翌日――――
 余り治安が良くないと噂されている傭兵ギルド【マリポーサ】の界隈にある
 宿に一泊し、何事もなく平和な朝を迎え、新鮮な空気を体内に取り込みながら
 大きく伸びをするロックは、ふと何か重要な事を忘れているような心持ちになり、
 暫し首を捻り、窓の外に視線を向けた。
「……ああ、そう言えば、放置したままでしたね」
 そして、その景色の中に、冥界への道を漂う死霊のようなシュメールの背中を
 見つけ、ようやく思い出す。
 その後、特に慌てる事なく外出し――――発見、そして半日振りの再会を果たした。
「良かったあ……見捨てられたのかと」
 シュメールは、だーっと涙を流し、安堵していた。
 人の不幸も幸運も堪能するロックは、その表情にも一定の満足を覚え、
 改めて本日の日程を消化すべく、共に目的地へと移動した。
 そこは――――鍛冶場。
「遅かったじゃない」
「レディを待たせるなんて、ロックのお兄ちゃんはイケない人です、ぷんぷん☆」
 そして、鍵が掛かっているその入り口の前には、フォルトゥーナとイオの二人が
 待ち構えていた。
 それぞれ、昨日の格好とは異なり、イオは厚手の手袋と皮製のブーツを着用、
 フォルトゥーナは緑色の長袖と短パンと言う、動きやすい格好になっている。
「あれ? お二人は一体……」
「協力者です。最強の武器を作る為の」
「え?」
 ロックの説明に、シュメールの目が見開く。
「イオは武器屋を営む傍ら、鍛冶師としても腕を振るっています。
 ただ、掃除が大嫌いなので、鍛冶の仕事を引き受ける上で
『鍛冶場を綺麗に掃除しておく』と言う面倒な条件を吹っかけて来るんですよ。
 だから、予め鍵を預かって、昨日それを行っていたんです。貴方がいない間に」
「そうなんだよ☆ イオ、汚れてるの大っ嫌いだけど、片付けるのもっと嫌い☆」
 一つ目ハンマーこと【アンラ・マンユ】をブンブン振り回しながら、
 イオは無邪気にやる気を見せていた。
「そ、そうだったんだ……手伝わないでごめんなさい」
「良いのよ、謝らなくて。どうせコイツが自分で掃除なんてする訳ないんだし。でしょ?」
「え?」
 フォルトゥーナのジト目とシュメールの泳ぐ目に対し、ロックは真顔で目力を強めた。
「最近の掃除人は、どうにも設定料金が高騰していますね。と言う訳で、
 立て替えておいた費用はダイスゲームの借金に上乗せしていますので」
「……」
 途中でフォルトゥーナから肩をポンポンと叩かれたシュメールは、
 自分の人生がどんどん堕落している現状に涙した。
「うう……それで、フォルトゥーナさんはどうして?」
「彼女には、塗精術の為の準備を手伝って貰います」
「塗精……術? もしかして、それが例の噂の……」
 闘いの才能は皆無のシュメールだが、理解力はそれなりにあるらしく、
 初めて聞いた言葉に正しい認識を示した。
 ロックに対する不穏な噂の正体――――それが、塗精術。
 そして同時に、最強の武器を作る上での切り札となる技術だ。
「取り敢えず、入りましょう」
 薄く笑むロックに促され、四人揃って鍛冶場へと入る。
 そこは――――広かった。
 昨日ロック達が訪れたフォルトゥーナの店の、20倍以上の面積を誇っている。
 だが、鍛錬に使用する炉は、その隅にポツンと標準サイズのものがあるのみ。
 そこに各道具も揃っているが、無駄なスペースばかりが目立つ。
「狭いと熱くなるから嫌だ、と言う理由で、こんな広い鍛冶場を作ったのは
 イオくらいでしょうね」
「えへへ☆」
 褒められたと判断したイオは、満面の笑みで微笑んでいた。
 そんな広大な空間を闊歩し、隅っこに辿り着いたところで、ようやく腰を下ろす。
 そこで――――ロックは不意に真面目な雰囲気を作った。
「これから僕達は、世界最強の武器を作ります。ただ、それを突き詰めていくにあたって、
 共通認識を持っておかなければなりません」
「どゆこと?」
 イオの問いに、ロックは真顔のままで答える。
「何をもって強いとするか、です。シュメール、貴方は何をもって、強い武器と定義付けて
 いるのですか?」
 オーダーを出した当の本人にそう問い掛けると――――答えは直ぐには返って来ない。
「それは……」
 フォルトゥーナが助け舟を出そうとしたが、ロックがそれを制する。
 沈黙は、暫くの間続いた。
 そして――――
「正直、よくわからないんだ。とっさに出た言葉だったから」
 葛藤の末に出たのは、頼りのない答えだった。
 いつものロックなら、その自信なさげな表情に歓喜を覚えるところだが、
 それを表面には出さず、真顔を保ったまま一つ頷く。
「それなら、それで構いはしません。無形と言うのも、強さを表現する方法の一つです。
 ただ、実際にそれを作るとなると、そう言う訳にはいきません。しっかりとした
 共通認識が必要です。でなければ、最強の武器など作れる筈がありません」
 強い口調で、ロックは自論を述べ、そして続けた。
「強い武器……と言っても、その解釈は安易にはできません。例えば、剣と剣で斬り合って、
 折れなかった剣が強いかと言うと、そうではありません。それは『硬い剣』です。
 硬い武器が『強い』とは限らない。では、何を持って強い、何を持って最強と言うかですが……
 僕は、『持ち主がどんな相手にも勝てる武器』が、最強の武器だと思っています」
「……わかるような、わからないような」
 顎に指を当てて首を捻るフォルトゥーナに、ロックは人差し指を立てて補足を始めた。
「つまり、持ち主の腕や能力に関係なく、どんな力の相手にも勝ちをもたらす武器と言う事です」
「そ、そんな武器が作れるんですか?」
 シュメールは、実際に武器を作るイオに視線を向ける。
 そのイオは、説明が長引いた影響か、今にも眠りそうな目でフワフワしていた。
「ふあっ!? え、えとえと、イオはりんごのタルトなら8つまで食べられるのです☆」
「作れます」
 寝ぼけ娘を無視し、ロックは断言する。
 その表情には、自信しかなかった。
「世界一硬い武器を作れる人は、幾らでもいるでしょう。世界一硬い材料を使えば良い。
 後は、鍛冶師として一流の腕と道具を持っていれば、それで作れます。
 ですが、世界一強い武器――――それは、僕にしか作れません。僕だから作れるんです」
「塗精術、ね」
 フォルトゥーナの言葉に、ロックはようやく笑みを零した。


 塗精術――――【メンディエタ】を発祥としたこの技術は、単に不可思議な現象を
 引き起こす為のものではない。
 元々は、精霊と人間の架け橋として生まれた術。
 この世界に存在してはいるが、人間の目で見る事が出来ないと言うその姿を、
 依代を用いる事で具現化させると言う手法だ。
 人間側だけではなく、精霊も協力をして生まれた技術と言われている。
 では、そこで何故、塗装と言う術が組み込まれたのかと言うと――――
 答えは至極単純。
 最も簡単に、どんな物でも依代に出来るからだ。
 これが、例えば神木を用意しなければならないとなると、かなり面倒。
 逆に、言霊や依巫だと、ハードルが低すぎる。 
 そんな背景もあり、精霊と人間は塗精術の開発に着手し、そして完成させた。
 だが――――この技術、実際には大きな欠陥があった。
 人格を宿す可能性が極めて低い、と言う点だ。
 その為、精霊の持つ力だけが具現化し、結果として人間と精霊の交流手段ではなく、
 単なる精霊信仰の象徴として存在するだけの、いわば『お飾り』となった。
 そして、時代は流れ――――技術そのものが廃れた上に、精霊信仰自体が
 過去の遺物となるつつある中で、塗精術を扱う人間はもう殆ど存在しない状態になっている。
 ロックは、そのマイノリティの中の一人だった。
 幼少期より、書物でその存在を知り、独学で学び、そして体得に成功した。
 何故、そんな廃れた技術を選んだのか。
 それには、理由があった。
「堕紳士(トリックスター)?」
 フォルトゥーナが静かに頷く中、シュメールはその言葉の意味がわからず、
 首を左右に捻っていた。
「秩序や道徳を乱して、場を荒らす存在。それでいて、同時に場を活性化させて、
 流れを変えたり、色をつけたりする存在。それが、堕紳士。あのバカは、
 子供の頃に読んだ書物の影響でそれに憧れて、自分もそうなりたいって願って……
 結果、そうなったのよ。マイナーな術を、一生懸命勉強してね」
「そーれ、とーん☆ とーん☆ とーーーーーーん☆」
 鍛冶場にイオの掛け声が響く中、フォルトゥーナは嘆息交じりに
 ロックの生い立ちを聞かせていた。
 堕紳士と言う存在を知って以降、ロックは人生の全てを賭けて、それになりきった。
 言葉遣いも。
 生活様式も。
 そして、嗜好すらも。
 それまでの人格を改造してまで、ロックは堕紳士となり、秩序を乱す存在と
 なる事に邁進した。
 その姿は、数年来の知り合いであるフォルトゥーナにとって、余りに異常だった。
 まるで、何かに憑かれたかのように、ロックは全てを変えたからだ。
「それまでのアイツは、ひ弱で、情けなくて……ホント、ナヨナヨした
 男の子だったのよ? 今では想像も出来ないでしょうけど」
「それって……ボクに似てた、って事なんでしょうか?」
「それは、私の口からは何とも。でも、アイツが貴方の姿に過去の自分を
 見ている可能性は、もしかしたらあるのかもね」
 或いは――――苦笑するフォルトゥーナも、また。
「塗精術って言うのは、廃れた技術ではあるけど、使い方次第では本当に
 世界最強の武器を作れる可能性があるの。精霊の力を宿すっていう事は、
 つまり人智を超えた力を宿すって事だから。それこそ、一振りで周囲全てを
 吹き飛ばすような暴風を生み出したり、全てを焼き作る雷を放ったり……
 なんて武器が出来るかもよ?」
「随分と、詳しいんですね。ロックさんの事も、塗精術の事も」
「へ?」
 突然の指摘に、フォルトゥーナの顔が挫いたように歪む。
「もしかして、やっぱり恋人なんですか? お二人は。若しくは、
 当人達だけ否定してるけど、周囲の誰もがそう認めている仲とか……」
「ないないない! あんな人格破綻者、誰が好きになんてなるのよ!」
 全力の否定を、世にも悲しい顔でシュメールは聞いていた。
「でも……」
「大体あの男、恋愛なんて一切合切興味ないの。人間味を捨てた人間だから。
 なんか、そう言う雰囲気あるでしょ? そんなの好きになっても、不毛なだけじゃない」
「そうは思わないよ☆」
 唐突に、イオが割り込んできた。
 その身体からは、夥しい量の蒸気が噴出しているので、表情はわからない。
 ただ、声色は概ねいつも通りだった。
「ロックのお兄ちゃんは、人が大好きなんだよ☆ だから、人が驚く顔も、喜ぶ顔も、
 悲しむ顔も、落ち込む顔も、全部喜ぶんだよ☆」
「それは……」
「どうかと……」
 飛躍したイオの意見に、フォルトゥーナとシュメールは同時に首を捻った。
「ま、何にしても、アイツが一途なのだけは確かだから。途中で投げ出す真似は
 しないって保証するから、貴方も頑張ってね」
「は、はい!」
 憧れの女性に激励を受け、シュメールは素直に喜んだ。
 そんな少年の姿に小さく微笑み、フォルトゥーナは踵を返す。
「あれ? 帰るんですか?」
「私の仕事は、塗精術の手伝いでしょ? これから塗料集めに奔走するの。
 塗精術は、使う塗料に含ませる材料で、具現化する精霊が決まるから。
 ま、それで発揮される効力が決まる訳じゃないけど」
 塗精術は、無作為要素が強い技術。
 精霊によって一定の方向性はあるものの、それがどう発揮されるかは決まっていない。
 例えば、【イフリート】と言う炎を司る精霊を椅子に宿したとする。
 その場合、椅子が突然発火する可能性もあるが、単に異様に熱くなるだけと言う場合も
 あるし、まるで炎とは関係ない現象が起こる事もある。
 精霊は、気まぐれ。
 これは種族共通の性質でもある。
 とは言え、方向性を決めておく事に越した事はないので『最強の武器』を作る為に
 必要な精霊を宿す為の材料を揃える事は必要。
 ただ、その材料と言うのは、必ずしも街中で手に入る物とは限らないので――――
「元冒険者の君に頼んだんですけど……その前に、一つ」
「何よ」
 鍛冶場の入り口で待っていたロックは、腕組みしながら大きく溜息を漏らした。
「人格破綻者くらいなら、まだ許容できますが……付き合いの長い知り合いに『人間味がない』
 とまで言われると、どうにも傷付くと言うか、胸が痛みますよね」
「なっ……聞こえてたの? この距離で?」
 広い広い鍛冶場の建物物を指差し問うフォルトゥーナを無視し、ロックは
 額を押さえて苦悩を露にしていた。
「確かに僕は、堕紳士に憧れる余り、少々普遍性から逸脱した性格に育ったと
 自負していますが……それでも、昔の僕を知る君にそこまで悪し様に言われると、
 少々堪えますね」
「ロック……」
 小さく苦笑し、虚空を見上げるロックを、フォルトゥーナは真顔で眺めた。
「私、言い過ぎたかもしれない、御免なさい……なんて、言うと思う?」
「思わないですけど、僅かばかりの可能性に賭けてみました。残念ですね。
 やはり、落ち込むフォルトゥーナの顔と言うのは、余りにも敷居が高い。
 レア度で言うと、心臓を複数持った人と出会うのと同じくらいです」
 がっくりと肩を落とすロックに、フォルトゥーナもまた嘆息を禁じえなかった。
「ま、今更アンタの生き様に口出す気はないけど。私相手に、悲しい顔や苦しい顔を
 求めるのは止めておいた方が良いんじゃない? 徒労になる、ってわかってるでしょ?」
「そうは言っても、僕が一番歓喜を覚えるのは、フォルトゥーナのそう言う顔ですし」
「ちっとも嬉しくないっ!」
 元冒険者――――そんな経歴を持つフォルトゥーナの蹴りは、
 賊や傭兵相手に鍛え上げられたものなので、非常に鋭い。
 だが、それをロックは事も無げにかわした。
「本気で怒ってない時は、上段に蹴る。直した方が良いですよ、その癖」
「アンタ以外に誰も知らないから良いのよ、別に」
 もう一度嘆息し、フォルトゥーナは息を整えた。
「……で、今回はどんな塗料の原料を集めれば良いの?」
「今回は凄いですよ。なにせ、一つの短剣に100の精霊を宿す予定ですから」
「へえ、100もね……って、100!? 嘘でしょ!?」
 驚愕するフォルトゥーナに、ロックは満足げな笑みを返した。
「世界最強を目指すという事は、そう言う事です。彼に幸運が味方していれば、
 ここまで徹底する必要はなかったんですけどね。では、フォルトゥーナ。
 そんな訳で、共に世界を駆け巡りましょう」
「ちょっ、嘘、ホント? 待って、まだ心の準備とか店の引継ぎとかが……嘘ーっ!?」
 こうして――――世界最強の武器を作る人々は、目的へ向けて動き出した。


 そして、時は流れ――――
「た、ただいま……ああ、故郷って素敵」
 ボロボロの姿で帰還したフォルトゥーナは、久々の見慣れた風景に、思わず涙していた。
 そして、その背には大量の荷物が背負われている。
「取り敢えず、シュメール達と合流しましょう。真面目な彼ですから、鍛錬は欠かさず
 やっているでしょうけど……余り期待は出来ませんかね」
「……第一声がそんなだから、人間味がないって思われるのよ」
 そのフォルトゥーナの倍以上の荷物を抱え、ロックは淡々と歩いていた。
 そして、その言の通り、合流。
 シュメールは、鍛冶場にいた。
「……あ、ああ、あああ」
 そして、扉を開けたロックを見た途端、打ち震えていた。
 涙まで流していた。
「ど、何処に行ってたのおおおお!? 何で黙っていなくなっちゃったのおおおお!?」
「あれ、言ってませんでしたっけ? 材料集めの旅に出るので、暫く留守にすると」
「聞いてない! 全然聞いてないよう!」
 プルプルと震え続けるシュメールを前に、ロックは首を傾げつつ、
 視線をフォルトゥーナに向けた。
「……え、私? 私ちゃんと言ったよ? これから塗料集めに奔走する、って」
「いや、それだけじゃ月単位で帰ってこないなんて思わないですよ!
 しかもロックさんまでいなくなるし! もう完全に捨てられたって思って、
 この街で就職しちゃいましたよ、ボク! だって食べていかないといけないし!」
 泣きながら尤もな意見を主張するシュメールに対し、フォルトゥーナは
 バツの悪さを感じ、明後日の方向に視線を逸らした。
「ちなみに、どんな仕事を?」
「【フーゴ】で従業員を」
「あら、ありがと。それだけが気がかりだったのよね。そして、御苦労様」
 そして、シュメールの意思とは関係なく、無事に帰ってきた本来のディーラーに
 強制的に引継ぎされた。
「え? お役御免? ボク結構真面目に取り組んで、常連客の皆さんに
 顔とか覚えてもらったばっかりなのに?」
「貴方の目的が世界最強のディーラーと言うのなら、止めはしませんが」
「い、いやいや、そんな訳ないよ。うん。何の心残りもなく引継ぎます、はい」
 シュメールの手から、フォルトゥーナへ鍵が手渡され、全て元通り。
「とーん☆ とーん☆ とーーーん☆ これで100本目のナイフ出来上がりー☆」
「向こうも準備完了みたいですね」
 こうして、最強の剣作りの為の土台は出来上がった。
 

 世界最強の武器。
 それを想像する人間は、この世界にはごまんといる。
 そして、それを創造しようとする人間もまた、少なからず存在するだろう。
 だが、実際にその称号が与えられている武器が現存しているかと言うと――――
「存在しない、と言うのが実状です。神話の時代に作られたと言われている
 伝説の武具でも見つかれば、そう呼ばれる事もあるでしょうが」
 そう言った物が見つかったと言う発表も、なされてはいない。
 その為、凄い武器、有名な武器、高い武器、硬い武器などはあっても、
 最強の武器と言うのは存在しないのが現状だ。
「だから、これから僕達が作る武器と言うのは、世界最強であると同時に、
 世界で初めてそう言う呼ばれ方をする武器になるでしょう。そこのところを踏まえて、
 これからの作業について説明して行きます」
 ロックの構想は、切々と語られた。
 まず、100本のナイフの中から、最も表面に凹凸のない物を選択。
 イオに依頼した際に『なるべく平べったく、沢山』と言う条件を付け、
 短剣を作って貰った結果、その中の数本は理想とも言える表面になっていた。
 幾ら腕の良い鍛冶師でも、完全に凹凸をなくすのは至難。
 質より量作戦で、どうにか条件をクリアした。
 何故、そこまでフラットさを重視するのかと言うと――――
「塗装する上で、ムラを完全に遮断する事が必要なんですよ、塗精術には。
 そこが腕の見せ所とも言えます。ただ、金属に塗装する場合、塗料が染みこまないので
 凹凸は非常に厄介な敵になるんです」
 そこまで説明し、ロックは荷物を降ろした。
 そして、その中から刷毛と呼ばれる道具を取り出す。
「それが、塗装に使う道具なの?」
「ええ。これで、塗料を塗ります。ただ、その前にまず塗料を作らないと行けません。
 その材料が、これ等となります」
 次に、荷袋をひっくり返して、中身を全部出す。
 フォルトゥーナも、それに続いた。
 その中には――――
「う……ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
 シュメールが気絶するような、世にも恐ろしい物が沢山入っていた。
 一例を挙げるならば、○○○○の○臓、○○の○玉、○○○鳥の○、○の○丸、
 ○○○の胃○、○○の膵○――――等など。
 全て個別に皮袋に詰めて、更に大量の香草で臭いを消してはいるが、
 それでも悪臭はかなり漂っている。
「私も、子供の頃から見慣れてなかったら、こう言うリアクションするんだろな……」
「それはないでしょう。フォルトゥーナは以前より、猟奇的な精神に関しては
 定評のある女性ではないですか」
「そんな訳ないでしょ!? 人を何だと思ってんのよ! 手伝ってやったのに!」
 痴話ゲンカが長引く中、イオは気を失ったままのシュメールをツンツンと突いていた。
 

 気を取り直して――――塗料の作成が開始された。
 それはもう、ぐっちゃんぐっちゃん、ぐっちょんぐっちょんな感じで。
「う……うう……」
 ロックが口笛交じりに材料を潰して混ぜて捏ねる様子を、シュメールは涙ながらに眺める。
 それでも視線を逸らさない辺りは、中々の精神力。
 心中で密かに感心しつつ、ロックは作業を進めた。
 尚、広い広い鍛冶場で行ったので、悪臭による苦情は来ず。
 数日掛け、美しい銀色の塗料は完成した。
「あ、あの材料でこんな色が出るんだ……」
 驚愕と言うより呆れ気味に呟くシュメールを尻目に、ロックはその塗料を
 一般人には縁のない、ガラスの瓶に入れる。
 かなり高級な容器に納める辺りに、この塗料の特異性が現れていた。
「これはリヴァイアサンを具現化する為の塗料ですね。こんな感じで、あと99作ります」
「鼻が持つかな……」
 それでも、シュメールは見届ける事を止めはしなかった。
 そして――――
「さて。これから僕は塗装に入ります」
 全ての塗料を作り終えたロックは、休日をとる事もなく、直ぐにそう宣言した。
 それに、フォルトゥーナが素早く反応する。
「了解。それじゃ、シュメール君。行きましょ」
「え? ここにいちゃダメなんですか?」
 突然の退場宣言にシュメールが焦る中、既に帰り支度を終えたイオがトコトコと近付く。
「ロックのお兄ちゃんはいっつも、ぱきゅーん☆ ってしてるけど、塗装の時だけは
 しゅいーん、ってなるから、一人にならないとダメなんだって☆」 
 ぱきゅーん、しゅいーん、の意味はわからずとも、ニュアンスは理解したシュメールは、
 名残惜しそうにロックへと視線を向ける。
「……」
 既に、その姿は一介の塗装屋になっていた。
 普段の、飄々としたロックの姿は、その面影すら残していない。
 まだ社会的には十二分に若いと分類される筈の顔は、極限まで研ぎ澄まされた
 針の先端のような、異様なまでの鋭利さを有していた。
「そうなったロックには、何を話しかけても無駄よ」
「……そう、みたいですね」
 納得し、そして『宜しくお願いします』と一礼し――――シュメールは二人の女性と共に、
 鍛冶場を後にした。
 一人取り残されたロックの顔に、変化はない。
 堕紳士(トリックスター)の存在を知り、そして憧れ、そんな存在を目指す一人の若者は、
 一つの短剣に、何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も
 お手製の塗料を塗り重ねていった。
 塗精術の成立する条件、『表面にムラを作らず、全て均一に塗る』と言う作業を、
 丹念に、丹念に積み重ねていく。
 これは、早さではなく、精度の勝負。
 ほんの少しでもムラが出来れば、その塗料は無駄になる。
 100と言う数字に、絶対的な意味がある訳ではない。
 だが、ロックは敢えてそこに拘り、命を削るような集中力で、失敗を排除していた。
 塗装屋としてのプロ意識や、協力してくれたフォルトゥーナやイオへの義理、
 或いは、過去の自分と似たシュメールへの感情移入――――
 そのような意識は、全くと言って良いほど、ない。
 正確には、ほんの少し、星空の中の一つの光くらいの割合はあるのだろうが、
 大半を占めているのは、単純な想い。
『100の精霊を宿した武器が、どれだけの多くの人間の不幸と幸福を生むだろう』
 そんな動機だった。
 そして、塗装は続く。
 特注の刷毛は、通常より遥かに細い毛が、通常より遥かに多く敷き詰められており、
 それを使いこなすだけでも、相当な腕が必要となる。
 もし、ここに塗装の権威でもいれば、ロックの技術に感銘を覚え、涙を流す事だろう。
 だが、ロックに技術を誇る意識は欠片もない。
 競うつもりも全くない。
 この世に転がる喜怒哀楽の全てが愛おしいロックは、人の不幸で歪む顔や、幸福で満たされる顔を
 眺めると言う事だけに、執念を燃やしていた。
 全ては、その為に。
 その一心で――――『世界最弱の男が扱う世界最強の武器』は、完成を見た。


「来たか、シュメール」
 決戦の約束を交わし、かなりの時が流れていたが、クラインの顔に憤りはなかった。
 元より、日時を決めていた訳でもないのだが、それでもその表情は、シュメールを心から
 卑下する人間のものではない――――そうロックは確信していたが、特に口に出す事はしなかった。
 これから始まる戦いにおいて、そのような考察は無意味。
 そんな思いが、冗舌な男に沈黙を守らせた。
「……」
 一方、そのロックの傍らで、シュメールは沈痛な面持ちを浮かべながら、ギルド【マリポーサ】の
 修練場に足を踏み入れていた。
 かつて、自分が拒絶された場所。
 そして、二度失笑を買った場所。
 その屈辱は、シュメールを何度も蝕んだ。
 だが――――それはもう、過去の事。
 現在のシュメールの顔には、焦燥や不安の色はない。
「逃げなかったその度胸だけは買おう。だが、何も起こりはしない。恥を上塗りするだけだ」
「……そうかもね」
 ポツリと漏れたシュメールの返事、そして何よりその雰囲気に、クラインは眉を潜めた。
 そして、反射的にその隣のロックに視線を向ける。
 ロックは――――舌を出しておどけていた。
 シュメールとクライン。
 この二人の闘いは、同時にロックとクラインの闘いでもある。
 最強の武器の存在。
 それが果たして、肯定されるか、否定されるか。
 父親同士の約束が、未来へと繋がるか否か。
 全ては、この闘いに掛かっている。
「シュシュちゃん、ガンバー☆」
「シュシュ……? ああ、そう言う事か」
 シュメール=シュプランガーを応援する人間は、ロックを除き、僅か2名。
 一方、クラインを応援――――と言うより、シュメールの醜態を期待して
 やって来た野次馬は、多数。
 そんな敵地も同然の中で、シュメールは鞘に収まった短剣に手を添えた。
 決闘前の精神集中。
 一度敵に背を向けたその視界には、ロックの姿が映っている。
「その剣を手渡した時に僕が言った事、覚えていますか?」
 一つ頷き、シュメールは口元を引き締める。
 世界最強の武器が完成したその日――――短剣には、名前は与えられなかった。
 この闘いで勝った後に付けるようにと、ロックが条件を出したからだ。
 そして、もう一つ。
 それは、絶対とも言うべき指示だった。
「その武器を持つと言う事は、自分の持つ戦士としての全ての矜持を、武器に預けると言う事です。
 闘いにおいて、貴方はあらゆる自我を捨てなければならない。そしてそれは、貴方だから出来る事です。
『強さ』を武器に委ねる覚悟をした、貴方だけに出来る事なんです」
 それを今一度口にし、ロックは一つ手を叩いた。
「その最強の剣は、貴方にしか扱えません。自信を持って、披露して下さい」
「うん、やってみる」
 既に戦闘態勢を整えたクラインと、シュメールは再び対峙する。
 クラインの手には、ロックが高評価した業物の剣が握られていた。
 一方、シュメールの手によって鞘から解き放たれた武器は――――漆黒の短剣。
 100種類の塗料によって、少々分厚くなったナイフだ。
「おいおい! そんな得物でクラインとやるのかよ! 勘弁してくれよシュメール君!」
「またギルドから追放されるぜ!」
「それだけならまだしも、殺されちゃうって! 止めとけよ! ブハハ!」
 野次馬の野次が盛大に舞う中、ロックは無表情で戦場となるエリアを離れ、
 イオとフォルトゥーナのいる場所へ歩を進めた。
「……勝てる、よね? 彼」
 不安そうに尋ねるフォルトゥーナに、ロックは白い目を向ける。
「僕の塗精術を信用しないんですか? 君も見たでしょう、あの武器の『本性』を」
「そうだよ☆ 負ける筈ないよ、あんなフツーの武器に☆」
 イオの言葉に、フォルトゥーナが首を横に振る。
「勝てるかどうかわからないのは、相手にじゃなくて、自分自身に、よ」
「ふえ? イオ、難しいコトよくわかんない☆」
「勝てますよ」
 イオの頭にポン、と手を置き、ロックは断言した。
「あの武器で、それでも敵に負けるのであれば、それはそれで面白い。でも、自分に
 負ける人間の顔と言うのは、余り愉快じゃないんです」
「へえ……そう言うものなんだ」
「そう言うもの、なんです。だから――――」
 瞑目するロックの耳に、戦闘開始を告げる声が届く。
 それは同時に――――
「僕は、この運命を受け入れた」
 戦闘終了の合図となった。
 正確には、そこには約3秒のタイムラグが存在した。
 開始と同時に、シュメールの短剣が、『喋る』。
「ったく、こんな雑魚にこのオレの手を煩わせんなよ」
 それと重複して、短剣の周りに複数の文字が螺旋状に浮かび上がった。
 ルーンと呼ばれる、魔術の発動の際に生じるもの。
 そのルーンの配列は、全部で34種の魔術を意味する文字だった。
 更に、事態は複合する。
 剣の形状が、劇的に変化していた。
 まるで何百年も生きた樹木の枝のように、歪に、長く。
 その剣自体、炎、氷、雷、風――――様々な自然現象を纏っていた。
 どんどん枝分かれしていく剣は、それぞれに別個の現象を生み出す。
 激しく振動したり、消えたり、霞みがかったり、砂と化したり、
 蛇になったり、羽を生やしたり。
 僅か3秒の間に、膨大な数――――実に100もの不可思議現象が、一つの短剣の上で
 発生していた。
 そして、その全てが、一つの目的へと向かい、突き進んでいた。
 クラインを、戦闘不能にする――――と言う。
「……ふわっ☆」
 3秒後の第一声は、イオのそんな間の抜けた声だった。
 シュメールの手にしている、最早短くもないその剣は、あらゆる変化を経て、
 クラインの身体――――ではなく、その手にしていた剣を『突き刺していた』。
 剣が剣を刺す。
 あり得る事ではない。
 だが、幾つかの魔術と、幾つかの現象が、それを可能にした。
「終わっ……たの?」
「ええ。人格を有したあの武器は、99の精霊を従え、勝手に相手の最も屈辱に思う方法で
 戦闘不能にする。誰に似たのか、性格の悪い武器です」
 塗精術によって宿した精霊が、人格を持つ可能性は、1%。
 100に1つ。
 ロックが100と言う数字に拘った理由だ。
 人格を持つ武器。
 創作の物語においては、割と在り来たりな設定だが、現実に存在するとなると、
 相当に面白い存在になる――――そう言う期待を込めて作った結果、それは無事実現した。
「どう考えても、親に似たと思うんだけど……」
 そんなフォルトゥーナの半眼での呟きに、ロックは苦笑を返し、踵を返した。
「帰るの?」
「依頼は果たしましたから」
「でも、まだ報酬は受け取ってないんでしょ? 借金も」
 半ば確信的な物言いで問い掛けるフォルトゥーナに、ロックは振り向きもせず、ヒラヒラ手を振った。
「報酬は、もう受け取りましたので」
 その手が、ある方向を指差す。
 そこには――――自分は何もせずに勝利を手にしたシュメールの、100の精霊を宿した武器にも
 負けない程に、複雑に入り組んだ感情を露にした顔があった。
「……悪趣味ね、今更だけど」
「君にだけは、言われたくありませんよ」
 そんな、当人同士にしかわからないやり取りを最後に――――

 
 堕紳士ロック=クラフトワーズは、シュメールの前から姿を消した。

 


 職人国家マニシェには、数多くの職人が存在し、それぞれの技術を磨いている。
 その数は、通常は余り群れたがらない職人でも、ある程度の結束は已む無しと言う
 認識を持たざるを得ない程だ。
 実際、傭兵ギルドが大半を占める隣国【メンディエタ】とは異なり、この国には
 様々な職業のギルドが存在する。
 だが――――そこに、塗装業のギルドと言うものは存在しない。
 そして、仮に存在していたとしても、自分がそこに属する事はないんだろう――――
 そんな感想を抱きつつ、ロックはギルド【マリポーサ】から届いた手紙を読んでいた。
 送り手は、シュメール。
 黙って姿を消した事は、もう慣れた所為なのか、言及すらなかった。
 代わりに記されたのは、感謝の文。
 現在、彼は【マリポーサ】に所属している。
 見習いではあるが。
『毎日が苦難の連続ですけど、最後まで足掻いてみようと思っています』
 手紙の最後には、そんな前向きな文が書かれていた。
 そして――――
「ったくよー。テメーにオレの気持ちがわかるか? あ? 持ち主に何日も経たない内に
 手放されて、しかも返品されるオレの気持ちがよー」
 その手紙と共に、木箱に収納された短剣が送られてきた。
 それはロックにとって、予想の範疇ではあった。
 シュメールを最後に目撃した時、この世界最強の武器が自分の元に返って来ると、
 そう確信した。
 例え、どれだけ才能がなくても。
 鍛錬を積み重ねても、それが身にならない――――そう絶望していても。
 武器に闘いの全てを委ねると言うのは、戦士にとっては耐え難い事。
 シュメールは、戦士だったと言う事だ。
 正確には、戦士に『なれた』、と言うべきか。
 何より、それを望んでいる人間が自分以外にもいた、と言う事が大きかったのだろう。
「剣の気持ちなどわかる筈もありませんが、貴方は立派に役目を果たしました。
 僕も大変満足しましたしね。だから、愚痴はその辺で。我が『同胞』」
「同胞だぁ? 一緒にすんじゃねーよ」
 悪態を吐きつつも、短剣は黙った。
 それを確認し、ロックは苦笑いを浮かべる。
 実は――――確信こそしていなかったが、こうなる予感は当初からあった。
 だからこそ、名前をつける事を拒んでいた。
 その予感が当たったのが、良い事なのか、悪い事なのかは、言うまでもないだろう。
「で、結局オレの持ち主は誰になるんだ? テメーか? 言っとくが、テメーはヤだぞ。
 性格的に合いそうにねーし」
「同感です。そもそも、僕は塗装屋ですよ? 最強の武器に用はありません。
 あるとすれば……」
 ロックは、テーブルに置いた手紙の傍にある諜報ギルド発行の広報紙に目を向け、呟く。
 そこには、隣国【メンディエタ】が崩壊したと言う、驚愕の報が掲載されていた。
「一国を滅ぼすような、『魔王』とも言うべき存在を倒さなくてはならない人、くらいでしょう」
「違ぇねぇ」
 最強の武器は、高らかに笑った。
 これから訪れる、己の運命など知る由もなく――――








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