――――三日前。
  既に定番化した放課後の進路指導室で、冬と神楽は昨日のニュースについて話していた。
  例の合コン以降、特に何があった訳でもないのだが、二人はゲーム以外の事も割と話すようになった。
 専門用語など全く飛び交わない、単なる雑談。それは二人の友達としての純度が高くなった事を
 意味する。内容そのものだけでなく、その人と話す事自体が楽しい――――そう思えるからこそ、
 無駄話にも意味は生まれる。
「……大体、学校で習う教科なんて実践向きじゃないのばっかなんだもん。あんなので学年上位に来る
 人達って変人よ絶対。毎日勉強の事しか頭になくて、塾とか家庭教師とかでスケジュールもガチガチで、
 母親とか吊り目専用風のメガネ掛けてザマすザマす言ってる感じの」
  週休二日制の実施に伴い日本人の学力が低下した件について語り合うこの時間にも、
 それなりに意味はあった。
「ちなみに睦月君、この前の実力テスト何点だった? 三教科で」
  それぞれの見識や個人情報を交換する事で、相互理解の向上に繋がるのだ。
 何気ない神楽の質問に対し、冬も何気なく答える。それだけで二人は一層仲良くなれる――――
「二百七十二点」
  しかし、冬がその点数を言葉にしたと同時に、明らかに相互理解とは正反対の、
 溝のようなものが生まれた。
「あれ? あのテストって二百点満点だったっけ?」
「いや。普通に百点満点」
「……え?」
  一拍の間。そして――――
「き……きゃあああああ!?」
「なっ、お前なんて声出してんだ!」
  痴漢にでもあったかのような金切り声に、思わず二人称を間違える。しかし当の神楽は
 そんな細かい事に気付く余裕など一切なく、自我崩壊でも起こしているかのような我を忘れた顔で
 ガタガタ震えていた。
「に、にひゃく……にひゃくななじゅうに? ふえ? にひゃくななじゅう……に?
 へいきんきゅうじゅうごえ?」
  目が渦を巻いていた。
「どう言う事!? だってあんたゲームばっかしてるんでしょ!? 私が追いつけないくらい
 ゲームばっかしてるんでしょ!? なのに何で!?」
「あんたが追いつけないのはあんたがヘ……楽しむの重視で早解きしてないからだろ」
「ヘタって言った! 今ヘタって言った! うわーん! もうヤダー!」
  神楽未羽は号泣した。その様子に冬はかつてない困惑を覚える。
「……勉強会」
「はい?」
  それが更に積み重ねられる。他人との接し方についてのマニュアルが欲しい心持ちだった。
 この場面で使える項目は余りなさそうだが。
「今から勉強会を開きます。場所はあんたの家。これ決定だから」
「なななっ、何だよそれ! 無理だって!」
「無理じゃなーい! チクショウ、何さ二百七十二点って! 私の二倍近くって! この変態! ド変態!」
  いわれのない中傷を受け狼狽える冬に、更なる追い討ちが!
「話は全て聞かせて貰った!」
「……何なんだ、一体」
  明らかに入るタイミングを狙っていたと思しきタイミングで芸能人YUKITOこと如月幸人が
 乱入して来た。冬の頭は机の位置まで沈んだ。
「その勉強会とやらに俺も混ぜろ」
「……あんた芸能人でしょ? 何でいきなり一般人の勉強会なんかに」
「俺の事を知っていながらあの合コンでは一切絡もうとしなかったそこの君、良く聞いてくれた。
 実はな、今日メチャクチャ宿題出てマジ困ってんですマジ助けて下さい」
  深々と一礼。縦社会の芸能界に属する者らしく、自分の苦手分野に対しては謙虚になるらしい。
「ま、一対一ってのも何だし……そうだ、折角だから佐藤と秋葉も呼んで良い?」
「場所は変えてくれ。こことか図書館とか、色々あるだろ?」
「ダメ。絶対特殊な勉強法がある筈だから。そしてそれをこの目で確認するのが今回の目的なんだから」
  神楽の目は本気だった。洗脳されている人の目と同じくらい真っ黒だった。
  そして、それと同じくらい如月の目も黒かった。
「よろしく、二百七十二点の男。いや、親友」
「勘弁してくれよ……」
  こうして、冬は生涯二人目の友を得た……とは思わなかった。
 
  で、一時間後――――
「お邪魔しまーす」
  ニート予備軍の冬は、男一人と女三人を引き連れて凱旋帰宅と言う快挙を果たした。
「え? あ、あら……」
  こう言う場合、最も対応に困るのは母親だ。このような光景は全くもって想定していないので、
 当然ながら狼狽する。加えてすっぴん。現実に耐えられず、そそくさとダイニングの方へ逃げるのも
 致し方なし、だった。
「親子ねえ」
「……」
  神楽の呟きが冬の脳を掠める中、忙しない足音は階段にまで及ぶ。ギャル予備軍の妹は
 まだ帰っていないらしく、二階は主なき部屋を守護する静寂で満たされていた。
  そして、ついに御開帳。十六年近く親類以外の人間の目に触れさせた事のない部屋が、
 初めて他人の好機に晒される――――
「……何もねーな」
  自分以外の人間が入る事を想定していない部屋の中は、如月の言葉通り圧倒的に質素だった。
  壁紙普通。ポスターなし。グッズなし。絵画や置物なども当然なし。目に付く物は何一つとしてない。
「詰まらない部屋」
「私は嫌いではないです」
  半強制的に押しかけた人々が身勝手な感想を口にする中、神楽だけはとある一点に視線を
 集中させていた。
「お、ユートピアあんじゃん。対戦出来るの何か持ってんの?」
  だが、如月の発言と同時にそれを逸らす。その仕草を見る限り、彼女がゲーム好きである事を
 女友達に話していない事は明白だ。
「ない。と言うか、勉強会じゃなかったのか?」
「私等もそう聞いてたんだけど。だから来たんだし」
  佐藤の鋭い視線を受け、如月が怯む。芸能人オーラ、まるでなし。
「それじゃ、始めよっか」
  微妙に目が泳いでいる神楽のその言葉を合図に、勉強会は始まった。



 

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