翌日――――放課後。
「決まったぜ、発売日」
病院へ向かった神楽を校門の前で見送っていた冬の肩にポン、と手が乗せられる。
緩慢な動作で振り向くと、顔の前に一枚の紙が差し出されて来た。
「……発売日?」
それを受け取り、一応目視する。すると、そこには手書きで――――
『YUKITO渾身のNEWシングル発売決定! 超強力両A面シングル
こわれやすいもの/こわれにくいもの 8月1日ON SAIL』
――――と書かれていた。
「宣伝活動より英語の勉強した方が良いんじゃないか? 来週テストだってのに」
「俺にとっちゃ今回のシングルは人生の分岐点だからな。つー訳で、1人3枚は買えよ。
アルバム買うと思ってさ。配信はNGな。あ、一応これ大手チャート会社の加盟店の一覧だから。
ここに書いてる店で買ってくれよ。一度にじゃなくて一日おきくらいで」
「はあ」
そこまでする気には到底なれず、生返事を贈呈する。
「うし。つー訳で、これから勉強会な。お前の家で」
「……え?」
「ホラ早く行くぞ。テストは来週なんだからよ」
「そうそう。時間は幾らあっても足りないんだから。272点」
「行きましょう。272点さん」
「え? え?」
左右から突如沸いて来た神楽の友人二名によって両腕をロックされ、拉致されてしまう。
斯くして、哀愁に浸る暇もなく、二度目の勉強会イン自宅と言う事になった。
「お邪魔しまーす」
頭痛を訴える冬を尻目に、3人は睦月家を勝手知ったる我が家の如き勢いでズカズカ入って行く。
母は電話中らしく、身振り手振りで歓迎の意を表していた。
そして、2階へ上がる――――と同時に、足音が止まった。
「あら妹さん? こんにちは」
今日に限って睦月家長女が早々に帰宅していたらしい。冬の頭は更に重くなった。
「こ、こんちは」
「ちわーす。あ、俺YUKITOね。今度CD出すから買ってくれよな。後でサインしてやっからさ」
「うあ……」
ある程度芸能界に詳しい千恵は、初めて生で見る芸能人に微妙な表情を浮かべていた。
そんなこんなで二度目の入室と相成る。
「失礼します」
「相変わらず何もねー部屋だな。俺のポスター貼ったろか?」
「男が同じガッコの男のポスター張ってたら超ウケるけどねー」
それぞれ勝手な事を良いながら着席。困惑を隠せずに扉の前で立ち尽くす冬に、
微かな不安を覗かせた秋葉の小さい顔が向けられた。
「あの、ご迷惑でしたか?」
その言葉に呼応し、残りの二人も機嫌を伺うような目で冬を見る。
色々と思う所はあったが、空気を読むと言う新スキルを身に付けた冬は出来るだけ温和に笑って見せた。
「……取り敢えず、人を点数で呼ぶのは止めてくれ」
他人と接する事の難しさを教えてくれる3つの顔は、満足げに笑い返して来る。
「後、一ヤマ100円。指導料は別途」
それも一瞬で消えた。
「金取るのかよ!?」
「マジ!? 横暴!」
「守銭奴です」
「嫌なら自分で勉強しろ」
勉強会においては、優等生は神以外の何者でもない。当然平民に逆らう術などなく、
渋々と受理していた。
そして――――予想屋と化した冬の仕事が始まる。
「……で、あの性悪な教師は太字じゃない所からも出題して来るから、こことここはチェック。
普通の問題だけじゃなくて一つ捻って来るだろうから、歴史背景も抑えておく事。
物理は授業で使ってる問題集から数字だけ変えて出してくるのが殆どだから……そうだな、
これ、これ、これ、これ、後これもやっておいた方が良いか」
冬の迷いなき指摘に、各所で感と嘆の声が上がる。
「なあ、テストって先公の性格まで考えないといけないもんなの?」
「優等生の考える事なんて私等にはわかんないよねー」
「私は感心しました。今後の参考にさせて頂きます」
そんなこんなで2度目の勉強会は終わった。
「じゃ、明日もヨロシクな」
「明日も来るのか……?」
「10時集合ね。お昼は自分等で用意するから、気使わないで良いよ」
「失礼しました」
貴重な土曜日が無駄になりかねない現状を嘆きつつ、見送りを切り上げて玄関に戻る。
すると――――扉の隙間から外の様子を伺う妹の姿が目に入り、冬は思わずのけぞった。
「……兄貴のダチ?」
更にのけぞる。
何しろ、この5年の間で声を掛けられたのは片手で数える程度しかない。
今の自分の二人称が『兄貴』である事も今判明したくらいだ。
「ええと、ダチじゃないな。友達の友達が二名、後のは……何なんだアレ」
「何ソレ。自分の事っしょ?」
「良くわからん」
やたら気恥ずかしい心持ちになり、冬は逃げるように家に入った。
「何かサインとか貰ったんだけど」
しかし、家族から逃げられる筈もなく、食卓でも千恵は話し掛けて来た。
「自慢出来ると思う? コレ」
「まあ……一応芸能人だし、名前は伏せて何か芸能人のサイン貰ったんですけど的な事
言ってれば良いんじゃねーの? 名前は伏せて」
重要な事は2度言う。これは大事な事である。
「そっか」
「責任は取らないけど」
子供2人の会話に母は驚きを隠せずにいたが、それでも何処か嬉しそうにしていた。
夕食が終わり、2階へ上がろうとした冬の耳にインターフォンの音が届く。
一瞬躊躇しつつ玄関に向かうと、そこには――――
「あれ?」
私服姿の神楽が立っていた。
「こんばんは。ちょっとお邪魔して良い? お邪魔しまーす」
家の者の了解も聞かず、我が家の如き気軽さで上がって良く。睦月家の敷居はどうも低いようだ。
「あっ、あのっ」
神楽はダイニングに到着すると、明らかに緊張した面持ちで睦月母の前で『気を付け』をした。
「は、初めまして私神楽未羽と言います昨日息子さんにお世話になりましたのでお礼に伺わてて
いたたきまひはっ」
そして、完全に冷静さを欠いた棒読みコメントを披露した挙句、最後は力尽きて噛みまくっていた。
「……そこまで緊張するか?」
「るさい! あ、あのこれ詰まらない物ですが」
「これはどうもご丁寧に」
「いえっ」
一通りの儀式を終えた神楽は、冬にヘルプアイを向ける。微妙に泣きそうだった。
「……じゃ、俺の部屋にでも」
途中妹の丸い目を気にしつつ、冬は生まれて初めて自発的に女を部屋に連れ込んだ。
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