「それじゃ、改めてお友達の契りを交わしたところで質問。どうしたらウチも良い雰囲気になると思う?」
 微妙な空気の中、神楽はいきなり核心めいた質問を投げ掛けてきた。
 家庭崩壊の当事者である冬には反面教師の素養がある。
 その経験を生かし、考えをまとめる。ここ数日で痛感した重要事項は――――話す事。それに尽きる。
「お母さんと積極的に話した方が良いと思う。友達いない歴16年11ヶ月の男に話し掛けられるくらいだから、
 実の母親と突っ込んだ会話するくらい出来るだろ」
「そっかな。って言うか16年の件押し過ぎじゃない?」
「うるさいな。兎に角、身内だから逆に話し辛いってのは物凄くわかるけど、お前んとこって二人なんだろ?
 向かい合わない事には何も変わらないんじゃないかな」
  そこまで言って、言葉を区切る。
「……って、逃げてばかりの俺が言っても説得力ないんだけどさ」
「本当そうよね」
「なら聞くな」
「うーそー。拗ねないでって」
  神楽は微笑みながら、ベッドの上から冬の肩の辺りを叩いた。
  突然のスキンシップに冬の心臓が跳ねる。約17年の人生で他人と触れ合う事が殆どなかっただけに、
 この程度の事でも極度の緊張が生まれてしまう。
「……」
「……」
  結果、変な空気になった。
「あ、そ、そう言えば何処まで進んだの? 1回解いてるとこは直ぐ行けるから、もう中盤くらい?」
「え? あ、ええと、そんなトコ」
「ちょっと見てみよ。何て名前付けてんだろね♪」
「へ?」
  明らかに空気を入れ替えようと言う意図の下、神楽がユートピアの電源を入れる。
 当然中に入っているゲームはラストリX。そして、その進行状況は――――
「あ、あの……」
  冬は危険極まりない展開を想像し、それに抵抗しようと策を練った。しかし余りに時間がなかった。
「レベル……45?」
  あっさりと真実は漏れた。
「聖王の都リンドベール? 終曲の剣? エスカトロジー? 何コレ……知らない。全部知らない!」
  それぞれ『ラスボス直前の町』『主人公の最強武器』『攻撃系最強呪文』の名称である。
 神楽の眼前に広がっていたのは、クリア直前の状態でセーブされた猛者どもの姿だった。
「え? 何で? そんな……私、負けたの? もう届かないの? ここで屈すると言うの……?」
「いや、あのな」
  虚ろな目でブツブツ呟く神楽に、冬の手が思わず伸びる。その指がコントローラーを握る
 手に触れ――――
「触らないでバカーっ!!」
  電光石火の平手打ちが冬の頬を襲った。
「痛っ!」
「うわーん! もうやだー!」
  強烈な破裂音と泣き声を残し、神楽は弾丸のように冬の部屋を、そして睦月家を出て行った。
「……痛い」
  自分の人生には確実に縁のないものだと思っていた女性からの平手打ちに、冬の心は折れた。
  そして――――その尋常ではない様相に驚いた千恵が隣の部屋から駆けつけて来る。
「な、何? どったの?」
「いや……」
  千恵の視界に、冬の赤く腫れ上がった頬が移った刹那――――部屋が揺れた。
「あははははーっ! 何ソレ! 紅葉じゃん! 嘘、兄貴引っ叩かれたの!? さっきの人に!?
 ちょっ、お母さーん!」
  あっという間に母到着。
「……あらー」
「何すか」
  冬の半眼にも屈せず、母親は妙に目を輝かせていた。
「まあその、ねえ。もう高校生だからそう言うのは仕方がないと思うけど……」
「やっぱアレ? 変な顔してキスしようとして? バチーンってやられたんだよね?」
「違う」
  もう具体的な反論をする気力は冬にはない。
「うわ見てよアレ。真っ赤っ赤じゃん。よっぽど変な顔してたんだってゼッテー。ダッサ。ダサっ!」
「変なのが顔だったらまだ良いんだけど……他だったら、ねえ」
  母親は子供の前で決して言うべきでない事を言った。
「あははははーっ! それマジ超ウケるんですけど!」
「お前ら……」
  家族のあんまりと言えばあんまりな発言の数々に対し、普段は温厚と言う名の暗い性格で知られる冬も
 さすがにキレる。
「超ウケてんじゃねーこのバカ妹! ギャルってんじゃねーよ! 古りーんだよ!」
「あー!? ゲームオタクが何逆ギレしてんだよ! バカじゃねーの!?」
「るせー懐かしのパギャル! どうせ学校じゃ化石とか言われてんだろこの絶滅種が!
 時代の流れに取り残されてんじゃねーよ!」
「……」
  それまで見せた事のない冬の大声での反撃に驚いたのか、余りに内容が的確だったのか、
 それまでの剣幕が嘘のように千恵が凹む。
「ひっ、酷……ひっ……」
  そして、母親の胸の顔を埋めて泣き出した。
「うえええええん」
「あらあら。コラ冬、言い過ぎでしょ? 謝りなさい!」
「何なんだ一体……」
  心の底から嘆息する冬だったが、ケンカする程仲が良いと言う言葉通り、
 家族の仲は回復の兆しを見せていた。
 

  その夜。
  冬はゲームをするでもなく、ベッドに寝転んで天井を見上げていた。
  神楽の平手打ちの件もかなり頭に残っていたが、最も思考を支配しているのは、一昨日判明した
 衝撃の事実。
【芸夢触富 遊凪】の突然の閉店――――
  それは、冬にとってかなりショックな出来事の筈だった。
  行き付けの店である事もそうだが、なによりこの店は冬にとって特別な意味を持つ場所だからだ。
(生まれて初めて、ゲームを買った店……か)
  今の自分を作った原点とも言える場所。
 それが何の前触れもなく消えてしまった事に、未だ実感を持てずにいる。
 寂しくはあるのだが、何か釈然としない。
(……メールか)
  題名なしの神楽のメールを開く。その操作にも大分慣れた。
『さっきはゴメン 痛かった?』
  絵文字込みの短い文章に、更に短い一言で返答。
『……相変わらず淡白ねー』
  短く返答。
『あれから病院行ってお母さんと話したんだ。結構良い感じだった』
  返答。
『ありがと。睦月君のお陰』
  照れつつ、返答。
『あはは。それじゃ、病院に戻らないといけないから、またねー』
  携帯を置き、一息吐く。
  冬は遊凪の閉店について、神楽に話す事はしなかった。
  それを話題にする事に強烈なまでの抵抗を感じたから――――ではない。
  昨日の夜、そして今日――――冬は余りその事について考えていなかった。
  それはこれまでの冬によく見られた逃避によるものではない。
(そこまで気にする事でもない……って事なのか?)
  自分自身に問う。無論答えは返って来ない。それが答えでもあるのだが。
  冬の中で、何かが変わり始めていた。

 

  前へ                                                             次へ