中身の薄い授業を終え、放課後。
冬はその間、例の女子を何度もチラ見していた。
(……これじゃ本当に変質者だな)
そうは思いつつも、つい意識してしまう。
冬が他人に興味を抱いたのは随分久し振りだった。
冬に友達がいない理由は山程あるが、その中の一つに、恐ろしいほどの他人への
興味の希薄さが挙げられる。
或いは、現実そのものに対する興味も年々小さくなっている。
架空の世界の楽しさに飲み込まれているのが現状だ。
ニート予備軍と言っても過言ではない。
と言うか、現在の冬から学生と言うステータスを差っ引くと、そのまま
当てはまりそうだった。
(……あ)
本日十二度目のチラ見の途中――――その対象者と視線が合う。
本当に変質者のような心持ちになった冬は、全力で視線を外す。
あからさまに怪しいと自覚する中、小さな足音が自分に近付いて来るのを
聴覚が拾って来た。
『何見てんの? キモいんだよ!』
そんな五秒先の罵倒に怯えながら、身体を硬直させていると――――
その足音は冬の傍で留まる事なく通り過ぎて行った。
(ふぅ……ん?)
無表情で安堵し、帰る準備をしようと視線を机に向けたその時――――
机の上にある見覚えのない紙が視界に入った。
几帳面に折り曲げられているその紙は、冬の所持品ではない。
それが何なのか、誰の仕業なのか、何となく理解しつつ広げてみる。
『5時 進路指導室 来て』
それは、色気もハートフルさの欠片もないお誘いの言葉。
冬にはその紙から滲み出ている呪いのような何かが見えた。
具体的に言うと、宇治茶色と水色の絵の具をパレット上で中途半端に
混ぜた際に生じるエグい渦のようなものが見えた。
考えられる展開は――――冬は頭の中でシミュレートを始める。
RPGで遊ぶ際に良く今後の展開について予想する事はあるが、
現実では初めての経験だった。
まず、目的は昨日の件で間違いない。
それまで接点はなかったし、今日のチラ見が原因ならこの場で非難されて
終わりだっただろう。わざわざ進路指導室と言う人気のない場所を指定してまで
呼び出したと言う事は、人に聞かれたくない話をすると言う事だ。
(若しくは、見られたくない事をする……)
冬の頭の中にイジメをモチーフとしたドラマのワンシーンが映る。
陰惨極まりない映像だが、現実となるとそれ以上に残酷な可能性だってある。
見張り役の人間がドアの前に配置され、中では数人のケバくてグロい女子が
ニヤニヤしながら身包みを剥ぎ取って、恥ずかしい写真を携帯の中に収める。
そして、それをネタに現金を脅し取る。その昔オタク狩りと呼ばれていた行為のそれに近い。
冬は戦慄した。
(放置しよう。それが良い)
茶髪が市民権を得てかなりの年月が経過したにも拘らず、冬の中には多少なりとも
『茶髪=ちょいワル』と言うイメージがある。
更に、女子は徒党を組んでナンボの生き物と言う先入観も持っている。
恐怖に身を焦がした冬は華麗なるスルーを実行すべく、進路指導室とは反対の方向に歩を進めた。
(……ってか、明日も顔合わせるのに無視しても意味ないか)
寧ろ火に油を注ぐ事になりかねない。
何より、何もかも無視して家に帰った所で、もやもやした気分が残ってしまう。
そうなると心からゲームを楽しめない。それは回避したかった。
(仕方ない。いざとなったら空の財布を投げて逃げよう)
冬は財布から現金を抜き出しつつ踵を返した。
四時五十五分。進路指導室にはまだ誰もいなかった。
三年間で数度、下手したら一度くらいしか赴く事のない教室で一人待つ。
学校内で教室以外にいる事が少なく、まして人を待つと言う行為を
殆ど経験していない冬にとって、この状況はかなり奇抜なものだった。
そして、活性化した脳ミソの殆どを占めている感情が――――
早く帰りたい。
それだけだった。
家にはラストリXが待っている。冒険の舞台が扉を開いて待っている。
しかし、この件を片付けない事にはスッキリ臨めない。
その一心で、長い長い五分間をひたすらに待った。
そして――――
「あ……」
五時きっかりに例の女子が入室して来た。帯同者はいない。一人だった。
それに対し、冬の反応はと言うと――――無言。無の言だった。
友達のいない冬に、初対面ではないがそれに近い相手とのコミュニケーションなど、
到底手に負えるシロモノではない。相手の言葉に返すだけで精一杯だ。
「えっと、待たせた? ゴメンね」
首を振って否定。いいや、とすら言えない。自分自身でも情けないと思う瞬間だった。
「まあ、大体わかってると思うけど……昨日の事でちょっと。時間ある?」
先に紙面で聞いとけそれが礼儀だろ的な発言も出来ず、ただただ頷くのみ。
それでも話が円滑に進むのだからこれで良い、などと正当性を主張する。
他ならぬ自分を納得させる為に。
「えっと……昨日、私の事見たよね。あそこで」
縦。
「私が買った物も?」
縦。
「……誰かに言った?」
横。
首の運動のようなやり取りだった。
「あの……もしかして、口が利けないとか?」
「いや」
流石に自分でもこれはどうだろうと思っていたので、今度は口で答えた。
「ええと、睦月……君だよね。あんま喋んないんだね」
向こうも向こうでかなりやり辛いのだろう。
新種の生物を発見した割に、なんともパッとしないオッサン顔のコアラのような
生物だった為、期待外れでウンザリしている調査員の目で冬を眺めている。
「それでさ、何が言いたいかって言うと……言わないで欲しいの。昨日見た事全部」
「わかった」
即答。考える必要性のないその答えを発した所で、冬は進路指導室を足早に出た。
「え? あれ? ちょっ……」
背中に狼狽を背負いつつB系ダッシュ。それは逃亡に等しい速度だった。
何しろ、友達いない歴15年と11ヵ月。
他人との接し方は知識としては所持しているが、実践となると容易ではない。
(プロスポーツ選手ですら、1年ブランクがあれば大袈裟に擁護される。
素人に何が出来るってんだ)
全く筋違いな自己弁護をしながら、冬は学校を出た。
放課後の学校は、通常であれば一種の祭りにも似た雰囲気がある。
毎日がお祭り。そう考えれば、学校と言う場所には何者にも換え難い魅力がある。
しかし、冬は祭りが嫌いだった。
人ごみが嫌い、と言うちょっと世を斜めに見ている風な理由ではない。
かと言って、他人が楽しそうにしているのを見るのが嫌いと言うほど
世の中を斜めに見すぎて転落していった人々のような理由でもない。
祭りは疲れる。それが理由だった。
祭りの日は、普段しないことをする。
例えば、焼きとうもろこしやフランクフルトなんて大して好きでもないのに、
祭りだからと言う理由で買ってしまう。
花火なんて特に好きでもないのに、綺麗だと言って魅入ってしまう。
金魚なんてディスカウントショップに熱帯魚と一緒に並んでいても
見向きもしないのに、ついつい腰をかがめてしまう。
放課後にも、それと似た風潮がある。
余り小遣いもないのに、皆に付き合ってマックに寄る。
大して面白くなくても笑う。
話したくなくとも、無理に話題を振る。
本当はそれほどする事もないのに、あえて携帯を弄る。
こう言った一連の『当たり前』を、冬は苦手としていた。
いずれ社会に出れば、多かれ少なかれ体験するストレス。
慢性的になってしまえば、生活の一部となる負荷。
それでも、今の冬にとっては忌避すべき事態だ。
もっとも、友達のいない冬にとって、それは体験したくともできない絵に描いた餅。
(一人は……気楽だ)
それを正当化するかのように、心中で呟きながら家路につく。
中々のニート予備軍だった。