……一哉が蘇生するまでしばらくかかりますので、この時間を利用して
昨日の彼の不幸を神様が説明します。
祐一と別れた後、彼はファミレスで大好物のリゾットを食し、ホクホク顔で
家路を歩いていました。
時刻は午後五時三十分。
そろそろ日が沈もうかという時間帯。
公園で遊ぶ子供たちに親が迎えに来るような時間帯。
日曜ならブラウン管で歌丸師匠が高笑いしている時間帯。
彼はいつも通り、何の警戒心もなく家の近くの、人気のない道を歩きます。
その後ろに、怪しい人影が約一つ。
一メートル歩く毎に十センチ差が縮まるペースでその人影はゆっくりと
一哉に近づいていていきました。
勿論一哉はその恐怖の大王に気付く事はなく、明日は何食べYO的な
ゆるーい事を考えてました。
そして、二百メートルほど歩いたその時。
悲劇は起こったのです。
それは……!
続きは本編で。
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「ぎゃははははははははははははははっはははっはははっはははははははは!!」
「…………」
「ぎゃはははははははっ……ひあははっはははっははっははっははっははは!!」
「…………」
「ふははあはふあじゃうあはうあsびsjbr4あ4はほbx9はにっぉは!!」
「笑うなコンチクショー!」
一哉は泣きながら憤怒した。
いや、笑うなって。
無理だよ、それは無理だよ一哉君。
「痴漢にあった!? 男のお前が!? 女にモッテモテで困っちゃうな〜っ状態のお前が!?」
「う、うるせえっ」
いやあ、こいつは傑作だ。
まさかこんなとある日に人生で三本の指に入るであろう大爆笑をする事になるとは。
「最高。もう最高だよ。毛細血管も吃驚だ」
テンション上がってしまいよくわからん事を口走ってしまうが問題なし。
「くそっ……心配して駆けつけて来たりメシ作ってくれた時は
『こいつ、何て友達思いのコンチクショーだ』と思ってたのに、なんて友達甲斐のない奴だ」
「だっ……プッ! おと……プッ! ちか……ブハッ!」
「笑うか喋るかどっちかにしろ!」
「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
「棒読み口調で笑うなバカ野郎っ!」
我侭な奴だ。
「いや〜、笑った笑った。マーシーが二回目に捕まった時より笑った」
「ぐ……何たる屈辱」
「で、二つ程聞きたいんだが」
「何だよ」
自棄になったのか、一哉は素直に応じた。
「触られたのは何処だ?」
「…………」
言葉では応えなかったが、視線がある部分を指していた。
……これはプライバシーのアレだし追求は避けとくか。
「まあ、それはいい。それよか問題はこっちだ」
「こっち……?」
「そう。この質問の応え如何ではお前は今日伝説になる」
「……どう言う意味だ?」
「そのまんまの意味だ」
一哉は喉を鳴らした。
「では問うぞ」
「あ、ああ」
「触られた相手は……つまり、痴漢はどんな奴だった……?」
この応え如何では、僕は今日をもって親友を失う事になるだろう。
だが、いい。
伝説を目の当たりに出来るのなら、それもまた運命(さだめ)として全てを受け入れよう。
「……わからん」
が、一哉の応えは実につまらんものだった。
「慌てて振り向いた時にはもう後姿だったし、全身コートだったし」
「なんだよそりゃ。捕まえるくらいすりゃよかったのに」
「そんな事出来るかっ!」
一哉が急にキれた。
「テメーにわかるか!? あの言いようのない恐怖が! 屈辱が! 敗北感が!
触られたんだぞ! 男なのに触られたんだぞ! しかも軽く撫でられたんだぞ!
あまつさえちょこっとだけ気持ちよかったんだぞ!? そんな状況で捕まえるなんて
選択肢が脳裏に浮かぶもんかあっ!!」
四行に渡る赤裸々な告白。
まさに魂の叫びだった。
「そうか……残念無念」
「はあっ……はあっ」
頭に血が上ったのか、一哉は息を切らしつつ片手で頭を押さえた。
「そう言えば昨日言ってたな、痴漢が出るとか」
「うう……まさか自分が被害にあうとは夢にも思わなかった……」
被害届が出ない訳だ。
男が『痴漢にあいましたー』なんて、自分が痴漢をしましたと
自己申告するのと同じくらい情けない事だし。
「ところで、どうするよ? 被害届出すか?」
「出せるかよ……」
まあそうだろうな。
「……いいのか? それで」
だが、それじゃ面白くない。
「な、何だよ」
「かつてない屈辱を味わったんだろ? このままおめおめと引き下がってもいいのか、
って聞いてるんだ」
「このままおめおめと引き下がります」
ヘタレめ。
「僕は違うぞ」
「……は?」
「親友がいわれのない性的暴力を受け、メシも喉を通らない程の心的外傷を負わされたんだ。
友としてそれを見過ごせる訳ないじゃないか」
「嘘つけぇ! 明らかに好奇心と遊戯心に支配された歪んだ顔してるじゃねーか!」
「ってな訳で、これから現場に急行しようと思う。当然お前も来る」
「無視した上に断定形かよ!」
「行くぞ」
「わっ! 引っ張るな〜!」
何やらうるさい一哉を無理やり引きずって現場へ向かう事にした。
家を出る途中――――
「ああーっ! 玄関のドアが『く』の字になって廊下に横たわってる!?」
「ストーカー女の怨念だろ」
「ンな訳ねーだろ! お前か!? お前の仕業か!?」
などと言うやり取りがありつつ……現場へ到着。
「ふむ、ここか」
一哉を引きずりながら辿り着いた目的地は、人気のない住宅街の
一角にある公共道路。
ちょうど僕の背と同じ位の高さのブロック壁によって左右を囲まれた、
車がギリギリ通れる程度の幅の道で、整備が行き届いてないのか
やけに凸凹していたり車線がかすれて見えなくなったりしている。
さらに前方には、薄汚れていて先端が五本に分かれた白い物体が落ちている。
「これは……」
マドハンドが現れた。
どうする?
「様子を見よう」
マドハンドは仲間を呼んだ。
暴走族が現れた!
「うおっ!?」
いきなり法定速度の二倍ぐらいでつっこんで来るバイク(改造済み)をどうにか避ける。
「あぶねーな……」
全国津々浦々、どこにでも落ちている軍手の謎。
僕はこの正体がマドハンドである事に何の疑問も持っていない。
全国の小学生諸君、道端に落ちている軍手には十分に気をつけよう。
無闇に近づくと今のように強力な仲間を呼ばれて全滅しかねないのだ。
「…………ぅぅ」
ふと傍らに視線を落とすと一哉が声を抑えて泣いていた。
「何だ? さっきの暴走自動二輪に轢かれたのか?」
「…………この場所は……俺に悪夢を思い起こさせるんだ……」
セリフだけ聞くと『交通事故で亡くした恋人の供養に来た悲劇の男』なのだが、
残念な事に現実はそんなドラマのワンシーンの様ないいものではなかった。
「女々しいなあ。いい加減立ち直れよ」
「うぅ」
さて。
ここに来た理由は一つ。
男に痴漢を働くという世にも奇妙な物語の主人公を一目拝むためだ。
ここで重要なのは、ズバリ性別。
女なら良し。
痴女というものがノンフィクションの世界で存在するという事態は
歓迎される事だと思う(男性的妄想の具現化)。
そして……
「祐一よ」
一哉が思考に割り込んで来た。
割り込みは良くない事なので静粛しようとも思ったが、マジな顔つきなんでやめておく。
「何だ」
「今お前が考えていた事は非常に危険だ。どれくらい危険かというと
レベル7の遊び人以外皆死んでしまった状態で
デスストーカーや爆弾岩と遭遇してしまうくらい危険だ」
「つまりお前は触られて尚且つ感じさせられた相手が男、しかも
エネルギッシュでアブラギッシュな四十代半ばの変態ホモ中年だったら
HPの三倍くらいのダメージとか粉々に砕け散るくらいの大ダメージを受けるという事か」
「ぐぼぁ」
一哉は口から何か白い気体を吐きながら卒倒した。
何やら最近立場が逆転したみたいでいい感じ。
これもあの変な試験に依るものなのかもしれない。
肉体的に絶対的な自信を得た事で精神的にも余裕が出てきたようだ。
空を見る。
超巨大なUFOが日本ごと飲み込もうと光を発したかのように、
鮮やかで不気味なオレンジ色をしていた。
時間的にそろそろ現れてもいい頃か。
「一哉、起きろ。そろそろだぞ」
学校でもトップクラスのイケメンはエクトプラズムを吐き尽くしたのか、
代わりにカニの様にブクブク泡を吹いていた。
不憫だ。
「やれやれ……お?」
視界に人影を確認。
生前の一哉に聞いたところによると、この道はこの時間帯ほとんど人が通らないらしい。
つまり、今現れた人影が目標である可能性は、結構高い。
「よし隠れるぞ」
白目まで剥き始めた一哉を引きずって近くにあった自販機の影に潜む。
ん? 待てよ。
相手は痴漢。
人気がなけりゃそのまま通りすがるだけ。
餌が必要か。
「……」
魚なら餌が死骸でもいいんだろうが、痴漢相手にはそうはいかない。
しょうがない、自ら出るか。
一哉から手を離し、出来る限り自然に自販機の前に立つ。
ここでジュースを買ってる振りをすれば、痴漢的には格好の獲物になる筈。
敵に背を見せるのはいささか不安ではあるが、触られた瞬間手を掴めば
それでいい訳だし、例え相手が多少腕に自信があったとしても、今の僕には問題ない。
考えをまとめて、後は待つ。
十秒……三十秒…………一分……………………五分。
近づいて来る気配を感じつつ、少しだけ緊張感を高める。
もうすぐそこに来てる筈だ。
後は針にかかるのを待つだけ……
「春日さん?」
「…………へ?」
予測もしない知り合いの声。
振り向くと、そこにいたのは……
「水崎」
「はい、水崎です」
どうやらハズレだったらしい。
つーか、何故こんなとこにいる?
「何故こんなとこにいる?」
面倒なのでそのままコピーして聞いてみた。
「帰り道です」
「家、この辺なのか?」
「はい」
別に不思議な事でもないんだが、何か違和感を感じた。
無意識の内にこいつの事を『得体の知れない存在』と認識していたのかもしれない。
こいつがまっとうな家でまっとうな生活をしている筈がない、と。
「あの……」
「えっ、あ?」
咄嗟に返した声が後ろめたさで揺らぐ。
だが水崎のその言葉は僕に向けられたものではなかった。
「俺、一哉っての。ねえ、これから暇?」
「いつの間に起きたんだ、テメエ!」
一哉は生気を取り戻したのか、普段の顔で水崎の手を取りつつ口説いていた。
何故か不精髭も綺麗さっぱりなくなっている。
「……あれ? 君どっかで会ったっけ?」
「ええと……はい」
「あーやっぱり。俺って結構物忘れ激しい方なんだけど、チョー美人の顔だけは
忘れないんだよね……で、どこで会ったっけ?」
覚えているのは顔だけらしい。
「一度学校で……先程と一語一句変わらない言葉を」
「ボキャブラリーがない奴だなー」
「あ、そうだそうだ。一月ぐらい前だっけ?」
僕の意見は完全放置。
しかも間違ってるし。
「いやー、こういうのを運命の再会っていうんだよ、絶対。どう?
これから俺と一緒にどっか楽しい場所に……」
「てい」
どすっ。
「……ぅ」
ムカつく上に鬱陶しいので延髄に肘を入れて意識を断ってやった。
「ったく、女と見れば一もなく二もなく口説きやがって」
「あの……何やらひどく痙攣してるようですが大丈夫なんでしょうか?」
「ああ、いーいー。死にはしない様に手加減はしたから」
多分……
「ところで」
一哉の事なんぞより今は水崎に興味があったので、話を転換する。
あのような非現実的、つーか異常なアルバイトをやっている女子高生、水崎杏奈。
僕は、今目の前で何の感情もなく佇んでいる彼女に関する
プライベートな情報を何一つ知らない。
今突然興味が湧いた訳じゃなく、結構前から持っていた好奇心。
だから、問う事にかなりの抵抗がある。
私的な部分を意図的に見せないようにしている可能性がある、という事を
当然考えた訳で。
「……何ですか?」
こちらの葛藤などどこ吹く風。
いつもの様に意思の宿らない声で聞いてくる。
そうか。
今、気付いた。
僕はこの娘に苛ついている。
無機質な声を浴びせられる度に、『ちょっとくらい知り合って時間が経ったからって
馴れ馴れしくしないで』と暗に言われてるような気がするから。
それが、ちょっとばかり嫌なんだ。
だから。
「いや、やっぱ何でもね」
「?」
僕は何も聞かない事にした。
プライドじゃない。意地でもない。
現に言葉として言われるのが怖いんだ。
……情けない話だ。
「……? う〜……」
一哉が目を覚ました。
思ったより早い復帰に少しホッとする。
今はこいつがいた方が何となく楽な気がした。
「俺、一哉っての。ねえ、これから……」
「やっぱ死んでろ」
本日二度目の前蹴りで飛ばそうとしたその時。
さわっ。
「…………!」
臀部に何やら優しい感触。
それがすぐに回すように撫でられる感触に変わる。
痴漢決定。
全身悪寒。
全身鳥肌。
全身汚染。
全身不動。
う、動けん!
何か強制力が働いているかのように、僕の身体は一切の命令を受け付けない。
こ、これが痴漢の魔力!?
「ハァハァ」
何やら荒い息使いが首筋辺りを襲ってくる。
思考が全く定まらない。
混乱。
どうなってんだ?
僕は何時どこで誰と何をどうするんだ?
Wが五つでHが一つ……
「あ」
!
水崎の、たった一文字の掛け声。
それが、僕に一滴の理性をもたらした。
『首を反転させろ』
『了解(ラジャッ)』
脳からの命令に身体が従う。
視界がぐるっと周り、ピタッと止まる。
そこにいたのは。
「…………」
「…………」
青髭。
バーコード。
……ヲトコ?
何故か頬を染めた、エネルギッシュでアブラギッシュな四十代半ばの
変態ホモ中年が僕のケツを撫でていた。
「…………おい」
「……………………ャん」
ブチイッ!
「どらららららららっらららあらららららららっららららっがああたえあえあゆあらふぁ
だらららららららららららららららららららららららららららららららあああああああ
がああああああああああやややっややあやがあああああああああああ!!」
「あぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶうぶぶぶぶぶぶっぶぶぶぶぶぶびびびびびぃ
びしゃしゃしゃしゃしゃしゃばばばばばばあばばばああああああぎにゃあああああああ
べべべべべべべくわわわわわわわわがががががああああああああああっ……」
連打。ただひたすら連打。
フォームもバラバラ、コンビネーションもクソもない。
ただひたすら、連打。
「うわ……軽量級の世界戦でも見た事ねーぞ、あんな連打」
「……凄いです」
「だららららああああああああああららららららっらららららあらああああああああああ
ああああああららっらららあああああああがががっががががっがああああああああ
だだっだだだっだだあああああっっっ!!」
変態ホモ中年が見る見るうちに形を変えていく。
顔はどこが目でどこが鼻だかわからなくなり、身体は操り人形のように
安定性のない状態になっていった。
「あの……そろそろ止めないと、死ぬのでは」
「……無理っす」
「でも」
「だらららっららららららららららららららあららららああああああああっ!」
一通り息を吐ききるまで連打し、止める。
「あ、止まった」
「ほっ……ん?」
「…………っ」
息を吸いつつ拳を胸元に引き、捻る。
目標は、心臓。
「ま、まさか!?」
「うるああああああああああああああああああっっっ!!」
ギュオオオアアアアアア!
全身を内側にねじり込むようにパンチを繰り出す。
そして、鈍い衝撃音と同時に変態凹凸汚物の時間が止まる。
俗にいう『ハートブレイクショット』だ。
「……」
僕は無表情で、最後の一撃となるであろう左のフォローをテンプルに……
「祐一ぃぃぃ!」
「……!」
一哉が後ろから止めに入ってきた。
と、同時に。
変態判別不能生命体は完全に崩れ落ちた。
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