例えば。
 修学旅行中に誘拐事件に巻き込まれたとしよう。

 自分より確実に年下。
 それも、かなり下の女の子が、黒い車にムリヤリ押し込まれている現場を目撃して、
 それを止めようとした結果、自分もその車に引きずり込まれ、両手を縛られた状態で
 後部座席に座っていると言う状況が、既に10分以上続いているとする。
 隣には、誘拐されそうになっていた……と言うか、今まさに拉致真っ只中の少女。
 そして、その少女と俺を取り囲む両端に、サングラスをかけた『いかにも』な黒服が二人、
 いるとしよう。
 そんな状況に遭遇した場合、自分がこれからどうなるのか。
 きっと、教科書の例文として採用されているような、極めて基礎的な、
 なんの捻りもない回答が待っているだろう。

「俺はよ、感動してるんだぜ? こんな正義感の強いガキが、まだ日本にいたなんてな。
 今時のガキなんてさ、名前も書かないで良い掲示板だの、ツッターとか言う
 ワケわかんねぇのでブツブツ文句ばっかり言ってるような暗い連中ばっかだろ?
 そんなヤツ等に見せてやりてぇよ、お前さんの雄姿を。なぁ?」

 その内の一人、俺の隣にいる男は、やけに饒舌に絡んでくる。
 一方、少女の隣にいる男は、一向に口を開かない。
 常に眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに真正面を睨んでいる。
 恐らくこの二人は、日常的にそれぞれの役割を分担しているんだろう。
 饒舌な男は、社交的な性格で、話を盛り上げる事に長け、それによって
 対象の心的ストレスを緩和させる。
 一方の寡黙な男は、張り詰めた空気を演出し、対象の緊張状態を保つ。
 人間が、何らかの情報を吐露するのは、気を許した相手か、脅威を感じる相手。
 彼等は、俺から情報を搾り出そうとしている。
 誘拐を食い止めようとした俺が、果たして無謀な正義感を振りかざした一般人なのか、
 それとも自分等に対して仇なす、何らかの存在なのか。
 それを吐かせた後、後は始末する――――そんなところか。

「……」

 俺は、そんな結論に思わず嘆息しつつ、腕時計を見る。
 有名ブランドなど掠りもしない、量販店に売ってある、デジタル表示の時計。
 今時、ファッション目的以外で腕時計なんてしている10代は、そうそういない。
 理由は単純。
 携帯電話についている時間表示機能さえあれば、腕時計なんて必要ないからだ。
 でも、俺はつけている。
 単純に、必要だからだ。

「……あの」

 ふと、右隣でチョコンと座っている少女が、俯きながら俺に声を掛けてきた

「ごめんなさい。私のせいで、巻き込んでしまいました」

 外見から察するに、恐らく小学校高学年。
 まだ、あどけなさを多分に残した小さい女の子は、その身を更に縮ませて、
 俺に対して謝罪の言葉を発してきた。

「……エラい! おい、聞いたかよガキ! こんな小さな子がよぉ、
 ちゃんと謝れるんだぜ? 今時のこんくらいのガキなんざ、化粧の意味も
 わかんねーで化粧して、センコー相手にクソ生意気なコト喚き散らすだけで
 自分では何もできやしねぇ、役立たずのロクでなしばっかりだってのになぁ……
 その心意気、他のガキどもに見せてやりてぇよ!」

 当然、俺は応えない。
 理由は、これも単純。
 単に、黙っている方が、安全に時を過ごせるからだ。
 これは情報を得る為の、謂わば『誘い』。
 まあ、別に漏らして困る情報なんて持ってはいないけど。
 俺はごく普通の、一般的な修学旅行生。
『たった一つ』を除けば。

「……」

 もう一度、腕時計の針を確認する。
 そろそろ『15分』が経過する頃。

『頃合』だ。

『秒単位の正確な時間』がわからないと、使いどころに困るのが、
 この『たった一つ』の難点。
 それでも、こんな状況下においては、かなり心強い。

「それじゃ、今度は俺が君を巻き込む番だ」
「?」

 俺の言った事の意味がわからず、少女はキョトンとしている。
 それは別に良い。
 彼女が、それを知る必要はない。

「ちょっと、ゴメンね」

 俺は先に謝り、自分の縛られた両手を、少女の同じく縛られた両手に重ねた。

「ン? 何してんだ? アレか、『俺達は絶対に助かるから、めげるな。気を強く持とう。
 エイエイオー!』ってか? そう言うノリ、俺は嫌いじゃないねぇ。今時の冷めた
 ガキ共は、体育会系のノリをウザがるだろ? ちーっと叩かれただけで
 心閉ざすだろ? やり難いったらねぇよな、先公の連中もよ。つっても、あんな連中に
 同情なんてしてねぇけどな」

 冗長なその科白は無視し、俺は少女の方に視線を固定させた。

「多分、倒れちゃうと思うから、頭を打たないように注意してね」
「え……何?」

 その警告は――――ギリギリだった。
 内容じゃなく、時間が。
 少女の不安げな瞳がこっちに向いたのとほぼ同時に――――

 俺と少女の背中と臀部が、後部座席から離れた。

「ふわっ!?」

 少女は突然起こった出来事に対応出来る筈もなく、思いっきり『地面』に尻餅を付く。
 でも、俺の想定とは反し、身体ごと倒れ込む事はなかった。
 動く事のない周囲の景色を、座り込んだままキョロキョロ眺めている。
 警告が活きたのか、偶然なのかと問われれば、確実に後者だろう。
 それでも、立派なものだった。

「え……? あ、あれ……え? ここ……どこ?」

 ともあれ。
 ここは外。
 車の中の密閉された空間ではなく、太陽の眩しい光がアスファルトで固められた道路や、
 不自然なくらい数多く並んだ自販機を熱狂的に焦がし続ける、お外。
 と言う訳で――――誘拐事件、解決。

「ここは、君が誘拐された場所から6〜7キロ離れた場所にある、八幡原史跡公園の前。
 ゴメンね、長野の事よく知らないから、ついさっき見学に行ったここくらいしか、
 住所がわからなかったんだ」

 それでも、運は良かった。
 偶々、修学旅行のしおりに、この公園の住所が記されていて、それを覚えていた事。
 メモ帳とシャーペンを両方とも、胸ポケットに収めていた事。
 本当に運が良かった。

「……どうして、彩莉はここにいるんですか? さっきまで、車の中にいたのに……」

 彩莉と、自分の名前を一人称として使う少女は、当然ながら今尚、混乱の最中にいる。
 俺としては、その詳細に関して克明に解説するつもりはない。

「あんまり深く考えない方が良いよ。ちょっと、手を出して。解くから」

 俺の結ばれた両手で、少女の結ばれた両手を開放する。
 結ぶ強さに、俺と結構な格差があったのは、あの誘拐犯が少女に対して配慮をした
 事の証だったが――――それも、今になってはどうでも良い事だ。

「これで、良し。ここから一人でお家に帰れる?」

 頭の中は疑問だらけ、と言う顔をしている少女は、それでも俺の質問を
 最優先事項としたらしく、コクリと頷いて見せた。
 
「それじゃ、ここでお別れ。今日あった事は、全部忘れようね。覚えてても
 良い事は一つもないから。それじゃ、さよなら」

 矢継ぎ早って言う自覚はあったけど、正直こんな年下の女の子相手に
 どんな事を話せば良いかなんて、全くわからない。
 やる事やったし、後は静かに去るのみ。
 記憶の片隅に、この背中を覚えておいて欲しい……なんてのも、ない。
 俺はただ、良い事をしたかっただけだから。
 それが例え、自己満足の範囲を超えなくても。

「あのっ、すいません」

 けど、少女はそんな俺を引き止めた。
 想定される発言は、無数にあったけど――――

「助けてくれてありがとうございました……嬉しかったです」

 その言葉は、全く頭になかった。
 礼だけなら、普通に第3候補くらいにあった。
 けど――――

『嬉しかったです』。

 これは、全然予想してなかった。
 こんなバタバタした状況で、しかも得体の知れない方法で助けられた事に対して
『嬉しい』と言える人間。
 それは、悲しい哉……確実に本音だから言える事だ。
 普段、助けられる事が滅多にないから、言える事だった。

「彩莉、今日のこと、忘れません。忘れないように記録しておきます」

 日記にでも付けるつもりなんだろうか。
 若しくは、ブログとか。
 何にしても――――それを俺に止める手立てはない。
 損をするのは、他ならぬこの子だ。

「忘れた方が、良いと思うよ」
「忘れませんっ」

 思いの他、頑固だった。
 なら、俺が言う事は一つしかない。

「……気をつけて、帰って」
「はいっ」

 少女は、大きく頭を下げて、踵を返す。
 その後、合計四回、俺の方を振り返り、その内の二回で一礼していた。
 参ったな。
 これじゃ俺の方が、あの背中を忘れられないかもしれない。
 誘拐未遂なんて事件を経験し、意味不明な助けられ方をして、
 誰もがその事を問い質したいと思うあの状況で、何も聞く事はせず、
 あまつさえ、素直にお礼を言った少女。
 そして、それをひっくるめ、『嬉しい』と表現した彼女。

 彩莉(いろり)――――
 自分をそう呼んでいた少女。
 変わった名前なのが、更に記憶の濃度を高めていた。

 ま……それはそれとして。
 俺は今、修学旅行の真っ只中。
 トラブルも一段落した事だし、早く班の連中と合流して……

「……あ、あの」

 そんな今後のスケジュールは、背後から掛かった震える声に
 かき消されてしまった。

「亥野本くん、あの……今の、何? 突然、パッて女の子と一緒に現れたの、
 見ちまったんだけど……」

 あー、見ちゃったんだ。
 クラスメートの某くん。
 名前は覚えてない。
 しかも、その某くんは、この公園を見学していた班を代表して、
 俺に話しかけて来た模様。
 目撃者、多数。
 要するに――――アウト。
 見られた以上、俺のすべき事は、一つだ。

「……また、転校か。はは」

 空笑い一つ、宙に舞い。
 ヒヨドリの鳴き声が空に響く中、俺は今後の手続きについて、
 憂鬱な心持ちで考えをまとめていた。

 


 - chapter 1 -


 

 瞬間移動――――

 なんて言う能力があると知ったのは、小学生低学年の頃。
 きっかけは、テレビアニメか何かで、自分と似たような事をしている
 キャラクターがいた……そんな程度の事だったと思う。
 当時の俺は、まだ物事に対して深く考察できるほどの頭脳を持ち合わせては
 いなかった。
 だから、自分がどうして、そのアニメのキャラクターと似たような事が
 出来るのか、深く考える事もなく、『誰にでも出来る』、もしくは
『出来ない人もいるけど、出来る人もいる』と認識して、漫然と日々を過ごしていた。

 でも、そんな日々が続く筈もない。
 最初に、この『能力』を人に見られたのは、小学二年生の頃。
 クラスでは当然、大騒ぎ。
 生徒全員に箝口令が敷かれ、訳もわからないまま、俺は教師達から質問攻めにあった。
 その後も、多くの大人達が、学校に、或いは自宅に押し寄せ。
 俺ら家族は、引越しを余儀なくされた。
 そう言う事を、何度か繰り返している内に――――俺は家族と離れ離れになった。
 誰が疲れたのか。
 誰が諦めたのか。
 そんな事は、今となってはどうでも良い。
 俺は、小学生時代、ずっと隔離された施設から学校へと通っていた。
 そして、その頃になってくると、自分が異質な能力を有していると言う事に、
 流石に気付く。
 それが原因で、多くの人間の興味の的となり、それによって親が俺と離れる事を決めた、
 って事も。
 それから俺は、独自に自分の能力についての考察と調査を始めた。
 とは言え――――小学生に出来る事なんて、図書館や本屋でそれらしき本を漁ったり、
 インターネット上で情報を集める事くらい。
 携帯電話や施設内のパソコンは制限があったんで、ネットカフェを利用して、
 自分なりに、自分探しの旅を行った。

 その結果、わかった事。
 まず、自分がテレポーター、つまり瞬間移動を使用する超能力者である、と言う事だ。

 瞬間移動って言うのは、大きく分けると――――

『空間飛動』
『空間置換』
『高速移動』
『量子テレポーテーション』

 ――――の、4つに分けられるらしい。
 この内、当時の俺の理解の範疇にあったのは、
『空間飛動』、『空間置換』、『高速移動』の三つ。
 能力に当て嵌まる確率があるのは、『空間飛動』、『空間置換』の二つ。
 ただ、この二つの内、どちらが正解なのかは、今も特定できていない。 
 そして、この瞬間移動の定義に加え、俺の持っている能力に存在する幾つかの制約を、
 中学に入って一年経った頃に、ようやく纏める事が出来た。

 まず、行き先の特定。
 これは、簡単だった。
 紙なりなんなりに、その行き先の住所、建物名、座標のいずれかを書く、と言う事。
 ただ、それ以外の部分においては、やけに面倒な能力だった。

 ――――俺の瞬間移動には、『予約制』と言う妙な制約がある。

 念じて直ぐにテレポート出来る訳じゃなく、行き先を書いて、一定時間が経ってから
 移動する、と言うプロセスを踏んでいる。
 その時間がどう言う規則性で決まっているのか、特定するのにはかなり時間が掛かった。
 距離と比例する事は直ぐわかったし、それによって距離と時間の関係も直ぐに導き出せた。
 小学五年生時に、秒速6m。
 6km先の場所へ行く場合、紙にその行き先を書いてから『1,000秒後』に、
 瞬間移動が発動する。
 この秒速6mってのが、何を意味しているのか。
 最初は全くわからなかったけど、その数字が徐々に上がって、中学一年の段階で
 秒速7mになった時、やっと関連性がわかった。
 これは、俺の足の速さ。
 全力疾走時の速度で、目的地を書いたその地点から、目的地までの距離に辿り着く時間が、
 テレポート発動までの『待ち時間』って事だ。

 俺はこれを【予約移動】って呼んでいる。

 ただ、今の俺はこの【予約移動】を、日常的に使ってはいない。
 ある程度の制約を確認した後は、基本的には封印している。
 理由は、つい先日の出来事の通り。
 移動の瞬間を見つかれば、その地にはいられなくなる。
 テレポーターなんて特殊な存在の人間が、他の人間と共存出来るほど、柔軟な現実は存在しない。
 だからこそ、今俺はこうして、約一年半を過ごした学び舎を去ってるんだ。
 別に後悔はしていない。 
 ただ、緊急時だったとは言え、あの少女に対して強制的にリスクを背負わせてしまったのは
 反省材料。
 けど、『自分以外の人間と一緒に飛ぶ』事も、『動いている乗り物の中から飛ぶ』事も
 可能だって事は、既に経験済み。
 だから、大丈夫と言う確信はあった。
 そして、実際上手く行ったんだから、良しとしよう。
 こんな能力が、他人の不幸を一つ潰したのなら、それは俺にとってせめてもの慰みになる。
 じゃないと――――俺はこの先、生きていけない気がする。
 だから、これで良いんだ。

「……亥野本生命くん、だね」

 校門を出て、直ぐ。
 俺の目の前に、大柄のスーツ姿の男が二人、冷然とした態度で立ち塞がってきた。
 やはり目にはサングラス。
 頭には黒いフェルトハットを被っている。
 こう言う手合いとは、幾度となく対峙してきた経験がある。
 焦る必要はない。

「そうです。貴方がたは?」
「我々は、名乗る自由を持たない。とある人物の依頼で、君をある場所へと
 連れて行かなければならない」

 極度なまでに、事務的な発言。
 そして、ここまで露骨な拉致宣言は、流石に初めての事だった。

「……せめて、意思確認くらいはして欲しいものですけどね」
「時間の無駄と判断する。抵抗は自由だ。好きにすると良い」

 体格の差。
 人数。
 何より、その自信。
 体力勝負でどうこう出来る相手じゃないのは明白だった。

「わかりました。同行しますよ」
「賢明な判断、賞賛に値する。拍手を送ろう」

 結果、何故か一人の大男から手を叩かれた。
 もう一人の方は、その様子を訝しげに眺めつつ、俺の方に視線を向け、
 移動先を促す。
 校門の脇に、黒光りしている胴の長い車があった。
 こう言う車を、堅気の人間が乗っている筈もない。
 嘆息しつつ、一足先にその車へと近付き、後部座席のドアへ近付く。
 観音開きのドアが自動で開き、歓迎の意を示してくれた。
 さて……問題はここからだ。
 もし、乗り込む前にメモ帳等を出せば、不審がられる。
 乗り込んだ後は、恐らくノーチャンス。
 何かをしても、比較的誤魔化しやすく、死角も多く、チェックも甘い
 この『車に乗り込む瞬間』こそが、【予約移動】の予約先を記す唯一の機会だ。

 まず、開いたドアを潜る為に屈んだその一瞬、左手を胸ポケットに入れ、
 メモ帳サイズの紙を取り出す。
 同時に、右手の人差し指で、その紙を見ずに、ここから4kmほど離れた
 場所にある建物の名前を、空でなぞる。
 その後、ズボンのポケットにその紙を仕舞う。
 所要時間、三秒。
 後は――――待つのみ。
【予約移動】は、予約後にその場を移動しても、瞬間移動発動までに
 掛かる時間は変わらない。

「中央に座って貰おう。両端は我々が固める」

 暫時の後、先程の大男二名が車に乗り込んできた。
 それでも窮屈にならない辺り、流石は金持ち御用達の高級車。
 エンジン音も小さく、香りも妙に爽やかだ。
 それにしても……先日、同じようなシチュエーションに遭遇したばかりだってのに、
 何とも似たような展開が続くこった。
 尤も、俺とは無関係の誘拐事件と、俺自身の拉致事件とでは、大きな違いがある。
 情報を収集しておかなくちゃならない。

「……何処に行くかは、秘密なんでしたっけ」
「そうだ。それに関連して、今から君にアイマスクをする。悪いようにはしないから、
 我々に身を委ね、大人しくしておく事を推奨する」

 妙に気持ちの悪い事を言われた気がして、悪寒が走る。
 とは言え、こんな高級車の中で暴れても、良い事は何もない。
 それに、従順な方が、向こうも口を滑らせやすいだろう。

「わかりました。ご自由に。耳の方は遊ばせておいても良いんですか?」
「構わない。音で判別できる場所ではない。また、到着までの時間で距離を概算するのも
 無駄な労力であると宣言しておく。走行速度を調整しながら移動する」

 とことん事務的に、しかし非常に有用な情報を、大男はくれた。
 音で判別できる場所ではない――――つまり、目的地及びその周辺で
 特徴的な音がする事のない場所、という事。
 よって、空港近辺、或いは線路沿い全域などは自然と候補地から消える。
 後、工事現場近辺も。
 元々、これだけ目立つ車を使用している時点で、商業地帯や歓楽街など、パトロール中の
 パトカーが多い場所と言う可能性は低い。
 注目を集めない、郊外にある建物。
 それでいて、前者の条件を満たす場所。
 それが、俺がこれから連れて行かれるであろうスポットなんだろう。
 これがわかったところで、俺にとって直ぐにメリットが生まれる訳じゃない。
 でも、自分を狙っている連中に関する情報は、一つでも多く持っていた方が良い。
 それが、自己防衛の基本。
 そして、時間の無駄遣いをしないと言う、生き方の基本でもある。

「……随分と、大人しいんだな。もう少し抵抗をしても良さそうなものだが?」

 事務的な対応に終始している大男とは違う、もう一人の大男が、
 沈黙を破って話しかけて来た。
 意外にも、少し甲高い声だった。
 これも、情報の一つだ。
 いつ役に立つかはわからないけど。

「心の中では怯えてますよ。錯乱しないように必死で我慢してるだけです」
「何故、我慢出来る?」

 あと――――約1分か。

「我慢強い性格だって言われた事はないんですけどね」

 なるべく、自分の情報は差し出さず、口先だけで体裁を整える。
 この連中が何者なのかわからない以上、能力の事は勿論、俺を拉致した目的を先回りして
 口にする訳にはいかない。
 その後、暫し雑談を交わし――――4分が経過。
 あと僅かで、ここから俺の身体は消える。

「思いの外、自分で気付いてないだけで、そういう性格だったのかも」

 俺は、そんな置き土産となる言葉を残し――――

「得てして、人間なんてそう言うもの――――」

 そんな、大男の少々興味を引くような科白の途中で、【予約移動】の発動に身を委ねた。
 瞬間、景色が切り替わる。
 後部座席が消え、足元にはコンクリートの感触が生まれた。

 ここは――――【ハイツ小宮】と言う名称のアパート。

 先日まで住んでいたアパートだ。
 もう荷物は引き払っているし、鍵も大家に返してるから、部屋には入れない。
 この、画数の少ない建築物は、住人が極端に少なく、周囲の人通りが
 少ない事もあって、【予約移動】の目的地には最適。
 そのアパート名を、俺は『人差し指に仕込んでいるシャーペンの芯』で、
 紙に書き込んでいた。
 指に直接、極めて短い芯を突き刺し、常備している。
 緊急時の為の、自分なりの防衛策。
 それが今回も、上手く行った――――

「驚いたなこりゃ……やっぱ、マジでテレポートだよ。まさか、また見られるなんてなぁ」

 筈だった。
 確実に、逃げられると、そう確信していた。
 でも、俺はその聞き覚えのある声に戦慄を覚え、振り返るのを躊躇いながら、
 冷や汗を滲ませる。
 この声は……先日の誘拐犯の、良く喋る男のそれだった。

「ま、悪いようにはしねぇからよ。大人しく、捕まっとけ」

 浮かび上がるのは――――青色の炎のような絶望。
 斯くして。
 俺は、学校を辞めたその日、数人の男達によって、拉致された。

 


 音の遮断も、そして今度は視界の遮断もなく、車に揺られる事、実に5時間。
 そんな長時間をかけて運ばれたのは、一目でそれとわかる施設だった。

 それは――――学校。

 校門に『黒空小学校』と書いてある。
 ただ、それを見るまでもなく、俺はこの学校の名前を特定出来た。
 理由は、単純明快。
 この小学校は、俺が以前通った事のある学校だったからだ。
 小学生時代、転校した回数は21回。
 21もの小学校を渡り歩いた過去を持つ俺にとって、その学び舎は必ずしも
 思い出の場所じゃない。
 ここにいたのは、たった一ヶ月程度だ。
 それでも、覚えている。
 別に意識はしなくても、今まで通った全ての学校名は、自然と覚えていた。
 思い出なんて、大してありはしないのに――――

「おう、こっちだ。逃げる気はないんだろ? とっととついて来い」

 ノスタルジーに浸る暇も与えられず、俺は言われるがまま、男の後を着いて行く。
 拉致されている割に、手足の束縛や目隠しがないのは、妙な気分だ。

 それにしても――――疑問に思う事が多い。

 拉致された理由は、言うまでもなく、俺の持っている異能力だ。
 それは、俺を見つけたこの眼前を歩く男の一言目が物語っている。
 ただ、どうして連中が俺の移動先に先回り出来たのか。
 そして、どうして拉致先がこの小学校なのか。
 縁がある場所とは言え、全く理由が見出せない。
 まさか、この学校の校長が、俺の能力に興味を持って……なんて事もないだろう。
 それに、気になる点がもう一つ。
 今日は平日。
 なのに、校内に人気がない。
 避難訓練でもしているのか?
 それとも――――

「人はいねぇよ。廃校だからな」
「……廃校?」
「どこも少子化問題が深刻ってこった」

 その可能性は、本来最初に考慮すべきだった。
 でも、俺は自然とそれを忌避していた。
 心の何処かに、自分の母校の一つが廃校となっていると言う現実から、
 目を背けたいと言う欲求があったのかもしれない。
 そうか……廃校になったのか。
 だとしたら、俺を拉致した連中は、学校関係者じゃなく、この廃校を
 根城にしている、若しくは集会に利用している、無法者ってトコか。
 俺を狙うような人間は、大抵何処かのマイナーな研究所の人間なんだけど、
 ここまでアウトローなのは珍しい。

「こっちだ。そこの一組の教室へ入れ」

 促されるまま、俺はその教室とやらに入った。
 この学校にいたのは、小学校四年生の頃。
 そして今入ったのは、一年一組の教室。
 接点はない。
 そんな、初めて入る教室は――――やっぱり、初めて入った場所と言う印象しかなかった。
 廃校になっていても、机や椅子を退かす事はしないらしく、何処にでもある教室の
 様相を呈している。
 そんな、立ち並ぶ机の幾つかに、腰を下ろしている人間の姿が見えた。
 全員、入室したばかりの俺に視線を向けている。
 隣り合う事なく、ポツポツと座っている時点で、彼等が他人同士だって事はわかる。
 人数は、俺を除いて6人。
 私服姿で、年齢も性別もバラバラ。俺と同世代の人間も数名いる。
 どう見ても、全員俺の拉致を命じた人間じゃない。
 って事は……

 この連中も、俺と同じ立場って事なのか?

 俺と同じように、瞬間移動を使用出来る奴らが、ここに集められているのか?
 それとも、俺とは違う、別の能力を使える人間?
 いずれにせよ、何らかの共通性があるからこそ、同じ場所に集められた筈だ。

「好きな所に座って下さいませ」

 ふと、黒板や教卓のある前方を見ると――――その視界の端に、スーツ姿の女性が映った。
 言葉遣いと、その長い黒髪は、着物の方が似合いそうな和風美人を連想させるが、
 その目は妙に鋭く、威圧感を携えている。
 特に反抗する理由もないんで、俺は最寄の、誰とも隣接しない中央の席に座った。
 気付けば、周囲からの俺への視線はいずれも逸れている。

 パーカーを着た、少し茶髪入ったポニーの女。
 全身黒尽くめの、短髪の男。
 この辺りは同世代だ。
 その他にも、 ラフな服装で、ピアスをしたケバい茶髪の男、
 緑と白のストライプの服を着たエキセントリックな男、
 少しやつれた栗色の髪の女、そしてスーツを着てメガネをかけたセンター分けの中年男性が、
 それぞれ自分の席ではない席に座っている。

 恐らく、全員の興味は、俺じゃなく、これから起こるであろう『何か』に
 向けられているんだろう。
 俺が最後なのか、それとも他にまだ『招待客』がいるのか。

「他にもまだ、誰か来るんですか?」 

 わからない事は、聞いてみれば良い。
 この上なく、シンプルな行動だ。

「質問は受け付け致しません。しばらく、その場でお待ち下さいませ、クソ厚かましいゴミ」

 ……最後の一言は一体なんだったんだろう。
 空耳だろうか。
 ま、気にしても仕方ない。
 言われた通り、待つだけだ。

「あと一人だ。もう直ぐ来るみてぇだから、大人しく待っとけ。『沈黙は金なり』って
 言うだろ? でもなぁ、この諺は……正直どうよ? 元々、外国の『雄弁は銀、沈黙は金』
 って格言の一部だけ切り取ったモンだろ、コレ。しかも、『雄弁は銀、沈黙は金』の方は、
 当時は銀の方が価値があったから、元々の意味が逆って説もあんだろ?
 これってどうなんだよ。なぁ?」
「待つ時は静かにしている方が御行儀が宜しいのですよ、クズ木偶の坊」
「……わーったよ」

 意気揚々と自論を述べていた拉致実行犯は、スーツの女に丁寧に一喝され、意気消沈していた。

 さて。
 暫く待てと言われた事だし……寝て待つか。
 起きてても仕方ないし、今後睡眠を取れる保証もない。
 俺は机に突っ伏して、寝る体制を作った。

「……相変わらず、良い度胸してらぁ」

 そんな声が背後から聞こえて来る中――――俺は、暫く目を閉じていた。


 

 例えば。
 試験前日、全く試験勉強をしていないで寝る時の、あの絶望感。

 例えば。
 親友と信じていた相手が、自分のいない所で陰口を叩く場面を見た、あの失望感。

 その心的外傷は、ただその時々で傷付くだけには留まらない。
 夢として、定期的に現れる。
 悪霊のように。
 当時の記憶がそのまま映像として脳内に出現する訳じゃないけど、
 90%ほどの再現率で、心を抉りに来る。

 俺にとっての悪霊。
 それは決まって――――この【予約移動】が友達にバレた時の事だ。
 今は別に、なんてコトはない。
 周囲も相応の年齢になって来てるから、人外とも言える
 能力に対しても、心の何処かで『認められない』と言う神経が邪魔をして、 
 苦笑いを浮かべる程度に留まる。
 でも、子供はそうじゃない。
 心に制限がない子供は、ありのままを口にする。
 それが例え、どんな残酷な言葉であっても。

『うわっ、バケモノが来たぞ! 逃げろーっ!』

 今にして思えば、少ない語彙から引っ張り出した、精一杯の『目立とう精神』。
 忽然姿を消した俺を肴にして、正常である自分を誇示してる、
 空しくも可愛らしい言葉に過ぎない。
 でも、俺は――――バケモノ扱いされたこの時のこの言葉を、
 何度も何度も夢で再生させていた。
 今はもう、なんとも思わない筈のその言葉に――――今尚、傷付けられていた。
 バケモノなんて、在り来たりな表現に、心を萎ませていた。
 そして、今も。

『わーっ、逃げろ逃げろー! 消されるぞ!』

 蜘蛛の子を散らすように、俺の周りから同級生達がいなくなる。
 周囲は、学校のグラウンド。
 俺は、いとも簡単に孤立した。
 今の俺なら、これくらいで落ち込んだりはしない。 
 でも、それでも――――この夢を見る俺は、当時の俺と同じように、
 傷付き、悲観し、大きな傷を心に負う。
 きっと、トラウマって言うのはそう言う原理なんだろう。

 一体いつになれば、俺はその呪縛から逃れられるんだろうか――――

 


「……そろそろ起きれば? いつまで寝てるんだか」

 ぶっきらぼうな声と共に、俺の足に小さい刺激が走る。
 痛み、って程じゃないけど、ちょっと驚いた。
 多分、蹴られた。
 蹴ってきたのは、ポニーの女だった。
 もぐもぐと、何かを噛みながら、俺の事を見下している。

 どうして、わざわざ席が離れている俺に干渉しに来たのか――――

 その理由は直ぐにわかった。
 俺の傍に、小さな女の子がいた。
 その子は、俺を起こそうとしていた。
 でも俺は起きなかった。
 それを見かねて、文字通り叩き起こしに来たらしい。
 それだけで、そのちょっと怖い感じの口調とは裏腹に、
 心が澄んでいる事がわかる。
 子供好きなのか、お節介なのかは知らないけど。

 ま、それはどうでも良い。
 問題は、俺を起こそうとしていたらしき女の子。
 何処かで見た覚えがある女子だ。

「……あ」

 若干の記憶遊泳の後、それがつい先日助けた女子だった事に気付く。
 彩莉と言う、ちょっと変わった名前の子。
 だから覚えていたってのもあるんだろう。
 でも――――どうして彼女がここに?
 まさか、この子も俺と同じ『能力者』なのか?

「あの、あの」

 疑問符ばかりを浮かべていた俺に、彩莉は困ったように、
 ちょっと萎縮したように俯いている。
 いかん。
 少女を怖がらせては、色々と宜しくない。

「えっと……久し振り。元気だった? 彩莉ちゃん」

 取り敢えず、名前を覚えているコトをアピール。
 彩莉は直ぐに明るい顔になり、顔を上げた。

「はい。彩莉は元気でした。えと……」
「亥野本生命。俺も結構、変わった名前なんだよな」
「生命さん、なのですね。とっても活力に溢れた良いお名前だと、
 彩莉は思います」

 小学生である事に何ら疑いの余地はないその少女は、
 驚くほど流暢な言葉で褒めてくれた。
 気付けば、周囲の空気も微妙に変わってるような気がした。
 無理もない。
 こんな如何わしい場所には、彼女の持つ雰囲気は余りに異質。
 まだ、周囲に溶け込むと言うコトも必要としない年代だ。
 困惑するのは、大人の方。
 実際、偉そうに場を取り仕切っていた口の悪いスーツの女も、
 戸惑った様子を見せている。

「あの、あの、隣に座っても宜しいですか?」
「勿論。断る理由なんてない」

 彩莉はにっこり微笑み、俺の右隣に座った。
 にしても……妙な事態になったもんだ。
 一体どう言う『集い』なのかは知らないけど、
 こんな幼い子供まで連行してきやがったのか?
 ここの連中は。

「……乱暴なこたぁ何一つしてねーハズだ」

 俺の考えを呼んだのか、俺が無意識に睨んでいたのか、
 俺を連行した男がポツリと呟く。
 最低限の規律は持ち合わせている、とでも言いたいんだろう。
 俺等を何故、どうしてここへ連れて来たのかは知らないが、どうやら一応の
 人権は保護されているらしい。
 って言う事は、これから何らかのディスカッションが始まるってコトなのか。
 俺等を利用する為の。

「これで全員、揃いましたね」

 そんな俺の案を採用したかのようなタイミングで、スーツ女が教卓に向かい、
 そこに手を付く。
 さながら、教育実習生のような容姿。
 だが、雰囲気はもう何年も教鞭を執ったベテラン講師にも見えた。

「では早速、自己紹介をさせて頂きます。私は【クローズ】代表、不知火と申します。
 二度自己紹介する気はありませんので、しっかり覚えておいて下さいクソ虫共」

 ……最後の数文字は一体何の意図があってのものなんだろう。
 って、それより問題は【クローズ】とやらだな。
 代表って言うからには、団体名か何かなんだろうけど。

「さて。現在、貴方がたは多くの疑念と不安を持たれている事と存じます。
 同時に、複数の推測も。そして、その中には正解もあるかもしれません。
 何故なら、貴方がたはその正解を導き出せる手掛かりを、もう何年も自分の中へ
 内包しておられる。もうお気付きでしょう。自分だけがそうではにない、と言う事に」

 そんなスーツ女あらため『不知火』とやらの言葉に、俺も、彩莉も、他の連中も
 顔を見合わせるべく周囲に視線を散らす。
 やっぱり、ここにいる連中は全員、何らかの力を持っているようだ。
 それも、恐らく【予約移動】以外の。
 隣の彩莉が、その証拠だ。
 もし彼女が俺と同じ能力を持っているなら、俺がそれを使った時、
 違った反応を見せてただろう。

「簡潔に申し上げます。私達は、貴方がたの味方です。私達自体に貴方がた【沙者】の
 ような異能はありませんが、これまで何人もの沙者と関わり、その能力と
 能力者自身に関して、それぞれに研究を重ねてきました」

 まーた専門用語が現れた。
 シャシャ?
 何だそれ。
 俺等、異能力者の呼称のつもりか?
 ……なんて茶々を入れてみても良いけど、不知火って女が『余計な口を挟むなよ
 ゲジゲジ共が』って顔で睨んでるんで、自重しよう。
 ここで無意味に煽っても仕方ない。

「その結果、異能力を持った人間と言うのは……例外なく、その能力から逃れられない
 と言う事がわかりました。つまり、一生そのままと言う事です」

 突然――――余りに突然の通告。
 それは、余りにも素っ気ない、雑な宣告だった。
 そりゃ……この能力がある日突然使えなくなる、なんてコトは想像もしてなかった。
 ただ、それを他人から断言される日が来るなんて、思いもしなかった。
「今まで、さぞ辛い思いをして来た事でしょう。日本人は特にそうですが、
 出る杭は必ず打たれます。突出した存在は、凡庸な人間にとっては『バケモノ』。
 人ではない存在として、淘汰の対象となります。下衆の真骨頂で御座います」
「……」

 きっと、誰もが同じような経験をしているんだろう。
 誰もが、そんな不知火の言葉を噛み締めているように、視線を散らしていた。
 それを確認し、不知火は声を高める。

「私達は、そんな貴方がたにとってのガン細胞のような存在の異能力を、
 消す事が出来ます。貴方がたを、バケモノから人間に戻せるのです」

 その宣言は――――

「ですが、残念ながらそれには莫大な費用が掛かります。時間も、人員も同様です。
 定員は……一名。そこで私達は、貴方がたに提案をしたいと存じます」

 この次の発言の為の、いわば『呼び水』だった。

「これから全員で『あるゲーム』をして貰い、条件を満たした者の異能力を
 消し去る事を、私たち『クローズ』はこの場をもって提案させて頂きます、
 ファック」 

 最後の言葉は相変わらず意味不明だったが――――

「そのゲーム名は『OneHundredMillion-Game』。略して『OHM-G』となります。
 能力除去に必要な費用の24.8%に該当する100,000,000円を用意して下さい。
 勝者は一名。先着一名様となります」

 それ以外は概ね、俺にとって、或いは他の連中にとって、人生そのものを
 ひっくり返すような、天変地異にも似た提案だった。

「貴方がたは統計上、約一億人に一人と言われる異能力者。その事実への敬意を
 表し、【沙者】と呼んでいます。どうぞ、その能力を駆使し、一億円と言うお金を
 生み出して下さいませ――――と、こう言う訳です。ご理解頂けましたでしょうか、
 腐れ豚共」

 俺はこの状況を、上手く咀嚼できず、ただ呆然と話を聞いていた。

 


 OneHundredMillion-Game。
 略して『OHM-G』。

 そのゲームの説明は、まるで『授業参観のお知らせ』のプリントを配るかのように、
 数枚の紙の配布によって行われた。

 


・目的:一億円を稼ぐ事。

・期限:誰か一名が総額一億円を【クローズ】のメンバーに現金で調達するまで

・ルール:
 1.現在所持している金銭を支払いに使うのは可。
 2.売上総利益や経常利益等の、経理上の数字だけでは不可。
 3.支払い方法は手渡しのみ。クレジットカードの使用、口座振込み等は禁止。
   分割での支払いは可。日本円以外での支払いは不可。
 4.借財、融資、前借は対象を問わず不可。譲渡のみ、その本人を連れて支払うと言う条件で可。
 5.金銭の捻出方法は、合法、非合法を問わない。ただし、違法である事を
   他の参加者に密告され、証拠を提出された場合のみ、その分の金額は無効となる。
 6.参加者が他の参加者を支援するのは可。
 7.一週間に一度、金曜日に所在地を【クローズ】のメンバーに知らせる事。
   連絡手段は電話、メール、FAX、面会等、どれでも可。
   連絡がない場合は失格とする。
 8.今後、ルールが追加される可能性あり。その場合は希望の方法で通達する。


 ルールはかなり少なく、二枚目の紙だけで十分全文が掲載できる程度の長さ。
 かなり単純なゲームだ。

 ただ――――だからこそ、恐ろしくもある。

 まず、一億円なんて途方もない額のように思えるけど、この中に既にその額を
 所持している人間がいる可能性は、否定できない。
 もしそうなら、ゲーム開始と同時に、ほぼ終了だ。
 参加する意味がない。
 そのリスクがある上で、一つ聞いておきたい事がある。

「……このゲームで負けた人間には、何かペナルティのようなものはあるのだろうか?」

 そんな俺の思考が漏れ出た訳じゃないだろうけど――――センター分けの中年男が、
 神経質な顔で早速問い合わせていた。
 俺が聞きたいのも、まさにそれ。
 この【クローズ】と言う組織に関して俺は一切聞いた事はないけど、まともな
 組織とは到底思えない。
 なにせ、異能力者とは言え、健全な日常生活を送ってる高校生の俺、そして何より
 小学生であろう彩莉を拉致して来た連中だ。
 ボランティアで俺等みたいな異能力者に手を貸す、なんて事はあり得ない。
 そこにメリットがあるから、こんな提案をしてくるんだ。
 一億円にしても、それが能力除去に必要な費用の24.8%ってんなら、利益にはならない。
 別の利があるハズだ。

「いえ、そのような事は一切ございません、挙手もせずに質問する非常識なクソ中年」
「なっ……」

 回答よりも、その後の悪態に顔を引きつらせた中年メガネ親父は、顔を赤くしつつも
 それ以上の噴火はなく、怒りの行き先を自身の胃へと向けていた。
 それより、ペナルティがない――――ってのは、意外だ。
 例えば、それまで集めたお金を全額没収……くらいはしそうなものだけど。
 分割での支払いOKってのが、特に怪しい。
 返却せず高飛びする気マンマンに思える。
 金融機関を一切介さないのも。

「胡散臭いと思うのは当然の権利です。実際、ここにお集まり頂く時点で、
 そう見做されるに値する強引な方法を私達は採っています。ただ、どのような手段を
 用いても怪しまれる事は間違いない状況で、皆様が一堂に会する機会を設けるには、このような
 方法しかなかったと断言出来る次第です。それに、ゲームへの参加を見送る場合は、
 ここで見た事、聞いた事を一切口外しないと言う法的効力のある契約書に一筆頂ければ、
 それで御自宅へ無事に帰還できる事をここに誓います、ビッチ共」

 あからさまに怪しい説明を、不知火はスラスラと話す。
 ……その一筆ってのも、相当怪しい。
 連帯保証人の契約書って可能性もある。
 偽装を施して。
 何にしても、係わり合いになるべきじゃない。
 決定。
 今直ぐ帰ろう。
 そう決断し、席を立とう――――とした瞬間。

「面白ぇじゃねーか。オレはノッたぜ。丁度、退屈してたトコなんだよ」

 黒ずくめの男が当然、参加を表明した。
 ……サクラ、か?
 この状況で即答なんて、普通の感覚じゃあり得ない。

「ありがとうございます。では契約書を差し上げますので、サインを」
「あ? そんなモンいちいち書かねーとダメなのかよ。面倒ぇな」

 が、その男の挙動には、サクラ特有の『わざとらしいわかり易さ』が見当たらない。
 とは言え、彼の行動が一種のトリガーになった事は確か。
 仮に『下らない』と一蹴する気でいた人間も、八分の一が挙手すれば、
 そこに価値がある可能性を考慮せずにはいられない。

 事実――――俺の中にも、迷いが生じている。

 正直言って、俺のこの能力は必要ない。
 なにせ、誰かに見られるリスクを考えると、おいおい使う事も出来ない。
 有名なスポットに跳ぶ事も出来ない。
 突然、目の前でパッと人が現れたり消えたりすれば、誰だって驚くし、
 人間扱いされなくなる。
 でも、所持している以上、使いたくなるのが人の性。彩莉を助けた時もそうだ。
 いっそ無くなってくれれば――――そう何度も思った。
 けど、【クローズ】って組織を信用出来ない以上、すんなり挙手する訳にもいかない。
 ……どうすべきか。

「わたしも参加しようと思います。この機会は大事にしたいので」

 二人目の挙手。栗色の髪の女だ。
 たったこれだけの説明で、二人が参加表明……?
 どうも、妙だ。
 でも――――俺はこの二人の能力を知らない。もしかしたら、今直ぐにでも消さないと
 日常生活が送れないようなトンデモ能力なのかもしれない。

「じゃ、俺も? これ以上『毒野郎』呼ばわりはゴメンだし?」 

 更に、奇抜なストライプ男まで挙手。
 これで三人――――

「ま、待て! 君達はそれで良いのかい? まだ大した説明もされていないこの段階で
 そこまで容易に決めてしまって良いと言うのか?」

 その三人に向けて、年長者と思しきセンター分の男が警告を発した。
 対象者以外の視線も、自然とそっちへ向く。

「あ? 何説教カマしてんの、オッサン。カンケーねーだろ?」

 いち早く反応したのは、最初に挙手した黒ずくめ。顔を歪めて立ち上がり、
 剣呑な雰囲気を撒き散らし出した。

「わ、私は別に喧嘩を売っている訳ではない。だが、このような誘拐じみた集め方を
 されておきながら、こうも安易に決める君達に警鐘を……」
「オッサン。鐘ってのはな、高ーいトコから庶民に向けて鳴らすモンだぜ。
 テメェ、オレより上にいるつもりなのかよ?」

 喧嘩を売ってるのは、明らかに黒ずくめの方。目を見開き、血管を浮かび上がらせている。
 結果――――哀れな年配者は怯えるように視線を散らし、残りの二名に向けた。

「わたしは、安易に決めたつもりは一切ありませんので……心外です」
「つーか、参加しないなら帰ればよくね? 俺等に関わる必要なくね?」

 待っていたのは、静かな拒絶と嘲笑。センター分は肩を落とし、あからさまに項垂れた。

「私達は、強制は一切致しません」

 話が収束するのを待っていたらしく、不知火が教卓に両手を置き、静かに告げる。

「『能力は消したいけど、私達が信頼出来ない……そう言う方々は、保留と言う事で
 一旦お帰り頂いて構いません。ただし、期限は一週間。それまでに参加表明をなされない方は
 今回は縁がなかったと言う事になります。連絡先は、先程配ったプリントに記載しています。
 ご理解頂けたでしょうか、クソ虫共」
「……わかった。では私は、保留と言う事にしよう。帰らせて……貰うよ」

 センター分は力なく立ち上がり、一人肩を落として教室を去って行った。
 それに端を発し、他の連中も出て行く。
 挙手した三人は、契約書を書きに。
 ポニーの女とストライプの男は、多分保留なんだろう。
 結果、俺と彩莉の二人だけが教室に残る事となった。
 ……俺も、保留にしておこうか。
 たかが一週間で、この組織の信頼性を調べられる保証もないけど、考える時間は欲しいし。

「生命、さん」

 突然、隣から彩莉が弱々しい声を発した。
 さっきの一幕で怯えてしまっているらしく、声も身体も少し震えている。
 それが普通だ。
 彼女もまた、『普通』になりたい一人なんだろう。
 俺でさえ、未だにそれに憧れている。
 まして、この子は俺よりずっと年下。
 どんな能力を持ってるのかはわからないけど、俺より切実な事は間違いない。
 けど、この子が参加するとなれば、俺も重大な選択を迫られる事になる。
 能力除去を出来るのは、たった一名。
 俺がそれを勝ち取れば、この子は『普通』にはなれない。
 俺が参加しなければ、彩莉はたった一人で一億円を稼がなくちゃならない。
 この子を見捨てるか、自分の憧れを捨てるか。
 そんなの――――今直ぐは決められない。

「もし……もしも、生命さんが参加するなら、彩莉は参加しません」

 俺のそんな逡巡を、優しく撫でるかのように。
 彩莉は、今にも泣きそうな顔でそんな事を言ってきた。

「どうして」
「彩莉が先に一億円を集めたら、生命さんに申し訳が立ちません」

 その言葉は、とても厄介なものだった。
 自分が先に一億集める自信がある――――そう言うメッセージなら、まだ良い。
 もし、自分の年齢と境遇が周囲から同情を集める事を自覚しての発言なら、
 これは恐ろしい罠の可能性もある。
 小学生である彼女が、本気で『OHM-G』と言うゲームに勝ちに行くならば、
 単身で挑む事は現実的じゃないと、誰でもわかる。
 小学生が一億稼ぐなんて不可能だ。
 一人でダメなら、別の人を頼る。
 頼るなら、その取っ掛かりがある知り合いが一番。
 だから、彩莉は俺に近付いている。

 この解釈は、果たして捻くれているだろうか?
 いたいけな小学生を相手に、疑いの眼差しを向けるのは、人として失格なんだろうか?

『普通』なら、そうかもしれない。
 でも俺は普通じゃない。
 そんなものは知らない。

「俺は、参加するつもりだよ」

 だから俺は、嘘を吐いた。

「そうですか。それじゃ、彩莉は参加しません」

 思惑が外れた――――そんな響きは微塵もない声。
 その事実が、俺の心に一つ傷を作る。
 それでも、譲れない。
 例え相手が小学生でも。
 もしこの異能力を持ち続ければ、俺は一生、それを持て余す。
 封印したくても、俺の弱い心では到底、それは出来ないだろう。
 克服出来るのなら、とっくにしてる筈だから。
 もう答えは出てる。
 だから、自分の人生を立て直す為にも、相手が誰であれ、譲る訳には行かなかった。
 これで良いんだ。

「代わりに、お手伝いさせて下さい」
「……え?」 
「生命さんは、彩莉の命の恩人ですから」

 何度も自問自答を繰り返す中で、彩莉は容赦なく俺に攻め入ってくる。
 止めてくれ。
 俺は別に、そんな見返りが欲しくてお前を助けたんじゃない。
 俺は――――自分を正当化したかっただけだ。
 弱い存在を助ける事で、自分の存在を持ち上げたかっただけなんだ。

「だから、お役に立てる事があれば、何でも……」
「ないよ」

 俺は居た堪れなくなって、思わず席を立った。
 きっとそれだけでも、驚かせしまうだろう。
 傷付けてしまうだろう。
 それでも、俺は自分の利を採った。

「なにもない。だから、これ以上俺に構う事は、しなくて良いよ」

 もう彼女に何一つ、甘い顔は出来ない。
 そうしないと――――彩莉はいつまでも、俺を『味方』だと勘違いする。
 あの誘拐事件で自分を助け出した俺を、ヒーローか何かと
 思い込んでしまっているんだろう。
 だから、その間違いを正さないといけない。

「待って下さい。彩莉は何か、生命さんを怒らせる事を言ってしまったでしょうか?
 それなら、謝ります。すいません。すいません」

 教室から出て行こうとする俺の背中越しに、彩莉は『すいません』を連呼した。
『ごめんなさい』じゃない所に、彼女の人生の一端を感じる。
 一つ罪悪感が増え、胸に鈍痛が走った。

「すいません……すいません……」

 彩莉は、何て言って良いのかわからないのか、ただただ謝罪し続ける。
 それでも俺は――――彼女に優しい微笑をあげる事は出来ない。
 小学生の俺をバケモノと罵ったのは、やっぱり小学生だった。
 年齢なんて関係ないんだ。
 何を言われても、どんな態度を示されても、言える事は一つ。

「無理して俺に構わない方が良いよ。誘拐の時の事も、忘れてくれて良い。
 お互い、良い事ないからさ」

 ここで接点を断つのが一番良いんだ。

「……忘れられません」

 でも、彩莉はそんな俺の苦悩なんて知る由もなく、捨て身で飛び込んで来る。
 ピンポイントに、心の真ん中を狙って。

「彩莉は、忘れられません。彩莉を助けてくれた人は、他に一人もいません。
 だから……忘れられませんっ」

 彩莉は、目に涙を溜めていた。
 きっとこれだって、疑えばどうとでも疑える。
 今時、泣きの演技が出来る子役なんて珍しくもない。
 でも――――小学生の女の子を悪役にキャスティングする自分を、
 これ以上晒したくはない。
 半ば反射的に、俺は胸ポケットの紙を取り出し、そこに右手の人差し指で
 文字を綴る。

 この学校の名前『黒空小学校』。

 これで、暫くすればここの入り口へ俺は『跳ぶ』。
 緊急の脱出手段だ。
 それくらい、俺は追い込まれていた。

「これから、出てくるよ。助けてくれる人が、いっぱい」

 反吐が出るような綺麗事を、最後に贈る。
 単なる逃げ口上だった。
 そんな事はないって、わかっているのに。

「もし、たくさんそう言う人たちに恵まれても、彩莉を救ってくれた最初の人は、
 生命さんですっ」

 そんな彩莉の震える声に、また一つ胸の傷を増やし。
 俺は、彼女の目を見る事も出来ず、その場から姿を消した。
 

 

 次の瞬間、現れた視界に飛び込んで来たのは――――道路と電柱、
 そしてシャッターの閉まった文房具店。
【予約移動】によって、俺は瞬時に学校の外へと移動していた。
 突然消えた俺に、彩莉は驚くだろう。
 でも直ぐ、それが以前、自分を助けた能力だと気付くだろう。
 そこで諦める筈。
 何処に跳んだなんて、わかりっこないんだから。

「……それって、テレポート?」

 一瞬――――その彩莉が背後に現れたと思い、思わず肩を震わせてしまう。
 でも、それは小学生の声じゃなかった。
 振り向くと――――髪の毛を後ろで縛った女子の姿が視界に入る。
 教室で俺を起こした、あの女だ。
 ……見られたか。
 でも、別に良い。
 彼女が次の転校先の生徒じゃない限り、見られて困る事もない。

「聞いてんだけど? それとも、耳が聞こえない?」
「難聴の人は大抵、読唇術で言葉がわかるんだぞ? その物言いは配慮が足りない」
「やっぱり聞こえてんじゃん。とっとと答えろっての」

 またストレスが溜まる。
 今度は別の種類の。
 どうやら今日は、女性運が最悪の日らしい。

「好きに解釈すれば良いだろ。言質取っても意味がないのは、そっちだって
 わかってるだろうに」
「そう言う意味で言ってんじゃねーよ。人の質問に答えないその態度がムカ付くだけ」

 どうやらこの女性は、自分の質問に絶対的な権限でもあると思ってるみたいだ。
 相手にするだけ無駄だな。

「……何黙って帰ろうとしてんの?」
「答えなら、とっくに言っただろ。好きに解釈しろって。これ以上俺に構うなよ」
「ふーん。そうやって、色んな事から逃げて来たんだ」

 その物言いは――――挑発としては花丸モノだった。
「テレポートって、便利だもんねー。いざとなったら、すーぐ逃げられるし。
 なんか人生垣間見たって感じ?」
「……そう言うそっちは、色んな事に首を突っ込んできたクチか」
「別に。これは、ただの調査。ライバルになりそうなヤツがいるかどうかの、ね」

 それは、この女が【OHM-G】に参加する事を意味していた。

「はい、安牌一人追加。じゃ、もう用はないからどーぞ御自由に」

 ポニー女の不快な物言いは、それさえも調査の一環と言わんばかりだった。
 怒り出すのか、逃げ出すのか、睨み返すのか、戸惑うのか。
 その対応を見る為の。
 ま、何にしても――――関わり合いになりたい人種じゃない。

「お言葉に甘えて」

 それだけ答え、再び校舎に背を向け――――ようとした刹那。
 ポニー女の後方。
 そこに一瞬、動くモノが見えた。
 息を切らし、めいいっぱい走る、少女の姿。
 ハッキリ確認するまでもない。
 さっき俺が置き去りにした、あの女の子だった。

「……あっ……」

 体力はないらしく、泣きそうな顔で懸命に走っていたその顔が、俺を視認する。
 彩莉は――――安堵していた。
 そこに、打算や謀計がない事くらいは、流石にわかる。
 直ぐ傍に、良い見本が立ってるから。

「……」

 彩莉は話さない。
 息切れで話せないってのもあるけど、それ以上に、見つけたは良いが
 どう声を掛けて良いかわからない、と言う戸惑いを見せていた。
 それでも――――そんな気持ちの整理がついていない状態でも、
 俺を追って走って来たのか。
 近辺にいる確証なんて、きっとなかった筈なのに。

「子供からも逃げて来たの? しょーもなっ」

 心底呆れた様子で、ポニー女は俺を責め立てる。
 実際、その女の批難は当然の事だった。

「……子供は苦手なんだよ」
「はっ。何言ってんだか」

 そんな俺の後ろめたさを嘲るように、女は鼻で笑う。

「苦手じゃなくて、怖がってるんでしょ? だから逃げて来たんでしょ? ダッサ」
「……!」

 まさにそれは、正論だった。
 二の句も繋げない。
 けど、耐えるしかない。
 そうだよ。
 俺はもう、こう言う腐った生き方しか出来ない。
 だから、その原因の能力を消し去りたいんだ――――

「あのっ」

 戸惑うような声で、彩莉が尚も話しかけてくる。でもその相手は、俺じゃなかった。

「生命さんは、彩莉を助けてくれた人なんです。とっても良い人なんです。
 彩莉が、彩莉が困らせてるだけなんです。そんな風に言わないで下さいっ」

 その声は。
 その言葉は。
 俺の胸の奥を、無造作に鷲掴みして、中の色んな物を毟り取った。

「こんな小さな女の子に気を使わせて……恥ずかしくない?」
「……恥ずかしいに決まってんだろ」

 ポロッと漏れた俺の本音に、ポニー女は嘲笑を向け――――その視線を
 彩莉の方に向けた。

「ゴメンね。もう言わないから、許して」

 その目は――――慈愛と言うよりは哀れみに満ちているように、俺には見えた。
 そして、無言で踵を返す。
 彩莉はどうすれば良いかわからない様子で、それを見送っていた。

「能力者なんて、みんな同じね」

 最後にそう吐き捨て、そのまま廊下を歩み出した。
 一瞬、彩莉がその後について行く事を想像したけど、それが実現する事はなく。

「…………すいません」

 俺の傍で佇み、また謝った。

「生命さん、子供が嫌いだったんですね。彩莉は迷惑を掛けてしまいました。
 本当に、すいませんでした」

 ペコリと、一礼。
 そして彩莉は、俺から顔を背け、道路の方へ歩き出した。
 先の言葉通り、ゲームに参加せず、これまでの日常に戻るつもりなんだろう。
 彩莉は、あの誘拐事件の時、一度も泣かなかった。
 両親の名を呼ぶ事もなく、俺の隣で不安げに瞳を揺らしていた。
 それも、あの子の日常を垣間見させた。
 多分、小学生時代の俺と同じような境遇なんだろうと、想像するに難くない。
 あのポニー女も、もしかしたら自分の過去をこの子に見たのかもしれない。

 俺は――――見捨てるのか?

 自分がそうされたから、自分もそうするのか?
 事実、そう言う例は多い。
 虐待を受けた子供が将来大人になり、自分の子を虐待する。
 良くある話だ。
 で、その良くある話を、それを免罪符にして、自分もやろうってのか?

『苦手じゃなくて、怖がってるんでしょ?』

 ……その通りだよ。
 俺は、ずっと怖がってる。
 俺をバケモノって言った子供を。
 容赦なく本心を口に出してしまう、人間の本質とも言える『子供』って存在に、
 自分が嬲られる事を。
 信じてたのに、裏切られた時の――――あの喪失感を。

「……苦手とは言ったけど、嫌いなんて言ってない」

 離れてしまった距離を埋めるように、少し声を張る。
 彩莉の足は――――止まってくれた。

「好き嫌いは、子供とか大人で一括りには出来ないし、さ。好きな子供もいれば、
 嫌いな大人もいるよ。えっと、つまり……その。何と言うか」

 視線を彷徨わせ、言葉を探る。
 思えば。
 俺の人生の中には、足りない物が幾つもあった気がする。
 その中でも特に、人の話を聞く機会ってのは、圧倒的に少なかった。
 まして、小学生の女の子となると、もう完全に未知の世界。
 ハードルは、ちょっとした凱旋門レベルの巨大さに達している。

「彩莉の事は、別に嫌いじゃないよ。でも、正直言って、どう接して良いかわからない。
 苦手なんだ。好意に対して受け答えするのは」 

 言いたい事を言うのに、どうして人間は回り道をしなくちゃならないのか。
 それはきっと、臆病だからだと思う。
 言葉の数だけ弾幕を張るんだ。
 そう言う意味では、冗長な俺の物言いは、怖がりの表れ。
 それを、あのポニー女は見抜いたんだろうか。
 ま、何にしても。

「……良く、わかりません」

 俺の説明は、小学生向きじゃなかったらしい。
 超戸惑われてる。

「と、兎に角。嫌ってる訳じゃないって事は、わかって欲しい」
「……本当でしょうか」

 うっ、すっかり疑り深くなってしまわれた。
 これも俺の責任だ……どうしたものか。

「キミに質問がある」

 突如。
 突然。
 不意に。
 いきなり。

 どれでも良いけど、兎に角出し抜けに質問が飛んで来た。
 当然、彩莉の口調じゃない。
 そもそも女声でもない。
 そして――――その質問は、俺じゃなく彩莉に対してだった。
 姿を探すまでもなく、その質問の主は彩莉の直ぐ傍でしゃがみ込んでる。
 視線を逸らしてる間に近付いてきていたらしい。
 足音、しなかったけど……

「え? あ、あの」
「怖がらなくて良い。ボクは紳士だから、決してキミを傷付けない。
 子供は傷付けてはいけない。これは僕の信念だから」

 訳のわからない事をブツブツ言ってるその不審者は――――教室に集まっていた中の
 一人だった。
 緑と白のストライプの服が目に痛い、茶髪の男。
 見るからに怪しい男が、怪しい行動に出ている。
 これは紛れもなく怪しい。

「おい」
「質問の候補は幾つかあるのだけれど……やはり第一候補から述べて行きたいとボクは思う。
 それが正しいと信じて。キミは……」
「おいっ!」

 俺の声が聞こえないのか、何度叫んでも視線を動かさず、エキセントリックな男は
 彩莉を注視し続けた。
 そして――――

「キミは……処女かい?」
「小学生にどんな質問だ!」
「うぐっ!?」

 蹴る。
 後頭部を躊躇なく。
 変態に対しての処置としては、きっと正しい。

「い……痛い。まるで後頭部を思い切り蹴られたかのようだ」
「蹴るに決まってるだろ。一体何なんだアンタは」

 道路に滑り込むようにして倒れ込んだ男は、暫く唸っていたものの、
 そのままの体勢で――――また視線を彩莉に向けた。

「……な、何か彩莉に御用でしょうか」

 よくもまあ、こんなの相手にそんな対応できるもんだ。
 普通逃げるだろうに。

「さっきのは、ボクなりにキミをリラックスさせる為のジョークだったんだ。許して欲しい。
 例えキミが許さなくても、ボクはキミが許してくれるまで土下座しよう」
「気分が悪くて立てないだけだろ」

 後頭部の衝撃は、吐き気その他を催す。

「どうも、さっきから幻聴が聞こえる気がする。これは、この奇跡的な出会いを
 祝福する神の御声かもしれないな」
「どうあっても俺の存在を無視する気か?」

 幸い、家の近くの警察署の名前は覚えてる。
 ちょっと時間は掛かるけど、最悪の場合は強制テレポートだ。
「…………ああ、保護者の方がいたのか。これにはビックリせざるを得ない。
 忍者の末裔だろうか? このボクの気配察知能力を掻い潜って……」
「良いから黙って消えろ。これ以上この子にちょっかい出すようなら、
 黒服の連中に言いつけるぞ」
「それは良くない判断だと言わざるを得ない。何故なら、ボクはどうにも誤解されがちだ。
 ただロリコンなだけなのに、偶に犯罪者のような扱いを受ける。もう彼女を愛でるのは
 止めるので、ご勘弁願いたい」

 キッパリとロリコンって言いやがった……

「あの……しょじょ、ってどう言う意味なんでしょうか」
「小学生が最も知らなくて良い言葉の一つだ。忘れろ」

 戸惑う彩莉を更に戸惑わせた気もするが、まあ良い。
 問題はそれより、この目の前の変態だ。

「アンタがロリコンなのはわかった。人の趣味嗜好にとやかく言う気はないが、
 その矛先をこの子に向けるのは止めろ」
「それは出来ない。何故なら、彼女は可愛いからだ。可愛い女の子を目の前にして
 素通りすると言うのは、ロリコンとは言えない。ロリコンはすべからく、そうあるべきだ」
「ロリコンの生き様なんぞ知った事か! 良いから、彼女から手を引け」

 俺は彩莉の前に立ち、警戒心を高めた。
 何しろ、コイツも能力者。
 次の瞬間に何をしてくるか、わかったもんじゃない。

「……」

 彩莉は、俺の影でシャツの裾を掴み、不安げに変態の様子を見ている。
 その姿に――――

「……萌えと言う言葉に死語認定している奴は、これを見ても『萌え』と言わずに
 いられるのだろうか」

 ロリコンは興奮を覚えていた。

「くふふ、満足。大満足」
「だったらとっとと帰れよ変態」
「ボクの名前は戌井有司。17歳の高校生。名前を聞かせてくれないか、お美しいお嬢さん」

 視界に入っている筈の俺の存在を無視し、ロリコンは彩莉に向けてニッコリと微笑んだ。
 不気味に。

「えっと、巳年後彩莉って言います」
「ブラボゥ。正しい情報と親御さんのセンス、そしてこの出会いに感謝を。あと幼女に心の花束を。
 では、また会う日を信じて。戌井有司はいつでも幼女の傍に」

 最後まで会話を成立させる気がないのか、意味不明な言動に終始し、
 ロリコンは道路を這っていった。
 ……下半身の動きが不自然なんだが。

「可愛いと言って貰えましたが、お礼を言う事が出来ませんでした。彩莉は悪い子です」
「良いんだよ。世の中には感謝を告げなくて良いパターンもあるんだ」

 良くわからない教えを説きつつ、俺は疲労感の滲む眉間を指で揉む。
 あの変態も参加するんだろうな。
 一億円稼ぐあのゲームに。
 ……これじゃ、放っておける筈もない、か。

「彩莉」

 まだ俺のシャツを掴んでいる小学生を見下ろし、言葉を探す。
 けどそれは無意味だと、今更ながらに悟った。

「一旦戻ろうか。まだあの連中に聞きたい事あるし」

 俺の飾らない言葉に対し、彩莉は――――

「はいっ」

 この上ない笑顔を見せていた。

 


 そして、この日の夕方。
 俺は『OHM-G』への参加を、【クローズ】の連中へと直接告げた。









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