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  そう。
  僕は一人だった。
  いつも一人って訳じゃないけど、少なくとも友達は
 いなかったと思う。
  でも、それを悲しいとか、嫌だとか思った事はなかった。
  それは断言できる。
  特に友達になりたいと思う奴がいなかったから。
  まあ、社交性がない所為もあるけど。
  とにかく、僕は一人だった。
  だから放課後にこうやって一人で窓の外をボーっと眺める事は、
 結構日常的だったりする。
「…………」
  窓際で物憂げに景色を見る小学校男子。
  イヤ過ぎる光景だと思う。
「お。これが噂の『窓際で物憂げに景色を見る小学校男子』の図か」
「……!」
  頭の中をそのまんまリピートされたような言葉に
 思わず立ち上がって声の主を見る。
「よっ」
  見た事ある男子だった。
  っていうか、クラスメート。
  名前は……何だっけ。
「帰らねーの?」
「……別に」
  何が別になのかわからないけど、そう言っておく。
  後、微妙に気だるそうな間と冷めた目線、これがポイント。
  人見知りの激しい僕は、基本的に他人にはこういう態度を取る。
  言うなれば、巷で流行中の対人バリアー。
  我ながら、可愛げのないとは思うけど。
「じゃあ一緒に帰ろーぜ」
「……何で」
「いーじゃん、帰ろーぜ。な?」
「…………」
  断る理由はない。
  けど、つい十五秒前に初めて会話をした人間と
 一緒に帰る理由もない。
「いや、いい」
  結局、社交性の改善より性格を優先した。
「そっか……じゃーな」
  少し残念そうな素振りを見せ、そいつは教室から
 さっさと出ていった。
  もう一押ししてくれれば、という気持ちがない事もなかったが、
 ホッとした気持ちの方が遥かに大きい。
  ロクに知りもしない奴と肩を並べて歩くのは、ちょっとした拷問だ。
「はぁ……」
  思わずため息が漏れる。
  これが安堵によるものなのか、自虐的なものなのかは、
 この時の僕には判らなかった。

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  鍵っ子には鍵っ子なりの楽しみがある。
  夕食に自分の好きな食べ物を買える、というのもその一つだ。
  かーさんからは『ちゃんと栄養も考えなさいよ』と
 言われているのだが、こちとらバリバリの育ち盛り。
  そんな事に気を使うくらいなら、ハンバーグ弁当を
 すき焼き弁当に格上げした方が断然いい。
  それに、上手く食費を軽減させればそれが小遣いの上乗せになる。
  この遣り繰りも、ちょっとした楽しみなんだ。
「ノリ弁を一つ」
「はい。ノリ一丁〜!」
  という訳で、今日は海苔弁当で我慢我慢……と。
  ウィーーーン。
  弁当屋の自動ドアが開く。
「ん……?」
「あっ」
  そこから現れわれたのは、前に僕に話し掛けてきた奴だった。
  相変わらず名前は知らないけど。
「よーっ!」
「……ん」
  対照的な挨拶。
  多分、まんま性格の現れだ。
「あ、から揚げ弁当一つとヤキソバ一つね」
「はい。から揚げ一丁ヤキソバ一丁〜!」
  注文を終えたそいつは当たり前のように僕の隣に来た。
  まあ、予想はしてたけど。
「ここ、よく来るん?」
「……まあ、割と」
  実際はほぼ毎日だけど。
「そうか。その割には今まで会わなかったよな」
「…………」
  少し、引っかかった。
  今の物言いだと、こいつも結構ここに来るようだ。
  小学生が夕食に弁当を利用する理由は……結構たくさん
 あるだろうけど、前提として母親が料理を作らない事が絶対だ。
  ……母親に何かあった?
「…………」
「ん?」
  聞けないよな、やっぱり。
  自分がそれをされて、散々傷ついたじゃないか。
  心無い好奇心に晒されて。
「なあ」
  そんなこんな考えていると、向こうから話し掛けてきた。
「な、何?」
「お前さ、父親いないんだよ……な?」
「……え?」
  ついさっきまで自分がしようとしてた質問を逆にされて
 一瞬戸惑う。
「あ、気悪くしないでな。その……俺もさ、そうなんだ」
「……へ?」
「最近とーちゃんとかーちゃんが離婚してさ。それでかーちゃんが
 俺を引き取ったって訳。参ったよ、マジで」
  そう言ってケラケラ笑う。
  笑い事じゃないと思うけどな……
「んで、クラスの中に同じ片親の奴がいるって聞いてな」
「ああ……」
 なるほど、前に教室で話し掛けてきたのはそう言う事だったのか。
「ま、前から別れるとかなんとか喧嘩ばっかだったから
 いずれこうなる事は予想してたんだけど、いざとなるとちょっとな……」
「…………」
  困った。
  多分、こいつは僕に『父親のいない生活』の何たるかを
 聞きたいんだろう。
  けど、僕にしてみれば『父親のいる生活』の記憶がほとんどない。
  どうも、僕は物覚えが悪いらしい。
  おかげで理科や社会はいつも点数が悪い。
「でさ、ちょっと頼みたいんだけど」
  うっ、来た。
  どうしようか……。
「海苔弁当でお待ちの方〜」
「あ、はい」
  反射的に声が出た。
  この状況から一刻も早く抜け出したい、っていうのが
 あったからだと思う。
「……」
  無言になるそいつに悪いとは思いながら、逃げるように
 会計を済ましに行く。
「ありがとうございました〜」
  そして弁当を受け取ると、そいつを一瞥し、最小の別れの
 言葉だけ伝えて店を出る。
「じゃ」
「あ……」
  自動ドアが開く。
  僕は僅かの躊躇の後、開かれた空間をくぐった。
  横目に映るそいつの端正な顔に、ひどい落胆の色に見えた。
「……」
  歩行しながら、思うのはさっきのあいつの顔。
  去り際に見た、あいつの表情。
  気になる。
  帰路を急ぐ足取りが少しずつ重くなっているのは、
 間違いなくその所為だ。
  何だってあんな寂しそうな顔すんだよ。
  そんなに僕から『父親のいない生活』の何たるかを
 聞きたかったのか?
  それとも、他に何か理由が?
  それに……あの顔、どっかで見た事ある気がする。
  別れが悲しいとかじゃなくて、理不尽なものに対して
 歯痒くて仕方ない、って顔。
  僕は、あいつに何を見たんだろうか?
「……はぁ」
  ため息が出た。
  同時に足も止まった。
  なら、やる事は一つしかない。
  ったく……
「あ〜っ!」
  ようやく店から出てきたそいつはやけに大きな声で
 驚きを表現した。
「何で? もしかして待っててくれたん?」
「……頼み事、聞いてなかったから」
  無愛想な僕の、精一杯の愛想。
「そっかそっか。そっか〜……」
  伝わったみたいで、ちょっと嬉しかった。
「あ、弁当冷めるよな」
「いいよ。冷めても大して変わんないし」
「でもな〜……あ、この近くに駐車場あっからそこで食わねー?」
「……ん」
  同意の意を示すと、そいつは笑顔で頷いた。
  そいつから案内された(とはいっても僕も知ってたんだけど)
 駐車場は車が八台ほど留まれる小さいスペースに三台の車を在住させていた。
  要するに、子供二人が座るスペースはいくらでもある、って事だ。
「座ろーぜ」
  促されて、僕は地べたに腰を下ろす。
  夜のコンクリートは結構冷たかった。
「おふぁふぇ、ほへはへでふぁふぃんふぉ?」
  早くもから揚げにかぶり付いているそいつが人外の言葉で
 コミュニケーションを取ろうとしてくる。
「食うか喋るかどっちかにしろよ」
  結構マンガとかで使われるセリフ。
  言えたのがちょっと嬉しい。
「ふぁひ。ムグムグ……お前、それだけで足りんの?」
「あー、うん。って言うか、これだけで済ませれば
 小遣いに回す分が増えるから」
「おーっ、いいねえそれ! ちゃんと切り盛りしてまっせ、って感じ!」
「いや、そんな大した事でもないんだけど」
「謙遜すんなって。そうそう、そういうのが聞きたかったんよ」
「は?」
「さっき言ったけどさ、今ウチはかーちゃん一人なんよ。
 そのかーちゃんも仕事でほとんどいなくてさ」
 あ……
 それって、僕とほとんど同じじゃん。
「だから、今俺一人暮しも当然な訳よ。最初の一週間ぐらいは
 のびのび出来てよかったんだけど、ゴミは溜まるし弁当は飽きるし
 洗濯物は溜まるし、家帰っても誰もいねーから
 たまにやたら寂しくなるし」
  凄くよくわかる。
  僕が同じ境遇になった時に感じた事そのまんまだ。
「一人っ子だから兄弟もいねーしよ。もうどうしよーかなーって
 思ってたんだよ」
「友達の家とかには行かないの?」
  僕はそんなのいなかったけど、こいつはやたら
 人に囲まれてたような記憶がある。
  それも、女子が多かったような……
「一回行った。けどやたら気使われたし、何か空しくなった」
「……そっか」
 そう言うものなんだろうな、やっぱり。
「で、頼みたい事ってのはさ」
「あ、それなんだけど」
「ん?」
  僕は正直に話す事にした。
  自分の身の上を他人に積極的に話すのは初めてかもしれない。
  多分、親近感が湧いた所為だろう。
「僕には父親と一緒にいた記憶があんまりないんだ。
 だから、そっちが聞きたいような事はあんまりわからないかも」
  境遇は同じでも、違いはある。
  僕にとっての当たり前が、こいつにとっての当たり前として
 適用できるとは限らないんだ。
  その所をハッキリさせとかないといけない。
「……そっか」
  そいつは神妙な面持ちをした。
  余計な気を使わせてしまったかもしれない。
  けど、知ってもらわなきゃいけない事だ。
  僕は、こいつに親近感を抱いてるんだから。
「それでもいいなら、何でもいい。頼まれる」
「お、太っ腹」
「まあね」
  いや、もう一歩踏み出したがってる。
「じゃあ、頼むぞ。俺と……」
  僕は、こいつと……
「友達になろうぜ。俺、結城一哉。ま、クラスメートだから
 知ってるだろうけどな」
  実のところ、知らなかった。
  僕は他人の名前を覚えない。
  記憶力がないだけじゃない。
  関心がなかったからだ。
「いや、知らなかった」
  一応伝えておく。
  その必要は、これっぽっちもないのかもしれないけど。
  僕が僕である事を知ってもらう為に。 
「……え? 知らねーの? クラスメートなのに?」
「ゴメン。でも、もう覚えた」
「ま、ならいーや」
  結城は寛大だった。
  優しいやつ、なんだろう。きっと。
「あ、一哉の方で呼んでくれな。最近苗字が変わったばっかだから
 そっちで呼ばれても自分の事だって実感がないんだからよ」
「あ、そうか」
「頼むぜ、春日祐一くんよ」
  向こうは……一哉は僕の名前は知ってたらしい。
「そりゃ、友達になろうって相手の名前ぐらい知ってるっつーの」
「そっか」
「それより、祐一は……」
  当然のように、一哉は僕の事を『祐一』と呼んだ。
  それが、少しくすぐったくて嬉しかった。
  名前で呼ばれる、初めての友達。
  今まで友達なんて欲しくないって突っぱねてた自分を
 嘲笑うかのように、僕はその存在を素直に喜んだ。
  きっと、これからもそうなのだろう。
  一哉の屈託ない笑い顔を見ながら、僕はなんとなく
  そう思ったんだ――――

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