生まれて初めて友達がいる中で迎えた睦月冬の朝は――――いつもと何ら変わらない
 目覚まし時計の音で目が覚めた。
「ん……」
  拡散する意識の破片を薄目で拾い集め、神経に熱を灯す。
 首の辺りに感じる違和感を右手で揉み解しながら、目覚ましの隣に置いてあるテレビのリモコンに
 左手を伸ばし、電源を入れた。瞬時に広がる二十インチの空間には、ローカル放送の地域情報番組が
 緊張感なく流れている。
 中には冬と同世代と思しき男性の姿もあり、早朝の街の様子を空回り気味にリポートしていた。
  それをボーっと眺めつつ、携帯を手に取る。ここ数年全くと言って良い程触れていなかった、
 現代社会の象徴とも言えるこの装置。
 まるで愛着がなく、ただ基本料金が湯水のように使われて行くだけの、本当に無駄な代物だった。
  昨日までは。
  しかし、今日からは違う。本来の役割を与えられた五世代位前の文明の利器は、漆黒のボディを
 ニヒルに輝かせ、自身の仕事に邁進できる喜びを表している……ように冬には見えた。
(……よし)
  考えに考え、推敲し、洗礼され尽くした文章を打ち、送信。
  これにて約束は果たされた。
  いつもと違う、いつもと同じ朝。
  新しい日常の始まりだ――――

「あんた私を馬鹿にしてるでしょ!?」
  放課後。
『いつもの時間 いつもの所 ってゆーかすぐ来い』
 と言う旨のメールを受け取った冬は、いきなりマジ切れされた事に狼狽を覚えていた。
「『ちわ』って何『ちわ』って! 二文字!? しかもこれ朝でしょ送ったの!
 『ちわ』ってこんにちはの略よね!? 何で朝にこんにちは!?」
「落ち着け神楽未羽」
「フルネームで呼ばないでよ!」
  親戚と教師以外の女性の名前を呼ぶのは何気に初めてだったので、冬は微妙に緊張していた。
「別に悪気があった訳じゃないんだけど……眠かったんだ」
「眠くなくなってから打てば良いでしょ? ったくもー」
  呆れつつも憤慨をどうにか諌め、ノーマルな表情に戻る。冬の目に映る神楽はいつもこんな感じだった。
「で、昨日は何処まで進んだの?」
「船を手に入れたとこまで」
「ふっ……船」
  引き離された事を自覚したのか、神楽はガックリ肩を落とした。
  RPGの世界において、歩行以外の移動手段を得る事は一つの大きな区切りであり、
 大抵の場合序盤の終了を意味する。大海原を横行し別の大陸へ向かう事が初めて可能となる
 この瞬間は、世界観をひけらかすと言う意味でそのゲーム内での一つの大きな見せ場となっている。
 暫しの間シナリオの進行を忘れ、その開放感と高揚感に溢れる移動風景に身を焦がしている
 ユーザーは決して少なくない。
「うっ、羨ましい……未だに私はユリオットの村でじじーの戯言に付き合ってるのに……」
「じじー言うな」
「だって酷くない!? こっちは善意でお使いイベント2回もやってやってんのに『息子がいれば
 お前らなんぞに頼まなくても……』とか、あームカつく!」
「最終的には良い人になるんだけどな。時代は猫も杓子もツンデレなんだよ」
「あんなの何処が良いんだろ」
  神楽嬢はツンデレがお好みではないらしい。
「昔から、不良がちょっと良い事するとやたら褒められるって言われてるだろ? 要はアレと同じなんだろ」
「で、優等生がちょっと自分本位な発言したらドン引きされるのね。何だかなー」
  適当な溜息を付いた所で、表情が柔らかくなる。何か頼みたい事がある、そんな顔だった。
「ところで、いきなりだけど今日時間ある?」
「船に乗るんだ」
「それはご飯食べてからでも良いでしょ? ちょっと付き合って欲しいんだけど」
  友達生活一日目にていきなり連行を命じられた冬は、驚愕の表情で狼狽を露わにした。
「……まさか、俺を先に進ませない為の策略じゃ」
「私だって進めないから。ちょっとショップ巡りをしたくて」
「俺、ファッションとか全然わかんないんだけど」
「何で私があんたとアパレル系ショップを回らなきゃなんないの。
 ゲーム! ゲームショップ! 一人だと何か恥ずかしいの!」
  テレビゲームを女子がするのは恥ずかしい――――大昔ならいざ知らず、現在において
 そのような風潮は殆どない。特に最近はRPGやADVのプレイ人口が大きく伸びている。
 しかし、それはあくまで潜在的な話であり、頭が腐っている女子と言う非常に不名誉な称号が
 マスコミを賑わせて久しい現状では表立ってそれを宣言する者はかなり少ない。
 好きな物を好きと言えないのはとても辛い事だ。
「ある意味二人ってのが一番恥ずかしい気が……」
「良いから付いて来て」
  そう言う背景もあってか、神楽は冬の言動を無視して強引に外へと連れ出した。
  下校中の生徒が行き交う通学路を離れ、買い物に向かう主婦を掻き分けるように表通りへ向かう。
 冬は基本的に真っ直ぐ家に帰るので、学生服で表通りを歩く経験はかなり少なかった。
 先日のラストリV購入時のような、発売日即購入クラスのタイトルは幾らRPG好きと言えど
 そうそうはない。特にシリーズ化されておらず著名なクリエイターでもないゲームに関しては、
 まずは情勢を見て、自分の好みと合致する部分がそれなりにあると判断して、初めて購入に踏み切る。
 前評判は殆ど無視。それが冬の大まかな買い方だった。
「睦月君は何処で買うの? やっぱり遊凪?」
「まあ、あそこが大本命かな。後は金欠の時だとGAG、暇潰しも兼ねて中古ゲーを見繕うのは夢未来辺り」
  ファミレス、薬局、牛丼屋、ゲーセン……流れる景色を新鮮な空気の中で眺めながら、友達と街を歩く。
 冬はまだ実感のないその存在に対し、舞い上がっている自分を悟られないよう少しばかり
 クールな感じで接していた。
「大体行く所は一緒だねー。私は夢未来が一番多いかな」
「じゃ、遊凪から行くか」
「……ま、良いけど」
  最寄のゲームショップと言う事もあり、直ぐに到着。
「ここで睦月君とぶつかったんだっけ」
「あー。万引きでもしたのかって勢いで出て来て」
「失礼な事言わないでよ。やっぱりこう言う雰囲気のお店にいる所は見られたくないし」
  例えば『夢未来』のように全国に十四店舗を展開する程の大手ショップであれば、
 女子高生がいても全く違和感はないだろう。店内は清潔感溢れる白を基調とした作りで
 広さも十分にあり、女性でも入り易い雰囲気を醸し出している。
 しかし、眼前にそびえ立つこの店は、パズルゲームしかやらないとか大ヒットタイトルを触りだけ
 体験したいとか言うライトユーザーなど一瞬で押し潰しかねない程の圧倒的な圧力を有している。
 修行に使えば6日で10倍以上強くなれるだろう。
「でも、嫌いじゃないのよねー、この雰囲気は」
  神楽は意外な事に猛者だった。
「で、わざわざ付き合わせたって事は、何か買うんだよな?」
「実は幾つか欲しいんだけど迷ってるのがあって。御意見番頼める?」
「まあ、わかる範囲でなら」
  冬の返事を聞く前に、既に神楽はズラッと並べられたパッケージの中の一つを手に取っていた。
「まずこれ。絵が超好みなのよねー。安いし」
  何処か嬉しげに見せて来たそれは、およそ一年前にリリースされたRPGだった。
 有名漫画家を原画に起用した事で少し話題になった代物だ。
「ああ、これね」
「やった事はある?」
「うん。一応クリアしたけど、正直詰まらんかった」
  現在の中古価格は1000円強。
 一年と言う歳月は、その評価を中古価格が反映する為には十分過ぎる期間だ。
「……やめとこっか」
「それが無難かな。速攻売ったし」
「じゃあ、次はこれ。絵が超好みなのよねー。安いし」
「……今さっき全く同じコメント聞いたんだが」
「だって、中身知らないんだから口コミ以外では絵と値段が一番の判断材料でしょ?
 有名どころはもう抑えてるしさ」
  一理あるその意見を尊重しつつ、鑑定開始。
「これもやった事ある。1年半前だったかな。さっきの以上に酷かった」
「そ、そうなんだ……良かった買わなくて」
  神楽は迅速な動作でそのパッケージを戻した。
「それじゃ、これは? 2はやった事ないんだけど、もうハード変わっちゃったから」
  次に提示して来たのは、それなりに有名なタイトルの3作目だった。
 1作目は当時最大シェアを誇るハードではなく、ややマイナーな機種での発売であったにも拘らず
 好調なセールスを記録し、後に移植→シリーズ化となったRPGで、斬新な戦闘システムと王道ながら
 ツボをしっかり押さえたシナリオが好評を博し、2もその路線で一定の成功を収めていた。
 しかし――――
「それは最悪だった。スタッフ全員ベリーロールソバットで蹴り潰したくなった」
「……」
  冬の辛口コメントを受け、神楽は無言でパッケージを戻した。
「ええと、次は……」
  次々と評価を求めて来る神楽に対し、冬はその全てに自分なりの解釈を交えつつ丁寧に回答した。
  自分の経験が他人の役に立つなど初めての経験で、それが妙に誇らしかった。
  そして――――気が付けばあっと言う間に夕暮れの時間。
「……結局、巡りじゃなくなったな」
「良いよ全然。って言うか、睦月君凄過ぎ。殆ど制覇してるんだね」
「そっちの購買意欲も相当凄いけどな」
  反笑いでお互いの健闘を讃えつつ、店を出て暫く歩いていると――――
「あれ? 未羽じゃーん」
  ダルそうな声が耳を障る。
  冬はその声に反射的な苦手意識を覚えた。
 それでも一応振り返ってみると、やはり自分にとって最大の難敵が待ち構えていた。
  ギャル――――70年代に時代の先端を行く若者の女性を称して呼ばれたこの言葉は、
 一時期死語となったものの復活し、90年代には上にコだの汚だの付けられ、一般人の間に
 流行語として定着した。
 そして、今。
 
もはや当時の勢いなく、マスコミが取り上げなくなると、再び死滅したかに思われた。
 しかし、世の中そう甘くはない。滅亡したと思われた勢力は、雑誌などを中心に
 まだまだ健在である事を徐々にアピールし始めている。
 さながら、一度倒したと思ったら復活し、更にはゾンビとなってまで立ち塞がるあのボスのように!
「……」
 その一員たる彼女に目を向けると、飛び込んでくるのは独特のアイライナーとマスカラで仕上げた
 100年先でも見通したいのかと言う程デッカい目、やたら血色の悪そうな色のリップを塗りたくった唇、
 そして気だるげな緩めの巻き髪。
 さすがにパールやラメでギンギラギンにさりげなくとまでは行かないが、かなりの正統派ギャルだ。
 ちなみに色は黒くない。も一つちなみにギャルとギャグはちょっと似ている。
「何? 彼氏? へー」
「全然違うから!」
  たじろいでいる冬を尻目に、そのギャルと神楽はありがちなやり取りに興じていた。
「あっそ。じゃ、ウチら今から合コンやっからー。未羽も気が向いたら顔出せば?」
「う、うん」
  何処か余所余所しい雰囲気ではあるが、ギャルと普通に会話している。
 冬はそんな神楽を見て、彼女が違う世界の住人である事を痛烈に意識した。
「神楽」
  ギャルが悠然と去って行く中、その後ろにいたもう一人が少々御疲れの表情で神楽に話し掛ける。
 こちらはメイクもナチュラル系で薄く、ひじきのような睫毛もゾンビのようなアイシャドウもない。
 髪は後ろで束ねており、健康的なイメージを抱かせる女性だった。
「佐藤も行くの?」
「ま、付き合いでね」
  こちらはその呼称とは裏腹に、自然な雰囲気で話している。
 神楽にとっては、この佐藤と言う女子の方がずっと親しみ易いようだ。
「ホントはメンドいからヤなんだけど……で、結局そっちの彼はどちら様?」
「あー……友達。つい何日か前に知り合って」
「ほー?」
「何その目ー! だから違うって言ってんじゃーん!」
  神楽は楽しそうだ。それを邪魔するのは良くない事だと冬は判断した。
「じゃ、俺寄る所あるから」
「え?」
  でも本当の所は、居心地の悪さを感じていたからだった。その証拠に、早足で逃げるように
 その場を離れるにつれ、吐き気にも似た感覚が少しずつ収まっている。
 ゲームショップでの楽しい一時など、この開放感に比べたら大した意味はない。
(やっぱ、違うんだ――――)
  胸が軋む。肺炎にでもなったかのように、白い靄が呼吸器を覆う。
 帰宅するその足は、まるで大型犬に襲われて逃げ疲れた子猫のように弱々しかった。
「にゃーん」
「……?」
  本当に子猫の鳴き声が聞こえ、冬は思わず足を止める。地面を凝視したまま歩いていた為、
 この場所が何処であるか一瞬認識できなかったが、直ぐに近所だと気付く。
 家まで五分と掛からない場所にある、小さな空き地だった。
「にゃー」
  鳴き声の主は直ぐに見つかった。『売地』と言う赤い文字が記された看板の直ぐ下に、
 若干痩せた子猫の姿があった。
  冬は基本的に動物好きだ。世の中犬派だの猫派だのに無理矢理分ける傾向があるが、
 そんな事はナンセンスだと考えている。可愛い動物に国境も種族の壁もない。そう言う認識だった。
 尚、電子ペットやペット系のゲームにはイマイチ興味はない。
「なーぉ、なーぉ」
  人懐っこいのか、少し近付くと直ぐ足元に擦り寄って来た。
(って言うか、腹減ってるのか)
  鳴き声でその状態を理解するような動物スキルは持ち合わせていないので確実性には欠けるが、
 空腹であろうと言う推測は十分に成り立つ。
 冬は一瞬だけ迷いつつ、最寄のコンビニで一番安いキャットフードを購入し、それを与えた。
「きゅぴーん」
  猫は世にも奇妙な鳴き声を放ち、与えられた食事にがっつく。
 本来は野良猫に餌付けをすると言う行為は近所の奥様方を敵に回しかねない行為なのだが、
 日本には一期一会と言う非常に美しい言葉もある。
 何が正しいなんて誰にもわかりはしない。
(……ん?)
  夢中になって食べる子猫の頭を撫でていた冬は、奇妙な視線を背中に感じ思わず振り向いた。
  それは、電信柱の影から放たれていた。
 見た事もない女子が、怨恨を前面に押し出した目で睨んでいる。
 人に怨まれるどころか人とまともに接した経験のない冬にとって、他人から睨まれると言うのは
 初めての経験だった。
 妹になら腐る程あるのだが。
「……」
  話し掛ける勇気などある筈もなく、恐る恐る視線を向けるくらいしか出来ないのでそれを実行する。
 すると――――
「……この卑怯者っ」
「は?」
「ううっ」
  意味の不明瞭な科白と涙を残し、不明瞭な女子は脱兎の如く走り去った。
「……お前の知り合いか?」
「にゃにゃにゃ」
  子猫は獣の言葉を発するのみ。 
  結局、重い気分は何時の間にか消えていた。

  その夜――――冬は海を見ていた。
  大海原は何処までも広がっている。しかし何処にでも行ける訳ではない。
 現実の厳格さそのままに、入れない場所はある。
 それでも、何時か辿り着くその日を想像し、妄想し、一人悦に浸る。
  序盤を終えたラストリVの冬的評価は今の所ほぼ横ばいだった。
 特別優れたエピソードや視覚効果はないものの、堅実でそつのない作りのストーリーは十分楽しいし、
 適度な歯応えの中ボスを倒した際のカタルシスも健在だ。前作の問題点はかなり改善されている。
 ただ、何処か物足りなさを感じているのも事実だった。
(よし。今日はここまで……ん?)
  セーブする為に、その場所へ一瞬で連れて行ってくれる呪文を唱えようとした刹那――――
 無機質な電子音が明かりに照らされた六畳の部屋に響き渡った。
 初期設定のままのメール着信音だ。
 無論、送信者は一人しかいない。
(また妙な所で詰まったか? でも……)
  時計は次の日に移る直前の時間を指している。ゲームは一日一時間を訴えている神楽にしては、
 かなり遅い時間での送信だ。若干不審に思いつつ、メールを開く。
 題名はなし。別段珍しくもないらしい。
『今日はゴメンね また ショップ巡りしようぜ オヤスミ』
  文章の後にそれぞれ『涙』『ゲームコントローラー』『サムズアップ』『睡眠』の絵文字が打たれてある。
(これくらいのメール、あいつらにしてみれば一分程度で済む作業なんだろな)
  棲む世界の違う人間に対して、何処か寂寞感に似た感情が芽生える。
 同時に、申し訳ないと言う気持ちも生まれて来る。
 謝罪の意味は『蚊帳の外にした』と言う認識によるものだと推測されるが、実際はそうではなく、
 冬自身の弱さが大人気ない行動を引き起こしただけの事だった。
  違う世界の人間と友達になった事で、冬の内面に劇的――――とまでは言えないが――――変化が
 生まれている。まだまだニート予備軍である事に変わりはないが、他人と接する事で生じる
 様々な問題に対して、少なからず向き合おうと言う気持ちが芽生えている。それは成長と言って良い。
(と言っても、このメールがなかったら逃げてただろうけどな……)
  自嘲の言葉を心で紡ぎつつ、冬は返信用のメールを作成した。

 

 



 

                                             R.P.G. 〜あいにーちゅー〜

                       第二章 ”神様は人を楽にさせない為に未だ羽を授けていない”




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