唐突だが、テレビ業界は現在非常に困った事になっていると言う。
 視聴率が泣けるほど取れないのだ。
 何処かのテレビ局では、最高視聴率がドラマの再放送と言う事があったらしい。
 ドラマと言うか、約40年続いている時代劇だった。
 そんな状況にあって、テレビ界では定石、或いは安パイと呼ばれている図式も
 崩れつつあるようだ。
 動物を出しておけば数字が取れると言われた時代があったが、今はそうでもないとの事だ。
 確かに、動物を扱う番組は余り見なくなって来たと、冬は何となく納得していた。
 同時に、それは当然かもしれないとも思う。
 動物は見るものではない。
 触って愛でるものなのだと悟ったからだ。
「……ふぅ」
  冬は自室で溜息を吐いた。
 嘆息ではない。どちらかと言うと恍惚に近かった。
 今――――冬の手元には、一匹の猫がいる。
 前足に巻かれた包帯と、患部を嘗めたり噛んだりしないようにと首に取り付けられた
『カラー』と言うシャンプーハットみたいな物がまず目に付く。
  だが、包帯は小さな猫の足跡の模様が可愛らしくプリントされたデザインで、
 カラーの方も水色の派手な物となっており、痛々しさは余りない。
  その猫とは――――言わずもがな、秋葉と冬が助けたあの猫だ。
 秋葉は基本、家でペットを飼ってはならない。
 冬はその理由を知らないが、知る必要もないと思っており、聞いてはいない。
 だから、猫は今ここにいるのだ。
  とは言え、秋葉的には自分で意地でも引き取りたいらしく、全力で両親を説得中との事だ。
 と言う訳で、冬は猫の様子を毎日伝える為、秋葉とメールアドレスの交換を行った。
 今の時代、メルアド交換など赤外線でピピっとやって終わり。感慨も何もない。
 しかし、冬の携帯には今、家族以外の女の子のメルアドが2件もある。
 彼の生い立ちからしたら、考えられない事だった。
 偉業と言って差し支えない。
 寧ろ、次元の歪みとかそう言うレベルの事象だった。
『異常はありません。餌の量も同じです。前足が痒いのか、偶にカリカリとしてます』
  冬はなぜか敬語のメールを秋葉に送った。
 夏休みに突入してからと言うものの、ほぼ日課と貸している行動だ。
 秋葉は、かなりレスポンスが早い。
 ものの10分で返答が来る。
 この日も、5分程度で返答が来た。
『メール受理しました。こちらも変わりありません』
  これで日課は終わり。
 文面は初日からずっと、このようなものだった。
 冬はその素っ気無いメールに、当初は思わず苦笑していた。
 自分もそうだからだ。
 神楽に指摘されても、一行に改善される気配がない。
 する気も余りなかった。
 まず、絵文字が受け付けない。
 人の絵文字――――神楽のメールの絵文字に関して嫌悪感を抱く事は全くなかったが、
 自分がそれを使うのは無理だった。
 文面をラフにすると言う作業は、多少の改善が見られたと自覚している。
 だが、秋葉に対してはその必要もないと言う事で、ある意味作文を書くような感覚で
 メールを送っていた。
「にゃうーっ」
  携帯を閉じた瞬間、猫が首を回しだした。
 包帯やカラーは猫にとっては異物でしかない。偶に凄く外したくなるようで、ゴロゴロしだす。
 万が一外れても、直ぐにつければ問題はない。
 冬が外出している間にカラーが取れている事もあったが、幸い自傷には至っていなかった。
「……」
  冬は猫の首を軽く撫でる。柔らかくて暖かい羽毛の感触が心地良い。
「なー……」
  近年、日本の野良猫は極端に人に懐く型と全く懐かない型に二分されている。
 餌付けされる猫が増える一方、迫害される猫も増えているからだ。
 その為、警戒心が完全欠如した猫と、人を見るだけで逃げる猫が多数を占める。
 この猫は前者のようで、冬が喉を触る間、目を細めてゴロゴロ喉を鳴らしている。
 時折首を振るものの、大分落ち着きを取り戻した。
(反則だな……)
  その姿に、冬は思う。
 テレビで動物を見ると言う行為は、実はとても悲しい事なのではないかと。
 そんなことを考えていると、再び携帯がメール着信を訴えた。
 神楽からだった。
『今、テレビでチョーかわいー猫の特集やってるー///▽』
  可愛そうな人だった。
  連続でメール着信。
『と言う訳で、明日会議決定ね。午前中空けとく事』


  そのメールから12時間後――――
「おはようございます」
「おはよー。ちゃんと起きてた?」
「うーす」
  冬の部屋に、3人の女子がドカドカ侵入してくる。
 人間と言うのは、群れる生物である。
 そして、その群れを成す場所は、基本的に一番最初に集った場所を継続する事が多い。
 条件面で更に合理的な場所が他にあったとしても、その場所が溜まり場となる。
 落ち着くからだ。
 冬の部屋は、晴れて溜まり場となった。
「……不本意だ」
  女子3人に朝から押しかけられた健全な男子の感想だった。
 冬は基本、そう言う男である。
「で、集まった理由は」
「わー、何これ? ファッション? 服とか着せるんだよね、今のペットって」
  冬の言葉など耳に届かないのか、佐藤が凄まじい勢いで猫に食いついた。
 この佐藤と言う女子、口は悪いが3人の中で一番女の子っぽい性格らしい。
 冬はそれを『現代の10代女子』と言う意味で受け止めていたが、どうもそうではないようだ。
 だが特に興味もないので、それ以上聞く事はなかった。
「で、集まった理由は」
  代わりに、さっきと一字一句抑揚も同じ言葉を発する。
 コピペ世代なのだ。
「この子に名前をつける会議に決まってるでしょ。いつまで名無しにしてるつもりなのよ」
  神楽の訴えは尤もだった。
 冬はこの猫が家に来て以来、特に呼ぶような事もなかった為、名前を付けずにいた。
 母や妹は率先して付けようとしたが、『アンドレ』とか『ジョニデ』とか、それぞれの
 世代ならではの適当極まりない名称だったので、冬は丁重に断っていた。
「と言う訳で、それぞれに第3希望まで決めてきたから。あんたもとっとと決めてね」
「いきなり……ま、良いけど。どうせテキ」
「適当な決定は許しませんよ」
  秋葉が無言の圧力で冬を威嚇した。
 だったら自分で決めれば良いじゃんと言おうとしたが、それすら叶わない。
 秋葉は動物に関しては妥協を許さない性格らしい。
 全力で会議し、最高の名前を決める。
 それが彼女の現在の心情を100%支配していた。
「……書いた」
  冬は差し出された紙に、部屋の筆記用具を使って3つの名前を書く。
 そして、それを神楽が持参した箱の中に入れた。
「誰がどの名前を書いたのかは、自分以外わからないようにしてるから。
 で、一つ一つ読み上げていって、それを一つ一つ論評していって、一番良い評価のに
 決定ってシステムね」
「随分無駄な……もとい、本格的ですね。わかりました、そうしましょう」
  冬は床に正座する女子の圧力に屈し、敬語で答えた。
  斯くして、第一回『猫の名前決めましょ会議』が開催される。
  ちなみに、猫はオスとの事だった。
  一巡目――――
『コバンネコ』『リュシエル』『マロン』『リジル』
 【ジエンド】シリーズの脇役の名前が一人混じっていた。
「まずこのコバンネコ……あんた真面目に考えなさいよっ!」
「な、何で俺に言うんだよ。自分抜かしても3分の1だろ」
「真面目にやって下さい」
  神楽の10倍の迫力で秋葉が凄んだ。表情は特に変化ないのだが。
 ちなみに、【ジエンド】シリーズの脇役とは『リュシエル』だ。
 線の細いイケメンで、過去にかなり悲惨なことがあったという。
 あと、シスコンだった。
 そう言う設定が女に受けに受け、【ジエンド】シリーズ最強の人気を誇っている。
「異議あり。俺は、お前の方がよほど考えなしだと思う」
「うっさいうっさい!」
  多少自覚はあったらしく、神楽は真っ赤になって頭を振った。
「マロン……ねえ。在り来たりって言えば、在り来たりだけど」
「甘そうよね。美味しそうではあるけど……普通?」
  マロンと言う名称は、猫に付ける名前としては性別問わず多いらしい。
 ちなみに、誰がつけたのかは何となく想像がついたので、冬は何も言わなかった。
「リジル? 何これ」
「あー、前読んでた小説にこう言う名前の奴いたなー、って思って」
  佐藤はあっさり自分の案を暴露した。
「……グダグダだな」
「じゃ、もう全部開けちゃおっか。その中から決めよ」
  神楽も同じ感想だったらしく、箱をひっくり返して全部の紙を出し、捲る。
『ベリー』『ウォルト』『クリーム』『トンヌラ』『クロード』…… 
  ちなみに最後のは【フレナイ】シリーズの主人公の名前だった。
「い、良いじゃない。別に……うう、何か凄く恥ず……」
  神楽は身を縮めて小さくなっていった。
 秋葉は甘いものばかり。
 佐藤は例の小説の登場人物ばかり。
 そして、冬は超適当。
 ロクな会議にならなかった。
「すいません。私はネーミングセンスがないもので……」
  突然、秋葉が項垂れながら呟く。
 本来なら、最終的に飼い主となる予定の秋葉が名前を決めるのが一番自然のだが、
 そう言う理由があったようで、この会議に至ったのだ。
 だが、彼女のお気に召した名前はない模様。
 そして、最後の一枚が捲られる。
『りお』
  それは、冬の書いた第3希望の名前だった。
 ネタ元は単純。
 現在プレーしている『ラスクリV』の勇者リオグランデだ。
 そのままだと長いので、頭のリオだけ取り、それでも微妙に『オタク』臭いので、
 平仮名にしてみた。それだけの事だった。
「……決定です」
「え!?」
  秋葉の天の一声に、冬は驚愕を隠せない。
 何故か一目惚れだったらしい。どこにその要素があったのかは発案者には全くわからなかったが。
「あの子のかわゆらしさが平仮名のフォルムに現れていて、且つ生命力が響きに現れています。
 これは素晴らしい名前です。完璧です。パーフェクトネームです」
  秋葉が饒舌に語る。冬は驚愕を持続したまま、他の二人に視線を送った。
「この子、好きな物にはこうだから」
「悪くはないんじゃない? 喜んでるし? じゃ、解散ね。おつー」
  佐藤が颯爽と部屋を飛び出す中、秋葉は目をキラキラさせ、猫とじゃれあっていた。
  命名――――『りお』。
  名付け親、睦月冬。
 


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