『千里ヶ丘高等学校』。

 現在、俺が通っている高校の名前――――らしい。
 なにせ、これまで数多くの学校に通ってきたから、いちいち名前を覚える事も
 止めてしまっていた。
 そんな『千里ヶ丘高等学校』には、多くの学校に存在している『七不思議』が
 例に漏れず存在するそうな。
 そして、その内の五つが、既に解決されている。
 それを実現したのが、俺を諜報部へと招き入れた『御嬢様』こと
 酉村咲誇と言う名前の女子――――ではなく、その姉。
 彼女はそんな優秀な姉の後を継ぎ、全ての七不思議を解決すべく、立ち上がったらしい。
 執事がいるくらいだから、当然金持ち――――だと思ってたんだけど、
 これまた違うとの事。

 ごく普通の、ごくありふれた、ごくノーマルな家に生まれた女子生徒。

 探偵まがいの行為に大変興味があり、しかもイリーガルな方面に憧れを抱いている
 と言う点を除けば、姉の事を尊敬する、何処にでもある平凡な家庭の女子だと。
 そして、そんな御嬢様を支える執事の名前は、山王堂純一郎。
 こっちの方がよっぽど由緒正しい家と言う感じの苗字だ。
 なんで、そんなヤツが一般女子の執事なんてやってんのかと言うと――――

『当時は執事がキておりました故』

 要は、流行を追いかけたらしい。
 ま、それはどうでも良い。

 重要なのは――――『理事長埋蔵金事件』。

 金を稼ぐ方法を散々考えてきた中で、この『埋蔵金』って言うのは、宝くじと
 同じ段階で思いつき、同じ段階で切り捨てた。
 ただ、実際に目の前に事件として出てきた以上、追わない訳には行かない。

 酉村……と言うか、山王堂の補足によってもたらされた情報によると、
 この『千里ヶ丘高等学校』には、先代の理事長であり、現理事長の父親でもある人が
 残した、莫大な遺産が眠っているらしい。
 ここまでなら、単なる遺産相続問題。
 しかし、先代の理事長と、その息子である現理事長は非常に仲が悪く、遺言に
『誰が貴様なんぞに金をやるかボケー。遺産は全て隠したんじゃい。ザマミロやクソ息子』
 等と記してあったそうな。
 だが、単に『遺産が息子に渡らない』と言う家庭問題では済まされなかったようだ。
 噂では、相当な額との事。
 脱税の可能性もあるとして、息子の現理事長は地検特捜部から事情聴取を受けた――――
 なんて噂もあるくらいだ。

 ただ、それが真実なのか、そうなら何処に隠してあるのか……と言う事は、
 全くわかっていない。
 そもそも、噂の域を出ない話題なんで、確かめようとする生徒もいないそうだ。
 七不思議と言うには、ミステリアスな要素が殆どない気もするが、話は大体把握した。
 個人の遺産だし、億単位の金が眠っている可能性は薄いが、既に相続開始時期から
 10年以上経過しており、遺留分侵害の可能性を考慮しても、時効は確定。
 放棄の手続きをしている可能性もある。
 隠している時点で、他に相続対象がいる筈もない。

「……相続人が全員放棄した遺産は、『相続人不存在』と言う扱いになり、
 特別縁故者、または国庫の財産となる、か」

 図書室でインターネットを使い、調べた結果、そんな知識を得た。
 ちなみに、隣には酉村と山王堂のコンビもいる。

「それはつまり、どう言う事ですの? わたくしにわかるように仰って」
「要するに、相続者がいない遺産は、内縁の妻か養子、看護者に相続される。
 そう言う関係者もいない場合は、国のお金になる、と言う事でございます」
「何ですって!? つまり、国家の財産になると言う事ですの!?」

 そう。
 だから、俺等が勝手に遺産を見つけて、勝手に所有した場合は、
 国のお金を盗んだ事になる。
 当然、犯罪だ。
 ただ、この遺産が仮にあるとして、それを合法的に俺等の物にする方法も
 あるコトはある。
 一度、国に所有権が移った後でも、相続する事の出来る範囲の人間が申請すれば、
 手続きと審査を経て、相続が可能となるらしい。
 そして、その後にその人から譲り受ければ、なんら問題はない。
 贈与税とか掛かるみたいだけど、それは仕方ない。
 が――――

「素晴らしいですわ! 国家の財産を奪う……諜報部としてのアイデンティティを
 感じますわ!」

 御嬢様はイリーガルな方向で興奮していた。
 斯く言う俺も、別に法律を遵守しようとか、そう言う意識は特にない。
 けど、この場合において、果たしてそれが賢い選択なのかと言うと、疑問もある。

「御嬢様。遺産の隠し場所を探るには、現理事長から手掛かりを得るしかありません。
 そうなると、現理事長に相続をして貰い、それを譲り受けたほうが現実的、且つ
 合理的かと存じます」
「いやですわっ! 法を犯してこその諜報部でなくて!?」

 ……こいつは困った。
 この御嬢様風ふつうの子、バカだ。
 俺としては、素直に相続をして貰って、三分割して、それでも十分構わないんだけどな。
 仮に、遺産が1,000万程度として、相続税と贈与税を引いても、300万円近い額が入る。
 1,000万をそのまま贈与税の対象にすると、税率がヤバイ事になるけど、
 三人それぞれに三分割した金額を贈与と言う形をとれば、最低限の税率で済むそうな。
 1億には程遠い額だけど、足掛かりにはなる。
 ほぼ無一文の状態で1億を稼ぐのと、300万ある状態で1億稼ぐのとでは、
 その難易度に大きな開きがある筈だ。
 と言う訳で、俺はこのおバカな御嬢様風女子を言いくるめるべく、
 姦計を探った。

「……確かに、法を犯すと言う行為は、カッコいい」
「あら、話がわかりますのね、えっと……」
「亥野本様です。御嬢様」
「そうでしたわね。亥野本。貴方は見所があってよ」
 
 上から目線の物言いも、御嬢様キャラを演じている一環と思えば、腹も立たない。

「どうも。ただ、相続人のいない遺産を掻っ攫ったって言うのは、
 正直あんまりカッコ良くないと思う。それよりは、法の網を縫うようにして
 自分の物にするって方が、カッコ良いと俺は思う」 
「それは……確かに。その方がモダンですわ。それで行きましょう」

 言葉のチョイスは良くわからないが、納得してくれたらしい。
 よし、これで一つ前進――――

「御嬢様。僭越ながら進言を。一つ懸案が御座います」
「何かしら?」
「まだ部員が足りておりません。あと一人いなければ、部にはなれませんので」

 二歩後退。
 と言う訳で、俺は部員勧誘の手伝いをするハメになった。
 お金を稼ぐって、大変。

「……と言う訳で、その苦労をわかるお前を勧誘に来た」

 俺が白羽の矢を立てたのは、校内で唯一の知人――――御子柴だった。

「は?」

 まあ、そう言う反応だよな。

「だから、諜報部に加入して欲しい、っつってんだ。もう何度もあの御嬢様っぽい
 女子に勧誘されてるから、説明は必要ないだろ?」
「……何企んでんの?」

 案の定、御子柴は借りてきた猫みたいに警戒心を顕にしていた。
 でも、そう言うのは別に気にもしない。
 俺はこの女と仲良くしようなんて欠片も思っちゃいないから。

「簡単に言えば、金儲け」
「うっわ、下衆」
「お互いにな。1億稼ぐゲームに参加するってのは、そう言う事だろ」

 真っ当な方法で稼げる額じゃないってのは、この女も十分にわかってるだろう。
 もし、この御子柴が俺への嫌悪感や部活への抵抗感で拒絶を選択するなら、
 それはそれで構わない。
 寧ろ、その方が良いかもしれない。
 その程度の志、執着心なら、ライバルにはなり得ない。

「……ま、それは否定しない」

 残念ながら、そうはならなかった。

「1億……ね。ホントに稼ぐ気?」
「そっちは違うのか?」
「もし稼げるのなら、能力消去には安いくらいの金額だけど」

 特にわざとらしい声でも顔でもなく、御子柴はそんな言葉を漏らした。
 これじゃまるで、『自分の能力では1億稼ぐのは無理』と言ってるようなもんだ。
 仕掛けてきたのか……本当にそうなのか。
 ま、本音を俺に漏らすメリットは何もない。
 なら、前者と見た方が良いんだろう。

「体験入部、って形でどう? 一山越えたら、退部できる。それならOK」
「十分だ」

 俺自身も、元よりそのつもりだしな。
 御嬢様もどきの戯れに付き合うのは、元理事長の遺産が手に入るまでだ。
 斯くして、諜報部に新たな部員が加わった。

 


 - chapter 3 -

 


「さあ! まずは理事長に話を聞きに行きますわよ!」
 部として正式に認められ、校舎の隅っこの小さい部屋を部室に宛がわれた、
 我が『諜報部』。
 その部長に就任した酉村を先頭に、理事長埋蔵金事件の調査は始まった。

 と言っても――――例えばミステリー小説のように、各地に散らばる謎を解き明かしたり、
 さながらSF小説のごとくタイムスリップして、当時の状況を目視したり……と言う事はなく。
 現理事長に話を聞く時点で、物事の9割は解決すると言う、なんとも一極集中的な事件。
 遣り甲斐と言う意味では、皆無に等しい。
 そうタカを括っていただけに――――

「どうして会う事が出来ませんの!?」

 理事長室にすら入れないと言う事態に対峙した俺は、流石に不意を突かれた。
 アポなしで突撃して来たセールスマンじゃないんだ。
 門前払いなんてのは、想定外。

「悪いが、生徒とは直接対面しないようにしている。帰りなさい」

 扉越しに、理事長の低く、くぐもった声が届く。
 訳アリ……としか思えない。
 ものの数手で解決する筈の事件が、あっと言う間に迷宮入りだ。

「山王堂! どうにかなりませんの!?」
「では、私めの父が懇意にしている、文部科学省から天下りしたこの周辺の
 学校法人を牛耳る幹部の方にお願いしてみましょう」
「……そんなんで良いの?」

 呆れ気味に白い目で様子を窺う御子柴を他所に、山王堂は携帯で話をし――――
 了承を取り付けていた。
 ただ、実際に圧力が掛かるのは二日くらい後だそうで、その間は
 諜報部としての活動はなし。

「待つ事も諜報活動の一環ですわ」

 と言う言葉を残し、酉村は意気揚々と下校して行った。
 執事の山王堂もそれに続き、帰宅。
 四畳半程度のスペースしかない部室には、俺と御子柴だけが取り残された。

「……」

 そして、俺も、御子柴も、席を立とうとはしない。
 御互いの警戒区域の中で、どうすべきかを模索中――――そんなトコだ。
 ここでもし、この女の能力を正確に、発動条件まで知る事が出来れば、
 あの変態に貢がなくて済む。
 ただ、話してくれと言って話す筈もない。
 こっちも、何かしらのカードが必要だ。
 問題は、どのカードを切るか。
 普通に考えれば――――彼女が熱望している彩莉に関する情報が、
 一番取引材料にはし易い。
 とは言え、俺はそれに対し、難色を示している。
 御子柴が、彩莉にとって害となる可能性も、ゼロじゃない。
 幾ら幼なじみだからと言っても、おいそれと信じる訳には行かない。
 向こうも同じような心境なのかもしれないが。

「ねえ、ちょっと」

 沈黙を破ったのは、向こうの方だった。
 先に要求してくる気か?
 果たして、何を聞かれるのか――――

「どうして理事長は、あんな対応だったと思う?」

 ……はい?

「お前……事件に興味津々だったのか」
「興味津々って訳じゃねーよっ! ただ聞いただけだろっ、
 何言ってんだバカじゃねーの!?」

 過剰反応だ。
 間違いなく図星。
 まさか、この捻くれ女がノリノリで事件に挑んでいたとは……

「ま、理由は色々あるだろ。単純に、生徒に対して一定のカリスマ的威厳を
 保つ為の方針かもしれないし、極度の人間不信かもしれない。外見に何か
 コンプレックスがある可能性も否定できないし、噂を聞きつけて冷やかし半分で
 やってくる生徒が何人もいたのかもしれない。何にしても、転校生の俺は詳しい事情は
 知らない。校長には会ったけど、理事長とは面識ないから、言えるのはこれくらいだ」

 雑談の域を出ない、交渉にはなり得ない答えを適当に放り投げつつ、俺は別の事を考えていた。
 もし――――山王堂の圧力が効果を発揮すれば、俺等は二、三日中には理事長と
 面談が出来る。
 でも、そこで何をどう話せば、遺産の相続を了承してくれるだろう?
 親の遺産を欲する子供の行動理念は、二つしかない。
 親の財産を譲り受けると言う、継承の意思。
 そしてもう一つは、経済観念の観点だ。
 既に社会人としての高い地位を確立している理事長が、一度放棄したであろう遺産を今更
 受け取ろうとするかと言うと、正直難しい。
 まして、生徒に説得されて、その重い腰を上げると言う展開は無理がある。

「……なら、圧力を掛けて逆に意固地になる可能性もある、って事か」

 ポツリと呟かれた御子柴の声は、俺も懸念していた事だった。
 山王堂に言って、取り消して貰うか?
 けど、案外スムーズに事が運ぶ可能性だってある。
 難しいところだ。

「ま、それより。聞きたい事があるんだけど」
「ようやくか」
「は?」

 思わず漏れた本音に、御子柴が怪訝な顔をしたけど、それは今はどうでもいい。
 ようやく本題に突入だ。

「いや、何でもない。どうぞ」

 俺の予見が正しければ、恐らく話題は、あの変態――――

「変態がそっちにも行ったと思うけど、まさかあの子と接触させてないよな?」
「あの子?」

 予想通りの展開に心中でほくそ笑みつつ、俺は慎重に言葉を選ぶ
 セーフティモードへと脳を切り替えた。

「巳年後彩莉に決まってんだろ? まさか、情報と引き換えに……」
「もしそうなら、意地でも俺から引き離さなかったお前にも責任はあるな」

 挑発にも似た発言は、ある種の賭けでもある。
 ただ、この女は揺さぶりを掛けないと、中々主導権を握らせてくれないような、
 一種の『強さ』を感じる。
 前の時みたいな会話中断のリスクはあるけど、ここは責めるべきだ。

「違うって解釈しても良さそうね」

 けど――――あっさりと避わされた。
 やっぱり厄介だ。
 異能力者ってのは、例外なく性格が歪んでるって事なのか。

「そっちにも行ったんだろ? あの変態。手を組んだのか?」
「それを聞くって事は、少なくとも打診はされたって事か」
「そっちもな。彩莉に執着してるお前が、拒絶する筈もないもんな」

 実のない――――そして、捻くれ者同士の会話。
 思わず、苦笑が漏れる。
 それは、俺が初めて見る御子柴の笑顔だった。
 だが、それは直ぐに消える。

「巳年後彩莉に会わせろ」

 結局の所、それが一番言いたい事だったんだろう。
 少し和んだところで本題。
 誰もが使う、話術の基礎だ。
 ま、別に会わせても良いのかもしれないけど……

「それはダメだ。お前が彩莉にとって安全な存在だって保証は
 まだ何処にもない」
「OK。それで良し」

 これは――――俺を試したのか。
 益々食えない女だ。
 口調も、なんか微妙に安定してないし。
 少なからず、演じてる部分もあるのかもしれない。

「じゃ、話変えるけど、お前……使わない携帯とかパソコンとか、家電製品とか
 持ってるか?」
「いきなり何だ? 高く買い取ってくれる店でも知ってるのか」
「ンなワケねーだろ。それより、あるのかないのか、答えろよ」

 質問の意図が掴めない。
 だから、身構える理由もない。

「……持ってない」
「あっそ。だったら、車を出せる知り合いは?」
「いな」
「そりゃそっか。悪かった」
「食い気味で言うなよ……そっちだっていないんだろが」
「……」

 不毛な言葉の殴り合いは、両者無駄な傷を負うだけの惨めな結果となった。

「手押し車は調達できるか?」
「それくらいなら、どうとでもなるだろうけど」
「なら、それを持って明日の放課後、この学校の裏山の入り口に集合」

 そこまで矢継ぎ早に告げ、御子柴は踵を返す。
 こっちに考える隙を与えてくれない。

「おい、ちょっと待てよ。何なんだ、一体」
「部活、協力しなきゃならねーんだろ? してやる、って言ってんだよ」

 ますますわからない。
 電化製品や手押し車が、諜報部の活動とどうリンクするんだ?

「じゃまた明日」

 余りに身勝手な物言いに終始し、こっちの了解も得ず、御子柴は帰って行った。
 ……放置する訳には、行かないんだろな。
 手押し車、か。
 安請け合いしたは良いが、アテがある訳でもない。
 取り敢えず……携帯で彩莉に聞いてみるか。

「手押し車ですか? 確か、倉庫にあったような……」

 ビンゴ。
 あれだけ広い敷地の施設。運搬用の車くらいはあるんじゃないかと思った。
 その後、いつもの時間より少し遅れて、テレポート。
 彩莉の待つ施設前へと移動し――――

「手押し車って、これで良かったんですよね? 彩莉が子供の頃に遊んでいた物ですっ」

 その目の前に用意されていた『遊具』に、俺は思わず着地失敗した。
 日本語って、こう言うトコあんだよな……

「物を運ぶ車、でしたか……すいません、彩莉、間違えました」
「いや、間違ってはいないから謝らないで良いよ。説明を省略した俺が悪い」

 子供が積み木等を乗せて遊ぶ玩具を傍らに、彩莉はしょぼーんと落ち込んでいた。
 ……悪い事したなあ。
 その後、再び施設へ戻った彩莉が、運搬台車を引いて登場。

「うん、これこれ。サンキュー、助かった」
「えへへ」

 彩莉は嬉しそうだった。
 褒められて伸びる子なのかもしれない。

「でも、これを何に使うんですか?」
「さあな。明日使うから用意しろって、御子柴に頼まれたんだ。
 使い道はアイツに聞かないとわからん」
「御子柴さんと、協力し合うんですね」

 鋭い――――いや、普通なのか?
 でも、小学生としては十分な洞察力だ。
 あの御嬢様に彩莉を紹介したら、諜報部に欲しい人材、とでも言い出しそうだな。

「あの……私も明日、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

 と思ったら、今度は突然そんな事を言い出した。

「いや、あの女はまだ安全って決まった訳じゃ」
「大丈夫です。ココロお姉ちゃんは、優しいお姉ちゃんですから」

【記憶収納】――――彩莉の能力が、それを断言させる。
 いや、その頃はあの女も今の彩莉くらいの年齢だ。
 そりゃ、その頃はまだ世の中の厳しさも知らないし、スレてもなかっただろうけどな……

「連れて行って下さい。彩莉、ココロお姉ちゃんに会いたいです」
「……そう呼んでたのか」
「はいっ」

 俺に、この子の願いを拒否する権限はない。
 もし、万が一あの女が何か不穏な様子を見せたら、俺がこの子を逃がせば良い。
 そう言う能力を持っているんだから、俺は。
 ちょっと不便だけど。

「わかったよ。じゃ、明日の放課後、先に迎えに来るから、待ってろ」
「わっ。わっ。ありがとうございますっ」

 彩莉は、本当に嬉しそうに、無邪気に喜んでいる。
 ……ある種『凄惨』な翌日になる事など、この時は知る由もなかった。

 


 翌日――――放課後。

 運搬台車と共に、裏山の麓にある『ここよりキケン』と記された立て札の傍で
 待っていた俺と彩莉に、御子柴は目を丸くして驚いていた。
 初めて見るその顔を生んだのは勿論、俺の隣で深々と頭を下げ挨拶する少女。
 御子柴は、明らかに狼狽していた。
 焦っていた。
 ソワソワしていた。
 俺相手には、あれだけ不遜で不敵で生意気だった女が、まるでセキセイインコのように
 落ち着きがない。

「……っ」

 最終的には、怒りへと変換させ、それを俺に向けて来た。
 けど、今更睨んだところで効果もないと判断したのか、或いは――――

「私の事、覚えてたんだ。そっか。うん、そっかー」

 恐らくこちらが正解だろう。
 彩莉を怯えさせないよう、驚くほど温和な笑顔になる。
 確かに、この顔なら彩莉の記憶の中の『ココロお姉ちゃん』になんら不足はない。

「あの……御子柴さん」
「あれ? そんなふうに呼んでたっけ?」
「あ……えっと、ココロお姉ちゃん」
「ん。何?」
「えへへ、ココロお姉ちゃん」

 彩莉は仔犬のように甘える仕草を見せ、御子柴と親睦を深めていた。
 まるで警戒心がない。
 俺に対してもそうだったっけ。
 一度信頼すると、それを疑わない――――子供ならではの無垢さ。
 今の俺等には眩しすぎる。
 案の定、御子柴も一瞬、複雑な顔をしていた。

「……で、今日俺を呼び出したのは、何を持ち運ぶ為なんだ?」
「付いて来て」

 俺の問いに答える気はないらしく、一通り彩莉と接した後、御子柴は
 先陣を切って歩き出した。
 てっきり、彩莉の手を取って歩くかと思ってたが――――
 そう言う気はないらしい。
 なんとなく、接し方に困ってるような……ちょっと前まで仲良くしてた
 親戚の子と久々に再会した思春期真っ盛りの女子のような、微妙な空気を感じる。

「良かったー。ココロお姉ちゃん、変わってなくて」

 一方、彩莉はそんな機微など察する筈もなく、安堵を覚えている。
 俺はそんな彩莉を隣に、手を伸ばす事なく歩き始め――――30分。
 御子柴はある地点で足を止めた。
 そこは、特に景色のいいスポットでもなければ、広大に広がるお花畑でもない。
 ただの、ゴミ捨て場。
 と言うより、不法投棄の温床とも言うべき、鉄屑の山だった。

「ここで、機械を拾って」
「……随分とアバウトな指示だな。こんな山の中から手当たり次第に
 機械類を持って来い、って?」
「そうよ。男なんだから、それくらいやれるでしょ? えっと……い……
 巳年後ちゃん、は、ここで私と一緒に待ってようね」

 信じ難い肯定より、彩莉をどう呼ぶかの葛藤の方が気になった。
 そして結果的に苗字を選んだって事は、この女は意外と思いきりがない性格みたいだ。
 彩莉に対しての態度は、終始硬い。

「彩莉は、生命さんのお手伝いをします。ココロお姉ちゃんは休んでいて下さい」
「え? ちょ、ちょっと……!」

 一方、彩莉の方は一貫してると言うか、さも当然のように、俺の方へ意気揚々と
 馳せ参じてきた。
 うん、実に戦力になりそうにない腕だ。

「彩莉」
「はいっ、何でも仰って下さいっ」
「退場」
「はうっ!? 開始と同時に戦力外!?」

 コロコロと表情が変わる。
 面白い。
 ついつい意地悪したくなる。

「と言う訳で、あの口のよろしくないお姉ちゃんと仲良く
 エアプレシャスメモリーズでもやってろ」
「あう、すいません、そのカードゲームはやった事ないんです」

 いや、カードゲームってわかった時点でお前何者なんだよ。
 あんまメジャーじゃないぞ、トレーディングカードゲームって。
 偶々、クラスで流行ってたのか?

「兎に角、向こうで休んでな。ここは俺に任せろ」
「わかりました。生命さんがそう言うのであれば、がんばって休みます」

 良くわからない意気込みを残し、彩莉はトタトタと戻っていった。
 さて……これから全く意図が読めない労働を行う訳だが、流石に何もわからないまま
 汗を流すのは主義じゃない。
 御子柴が何故、機械を集めたがってるのか――――それを考えよう。
 普通に考えれば、能力を使う為の条件。
 ただ、何故機械なのか、と言うのはわからない。
 俺の場合、行き先を文字にすると言う、明朗な条件がある。
 でも、機械を集めてる事が、どう条件に関与するってんだ?

「とっとと動けよ。ノロマな奴」

 早くも野次が飛んできた。なんて口の悪い女だ。

「ココロお姉ちゃん。そんな風にいっちゃダメですっ。がんばろうとしてる生命さんを
 応援しましょう」
「え……そ、それはちょっと」

 そして、早くも彩莉の扱いに困惑していた。
 ……詰ったり戸惑ったり、忙しい女だ。
 そのストレスを発散させるべく、俺は鉄屑の山に向けて、
 軍手もない手をコキコキ鳴らした。

 ――――1時間後。

「ぱたぱたぱた……」

 疲労困憊で倒れ込む俺を彩莉が落ちていた下敷きで仰ぐ中、御子柴は戦利品を
 一つ一つチェックしながら、しかめっ面を覗かせている。

「……ま、こんなトコか」

 そして、ご苦労さん――――の言葉もなく、台車の上に乗ったゴミを選別するだけの
 楽な仕事を終え、一息。
 清々しいほどムカつく女だな……

「で、その鉄屑の山が一体……彩莉ありがと、もう大丈夫……一体、何になるってんだ?」
「リサイクル業者に売る」

 ニッコリと、彩莉に笑みとは真逆の表情で、御子柴が笑う。

「……って言っても、どうせ信じないんだろ?」
「当然。能力の燃料、以外の答えに興味はねーよ」
「私でもそう思うから、仕方ないか」

 今度は不敵に。
 どちらかと言えば、こっちの方が似合ってはいる。

「このガラクタを使って、私は自分の能力を使う。そしてそれは、
 お前が誘った『金儲け』に利用する為。取り敢えず、ここまでは肉体労働の報酬でOK」

 つまり――――ここから先は、何らかの対価を払え、って事か。
 食えない女だ。
 先日、予言めいた発言をした時点で、ある程度俺に能力の内容をバラしてる癖して。

「続けてくれ」
「良いの? 本当に続けても」
「言質取りたいなら、先に言っても良いぜ。知りたい事を言いな」

 睨み合い――――

「あ、あのっ。け、ケンカはダメですっ」

 それを、彩莉はそう判断したらしい。
 血相を変えて狼狽している。

「え? ち、違うってば。こんなのケンカじゃなくて、ただの確認なの。そうよね?」
「さあな。俺とお前の仲なら、何話してもケンカなんじゃないのか?」
「こ、こいつ……性格最悪」

 お前にだけは言われたくないな。

「生命さん。ココロお姉ちゃんと仲良くできませんか?」
「それは難しいな。このお姉ちゃんは、俺の事が相当嫌いらしい。俺も同じだ」
「で、でも……二人とも優しいのに、いがみ合うなんて」

 彩莉は、10歳にしては語彙豊かな表現で俺等の関係を評価した。
 いがみ合い、か。
 悪くないな。

「心配すんな。嫌い同士だけど、憎み合ってはいない……よな?」
「そうそう。だから、心配しなくて大丈夫。巳年後ちゃん」
「そうですか……でも、彩莉はお二人に仲良くして欲しいです」

 それは無理だ。
 俺は自分でも引く程の人間不信。
 そして、この御子柴も同じくらいの人間嫌い。
 だから、逆に会話だけは噛み合う。

「じゃ、話を進めようか。俺の能力は、瞬間移動だ」
「……随分、あっさりだな」

 案の定、御子柴は怪訝そうな目で睨んでくる。

「本当です。生命さんの能力は、テレポートです。彩莉はそれで、助けて貰ったんです」
「と、言う訳だ。信用しろ」

 彩莉、ナイスフォロー。
 核心部分に関しては、話すつもりはない。

「……OK。にしても、テレポートか……道理で、部活動の範疇の金儲けに片足
 突っ込みたがる訳だ」
「お前もな。単なる未来予測なら、寧ろ最高の相性の筈だよな、金儲けとは。
 何でそれが成立しない?」
「えっ? ココロお姉ちゃん、未来を予測できるんですか? 占い屋さん……?」

 彩莉が目を輝かせる。
 御子柴はそんな様子に焦りつつ――――それを認めた。
 未来予測。
 そして、それには俺が集めたような鉄屑が必要だと言う事。
 でも……未来予測と鉄屑の間には、どんな相関関係があるってんだ?
 コストとして鉄が必要、って事なんだろうか。
 なんか釈然としないな。

「取り敢えず、これだけあれば『執事が仕掛けた圧力を止めた時の展望』くらいは読める。
 それで、これからの行動を決める。OK?」
「了解」

 深く立ち入るな、ってオーラがありありだ。
 ま、仕方ない。
 こっちも全部話してないし、向こうにしても、『テレポート発動の条件』が
 存在している事は予測済みだろう。
 自分がそうだって事は、他の『沙者』もそう、と考えるのが自然だ。

「で、占いとやらはいつやってくれるんだ?」
「今晩。結果は……巳年後ちゃんにメールで教える、って事でどう?」

 成程、彩莉のメルアドを知りたい訳か。
 ……手口がナンパ男そのものじゃねーか!

「その前に一つ確認しておきたいんだけど」
「あ? 何だよ」
「お前……あれ? ショタコンのレズ版ってどう言えば良いんだっけ」

 語彙に詰まる中、御子柴の腕が胸の前でギュルンと回転しているのが見えた。

「待て。悪かった。だからコークスクリューブローの予備動作は止めろ」
「……そっちこそ、あの変態同様、ロリコンじゃないだろな」
「だったら、彩莉はここにいない」

 俺の弁明、もとい理路整然とした自己証明に納得したのか、御子柴は拳を納めた。
 この女、もしかして武闘派なのか……?
 怖ぇな。
 こっちはケンカなんてアウトローな行為、中学で卒業したってのに。
 ……転校生ってのは、どうしても平和じゃいられないんだよ。

「ま、それで構わねーよ。彩莉、メルアド解禁」
「わかりましたっ。ココロお姉ちゃん、メールアドレスを交換しましょう」

 彩莉は心底嬉しそうに、パタパタと自分の携帯を両手に、御子柴へ近付いていく。
 一方、御子柴は提案者の割に戸惑っていた。
 可愛い仔犬が突進してきて、嬉しい反面ちょっと怖い――――そんな顔だ。

「ったく……ん?」

 苦笑が漏れる俺の視界に、人影が納まった。
 こんな場所へやってくるのは、警備会社のパトロールか、回収しに来たリサイクル業者か、
 不法投棄しに来た不届き者。
 そう思ってたんだが――――

「……なんだぁ? 他にも見たツラが1つ、2つ……へえ、テメェ等、つるみやがったのか」

 こっちも、見たツラだった。
 名前は知らない……が、はっきり覚えてる。
『沙者』の一人。
 そして、真っ先に『OneHundredMillion-Game』に参加を表明した、黒ずくめの男。
 今日も、全ての服が黒く染まっている。
 寧ろ更に黒度が増しているらしく、手にはビニール製と思しき光沢のある黒い手袋までしている。
 何故、こいつがここへ……?

「一応、競争だからな。競争ってなぁ、競争相手を知らねぇと面白くねぇ。その上で
 ぶっ潰して、蹂躙すんのが楽しいよなぁ? テメェはどう思う?」
「……そう言う事か」

 偶然、なんて可能性はこの場合考慮に値しない。
 けど、だったら何故?
 ここへ今日、俺らが来るって事を、御子柴が他の奴に漏らした可能性はゼロ。
 となると、能力を使って知ったか、別の能力者から情報を買ったか。
 頭に浮かぶのは、あの戌井って言うロリコンの顔。

『ボクはキミ達を含む全ての参加者の情報をある程度得ている』

 あの野郎はそう言っていた。
 その情報の範囲が、もし『未来』にまで及ぶんなら、この巡り合わせは納得だ。
 つまり、御子柴と同じ性質の能力。
 ただ、それなら情報の売買なんてしなくても、1億稼ぐ方法は山ほどある筈だ。

「無回答かぁ? つまんねぇヤローだな。案の定、テメェは『論外』だな」
「……案の定?」

 つまり……元々俺は眼中にない、って言いたいのか。
 なら、ここに来た理由は――――

「何」

 いつの間にこっちに気付いたのか、御子柴は彩莉を庇うように立っていた。
 そして、黒ずくめの男の視線も、そっちに移る。

「この手のゲームってのはな、直ぐに参加を決めるヤツ以外に勝ちはねぇんだよ。
 グジグジ迷うヤツにゃチャンスはねぇ。だから、論外だ。その点、
 テメェはオレより先に参加を表明してたらしいからな。宣戦布告に来てやったんだよ」

 ……何?
 あの時、最初に手を挙げたのはこの男だった筈だ。
 御子柴は、手すら挙げてない。
 まさか……集合前に、もう参加を伝えてたってのか?

「……それはそれは。随分と御足労様」
「そうでもねぇよ。前に見かけた時も思ったけどな……ソートー気が強ぇな。
 嫌いじゃねぇぜ。いたぶり甲斐のある女、ってのはよ」

 舌なめずり、そして歪んだ笑み。
 狂気がナチュラルに伝わってくる。
 あの最初の会合の時も、この男は禍々しい雰囲気を持っていた。
 ここは、まずいかもしれない。
 俺は即座に、右手をポケットに手を突っ込んだ。

「先に言っとくぜ。オレは、女だろうが子供だろうが、手加減はしねぇ。
 競争相手は遠慮なくハジくぜ。それこそ、ゲーム感覚でな。
 死にたくなかったら……死なせたくなかったら、大人しくしてるこったな」
「安い挑発。そんな事の為に、ここまで来たっての?」

 御子柴も負けてはいない――――が、中では相当に動揺してるだろう。

『死なせたくなかったら』

 その言葉で、早々に弱みを握られた。

「さて……と」

 目と口元を釣り上げ、黒ずくめの男は狂気を増す。
 俺の方は、見もしない。
 改めて、興味を失った――――そんなところか。
 ありがたい事だ。 
 安く見られるに越した事はない。

「宣戦布告は終了だ。ご静聴どうも。そんじゃ……」

 襲撃してきた男の、黒いビニール手袋に覆われた手が、拳に変わった。
 額に浮き出る血管と同時に、御子柴の顔色も変わる。
 彩莉の様子は――――ここからは見えない。

「ここで退場しな」

 宣戦布告は、『OHM-G』に掛かるものじゃなかったらしい。
 まさに文字通りの『宣戦布告』。
 ここで、御子柴を再起不能にする気か……?
 流石に、そんな蛮行は無視できない。
 何より、彩莉が危険だ。

「おいおい。幾ら人目のない所だからっつっても、いきなり女相手に
 拳握るなんて、どう言う思考回路してんだ?」

 そんな俺の抑止に対しても――――男は視線を動かさなかった。
 とことん眼中になし、か。

「言っただろ? オレは女だろうが子供だろうが、容赦しねぇんだよ。
 ここで殴り倒して、暫く動けなくする。女なら、顔を潰せば人前には出れねぇ。
 こんな都合の良いこたぁねぇだろ?
「……狂ってる」

 御子柴の呟きは、ごく自然に漏れたもののように思えた。
 実際、狂ってる。
 いきなり現れたと思ったら、堂々たる暴力宣言。
 傷害の未遂を罰する罪状がないとは言え、相手は女。
 婦女暴行未遂も十分適用されるシチュエーションだ。
 俺が携帯で警察に電話すれば、それでアウト……の筈。
 何故、こんな事をする必要がある?

「テメェ等が、どんな覚悟で、どんな執着持ってゲームに参加したかなんて知らねぇ。
 ただ、オレは勝利以外は眼中にねぇんだよ。その為に必要な事なら、殺人だってやるぜ?
 邪魔するヤツは、全員ツブす。それだけだ」

 そして――――どうして、この男はここまでダラダラと話す?
 暴力に溺れるなら、わざわざ情報を与える必要なんてない。
 潰すってのが本気なら、闇討ちでもすれば良い。
 正々堂々、闘って倒します――――そんな精神がこの男に一片でもあるとは思えない。
 なら、狙いは……

「情報、か」
「……あン?」

 俺の呟きに、さっきまで無視しまくってた黒ずくめが、視線を向けてくる。

「狂気と暴力行為をチラ付かせて、ビビらせる。それで萎縮、或いは諦めるなら良し。
 そうじゃない相手がいた場合でも、実際に暴力を行使すれば、相手は当然
 身を守ろうとする。場合によっては――――能力を使う。使わないのなら、
 暴力行為に対抗できるタイプの能力じゃない、って事だ。それなら、
 いずれ『そいつの溜めた金を脅し取る』時に暴力に訴えられる」
「……」
「どうだ?」

 俺の推論は、的を射ていたらしい。
 明らかに顔色が変わる。
 隠すのがヘタな男だった。

「つまり、情報料をケチってる証拠だ。お前の能力は、殺傷能力に特化してて、
 金儲けにはあんまり向いてないみたいだな」
「テメェ……やるじゃねぇか。前言撤回だ」

 どうやら、心ならずもお眼鏡に叶ったらしい。

「ま、目論見がバレたからって言っても、ヤる事ぁ変わらねぇけどな。
 殴り掛かりゃ、本性がわかる。それが、能力者ってモンだ」

 確かに――――幾ら隠そうとしても、身に迫る危機を回避する必要がある以上、
 能力は行使される。
 例えば、御子柴にしても、もしこの場で直ぐに未来予測を行えるのなら、
『一撃目が何処を狙ってくるか』って言う予測をして、避けるだろう。
 その時点で、かなり能力の詳細が絞られる。
 そして、二撃目の時点で、『その能力は間髪入れずに使用できるかどうか』
 までわかる。
 そこまで見越して、この男は襲撃にやって来た。
 俺は――――それを見学する事で、御子柴の能力を殆ど知る事が出来る。
 ただ黙って、女子が殴られるのを見ていると言う蛮行を、実行できるのなら。
 そう言う意味では――――

「ところが、そうでもない」

 俺は、まだ甘いんだろうな。

「……ンだよ。また邪魔か?」

 介入して来た俺に対し、明らかに不機嫌な声色で、黒ずくめは目を向けてくる。
 まるで、反抗期のガキが親を見るような目だ。
 ま、関係ないね。

「その女、ボクシング経験者だ。普通に殴り掛かったら、返り討ちだろうな」
「ハァ? 嘘にしても、もっとマシなのはなかったのかよ。柔道でも空手でも
 良いじゃねぇか」
「本当なんだから仕方ない」

 実際、本当にボクシングをかじってる可能性もなくはないが――――
 一応はハッタリと言う事にしておこう。
 さて、どう出る?

「……面白ぇ。ボクシングか。だったら、それに勝てば俺はボクサー以上の
 存在だな」

 男の顔が、更に歪む。
 歪み笑み――――そんな言葉が成立しそうな表情で、再び視線を御子柴へ向けた。
 御子柴は、俺の配慮に対し……明らかに不服そうだ。
 その影に隠れる彩莉は、未だ視界に収まらず。
 余りの怖さに気絶してるかもしれない。
 寧ろ、そうであって欲しい。
 あの子に……この男は、毒だ。
 出来れば、こんな人間がいるって事を、余り知って欲しくない――――
 そう思うのは、俺のエゴなのかもしれないけど。
 何にせよ、ピンチだ。
 仕方ない。
 少し時間を稼ごう。
『もう直ぐ』だし――――な。

「ま、別に構わねーよ、殴り掛かっても。俺は困らないし。ただ、俺はその女、
 嫌いなんだ。したり顔で気絶したお前を見下す姿は、あんま見たくないんだよな……」
「……あ?」

 直情型――――のようで、この男は実はそうじゃない。
 全て計算づくでの暴力。
 なら、挑発するには、プライドを刺激すれば良い。
 頭を使うヤツは、安く見られると頭に血が上りやすい。
 俺も、似たようなモノだけど。

「オレが、この女に負けるって言いてぇのか?」
「その可能性は高いと思うね。好戦的な顔を必死で作ってるみたいだけど、
 さっきからダラダラと喋ってばかりで、ちっとも進展しない。
 口だけ番長の見本だな」
「……上等じゃねぇか。その安い挑発、ノってやんよ」

 初めて――――ここでついに、黒ずくめの男は俺の方に身体ごと向けた。
 御託は良い。
 とっとと掛かって来い。
 もう、時間がない。

「もう後悔しても遅ぇぜ? テメェは、オレを怒らせたんだからなぁ?」
「どっかのパクリみたいな科白だな。語彙も独創性もない」
「……テメェ、ムカつくじゃねぇか。上等だ……死んでも知らねぇぞ!」

 突進。
 男の身体が、圧を帯びて接近してくる。
 こう言う時、ケンカ慣れしてないと、頭が真っ白になって身体が硬直する。
 ある程度慣れてくると、幾つかの選択肢が頭に浮かぶ。
 かなり慣れると、前蹴りで止めるという一択になる。
 俺は――――その全てを経験していた。

「おっ!?」

 ただ、同時に過去の栄光でもある。
 まして、不良だった訳でも、伝説の不良狩りだった訳でもない。
 数人との小競り合いを幾度も経験していると言うだけ。
 鋭さに欠ける俺の蹴りを、黒ずくめは驚きつつも、鮮やかにかわす。
 しかも、ジャンプで。
 こいつ……垂直跳び幾つだ?
 陸上部も真っ青の跳躍力――――

「ヒャッホウ!」

 そして、テンションを上げた声と共に、宙に舞った男の黒で覆われた拳が
 俺の顔面目掛けて伸びてくる!
 上から圧し掛かってくる格好になった為、体重が掛かり、更なる威力を有しているが、
 その分振りもでかい。
 こんなの、貰ってやっか――――

「……っ!」

 瞬間、鼓膜に衝撃が走る。
 俺は確かに避けた。
 そして、その拳は俺じゃなく、地面に刺さった。
 自爆――――の筈だった。
 実際、その通りになった。
 なのに――――俺は、衝撃を受けていた。文字通り。
 黒ずくめの拳は、地面を『抉って』いた。
 まるで、小さい鉄球でも落としたような痕が、俺の足元に出来上がっている。
 あり得ない破壊力。
 こんな事、世界チャンピオンでも不可能だろ……!

「よく避けやがったじゃねぇか。次もお上手に避けてみるか?」

 不敵に笑う男を見て、確信。
 これが、こいつの能力。
 そして、そんな化物に対して、俺は――――

「止めとく」

 予定通り、背を向けて全力疾走で離れた。

「……な」

 一瞬、呆気に取られたらしく、男との距離は一気に離れ――――
 その結果、俺は御子柴と彩莉の隣と言うポジショニングを取った。
 気絶してるかと思ってた彩莉は、意外にもしっかり立っていた。
 ただ、恐怖の余り、口が波立っている。
 喋れるような状態じゃないらしい。
 一方、御子柴は不審な目で俺を睨んでいる。
 無理もないけど。

「テメェ……なんのつもりだ? 今更そいつらを盾にするってのか?
 無意味にも程があるだろ。俺は女だろうが、子供だろうが……」
「助かったよ。お前が饒舌で」

 本当に、助かった。
 勝手に時間を浪費してくれて。
 お陰で――――

「どう言う意……」

 俺は、御子柴と彩莉の二人の頭に触れ、そして次の瞬間――――
 予約した場所へ、移動した。

 


「……跳ぶまで随分、時間が掛かったな。時間制限のある能力ってコトか」

 裏山の直ぐ近くにある、寂れた『円谷履物店』と言う靴屋の前で、
 御子柴は偉そうに批評していた。

 ――――尻餅を付きながら。

「せめて、立ち上がってから寸評しろよ」
「フン」

 鼻で笑ってはいるが、その目は泳いでいる。
 初めてのテレポート体験に、精神状態が乱れている――――そんなトコロか。
 まあ、動揺してるのはこっちも同じだ。
 これである程度、発動条件もバレただろう。
 けど、それ以上に厄介なのは、あの男――――未だに名前も知らない『襲撃者』の存在。
 信じ難い破壊力もさる事ながら、一番の問題は、それを躊躇なく
 俺に向けて敢行して来た事だ。
 そんなヤツを、これから敵にしていかなくちゃならないのは、怖い。

「うううう」

 未だに恐怖の余韻を引きずり、俺の足元で震える彩莉の存在を思うと、
 あの存在は猛毒だ。
 正直、あんなヤツが今回のゲーム参加者の中にいるのは、予想外。
 このゲームは、『能力を消す』って目的で行われてる。
 つまり、今の自分を変えたい、ってヤツだけが参加する筈なんだ。
 だけど、あの男はそうは見えない。
 あの尋常じゃない破壊力が、あの男の持つ能力とすれば――――
 それを消したいと言うような性格には、見えなかった。
 要注意人物。
 真っ先に情報を集めておきたい。
 ふと――――御子柴の視線が彩莉に向いている事に気付く。

「……考えてる事は、同じみたいだな」
「ええ。その為には、まずは軍資金の調達が必要ね。1時間後、私をもう一度
 あの場所へ運んで。その後は、先に帰ってくれてOK」

 能力を使うところは見せません、って事か。
 ま、協力体制を築く以上、タクシー扱いされても仕方ない。

「わかった。その代わり、占いの結果は俺に直接メールを送れ。
 アドレスは教えておくから」
「……そうね」

 彩莉の様子を確認し、御子柴は首肯した。
 そして、その後――――怯える彩莉をどうにか慰め、1時間後に裏山へテレポート。
 更に、彩莉の家の前へと飛ぶ。

「ありがとうございました。送って下さって」

 まだその表情は、晴れない。
 俺は少し屈み、彩莉の視線に高さを合わせ、その小さい肩に手を置いた。

「ここで止めても良いんだぞ? さっき上手く逃げられたのは、運が良かったからだ。
 今後、同じような状況になっても、同じように上手く逃げられるとは限らない」

 俺のこの言葉は、常識的な社会道徳の域は出ない。
 いわば『礼儀』のようなもの。
 とは言え、彩莉のリタイアは俺にとって、プラスに働く部分もある。
 打算と精神的保身に満ちた、上っ面の確認だった。
 それに対し――――彩莉は答えない。
 迷ってるのか。
 それとも、俺の言葉の本質を、幼いなりに感じ取ったのか。
 いずれにせよ、素直なこの子にとって、答え難いのは確かだろう。

「良く考えろ、な。命あっての物種だぞ」

 俺の軽い言葉は、果たして彩莉の鼓膜まで届いたのか。
 風に吹かれて、飛んで行ったんじゃないだろうか。
 そんな一抹の不安を覚えつつ、俺は彩莉の目をじっと見つめた。
 その目に――――何が映っているのか。
 言うまでもない。
 俺だ。
 俺なんだろう。
 その頼りなく揺れている男は。

「……その方が、亥野本さんにとって良いのなら、彩莉はそうします」

 その女の子は、淡々とそう答えた。
 迷った末の言葉にしては、まるで感情が篭っていない優等生発言。
 追い込んだのは、あの襲撃者か。
 それとも俺か――――

「そうだな……その方が、良い」

 いずれにせよ、俺には、そう答えるしかなかった。
 彩莉は何も言わず、首肯もせず、背を向ける。
 初めて見る姿だった。
 そのまま黙って、自分の『家』と言う建物へ歩いて行くその後姿は――――
 泣いているように、見えた。

 


 2日後、放課後。

「さあ……ついにこの日が来ましたわ。来ましたわ!」

 興奮を抑えきれないと言う様子の酉村お嬢様と、その様子をハンカチ片手に
 涙しながら眺める山王堂の傍で、俺と御子柴は時が流れるのをじっと待っていた。
 相変わらず狭いこの部室、四人もあつまれば、距離は嫌でも近くなる。
 温度差も、嫌でも感じ取れる筈なんだが――――お嬢様と執事のコンビには
 余り伝わっていないらしい。

 ――――あの日の夜。
『現状維持』
 御子柴から送られてきたメールには、この四文字だけが記されていた。
 社交辞令は一切なし。
 ま、その方がスッキリして良い。
 同じ人間嫌いとして、同調できる部分だ。
 だから俺も、『受信』とだけ書いて返した。
 協力体制を築いている者同士とは思えない、愛想のないやり取りだった。

 で――――
 御子柴の占いに従い、現状を維持した結果、本日17時20分より、10分間の面接を
 許すと言う連絡が、理事長自ら山王堂に対してあったとの事。
 今、その時間が来るのを待っている状態だ。

「御嬢様が熱望して熱望して、熱望し過ぎて熱暴走するまでに熱望した
『図が工作部』が、いよいよ活動の一歩目を……涙が止まりません」
「図が工作部……? 諜報部じゃなかったのか?」
「それでは許可が下りなかった故、とても健全な名称に直しました」

 字面を見る限り、明らかに他意を含んでいるように思えるけど……まあ良い。
 どうせ、今回の件までの関わりだ。

「……そろそろ時間だけど、全員で押しかけても良いのかよ?」

 御子柴の指摘通り、気付けば既に5時15分になっていた。
 スケジュールがタイトな相手には、5分前集合だと逆に迷惑。
 時間キッチリに訪ねるのが礼儀だ。

「はい。今回の場合、少人数より全員で行く方が、我々には有利と判断しましたので、
 四人で、と言う条件を提示し、既に了承済みです」
「あっそ。じゃ、行くか」

 率先して、狭い部屋を出て行く御子柴を、酉村が慌てて追う。
 にしてもアイツ、口調がイマイチ定まってないな。
 今みたいに男っぽい事もあれば、サッパリした女っぽい口調の時もある。
 キャラ作りしてんのか……?

「では、我々も参りましょうか」
「ああ」

 意味のない思考を放り投げ、理事長室へと向かう。
 山王堂は御嬢様に追いつくべく、駆け足で。
 一方、御子柴は先陣を切った割に歩調は緩やかで、普通の速さで歩く俺が
 途中で追いつく事になった。
 恐らく――――意図的。

「……何だ?」

 そう判断し、こっちから聞いてみる。
 返って来たのは――――いつも通りの訝しさ満点の顔。

「あの酉村って御嬢様、見覚えないか?」

 だが、発言自体は全く予想もしない内容だった。

「あの『ゲーム』の関係者の中の誰か、って言いたいのか?」

 俺と御子柴が二人して見た事のある女、となると、他に存在しない。
 でも、俺の記憶の中に、あの御嬢様と同じ顔の人物はいない。
 そもそも、女性自体、御子柴と彩莉を除けば、二人しか見覚えがないし、
 その中に該当する人間はいない――――筈。

「なら、気の所為か」
「珍しいな、俺の言う事をアテにするなんて」
「それくらい自信がないって事よ……だよ」

 ついに言い直しやがった。

「お前さ……なんでそんな無理して男言葉みたいな口調使うんだよ。
 それに何の意味があるってんだ?」
「うっせーよ! 別に無理してねーよ」

 今度は逆に過剰になった。
 何なんだろうな……能力に関係あるって感じでもないし。
 ま、考えても意味はないか。
 それより今は、理事長だ。
 人見知りなのか、他に理由があるのか、生徒と一切の接触を断っていると言う
 その人格は、果たして、どんな欠落や崩壊をしているのか――――

「理事長、図が工作部です。入ります」

 山王堂が扉をノックし、返事を待つ。
 が――――声は一向に上がらない。
 何度か同じ行為を繰り返すが、それでも静寂が続く。

「……話が通ってないんじゃないのか?」
「どう言うコトですの、山王堂」

 女性2名に責められた執事は、特に焦る様子もなく、携帯を取り出して
 例の権力者に連絡を取り出した。
 程なく、話が終わる。

「ちゃんと伝わっているようです」
「となると、心変わりか、それとも寝てるか、倒れてるか」

 ――――なんて半分冗談めいた事を話した俺の目を、山王堂が凝視する。

「いや、ただのブラックジョークだからさ。そんな睨まんでも」
「睨んでいる訳ではありません。その可能性はある、と言う事です」

 そして、さっきまでの飄々とした雰囲気とは打って変わって、焦った様子で
 扉を叩き、理事長へ向けて大きな声をかけ出した。
 この理事長室、一階にあるものの、他の教室とは独立した奥の方にあるんで、
 多少声を荒げても、それに気付く生徒や教師はいない。
 逆に言えば――――悲鳴をあげ、助けを請うても、気付かれない。
 確かに、その可能性は憂慮すべきなのかもしれない……が、
 そこまで危機感を持つほどに高いとは思えない。
 俺には、山王堂の豹変の理由がわからなかった。

「さ、山王堂……?」

 酉村ですら、狼狽を露にしている。
 一体なんだってんだ……?

「仕方ありません。扉を破りましょう」
「なっ……そんな事して、もし何もなかったら……」
「その時は、緊急処置だったと説明すれば問題ありません。
 失礼。少々離れて頂けると助かります」

 山王堂は、俺に指示を送った直ぐ後、その手で額を拭い、レバー状のノブではなく
 その上部にある鍵穴に被せ、暫くそのまま黙り込んだ。

「ちょっと、一体何を……」

 その不可解な行動に、御子柴が抗議をしようとした、その時。

 扉が――――開いた。

 俺は、その一部始終を見ていた。
 ゾッとした。
 鍵穴の周囲が――――明らかに錆び付いている。
 ついさっきまで、そんな事はなかったのに。
 間違いなくそれは、異能力だ。
 この男――――山王堂と言う執事、間違いなく俺らと同じ異能力者だ。

「辰尾様!」

 驚く俺や御子柴を尻目に、山王堂は弾けるように室内へと入っていく。
 慌てて後に続いた俺の視界には――――机に突っ伏したまま動かない、
 この部屋の主の姿があった。

「ど、どう言うことですの……一体何が……」

 狼狽する酉村が口元に手を寄せて怯える中、御子柴はその視線を部屋中に
 散らしていた。
 目聡い、と言う言葉が良く似合う女だ。
 それを確認する俺も、人の事は言えないけど。

「まだ息があります。救急車を呼びますので、亥野本様は保険医を」

 消防署は、学校の近くにあった筈。
 今から呼べば、5分は掛かりそうだ。
 ここから最寄の病院までの距離は5kmもない。
 10分くらいしか掛からないだろう。
 俺の【予約移動】の出る幕はない。

「わかった」

 そう判断し、理事長室を駆け出した俺は、ポケットから紙を取り出し、
 人差し指に仕込んだ芯で、最寄の病院名を書き込んでいた。
 ――――出る幕はない筈なのに。
 無駄になるのは、わかってる。
 しかも、この放課後の時間帯、病院前に人気がないとは考え難い。
 ハイリスク、ローリターン。
 それでも俺は、保険の意味を込め、移動を予約した。

 正義感、倫理観、道徳観、使命感。
 命の尊さ、大切さ。

 そんなものは、微塵もない。

 ただ、この能力【予約移動】の存在価値、引いては、俺自身の価値を
 再認識したいだけの、自己満足だ。
 こんな事、無意味だとわかっていても、それを止められない。
 待っているのは、きっと虚無感と徒労だけだと言うのに。
 それでも、この能力がある限り、俺はそう言うものを引きずりながら
 生きていかないといけないんだろう。
 そう、改めて思った。

 


 案の定、保険は無意味に終わり。
 俺は一人静かにテレポートした。
 幸い、目撃者となりそうなのは、自動車の中にいた人間のみ。
 直に見られる場合と違って、視界が高速で動いている中だから、
 突然人間が現れても、不自然に思われる事は殆どない。
 そう言う意味で、運は良かったんだろうが――――

「……彩莉?」

 乗用車に乗って、今まさに病院から出て行こうとしているその
 目撃者の一人が、見知った顔だった事は、余りにフザけた偶然だと
 思わざるを得なかった。

 ……体を壊したんだろうか。
 それとも、心?
 俺の所為、なんだろうか?

 或いは――――ただの風邪なのかもしれないけど、タイミングがタイミングだけに
 とても楽観的には思えなかった。
 一昨日、事実上の離別を行った俺と彩莉は、今日は一切連絡は取り合っていない。
 たかが二日。
 しかも、それまでに積み重ねた時間も、一月にも遠く及ばない薄っぺらさ。
 それなのに、俺は彩莉との会話がないこの二日を、妙に重苦しく思っていた。

 ちょっとの間、共に行動しただけの子じゃないか。
 あの子の安全を考えるなら、これがベストなんじゃないか。

 ……そんな事ばかり、この二日は自分自身に言い聞かせていた。
 正直、俺はあの子を持て余していた。
 純粋で、ただ只管に純粋で、キラキラしている女の子。
 そんな子と接する事が、少しずつ怖くなっていた。
 距離感が、段々わからなくなってきていたから。
 最初は、本当に出会い頭のような感じで、上手く対処できていたと思う。
 かみ合ってはいなかったかもしれないけど、それなりにコミュニケーションを
 安定させていたと言う自負はあった。
 けど、それがズレ始めていた。
 彩莉は、明らかに俺に懐いていた。
 俺の人間性とは関係なく、一緒にいる事――――それだけで。
 刷り込みに近いのかもしれない。
 あの子は、愛情に飢えているのかもしれない。
 彩莉の日常を、俺は殆ど知らなかった。
 でも、研究所みたいな建物の中で生活している異能者――――と言う
 その事実が、想像を豊かにしてしまう。
 俺は……その『正解』を知る事を、畏れているのかもしれない。
『可哀想な彩莉』を、知りたくないのかもしれない。
 だから、進言した。
 降りろ、と。
 ゲームから離れて、それまでの日常に戻れ、と。
 それが、あの子にとって最後の望みから突き落とされる事になるかもしれないのに――――

「……何ボーっとしてんだよ」

 一体、どれだけの時間、俺は病院の前で突っ立ってたんだろう。
 好奇の目に晒されている事にも気付かず、一人無意味な思考に耽っていた俺を
 現実に引き戻したのは、『あの日』と同じように、口の悪い女の一声だった。

「別に」

 素っ気なく答える俺を、御子柴は半眼で睨み――――そのまま背を向けた。

「理事長、命に別状はないんだとさ。もう意識も戻ってる」
「そっか。話は聞けるのか?」
「だから、呼びに来たんだけど?」

 それくらい洞察しろ、と言う意図の疑問系が、腹立たしい。
 同時に、鈍っていた感覚が戻って来た。
 彩莉の事は――――後で考えよう。

「お前、見てなかったろ? 理事長の顔。うつ伏せだったから」

 歩を進めた俺に、校内に続いて案内役を引き受けてくれた御子柴が
 そんな事を聞いてくる。
 ……顔に何か不気味な湿疹でも出来てたのか?

「ま、見てのお楽しみ。気づかなかったらそれまでだけど」

 そんな、勿体ぶった言葉に耳を傾けつつ、辿り着いた個室のベッドの上には――――

「……迷惑を掛けてしまったそうだな。済まない」

 確かに、御子柴の勿体ぶる気持ちもわかる――――そんな顔があった。

 OneHundredMillion-Gameへの参加を呼びかける、あの強制的な集会の席にいた、一人。
 そして、参加を表明する連中に苦言を呈し、弱々しく席を立った男性。
 あの人が、理事長だった。

 ……本当かよ?
 でも、ある意味、納得。
 千里ヶ丘高等学校には、妙に異能力者が集まり過ぎていた。
 理由はわからない。
 管理かもしれないし、監視かもしれないし、善意かもしれない。
 何にしても、学校のトップが異能力者なら、そこに御子柴や山王堂がいた事も、
 そして俺の転校がすんなり行った事も、合点が行く。

「辰尾様、まだ余り話はしない方が……」

 上体を起こそうとした理事長を、山王堂が制する。
 辰尾ってのは、理事長の事だ。
 名前を知っている事は、学校に通っている以上は不思議じゃないが――――
 生徒の立場の人間が『理事長』と呼ばず、苗字を呼ぶのは、不自然だ。
 様付けは、キャラ的なものだとしても。

「いい、大丈夫だ。これは『脅し』の筈だからな。いきなり致死量を注ぎ込まれた
 と言う事はないだろう。尤も……発見が遅れていれば、何らかの後遺症は残っていただろうが」

 はっきりした口調で、理事長――――辰尾氏は断言した。
 脅し。
 その意味がわからないほど、鈍感じゃない。
『OHM-G』に関連している事は、明白だった。

「……参加者の誰かにやられた、ってコト?」

 御子柴も、それに気付いたらしく、半ば確信的な顔で問う。

「そう言う事だ、お嬢さん。私は態度を保留していたが、経済面では最も有利な立場にいる。
 だから、真っ先に狙われた。不覚だったよ。こんな事なら、全員分の情報を買っておくんだった」

 覚えのある話に、耳が痺れるような感覚を抱く。
 まあ、全員に接触した、って言ってたしな。

「誰にやられたのか、特定は出来てないんですか?」
「ああ。と言うより、どういった手段で意識を奪われたのか、それすらわからない。
 あの場に人はいなかったし、侵入者がいたとも思えない。窓もないし、扉が開いた
 気配もなかった」

 つまり――――

「密室殺人ですわ!」

 場の空気を読まず、酉村の御嬢様が大声で叫ぶ。
 せめて未遂をつけましょう。

「……殺された覚えはないが、密室であった事は確かだ。それにも拘らず、気付いた時には
 このベッドの上だった」

 目立った外傷もない。
 一体、どう言う方法で――――と、ミステリーマニアなら思うところだ。
 事実、御嬢様は嬉々として、過去にあったらしき密室トリックを羅列している。
 だが、実際にはそう言うトリックは、ない。
 能力だ。
『沙者』が拘っている以上、そう考えるのが自然。
 密室でも、敵の意識を奪う事の出来る能力――――

「……テレポート」

 ポツリと、御子柴が呟く。
 その瞬間、山王堂の視線が俺に向いたのを、俺は見逃さなかった。
「まあ、中々素敵な発想ですわ。御子柴さん、貴女は常人にはない視点をお持ちですのね。
 良くってよ、良くってよ。それでこそ、図が工作部の一員ですわ。貴女には
 情報担当副長官の地位を差し上げますわ!」
「え、ちょっと、今はそう言う……」

 例によって、俺以外には強気になれないヤツだった。
 そんな御子柴は兎も角――――

「……」
「どうかなされましたか? 亥野本様」
「いや、別に」

 自分の頭の中とは違う言葉を紡ぎ、俺は言葉を濁す。
 にしても……妙だ。
 学校の理事長となると、相当な金持ち。
 遺産を受け取らないでも良いと言う状況なら、尚更だ。
『OHM-G』に参加を要請された人間は、経済的に然程裕福じゃないと推測していた俺にとって、
 この事実は衝撃的。
 1億なら、現時点でも用意できない事もないんじゃないか……?

「恐らく、私に対して疑念を抱いているのだろう」

 俺の視線に気付いたのか、辰尾氏は核心をついた予見を放ってきた。

「理由は単純だ。奴らは、私が参加に躊躇する事をわかっていた。だから成り立った」

 そして――――最小限の言葉だけで答えを語った。
 クローズと言う連中は、そこまでわかってて、敢えてこの人をあの集会に呼んだと言う事になる。
 どうして、参加しないのか。
 そして、何故それがクローズに筒抜けなのか。
 恐らく、答えるつもりがないからこその、最小限なんだろう。
 少なくとも、彼は自分の能力を消す気はないらしい。
 その能力が何なのか――――それは最早、知る必要もない。

「……気を付けなさい。人間、個人であればどんな悪者にでも理性が働く。だが、
 集団心理はそれをいとも容易く崩壊させる。例え、それが少数であっても」

 それは、クローズの事なのか、それとも別の『少数集団』の事なのか。
 幾つかの有力な情報と、幾つもの謎を残し、辰尾氏は正式に『OHM-G』への不参加を口にした。

 


 病室を出ると、そこはもう別の世界。
 独特な匂いに包まれた、冷たい空間だった。 
 それが幸いだったのか、少し頭が晴れる。
 やるべき事を考える事が、出来そうなくらいには。

「……結局、『理事長埋蔵金事件』の件は言い出せませんでしたわ。
 後日、体調が回復次第、改めて参る事にしましょう」

 酉村の御嬢様は、そんな言葉を吐きつつも、すっかり『密室殺人未遂』に御心酔。
 夢見るオトメのような顔で、山王堂と共にリムジンに乗って帰って行った。
 こっちとしては、山王堂の方に後日接触する必要がありそうだ。
 まあ、ゲームに参加していない沙者がいても不思議じゃないし、部外者と言えば
 それまでなんだけど……あの、『テレポート』って言葉に対しての反応が、
 どうしても気になる。

「にしても、今日は色んな事があったな」

 ポツリと、半ば独り言のように漏れた言葉だったが――――

「最終的には、容疑者も絞り込まれたしな。理事長襲撃の」

 それに対し、御子柴が問題発言を返してきた。
 ただ、その表情は、悪ふざけの域を出ていない。
 ったく……苛立たしい女だ。
 俺の能力【予約移動】の詳細の確認を狙ってやがる。

『犯人じゃねーよ! 俺の能力だと、建物の入り口にしか飛べねーし!』

 とでも言わせたいんだろうな。
 この『着地地点の限定』は、紙に行き先を書く事や、移動にタイムラグがある事より
 更に大きな弱点。
 誰が言うか。

「つーか、お前の『占い』、外れたじゃねーか。現状維持で問題なかったんじゃなかったのか?」
「私の【課金預言】が外れる事なんて、ない。今回こうなったって事は、これがベストの選択だった
 って事なんだ……よ……」

 言葉の終わりで、御子柴は自身の失言に気付いたらしい。

【カキンヨゲン】

 それが、御子柴の能力。
 名前は自分で付けたんだろう。
 カキン、なんて言葉は課金と家禽、あと過勤くらいしかない。
 この場合、鳥や超過勤務なんて関係ないから、当然【課金預言】。
 料金を課す――――つまり、料金支払いの義務がある預言、って事か。
 なら、お金を払えば預言が得られる能力、なのか?
 昨日集めたガラクタを、リサイクルショップにでも持って行って、
 その売り上げを財源にしたのか?
 いや――――それは、こいつ自身が否定的な表現として使ってた。
 なら、恐らくは違う。

「さ、さってと。もう用はないし、帰るとすっかな」

 これ以上のボロが出ないよう、御子柴は俺から離れようと、クルリと移動方向を変える。
 ここは、逃がしたくないな。
 俺の能力が殆どバレてる以上、向こうの能力も丸裸にしておきたい。
 コイツをここに引き止める方法は、何かないか――――

「ちょっと待て、御子柴。話があるんだ」
「あ? こっちにはねーよ。今から大事な用事があるんだから……」
「彩莉の事だ」

 とっさに思いついたのは――――それだった。 

「い……巳年後ちゃんが、どうしたのよ……ってんだよ」

 明らかに動揺しているらしく、御子柴の言動は一層不安定になっていた。
 とは言え、それを指摘して茶化すような事をしても、今は意味がない。
 重要なのは――――何でも良い、この女が自分の能力の一部を『うっかり口に出す』
 ように誘導する事だ。
 その為には、嘘やハッタリだって使う必要がある。

「お前、どんな能力持ってるんだ?」

 と言う訳で早速、撒き餌を散らした。

「いきなり、何だよ? それと巳年後ちゃんと、何の関係があるんだよ」
「あるから言ってる。さっき、彩莉を見かけたんだよ。車に乗って
 この病院を出て行く所を」

 それは、真実。
 そして、病院にいたと言う事が、どんな想像を生むか――――

「昨日、彩莉は元気だった。別れの際までな。それが今日は病院にいる。
 雨に打たれでもしたんならまだしも、そんな事実もない。
 なら、考えられるのは……接する機会が多かったお前が、何かしたって事だ」
「ふざけないでよ!」

 一喝――――そんな言葉がしっくり来るほど、御子柴は大声で吠えた。
 男口調も、ここが何処かも忘れて。

「私があの子に、病院送りになるような事する訳じゃじゃない! 私が……」

 だが、それも直ぐにトーンダウン。
 こっちの狙いに勘付かれた――――最初は、そう思った。
 だが、御子柴は俺を詰らない。
 その代わりに、まるで思い悩むような顔で俯く。

「まさか……『あれ』がもう過負荷に?」

 そして突然、意味のわからない言葉を漏らした。
 カフカ……過負荷、か?
 俺の意図する方とは、明らかに異なる方向へ話が逸れている。
 この女の能力の情報を引き出すなら、軌道修正すべきだ。

「……やっぱり、か」

 なのに。
 俺の口から出たのは、そんな『ハッタリ』だった。
 このハッタリが誘導する答えは――――

「! 知ってたの……そう、彩莉から聞いてたのね。『頭』の事」

 彩莉に関する情報。
 俺は反射的に、それを欲していた。
 もう、関わる事はないであろう、少女の事を。

 ……頭だって?

 彩莉が、頭に何か病を抱えているってのか?

「……」

 御子柴に、こっちの様子を窺う余裕はない。
 明らかに焦っている。
 僥倖。
 攻めるなら、今だ。

「ちゃんと全部聞いた訳じゃない。だから、お前の能力が誘発した可能性もあると思った。
 俺は、お前の能力の事も全然知らないからな」
「……私の能力は、あの子の頭の中に作用するようなものじゃない。『能力同士』が
 干渉し合って、何かしらの反応を見せるなんて事も、聞いた事ない」

 能力同士――――か。
 つまり、『頭』ってのは、彩莉の能力【記憶収納】の事を指していた事になる。
 記憶を司るのは脳。
 辻褄は合っている。
 合ってるけど――――この能力が過負荷を引き起こすってのか?
 いや、あり得ない話じゃない。
 人間の脳は、忘れる事で負荷を軽減している。
 嫌な記憶や、受け入れ難い記憶を抹消し、精神の安定を図る。
 もし、それらも全て、覚えたままになっていれば――――当然『過負荷』。
 つまりは、そう言う事になる。
 だとしたら……その過負荷を引き起こしたのは、まさか――――

「あの男の襲撃か……?」

 俺の漏らした言葉に、御子柴が目を見開く。

「それよ! あのクソヤローが脅して来た事で、彩莉ちゃんの中にすごくストレスが
 溜まったんだとしたら、当然過負荷状態になる! あーっ! 何で気付かなかったの!」

 未だ名前すら知らない男の、あの分別ない脅迫行為が、彩莉の『頭』を追い込んだ。
 その結果、変調を来たし、病院へ。
 おそらくは、そう言う事なんだろう。
 結局――――特に真新しい情報を得る事もなく、御子柴の能力を
 知る機会も失ってしまった。
 彩莉の能力は既に知っていたし、それに過負荷があるって事も、
 もっと気にして考えていれば、わかる事だった。
 失態、の筈なんだけど、後悔はない。
 寧ろ、別の感情が心を支配していた。
 不安。
 そして、焦燥。
 このままなら、あの男はまた、彩莉の前に現れる。

「……彩莉は、OHM-Gから撤退した。それをあの野郎に知らせないと」

 あの子の身の安全を確保するには、それしかない。
 幾らなんでも、ゲームから降りれば、それ以降の干渉はしない筈だ。

「撤退……? どうして?」
「襲撃の事もあって、危険だと思った。だから、俺がそう促した。
 当然だろ? あの野郎がイカれてるのか、計算でそれを演出したのか、
 俺には判断できない。そんな中で、彩莉をこれ以上……」
「フザけないで!」

 突然――――御子柴が吠える。
 睨みつけながら。

「撤退なんてしたら、それこそ終わりじゃないの! 知らないの!?
 あの子の頭がどうなってるのか!」
「……どう言う事だよ」

 その怒りは、俺にとってかなり意外だった。
 こいつは、理由はわからないけど、彩莉に執着している。
 その執着は、てっきり『彩莉を守る為』だと思っていた。
 だったら、彩莉がこのゲームから降りるのは、寧ろ歓迎じゃないのか……?

「今のままじゃ、あの子は死ぬのよ!?」

 ……何?

「それは、知らない。詳しく聞かせろ」

 俺の声は、もしかしたら震えていたかもしれない。
 それは意図したものじゃなかった。
 ただ、信憑性が増した事も、紛れもない事実だった。
 実際、御子柴の目の動きから、探りを入れようと言う意図のものが消えた。
 叫びながらも俺の方に向いた視線が、横へと逸れる。

「あの子は……このままじゃ、死ぬのよ。今の能力を頭の中に入れたままだと」
「は……?」
「死ぬの。遠くない未来にね。元々、深昏睡状態だった脳を、異能力の発動で
 ムリヤリ活性化させてるだけの状態だったけど、それが却って脳に過負荷を
 与える結果になったの」

 こいつは、何を言っている?
 死ぬ?
 彩莉が?
 まだ俺より全然小さい、あの子が?

「だから、除去する必要があるのよ。あの子の【電脳制御】は。今なら、当時より
 脳神経外科学は進歩してる。長く意識を保った状態でいた事も、きっと好材料。
 少なくとも、今の状態よりずっと可能性はあるのよ。生き続けられる可能性は……
 聞いてる?」
「……」

 聞いてはいる。
 理解もした。
 ただ……整理が出来ていない。
 元々、昏睡状態だった?
 異能力でムリヤリ意識を蘇らせた?
 そんな事、全然聞いてない。
 いや、彩莉と俺の関係は、そこまで深くはなかったけど。
 まだ知り合って間もないけど。
 けど――――あの子がそんな過去や未来を背負っていたなんて、全然知らなかった。
 そりゃそうだ。
 俺は、あの子に何一つとして、聞いてなかったんだから。
 あの子の人生に関する事を、何も。
 あの奇妙な、総合病院のような建物を『家』にしている事。
 小学生の身でありながら、単身であの『集い』に来た事。
 聞くべき事は、沢山あった。
 それなのに。
 それなのに、俺は――――

「……そんなにショックだったの?」

 これまでとは違う、御子柴の語調。
 それが、俺を思考の海から引き上げた。

「念の為に聞くけど……」
「嘘なんて言ってない。こんな嘘吐いてまで得られるメリットって何?
 アンタのその、情けない顔を見る事?」

 ……だよな。
 受け入れなきゃいけない。
 そう言う現実があると言う事。
 俺が今直面しているのは、そう言う現実と言う事。
 考えないといけない。
 知り合ったばかりでも、心の中で多少なりとも大きくなっていた
 あの少女が、生命の危機に瀕している。
 それを脱するには、あの子の能力を除去しなければならない。
 つまり、それは――――俺自身の能力除去を諦める、と言う事。
 俺にそれを諦めさせる為の嘘……一瞬、そんな考えも脳裏を過ぎったが、
 それは全く意味がない。
 結果的に、諦めた場合は彩莉に協力する事になり、現状となんら
 変わる事のない状態に落ち着くんだから。
 良い加減、受け入れよう。
 それが出来なきゃ、何も進まない。
 何も始まらない。
 俺は――――どうすべきか。

「一つ、聞かせて」

 そんな思考の整理を、御子柴が邪魔をする。

「……良いけど」
「アンタは、彩莉ちゃんの味方? 彩莉ちゃんを、あの子をどう思ってるの?」

 その質問に、何の意味があると言うんだろう。
 俺が本当の事を話すって言う前提はないのに。
 嘘を吐いて、混乱させたり、懐柔したりする可能性だってあるのに。

 ――――人は、そうやって生きているっていうのに。

「あの子と出会った事で、俺の中に少しだけ、生きる事への張り合いが出来た」

 俺もまた、そう言う人間の一人だというのに。

「俺は今まで、自分の能力こそが、自分の価値だと思ってた。それをどう活かすか、
 どう見つからないようにするか……それが、全てだったと言っても良い。
 でも、あの子は俺の能力じゃなくて、俺自身を頼ってくれた。慕って……くれてるか
 どうかは、わからないけど。兎に角、俺に意味を与えてくれたと思ってる。
 俺の能力じゃなく、俺を必要としてくれていた」

 こんな事を話すつもりなんて、微塵もなかった。
 まして、この女相手に、こんな自分の一番の恥部を。
 でも、声は止まらない。
 まるで、これまでずっと、吐露したいのに堰き止めていたかのように。

「ずっと、この能力が邪魔だった。これがあるから、俺はマトモな生活が出来ない。
 平凡な生活が出来ない。心の何処かに『自分は凡人じゃない』って言う、
 バカバカしい自負を生み出している事が、兎に角嫌だった。自分で何かを成した 
 訳でもないのに。これを拠り所にして、一生を過ごして行くような未来図さえ見えた。
 だから、消したかった。チャンスだって思ったよ。OHM-Gの話を聞いた時は。でも……」

 言葉を探す。
 そこまでする必要なんてないのに。

「……きっと俺は、もう望みを叶えたんだ」

 俺が描いていた、普通の生活。
 普通の生き方。
 それは、ここ数日の中に、確実にあった。
 彩莉と話している時、俺は確かに『普通』だった。
 その『普通』は、誰もが持つ『普通』じゃない。
 でも、異能力を持っている自分を、当たり前のものと認識して、それを気負わず、
 ただ相手との会話を、反応を楽しむ。
 重要なのは、目標や様式じゃない。
 自分自身の、心の在り方だ。
 そう言う意味で、俺はもう、彩莉から叶えて貰っていたんだ。

「だから……あの子に生きて欲しい。その為なら、やれる事はなんだってやる」
「味方、って事ね?」
「ああ。俺は彩莉の味方だ」

 我ながら――――失笑を禁じえない。
 こんな事、10分前までは考えもしてなかった。
 でも、本心だ。
 庇護欲とか、そう言うのもあるんだろうけど。
 他人に懐かれるなんて、初めての経験で、それに対して舞い上がってるってのも
 きっとあるんだろうけど。
 紛れもなく、今ここにある気持ちだ。

「わかった」

 そんな俺の回答を受け、御子柴は言葉少なに頷いた。

「だったら、私と同じ。私の目的も、あの子を守る事。あの子に生きて貰う事。
 性格の不一致、生理的嫌悪……色々あるけど、協力しましょ」
「目的が同じなら、そうする事が一番だろな。異論なし」

 こうして――――俺と御子柴は、『理事長埋蔵金事件』の件で一度結んだ仮の協定を、
 本格的に継続させて行く事となった。









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