天気予報の降水確率と言うのは、指定時間内に1ミリ以上の雨が降る確率
 であって、例えば当日の降水確率が10%と言うのは、0時から24時までの間に
 合計1ミリの雨が降る確率が10%ですよ、と言う事らしい。
 だが、視聴者の多くは、10%と言う数字を見たとき、何故かわからないが
『どうせ振っても小雨程度だろう』と言う、根拠のない推測をしてしまう。
 とは言っても、実際のところ経験則に基づいた推測とも言えるので、
 まったく根拠がないとは言い切れない。
 つまり、10%の予報が出た時に大雨が降る日など、殆ど経験していない人が
 多数いると言う事だ。
「うわ……何これ。滝?」
 放課後になっても、学校を叩く雨音の勢いは一向に衰える気配はなく、
 まるで台風でも来たかのような勢いで、雨足は地団太を踏み続けていた。
 傘を持って来ている生徒は少なかったようで、校舎にはまだ多数の生徒が残っている。
 高校生にもなって、雨だから迎えに来て貰うと言う生徒はそう多くないだろう。
 近年増えているゲリラ豪雨である事を期待し、止むのを待っているのだ。
 或いは――――降水確率10%の日の大雨と言う、余り遭遇する事のないレアイベントを
 楽しんでいるのかもしれない。
「はぁ……折角今日は遠征の予定入れてたのに」
 しかし、窓越しの強襲を眺める睦月の顔は、冴えないものだった。
「遠征? 隣にでも行くつもりだったの?」
「××駅。その近くに今日中古ゲームの店がオープンするんだって。
 ライパーの黄色が置いてるかも、と思ってさ」
 ちなみに、ライパーとは、ライフル・パーティーカラードと言うゲームの事だ。
 銃器を扱う現代を舞台としたRPGで、それ自体は珍しくないものの、
 アメリカのゲーム並に自由度が高く、敵と戦わずに普通の学園生活を過ごしたり、
 オリンピックを目指したりできるなど、かなり多様な遊び方が出来ると言う事で
 結構な人気を博している。
 ただ、売り方は少々じゃじゃ馬で、赤、青、黄の3種それぞれ同じ様式ながら
 登場キャラが全然違うと言う、どこかのアイドルマネージメントソフトと
 似たような感じでリリースされていた。
 睦月は発売当初はスルーしていたのだが、最近ちょっと興味を持ったようで、
 その3色の中で一番好みに合いそうな黄色版を探しているのだが、この黄色版だけ
 中古市場に全く出回っていない。
 今更新品で買うのも癪なので、流れるのを待っているのだ。
「へー。でも、何でそこまで黄色待つんだか。他の色やれば良くない?」
「そうなんだけど、ここまで来ると意地みたいなものが働くと言うか」
 睦月は、基本的に一商品に対してのこだわりは殆ど見せない。
 初回版にも特典にも興味はないし、コンプリートにも拘らない。
 それを知っていた未羽は、思わず眉をひそめた。
「あれえ? 硬派気取ってた睦月君にしては、意外な意地ですねえ。私がフロンティアの
 ハイブリッド版予約してるの、すっごい白い目で見てたよね? ね?」
 ちなみにちなみに、フロンティアとは、人気RPG【ジエンド】シリーズのひとつ
『ジエンド オブ フロンティア』の事。
 そしてハイブリッド版というのは、通常版、限定版と同時に発売された、過去シリーズの
 設定資料集とか映像特典とかソーサーとかストラップとかが付いた、
 小売価格11880円のバージョンだ。
「良く覚えてるね……そんなの」
「すっごい傷付いたからよ! 良いじゃん別に私がハイブリッド版買っても!」
「いや、高いなあ、と思って」
「フン。どーせ私をフの付く女子だと思ったんでしょ? 何でも一番高いのを買って
 ちょっと尽くした感じで満足気味なフ女子と思ったんでしょ? でも違うからね。
 断じて私はフ女子じゃない!」
 未羽はブレスなしでそこまで言い切り、雨音にも負けない強さで机を叩く。
 まだ多数残っているクラスメートが何事かと視線を集め、それに気付いた
 未羽は罰の悪そうな顔で身を縮めた。
 ちなみに、睦月と未羽は2年、3年と別々のクラスになっていた。
 高校のクラス分けは、文系・文理系・理数系と進路の希望コースによって分かれ、
 そこから更に成績で分かれる。
 睦月は文理系、未羽は文系を選択しているので、クラスが違うのは当然だった。
 だが、それでも昼休みや放課後になると、結構な頻度で未羽は睦月の元を
 訪れていた。
 以前は同じクラスなのに別の教室で話してたのだから、真逆の事態と言える。
 その為、既に周囲――――睦月のクラスでは、睦月と未羽は恋人と言う認識が
 成立していたが、それは本人達の知るところではない。
 睦月はこのクラスに会話をする相手がいないし、別のクラスの未羽に対して
 ツッコミを入れる者もいなかった。
 睦月のクラスはいわゆる進学クラスなので、ゴシップに興味のある生徒が
 殆どいないというのも、要因のひとつだったのだろう。
「何でそこまでフ女子に拘るんだ? 別にどっちでも良いような……」
「良くないの、良くない。良くないのよ。私のジエンドへの愛は、ああ言う
 何て言うか、ああ言うのじゃないの。別に差別してる訳じゃないの。違うものは違うの」
 据わった目で、未羽は延々と説明を始めた。
 フ女子というのは、言うまでもなく男性の同性愛を好物とした生き物だ。
 彼女達がちょっとオタク世界で敵が多いのには理由がある。
 ごく普通の男の友情を、極端なところにまで引き上げた妄想をし、それをごく
 当たり前のものとして語る点。
 そして、少しでもその手の要素が絡んでいる作品に対して異様に愛情を注ぎ、
 何でもかんでも購入する一方、作品の核となるストーリーやテーマをガン無視で
 カップリングやお気にのシチュばかり語る点。
 また、執着心の高さからか、或いは心のどこかに羞恥心があるのか、妙に
 攻撃意識が高く、ネット上でケンカばっかりしている点が挙げられる。
 尤も、これらはあくまでそう言う人がいる、或いは多い、と言うだけであって、
 フ女子の定義にこれらが含まれている訳でもなければ、すべてのフ女子がこうである
 と言う事もない。
「キャラへの執着って意味では、似たようなものって気もするけど」
 ――――その瞬間。
 睦月の言葉を耳にした瞬間、未羽は耳鳴りのような感覚に陥った。
 それは、或いは何かの合図だったのかもしれない。
 具体的に言うと、緒が切れたような。
「……似たようなもの?」
「あ、いや」
 未羽は、自制を失った。
 自分がこれだけ必死になって違うと言っているのに。
 しっかり自己表示していると言うのに。
 それを目の前の男は、まるで聞いていないかのように。
「あんたさ……ずーっと前から思ってたけど。人の気持ちとか、考えてる?」
 未羽の言葉のボリュームはかなり小さく、雨音に掻き消されたが、睦月には 
 しっかり聞こえたようで、顔色を変えて沈黙していた。
「この、ゲーム脳! 絶交よ絶交!」
 ダン! と言う机を蹴り上げるような勢いの音と共に立ち上がった未羽は、
 そのまま一度も振り返らず、早足で教室を出た。
 そしてそのまま、校舎を出る。
 雨は一行に止む気配がなく、外に出た未羽はその水滴に重さすら感じながら、
 それでも一向に気にする事無く、雨中を歩き続けた。
 その頭の中は、雨どころではない。
(何なの、アイツはもう! あーもう!)
 怒りの矛先は、単にやり取りの内容そのものに対してではない。
 自分が主張している事を、軽々しく、或いは何でもないようにあしらう
 その態度に対してだった。
 睦月は、そう言うところがある。
 傷付きやすい面もある一方、自分の言葉には頓着がないと言うか、
 余り気遣いが見られない。
 元々、未羽と知り合うまでは友達もいない、家庭でも会話のない、
 コミュニケーション能力の全く育たない環境で生きて来た男だ。
 そういう心遣いや気配りが行き届かない時があるのは、致し方ないところでもある。
 それでも、知り合ってそれほど経たない間は、それなりに気を使ったり、
 相手を思いやる節が見られた。
 しかし、そう言う部分が徐々に薄れてきている。
 それは、逆に2人の関係がより近しくなった表れでもあるのだが、
 未羽にとってはいい加減にしろこのヤロー、と言った具合だ。
 なんとなく、自分と言う存在が軽んじられている気がした。
 そこに、どうしようもなく腹が立った。
(暫く口利いてやんない。偶には傷付け、バカ)
 膨大な雨に打たれながら、視界のぼやけた帰宅路をひたすら歩く。
 カッカしていた頭は、これだけの雨を受けても変わらない。
 ただ、そこには怒りや悲しみばかりではなく、少しだけ今後の睦月の 
 対応や態度に対しての好奇心が含まれていた。

 ――――この時までは。


 

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