この学校の中庭は昼休みになっても余り人気がない。
原因は……ある事はあるのだが、ここでは割愛させてもらおう。
呪われ……いやいや、わざわざ記すまでもないって事で。
で、とにかくその中庭に僕たちはやってきた。
「そこのベンチに座るか」
「そうですね」
校舎の壁から数メートル離れた所にあるボロっちいベンチに腰掛けた。
背もたれがないため、何となく違和感がある。
「で、話って?」
「はい。それが……」
水崎の表情が心持ち、本当〜〜〜〜っに心持ち影を落とす。
な、何だ?
何か例の試験がらみでまずい事でもあったのか?
「試験の事なんですけど、暫く行えなくなってしまいまして」
「マジ?」
「です」
なんともタイミングの良い。
何か展開を円滑にする為の絶対的な強制力が働いたような気もするが。
「ですから、本当に申し訳ないのですがこちらから連絡するまで試験は凍結、という事で」
「いやいや、寧ろ助かる」
「助かる?」
「実はジャングルにいた所為で学力が著しく低下してな。模擬テストとか苦労しそうなんだ」
「あ……」
水崎は少しだけ目を大きく見開いて、その後凄くすまなそうな顔をした。
おお、珍しい。
「その……」
「まあ、あんたが気にする事じゃねーよ。なんとかなるだろ」
「……」
そうは言ってみたが、少しばかりピンチな現実は変わらない。
三年生は色々と大変だ。
受験だけじゃない。
思い出作りや人としての成長など、いろんな事をやらなきゃいけない。
本来は大人検定試験なんて受けてる余裕なんてないんだよな、きっと。
「ってな訳で、今日から暫くの間他の奴らの二倍勉強漬けだ」
言ってて自分でも憂鬱になる。
受験生の二倍の勉強って……
「あの」
「ん?」
「その……もしよければ、ですけど。私が教えましょうか?」
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さて問題。ここは何処でしょう?
ヒントはこれ。一週間しか使わなかった健康器具と、足が折れたのに
まだ捨てられないロッキングチェアー。
……はい、そこまで。
答えは我が家でしたー!
……まあ、それは良いんだ。僕の家に僕がいるのは必然だから。
「お邪魔します」
問題は、生まれて初めて僕の部屋に同級生の女の子がやって来たと言う
とんでもない事実だ。
初めては酒井さんって決めてたのに……
「何か空気がおかしくないですか? この家」
入ってすぐ失礼な発言をされたものの、僕は今それどころじゃないくらい
テンパっている。
別に部屋中エロ本だらけとか、そう言うのはない。
ただ、おにゃのこが自分の家にいる事が
ここまでグラビディでディスティネーションだとは露知らず。
膨大なプレッシャーに押しつぶされないよう耐えるのが精一杯って状況だ。
「では、お部屋に」
「そ、そうだな」
「あ、その前に親御さんに挨拶を」
「良い。今はいないから」
現在の時刻は午後4時45分。母親が帰宅するのは、早くてもこの8時間後だ。
「……いない」
「ああ」
「……」
今度は水崎が微妙なプレッシャーを受けていた。
「言っておくけど、僕には女の人をどうにかしようと言う度胸は全くない」
「寂しい現実ですね」
そう言いつつも、水崎は台所の包丁をじっと見つめていた。
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取り敢えず部屋に案内。
「何の特徴もない、極めて平均的な部屋……と」
「そんな事メモってどうすんだ」
「参考資料です」
訳のわからない事を言いながら、水崎はちょこん、とベッドの上に座った。
「……何をしてる」
「あっ」
そんな場所で勉強などするヤツはいない。
水崎は努めて冷静に、ちゃぶ台の下に置いている座布団に座り直した。
……何気に緊張してるっぽいな。
「では、まず何から始めましょうか」
「そうだなあ……記憶系は昔から苦手だから、その方面から」
そんなこんなで、僕は水崎から勉強を見て貰う事になった。
「ここは違います。ここもダメです。論外です。ロンの外です。ロンです」
「あがられた!?」
水崎さん、予想以上にスパルタ。
そんな事もあり、毎日が試験日前日のような日々に追われた。
すげーやな表現だけど、今の僕にはぴったりだった。
五時起床。
五時半登校。
六時到着。
六時〜七時半自習という名のシゴキ。
七時半〜八時半受験生全員参加の補習。
八時半〜十二時半授業。
十二時半〜一時半自習と言う名のイジメ(昼食三分含む)。
一時半〜三時半授業。
四時〜六時補習。
六時〜八時学校で自習と言う名の暴挙。
八時下校。
九時〜二時家で電話監視付きの勉強。
二時就寝。
……一日の総勉強時間、実に約十八時間ナリ。
そんな日々を二週間ばかり過ごした。
死ぬ。死んでしまう。
もうジャングルより過酷だ……
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そんで、疲労とかストレスとか、そういう負のエネルギーで踏み潰されて
ペチャンコになる寸前。
ようやく、模擬テストの日が来た。
「……び、微妙だ」
これだけの詰め込み教育なんてそうそう経験するものじゃないのだが、
どうも僕の頭は吸収力がないようで、手応えは余りなかった。
そして、結果。
「……微妙ですね」
取り敢えず、ジャングル前とほぼ同等の成績を残す事はできた。
しかし、あの地獄に耐えた割には、手応えと水崎の言葉通り微妙な結果だった。
具体的に言うと、平均68点だった。
「まあ、目標は果たせたし、良いや。ありがとな、水崎」
「はい」
素っ気無い受け答えだったが、僕はその中に潜んでいる微かな人間味を、
赤くなった耳の辺りで知った。
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受験生とはいえ、休む時は休みたいものだ。
もちろん、一分一秒を惜しんで日曜日だろうが祝日だろうが机に噛り付く
その真摯たる姿勢を否定などする気など毛頭ないのだが、人が常に
ベストコンディションであるには、適度な休養は必須であると言える。
その日をわざわざ国が指定してくれているのだから、それを無下にする事はない。
つまり、今日は一日中休み。
完全休養日。
明日と言う戦場に向けて英気を養い、来るべきハルマゲドンに万全の体制で備える。
「その為の、実に貴重な、実に建設的な時間なのだよ。あーゆーおっけー?」
「……受験生が貴重な日曜日に女連れて映画館から出てきた理由としては、
まあ上出来な方か」
つまりはそう言う訳で。
本日は学校も例の試験もなく、日常品を補給しようと町を練り歩いていた所に、
我が心の友がこんなとこにいやがった。
「ったく、良いご身分なこって。優等生が聞いて呆れるっての」
「息抜きは必要なのだよ。張り詰めた糸はイトも簡単に……」
「はいはい」
「……」
結城一哉(18)は失意の元に沈黙した。
「人を容疑者みたいに言うなよ」
「ダジャレ、オヤジギャグはよほど会心の出来でもない限り立派な犯罪だ」
「そ、そうなのか……ん? 何だそれ」
一哉は僕の荷物に興味を持ったのか、そう聞いてきた。
「ああ。これはティッシュとトイレットペーパーだ。ここの近くの
ドラッグストアーで安売りやってたんだ」
「何ぃ!? それでさっき出くわした時ホクホク顔だったのか!」
「うるせーよ」
一人暮し(も当然)の身にとって、日常品、特に消費率の高いティッシュと
トイレットペーパーが安く買えたという事実は節約以上になんか『勝った!』と言う
気分にしてくれる。
自然に顔も緩むというものだ。
「で、何処だ? その安売りやってる店は」
「向こうの、ホレ、○○薬局」
「ほう」
僕が指差すその方向を見る一哉の目は獲物を狙うブチハイエナの如く
醜く濁っていた。
まあ、こいつも僕ん家と同様に一人暮しも当然な訳で、その気持ちは
シンクロニティを標準装備した双子くらい分かり合える。
「それじゃ、美樹、今日はここでお別れって事で」
「ええ〜っ!? 次は買い物に付き合ってくれるって言ったじゃん!」
「わりーわりー。また今度、な」
そう言うと一哉は早足で例の薬局の方へ走っていった。
「…………」
取り残される、僕と美樹とかいう女。
気のせいか、美樹とかいう女が僕を睨んでいるような……
「チッ!」
すごーくわかり易い舌打ちをして、その美樹とかいう女も去っていった。
女ってこえーなあ……などと思いつつ、僕は家路を急ぐでもなくゆったりと歩く。
そして、家の近所にあるスーパーの前を通った時……
僕の背中に電撃が落ちた。
『卵一パック2円(500円以上お買い上げの方に限ります)』
「なにぃ〜っ!?」
僕とした事が、卵の安売りの日をチェックし忘れていたとは……
現在時刻は午後十二時二十五分。
売り切れているかどうかは微妙な時間だ。
今から家に帰って荷物を置いてくる時間はないし……どうする?
さすがに他の店で買った物を持ち込むのはマナーが悪いし、しかし……
「あ……」
そう頭の中でゴチャゴチャ考えている僕の耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「……水崎?」
「はい。あ」
「これ持っててくれ!」
「えっ?」
返事を待つ事もせず、僕はティッシュ&トイレットペーパーを水崎に託して
スーパーへとダイブした。
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