「……」
  気がつけば『僕』はいなくなっていた。
  そして、場所も公園ではなくなっていた。
  ここは……草むらだ。
  7年よりも更に前。僕は良くここに来ていた。
  虫を採る為だ。
  自分より弱い存在を檻の中に入れて干渉する為だ。
  この場所では、僕は王者だった。
  どんなに凶悪な牙や鎌を持った昆虫でも、一踏みで命を奪える。
  一瞬だ。
  そんな感覚が心地良くて、僕は毎日のようにここに通いつめていた。
  でも……
  いつしか、通うのを止めてしまった。
  それは、子供じゃなくなったから?
  違う。
  きっと、飽きてしまったんだろう。
  自分が強い訳ではないと、知ってしまったからだ。
  周りには誰もいない。
  それに気がついた時、僕は草負けした肌を掻きむしらなくなった。
  ……でも、僕は少し戸惑う。
  おかしい、かもしれない。
  何故かそんな懸念が脳裏を過ぎる。
  違うのかな?
  何か、他に理由があるのかな?
 
  例えば――――

  誰かに、良い所を見せたかった、とか?
 

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  視界が暗転した。
  もういい加減展開も読める。
「で、次はどこに行くんだ?」
  それを言葉にしてみると、水崎は特に感情もなく僕の方を向いた。
「貴方が5歳の時、お母さんから倉庫に閉じ込められた場面です」
「そう言や、そんな事もあったかな。良く覚えてないけど」
「はい。貴方は覚えていません」
  その言葉に、僕は目を若干見開いた。
  何故断言されなければならないのだろう?
  僕の記憶は、僕以外のものである筈がない。
  他人がそれをどうこう言える筈もないのに……
「何故一人で公園で遊ぶのをやめたのか。何故草むらの虫捕りをしなくなったのか。
 貴方は、その理由も覚えていません」
「覚えてるよ。飽きたからだ」
「違います」
  水崎の声は凛としていた。
  それが、僕の勘に障る。
「何で断言できるんだ?」
「貴方の記憶に、その場面はないからです」
  その言葉と同時に、世界が変わった。 

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   倉庫の中は暗かった。
  時刻は夜の10時を回った頃だろうか。
  この頃は携帯電話もなく、時計もしていなかったし、何より時間って概念にも
 興味が余りなかったから、正確な時間はわからない。
  ただ、真っ暗な景色だけが視界を覆っていた。
  この頃、僕ら家族は一軒家に住んでいた。
  その離れにある倉庫が、この場所だ。
  隔絶された暗闇の中に佇んでいる中で――――
  僕は、恐怖などこれっぽっちも感じていなかった。
  あれ?
  何で怖くなかったんだろう。
  僕は暗い所が苦手だった筈だ。
  まして、こんな小さい頃に。
  どうして、僕はこんなにも落ち着いていたのだろうか?
  本当に、僕は覚えているのだろうか?
  これは、記憶の中の一ページなのか?
  それとも……
  そんな疑問が過ぎる中、視界が微かに変化を見せた。
  何だ? 猫でもいるのか?
  いや……
  誰かいる。
  それは、人だ。
  一体何でこんな所に人が……?
  僕は何かを言おうとした。
  でも、言葉にならなかった。
  闇は、そこで途切れた。

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「……一体何なんだ? 今日の試験は」
  ぶつ切りにされる過去の場面集に、思わず愚痴が零れる。
  これまでも決してまともとは言えない試験だったが、今回のはまるで要領を得ない。
  僕の『僕』を見つけると言うのなら、こんな流れるような移り変わりは必要ない筈だ。
  少なくとも、これでは唯の回顧でしかない。
「もう少しでわかります」
「本当かよ……」
「はい。もう少しです」
  水崎はまた断定した。
  なら、そうなのだろう。
  何故なのか良くわからないけど、僕はそう思う事にした。

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「祐一!」
  それが自分の名前だと認識し、ゆっくりと首を捻る。
  その先には、怒っていると言うより泣きそうになってる母親の顔があった。
「どうして一人で帰ってきたの!? あの子は!?」
  あの子?
  何を言っているのか、よくわからない。
「どこで離れちゃったの? ホラ、行きましょ!」
  訳もわからず手を引っ張られて行く。
  僕、何か悪い事したのかな。
  後で怒られるのかな。
「あっ、いた! 良かった……もう、心配させて」
  この前みたいにおやつ抜きになったら、やだな。
「あ……ダメッ!」
  暗い押入れに閉じ込められたら、もっとやだな。
「止まりなさい! 走っちゃダメ!」
  だって、ぼくは……
「止まって! 杏奈ちゃん――――」

  ぼくは―――― 


  ただ、楽しく遊びたかっただけだった。


  あの子と、楽しく遊びたかっただけなんだ。


  でも、ぼくは―――― 


  何を見たのだろうか?

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「……」
  緩やかに天へと伸び上がる朝顔の蔓の様に、下から上へ。
  育んできたイメージがロジックによってバラバラに分解されるように、
 右から左へ。
  混濁する理性と停滞する思考が眼の奥を揺さ振り、凍結した意識を
 やんわりと溶かす。
  最初に映し出すのは、黒。
  次に、白。
  でもそれは一瞬で、光が収束すると同時に直ぐ形が姿を現す。
「……」
  今日は日曜日。普通ならば、その目覚めは平日より幾分か心地良い。
  しかしこの日は最低だった。
  嫌な夢を見た。
  少女が車に跳ねられる夢だ。
  僕はそれをやけに低い視点で眺めていた。
  日常では聞く事のない、鈍いのにやたら大きい音が今も耳に残存してる。
  ……まるで、記憶のように。
  くそっ、何でこんな夢を見る?
  ドラマのワンシーンを脳ミソが勝手に作り変えて夢に出して来たとしても、
 余りにリアル過ぎる。
  ――――そうだ。リアル過ぎる。
  現実味があり過ぎる。あれは、夢じゃない。
  夢じゃないなら、何だ?
「……」
  もう答えは知ってる。さっき想起した通りだ。
  あれは、記憶なんだ。
  僕はあの場面を確かに見たんだ。
  いや、それだけじゃない。
  急速に、断片的な記憶が幾つも僕の中に溢れ出した。
  そして、その中心には、いつも一人の少女がいる。
  あの子は――――
「……ん?」
  寝ぼけ眼がゆっくりと世界の造形を捉える。
  その先にあるものは。
「かお……?」
  見覚えのある人物の顔だった。
「よい朝」
  ズザザザザザっ!
  僕はようやく脳内に集まってきた思考を掻き集めて一つの指令を下した。
  離れろ、と。
「そんなに邪険にしなくても」
「テメエ……また不法侵入か?」
  人の寝起きにいきなり現れた人物は、僕に大人検定試験を持ち掛けた人物――――
 椛蜷l検定委員会事務所の代表取締役だった。
「一応確認はとったんですけどね。何かうなされてる様でちっとも起きる気配が
 なかったんで、仕方なく」
「しかたなっ……うあっ」
  叫ぼうとしたがまだ完全に覚醒してない頭がそれを拒否した。
「大丈夫ですか? 寝起きに大声はあまりよくないかと」
「テメーが言うなボケカス! 人の寝顔を盗み見した挙句まーた無断で領地侵害しやがって!
 叩いて殴って蹴っ飛ばすぞあーっ!?」
  今だ脳は完全覚醒せず。
  低血圧という訳ではないんだが、どうも朝は弱い。
「まあそうカリカリせずに。そうそうこれ、差し入れです」
「差し入れ?」
  訝しがりつつ、それを受け取ってみる。
  八十センチ四方程度のサイズの、包装された箱。
  少し重い。
「……」
  無言で包装紙を破いて中身を確認する。
「これは……」
「どうです? 中々の物でしょう?」
  水槽だった。
  半分くらい入った水の中に、透明でキノコに足が数本生えたような奇妙なものが
 ぷかぷか浮かんでいる。
「腔腸動物のヒドロ虫類に属する有櫛動物です」
「クラゲなんていらんわっ!」
「しかし、今流行りの癒し系ペットですぞ。しかも越前の紋所付き」
「こんな寒天質なんぞに癒される筋合いはないっ! しかも嫌われまくりじゃねーか!」
「可愛いのに……」
  サタンマリアは心底残念そうにそう宣った。
「ったく……で、こんなどうでもいい軟体動物は置いといて、何の用だ?」
「ああ、実はですね」
  スーパーデビルは一息吐いて生意気にも溜めを演出した。
「本日は試験の結果が出ましたので、ご報告に参った次第で」 
「……あ?」
「まあ結論から言うと、貴方は無事大人になれました。おめでたう」
「な、なんてありがたみのない……」
  これが、何度も死の淵(ではないらしいが)を彷徨った上で勝ち取った栄光なのか。
  そもそも何の実感もない。何も成していない。
「おや、歓喜の歌が聴けると思ったのですが、意外にリアクション無し」
「これで何をどう喜べと言うんだおのれは」
  朝っぱらからやってられない気分にさせられる。
  どうしてくれよう、この始祖ジュラ。
「あの、私そんな名前じゃないんですが」
「僕の脳はネット上にでも流出してるのか? あ? 殺すぞコラ」
「ひぃぃっ!?」
  今や各国の格闘技界からスカウトを受けてもおかしくない僕の殺気に、
 ネロ魔身はビビりまくっていた。
 ……さすがにもうネタが尽きたな。ここいらで止めとこう。
「ま、まあ穏便に穏便に。無事合格したんですから」
「ったく……で、大人になって、何か変わったりするの?」
「それは、知りませんな」
  僕は無言で金属バットをひん曲げて見せた。
「あ、い、いやね、落ち着いて。ええと、変わる! 変わりますとも!」
「例えば?」
「一皮向けるとか」
「朝っぱらから下らない事言ってんじゃねえ殺すぞ! もうとっくに剥けてるっての!」
  慟哭に近い叫び声が自分の鼓膜を揺らすのと同時に――――
「……え?」
  視界の方には、一人の女性が映っていた。
「あの、ええと」
  その姿は、あの時の少女とは違う。
「おはよう、ございます」
  でも、名前は同じだった。
  水崎杏奈――――

  僕の、幼なじみだった。








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