古今東西、人間は色んな方法を駆使して、お金を得て来た。
貨幣の歴史はそれはもう古く、いわゆる等価交換と言う概念が紀元前に生まれた頃には
もう誕生していたらしい。
その割に、日本で実際に公式な貨幣が誕生したのは西暦708年と、かなり遅い。
歴史の授業で習う、あの『和同開珎』だ。
まず間違いなくテストに出る、この日本最初の貨幣が生まれて、1300年。
日本の歴史は、常にこの『お金』とあった。
人間の英知と言うのは本来、生活の維持の為にあったものだが、それがいつしか
より豊かな暮らしへの渇望へと変わり、そしてその象徴となったのが、お金。
多くのお金を稼ぐ為の創意工夫が、そのまま文化の発展、社会の発展へと
繋がっていった。
あらゆる綺麗事は、その事実を隠蔽する為の薄いカーテンに過ぎない――――
「……随分と、偏った意見だな」
頬杖付きながら読んでいた『経済は例えるなら風に乗って舞うタンポポの綿毛のようだ』
と言う著書を、捨てるようにテーブルへ置き、溜息一つ。
ただでさえ、数える程しか足を運んだ記憶のない市立図書館の、一度も覗いた事のない
コーナーで物色する俺の心情は、まさにタンポポの綿毛に似ていた。
ただ、知りたい事はこの本には書いていない。
無理もない話ではある。
『1億円を最短で稼げる方法』なんて、怪しいビジネス書がそのままタイトルにしてそうだ。
とは言え、人生経験16年の俺の発想なんて、たかが知れてる訳で。
どうすれば『億』なんて単位の金を集められるのか、なんてコトは誰かに聞かなきゃわからない。
ま、それがわかるなら誰も苦労しない。
これはかなりの難題だ。
まあ、何にしても――――
「……くぅ」
俺の向かいの席で気持ちよさ気に眠っている彩莉をどうやって起こすかが、
当面の難題になりそうだ。
- chapter 2 -
1億円を稼ぐゲーム。
その参加を表明したこの日、俺は彩莉と共に、図書館を訪れていた。
別に、その方法を探す為じゃない。
図書館にそんな情報が転がってたら、本離れなんて起こる筈もない。
ここに来た目的はあくまでも、今後について話し合う為だ。
相手は勿論、俺のパートナーとなった小学生。
「……ふにゃお」
その女の子は、寝起きでボーっとしている。
俺は、そんな彩莉の事を、まだ何も知らない。
そんな状態で協力体制を築くなんて、無謀も良いところ。
だからこそ、まずは経済観念を教えておきたいと思って、ここに来た。
つまり――――ファミレスやファーストフード店なんて金の掛かるところに
気安く入るコトなかれ、って事だ。
「目は覚めたか?」
「……ふぁい」
彩莉はまだ頭が働いてない様子だけど、気にせず俺は話を始めた。
なにせ、これから話す事はとても重要な事項だ。
「それじゃ、まずはお前の家を教えてくれ」
気の所為か――――この科白を吐いた瞬間、周囲からの視線が多くなった気がした。
「……彩莉のお家ですか? お家へ来るんでしょうか?」
「ああ。そのつもりだけど」
「それは、ちょっと待って下さい。恥ずかしい……です」
更に周囲の視線が濃くなる。
あと、ちょっとしたざわめきも聞こえ出した。
……さっきまでロリコンを罵倒してたのに、今度は自分がその疑惑を向けられるとは。
「誤解される言い方は止めろ……送るだけなんだから。もう夜になるし」
「あ、そうでしたか。お部屋、散らかってて……見られると、死にます。彩莉」
年頃の女性ならその羞恥もわかるが、小学生でもそんなモンなのか。
「えっと、お家はここから……」
「道案内は良いよ。住所だけ教えてくれれば」
「あ、はい。わかりました」
彩莉が口頭で住所を告げる中、周囲の人々が『コレいよいよヤバくね?』と言う
雰囲気を露骨に出し始めた。
流石にこのままだと通報コースだな……仕方ない。
「親戚の家を知らないってのも、ちょっと恥ずかしいからな。良かったよ、偶々会えて」
少し大きめに声を張る。
結果――――ようやく視線の群れは去って行った。
「親戚?」
「気にするな。それより、この住所で間違いないんだよな?」
「はい。彩莉は小学生に上がる前からずっと、ここに住んでいますから」
その提示された住所は――――とても一般人が住まいにするような場所じゃなかった。
と言うか、どう言う所なのかもわからない。
住所の後に彩莉が言ったのは、『BCL総合支援センター』と言う建築物名。
何を支援してるのかも不明だけど、何よりセンターってのが、何か怖い。
……ま、詮索はしない方が良いか。
この子にはこの子の人生がある。
「了解。この住所なら、1時間もあれば着くかな」
【予約移動】を使えば。
この異能力、使う事で何かが消費されるとか、使用回数に制限があるとか、
そう言うのはない。
そして、移動の瞬間が見られ難い夜間と言うのも、実行しやすい状況。
余り進んで使いたくはないけど、封印する気もない。
まして、これからはこの能力を駆使する可能性もある。
遠慮する必要はない。
さて、早速メモだ。
「俺の能力のコト、詳しく教えておくよ」
「え?」
意外――――そんな顔を彩莉は作った。
「それって、彩莉の事を信じてくれる、って事ですか?」
「それは違う」
「……そんなぁ」
かと思ったら、今度は泣きそうな顔になった。
コロコロ顔が変わるな。
「別に、彩莉が怪しいとか、俺を騙そうとしてるとか、何か企んでるとか、
腹黒いんじゃないかとか、黒幕に誰かいる可能性が否定できないとか、
そう言う事を疑ってるって意味じゃない」
「……」
今度はジト目か。
百面相だな。
「兎に角、俺に関しては、人を信用出来ない病気みたいなもんだって思っててくれ」
「そうなんですか?」
「そう言う年頃なんだよ」
取り敢えず、適当に茶を濁す。
こんないたいけな女の子に、人間関係の暗部を語る気にはなれない。
「俺の能力は、こうやって住所を紙か何かに書くと、そこへと移動出来るっていうもの。
一応【予約移動】って名前付けてるんだけど」
「予約……ですか?」
「そう。ちなみに、フリガナに『ブッキング・テレポート』って打つと
途端に中学二年生が喜ぶ感じになるんで、その辺は臨機応変に」
「?」
彩莉は良くわかっていなかったけど、詳しく説明する気にもならなかったんで、説明続行。
「あの、どうして『予約』なんですか?」
「ああ。それは……住所を……こう言う風に書いても、この時点ではまだ予約段階
みたいなもんだから、そう付けたんだ。ホラ、まだテレポートしてないだろ?」
この能力の厄介な点を、俺は小学生にもわかるように、丁寧に説明した。
能力の説明を他人にする事自体、小学生の時以来だ。
「そうなんですか。ちょっと不便ですけど、スゴく便利ですね」
「どっちだよ」
「……どっちでしょう。よくわかりません」
彩莉は混乱していた。
とは言え、直ぐに理解出来る辺り、この子は頭が良い。
育ちが良いのか、本人の鍛錬の賜物なのか。
それとも――――
「……そう言や、彩莉の能力はどんな感じなんだ?」
この子と出会って、今日が実質二日目。
その中で、人とは違う能力が表に出た事はなかった。
ただ、あの場に呼ばれた以上、【クローズ】曰く『1億人に一人の才能』を持った
異能力者である事は疑いようがない。
1億円を稼ぐ上で役立つ能力なら、チームとして活動する以上は俺も知っておく必要があるだろう。
仮に――――俺等が誰より早く1億稼ぐ事に成功した場合、どっちが能力除去を行うかは、
今のところまだ決めていない。
彩莉は、俺にその権利を譲ると言っていた。
でも、それを決めるのは、彼女の能力を聞いた後でも遅くはない。
「彩莉の能力は……良くわかりません」
「わからないのか?」
「はい。どうご説明していいのか、ちょっとわかりません。生命さんのように、
名前を付けられれば良いのですけれど」
それが出来ない――――って事は、さしたる特徴がない、って事か。
「でも、なんとなく人と違うって言うのはわかるんだろ?
無理にわかりやすくしなくていいから、断片的……何かコレって感じの言葉を
適当に並べてみれ」
「わかりました。考えてみます」
10歳と言う年齢にしては少々幼いその顔に、いろんな種類の『迷い』が生まれる。
ちょっとすました迷い、眉間に皺を寄せる迷い、唇を突き出す迷い、楽しそうな迷い。
兄弟姉妹もいない、親類のお付き合いも皆無な俺にとって、彼女の姿は全てが新鮮だった。
「えっと……頭の中に、おもちゃ箱があります」
「おもちゃ箱?」
「はい。そこに、思い出を入れる事ができます」
それは――――特殊能力なのか?
思い出を箱の中に入れる……それが一体、何を意味するのか。
俺には良くわからなかった。
「すいません。彩莉、説明が下手です。いじけます。いじいじ」
いちいち宣言しつつ、彩莉は本当にいじけた。
とことん素直だけど、それだけに凹みやすいんだろう。
「その、思い出を入れるって言うのは、どう言う意味なんだ?
例えば、物を箱にしまうみたいにして、一旦忘れられるとか」
「あ、はい。それはできます。あと、思い出す事もできます。
箱の中から出したら思い出します」
……なんとなく、わかったような、わからないような。
自分で記憶をある程度コントロールできる、って事なんだろうか。
名付けるなら、【記憶収納】ってところか。
嫌な記憶を仕分けして、ストレスをなくす――――便利と言えば便利だけど、それは日常を
生きていく上での利便性であって、お金を稼ぐのには使えそうにない。
落胆を覚える反面、少しホッとした。
「了解。大体わかった。説明としては十分合格点だ」
「え、本当ですか? 彩莉、合格ですか?」
「70点ってトコだな」
俺の採点に、彩莉は微かに微笑んだものの、納得はしてない様子で眼差しを揺らしていた。
「話は変わるけど……彩莉は門限とかあんの?」
「門限は、ありません。普段は夜に外出する事はないので、決めなくても大丈夫なんです」
「塾には通ってないんだな」
「はい。お家でがんばっています」
そんな他愛のない雑談をしつつ――――気付けば一時間が経過していた。
普段、他人と話す事のない俺にとって、6つも年下の女子と話すのは、それなりに苦労した。
とは言え、ぎこちないのはお互い様。
彩莉の方も、時折困った顔をしていた。
「……そろそろリミットかな。それじゃ、そろそろ出よう」
午後7時まで開けているこの図書館も、閉館時間が迫っている。
ただ、俺の言うリミットは、その時間の事じゃない。
もう直ぐ、さっき予約した瞬間移動が発動する時間だ。
流石にこんな人の目に付く場所で消えるのはマズい。
それに、俺以外の人間を瞬間移動させるには、皮膚同士をくっつけておくと言う条件が必須。
手を繋ぐのが一番自然だけど、それでも歩いている時以外ではちょっとあり得ない。
と言う訳で、図書館を出て、暫く歩き――――告げる。
「……それじゃ、手を繋ごう」
理由は説明しているものの、かなり恥ずかしい科白。
それは例え、小学生相手であっても。
「はいっ」
そんな俺の羞恥心など何処吹く風、彩莉は素直に手を取った。
移動先は、最寄の児童公園。
普通の公園の場合は、時間帯的に子供を連れて行く場所としては不適切だけど、
児童公園なら問題ない。
人気がない事を確認し、二人してベンチに腰掛けた。
「もう直ぐ、てれぽーとするんですよね。彩莉、ワクワクしてきました」
「前に一回体験したろ? そんなに楽しみにする程のものじゃないぞ」
「あの時は、気付いたら移動してたので、良くわかりませんでしたから」
多分今回もその感覚だろうと思いつつも、いたいけな少女の夢を事前に摘むのは
どうかと思い、沈黙。
代わりに――――
「ところで、これから俺達は協力して1億稼ぐんだけど、活動する日時は決めておいた方が良いよな?
学校に通ってる間は無理だろうし」
「彩莉は、生命さんに合わせます。お迎えに来て頂く身ですので」
俺の転校先の住所と、彩莉の家の住所は、県の段階で異なっている。
つまり、かなりの長距離。
とは言え、俺の瞬間移動があれば、それは特に問題じゃない。
ま、正直言って、今のところはこの子と組むメリットは何処にもないんだけど……
「わかった。ま、こっちも学校あるし、終わってから出向く事にする。基本、毎日4時半。
雨天決行。土日祝日決行。バナナはオヤツに入らないけど、持って来過ぎると
サル扱いされるから程ほどに」
「バナナ?」
彩莉は首を捻っていた。
それとほぼ同時に――――ベンチに腰掛けていた俺と彩莉は、
その児童公園から姿を消した。
「ひゃうっ」
「おっと」
気付けば、尻餅。
それも【予約移動】の欠点の一つだ。
なにしろ、正確な距離を調べない限り、移動する瞬間までの秒単位の時間はわからない。
その手間を思えば、尻餅程度はどうって事もないしな。
「うう……また、瞬間移動の瞬間がわかりませんでしたー。次こそはー」
彩莉は妙なところに情熱を燃やしていた。
そんな彼女が住む場所は――――まるで病院のように見えた。
広い駐車場を経た先に聳え立つ白く大きな建築物は、とてもマンションや
アパートには思えない。
この子は、もしかして――――
「……彩莉。ここは病院なのか?」
「え? 違いますよ?」
幸いにも、この施設の門前には街灯が立っていた。
だから俺は、その瞬間の彩莉の表情を知る術を得た。
彼女は――――惚ける様子もなく、自然な顔で否定していた。
そして俺はと言うと、病院じゃないって言うその事実に、安堵を覚えていた。
まだ、接した時間は累計数時間程度の、小さい女の子に対して、俺は感情移入をしていた。
それはきっと、俺が他人に対して免疫がない所為だろう。
眩しいほどに素直で真っ直ぐな女の子に、ちょっと構われている事で、舞い上がっている。
良く吠える野良犬が、餌付けされて驚くほど人に懐くように、俺もまた彼女に
尻尾を振ってるんだ。
滑稽な話だけど、それは紛れもなく今の俺の真実。
だから俺は、例え助けにならないとしても――――彩莉との共闘を選んだ。
何の形もない、そんな絆を求めて。
「そっか。じゃ、また明日」
「はい。明日四時、ここでお待ちしています」
彩莉は、俺に向けて何度も手を振り、闇に映える白い建築物へと飲み込まれるように
歩いて行った。
既に、俺自身の帰る場所へのテレポートは予約済み。
後10分もしない内に移動する事になる。
それまでの間、俺は特にやる事もなく、彩莉の住む場所を漫然と眺めていた。
病院じゃないと言う彼女の言葉を信じるなら、両親が勤めている場所か何かだと
推測できる。
でもそれは、あくまでも推測。
本気で知りたいなら、『BCL総合支援センター』と言う名称を頼りに、調べるしかない。
携帯を取り出し、その言葉で検索に掛けてみる。
結果――――固有名詞として、この言葉が使われているサイトは、
一つも見つからなかった。
確かに、ここに存在しているのに。
「……」
一瞬、背筋が凍るような感覚が生まれる。
正式名称じゃないのか、それともネット上で取り上げられる事もない、
無名の施設なのか。
何にしても、真っ当な施設じゃない事は確かだ。
もしかしたら――――彩莉の異能力を調べている研究機関、なんて事も
あり得るかもしれない。
明日、それとなく聞いてみよう。
そう考えがまとまった刹那、俺の身体は音もなく、その場から消え去った。
1億円先着ゲーム『OHM-G』に参加する事が決定し、4日後の朝。
「ただいまご紹介に与りました、亥野本生命です。宜しくお願い致します」
そんな飾り気のない挨拶と共に、俺は新しく通う事になった学校へ無事
登校を果たしていた。
転校慣れしてる手前、そのクラスの雰囲気ってのは挨拶に対するリアクションで大体わかる。
ここは結構、フレンドリーだ。
担任の先生も感じ良いし、環境としては悪くない。
ただ、一つ――――
「亥野本の席は……一番後ろの窓際だ。特等席だぞ、良かったな。
それじゃ御子柴、今日はお前が教科書を見せてやってくれ」
その御子柴と言う女子が、とっても見覚えのある『ポニー女』だと言う事以外は。
「……これ、一体何のつもり? 嫌がらせにしては、そっちも引きつってるけど。顔」
「要するに、ふざけた偶然って事だろ」
ポニー女改め御子柴は、目付きの悪い顔を更にしかめて、何度も溜息を吐いていた。
全く……性質の悪い冗談だ。
もしこの女が俺の素性を貰えば、転校初日でまた転校だ。
つっても、向こうも同じ穴の狢である以上、それはあり得ないんだけど。
「そんじゃ御子柴。どうせだから、お前が校内を案内してやれ」
「……はぁ?」
担任の悪ふざけに満ちた提案に、クラス中から冷やかしの声が上がる。
こう言う雰囲気は、正直余り好みじゃない。
とは言え、これもある種のお約束。
転校生が受ける洗礼の一部と考えれば、甘んじて受けるしかない。
と言う訳で――――昼休み。
俺は数日前に散々こき下ろされた女に、案内をして貰う事となったんだが。
「……どうしていきなり、屋上手前の踊り場なんだよ」
「ここは人が来ないから、都合が良い。そんな事もわからない?
そう言う話をする為って、いちいち注釈が必要なの?」
だったら別に最後でも良さそうなものだけど、指摘する度に倍返しを食らいそうなんで、
大人しくその『密談』とやらに耳を傾ける事にした。
ロクな話じゃないのは目に見えてるけど。
「一応念を押すけど。組織の監視とか、そう言う古臭い目的じゃ……」
「時期外れの転校ってだけだ。理由も大体わかるだろ?」
「ヘマ打ったって事だろ? 何偉そうに言ってんだか」
嘲笑しつつ、御子柴は肩を竦めていた。
年齢が6つ違うとは言え、彩莉と同じ女とは思えない性格の悪さだけど、
個人のパーソナリティに難癖つけるつもりもない。
それに、性格が捻くれる気持ちも、少しは理解出来る。
彩莉が例外ってだけで、異能力者ってのは、総じてそう言う傾向が
あるんじゃないだろうか。
「で、参加すんの? あのゲーム」
御子柴は笑みを消し、手すりに寄りかかりながら、鋭い視線を向けて来る。
「もう申請した。色々胡散臭いところは多いけど、普通の人間に戻れるチャンスなんて
今後ないだろうからな」
「別に手前さんの意見なんてどうでも良いんだけど、あの子も一緒なの?」
だったら最初から『あの女の子は参加するのか』って聞けよ。
『どうでも言いけど』って言いたいだけじゃないのか? 性格悪いな。
「……何でそんな事を気にするんだよ」
「質問に答えてから質問するのが人としての礼儀じゃないの?」
「礼儀を語るなら、まずその口の悪さを改めるんだな。少なくとも、今の時点でアンタに
何かを教えようと言う気にはなれないし、案内もここで結構」
別にこの程度のやり取りで腹を立ててる訳じゃないが、こっちの動向を探ろうって魂胆が
ミエミエなんで、ここで話を打ち切る事にした。
気持ちはわかる。
競争する以上、競争相手の情報は欲しいし、場合によっては妨害も必要になってくる。
まして、彩莉のような小学生と組むとなれば、その彩莉の能力に俺が大きな価値を見出したと
推測するのは当然。
だから、彩莉を気にするのも当然だ。
「……あの子は何も知らない。それだけは忠告しておく」
特に引き止める気はないのか、御子柴は腕組みしながら睨んできた。
そう言えば、初対面時にも彩莉の事を気にかけてたな。
以前も感じた事だけど……ゲームとは関係ないところで、あの子に対して
感情移入してるのか?
「もしあの子に何かあったら、私はお前を殺す」
それは――――俺の推測に対する明確な回答だった。
「殺す、か。穏やかじゃないな、どうにも」
「お前があの子の害になると判断したら、即座に潰しに掛かるから。覚悟しとけ」
「そこまであいつに拘る理由は、聞いても良いのか?」
そんな俺の質問に対し、御子柴は鼻で笑い――――そのまま階段を下りていった。
ま、こっちも答えなかった手前、避難できる立場じゃない。
何にしても……厄介な展開になっちまった。
あの女がもし、殺傷能力を有した異能力を持ってるとしたら、
今の俺はまさに、喉元に凶器を突きつけられた状態だ。
もし、俺の持つ異能が自由意志で瞬時にテレポートできる能力だったら、
それでも何とかなるんだけど、実際にはそうも行かない。
改めて、使い勝手の悪い能力だと自覚せざるを得なかった。
ただ――――
ひとつだけラッキーな事があるとすれば、それは初日にして
人気のない場所を知る事が出来た、と言う点。
この学校、ちょっと前までは屋上が溜まり場になってたものの、その屋上で
虐めがあったとかで大々的な取締りが行われ、屋上へ続く扉は閉鎖され、今では
近付く生徒もいないらしい。
つまり、【予約移動】を実行する場所としては、最適だ。
この学校から、彩莉の住んでいると言う『BCL総合支援センター』までの直線距離は、
およそ50km。
秒速7mで、1時間25kmの距離を進めるから、50kmなら予約後に約2時間で
テレポートが実行される。
つまり、2時の時点で予約を入れて、4時にあの踊り場へ行けば良い。
ホームルームが終わるのは3時半だから、放課後30分時間を潰して、移動。
こんな簡単な事はない――――筈だった。
「……いや、だから部活に入る意思はないんだって」
にも拘らず、俺はというと、残り3時55分の段階でまだ教室にいた。
理由は、部活の勧誘。
クラスメートの二人から、猛烈な勢いで入部届けを突きつけられている。
「そこを何とかお願いしますわ! わたくし達『諜報部』が部として認められる瀬戸際ですの!」
「御嬢様が立ち上げた『諜報部』は、この学校の暗部を暴き、権力者の横暴を制する為の
いわば抑制装置。それが同好会に甘んじているのは、不憫でなりません。是非、入部を」
どうやら、何処かの家の御嬢様と、その執事と言う関係らしい。
そんな両名がスパイ活動に興味を持って、学生の身分で諜報活動を企てていると言うのは、
世間的には割と珍事なのかもしれないが、俺の人生においてはどうでも良い事だ。
何より、時間がない。
「あ、そう言えば……御子柴が『私、御子柴。フェアウェル事件にとても興味がある
高校二年生なのよっ』とか自己紹介してきたな」
「……それがどうかしまして?」
「フェアウェル事件とは、20世紀屈指のスパイ事件として映画化もされた超メジャーな
事件でございます」
「まあ! それなら御子柴さんとコンタクトアゴーゴーですわ!」
勧誘の矛先は俺から御子柴へと向いた模様。
嬉々として教室を出て行く御嬢様と、その後を追う執事のドタバタ劇を尻目に、
俺は時間を気にしつつ例の踊り場へと向かった。
そんなこんなありつつ――――
「……御子柴さん、ですか?」
彩莉と合流し、最寄のバーガー店で注文したメニューを待つ最中、俺はあの女に関する
質問をぶつけてみた。
あれだけ固執してるんなら、知り合いって可能性もある。
「すいません。ちょっと待って下さい。取り出してみます」
そんな俺の突拍子もない質問に対し、彩莉は奇妙な物言いで返して来た。
以前言っていた『おもちゃ箱』の中から、記憶を取り出すという意味なんだろう。
普通、人間の脳は『嫌な事』や『取るに足らない事』を忘却する事で、精神的な安定を試みる。
それはいわゆる自己防衛本能だ。
彩莉の記憶仕分け能力は、その本能を自己制御できるって事になる。
便利な反面、怖さもある。
本来忘れるべき事を思い出してしまう可能性があるんだから――――
「あっ、出てきました。彩莉が3歳の頃です」
「そんな昔の記憶も取り出せるのか? 凄いな」
「そ、そうですか? えへへ」
彩莉ははにかみつつ、御子柴の事を語り始めた。
子供の頃、近所にいた年上の女子――――御子柴心。
当時は、彩莉もこの場所じゃなく、普通の住宅街に住んでいて、そこで知り合ったらしい。
良く遊んでもらった優しいお姉さん。
それが、彩莉の記憶の中にいる御子柴、だそうな。
「……それだけ?」
「はい。一緒にお砂遊びして貰ったりしました。楽しかったです」
それだけで、あんなに彩莉に対して執着するとは思えない。
とは言え、これ以上あの女の事に時間を割いても仕方ない。
「そっか。それじゃ、この件は終わり。本題に入ろう」
丁度、彩莉が頼んだバニラシェイクが届いたところで、俺は場を引き締めた。
彩莉もそれを感じ取ったのか、喉を鳴らし、緊張感を漂わせる。
それを確認し、俺は重要事項を伝えた。
「いよいよですねっ」
「ああ。まず一つ、言っておきたい事がある」
「どきどき」
好奇心旺盛な顔で、彩莉はバニラシェイクにも手を付けず、俺に目を向けている。
俺はそんな少女に、素直な言葉を贈った。
「1億円を稼ぐ方法だけど、全くサッパリこれっぽっちも思い浮かばない。どうしよう」
彩莉はバニラシェイクをちゅーちゅー吸い始めた。
『OHM-G』への参加を申請してから一週間。
俺はと言うと、ずっと金を稼ぐ方法ばかりを考えていた。
困った事に、俺の【予約移動】って能力は、金を稼ぐ事には適していない。
テレポートでお金を生み出すとなると、考え得るのは……強盗とか、その手のものばかり。
しかも、細かい場所の指定が出来ないから、せいぜいアリバイ作りくらいにしか使えない。
一方、彩莉の能力もまた、金を生み出すのに役立ちそうにない。
記憶の机、とでも言うのか――――そう言うものがあるとしても、それで
1億円を稼ぐ方法は、少なくとも現時点では全然浮かばない。
そして今日も、彩莉と合流し、最寄の図書館でその方法を考え、唸り、悶えている。
「彩莉は考えましたっ」
そんな中、対面にちょこんと着席していた彩莉が突然、覚醒でもしたかのように
クワッと目を見開いて、挙手して来た。
「1億円を貰える方法、考えましたっ。いっぱい考えましたっ。そして見つけましたっ」
「そ、そうか。そんじゃ聞かせてくれ」
恐らく、俺が小難しい顔をしていた事を気にして、明るく振舞ってるんだろう。
小学生に気を使われる男――――それがこの俺、亥野本生命だ。
畜生。
「賞金が1億円出るクイズ番組で、優勝する事ですっ」
強気笑いを浮かべつつ、彩莉は高らかに宣言した。
両手を胸の前でグッと握り、元気いっぱいのポーズ。
そして――――暫くそのまま固まっていた。
「……冗談なのか本気なのか、判断に困るんだが」
「彩莉は本気です。本気の提案です。あのですねっ、クイズ番組だったら、
彩莉は自信があります。優勝する自信があります。だから、どうでしょうかっ」
おっ、このキラキラした目は……本気か。
なら、本気で答えなきゃなるまい。
「大却下だ!」
「大却下ですかっ!? んむーあーあーっ」
彩莉は良くわからない悲鳴と共に、机に突っ伏した。
「まず、賞金1億円のクイズ番組なんて、日本には存在しない。次に、
クイズ番組の賞金は優勝してから実際にお金を振り込んで貰えるまで、結構時間が掛かる。
しかも一時所得だから、税金の対象にもなって、40%の税金が発生する。
1億の場合、4,000万円の税金が徴収……税金を取られるから、借金地獄だ」
「よ、よんせんまんえんですかっ」
「そうだ。能力消去と引き換えに、4000万円の借金を背負う事になる。
その先にあるのは絶望だ」
俺の回答に、彩莉はガクリと項垂れた。
この一週間で、俺はこの辺の知識に対して、やけに詳しくなってしまった。
ちなみに、競馬の配当金なんかも一時所得に該当するから、同じように所得税が発生。
保険金に関しても、所得税か贈与税か相続税が掛かるらしい。
税金ってのが、一つの大きな障害になるって事がわかった。
「それじゃ税金が掛からないで、1億円を貰える方法を探しますねっ」
俺の説明を一通り受けた彩莉は、決意を新たにテーブルに積んだ本を漁り始めた。
挫けないなー。
若さって眩しい。
「一応、税金が掛からない方法は、あるにはあるんだ」
「えっ。あるんですか?」
そう、ある。それは――――
「……宝くじ」
俺は、蚊の鳴くような声で答えた。
いや、実際に宝くじは非課税で、1億だろうが三億だろうが、
一切税金は掛からない。
ただし、当たればの話だ。
「そ、それは……」
そして、その当選確率がどの程度かっていうのは、小学生である彩莉ですら、
ある程度は把握しているらしい『常識』。
実際、数あるギャンブルの中でも、トップクラスの控除率を誇る。
ちなみに、控除率ってのはギャンブルの胴元の取り分。
要は、控除率が高い程、買う側が儲からないと言う事だ。
宝くじはその観点で言えば、この上なく効率が悪い。
「例えば年末のおっきな宝くじで1億円以上が当たる確率は、『一等の二億円が当たる』
0.00001%と、『二等の1億円が当たる』確率』0.00003%を足した0.00004%。
前後賞をバラで二枚同時に当てる可能性は……流石に考慮する必要はないから、
この0.00004%ってのが最終的な確率かな」
「0.00004%……1%が100枚買って1枚当たるから、えっと……250万枚買えば
当たる、って計算になりますね」
「計算早いな。彩莉、算数得意?」
「え、えっと……どうでしょう」
たはは、と言う感じで、彩莉は苦笑いしていた。
計算はそれで合ってる。
つまり、250万×300円=7億5000万円分買えば、1億円確実に当たるって訳だ。
7500万円使って、10分の1の確率。
「はっはっは」
「あは……ははは」
彩莉は俺に気を使うように、空笑いをしていた。
まあ――――実際問題、お金を稼ぐって言うのは、そう簡単な事じゃない訳で。
まして1億円。
しかも、他の連中より早くと言う制限もある。
こうなると、手段ってのはホントに限られてくる。
なにしろ、地道に働いて稼ぐ為には、余りに額が高い。
俺が現在就ける仕事で、最も時給が良く、かつ1億溜まるまで継続可能な仕事となると、
思いつくのは――――カニ漁船、治験、ホストくらい。
全部、非現実的だ。
そうなってくると、やっぱりギャンブルで一発逆転を狙うしかないんだろうか。
一応、現状を分析してみると、現時点で誰かが既にゴールに近付いていると言う
可能性は低い、と俺は睨んでいる。
あの【クローズ】って連中は、俺の能力や住んでる場所を知っていた。
恐らく、殆どの情報を調べてるんだろう。
その上で、1億円稼ぐゲーム『OHM-G』ってのを提案した。
ゲームって言うのは、ある程度プレイヤーの条件が一律である事が、
成立する上での最低条件だ。
もし、参加者の誰かが飛び抜けた経済力を持っている、若しくは
あっと言う間に1億稼げるような仕事に就いていたなら、ゲームなんて方式は
最初から取らず、その『誰か』だけに接触し、話を持ちかけるだろう。
競争させる事で、1億円と言うお金を生み出す。
それが狙いなら、当然ながら全員が大した経済力を有していない事が
前提条件としてある筈だ。
だから、それ程焦ってはいない。
とは言え、学生である俺が他の社会人の連中より不利な立場にいる事は確か。
焦燥はなくても、悠長としていられる余裕もない。
「それじゃ、今日はこれまで」
――――なんて事を考えている間に、俺はいつの間にか学校に通い、
いつの間にか本日の学業を終えていた。
学生の本分が完全に省略されている事に、危機感とか空虚感はない。
どの道、こんな能力を持ってる俺に、まともな人生はないんだ。
なら、勉強なんて真面目に取り組んでも、大して意味はない。
……なんて思う事自体、既に害悪なんだろうな。
「ちょっと顔、貸せ」
心中で苦笑しながら小さく息を落とした、その最中。
そんな命令口調が、聞き覚えのある女子の声で発せられていたと認識した
俺の視界を、馬の尻尾のような髪の毛が靡きもせずに横切る。
どうやら、ケンカでも売られたらしい。
御子柴、だったっけ。
隣の席になって、先日まで教科書を見せてくれていたクラスメート。
転校初日は案内するよう担任に告げられ、イヤイヤながらも引き受けていた女子。
――――と。
ここまでの情報なら、今後恋愛に発展しそうなポジションの
女なんだけれど、残念ながら実際には『敵』だ。
そして、その敵がケンカ売ってきた。
厄介な展開。
逃げる事も視野に入れておこう。
と言う訳で、予約。
ここから4km離れた所にあるペットショップの名前を、紙に記す。
これでOK。
10分後、俺はその場所へとテレポートする。
ちなみに、このペットショップは殆ど人の出入りがなく、周囲も人通りが
少ないと言う事で、人の目を気にする必要がない。
この街に幾つかある、離脱の際の便利スポットの一つだ。
「……」
教室の入り口付近で、御子柴は俺を睨みながら待っていた。
その後、特に会話もなく、俺はその背中に続き廊下を歩き始める。
会話がないのは、あの初日以降ずっと。
教科書は、俺のが届くまで律儀に見せ続けてくれたけど、それ以外の接点はなし。
ただ、視線は感じていた。
そんな観測者が足を止めたのは、その転校初日にも訪れた屋上手前の踊り場。
ま、妥当な所だ。
「で、貸した顔に何を塗るんだ?」
「泥も唾も塗る気はないけど、そう言う趣味でもあるの?」
「ねーよ。とっとと用件を言え。こう見えても、それなりに忙しいんだ」
軽口は、本題の為の準備運動。
そう言わんばかりに、御子柴は口元を少し緩めていた。
「持って回った言い方は、お互い時間の無駄だから、ハッキリ言っておくけど」
「それが持って回ってんだよ。要点だけ言え」
「……巳年後彩莉とは、まだ行動を共にしてるのか?」
そして、改めて聞いてきた事はと言うと、彩莉の事だった。
以前も、その前も、この女は彩莉に対する拘りを執拗に見せている。
この女と彩莉の接点は、彩莉の記憶のおもちゃ箱に入っていたと言う
『七年前の知り合い』、と言う一点のみ。
ただ、この女の執着具合は、その範疇を越えている気がする。
ここまでくると、もう理由を聞かない訳にも行かない。
「それを答えるには、お前と彩莉との正確な関係の提示が絶対条件だ」
「……」
また噛み付かれる事を想定していた俺は、御子柴の沈黙に若干眉を潜める。
売り言葉を必ず買うタイプだと思ってたけど……違うのか。
「交換条件なら、てっきり『素性を明かせ』って言うって思ってたけど」
「お前の素性なんて、興味ねーよ」
「本当に?」
その御子柴の声が――――俺の中で、自分自身の声とシンクロした。
『本当に、アンタ等に俺の能力を消す事が出来るのか?』
OHM-Gへの参加申請を行った際。
俺は率直に、そんな質問を不知火にぶつけていた。
得た回答は、曖昧なもの。
そして同時に、妙に説得力のあるものだった。
『我々のこれまでの研究から、能力の消去方法は、それぞれの能力に応じて
異なっている事がわかっています。その為、確実に100%とは言い切れないと
言うのが実状です』
『……だったら、費用もそれぞれ変わってくるんじゃないのか?
何が費用の24.8%だよ』
『それは、我々が今までの研究で概算した平均的な数字です。あくまでも
便宜上のものですね。ただ、仮に何十億も必要だったとしても、1億以上の
請求は致しません。それは契約書にも記載していますので、御一読の程を。
疑り深いハゲ予備軍』
以上、回想終了。
確かに、そう言う一文はあった。
そして、ヘタに『絶対に大丈夫です』と言わないところには、リアリティを感じる。
とは言え、胡散臭いのも事実。
少なくとも、全面的に信用する訳には行かない。
とは言え――――連中が、俺の持っているこの異能力に関して、俺の知らない情報を
有している事は事実だし、他に消去方法がないのも、現実。
そして、仮にこのゲームで勝者になれなかった事で被るリスクも、今のところはない。
ならば、やるだけの事はやってみよう――――
以上が、俺の現時点における行動ロジックだ。
そして、このゲームに参加している以上、俺は他の参加者への関心を消す事は出来ない。
1億を稼げば良いってゲームじゃなく、誰が最初に1億を稼ぐか、と言うゲームだからだ。
当然、目の前のポニー女も、例外にはならない。
こいつが、どんな能力を持っていて、それが金を稼ぐのに適した能力かどうか、
と言う情報は、喉から手が出るほど欲しい。
「……ああ。興味ない」
でも、俺はそう念を押すように応えた。
向こうが、こっち――――彩莉に対して関心を持ってる以上、
俺の方から敢えて関心を示す必要はない。
必ず、向こうから零してくる。
それを待てば良い。
これは、もう既に争いだ。
拙いながらも、立派な情報戦。
どれだけ、こっちの情報の流出を最小限に食い止め、相手の情報を最大限引き出すか。
それが、ゲームに勝つ為のポイントになる。
「あっそ。だったら、ここで話はお仕舞い。じゃあね」
「……何?」
向こうは向こうで、そんな俺の狙いを悟っているのか、興味を失ったと言うような目で
俺を一瞥して、階段を下りていく。
ここでもし、『ちょっと待てよ』なんて言って止めれば、向こうの思う壺だ。
情報は欲しい。
けれど、今のところはこの女のパーソナルデータは、大して必要に迫られていない。
接触して来たのは向こう。
必要に迫られてるのは、御子柴の方だ。
待っていれば、必ず向こうが先に折れる筈――――
「あ、そうそう」
良し!
やっぱり、このまま去る筈がないんだ。
果たして何を言ってくる――――?
「今日……これから五分後に、ここから遠く離れた場所で、お前に悲惨な事が起こるから。
や、ご愁傷様」
そんな俺の心を見透かしているかのように、御子柴はこっちの神経を逆撫で
するかのような口調で、『予言』めいた言葉を吐いた。
当然ながら、俺の期待したものとは程遠いその内容に、暫し平常心を失う。
幸いにも、その顔を見られる事なく、御子柴は階段を下りて行ってしまったが――――
「そこに居られましたのね、御子柴さん! 今日と言う今日は、諜報部への参入を
表明すべく実印を用意してくれたと信じて馳せ参じましたわ!」
「だから何度も断っただろ!? 実印も持って来てないし部活に入る気も
一切ないんだってば!」
下のフロアから、そんな殺伐としつつも何処か長閑なやり取りが聞こえる中、
俺の視界はと言うと――――その刹那、ペットショップ【鈴の音】に移っていた。
予約移動、完了。
周囲に人の気配はなく、誰かに見られる事なく無事に跳べた。
……ま、結果的には無意味だったけど。
にしても、あの御子柴の予言は気になる。
何が気になるって、『五分後に、ここから遠く離れた場所で』って部分だ。
これは、俺の能力を知っていないと、文脈的にあり得ないものになる。
逆に言えば、知ってるからこそ言える事。
問題は――――
この『予言』が、御子柴の『異能力』なのか、単なるブラフなのかと言う点だ。
後者の場合の前提としては、俺の能力を知っていて、俺の動揺を誘う為の
引っ掛けと言う事になるんだけど……あの女は、発言の時に俺の顔を確認してなかった。
或いは、それでも俺の動揺を探れる能力を持っているのかもしれない。
ただ、これだったら別に良い。
既に知られている能力の裏付けをされたところで、大した害はない。
厄介なのは、前者の場合――――
つまり、御子柴が『予言』を言える異能力を持っている場合。
これは大問題。
この場合、本当に今から俺に『悲惨な事が起こる』訳だけど、厄介なのはそこじゃない。
あの女が『予知能力』を有している可能性がある事を意味する――――その点が問題だ。
なにしろ、予知と金稼ぎは相性最高。
競馬、競艇、ルーレット、toto……能力を活かせるギャンブルは幾らでもある。
そうなれば、この時点でもう打つ手なし、だ。
とは言え、あくまでこれは仮定の話。
本当に、俺に悲惨な事が起こった場合に限る――――
「……」
それは、突然の出来事だった。
結論から言おう。
確かに――――それは起こってしまった。
ここはペットショップの前。
例えば、足元で犬が粗相をした――――なんて不幸なら、ある程度予想も出来た。
けど、『ヘビに咬まれた』なんてのは想定外だ。
つー訳で、俺の足元にはヘビがいた。
その牙は、脹脛を見事に捉えてい――――
「……痛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
「ああっ、フランソワーズちゃん一体何処へ行ったのきゃああああああああ!?」
被害者の俺以上に大きな悲鳴が玄関口であがる中、俺はと言うと、文字通り
生命の危機に瀕していた――――
――――なんて事もなく。
「本当に、本当に申し訳ありませんでした! ひらに、ひらにーっ」
ヘコヘコと土下座を繰り返すペットショップ店員の女性を尻目に、
俺は店内にお邪魔し、消毒液の染みた脱脂綿をピンセットで摘み
患部を突っついていた。
幸いにも、毒ヘビじゃなかったんで、単なる軽傷。
とは言え、まさか人生の中でヘビに咬まれる瞬間を体験する事に
なるとは、夢にも思わなかった。
「あああ……まさか、フランソワーズちゃんが通行人を襲撃するなんて……
ど、どうしましょう……こんな、こんな不祥事……」
無理もない話ではあるが、ペットショップ【鈴の音】の店員は錯乱していた。
実際、とんでもない不祥事だ。
俺が市役所か保健所に駆け込んだら、最悪潰れるんじゃないか?
とは言え、そんなコトをしても一銭にもならない。
「安心して下さい。大事にする気はないですから。示談金1億円で手を打ちます」
「ぴきーーーーーーーーーーーーーぃ!?」
店員は白目を剥いてひきつけを起こした!
冗談のつもりだったんだけど……通じてないみたいだ。
もしかしたら、心の何処かで、『わかりました……背に腹は変えられません』なんて
答えを微かに期待してて、思わず顔に出てたのかもしれない。
ま、流石にこんな方法で1億稼いで能力を消してノーマルになれたとしても、
それ以前に人として終わってしまう。
「あ、あの……せめて、300年ローンとかにして頂けると……」
「いや、冗談ですんで。つーか四代先にまで迷惑掛けようとするな」
「冗談……よ、良かったぁ……あの、ホント、すいませんでした。
私の監督不行き届きでこのような事態に」
店員は安堵しつつ、再び土下座して謝罪を繰り返した。
その後、話の流れで『お詫びの印に店のペットをどれか一匹譲渡』と言う
コトで示談が成立。
俺としては、別にペットを飼う気はなかったんだけど……
「ぴゆぴゆ」
何故か、ヒナドリがやけに懐いて来たんで、そいつを譲り受けるコトになってしまった。
「わからないコトがあったら、何でも聞いて下さいねー。従妹に動物超詳しいコが
いますからー」
全くアテにならない店員の丸投げ発言を尻目に、鳥篭を下げて店を出る。
さて……そろそろ彩莉との合流時間だ。
予約は既に書いている。後、3分くらいで跳ぶだろう。
こう言う異能力を有してるってなもんで、俺は知らない間にほぼ完璧な体内時計を
身に付けていた。
だから、わかる。
あの女――――御子柴の予言は、的中した。
あの発言から、ヘビに咬まれたのは丁度5分後。
紛れもなく、異能力だ。
御子柴は、予知能力を持っている。
これは由々しき事態。
最悪の状況だ。
ただ、今直ぐ勝負を決すると言う事はない――――と信じたい。
もし、そんな反則じみた能力が簡単に使用できるんなら、
ゲームとして成立しない。
俺の【予約移動】同様、能力を発動させるには、何らかの制限があると
考えるのが自然だ。
それなら――――
「あ、生命さん。こんにちは」
気付けば、テレポートが発動していた。
彩莉は予め、門のところで待っていたらしい。
「あれ? そのトリカゴは……」
「ああ。これは……歩きながら話すよ」
苦笑しつつ、俺は今日の経緯を彩莉に話した。
そして、図書館に着く頃には、鳥篭の持ち主は彩莉に移っていた。
「鳥さん、かわいいですねっ。きゅーとですねっ」
「ぴゆぴゆ」
ヒナドリもまんざらではない様子。
さっきまでは俺に懐いてたのに。
ちょっとジェラシー。
「でも、良いんですか? 譲り受けたのは生命さんなのに」
「いや、引き取ってくれるんなら、そっちの方がありがたいんだ。
俺、ペットなんて飼った事ないし、ペット禁止のアパートだし」
「そうですか。それでは、生命さんの分までかわいがりますねっ」
とても嬉しそうに、彩莉は鳥篭を愛でていた。
可愛いもんだ。
こんな小さい子でも、小さい命を育てたいと思うものなんだな。
「やあ。待ってたよ、ロリロリ。共に運命を語り合う為に」
まあ……こんな大きな子でも、小さい子を愛でたいと思うくらいだ。
それと比べたら、全然健全だ。
俺等が昨日まで使っていた図書館のテーブルに、その大きな不健全野郎こと
戌井有司は、ドッカリと腰を下ろしていた。
「そんなに警戒しないで欲しいよ。何故なら、ボクはこう見えても結構繊細なんだからね。
面識のない相手ならともかく、一度無害だって証明した上で距離を置かれるのって
辛いものなんだよ」
服装は、先日見かけた時と全く同じ。
要するに、緑と白のストライプのシャツだ。
そして、その中身も当然ながら変わっていない。
彩莉を狙うロリコン。
正統な変態だ。
しかも、ここに現れたって事は、彩莉を付回していると言う事。
ストーキングだ。
ロリコン、そしてストーカー。
この場合、なんて呼べば良い?
この変態をどう表現すれば適切なんだ。
ロリストーカー?
いや……ストーキングしてるロリコンだから――――
「おい、ロリコンキング」
「王と来たか。悪くないね。語呂もドンキーコングみたいだし」
喜ばれてしまった。
大却下だ。
「彩莉を付け狙って来たのなら、とっとと失せろ。通報するぞ」
「通報してみるかい? ボクはまだ、彼女に何もしていないし、ストーカー行為に
及んだと言う事実もない。ただ、視線で彼女を愛でただけだ。この世に幼女視姦罪なんて
法律があるのなら、甘んじて自首する覚悟もあるけど、事実はそうじゃない」
これまた語呂の良い罪名だな。
実際にあっても良いくらいだ。
「勿論、ボクの脳内で毎週土曜深夜に放送中のランキング番組【マイホットエンジェルTV】
で初登場1位を獲得したロリロリを愛でに来たのは間違いない。認めるよ。
でも、用件はそれだけじゃない」
「……色々言いたい事はあるけど、そのロリロリってのは彩莉のコトなのか?」
「ろりろり……ですか?」
彩莉は自分の歪んだ愛称に怯える様子もなく、キョトンとしていた。
もし、こんな渾名を付けられてみろ。
不登校ものの大惨事だ。
「一応元ネタを明言しておくとだね、1996年から97年にかけて放送された……」
「良い。余計な事で時間を費やしたくない。用件とやらもツイッターで呟いてくれれば
後でリプライしておくから、何も言わずに消えろ」
「やだなあ。あんな胸クソ悪いだけの人間暗部吐露コミュニティなんて使わないでしょ、
キミも。そんなタイプには見えないね」
不毛なやり取りに、俺は頭を抱えたい心境になりつつも――――
同時に、この来訪者に対して少なからず共感にも似た感情を抱いてしまっていた。
勿論、性癖に関する事じゃない。
喋り方だ。
この回りくどい話し方は、歪んだ性格の持ち主ならでは。
斜に構え、世の中を俯瞰で視ているような、ちょっとした勘違いを常にいている
ヒネた心を持っている人間特有のねちっこさだ。
俺に、少し似ている――――悲しい哉、そんな事を思ってしまった。
「……あの、御用があると仰っていますし、お話だけでも聞いた方が良いと彩莉は思います」
「流石ロリ。ロリコンで歴代最高初動の133万ポイントを叩き出しただけのコトはあるロリ。
なんて話がわかる子、ロリロリロリ」
興奮した所為なのか、戌井は語尾がロリになっていた。
なんつー耳障りな癖だ。
「それじゃ、早速だけど本題に入ろう」
戌井は今更ながらに、二重作ってキリッとして来た。
「単刀直入に言う。ボクと組もう」
「コトワール」
「おおう、まるでフランス語のような拒絶。そう言えば、フランスにはロリアンって言う
中々洒落た名前の地域があって……」
「いちいち脱線するな! そしてもう会話は終了! 出て行け! そしてそのロリアンとやらで
一生暮らしてろ!」
「あの、すいません」
図書館内で大声を出した俺に、職員がおずおず近付いてきた。
「あ、申し訳ないです。ついカッとなって……」
「いえ。そうではなく……当館はペット持ち込み禁止ですので、出て行け今すぐ今すぐだ今すぐ!
私は動物が嫌いだ! だからここで働いている! それを何これ一体どう言うつもり!?
あ? コラ! どう言うつもりだ!? 私への嫌がらせか!? コラ! おいコラ!」
職員の視線の先には、さっきペットショップで貰った鳥篭があった。
と言うか、急変し過ぎだろ。
新しいオモチャ見つけた子犬か。
動物嫌いなのはわかったけど、図書館の職員としてこの対応はどうなんだ。
とは言え、原因はこっちの注意不足。
平謝りし、図書館を出る。
「はうう、はうう」
彩莉は余りの恐怖にすっかり怯え、過呼吸になりかけていた。
「……もう、ここは使えないな。大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。ちょっとビックリしましたけどどどど」
涙目で震えながら言われても説得力はないけど、ここはその強がりを尊重しよう。
「実はボク、参加者全員の異能力を既にある程度把握している」
――――それは、余りに唐突な発言。
ドタバタと外に出た直後の第一声とは思えない、平然とした戌井の声と
脈絡のない言葉に、やっぱり自分とは全く別の生物だという解釈を確立させた。
「お前な……」
「場面転換の最初の一声は、一番注目を集める。だから、このタイミングで
一番重要な事を言ったんだよ」
「聞く方が全くついて来れない、って事は考慮しないのかよ」
「一応、相手を見て対応を変えるくらいの融通は利くつもりだけどね」
変態ロリキングは、しゃらくさい返しをして来た。
何にしても……厄介な事実が判明した。
この変態の言葉が真実なら、こいつは間違いなく『OHM-G』の鍵を握る存在って事になる。
「さて。小学生のロリロリに立ち話など、紳士たるボクの所望するところではない。
場所を移動するとしよう。この辺りに児童公園はないかね」
「言葉遣いを変えても、変態紳士以外にはなれないぞ、お前は」
「あの……彩莉は、立ち話でも大丈夫です」
エアカイゼル髭を撫でる戌井に対し、彩莉は殊勝にもそんな事を言い出した。
前々から思っていたけど……この子は色んな意味でアンバランスだ。
普段の振る舞いや言動は、実年齢(推測)より少し幼いように思える。
一方、他人との接し方は、逆の意味で年齢不相応。
必要以上に気を使っているように感じる。
性格的なものなのか、生い立ちや環境がそうさせているのか。
無理をしてないのなら良いが。
「……うおお」
その言葉を受け、戌井は泣いていた。
ガン泣き。
こっちはドン引きだ。
「2週目も100万ポイント突破確実!」
「煩ぇな! 良いからとっとと話を進めろよ!」
「ウイ。では、歩きながら語るとしようか」
面倒なやり取りを幾度も経て、ようやく本題に入った。
「先程も言った通り、ボクはゲームに参加してる全ての『沙者』の異能をある程度把握している。
ただし、『ある程度』。全てじゃない。キミ達に関してもそうだ。その事を踏まえた上で、
ボクのリクエストに耳を傾けてくれると、ありがたいね」
「……リクエストってのは、ボクと組もう、って言うさっきのヤツか」
「そゆ事。ちなみに、ボクは全ての参加者に同じリクエストをしている」
驚いた事に――――戌井はそんな重要事項をあっさりカミングアウトした。
「キミなら、きっと近い内に疑い、確信を持つ事項だしね。どうせバレるなら、
隠すより信頼を得る一ツールにした方が都合がいいんだよね」
「?」
彩莉は意味がわからずキョトンとしてるけど……この野郎、相当切れるな。
確かに、その方が良いだろうな。少なくとも、俺にとっては。
この変態は、俺が人間不信で人を信じない性格だって事をわかってる。
わかってて、こんな交渉方法を選択している。
どの辺りでそれを読み取ったのか。
或いは――――能力で?
この男も、異能力者の一人。
つまり、何らかの奇妙な能力を使用できる。
それを使って、全員分の異能力に関する情報を得たんだとしたら――――
「……まさか、テレパスかサイコメトラーってんじゃないだろな」
「瞬時にその結論を出したのは、キミで三人目だよ」
つまり――――カマ掛けは無駄、と言いたいんだろう。
自分がどんな能力を持っているか、と言う情報は、各人が抱える『OHM-G』における
最重要機密。
当然、あっさり口を割るとは思っていない。
ただ、反応まで見せないと言うのは、正直計算外だ。
こいつ……性癖だけじゃなく、頭の回転の方も相当に厄介だな。
敵に回すと、色んな意味でロクでもない事になりそうだ。
「ボクがどんな方法で情報を得ているのかは、言わない。ただ、確実に言えるのは、
ボクはキミ達を含む全ての参加者の情報をある程度得ていると言う事。そして、その全員に
アプローチをしていると言う事。キミ達を最後にしたのは、少し特別な交渉を試みるつもりだからさ」
「……特別、ですか?」
話を理解しているとは思えないが、彩莉が会話に入ってくる。
「そう。特別な。理由は当然キミさ、マイスイートロリー」
「……他の連中の情報を流すから、代わりに彩莉を手篭めにさせろ、って言うリクエストなら
即刻却下だ」
「ボクをその辺の幼女専門性犯罪者と同一視しないで欲しいね。ボクはあくまでも視て愛でる。
話して愛でる。スレないで育つのを期待し愛でる。特に最後のは重要。性犯罪者は
その一時の輝きだけを欲望の対象とするクズだ。ボクは違う。その子の老後まで想像し、
それを愛する。これが正しいロリコンの姿なんだよ!」
「知るか」
延々と綴られるロリコン観にノる気はない。
彩莉も、褒められて喜ぶべきなのか、恐怖すべきなのか判断できない様子で、
やたら戸惑っていた。
「と言う訳で、ボクに害はない。誓っていい。もしボクがロリロリに性的な接触を
試みようと言う素振りでも見せようものなら、通報してくれて一向に構わない。
その時の為に、ボク直筆の脅迫状を書いておいてもいい」
つまり――――それを証拠にしてくれて良い、と言う事らしい。
とは言え、そんな証拠なんて細工次第でどうとでもできる。
この変態を、彩莉の近くに置くのは余りに危険だ。
「あの、彩莉は大丈夫です。生命さんのお好きなようにして下さい」
「……彩莉」
俺は、自分の危険を顧みず、あくまで俺に尽くそうとする小学生に対し――――
怒りを覚えた。
自己犠牲なんてのは、それを向けられる側にとっては、決して良いものじゃない。
「そう言う事は二度と言うな。約束だ」
「え? ど、どうしてですか?」
「それは、自分で考えて、ちゃんとした答えを見つけろ。採点はいつでもしてやる」
俺のそんな言葉に対し――――彩莉じゃなく、戌井の方が先に反応を見せた。
と言うか、握手を求められた。
「素晴らしい。甘やかさず、突き放さず……なんと言う絶妙な対応。
君も立派なロリコンだと認めよう」
「誰がロリコンだ! どこにそんな要素があった!?」
「隠しても、ボクにはわかる。キミは幼女を真の意味で愛でられる
ロリータ・コンプリーターだ」
ロリコンの定義を勝手に変えるなよ。
それ以前に、コンプリートした覚えは欠片もないっつーの。
「運命の女神と、同志。これはスゴイ組み合わせだ。改めて言うよ。ボクと組もう。
相応の見返りを用意するつもりだ」
「嫌だ。お前、生理的に無理」
「ぐはっ」
戌井はダメージを受けた!
意外な言葉が利いたな。
「……あの、彩莉も一つ聞いて良いでしょうか?」
そんな瀕死の変態に、彩莉が救いの手を差し伸べる。
弱った者へ駆け寄るのは、生物の本能。
なんとなく、そんな事を思った。
「戌井さんは、彩莉の能力もわかっておられるのでしょうか」
「……」
驚いた事に――――戌井は即答せず、それまで向けていた彩莉への眼差しとは
違う種類の目を、小学生の女子に対して向けた。
それが何を意味するのかは、わからないけど。
「正直言うと……ロリロリの能力は、少し難しい、かな」
そして、言葉を詰まらせながら、歯切れの悪い回答をする。
俺に聞かせたくなかったのか、彩莉に聞かせたくなかったのか。
何にしても、その反応は、この男が俺の全く手の届かない場所にいる訳じゃないと言う
証とも言えるものだった。
リスクはある。
罠かもしれない。
生理的にもキツい。
ただ、『利用可能』と言う判定が自分の中で出た以上、健闘の余地はある。
「戌井。条件だ」
俺は、結論を出した。
「彩莉と一対一で接しない事。常に、俺のいる範囲で視界に納めるようにしろ。
それを遵守する事が出来るんなら、その先の交渉に進む為のドアを開く」
この野郎が性犯罪者レベルの悪質な変態なら、手を組む事を拒む事で逆上し、
彩莉に危険が及ぶと言う可能性もある。
だから、手を組むか否かと言う判断において、彩莉に及ぶリスクは一切変動なし。
俺が拒否を続けていたのは、釘を刺す為。
今出した条件にしても、抑止力の為だ。
「了解したよ。それで構わない。同志」
「同志言うな。それも前提条件だ」
「わかったよ」
斯くして、初期交渉は無事成立。
俺と彩莉は、戌井有司と組む事になった。
「あらためて宜しく、ロリロリ。ボクのコトは『セブンティーン戌井』か
『ロリコンキング』と呼んでくれ」
「そっちを気に入ったのかよ……」
当然、彩莉はどっちも拒否する旨の苦笑を浮かべた。
さて――――そんな無駄話はさて置き。
この戌井、一言でいえば『情報屋』らしい。
異能力を使って、個人の情報を得る。
ただ、その能力に関しては秘密。
それが、戌井の出してきた条件その1。
2つ目は、彩莉を定期的に眺めに来ることへの許可。
ここまでは、既に話に出ていた通り。
問題の3つ目だが――――
「情報をお金で買って欲しい。理由は言わなくても明白だよね」
つまり、1億稼ぐ為の手段、と言う訳だ。
敢えて参加者をクライアントに招いているのは、御互いの情報を知りたがっているから。
情報の売買がし易い、と言う事なんだろう。
俺等にしても、情報は必要だ。
例え、1億溜まるのが遅れるとしても、それ以上の価値のある情報なら、
それを得る必要がある。
競争ってのは、そう言うものだ。
「情報料の相場は?」
「その都度、口で言うよ。情報は生物だからさ。鮮度で値段は大きく変わる。例えば、今直ぐに
各人の異能力に関する情報が欲しいのなら、1人あたり……平均100万円、ってトコかな」
高い、とも言い切れない値段だった。
とは言え――――
「俺等は学生だ。彩莉に到っては、経済力は皆無に等しい。100万も、そう簡単には
集められないだろうよ。それでも良いのか?」
「勿論、構わないよ。1億稼ぐ気なんだろう? なら、お金が集まらない筈がない。
今の身分とか貯金なんて、意味はないのさ。キミ達が稼ぐのは、これからなんだから」
要するに――――仮に俺等から回収できなくても、他のクライアントに稼いで貰えばいい、
と言う事なんだろう。
コイツの立ち位置は、実に巧妙だ。
この変態を勝たせたくなければ、情報を買わないようにする必要がある。
でも、自分が幾ら不買運動をしても、他の連中が購入すれば、それは対したペナルティには
なり得ない。
この考えを、クライアントとなった全員が持ったならば――――戌井の収入が途絶える事はない。
俺と彩莉をセットで考えると、戌井以外の参加者は6組。
最大で約6億円の資金源から、1億を搾り取る。
巧妙、かつ現実的な方法だ。
コイツを勝たせない方法も、練らなくちゃならないだろうな。
「取り敢えず、2つの情報をキミ達に提示するよ。普通は1つだけど、2人だから2つ。
こちらの情報の信憑性を確認する為のものだから、内容は大したものじゃないけどね。
料金は……お試しコース、2つで1,000円ってトコでどうかな?」
「……それでOKだ。契約しよう」
俺は彩莉に目で確認を取った後、交渉を成立させた。
1000円くらいは、流石に持ち合わせてる。
「GOOD! それじゃ、最初はクローズに関する情報を。彼らは既に、複数の『沙者』の
能力除去に成功している」
「……何?」
その情報は、500円分としては余りにも大きいものだった。
「一例として、過去に『パイロキネシス』の発火能力を除去した実績がある。
その時は、278回の皮膚移植手術を施したらしいよ。これで異能力は消えたみたいだね」
パイロキネシス――――火を操る能力者。
戦闘面ではとても優秀だけど、実生活では大して役に立たない能力の典型だ。
自然発火の要因とも言われていて、そう言う意味では消したいと思う当人の気持ちはよくわかる。
にしても……278回の皮膚移植手術か。
妙に説得力のある情報だ。
「これは、調べれば直ぐにわかる情報だから、格安での提供となってるんだよね。クローズの連中が
敢えてこの例を言わなかったのは……ボクと真逆の手法で、同じ成果を得たかったんだろうね」
つまり、信頼を得る為の手段。
自慢、自己主張をしない事で、奥ゆかしさを演出。信用を得る。
日本人には有効な方法だ。
「そしてもう一つは……御子柴心に関する情報を。彼女は、過去にロリロリと接点がある。
キミ達に役立つ情報じゃないけどね」
情報の信憑性を図る上でのご提供――――そう言う事らしい。
彩莉と御子柴の過去の関係を知るのは、当人同士と俺の他は、殆ど皆無の筈。
つまり、戌井はそう言う情報も入手できる――――そう言う事になる。
能力を使っている以上、驚きはしない。
だからこそ、契約したんだしな。
「連絡先を教えておくよ。聞きたい情報があったら、ここにTELかメールを宜しく。
その日の内に見積書を発行するから」
戌井は飄々とそう唱え、名刺なんぞ出してきた。
そして――――
「あでゅー、ロリロリ」
ニコニコした顔で、路上に止まっていた原付に乗り、去って行った。
盗難じゃないんなら、ここまで計算通りだったって事になる。
「……やっぱり、選択誤ったか?」
思わず、そんな事を呟きたくもなる。
あれは、変態っつーより悪魔だ。色んな意味で。
「彩莉は、これで良かったと思います。情報、大事ですから」
「そう思って貰うのは嬉しいけど」
「一歩前進です! ねっ、ピッピ」
鳥篭を掲げ、彩莉は声高に叫ぶ。
いつの間にか名前が決まっていたらしい。
「ぴゆゆゆゆ」
ピッピと名づけられたヒヨドリは、何処か誇らしげに囀っていた。
とは言え。
先立つものがなければ情報も買えない。
結局のところ、俺達の課題は何一つ変わっていなかった。
「取り敢えず、宿題だな。明日までに、短期間でお金を稼ぐ方法を考えてこよう。
彩莉はヒヨドリの飼い方を調べて来る事」
「生命さん。この子はピッピです」
「……ピッピのエサとか、ちゃんと調べて来る事」
と言う訳で。
翌日の俺はと言うと、授業もそっちのけで、ずっと金稼ぎの方法ばかりを考えていた。
もし、俺が善人、或いは普通の感性の人間だったなら、こんな汚い日常に嫌気が差して、
自己嫌悪に陥る事だろう。
そう言う意味で、俺はこの『OHM-G』ってゲームには向いてるのかもしれない。
社会不適合者だからな。
そんな俺が、あの子と――――彩莉と組むのには、抵抗があった。
どうして俺は、あの子と馴れ合う事を選んだんだろう?
理由付けはした。
彩莉がそれを望むから。
あの変態野郎、戌井の魔の手から守る為。
今も、それに変化はない。
ただ――――『俺』なら、それを全て踏みにじる事が出来る。
少なくとも、俺はそうされて来た。
――――超能力者=気味の悪い奴
そんな構図が、当たり前のように成り立っているこの世界で、俺は当然のように
迫害を受けてきた。
初めてテレポートを見られた時の、クラスメートの反応。
それは――――実は、とても楽な方だった。
驚かれた。
騒然となった。
……全然。
そんなの、全然問題ない。
大人に言われた言葉に比べれば、なんて事ない。
『君は悪くないんだ。でもね、子供と言うのは、素直に思った事を言ってしまうから』
『あのね。先生は良いの。でもね、亥野本くんのお友達は、違うかもしれないよね?
だから、わかるよね?』
『君の気持ちを尊重したい。ここに留まるか、それとも別の学校に行くか。
君が決めてくれて良いんだ。君の決定を尊重しよう』
何度も。
何度も、何度も、何度も何度もなんどもナンドモ。
そんな事を言われて来た。
正直、気が狂いそうになる事もあった。
だって、そうだろう?
迷惑だからどっか行ってくれ――――それすらも、俺は言って貰えないんだから。
俺は悪くない、悪いのは能力。
――――その能力も含めての俺だと言うのに。
俺は悪くない、悪いのは子供故の周囲の反応。
――――本当に困るのは、果たして誰なのかな?
俺は悪くない、だから自由に選んで良い。
――――選ばせる、と言う体裁を整えているに過ぎないよな?
結局、誰も俺を『自分の責任』で排除しようとする大人はいなかった。
同級生達は、周囲の空気を感じ取って、右へ倣えで俺を気味悪がる。
誰も、俺と一対一で接しようとはしなかった。
異端ってのは、そう言うものなのかもしれない。
きっと、この世には色んな異端がいる。
身体的な異端。
知能的な異端。
血筋的な異端。
俺もまた、その中の一つ。
それに気付いたのは、小学生高学年の頃だった。
それから、俺は人を信じられなくなった。
信じる意味を失ってしまった。
だから――――俺には、それが出来る。
彩莉を、突き放す事が。
自分もそうされたように、自分の責任を放棄して、彩莉を排除する事が出来る。
俺の人生において、その方法は何度となく習ってきたんだから。
出来る筈。
なのに――――
「……どう言う事、ですの?」
どう言う事なんだろう、本当に。
ふと、教室の時計に目を向けようとすると、それを妨害するかのように、目の前に
お嬢様の黒く長い髪が見えた。
お嬢様って言うと、金髪がデフォのような気もするんだけど、それは今はどうでも良い。
「いきなりそんな疑問系で迫られても、対応に困る」
「御子柴さん、ファラウェイ事件に関して全く存じ上げていないとの事です!
これは一体、どう言うですの!?」
ああ、その件か。
「御嬢様、フェアウェル事件で御座います。それでは愛の逃避行です」
「あら失礼。フェアウェイ事件に関して、全く存じ上げていないとの!」
「それだとゴルフボール直撃殺人事件だろ」
「……ぐぬぬ」
お嬢様は横文字が苦手の模様。
ますますイメージとかけ離れていくな。
「と、とにかく! こうなった以上、やはり貴方に加入を要請しますわ!
亥野本生命、我が諜報部に加入なさい!」
「名前が嫌だ」
「な、何ですってーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
お嬢様が錯乱した。
そんなに自信あったのか、諜報部って名前に。
「や、やはりラブリーに『密偵・工作部』か『秘密捜査部』にしておくべきでしたかしら……」
「御嬢様は実に生粋の日本愛をお持ちです」
そう言う問題でもないと思うんだが……
ったく、面倒だな。
どうやって追い払おうか――――
「くうっ。ここで部になれなければ、折角追い求めていた『生徒会長横領事件』と
『理事長埋蔵金事件』が、両方ともお蔵入りになってしまいますわっ」
「ところで、入部届けの印鑑って実印じゃなくても大丈夫なのかな」
「……は?」
と言う訳で、俺は人生初となる部活動に勤しむ事となった。