高校生にとって、夏休みが特別な意味を持つことは言うまでもない事で。
 その始まりとなる、一学期の終業式当日もまた、やはり特別な日と言える。
 一日8時間にも渡る束縛からの解放。
 その瞬間、学生は歓喜に酔いしれるのだ。
「……」
  だが、世の中は甘くない。
 そんな甘露の時を迎える前には、大きな大きな障害が待ち構えている。
 通知表と言う名の中ボスの登場だ。
 たかが中ボス。されど中ボス。
 最近のRPGは、ラスボスよりも中ボスに力を入れる事が多い。
 ラスボスと言っても、所詮は隠しダンジョンや真の最強の敵の方が戦闘力は上。
 しかも、ラストダンジョンに挑むパーティーの多くは、十分なレベルアップを行っている為、
 はっきり言って苦戦する事が少ないと言うのが現状だ。
 多くの場合、印象に残らない。
 世の中そんなものだ。
 一方、中ボスはと言うと、余りレベル上げを好まない人の場合、どこかで苦戦する事も少なくない。
 ゲームバランスの優れたゲームほど、中ボスの何処かに『普通にプレイしてると苦戦してしまう敵』
 が潜んでいるものだ。
 しかも、ラスボスでは中々仕込めないギミックを仕込みやすい。クセのあるダンジョンのボスで
 それをやれば、かなり目立つ。
 つまり、何が言いたいのかと言うと――――
「ぐわああああああ」
  高校二年生の一学期の通知表と言うのは、十分な勉強をしていなかったり油断したりして、
 大きく成績を落としている場合が多いのだ。
「もう何も見えねえ……涙で目の前の数字も未来も見えねえ……」
  解放の瞬間を祝うクラスメートの雑談と雑踏が響く中、如月の雑巾の絞り汁のような声が
 ポツポツと聞こえる。 
 冬はそんな声を特に耳に入れるでもなく、目の前の通知表に目を向けるでもなく、
 黙々と一冊の雑誌を読み耽っていた。
「おい。ダチが泣いてるんだから何かツッコめよ。明るい希望に詰まったツッコミをくれよ」
「そんな事言われても……」
  いつの間にか友達と言う事になっているらしいその一言を内心微妙に喜びつつも、
 冬は視点を動かさない。
「ったく、優等生様は良いよなー。こんな悪魔みてーな数字の並んだペラッペラな紙に
 一喜一憂しなくて良いんだもんなー。ケッ」
  実際のところ、高校生にもなって通知表で一喜一憂する人間は少ない。
 それよりも、中間期末、若しくは模擬テストの結果の方が遥かに重要なのだ。
 通知表と言うのは、内申点の内容そのものなので、推薦を狙う学生にとっては
 それなりに重要なのだが、高校二年の時点では余り意識されない為、通知表で落ち込む
 と言うのは、余程酷い成績の者に限られる。
「うーわ……煙突ばっか」
  そんな中、如月の通知表を勝手に手に取って眺めている佐藤は、他人の成績ながら
 軽く引いていた。
「うっせ! 仕方ねーんだよ。芸能人の弊害? とかそんなんだよ」
「アンタ、全然忙しくないし。ガッコもフツーに来てんじゃん」
「しゅ、収録は深夜なんだよ……」
「最近お前の姿テレビで見るの、夕方に老人ホームの慰問やってる番組だけだけど」
  思わず冬が口にしたツッコミには明るい希望の欠片もなかった。
「うるせえな! あれだ、編集にも立ち会ってんだよ。今の時代、高齢化社会だから
 じーさんばーさんとYUKITOのコラボは数字持ってんだ。いずれ俺が全国の顔に
 なった時に『驚愕! YUKITOの下積み時代の映像発掘!』とかそんなんで
 使われんだから、ちゃんとチェックしときたいんだよ」
  そんな長台詞も軽く放置し、冬は雑誌に延々と目を向けていた。
「一学期おつー。何見てるの?」
  そこに神楽と秋葉が合流する。
「あ、バイト情報誌。本当にやるんだ」
  神楽は冬の肩に手を置き、後ろから覗き込むように雑誌を見出した。
 その茶髪が冬の顔に掛かり、冬は思わず硬直する。
「アルバイト……するんですか?」
「あ、うん。多分それが一番現実的かな、と」
  秋葉の問いに、冬はギコチナサ満点の声で答えながら、一つの募集に
 ボールペンで印をつけた。
 それは『交通量調査』のアルバイトだ。
 高校生のアルバイトは、多くの学校が禁止している。
 しかし、この夕凪学園はかなり雑な校風の為、特に禁止項目は設けていなかった。
 その為、どんなアルバイトでも一応OK。
 とは言え、知識も技術も資格も免許も無い一介の高校生に出来るアルバイトと言うのは、
 決して多くは無い。
 例えば、ピザの配達ならばバイクの運転が出来ないとダメ。
 ガソリンスタンドで働くなら、大抵は運転免許が必要だ。
 とは言え、時期は丁度夏休み。
 その時期だけ働く高校生、大学生をターゲットにした短期アルバイトがかなり増える時期でもある。
「そんな地味なのチェックして……」
「でも1日1万円だし」
  交通量調査のアルバイトは、基本駅周辺や交通量の多い道路の脇で、椅子に座って行う。
 方法は、車が通ったらカウンターのスイッチを押してカウントしていくだけ。
 車だけでなく、人の通行量を調査する事もある。
 この場合は結構大変だが、車の場合はかなり楽だ。
 ただ、カウント中は食事やトイレ休憩も出来ない為、2〜3人でローテーションを組み、
 1時間交代で行う事が多い。
 その為、結果的に拘束時間がかなり長くなる。
 冬にとっては、夏休みはRPGプレイ時間の稼ぎ時なのだが、2日くらいなら特に問題もないと思っていた。
 もし、半年前ならば絶対にあり得なかった心境だ。
「なになに、バイト探してるん? 言っとくけどウチじゃ働かせねーぞ」
「誰がローカル芸能人事務所で働くかっての。ねえ?」
「そりゃそうよ。ローカル芸能人事務所で誰が働くかって」
「そうですね。ローカル芸能人事務所で働くと言うのは、効率的にも倫理的にも、どうかと思います」
「ローカルローカルうるせー! お前等俺を泣かして何が楽しいんだよ!?」
  女子生徒3名のリレー方式の指摘に、YUKITOは泣いた。本気で泣いた。
「えっと、ローカル芸能人事務所でアルバイトをする気はないから、ごめん」
「4度言われた! しかも何か振られた感じ!」
  泣き顔の如月が机に突っ伏す中、秋葉は冬の情報誌を手に取り、黙々と読み出す。
 その傍ら、神楽が冬に視線を向けた。
「そう言えば、ゲームデバッグのバイトってあるんだってね。載ってた?」
「いや。それは何気にキツイらしい。夢と現実は別って事だな」
  冬にとっては一見天職のようなアルバイト、ゲームデバッグ。
 それは、完成したゲームにバグ、すなわちプログラムのミスがないかを確認するお仕事だ。
 まだ発売前のゲームをプレイできると言う特典、ゲームをプレイする事がバイトと言う一見非常に
 おいしいその職業は、通常の情報誌で募集される事は殆どない。
 理由は簡単。勤まらないからだ。
 誰でも出来るようなそのバイトだが、殆どの人は直ぐ根を上げるという。
 と言うのも、異常に疲れるのだ。
 画面の至る所に、何かおかしなところがないかを確認しながらプレイする。
 それは、とてつもない疲労を伴う。
 目も精神もあっと言う間に消費するのだ。
 しかも、疲れてもプレイの中断は出来ない。
 延々と、期限までにチェックをしていく中、いつしかゲームと言うものに対して嫌悪感すら抱くように
 なるらしい。
 中途半端な好奇心で挑むと、とんでもない事になるアルバイトなのだ。
「あの……」
  冬が延々とそれを神楽に説明する中、秋葉がとあるページで手を止める。
「これ、面白そうです」
「え?」
  そのページにある募集を、冬は身を乗り出して確認した。


 

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