二日後――――放課後。
「……ったくもー。何が『夜から朝になる瞬間に町を出たら隠しイベントがある』よ。
 何回試しても全然そんなのなかったじゃない。私に何の怨みがあるってのよ」
  定番化した進路指導室での会合の席にて、神楽はガセネタに対する遺憾の意を
 ブツブツ露わにしていた。
「あ、そうか。フフん、私に先行かれるのが怖かったんでしょ?
 あれだけリードしておいて抜かれるのが恐ろしくて仕方なかったんでしょ?
 だから妨害工作に及んだんでしょ?」
「そんなに俺がビビるような所まで進んだのか」
「……」
  神楽は沈黙した。
「……海が……海が遠いの……」
  目が虚ろだった。
「ち、ちなみにそちらは何処まで進んだのでしょうか?」
「シャリバーン覚えた」
「……!」
  ちなみに、シャリバーンとはラストリシリーズにおける炎系の攻撃呪文の一つで、
 最初に覚えるのが【バーン】、次が【ギャバーン】、その次に【シャリバーン】だ。
 当然、後に覚える(覚える為に必要なレベルが高い)呪文ほど威力が高い。
  シリーズ化しているRPGだと、味方が覚える呪文、魔法、技などで大体の現在の進行度がわかる。
 これらの項目は後のシリーズにおいても名前、威力共に殆ど変えないのが一般的だから、
 以前までのシリーズで中級レベルにランクされていた呪文等を覚えた場合、
 今現在は中盤であると言う推測が成り立つ。それはレベルや体力の値にも同じような事が言える。
「きょ、今日はジエンドシリーズについて熱く語りたいと思います!」
「逃げた」
「睦月君は何作目が好き? 私は私は……」
  神楽は逃避しつつも楽しそうだった。
  そんなこんなで、討論は続く。
「私は、シナリオを重くする為に終末をテーマにするのは全然悪い事じゃないと思うの。
 だって、問題はそのテーマについてどれだけ掘り下げられるかとか、
 どれだけ説得力を持たせられるかとか、そう言う事でしょ?
 何でも頭ごなしに否定するのは良くない事なの!」
  神楽はジエンドシリーズに対する熱い思いを赤裸々に語った。
「キャラ造型にしても、ステレオタイプだったり、狙い過ぎてあざとかったり、
 そう言うのが問題じゃないの。どれだけシナリオの中で生かせるか、動かせてるかが魅力に繋がるの。
 どう言う背景があって、どんな人生を送って来たってのが伝わって来ないようじゃダメだけど、
 生い立ちや環境、人間関係その他諸々がこう言う風に作用してこんな人格を作り上げたんだよ、
 って言うのをある程度見えるような作りだったら、ありがちなキャラ設定でも感情移入出来るし、
 魅力的だと思うの。どう?」
  語った。
「そもそも、女がRPGやるからって即フの付く女子って認定するのは絶対おかしいと思うの!
 でしょ!? だって、私はそう言う何てーの、薔薇とか百合とかああ言うのには全然興味ないんだし、
 そう言う人でRPGやる人は一杯いるの! 絶対! だから――――」
  語り尽くした。
 尚、後半はほぼ完全に脱線していた。
「ふう……」
「……あんた、結構溜め込んでんだな」
「そりゃ、こう言う話出来る相手なんて、今まで全然いなかったから」
  それは冬にしても同じだった。
  高校生ともなると、RPGの話題が会話の中に出てくるのは、それを趣味の筆頭にしている
 一部の人間くらいだ。女子ともなるとその可能性は限りなくゼロに近い。
「パソコンも持ってないし」
  インターネット上であれば女性のRPG好きなど容易に見つけられるだろうが、
 パソコンや携帯がないと閲覧は難しい。
 今ではパソコンとほぼ同じインターフェースでサイトを見られる携帯もあるのだが、
 神楽の携帯はそこまでではないらしく、パケット代も馬鹿にならない。
 彼女が趣味の世界で孤立するのは必然だった。
「だから、睦月君と出会えたのは運命だよね。この機会逃してたら、きっと一生
 自分だけの世界で終わっちゃってただろな」
「大学ならその手のサークルは結構あるだろ?」
「入る勇気ないと思う」
  神楽は茶色に染めた髪をかき上げ、物憂げな顔で呟く。
 冬の記憶の中にいる明るい彼女にはない、影を帯びた目。
 その視線の先には少し埃っぽい床が広がっている。
「正直言うと、自分の言葉でゲームの事話すの、すっごく抵抗あったの。
 やっぱりホラ、寒い目で見られる事の多いジャンルと言うか、あんまり一般的じゃないと言うか」
「それは物凄くわかる」
「でしょ? だから、ものすっごく勇気振り搾ったの。
 良かったよ、睦月君が危ない人じゃなくて。ちょっと変だけど」
「変なのは多分、友達がいなかったからかな。他人との会話には慣れてないんだ」
  神楽が冗談で言ったのを承知で、冬は真面目に返した。
 別にムッとした訳でもないし、皮肉でもない。
 自分が今感じている事を、素直に話したい衝動に駆られただけだった。
「だから、本当はこうして話してるだけで緊張してたり」
「え……? そうなの?」
「大分マシにはなったけどね」
  薄く笑う。それがどう言う意図なのか神楽は図りかねているようだったが――――
 結局、ニコッと笑ってくれた。冬にとっては一番有り難い反応だった。
「じゃ、私これからすっごくヤな用事あるから、お先」
「ヤな……?」
「付き合いっての? そんな感じの。あー、本当は行きたくないんだけど……はぁ、最悪」
  おどける様子もなく、本気で嫌がりながら退室。その背中にも全く活力が見えなかった。
(さて……俺も帰るか)
  ついに持ち歩く事になった本来そうあるべき携帯を何ともなしに眺めると、
 丁度午後5時15分から16分に変わる瞬間を目撃した。
 ほんの少しだけ得した気分になった所で学校を出る。
 外周をジャージ姿で走る運動部の面々を避けるように端の方を歩きつつ、帰宅の途に――――
「あ、おい! お前!」
  つく途中で呼び止められた。殆ど知り合いのいない冬はかなりビビったが、
 無視する訳にも行かないので振り向いてみる。
 すると――――黒い車と、その窓から顔を出すサングラスの男が目に入った。
「893!?」
「誰がだ。俺だよ俺」 
  思わず心の声で外気を揺らしてしまった冬を、サングラスを取って半眼で睨むその男は――――
 つい先日冬と知り合った芸能人だった。
「時間あるよな? な? じゃあちっと付き合ってくれよ」
「ごめん嫌」
「ンなつれねー事言うなよ。な、頼むってマジで。
 時間は……ちーっと取らせるけど、良い思いさせっからさ」
「良い思い要らない」
「一生のお願いだから! 芸能人YUKITOじゃなくて、人間如月幸人としての!」
「や、どっちにも思い入れないし」
「テメコラ調子乗ってんじゃねーぞ! 来生っち、捕獲!」
  自分勝手な言動で自分勝手に逆ギレした芸能人に呼ばれ、運転席から紳士風の中年男性が出て来た。
 服の上からでも鍛え抜かれている事がわかる強靭な肉体を揺らし、七三分けの頭をスッと下げる。
「申し訳ございません」
「え?」
  そして有無も言わさず冬の身体をヒョイっと担ぎ、後部座席に放り込んだ。
 何も出来ずに投げ込まれたままの体勢で呆然とする冬を乗せ、車は動き出す。
 微妙に怪しい外見とは裏腹に、中は普通だった。
「……これ、拉致って言うんじゃないのか? 犯罪じゃないのか?」
「気にすんな。メンツが集まらなくて焦ってたんだ」
「メンツ?」
  芸能人はその問いに答えず、薄ら笑いを浮かべるのみ。非常に感じ悪かったので、
 冬は後でこっそり携帯付きカメラで車のナンバーを激写しておこうと決心した。
「おっ、着いたぜ」
  10分程経過した後、少し広めの駐車場に車が止まる。
 冬が怪訝な目で車窓から外を覗くと『フラグメント』と書かれた大きな看板が見えた。
「……ファミレス?」
  それは全国チェーン展開している有名なファミリーレストランの名前だった。
「本当はちっと洒落た感じの居酒屋が良いんだけど、酒はダメだって来生っちがうるせーからさ」
「当然です」
  紳士風の男は毅然とした態度で言い放つ。未成年の芸能人にとって、
 アルコール関連のトラブルはその後の人生を大きく左右する重大な過失となるのだ。
「で、俺はどうしてファミレスに連れて来られたんだ?」
「もうわかるだろ? 合コンだよ合コン」
  合コン――――未来も含めた自分の人生におよそ縁のないその言葉を聞いた瞬間、冬は逃避を選択した。
「帰る」
「まあまあ。良いじゃん。あの彼女には内緒にしとくからさ」
「彼女じゃないし。後自慢じゃないけど合コンなんて参加した事ない」
「じゃ、童貞卒業オメデトー! はい、一名様ご案なーい!」
  それを阻止すべく芸能人はホストの強引さで冬の右腕を掴み、車を出る。
 手錠でも掛けられたかのような心境で連行されて良く冬に、紳士風の男が並行しつつ頭を下げて来た。
「すいません、ウチのスカが」
「……えっと、マネージャーさんですか?」
「はい。来生と申します」
  言葉と同時に、俊敏な動作で名刺を渡して来る。それを左手で受け取り拝見する。
 事務所の名前は『デュエルズ』と言う事が判明した。冬の知識の中にはない名前だ。
「ウチのスカ、御学友が皆無な上に芸能界でもシカトされ放題なもので、出会いと言うものに飢えていまして」
「……自分のタレントを良くそこまで悪し様に言えるな、この野郎」
  言葉とは裏腹に、如月の顔に険はない。関係は良好のようだ。
「強引で悪りーな。でも、マジで困ってたんだ。サインやっからそれで許してくれよ」
「要らない」
「そこはもう貰ったって言ってくれよ! 二度も断るなよな!」
  芸能人としての矜持にダメージを受けた如月だったが、直ぐにその顔が気持ち悪い方向に綻ぶ。
 合コンと言うこれからの楽しい催しを想像しているらしい。
「ウチのガッコさ、何気にレベルたけーんだよ。来生っちの知り合いのツテで、
 その中の特選を用意して貰ってっからさ、協力してお持ち帰りしよーぜ。な、な」
「そう言うのはもっと慣れてる奴に頼めよ……何で知り合ったばっかの俺を」
「繰り返しになりますが、ウチのスカには御学友がゼロなので。
 加えて、他人に頼らないとこのような場を設ける事も出来ないチキンなのです」
「はあ」
  マネージャーの男性は身内に対して辛口だった。
「後一人男が来るんだよ。4対4な。ぜってー抜け駆けすんなよ。被ったら俺優先な」
  そんなマネージャーの言動には慣れているのか、それとも精神が太いのか、
 如月は全くに気にする素振りもなく自分勝手な主張を延々と語っていた。
(俺にどうしろってんだ……)
  全く予期せぬ非日常への旅立ちに、不安よりも理不尽への怒りが込み上げて来る。
 それは冬にとって、自分自身すら知らない内面の貌だった。
 尤も、こんな場面でそんなものが覚醒した所で特に意味などないのだが。
「やーはー! 待たせてゴメンね! チョー忙しくてさ!」
  そんな冬を尻目に、如月は芸能人特有の軽いノリで奥の席に待機していた女性に話し掛ける。
 店員の案内すら待たずに。
「では、我々も参りましょう。嗚呼、懇親会など何時以来でしょうか。魂が踊ってしまいます」
  マネージャーも変人のようだった。
  微妙に距離を取りつつも、逃げると言う選択肢は既に消えている事を確信している冬は、
 諦めの境地の中で如月の背中を追う。
  友達ゼロ生活脱却から一ヶ月と経たない間に、やって来ました合コン会場。
 無論、心臓は既に破裂している。そこに希望や歓喜など微塵もない。
 合コンの参加経験はない冬だが、テレビでその風景を見た事は何度もあった。
 その中に自分を放り込んだ場合、下品なノリで下品な言葉が飛び交う中、
 唯々時間が流れるのを待つしか出来ない――――そんなシミュレートが容易に成り立つ。
 濁流に流されてこんな所まで来てしまった自分の運と縁を呪いつつ、テーブルの方に視線を送った。
「……え?」
「あれー?」
「え?」
「ありゃ」
「……あ」
  そこには、知っている顔しかなかった。
 


 

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