戦い済んで、日が暮れて。
 地元のなんて事ないビーチバレー大会は、一部の参加者の圧倒的なモチベーションにより、
 予想を大きく超える大盛り上がりを見せ、大会関係者は目を細めていた。
 尚、神楽−秋葉組は二回戦敗退。ベスト4進出とも言う。
 同じくベスト4の組が急用で3位決定戦をキャンセルした為、3位の栄冠に輝いた。
「うー……プラットフォーム3……プラフォー3……」
  諦めきれない様子で、神楽は2位の商品に思いを馳せ、落ち込んでいる。
「まあ、まだそんなにソフト出てないし、安くなるかもしれないし」
「タダより安い物ってないよね……」
  夕焼け以上に黄昏ていた。
 ちなみに、佐藤は家が別方向と言う事で、既に別れている。
 あと一人いたかもしれないが、どうでも良いよね。
  そんな中、秋葉は商品として貰った写真集『世界のにゃー』を無表情で抱きしめながら歩いている。
 冬には良くわからないが、神楽曰く『こんな機嫌の良い鈴音見た事ない』そうで、幸せのオーラが
 滲み出ているようだ。
 重度の猫好きである事は既に判明していたが、更にそれが裏付けられた格好だ。
  そして、斯く言う冬も比較的機嫌はいい。
 多少のミスはあったものの、2日間無事アルバイトを遂行。
 若干色を付けて貰い、2日で2万円獲得となった。
 これで目標金額はクリア。そればかりか、多少のゆとりもある。
「じゃ、これ」
  と言う訳で、冬は家から持参したお金と合わせ、計35000円の入った封筒を秋葉に託した。
「本当に良いんですか?」
「勿論」
  冬からその封筒を受け取った秋葉は、やはり表情を変えずに、でも申し訳なさそうな雰囲気を
 声色に出しながら、視線を泳がせていた。
 そして、暫くした後、賞品のひとつである『夏のスイーツ詰め合わせ』を冬に差し出した。
「お礼です」
「いや、礼って言われるような事じゃ……って言うか、半分は神楽の物なんじゃ」
「って言うか、猫写真集取ったんだから、スイーツは全部私のじゃないと納得できないんだけど」
  ジト目で睨む神楽を他所に、秋葉は半ば強引に冬の手にスイーツ詰め合わせを握らせた。
「では、これから病院に向かいます」
「あ、うん。また」
「後で呪いのメール送るからねー」
  半ば本気で言いながら、神楽はブンブン手を振っていた。
  そして、帰り道は2人ぼっち。
 暫く沈黙が続く。
 伸びる影は徐々に薄くなり、空の色も微かに夜の雰囲気を漂わせ始めていた。
 海岸線から街へと延びた線路に揺られ、無言のままで移動する。
 冬はその間、ずっと会話のきっかけを探っていた。
 社交性の欠片もない冬としては、かなりファイティングスピリッツを見せているのだが、
 実力が伴わないので言葉が出てこない。
 一方の神楽は、余り表情からは感情が読み取れない状態だった。
 電車の揺れる音。
 駅の階段に殺到するスーツ姿の男達。
 駅前でスケボーに乗っている少年。
 様々な音が混ざり合って、様々な光景が溶け合って、無機質なひとつの世界が形成されている。
 冬はその中で、自分が今、社会の片隅に立っていることを実感した。
 それは、とても居心地の悪い場所だった筈。
 カメラのピントを一箇所に合わせて、それ以外の場所をぼやかしているような、そんな感覚だった筈。
 クリアなのは、プログラミングによって構成された世界だけ。
 それでも、そこにいる事に違和感なんてなかった。
 今は違う。
 雑踏は騒音に、笑い声はもっと騒音に聞こえる。
 なのに、不快感はない。
 ひとつの模様として、脳内で処理されている事に、冬は新鮮な気分を感じていた。
「ね」
  そんな冬の耳に、久しぶりの声が届く。
 隣でずっと歩いている女の子の声が。
「鈴音、猫も好きだけど、甘い物もすっごい好きなんだ」
「……へー」
  話の筋が見えないので、冬は生返事を返す。
 神楽の声は、少し沈んでいるように聞こえた。
「それを渡すって、相当の事のような気がするんだけど、どう思う?」
「え? そりゃ……それだけ感謝してくれた、って事なのかな」
「そう……なのかな」
  2人して、ヒグラシのようにカナカナと鳴く。
「でも、野良猫に3万5000円って……良くそんなお金出す気になれたもんよね」
  神楽の言葉に、冬は苦笑を返す。
 実際、『そのお金がなければ猫が死ぬ』なんて言う危機感を抱いた訳ではない。
 では何故、こんな大金を、経験のないアルバイトまでして稼いだのか。
「もしかして、鈴音に……気に入られたいとか?」
  冬は――――その場に立ち止まった。
 そう言う解釈をされるというのは、全く頭の中になかったからだ。
 同時に、自分の考えを頭の中で整理する。
 理由は、複合的だった。
 その中には、秋葉に対しての、或いは猫に対しての感情も多少はあった。
 だが、それは本当にちょっとしたものだ。
 実際には、非日常への憧れが大きかった。
 自分がそう言う事をする、と言う事への憧憬だ。
 まるで、漫画の中の一シーンのような、ここ数日の出来事。
 治療費の半分を払う事を想定した時、冬の中にはそれを実行した場合のシミュレートが
 延々と映像化されていた。
 自分がそう訴えた時の、知り合いの顔。
 そして、アルバイトを探す自分。その周りに集まる知り合いの顔。
 更には、アルバイトと言う未知の世界に飛び込んでいる自分。
 それを見る、やっぱり知り合いの顔。
 要するに――――『ええかっこしー』だったのだ。
 何か、そう言う事をしたくなったのだ。
 それは、周りに対しての自己主張。
 その欠落こそが、冬を社会不適合者予備軍に至らしめていたと言うのにだ。
 今は、自分の周りの人間の自分を見る目が気になる。
 画面の中からは決して発せられない、その視線が気になる。
 そして、一番気になるのは――――
「あ、やっぱりそう、なんだ」
「いやいやいやいや」
  思考に耽り過ぎた冬は、自己完結した神楽に全力で首を振った。
「えっと、何と言うか……大きな意味では間違ってないかもしれないけど、大体においては違うと言うか」
「何そのはっきりしない言い方」
  神楽は機嫌が悪そうだった。
 冬は当然焦る。こんなシチュエーション、経験にない。
 徐々に、夕日の色が消える。学生は家に帰らないといけない時間だ。
「……ま、別にいいけど。関係ないし」
  神楽は言葉と真逆の表情で、歩を進める。
 冬はそれに対し、何も言えなかった。
 言うべき言葉など、頭の中の皺には刻まれていない。
 ただ、等速で流れる周りの景色が、妙に焦燥感を生んだ。
 そして――――そのまま、分岐点に到着。
「じゃ、私こっちだから」
  神楽は十字路を右に曲がる。
 冬の家までは、直進が最短経路だ。
 そこに進めば、また日常の続きが始まる。
 それだけの事だ。
 それだけの事を――――
「ちょっとゴメン! ちょっと待って!」
  冬は、全力で拒んだ。
 出した事のないような大声で。
「……」
  神楽は茶髪をなびかせ、振り返る。
 そのタイミングは、相当な反射速度の持ち主か、もうひとつの理由でもない限り、ありえないものだった。
「えっと、その……ゴメン、ちょっと待って」
「……ん」
  神楽は急かさなかった。
 冬はそれに心から安堵し、言葉を組み立てる。
「なんて言うか、その、良い事したくなったんだ。あ、さっきの話の続き」
「わかるって。で、どう言う心境の変化で?」
  神楽の顔は、日が暮れてしまった事、少し離れている事から、冬の目にははっきり映らない。
 でも、言葉は続く。相手の反応を見る必要は、本来はあったのだが。
「カッコ、付けたかった」
「へー。秋葉に?」
「限定じゃなくて! 皆に。俺の周りにいる皆に」
  その言葉を聞いて。
 神楽は、ツカツカと冬の方に戻ってきた。
 その顔は、穏やかだった。
「なんか、子供みたい」
「う、うるさいなっ」
「で、私にもカッコつけたかったの?」
  二輪車の道路を駆ける音が、二人の鼓膜を刺激する。
 でも、そんな音がまるで聞こえないくらい、冬はその神楽の言葉に痺れを受けた。
 その痺れは、そのまま心臓まで到達する。 
「そ、それは本人の前では……」
「言え」
  神楽は怒る。そして、怒りながら笑う。
「……まあ、結構」
  思考がまとまらない中、それでも冬は少し表現を抑えた。
 それに対し、神楽は大きく息を吐き、手荷物で冬の頭を小突く。
「ばーかっ!」
  そっちこそ、まるで子供のようだ――――冬はそう言い掛けたが、その間にも神楽は
 全速疾走の勢いで離れて行った為、言葉は意味を成さなかった。
 胸が恐ろしい勢いで脈を打っている。
 ずっと待っていたゲームの発売日の高鳴りすら、到底及ばないくらいに。

 冬にとって、初めてばかりの数日間の最後は、初めてのままに幕を下ろした。



 

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