翌日――――
  いつものように無言で登校を果たした冬は、いつものように自分本位の勉強スタイルで
 授業時間を満喫し、いつものように窓の外の風景を眺めていた。
  そして、放課後。
  今日1日、ここまで何のリアクションもなかった『ヤツ』が動きを見せた。
  ここ2日と全く同じ方法で連絡を試みて来たのだ。
『5時 例の場所 来い』
  文体が嫌な方向に変わっていた。
  冬はこめかみに冷や汗を浮かべつつ、指示通り進路指導室へ向かう。
「あんたね……何なのアレ!」
  第一声は想像以上の激怒だった。
「題名なしは普通だとしても、内容もなしって何なの一体!? そこまで私と会話したくないの!?
 試練の洞窟で詰まったエセゲーマーとは話もしたくないって事!? キーッ!」
  怒りの矛先はあらぬ方向に向いていた。
「そう言うつもりじゃなかったんだけど」
「じゃあ何で?」
  下手に言い訳したら今以上の憤慨が待っているのは火を見るより明らかだったので、
 冬は真実を語る事にした。
「実は、メール送ったの生まれて初めてで」
「嘘吐け」
  言い終わる前に完全否定された。
「今時そんな奴いる訳ないでしょ? そんなわかり易い嘘……」
  そこまで発した所で言葉が止まる。冬の表情に影を見つけたのか、先程までの剣幕が一瞬で消えた。
「……え? 本当に?」
「恥ずかしながら」
「えっと……昨日辺りからちょっとそんな感じはしてたんだけど、もしかして睦月君って……」
「友達いない歴15年11ヶ月です」
  衝撃のカミングアウトに、未だ名前の判明しない女子高生は目を丸くしていた。
 せいぜい友達が少ないくらいの認識だったのだろう。
「そ、そうなんだ」
  明らかにドン引きしているその姿に、冬は何処か安堵していた。
 無論、傷付いてはいる。
 自分の中で最も抵抗力の弱い部分を滅菌していない手で触れられたような気分にはなっている。
 しかし、これでようやく日常に戻れる――――そんな開放感も同時に感じている。
 その思想はニート予備軍を肯定するものであって、本来なら忌避すべきなのだが、
 内なる声を誤魔化す事は出来ない。
 ここ数日、目の前の女子に対して冬が抱いていた関心は、
 自分の日常を脅かす存在に対する警鐘だったのだと改めて認識していた。
「じゃ」
  冬は逃げるように背を向ける。この部屋の扉は、元に戻る為のワープゾーンだ。
 潜り抜ければ、そこに待っているのは、孤独とファンタジーの世界。
 そこに自分を寒い目で見る住民はいない。
 成績さえ良ければ文句一つ言わない大人の視線など、何の脅威もない。
 これで、楽になれる――――
「だから毎回毎回逃げるなってば!」
  そんな心を中の声が見透かされた訳ではないだろうが――――背後からそんな声が聞こえ、
 冬は思わず振り向いた。
 反射的なその行動は、反抗には程遠い。それでも、意味はある。
「そんなに慌ててやる事ないでしょ? ゲームは一日一時間って偉い人も言ってるんだし」
  的外れな解釈をされたが、それを是正した所で何がどうなる訳でもない。
 冬は適当に頷いておく事にした。
「で……昨日は何処まで進んだの? あんな適当メール送るくらい夢中になってたんでしょ? どーなの」
「ええと、一応クロカッタ城まで」
「うう、またわかんない。エルの町の先?」
「いや、その次は……」
  人間、趣味の話題になると、それがどんなに人見知りで口下手な者であっても饒舌になる。
 一人で楽しむものであっても、それを共有したいと願う心が芽生えるのは必然の衝動だ。
 自分の知識や感情を表現したいと言う自己顕示欲も、それに対する感想を聞きたいと言う好奇心も、
 人の感受性に耳を傾けたいと言う能動的欲求も、本来誰にだってあるもので、
 それを閉じ込めているか剥き出しにしているかだけの違いしかない。
 一度堰を切ってしまえば、そこから溢れ出す言葉は止め処なく流れて行く。
「あそこの武器屋、夜になると商品変わるの知ってる?」
「えーっ? 嘘ーっ」
  ラストリVの豆知識から始まり――――
「じゃ、IVのアレってやっぱそうなの?」
「多分」
  過去シリーズの話題に遡り――――
「レヴィってちょーカッコ良いよね! ね! ね? 何で人気投票あんな順位なの? ねえ! ねえ!」
「……無回答の方向で」
  キャラのオフィシャル人気投票の順位にまで言及した結果――――
「あ、もうこんな時間」
  下校を促すチャイムが鳴り響く中、既に空から青が消えていた。
  例え御通夜だとしても、食べさせて貰っている立場では時間を守らない訳には行かない。
「じゃ、夕食の時間だから」
「あ、ちょっと待って」
  もう何度目かと言うくらいの引き止めだったが、これまでにはない、少し抑えたトーンの声が
 室内に響く。オレンジ色の空間は、情熱と希望を融合した空気を静かに揺らしていた。
「あのさ。出来ればで良いんだけど」
  そして、躊躇とは違う意味の間を取り、夕日の色素で彩られた顔を冬に向けた。
「これからも、こう言う話が出来れば良いな、って思ってるんだけど。そっちはどう?」
「……」
  脳が揺れる。
  或いはそれは心臓の鼓動が揺らしたのかもしれない。
  冬にとって、彼女は日常を脅かしかねない存在だった。
 それが今劇的に現実味を帯びて来ている。
 当然、拒絶すべきだと思った。嫌いとか苦痛とかそう言う感情ではなく、単純に怖いと思った。
 自分自身の醜い部分が露呈する事や、それを再認識するような事態が起こり得るその展開が
 恐ろしかった。
「俺、あんたの名前知らないんだ」
  突発的に、そんな言葉が出て来た。理論としては間違ってない。拒否する為の枕詞だ。
「え? だってクラスメート……」
「今まで、人の名前を意識して覚えた事、あんまりなかったから。ロープレのキャラだったら
 何百人だって頭の中に入ってるけど」
  声が震えてる事は自覚していた。
「まあ、少し痛い人間だと自分でも思う。将来ニートになるかも、って自分でも少し思ってるし。
 そんな奴と、また話がしたいか?」
  自嘲。零れてくるのは、自分自身への怒り。
  いつもそうだった。
  睦月冬は逃げて来た。
  だから友達はいないし、家族もバラバラになってしまった。
 それを打開するのは容易ではない。
 コミュニケーションを取る方法なんて幾らでも存在するのに、それを拒否するのは――――怖いからだ。
 自分を否定されたり気持ち悪がられるのがどうしようもなく怖いからだ。
 だから、それを敢えて自分から話す事で、ダメージを減らす。
 そして、距離を取る。楽な生き方だった。
 それに染まれば、もう何も要らない。
 楽しそうに談笑する必要もないし、真剣に語り合う意義もない。
 変わらない日常の中で、冒険の旅に出る。そんな矛盾した生き方が何よりも愛しい――――筈だった。
「私だって、百人くらいは頭に入ってるけど?」
 それなのに。冬はその救済措置に等しい共感の言葉を貰った瞬間、それを嬉しいと感じた。
 感じる心が自分にある事に驚いた。
「……そう言う問題じゃないと思うけど」
  表面上は平静を装っているものの、中身はグチャグチャだった。
「じゃ、どう言う問題? 私はそんなロープレバカなあんたと、ロープレについて話したいな、
 って言ってる訳。まあ、名前を知られてなかったのはちょっとショックだけど」
「ご、ごめん」
  思わず素で謝罪した冬を、茶髪の女子が爽やかに笑う。
 それも、冬にとって初めての経験だった。
「変なのは、私もだよ。多分」
  同類だと、そう言ってくれる人が目の前にいる。
 そんな事実に、冬はこれまで何も出来ずにいた自分を蹴飛ばしたい衝動に駆られた。
  ぶっ壊しちまえ、なんてのはRPGの主人公がよく言う科白。
 現実には難しい。
 責任のない虚構の世界だから言える言葉なのかもしれない。
 それでも――――奇妙な縁で知り合ったクラスメートの女子に、自分と話したいと言ってくれた人に、
 報いたかった。
「俺の名前は睦月冬と言います。年齢、15歳と11ヶ月。好きなゲームは【ラストリ】と【遥カナ】その他諸々。
 不束者ですがどうぞ宜しくお願いします」
  一息で捲し立て、深々と頭を下げる。
 心臓は本当にぶっ壊れそうなくらい脈打ってるし、顔は火傷しそうなほど熱い。
 不安も恐怖も津波にように迫ってくる。でも、もう見切り発車してしまった。
 後には引けない。なるようになれだ。
「あ、ええと、こちらこそ」
  そんな冬の暴走に近い行動に、若干引き気味のリアクションが帰ってくる。
 しかし直ぐに襟を正し、微妙なサイズの胸を張った。
「じゃ、私も自己紹介。名前知らないんなら必要だもんね」
  そして、皮肉交じりに告げる。
「私は、神楽未羽。神様は人を楽にさせない為未だ羽を授けず、の神楽未羽。
 キャッチーな自己紹介でしょ?」
「意味わからん」
  至極当然な冬の反応に対し、神楽は明らかに落ち込んでいた。
「……好きなゲームは【ジエンド】シリーズと【フレナイ】シリーズ、あとちょこちょこ」
  それでも、苦味のある笑みを浮かべてみせる。何かくすぐったい事を言おうとしているような、
 そんな顔だ。
「確か、お友達いないんだよね」
「ああ」
「それじゃ、私が最初の、って事になるんだ」
「……?」
  冬は本気で意味がわからず目を点にした。
「そう言う顔されるとすんごい恥ずかしいんだけど」
「え? いや、だって。え?」
  混乱。
  狼狽。
  そしてまた混乱。
  そんな前後不覚状態の冬に、未羽は半眼で睨みを利かせて来た。
「何? 私と友達になる事に不都合でもあるの?」
「ないけど……一つ聞いて良い?」
「良いよ」
「友達ってそんな簡単になれるものなのか?」
  真顔で言い放った冬に、今度は神楽が半眼になる。
「いやだって、何か劇的なイベントとか、そう言うのがないと」
「あんたねえ……さてはゲーム脳?」
「ゲーム脳ってのはゲームと現実の区別が付かない脳ミソの事じゃないと思うんだが」
「自覚はしてるんだ……。良い? 友達なんてそんな大袈裟なものじゃないの。
 仲が良ければそれで良いの」
「仲良くないし」
  冬は空気を読まない発言で場を凍らせた。
「……それなりに話を出来れば、後は双方の意識の問題」
「そう言うものなのか?」
 未 だにフワフワした物言いの冬に対し、神楽が深い深い溜息を落とす。ついでに陽も落ちていた。
「はあ……何か選択間違えたのかも」
「リセットは利かないしな」
「うるさいゲーム脳! もう帰る!」
  進路指導室を足の裏で蹂躙し、扉に手を掛ける。そして――――
「今度はちゃんと中身のあるメール送ってよ」
  冬に顔が見えない角度でそう言い残し、去って行った。
「……頑張るか」
  殆ど無意識に呟かれたその声は、誰に対しての言葉なのか。
  すっかり暗くなった窓の外の空をぼんやりと眺めながら、睦月冬は生まれて初めての友達に
 送るメールの言葉をいつまでも考えていた――――

 

                                    1st chapter  ”I NEET RESERVES”
                                      fin.



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