この日、空は曇っていた。
いつ降り出してもおかしくないその状況下において、傘を持たない二人が道草すると言うのは
無謀な行為と言える。まして、一刻を争う事態とは全く正反対のゲームショップ巡りなど、
そんな天候の日に行う必要性は欠片もない。
「でもそう言う時に限って来たくなるのが人間の性か」
「そんな大袈裟な話じゃないと思うけど……」
ゲームショップGAGの店内は平日と言う事もあって客の入りは疎らだが、それでも同じように
物好きな人間はいるらしく、隠れた名作を探さんと物色に勤しむ大学生風の男や、明らかに
それ以上の年齢の男性が散見される。尚、神楽以外に女性の姿はない。
「あ、予約始まってる」
最も目に付く入り口から直ぐのスペースに、大きく予約受付開始と書かれたプレートが置かれてある。
対象商品は幾つかあるが、その中でも特に扱いの大きい【ジエンド オブ フロンティア】と書かれた
RPGの紹介文に神楽は喰い付いていた。
「ラストリVも面白いけど、やっぱ本命はこっちよね♪」
「……」
目にハートでも浮かべかねない神楽の様子に、冬は一歩引いた。
「な、何? 言っとくけど、私は頭にフの付く女子じゃないからね! 一緒くたにしないでよ!」
【ジエンド】シリーズは世界の終末を題材にしたRPGで、既に10作以上のシリーズ作品数を誇る。
その全てが大ヒットしており、RPGのタイトルとしてはトップクラスに入る。
作品毎に評価は分かれるものの、重厚なシナリオと充実した戦闘システムは常に一定の満足を
得る仕上がりとなっており、多数の固定ユーザーを抱えるに至っている。
その一方で、狙い過ぎたキャラ設定や安易に終末を扱い過ぎる事での感動の押し売りを拒む声も
多く、色々な意味で注目される存在となっている。そして、このシリーズを語る上で欠かす事の出来ない
特色として、フの付く女子に非常に受けが良い事が挙げられる。
男性同士の愛について積極的且つ前衛的な意見を有する彼女らの想像力は、一般人の持つ概念を
圧倒的な高度で逸脱しており、その存在に嫌悪感を抱く者も少なくない。
「フの付く女子でも他人に迷惑さえ掛けなきゃ問題ないと思うけどな」
「そう? でも私は苦手」
神楽は同性同士の恋愛について余り興味がないらしく、話をそこで切り上げ、説明文に視線を戻した。
「うっそ……主題歌【YUKITO】がやるの? 大抜擢ってやつ?」
そして、信じられないと言った面持ちで呟く。
「YUKITOって?」
「え」
真顔で更にその色を濃くし、暫し絶句状態で冬の顔をまじまじ見る。
冗談を言っているかどうかの確認作業のようだ。
「あんた、ウチの学校にいてYUKITO知らないの?」
「知らない」
「……ホントに友達いないんだ……よしよし、私が教えてやるから泣かないでね」
非常に失礼な事を言われた冬は、次に攻略を聞かれた際にガセネタを提供する事を決意した。
「YUKITOってのは今をときめかない男性芸能人で、本名は【如月幸人】。ウチの学校に通ってるの」
「え? ウチの学校に芸能人がいんの?」
「知らないの、多分あんただけだと思う」
交友関係が皆無な冬は学校に関する様々な情報について総スルーして来た。
よって、勉強以外の殆どの事を知らない。
さすがに呆れ気味の神楽だったが、本気で不快感を与えるような言動や表情は一切しなかった。
「って言うか同じ学年だし。二組だったかな? 一回くらいはテレビで見た事あると思うよ。
ローカル番組に良く出てるし」
「ローカルタレントなのか」
「そう言う訳でもないけど……まあ、その認識でも別に困らないし、良いんじゃない?」
小さく笑いつつ、首を傾ける。それは冬が茶髪の女性に対して抱いているイメージとは
掛け離れた姿だった。今時このような先入観を持っている人間は――――それなりにいたりする。
いつの時代も男は自分勝手な生物なのだ。
「ま、主題歌は誰でも良いか。予約して来よーっと」
神楽はその名前に相応しい軽やかな足取りでカウンターに向かった。
(芸能人、ね……)
その背中を眺めつつ、説明文の一番下に記された『主題歌:YUKITO』の部分をなぞる様に眺める。
冬はゲームばかりしているものの、テレビ番組に全く疎い訳ではない。そう都合良く何時間も
のめり込めるRPGに巡り合える訳でもないので、イマイチな作品をプレイしている期間は気分転換も
兼ねてちょいちょいテレビ番組を見る。その際に好んで見るのは、バラエティとスポーツ。
ゲームと相性の良いアニメは殆ど深夜放送なので見る機会が殆どない。
そんな事もあって、話す相手がいない割には芸能界に関しては疎いと言う程でもない。
しかし、YUKITOと言う芸能人に心当たりはなかった。
「じゃ、また明日ー」
「ん」
神楽が無事予約を済ませた所で店を出て、別れる。今日も今日とて結構話し込んだので、
もう夕方から夜に移行する時間帯だ。冬は夕食の時間に備え、内心で気合を入れて
帰宅の途につく――――
(……ん?)
その矢先、視線を感じて振り向く。
「……」
そこには先程まで店内にいた、その辺のコンビニで怠惰を貪っている大学生のような風貌の男がいた。
そして――――目が合った瞬間、ズカズカと近付いて来る。
(オタク狩りか? ちまたで大流行のオタク狩りなのか?)
冬は全力で焦ったが、結局何も出来ないまま接近を許してしまう。
幾ら友達が出来て多少は他人との絡みに慣れたとは言え、所詮はニート予備軍。
初対面の相手に気の利いた対処が出来る程の精神的な強さはない。
「なあ、さっき俺の事話してたよな」
そんな冬を尻目に、男はなあなあ口調で話し掛けて来た。いきなり訳のわからない事を言われた際の
対処も全く心得ていない冬は、唯々呆然とするしかなかった。
「YUKITOだよYUKITO。俺YUKITO。さっきお前といた女子がそう言ってたのチラッと聞こえたんだよ」
「はあ」
生返事。
「でさ、お前ウチのガッコなんだろ? そのよしみでちっと教えてくんねーかな」
「はあ」
続・生返事。
流石に自分の主張が浮いている事を自覚したのか、大学生風の男は若干クールダウンした。
「……わりぃ、何か一方的だったな」
「と言うか、知らない人とは話をしないよう幼稚園辺りで教わったんで」
「知ってるだろ! YUKITOだっつってんだろ? 同じガッコならわかるだろよ!」
明らかに怪しいその発言の真意も含め、冬は幾つかの疑問を確める為に眼前の男を値踏みしてみた。
顔――――ホスト風。最近流行りの座から脱落したが、一定の需要はある。
髪――――茶髪ロンゲ。最近流行りの座から以下略。
体――――細身。足長し。
一応は芸能人として成立するだけのものは持っている。
しかし『一流』とか『有名』と言う冠が付くのは難しい。そんな感想を抱いた。
「……まさか、知らねーの?」
しかしYUKITOと名乗った男は記憶の確認と取ったらしく、微かに首を振った冬を見て
自分勝手な判断を下していた。
「マジかよ……折角ローカル番組にまで出まくってるってのに……」
そして勝手に落ち込む。その様子を眺めていた冬は微妙にその顔に見覚えがある事を自覚したが、
面倒なので口に出す事は控えた。
「ま、いいや。男に知られても仕方ねーし。で、教えて欲しい事なんだけど……このゲーム、売れんの?」
いきなり勝手に復活したと思いきや、脈絡もない疑問を口にする。非常に面倒臭い人物だった。
「いやね、今度俺の曲にこのゲームのタイアップが付くらしいから、ちっとリサーチ掛けようとか思ってさ。
で、どうなんだ?」
「まあ、これまでの実績通りなら50万本以上は」
「マジで!?」
【ジエンド オブ フロンティア】はこれまでのシリーズ同様、超有名漫画家を原画に起用しており、
その時点でこれまでより大幅に売上を落とす可能性は極めて低い。冬の推測は妥当な数字だった。
「じゃ、じゃあ買った奴の半分がCDも買ったら25万か……それだと初動は15万行けるよな……
やべー、余裕で1位取れるじゃん」
YUKITOの推測は夢レベルだった。
「サンキュ! お前良い奴だな! お礼にサインやっから!」
「要らない」
「遠慮すんなって! あ、色紙持ってないだろ、ちょっと待ってろ」
冬の本心からの拒絶を無視した芸能人は、全力疾走で店を出て、全力疾走で戻って来た。
その手にはコンビニで買ったと思しき色紙とマジックが握られてある。
そして神の速度で色紙にサインした。
「ほい。今はまだレアってだけかもしれねえけど、絶対価値上がるから! まあ見とけ! じゃあな!」
長い棒線一本にちょこちょこ書き足しただけの解読不能なサインを受け取った冬は、
再び全力疾走で去って行く初対面の男を疲労感たっぷりの目で眺めていた。
(……変な奴に関わってしまった)
自分の人生において全く縁のない筈の芸能人と接した事に対し、素直な感想を抱きつつ。