期末テスト終了――――
「お、終わった……そして俺の人生も終わった……」
叫ぶ気力もないムンク約一名を除く冬チルドレン女子三名が、進路指導室にて
歓喜の宴を繰り広げていた。
「睦月ナイス! マジナイス! ヤマ超ビンゴ! コレ親ビビるだろなー」
「ホント、超能力? ってくらい殆ど合ってたよね」
「自己最高を大幅に更新しました」
冬はその声と笑顔を見ながら、自分の中に際限なく生まれて来る満足感を抑えられず、
自然と笑みを浮かべてしまう。
単なる優越感ではない。
自分が他人にとって必要とされ、貢献したと言う確かな充実感がそこにはあった。
そしてこれは、一人では絶対に感じる事の出来ない種類の歓喜だ。
「って言うか、何で終わったの? あれだけヤマが当たってたのに」
神楽が半眼で死体状態の肢体を晒す如月を見る。
すると(ほぼローカル)芸能人の性なのか、視線を糧にシャキっとした。
「人気者は辛いぜ。取材さえ殺到しなきゃこんな事には」
ゲーム主題歌を担当するに当たり、無名のYUKITOには多数取材が訪れたとの事。
全く本人の人気は関係ないようだが、如月は何故か満足げだった。
「芸能人は赤点取っても追試免除とかないの?」
「ねーの。寧ろ? 目の敵にされるっつーか、骨頭にされるっつーか」
後半は意味が不明瞭だった。
「ま、でもそんなの関係ねえ! 何せこれから夏休みですから! 夏休みフォー! 夏休みゲッツ!」
如月は一発屋の素質十分なコメントを次々と発していた。
「って言うか、芸能人が学校の夏休みを喜んでちゃマズいんじゃないの?」
神楽の1/3眼が如月を再びやぶ睨みする。
「うるせー! 仕事だって学校ない方がやり易いんだよ!」
「そう言えば、夏休み中に新譜を出されるとか」
「良く聞いてくれた秋葉さん! シングル8月1日に決まったんだよ。超人気ゲーム主題歌。
オタクってCD不況とか関係なしに買ってくれっから大ヒット間違いなし! だよな、睦月」
微かな猜疑の目が冬に向けられる。
どう言えば良いか迷い神楽にヘルプアイを向けたが、神楽は宇宙のある方向を
じっと見ていたので視線は合わなかった。
「……まあ、それなりには」
結局、玉虫色の返答に落ち着いた。如月がポジティブな方向で捉えると予想しつつ。
「な? そんな訳で、大ヒットは間違いないんだけどよ、折角だからお前等も買ってな。
秋葉さんとか苗字がアキバでオタクっぽいから十枚買って」
「……誰が」
秋葉はとても不服そうだった。
「ちなみにジャケはこんなん」
冬の想像通り前だけに向けられた思考を披露した如月は、携帯に入れているジャケット写真
略して『ジャケ写』を不機嫌な顔の秋葉に見せる。
そのジャケ写は――――曲、タイトル、タイアップ、そして本人全てに関係のない
子犬と子猫の愛らしい写真だった。
視聴者の目を引くなら動物を使えと言うのは芸能界の大原則だ。
「買います。十枚買います」
「あんたね……止めときなさい」
さっそく引っかかる秋葉に神楽が全力で諌める。
「それより夏休みどーする? 神楽のお母さん、もう退院すんでしょ?」
「ん。明日」
神楽母のその後の経過は到って良好。特に問題なく、予定の退院日に病室を後に出来るそうだ。
「じゃ、遊ぶのにはそんなに支障ないね。海行こ海」
「海のイェー! 俺の芸能人仕様バディにビビるなよオイ!
何せ芸能人だから、いつ裸が雑誌やテレビに写っても良いように毎日鍛えてっから!」
「テンションウザ……」
無駄にうるさい如月に、佐藤が本意気で顔をしかめる。
これだけ一般人に直で煙たがられる芸能人も珍しいのではないだろうか。
「うるせーよ! ホラ触ってみって」
「キモい! 近寄んな!」
佐藤と如月がホラー映画のような追いかけっこを展開する中、冬は一人こっそりと嘆息してた。
「……気にし過ぎなのかな」
「え? 何?」
「何でも」
言葉など器でしかない。その形を気にした所で、結局重要なのは中身だ。
しかし、包装紙のグレードで中身を判断する風潮は今も昔も変わらない。
ならば、自分が変えるしかない――――冬は何となくそんな事を考えながら、
目の前のドタバタ劇を眺めていた。
放課後。
冬は一人で帰宅の途についていた。
神楽は母親の退院の用意の為に速攻で帰宅。
如月はプロモーション活動の為に事務所に直行。
なんでも秋葉原を中心に様々な地域でドサ回りを決行するらしい。
本人にとっては初めての経験で、自分の顔オタとゲームのオタクが場所取りで
喧嘩しないかと不安がっていた。
明らかに自意識過剰と言うか、冬にとってはどうでもいいことなので適当にあいらいつつ、
皆と別れ、家路に着く。
冬にとって、或いは毎日が非日常と言う日々が続いている。
今や、学校に行けば数人と言葉を交わし、何かしらの話題で笑顔を見せ、あまつさえ
自分の言動で他人に表情を作らせようと考える事もある。
それは紛れもなく、普通のコミュニケーションだ。
――――あり得ない事。
冬にとっては、少なくとも少し前までの冬の人生においては、絶対にないと思っていた事ばかりだ。
それ故に、毎日が戸惑いばかり。
その割には上手くこなせている事にも驚きを覚える。
元々、こう言ったやり取りは誰かから習うものではない。
子供の頃、まだ自我が確立していない頃でも、人は感情の機微を自身の中に生み出す。
そして、他者に対して好奇心と自己投影とちょっとしたお茶目を交えた心で接し、その中で会話を弾ませたり、
気まずくなったりしながら、己を開いていく。
冬はようやくそれを実感した。
実に17年。
それでも、今の時代、遅いとは言い切れないのかもしれないが。
「……ん」
家の傍の空き地に差し掛かった所で、以前懐かれた猫を発見する。
しかし、その猫は冬を一瞥もせず、通り過ぎていった。
恐らく、空腹でない状態ならばこんなものなのだろう。
それでも、かつての冬であれば、少しだけ傷付き、心を痛めたのかもしれない。
(強くなった訳じゃ……ないんだろうけど)
苦笑するように独白しながら、冬はその猫の背中を目で追った。
早くもなく、遅くもない速度で、4つの足を使って静かに歩を進める猫。
その猫が、曲がり角に差し掛かった所で――――飛んだ。
跳んだ訳ではない。
外力によって、吹き飛んだのだ。
その外力とは――――小型の2輪車だった。
原付バイクと呼ばれるそれは、停まる様子もなく、そのまま冬とは反対の方向に走っていく。
猫は――――動かない。
回りに人気もなく、そのまま横たわっている。
「‥‥っ」
冬は背筋に寒いものを覚えながら、その猫へ近寄った。
飼い猫ほどの愛情はないが、それでも走る。全力で。
猫は――――生きていた。
「生きてた‥‥」
思わず漏れる自分の声に、安堵を覚える。
だが、無事と言うわけではない。
顔には擦り傷が、そして前足はすぐ折れているとわかるくらい、あらぬ方向に曲がっている。
だから動けずにいたのだ。
(どうする? こう言う時は……動物病院?)
冬にペットを飼った経験はない。
そもそも、動物の負傷に立ち会った経験もない。
それ以前に、野良猫を担いで病院に向かう自分が想像も出来ない。
冬は混乱してはいなかった。
それは、目の前の猫に特別な愛着がないと言う事。
なのに、頭の中にはこの猫を助ける為の行動を取ろうと言う意識が働いている。
神楽の母親の時の経験が残像となって残っているのか。
それとも、冬自身ガキがついていない部分で、実はお人よしな性格だったのか。
単に、自分の眼前で起こった悲劇に対して、倫理責任のようなものを感じているのか。
いずれにしても――――こう言う時、冬に出来る事は少ない。
ならば、広げるまで。
冬は猫の身体を足に触らないよう抱え、空き地に運んだ。
それから、神楽に電話をして、動物病院の場所を調べて貰おうと目論んでいた。
「睦月……さん?」
携帯に手を掛けた瞬間、冬は聞き覚えのある声が自分を呼んでいるのを認識した。
声の主は――――秋葉鈴音。
そう言えば初対面の時もこの場所だったと、冬は思い返していた。