『ラストストーリーV』のOPはやたら華やかだった。
 最新技術を駆使したCGは芸術の域に達し、リアリティとファンタジーの融合は
 最早限界の粋に達しつつあると言っても過言ではない。
  RPGの世界は言うまでもなく仮想の領域だ。
 主人公が傷付いた所でプレイヤーは痛くも痒くもない。
 しかし、心は痛む。
 ダメージを受ければその効果音と共に胸の中の一部が確かに揺れる。
 軋む。
 そして削られる。
 画面効果によって視覚的に危機的状況を伝えられれば、心臓の鼓動が早まる。
 そして、倒せるかどうかわからないくらいの強さの中ボスを倒した時、
 全身が痺れるような歓喜に酔いしれる。
 神経が通っていなくとも、分かち合えるものがある。それがRPGの醍醐味だ。
(……良し。今朝はここまで)
  ようやくその紐を解いたラストリVの序盤は、中々に満足の行く出来だった。
 このシリーズは基本的に、主人公に人格はない。プレイヤーが自己投影出来るよう配慮した形だ。
 元々はこのタイプのものが主流だったのだが、近年では主人公も登場人物の一人として
 描かれる事が多くなった。
 ではどちらが良いのかと言うと――――それぞれの楽しみ方があり、どちらと言うのは
 一概には言えない。更に、人格なき主人公の中においても、そこに自分を重ねたり、
 自分の好きな設定を盛り込んだり、ただ傍観したり――――様々なプレースタイルが存在する。
  冬は自分好みの色に染めるのが好きなタイプだった。しかし名前はデフォルトのままでやる。
 想像は何処までも広げるが、ゲーム内には自分の世界観を持ち込まない主義だ。
 あくまで製作者の用意したテーブルの上で、その料理を楽しむ。
 そこにペットボトルを持ち込む気はサラサラない。お勧めのコースも頼む。
 ただ、自分の心の内で呟く味付けに対する感想は自分の言葉で表現する。
 そんな感じだ。
「起立! 気を付け! 礼!」
  その号令を合図に、今日も授業が始まる。
  冬は生徒としては優秀だった。
 先日の中間テストでも学年で8位だったりする。ちなみに333人中の8位だ。
 偏差値は古文以外は全て70前後。秀才と呼ばれる部類の成績だ。
  それには理由がある。
 友達のいない冬は休み時間にする事がないので、その時間に宿題等を片付ける。
 その中で自然と頭に基礎知識が叩き込まれて行く。
 そして授業中はと言うと、授業の科目ではなく、自分がその時にやりたい科目を
 勝手にやっていたりする。
 無論、周りの生徒が机に出している教科書とは違う教科書が机の上には置かれており、
 教師に見つかればグーかエルボーで顎をやられる可能性が非常に高い。
 しかし、やらされていると言う意識がない為、頭には入る。
 更に、古今東西様々な分野で人間の活力となっている『背徳感』が、それをもう一押ししてくれる。
 その代わり、家には一切勉強は持ち込まない。
 家にいる時はRPG。それが冬の拘りだ。
  こうして独自の勉強法を確立した冬は、さしたる苦労や苦痛もなく上位の成績をキープしていた。
  しかし、それを誇る相手は教師くらいしかいない。
 親も特に何も言わないし、冬の方から何か言う事もない。
 自分の為だけにやっている事なので、それでも問題はなかった。
「起立! 気を付け! 礼!」
  授業終了。冬はこの日の宿題全てを既に終わらせていた。
(さあ、今日は何処まで行けるかな……)
  現在、ラストリVの進行状況はまだ5%にも達していないと推測していた。
 最近のRPGはクリアまでの総プレイ時間がやたら長いものが多く、
 一日4時間やっても1ヶ月近く掛かると言うゲームまである。
 更に全アイテム入手や隠しボスやフロアの攻略、こだわりプレイ諸々に手を出せば、
 そのプレイ時間は天文学的数字……は言い過ぎにしても、かなりの時間を割く事になる。
  しかしそれは決して無駄な時間ではない。
 誰だって、幸せな時間は長いに越した事はないのだ。
 大人は将来の役に立たないと言う理由でそれを否定するが、
 それならば学業自体が無駄だと言う事になる。
 決められたカリキュラムをこなす事に意味がある、などと言う意見もあるが、
 忍耐力を養うだけならレアアイテムを出すまで十時間以上粘る行為の方が
 余程忍耐を使う。
  世の中に無駄な事などない――――とまでは言えないが、少なくとも先入観で
 決め付けるのは間違いだ。
 ゲーム=娯楽、RPGプレイヤー=オタクではない。色々な人間が様々な理由で挑んでいるのだから。
(……ん?)
  誰に対してのものなのか全くわからない自論を脳内で展開していた冬が
 現実に還り机を見ると、昨日と全く同じ紙が目に入った。
 折り畳まれたそれを広げると、昨日と全く同じ内容が書かれている。
 微妙に字は荒れていた。
(何で……? 時間差攻撃か?)
  一クッション置いて、もう大丈夫だろうと思わせてのオタク狩……
 もとい、脅迫行為に興じるのではと言う仮説が冬の頭に浮かぶ。
 しかし、冷静に考えたらそんなフェイントを仕掛けてくるとは思えないので、
 結局昨日と同じ時間に同じ場所へ向かった。
「あ」
  今日は向こうの方が早かったらしく、何処か苛立たしげな表情で壁に寄り掛かっていた。
「あんたね……私に何か恨みでもあるの?」
  いきなり胸倉でも掴みそうな勢いで捲くし立ててくる。
 ケンカなど全くした事のない冬は内心ビビりまくったが
 、同時に身に覚えのない非難に対し多少の怒りも湧いた。
「昨日よ昨日! 人の話を最後まで聞かないで勝手に帰って!」
  しかし、その怒りは表現される前に漏れて行った。
「……用件は聞いたから、もう良いと思って」
「用件が一つとは限らないでしょう? もう」
  一通り言いたい事を言ったのか、語気が少し弱まった。
「悪かったよ。で、あんたが一昨日遊凪でラストリV買った事を言いふらすのNG、
 って以外の用件ってのは」
「あーっ!? だーっ! もーっ!」
「ちゃん?」
「言うなって言ってるのにゆうなっ! って言うかあんた言いふらしてるでしょ!
 絶対色んな人に言って回ったでしょ! 親戚中に私が遊凪でラストリV買って有頂天に
 なってたって一斉送信したんでしょーっ!?」
  茶髪女子は異常なまでに取り乱していた。
「どうでも良いけど墓穴堀まくってんぞ」
「どうでも良い訳あるかーっ!」
  風貌に似つかわしくないテンションで叫びまくるクラスメートの女子に対し、冬は軽く引いた。
「ハァ……あーもう、睦月君って全然喋んないと思ってたら、結構人をおちょくるタイプ?」
「そんなの良いから用件を言って。俺今日用事あるし」
  しれっと嘘を吐いた。
 とは言え、一応『ラストリVやる』と言う用事があるにはある。
「あ、ゴメン。えっと、もう時間ない? だったら明日でも良いんだけど」
「じゃあ今日で言いや」
「じゃあって何よじゃあって」
「良いから早く」
  冬にとって同級生との長時間(あくまで冬基準)に渡るコミュニケーションは
 かなり久し振りだったが、相手がグイグイ引っ張ってくれているので楽だった。
「えーっと、そう改めて言われると言い難いんだけど……」
「さよなら」
「意地悪!? 意地悪!?」
  非常に面倒なテンションの持ち主だった。
「睦月君に聞きたい事があるんです。お願いだから聞いて下さい」
「そこまで改まらなくても」
  ようやく本題。
「あのね、ラストリV、買ったんだよね? 睦月君も」
「ああ。って事はお前も買ったのか」
「え? だって見たんでしょ?」
「あー……ああ。見たね。見たよ、そうそう見た見た」
  話が進まないのでそう言う事にしておいた。
「で、その……何処まで進んだ?」
「ユリオットの村まで」
「ユ? あ、私そこまだ行ってない」
  何故か嬉しそうに報告する。冬は眼前の女子高生が何を言いたいのかわからず、狼狽していた。
「それで、ね……当然、試練の洞窟はクリアしてるよね。その……ほら……ねえ?」
「ねえ、と言われてもな」
「だからそこは汲み取ってよ。わかるでしょ?」
  試練の洞窟とは、初心者が操縦性や世界観を掴み易いよう、難易度を抑えて設けられた
 最初のダンジョンだ。
 ありがちなネーミングではあるが、このような親切設定を怠る事なく作り込んでいる所が
 このゲームを人気シリーズに押し上げた要因の一つである。
 逆にこう言う配慮を完全排除したゲームも、それはそれで『漢』だの『神』だの『伝説』だのと言った
 冠を付けられ、数年後に祭り上げられる事があるので要注意だ。
「まさかとか思うけど、あそこで詰まったとか言わないよな」
「……」
  沈黙は雄弁に心情を表していた。
「いっ、言っとくけどね、私初心者じゃないからね! ヌルゲーマーじゃないんだから!
 こう見えて小学生の頃からRPGやってるし! もうベテランの域なんだから!」
「恥を上塗りしてるだけだと思うが」
「ううう」
  女子高生は泣いていた。
「き、昨日から全然進まなくて……雑魚とか一発でぶっ殺せるし……もうどうして良いやら」
「ぶっ殺すとか言うな。ったく、折角の絶妙過ぎるゲームバランスを……」
  人間国宝の精魂込めた一品を金属バットでゴルフスイングぶっ放したかの如き愚行に
 冬は憤慨した。
「だって、全然ボスいないんだもん〜。何回も空っぽの宝箱とか調べたりしたのに〜」
「そんな凝った仕掛け初っ端のダンジョンでするか。えっと――――」
  冬は呆れつつも、微妙に引っ掛かり易いと思しき箇所に心当たりがあったので、そこを指摘した。
「えーーーっ!? あそこ壁じゃないの!?」
「そう見えるけど、実は影。あそこから奥に行ける」
「あああああ」
  女子高生は茶髪を掻き毟りながら自分の脳の愚鈍さと屈辱に耐えていた。
「口惜しい……けどありがと。これでやっと前進出来るー」
「どういた。じゃ、俺は帰るな」
  どう致しましてを適当に簡略化した言語を発し、冬は進路指導室を足早に出た。
「え? あれ? ちょっ……」
  30分程ゲーム時間が削られたが、不思議な事にそれ程悪い気分ではなかった――――
「だから勝手に帰るなぁ!」
  完全に帰宅モードで廊下を歩いていた冬の足がピタリと止まる。
 そしてダルダルの足取りで再び入室。
「何すか」
「あんた、もしかして私の事嫌い?」
「と言うか、どう接したら良いか……」
  友達いない歴15年11ヶ月は伊達ではない。
 加えて、女子。
 茶髪。
 なのにRPGオタク(自称)。
 意味がわからなかった。
「睦月君って人見知りするタイプ? そう言えばあんまり人と話してる所見た事ないけど」
「……」
  ニート予備軍である事を頑なに拒みつつも何処かで意識していた冬は、
 それを遠回しに指摘されたような気がして少し傷付いた。
 無論、向こうに悪気がないのは重々承知しているし、失礼な言動とも思わない。
 あくまで自己の内面の問題だ。
 だが、表情から生気が抜けて行くのを止める事は出来なかった。
「で、まだ何かあるの?」
  ふて腐れて帰ると言う選択肢もあるにはあった。
 だがそれをやれば、間違いなく自分自身の中身が腐る。
 これまで家の中で毎日のように突き付けられた現実であり、現状を生んだ原因でもある。
 相手が他人だった事が幸いしたのか、今日の冬は辛うじて腐る事を回避した。
「そんな言い方しなくても良いでしょ? ったくもー……」
  そう言った内なる戦いなど当然知る由もないクラスメートは、不服そうに半眼で冬を睨み付けた。
 尤も、本気で怒っている様子ではないが。
「睦月君って結構ゲームとかするのかな、と思って」
「まあ、するけど」
「やっぱりRPG好き?」
「うん」
  簡素な言葉で肯定する。それを聞いた瞬間、茶髪女子高生の顔に靄のような笑みが浮かぶ。
「そうなんだ。だから一刻も早く帰ってラストリVやりたいんだ」
  満足気に何度も頷く。その様子に対し、冬はと言うと――――奇妙な感覚を抱いていた。
 同じ世界の住人ではないか? と言う仲間意識。
 そして、だからこそ感じる気恥ずかしさ。
 共感と拒絶が右心室辺りで睨み合っている。
「ね、メアド教えてよ」
「!?」
  その部屋が大地震でも起きたかのように揺れる。
 冬の人生において、他人の口から自分のメールアドレスを聞かれる経験など一度もない。
 友達はいないし、家族や親戚とコミュニケーションを取る事もないのだから当然の事だった。
 せいぜい通販を利用する際に記入を促されるくらいだ。よって――――
「また詰まった時に直ぐ聞けるようにと思って。ダメ? まだ親しくない相手に教えたくないとか?」
「……携帯持って来てない」
「え?」
  冬は携帯を持ち歩いていなかった!
「な、何で?」
「必要ないし……」
  悲壮感漂う冬の背後に見てはいけない何かを見てしまったのか、女子高生はドン引きしていた。
「ま、まあ持って来てなくてもアドレス言ってくれれば良いし」
  それでも尚踏み込んで来る。
 インターネットが普及し、携帯でもHPや掲示板が覗ける今、ビッグタイトルの攻略など
 発売日ですら閲覧出来る時代だ。
 そこまで拘る必要はないのでは、と言う疑問が冬の脳裏に浮かぶ。
(これはやっぱり詐欺か……? アドレス聞き出して個人情報を業者に売るって言うアレか?)
  疑心暗鬼に囚われた冬は、明らかに非現実的なその想像を右脳の中で広げていた。
「もしかして、自分のメアドわかんない?」
「あ、ああ」
「そんなに構えなくても……じゃ、私のメアド教えとくから、夜にでもメールちょうだい」
  不満げに呟きつつ、女子高生はそのアイデンティティたる携帯電話と、
 100円ショップにでも売ってそうな質素なメモ帳と筆記用具を取り出し、迅速にメアドを書き記した。
「はい。業者に売り飛ばしたら潰すからね」
  同じ発想をしていた事に衝撃を覚えつつ、冬はそれを受け取った。
「それじゃ、頼んだから」
  一方的な主張を残し、クラスメートの女子高生は去った。
  一人取り残された冬は、これまでの人生の何処を切り取っても見つからないこの日の出来事に、
 唯々呆然としていた――――


 そして、夜。
 毎日が御通夜のようなダイニングで、沈黙のまま夕食が終わる。
 睦月家の長男は言葉一つ発しないまま自室に戻り、ベッドの上で胡坐をかいていた。
  普段なら既に『ユートピア』の電源を入れている所なのだが、この日はその気にはなれなかった。
 それよりも先にしなければならない事があったらからだ。
(メール……か)
  現代人であれば大抵一度は使った事があるであろう、携帯電話の機能の一つ。
 特に高校生であれば、直接話すよりもメールでのやり取りの方が多いと言う者もいるだろう。
 しかし、高校二年生の睦月冬は一切使った事はない。
 残念な話だった。
  とは言え、それも今日で終わる。
 5年前に購入以降一度も機種変更していない携帯を睨みながら、
 禁断の地へ赴く瞬間に全身を戦慄かせていた。
(……使い方がわからん)
  悪戦苦闘は必至だった。

 ――――10分後。

  どうにかこうにか新規メール作成の画面に辿り着いた冬は、重大な事実に気が付き愕然としていた。
(あいつ、名前何て言うんだ?)
  クラスメートの名前がわからない――――それはつまり、人としてどうなの的な大問題だった。
 実際、殆ど親しくない生徒であっても、授業中の発表やホームルームなどの際に
 その苗字くらいは耳にするものだ。日直の苗字を黒板に書くクラスだってあるだろう。
 しかし冬は学校にいる間、勉強とRPG関連の妄想以外は基本的に情報として捉えておらず、
 半分以上のクラスメートの苗字が顔と一致していなかった。
 珍妙な接点からここ二日程会話の機会があったあの女子に関しても、全く名前が出て来ない。
 連絡網を見ても、顔と一致しないのでは意味がない。冬の顔に焦りが浮かぶ。
(仕方ない。適当に茶を濁そう)
  本音は早くラストリVに着手したいと言うだけだったが、一応の義務を果たすべく、
 慣れない手つきで文字を入力した。




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