世の中には、幾つもの不可思議が転がっている。
それは摂理であり、ある種の屁理屈でもある。
そして――――ここ、職人国家マニシェの東部にある広大な都市【イエロ】にもまた、
多くの不可思議が存在していた。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
木造の小洒落た建物の前で、男が深々と頭を下げる。
その姿には、一片の隙もない。
誰が見ても、それを誠意と感じ取れる、完璧な『礼』。
その様子を見て、一体誰が、地面を見つめるその表情――――悪魔のような笑みを
想像できるだろうか。
口の端は禍々しく釣り上がり、目はまるで三白眼。
しかし、頭を上げた次の瞬間には、紳士然とした優男の爽やかな微笑が
塗装店【セノール】の店頭で風を受けている。
店主、ロック=クラフトワーズの描く、いつもの風景だ。
この塗装店【セノール】、表向きはごく普通の塗装屋。
石灰を材料としたイエロ漆喰、或いは植物と油を使った自然塗料など、
様々な塗料を駆使し、様々な物質に色を塗ると言う、ありふれた職業に他ならない。
家の壁から剣の鞘まで、その需要は広範囲。
塗料の質と腕さえ確かなら、十分な利益を得られる仕事だ。
だが、ロックにとって、この職業は生業ではない。
趣味。
その言葉が最もしっくり来る。
道楽と言い換えても良いのかも知れない。
ただ、塗装業を好んでいると言う訳ではなく、その塗装の際に行う『とある作業』
がもたらす結果に対して、悦楽にも似た感情を抱いている。
それは――――『塗精術』と呼ばれる、隣国【メンディエタ】から流れ着いた技術。
特殊な塗料を塗り込む事によって、その物質に精霊を宿すと言うものだ。
この世界において、精霊の存在と言うのは余り信仰されておらず、
宗教においても、魔術の始祖アランテスを信仰する【アランテス教】が
圧倒的な割合を占めており、精霊信仰は少数派に部類されている。
ただ――――信じる者が少ないからと言って、それが迷信であるとは限らない。
事実、精霊は存在する。
尤も、それが一般人の認識している『精霊』と同一であるかと言うと、そうではない。
精霊は、人格を持たないものが99%を占める、『現象』に等しい存在だ。
だから、話す事は勿論、意思の疎通も出来ない。
雨が降る、火が燃える、雷が鳴る――――そのような自然現象と精霊は極めて
近しい関係にある。
その数は、極めて多彩。
ありふれた現象から、あり得ないような現象まで、まさに多種多面だ。
ロックは――――そんな塗精術を、客に黙って、こっそりと施行していた。
その結果、色を有した家の壁が、馬車の荷台が、タンスが、
犬小屋の屋根が、こぞって『不可思議』な現象を引き起こしていた。
突然の爆破。
巨大化。
金への変質。
液状化。
【イエロ】内にて、ロックの塗精術によってもたらされた怪奇現象は、枚挙に暇がない。
ただ、幾ら『【セノール】に依頼して塗装して貰った』と言う共通事項があっても、
それがどういった理屈で怪奇現象を呼び起こしているのかがわからない以上、
ロックに対して非難を浴びせる事は出来ない。
実際には、何人かが血相を変えてやって来たが、ロックの『たかが塗料を塗ったくらいで
そんな現象が起こるのなら、世の中の塗装屋は全員廃業ですよ』と言う一言に
誰もが沈黙を余儀なくされた。
――――厄介な点は。
幸福な怪奇現象が訪れた依頼人も少なからずいる、と言う事。
嫌がらせと断定する事も出来ない。
その為、顧客となった面々は、不気味に思いつつも、それを官憲や騎士などに
告げ口する事はなく、また自分自身が頭のおかしいヤツと思われかねないので、
他人に言い触らす事も出来ず、結果として【セノール】の客足が途絶えると言う事はなかった。
では、何故ロックがこのような『戯れ』をしているのかと言うと――――
単純に、面白いからと言うのが9割。
ロックは、そう言う意味では紛れもなく人格破綻者だ。
そして、もう1割は――――それなりの理由。
ただ、この理由に関しては、決して他人に対して漏らす事のない、墓場まで持って行く類の
最上級機密として、ロックの心の中にひっそり沈んでいた。
「さて、今日はどんな事が起こるでしょう」
代わりに吐き出すのは、最上級の期待の言葉。
ロックの生きる喜びの半分以上は、塗精術の結果を人伝で知る事だ。
依頼人が不幸になる話は大好物。
幸福になる話も、それはそれで十分楽しめる。
精霊の気まぐれとでも言うべき、そんなランダムな結果を待ち侘びる日々は、
ロックの日常を充実したものにしていた。
さて――――
そんな、人としてかなり終わっているロックの元に、シュメール=シュプランガー
と言う少年が訪れたのは、ある意味必然だったのかもしれない。
類は友を呼ぶ。
ただ、この場合、シュメールの人格が破綻している事を意味する訳ではない。
別の意味で、終わっている少年だった。
上空は、これでもかと言わんばかりの分厚い雨雲で覆われているが、
一向に雨が降ってこないと言う、煮え切らないお天気。
妙な予感は、早朝からあった。
実際問題、嫌な出来事と天気の間に相関関係は存在しないが、
人間はそう言うところを割と繋げたがるもので、ロックもそれは例外ではない。
取り敢えず、今の心情はそんなところか――――と、一息吐きながら、
塗装店【セノール】の唯一の従業員にして店主である男は、自分の店の応接室の扉をノックした。
「どうですか? 少しは落ち着きましたか?」
「ぐすん……どうにか」
シュメールと言うこの少年、この店を訪れた時から、既に涙ぐんでいた。
それが、例えば麗らかな女性の涙であったなら――――ロックはそれはもう
極上の笑顔で、傷口に薄い塩水を何度も何度も浴びせるように、その理由を
小出しになるような手法で引き出していただろう。
女性の恥じる姿や困った顔を、ロックは年に一度の御馳走より好んでいた。
だが、男――――それも結構な年下の少年の悲哀に満ちた顔は、それはそれで嫌いではなかった。
「では、これをどうぞ。以前、【エチェベリア】と言う国で購入したハーブティです。
穏やかな香りで、落ち着きますよ」
「あ、ありがとうございます。なんか、すいません……ぅ?」
恐縮しつつ、シュメールはハーブティを口に含み――――とても悲しい顔をした。
その飲み物には、そこそこの割合でリキュールが入っている。
ロックは予想通りのリアクションにひたすら満足しつつ、シュメールの対面に座った。
「では、落ち着いたところで、ここへ来た目的をお聞かせ下さい」
「は、はい。えっと……凄い、いや、強い武器を作って下さい!」
魂の叫び。
シュメールの声は、塗装屋の室内に高らかに響いた。
「成程。中々愉快な提案ですね。わかりました。作りましょう」
塗装屋のロックは、二つ返事でその依頼を了承した。
理由は言うまでもない。
最高に面白い事が待っていると言う予感。
それだけで十分だった。
斯くして――――歴史的犯罪とも言える二人の出会いは、無事果たされた。
- 堕紳士ロックのいとおしき所業
-
「おはようございます、シュプランガー様。本日は昨日と打って変わって
目の冴えるような美しい青天ですよ」
翌朝――――シュメールは、そんなロックの冗舌な挨拶によって、
永い眠りから目覚めた。
特に死んでいた訳ではないが、そう形容しても差し支えない程、泥のように眠っていた。
「ふあ……おはよう。あっ、すいません! 寝ぼけてて……おはようございます」
「構いませんよ。今日から我々は、発注側と受注側。貴方の方が立場は上です。
どうぞ、赤子やペットに話しかけるような気軽さで接して下さいませ。
心の中でその度に罵倒を繰り返しますが、お構いなく」
「え……えっと、それじゃ遠慮なく? いや、やっぱり……うーん……」
最後の一文が気になったらしく、シュメールは困惑していたが、結果的に
お互い砕けた言葉と呼び方で、と言う運びになった。
「では、シュメール。早速ですが、本日から武器作りを行います。
通常なら、出来上がるまで待って貰うという事になるのですが、貴方が所望する
『強い武器』を作る為には、持ち主となる貴方の協力が必須。と言う訳で、
これから外出するので、付いて来て下さい」
「はい……じゃなくて、うん、わかった」
そんなこんなで、外出。
塗装店【セノール】は街中にはなく、山中にロッジを構え、孤立した状態で
ひっそりと運営している。
ロックは決して人間嫌いではないのだが、単純にそう言う環境が好みと言う理由と、
もう一つの『とある理由』によって、商売上最も不利な立地条件で、自身の城とも言うべき
店舗を建てた。
そんな山中を出て、最寄の街【アルムニア】へ赴くまで、徒歩で90分。
それでも、【セノール】の客足が途絶えずにいるのは、辻馬車が通っているからだ。
当然、一塗装屋の為だけに通っている訳ではない。
そのロッジがある【クレアル山】に、幻の精霊【ハーグリーブス】がいると言う噂が
流れており、それを見つける為、観光客や精霊マニアが数多く訪れる――――と言う
立派な需要が存在するからだ。
しかし、今のところハーグリーブスを見つけた者はいない。
ロックが流したデマなので、当然ではあった。
精霊の外見は勿論、誕生秘話や巡り会う事で得られる恩恵、泣ける生い立ちなどを
綿密に、綿密に、そして綿密に詰めた設定が、その信憑性を未だに持続させている理由だ。
当然、全ては街との馬車を通す為。
ロックは、そんな事を呼吸と同じくらい平然とやる男だった。
「そう言えば、この山って幻の精霊がいるって聞いたけど、ロックさんは見たコトありま……ある?」
「ええ。半透明の翼を持った小さい精霊です。その翼が消失した時が、彼等の寿命なんですよ」
「儚い存在なんだね」
しれっと説明するロックに、シュメールは感心するように頷いた。
その後、馬車に揺られながら雑談を続け――――定時に乗り場へと着くと、
今度は街中を彷徨うように闊歩する。
シュメールの表情には、徐々に不安が現れて来た。
「あの……どうしてロックさんは、動機を聞かないの? ボクが貴方に武器を依頼した理由を」
或いは、その話をする機会を伺っていたんだろう――――そう判断し、ロックは薄く微笑む。
「深い事情があるのかも知れない。ただの世間知らずかも知れない。けれど、それは
僕にとっては、どうでも良い事なんですよ。だから、余り興味もありません」
不安が困惑に変わる。
その様子を横目で眺め、ロックは小さい至福感に酔いしれた。
「とは言え、これから『強い武器』を作る上で、その理由と言うのが必要となる
可能性も考えられます。もし差し支えないのであれば、解説を頂けると助かりますが」
「……」
シュメールは、暫しの沈黙の後、徐に口を開いた。
「ボク、才能がないんだ」
「何の?」
「……強くなる才能。全然ないんだ。どれだけ努力しても、どんな修行を積んでも
全然それが身にならない。戦士養成所も、才能がないからってクビになったし、
ギルドにも入れて貰えなかったし、近所の子供に苛められるし、親戚の赤ちゃんに
ビンタされて泣いちゃったコトあるし……」
「成程。さぞ不幸な生い立ちを送ってきたのでしょう」
ロックは緩みきった顔を見せないよう、顔を背けて聞いていた。
「でも、何故才能がないとわかっていて、闘う事を生業にしようとするのです?
隣の国は魔王だなんだと騒々しいですけど、このマニシェは到って平和です。
職業なんて幾らでもありますよ?」
当然と言えば当然なロックの疑問に、シュメールは瞼を半分閉じる。
「ボクの父親は、名のある傭兵だったんだ」
そして、どこか憂いを帯びた顔で、切々と語り出した。
「長年、ギルドに務めて、何度も要人の命を救って……故郷では、ちょっとした英雄だったんだ。
そんな父親の息子として生まれたものだから、多くの人が期待をしてくれたみたいで。
でも、ご覧の通りの有様。ハッキリ『父親の面汚し』って言われた事もあったな」
「成程。父親の名誉の為に、強くなりたい。でもそれが叶わないから、『強い武器』を手に入れて、
それで補おう……と言う訳ですか」
「父はボクに闘わなくて良い、って言ってくれてるんだけど」
遠くを見る目で、シュメールは空を仰いだ。
そこにあるのは、故郷の景色なのだろう――――と、ロックは真顔でその視線を追う。
人格破綻者故に、感動はしないし、同情もしない。
ただ、その反骨心には瑣末ながら関心を覚えた。
「さて、着きました」
「え?」
そんな話の流れをぶつ切りにするように、ロックはとある建物の前で歩を止める。
そこは――――【武器】とだけ記された看板を掲げた、かなり殺伐とした空気を
纏う小さな店舗。
シュメールは思わず一歩、後退りしてしまった。
「あ、あの……恥ずかしい話なんだけど、ボク、既存の武器は大抵、重くて扱えないんだけど……」
「ええ。だから、武器職人じゃなくて、僕に依頼してきたのでしょう。不可思議な現象を
起こす元凶と言う噂をアテにして」
ロックのその言葉は、シュメールに図星である事を示す表情を形成らせた。
実際、それくらいしか理由が思い浮かばなかったのも確か。
だからこそ、ロックはこの場にシュメールを連れて来た。
この、一風変わった武器屋【アノーニモ】に。
「はぁい、いらっしゃいませ☆ どのような御武器をお探しですかぁ?
って、あれ? ロックのお兄ちゃん! 今日はどうしたのぉ?」
変わっている点、その1――――店員が幼い風貌の女の子である、と言う事。
小柄で、目が大きく、ほっぺには赤みが差している姿は、10歳くらいにしか見えない。
が、実際の年齢はロックと余り変わらない、10代後半。
当然、少女ではない。
そして――――その2。
そんな女性が、平然と禍々しい武器【アンラ・マンユ】を抱えている点。
この武器、形態はハンマーだが、そのサイズはロックの身長以上。
加えて、打突部分に『一つ目』が刻まれており、不気味な事この上ない。
最後に――――その3。
店に置いてある殆どの武器が、それと大差ない、おどろおどろしい形状を
している、と言う点。
言うなれば、呪いの館のような空間だった。
「世界最強の武器を作ろうと思いまして。その協力を要請しに来ました、イオ」
そして、そんな空間に対して明らかに怯えているシュメールを他所に、
ロックは堂々とそんな事を宣言した。
「世界最強の武器、ですかぁ?」
思わず聞き返してくる店員――――イオに、ロックは悠然と頷き、
シュメールはあたふたとしている。
強い武器を所望してはいたが、世界最強の武器と言う発想はなかったようだ。
「わっかりましたぁ☆ 及ばずながらぁ、御協力します!」
「イオは話が早くて助かります。流石、その年齢でこの武器屋を構えるだけはある
と言うものです」
「えへ☆ それじゃぁ、ちょっと待っててくりくり☆」
パタパタとイオが店の奥に引っ込む中、シュメールが恐る恐るロックの裾を掴む。
「あ、あの……大丈夫なのかな、色々と。話が飛躍し過ぎて、ついて行けないんだけど」
「ならば、ついて来れるように努力する事です。努力は嫌いじゃないのでしょう?」
「そりゃ、そうだけど……世界最強、は言い過ぎなんじゃないかなあ」
「強い武器と言うオーダーを授かった以上、目指すのはそこです。でなければ、
僕が動く意味がない」
キッパリと言い切るロックに対し、シュメールはやがて諦めの境地に達したのか、
大きく息を吐き、裾を離した。
そして、それと同時に、イオが戻ってくる。
「お待ちどおさま☆ はい、これ☆」
「ありがとうございます。それでは、宜しくお願いします」
ロックが一礼しながら何かを受け取る中、シュメールは全く話についていけず、
首を右往左往させた末に遅れて頭を下げ、悠然と店から引き上げるロックに
慌ててついて行った。
「い、一体何を受け取ったの? 武器、ってワケじゃないみたいだけど」
「鍵ですよ。世界最強の武器を作る為の鍛冶場の。とは言え、そこを実際に使うのは
僕じゃないですけどね。流石に剣を打つ技術までは持っていませんし」
笑いながら歩くロックに対し、シュメールは未だ混乱の中。
その後も不毛なやり取りが幾つか行われたが、特に実を結ぶ事はなく――――
次の目的地へと辿り着いた。
【未成年は立ち入るべからず】と言う説明が記された張り紙がベッタリ貼られたその扉を
ノックし、返事も待たずに入って行く。
その中には、小奇麗なカウンターと丸いテーブルが並ぶ、酒場のような空間が広がっていた。
「あら? ロック。珍しいじゃない、店に来るなんて」
そして、そのテーブルを丹念に拭いていた女性が、ロックの方に視線を向け、
半眼で呟く。
後ろで束ねられた髪を腰の辺りで揺らし、頬には汗を滲ませているその女性に、
シュメールは思わず息を呑んだ。
「き、綺麗な女の人だなあ……さっきとは別の意味で驚いた」
「イオに聞かせたら、一つ目ハンマーで頭を潰されそうな科白ですね」
焦るシュメールを横目で一瞥し、ロックは視線を店内へと向けた。
酒場のような場所ではあるが、酒場と言うには狭い。
それもその筈。
ここは、集いの場ではあるが、決してアルコールを出す事が主目的の場所ではない。
この街の住人、或いは観光客が、健全にギャンブルを楽しめる娯楽施設【フーゴ】だ。
「で、そっちの子はどなた?」
その施設で働く女性――――フォルトゥーナ=ハリステアは、シュメールに
朗らかな笑みを向け、自己紹介を促した。
「は、はじめましてっ! ボクは、シュメール=シュプランガーって言います!」
「僕に興味深い依頼を持って来てくれた少年です」
緊張気味の自己紹介に補足を入れたロックに対し――――フォルトゥーナは
露骨に俯き、溜息を落とした。
「はあ……またロックの被害者が生まれたって訳ね」
「失礼な事を言わないで下さい。僕は自分を頼ってくる人に対して、常に真摯に向き合っています」
「そうでしょうね。いつも真面目に面白がってる事は確かだもの」
再び、嘆息。
一方、ロックは目を細めて薄く笑っていた。
そんな二人を交互に見やり、シュメールは首を傾げる。
「あの……お二人はどのような……まさか、恋人?」
「イオの時は、そんな質問しなかったように思いますが」
「え、いや、だってあの子は……あうっ」
途中で失言である事に気付いたシュメールは、再び緘口令を発動させるべく
口元に指で『×』を作ったが、ロックはしれっと無視した。
その様子を半眼で眺めていたフォルトゥーナが、小さく息を落とす。
「シュメール君、だっけ? 悪い事は言わないから、この男に関わるのは止めときなさい。
人の幸運も不幸も笑いの種に変えて、それを満開のライラックに育て上げる天才よ?」
「そ、そうなの……?」
シュメールの不安げな顔に、ロックは小動物を愛でるような顔で微笑んだ。
「まあ、僕の趣味嗜好は置いておくとして。ここに来たのは、二つの理由があります。
その内の一つを早速やっておきましょう。フォル、ダイスを用意して」
「……何? こんな時間から運試し?」
「試したいのは、彼の運です。それ次第で、作る武器の傾向も変わってくるので」
「武器……? ま、良いけど。それが仕事だしね」
訝しがりつつも、奥に引っ込むフォルトゥーナの後姿を視線で追い、シュメールは
一つ溜息を吐いた。
「顔も美しいけど、スタイルも綺麗だなあ……良いなあ」
「余り入れ込まない方が良い、と助言しておきます。彼女は外見はああですが、
直ぐに暴力を振るう、直情直下型の暴力女です。しかも、傭兵崩れの大男を一撃で
仕留めるくらいの腕なので、下手に口説こうとすると、逆に落とされますよ」
「そ、そうなの……?」
シュメールの恐々とした顔に、ロックは神を慈しむような真顔で頷いた。
「あの……さっきの続きだけど、ロックさんとフォルトゥーナさんの関係は?」
「ただの腐れ縁です」
普段かなり冗舌なロックの、そんな短い返答に、シュメールは思わず首を捻る。
だが、追求するより前に、フォルトゥーナが戻って来た。
「それでは、運試しと行きましょうか」
運――――それは、人の持つ立派な個性。
巡り合わせもあるにはあるが、大抵はセンスと同じく、持って生まれたものであり、
劇的に変動するものではない。
その為、運の悪い人間に対し、ランダム要素のある武器は持たせられない。
それを計るべく、シュメールはロックのお金を使い、ダイスゲームに興じた。
結果――――3分で全ての金額を失った。
「……嘘でしょ? 緒戦から12連敗って……お店の記録、大幅更新しちゃった」
「成程。そう言う星の元に生まれたと言う訳ですか。あ、今のお金は早めに返して下さいね。
金利は……特別に十一に抑えておきます」
燃え尽きて真っ白になっているシュメールを眺めつつ、ロックはこの上なく満足げに
何度も頷いていた。
「それで、結局この子は何なの? って言うか、どうしてアンタが武器を作る手伝いなんて
してんのよ。私が知らない間に転職でもした?」
「いえ。ただ、来る者拒まずが僕の指針ですので。さて、次もあるので、この辺で失礼」
「あら、目的には二つあるんじゃなかったの?」
「もう二つとも果たしました。大変満足です」
まだ立ち直れないシュメールを眺めるロックの視線に気付き、フォルトゥーナは
この上なく大きな溜息を吐いて、ヒラヒラ手を振った。
「後でまた来ます」
「もう来ないで。アンタが私の前に現れる度、頭痛に襲われてる気がするから」
「今のその顔はチャーミングですよ、フォル」
店内に殺気が充満したので、ロックとシュメールは即座に【フーゴ】を後にした。
その後、二人が向かった場所はと言うと――――
「……ギルド?」
「ええ。ここは一階の修練場を一般開放してるので、実力を見るのにはうってつけなんですよ」
「う……やっぱり、それなんだ」
運試しの段階で、ある程度次の展開を予想していたシュメールは、沈痛な面持ちで
ロックの後を追い、傭兵ギルド【マリポーサ】に入った。
このギルドは、隣国であり、傭兵国家と言う冠を持つ【メンディエタ】を拠点とした
非常に巨大な規模の団体。
この二国以外にも支部がある、世界規模のギルドだ。
そして――――シュメールにも少なからず関わりのある団体だった。
「僕、実はこのギルドの審査で落とされたんだ」
「そう言えば、そのような事を言っていましたね。このギルドと言うのは初耳ですが」
「実戦形式の審査で、ギルドの人を相手に腕を見せろって言われて、修練場に……
結局、何も出来ず仕舞いで、失笑、失笑、また失笑……うう、胃が」
トラウマを刺激され、シュメールの顔はみるみる蒼くなって行った。
しかし、それを喜びこそすれ、同情するロックではなく――――
「それは大変でしたね。では、行きましょうか。その修練場に」
「うわっ、ロックさんがこの上なく恍惚とした顔にっ」
「気の所為ですよ」
悪魔のような笑みを最早隠しもせず、ロックはシュメールを引きずるようにして
修練場へと赴いた。
ちょうど昼時とあって、人気は疎ら。
かなり広い修練場で、入り口付近には剣や戦斧など、数多くの種類の武具が
木製の台に立て掛けられている。
練習用の物なので、品質に関しては明らかに劣悪。
実際、斬り込み用の人形を相手に修練を積んでいる連中は、殆どが自分の得物を使用している。
そんな連中が、一度手を止め、二人の姿に注目を始める中――――ロックは特に
それを気にも留めず、練習用の武器を吟味し始めた。
「あ、あの……ロックさん」
「これと、これ……取り敢えず、この辺りを全部試してみましょうか」
対照的に、周囲の目を過敏なまでに意識するシュメールが狼狽を露にする中、
その足元にはどんどん武器が積まれて行く。
そして――――
「では、まずはノーマルなロングソードから。あの人形目掛けて斬り掛かってみて下さい」
完全に手を止めて見学する者も出てくる中、シュメールは半ば強制的に
『公開試験』を行う事になった。
トラウマと羞恥心が、その顔を強張らせる。
それを確認し、ロックは虚空に向けて親指を立てた。
そんな、周囲にとっては意味不明なリアクションを挟みつつ、テスト開始。
運の次に確認するのは、武器製作において最も重要な『相性』だ。
どんな形状で、どんな重さの武器が合っているのか――――それは戦士には
非常に重要な事項。
戦闘では、僅かな戦闘範囲の差で命を落とす機会がごまんとある。
空間把握能力こそが、戦いにおいて最も重要だと断言する識者もいるくらいだ。
今回のギルド訪問と修練は、それを確認する為だったのだが――――
「……とうっ! やあっ! あわあっ!?」
シュメールは標準サイズのロングソードに振り回され、まるで山奥に代々伝わる
エンターテイメント性皆無の民族舞踊のように、不気味な足取りでフラついていた。
「次。このショートソードを」
ロックは特に言及せず、重量系の武器を全て片し、より軽い武器を手渡す。
が、そのショートソードすら、満足には扱えていなかった。
「では……このナイフを」
最終的には、女子供でも扱える、果物を切る際にでも使用しそうな小型ナイフを採用。
流石に、それに振り回される事はなかったが、まるで子供の御遊戯のように、
ただビシビシ人形を叩くだけの行為に、ロックは思わず片手で顔を覆った。
修練場が失笑で包まれる中、二人は沈黙のままにギルドを出て、最寄の食事処に入り、
そこで会議を始めた。
「僕の見通しが甘かったようです。事態は思った以上に深刻でした」
「ご、ごめんなさい……僕、病的に弱いんです」
「身体能力に関しては、体格や歩行の仕方で大体想像は付いていました。
ただ、殆ど満足に武器を扱えないと言うのは、ちょっとした衝撃です。ちなみに、鍛錬は……」
「一応、毎日。3歳の頃から欠かさず」
この上なく申し訳なさそうに告げるシュメールに、ロックの顔が険を帯びる。
それだけで、シュメールは怯えた。
身体能力、技術に加え、『胆』も一般の子供並。
心技体、全てがスカだった。
これが、特に何も鍛えていない少年であれば、まだ良い。
毎日欠かさず、10年以上鍛錬を重ねた結果、出来上がったものとなると――――
これ以上の発展は全く期待できない。
よって、現状のシュメールに扱える、世界最強の武器を作ると言うのが
ロックの抱えた案件の全容と言う事だ。
もっと要約すると、こうなる。
『世界最弱の戦士が扱える、世界最強の武器』
それはある意味、どんな伝説にも勝る伝説を作れそうな武器だった。
「……ボクの母は、病弱なんです」
纏め終えたロックに対し、シュメールがポツリと語り出す。
――――数々の武勇伝を持つ父と、圧倒的に貧弱な母。
シュメールは、母の体質を受け継いだ。
それでも父の背中を追ったのは、父への憧れや名誉の保持だけではない。
『ごめんね、シュメール……私の弱い部分ばかりを継がせてしまって』
そんな、母の口癖に対して、首を横に振る為。
強くなった自分を見て貰って、負い目を無くして貰う為。
父の優しく建設的な言葉に背いてでも、戦士として生きると決めたのは――――
母の為だった。
「……くぁ」
そんな告白に対し、ロックは窓の外の景色を眺めながら欠伸していた。
「ロックさん……ボクの話、聞いてました?」
「申し訳ありません。美談とか、感動的な話とか、そう言うのちょっと苦手でして」
基本的に人格破綻者なロックは、感性も腐っていた。
「目的に関しましては、両親の為だろうが、教会の孤児の為だろうが、金の為だろうが、
何でも構いません。重要なのは、貴方の扱える武器がナイフのみと言う事です」
「ううっ……すいません、弱くてすいません」
「自分を卑下する必要はありませんよ。弱いのも、一つの個性です。その分はこれから作る武器で
補いましょう。その為に、君は僕を訪ねてきたのでしょう?」
目を細め、ロックは笑う。
先刻、ギルドの修練場で思わず顔を覆った際にした表情と、全く同じものだった。
湧き上がるのは――――歓喜。
それ以外は何もない。
この、絶望的に滑稽な命題に対し、主演として関わる事を許された事への感謝を
神でも精霊でもなく、目の前の少年に現すべく、心中で一礼する。
「ありがとうございます……」
その礼に対して、と言う訳ではないが、シュメールもまた礼を返す。
儀式にも似た、そんなやり取りが交わされた刹那――――
「まさか、こんな所でお前の顔を見る事になるとはな。シュメール」
突然、隣の席から低い声が飛んで来た。
シュメールは首を、ロックは眼球を動かし、その声の主を特定する。
「……クライン?」
同時に、シュメールから名前を表す言葉が漏れた。
頭にバンダナを巻いた、眼光の鋭い男。
年齢的にはまだ若く、シュメールと同世代と言う外見ではあったが、
纏う雰囲気はまるで異なる。
「知り合い、なのですか?」
水を一口含みながらのロックの疑問に、シュメールはゆっくり首肯する。
「幼なじみです。父の親友の、息子で……親子共々、【マリポーサ】の一員です」
その説明は、シュメール本人の矜持を著しく傷付けた。
門前払いを受けた彼にとっては、この上ないコンプレックスとなるのは明白。
予想外の苦悶の顔に、ロックの胸は躍った。
「その父親同士が、交わしたと言う約束を覚えているか? 俺が2年前に教えた筈だ」
そんな人格破綻者は無視し、クラインと呼ばれた男はシュメールの目をじっと睨む。
シュメールは、明らかに臆していた。
劣等感。
そして――――恐怖。
その双方が、元々小さい彼の体を更に萎縮させている。
「覚えているが、口に出したくない……そんなところだろう。ならば、もう一度言おう。
『俺達の倅が切磋琢磨し、共に隊長となるその日まで、現役で居続けよう』。
わかるか。この約束の意味が」
問い掛けるクラインに、シュメールは答えない。
ただ静かに、弱々しい瞳を漂わせている。
「親父やお前の父親は、俺達にギルドの未来を託す事を夢見ていたんだ。
だが、隊長と言う地位は問題ではない。重要なのは、志だ。巨悪へ立ち向かう勇気、
地域住民の信頼……そう言ったものを見せる俺達を見て、自分達の後を任せられると
判断した上で、ギルドを去りたかったんだろう」
「……」
「だが、その志を継ぐ者が、事もあろうに、武器に縋る生き方を選んだとはな」
話は全て聞いていたらしい。
クラインの顔は、失望と嫌悪で満たされている――――ように見える。
「言い訳はないのか?」
「……何も、ないよ。その通りだから。ボクは……強くなる事を、諦めたからっ!」
突然、シュメールが立ち上がる。
そして、直ぐ傍まで食事を運びに来ていた給仕を押しのけるようにして、
食事処を出て行った。
余りにも居た堪れなくなった――――そんな負の感情が、残り香のように漂う。
それを暫し堪能し、ロックはクラインの方に視線を向けた。
筋骨隆々ではないが、適度に締まった身体には、十分な量の筋肉が付着している。
足元に立てかけている剣も、かなり大きめ。
十分なパワーとスピードを両立させた万能型――――ロックはそう判断した。
「お見苦しい所を見せてしまったようで、申し訳ない」
その刹那、クラインが意外にも謝罪の言葉を述べてくる。
ロックは怪訝な顔で、それを聞いていた。
「それは構いませんが。寧ろ、こちらとしてはお礼の一つでも言いたい気分ですし」
「どう言う意味だ?」
「いえ、全く他意はないので、深読みはご遠慮願いたいところですが……
それより、一つ聞きたい事があります。宜しいですか?」
肩を竦めながら問うロックに、今度はクラインが訝しい目を向けた。
そして、そのまま首を縦に振る。
「感謝を。では……貴方は、彼の……シュメールの努力は知っておられるのでしょうか?」
「ああ。ヤツは子供の頃から、父親の真似事をしていた。その後もずっと、
地味な基礎訓練を何度も反復していたよ」
「では、その上で、彼を非難したと」
特に語気を荒げるでもなく、ロックは再度問う。
全く怒っている気配がない事に、クラインが逆に困惑しているくらいだった。
「……何が言いたい?」
「10年以上の長期に亘り、毎日努力を積み重ね、それでも全く前に進めない哀れな少年が
苦渋の決断で強くなる事を諦め、別の方法で強さを得ると言う選択をした事に対して、
貴方は『武器に縋る』と言う言葉一つで非難したのかと、そう聞いているのですよ」
冗舌な言葉の中にも、怒気は一切含まれていない。
クラインの困惑の色は、更に強まった。
「……そうだ。非難した。それの何が悪い?」
「悪いとは言っていません。ただ、そう問い返すと言う事は、貴方の中に『罪悪感』が
働いているからでしょう。敢えて僕が貴方を弾劾するならば、そこですね」
「……?」
困惑が狼狽に変わりつつある中、ロックはキッパリ告げた。
「追い込みが甘い。あれでは、折角の絶望的表情が見られないではないですか。
この上ない最高のシチュエーションだと言うのに、全く」
そして、怒る。
その怒気の意味すら理解出来ないクラインは、ついには及び腰になった。
「僕なら、あの場で大人しく逃がしはしません。畳み掛けますよ。まだ彼は泣いてすらいなかった。
泣いてからが追い込みの始まりなのですよ? わかっていますか?」
「わ、わからない」
「それは非常に不勉強です。いいですか、人を落ち込ませると言うのはですね、
まず相手の耐久力を知る事が重要です。どの程度の言葉で全ての気力を失うのか、
それくらいなら耐えられるのか……それを瞬時に把握してこそ、蜜のような困惑の顔が
見られると言うもので……」
クドクドと続く意味不明な説教に、クラインはついに怯え出した。
「こ、これから仕事があるんだ。失礼する」
「待ちなさい。話は終わっていませんよ」
が、ロックは立ち上がろうとするクラインの足元にあった得物を取り上げ、
それを妨害した。
「な、何をする!」
「中々の剣です。バランスも悪くない。が……所詮は、数ある武器の一つ。
僕がこれから作る世界最強の武器の前には、鉄屑も同然ですね」
長らく――――ロックの言葉を理解できずにいたクラインだったが、
その『挑発』は瞬時に理解し、納得した。
「成程、そう言う事か」
「そう言う事です。聞くところによると、貴方がたは二世代に跨ったライバル同士。
実力的には、全く噛み合っていませんが、貴方の様子を見る限り、その意識を十分に
有していると判断します。ならば、口で諭すのではなく、武器で語るべきでしょう」
これから生み出す『最弱の戦士の為の最強の武器』は、この男を見返す為にある――――
そう判断したロックは、その敵を生み出す事にした。
そして、まんまとそれは成功した。
「……俺は、武器に依存する戦士はクズだと思っている。つまり、シュメールはクズだと
言う事だ。当然、容赦はしない。良いのか?」
「貴方にその覚悟があるのなら、ご自由に。尤も、彼を憎みきれないと言う思いが
節々に漏れ出ている今の貴方に、それが出来るとは思いませんが」
「黙れ!」
見透かされたようなロックの言葉に、クラインが吼える。
「世界最強の武器? 笑わせてくれる。あの貧弱男が武器一つで一人前の戦士になるのなら、
この世のあらゆる努力は無意味だ!」
「貴方は、勘違いをしていますね」
そして、語気を荒げるクラインに対し、ロックは静かに告げた。
「努力と言うのは、身体を疲労させ、鍛える事を指す言葉ではありませんよ。
目標に対して、あらゆる労力を惜しまず、あらゆるアプローチを模索し、試し、施行する事です。
彼は、努力したからこそ、僕に辿り着いたのですよ。世界最強の武器を作る事の出来る、僕に」
その、相変わらず冗舌な発言に対し――――クラインは、笑った。
初めてロックに見せるその笑顔は、野心がそのまま具現化したような顔だった。
「……面白い。貴方の主張と、俺の主張。どちらが正しいか、勝負と行こう」
「可能な時期が来たら、お報せしますよ。場所、詳しい日時はそちらにお任せします。
では――――良い仕事を」
不敵に微笑み、ロックは剣を元の位置に戻し、給仕の運んで来た食事を取り始めた。
元より、シュメールを追う気はない。
その必要がない事を悟っているからだ。
「世界最強の武器なんて、作れはしない。仮に作れたとしても、それで人間が強くなれる筈がない」
クラインはそんな捨て科白のようなものを残し、一足先に店を出た。
それを一瞥するでもなく、ロックは瞑目する。
「確かに、強くはなれませんね」
味わい豊かなスープが口の中を踊る中、その目を静かに見開いた。
「でも、勝つのは僕達です。それが――――最強の定義ですから」
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