」
  思わず口に出る安堵感。
  だが、それが一瞬で霧散する。
  何故かというと、明るみを帯びたはずの視界が一瞬にして凍りついたからだ。
 視界が明るくなった事によって見えた、明らかに僕を狙っている大蛇の所為で。
「……」
  思考及び動作に携わるすべての機能が完全停止する。
  本能が訴えるは絶対的な恐怖。
  僕はその現実を認識できず、ただポケーっとしていた。
  だが次の瞬間、止まっていたかのような時間が動き出す。
  チロッ――――
  と、大蛇が僅かに紫色の舌を出した。
  その仕草が、僕にこの現実を思い起こさせた。
  ……逃げなきゃ、死ぬじゃん。
「うっぎゃあああああぁ!!」
 弾ける様に、僕はその場から走って逃げた。
「キシャアアアァッ!!」
  大蛇は口を開け、その獰猛な瞳に映る獲物を追う。
「ちっくしょおおおおおぉ!!」
  何かこう、色々なものに対しての不平不満をその叫びに乗せて、
 僕はひたすら空気を掻いた。
  結局、ジャングルでの初日は、追いかけっこに終始した。
  そして、翌日からは本格的にジャングル生活を始める事になった。
  母さん、僕は死ぬかもしれません。
  遺書も遺体も残せない、不幸親不幸(造語)な息子をお許しください……
  ……………………
  …………
  ……

 ★       ☆     ★    ★      

《ヴォケーッ! ヴォッヴォッヴォッ、ヴォケーッ!》
  ボケ鳥(勝手に命名)のけたたましい鳴き声がジャングルの夜明けを告げる。
  それが目覚ましとなって、僕は朝を迎える。
「ん〜……っと」
  大分前に見つけて以来、寝床にしているもの凄い大木の穴から顔を出し、
 木漏れ日を浴びながら伸びをする。
「い〜い天気だ」
  空を見上げると、雲一つない抜けるような青空。
  実に清々しい。
  雨の止んだ時のあの独特の匂いも嫌いじゃないが、やっぱり基本的には
 晴れなのに越した事はない。
「さて、メシの調達に行くか」
  あれからどれくらいの月日がたったのかはわからない。 
  ただ、僕は――――すっかりジャングルでの生活に馴染んでいた。

 ★       ☆     ★    ★      

  パチパチパチ……
  手馴れた仕草で火を灯し、先程捕らえた食料を焼く。
  今日の収穫はアナコンダ。
  世界最大のヘビの一種で、哺乳類やワニを補食する
 ジャングルでも有数の猛者。
  そう言えば、ここに来た初日にもこいつと遭遇したんだっけ。
  あの頃は僕も弱かったもんだ……
「……!」
  生き物の気配。
  そう、僕はここでの生活を続けている内にそういったものを
 察知できる能力を身につけていた。
  言うなれば、野性。
  人間が長い年月を経て眠らせたその本能を完全に覚醒させてしまったようだ。
「匂いにつられてやって来た肉食動物か……?」
  アナコンダの滴る肉汁を見て、そう呟く。
  だが、変だ。
  いくらジャングルの主たちと言えども、ほとんどの生物は火を怖がる。
  実際、こうやって火を起こしている状態で獣が僕の前に
 姿を現した事は一度もない。
  まして、僕の食事の邪魔をするような身の程知らずな奴が未だに
 この近辺にいるとは思えないんだが……
「…………」
  精神を研ぎ澄ましてその気配に集中する。
  殺気はない。
  敵意もない。
  感じるのは、微弱な気配のみ。
  小動物?
「近い……」
  その気配はすぐそこまで来ている。
  どうする?
  僕は一応戦闘態勢をとり、気配の主の出現を待つ。
  後十メートル……五メートル……三……二……
「来る……!」
  ガサッ。
  身の丈二メートルはある草の群れを掻き分けて現れたのは……
「あ」
  超久し振りに見る人間――――水崎だった。

 ★       ☆     ★    ★      

  パチパチパチ……
  いい具合に焼けたアナコンダの皮を剥き、石斧で適当な大きさに切る。
  そして、それを石で作った皿に盛って、アナコンダの丸焼きの出来上がり。
「食うか?」
「結構です」
  美味いのに……
「随分と変わりましたね」
  肉にかぶり付く僕を見て、水崎が感心したような台詞を感慨なく呟く。
「まあな。こんなとこで半年も生活してりゃ逞しくもなるってなもんだ」
「大半の人は恐怖で精神崩壊直前まで追いこまれるんですが」
「つーか死ぬけどな。普通は」
  皮肉と言うより極めて自然に口が動く。
  いや、こんなとこに一人置き去りにされりゃ死ぬって、マジで。
「ああ。それなら心配なく。ここでは存在則が違いますから死にはしないんです」
「……そうなのか?」
「はい。存在の定義が違えば死の定義も違いますから」
  チンプンカンプン……
「要するに、夢の中で死んでも起きたら生きてるのと同じ事です」
「なるほど、よくわからんがそう言う事か……って、じゃあここで鍛えられた
 この肉体も、元の世界に戻ったら半年前に戻るのか?」
「あ、いいえ。それに関してはまた色々とあるんですが、
 結論だけ言えば身体はそのままです」
  水崎は気を利かせて過程の講釈を省略してくれた。
「そっか、なら安心だ。よし、それじゃとっとと元の世界に戻ろうぜ」
「はい」
 ブ――――ン――――
  こうして、僕の半年に渡る体力の試験は終わりを告げた。
  異なった世界の生態系をほんのちょっとだけ乱して。
 








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