ともあれ――――二日後。
 人間の記憶ってのは曖昧なもので、自分にとって詰まらないもの、価値のないものは
 あっと言う間に忘却へと誘う。
 だから、気付けば放課後になっていたと言う俺の頭の中において、授業時間や
 昼休みと言った時間帯は、まるで無価値なモノなんだろう。
 じゃあ、一日中空っぽだったのかって言うと、そう言うワケでもなくて。
 今までは、ウチの財産を目当てにやって来る大人達との卓戦が、記憶の中心だった。
 でも、ここ数日は違う。
 相変わらず、一日に一人くらいはそう言う連中が顔を見せるけど、
 今はそれも、記憶には残らない。
 今、俺の視界に入っていて、記憶に残そうと脳が努力している映像は――――
「ここが、加藤さんのお家、ですね」
 地図を確認した風祭先輩の言葉通り、加藤家の前景。
 自転車や車はなく、玄関回りはスッキリとしている。
 目的は勿論、第一の標的と遭遇する為だ。
 学校から、片道一時間。
 結構遠かった。
「……」
 昨日、俺に弱みを握られた格好の九頭竜坂も同行している。
 俺を監視したいらしい。
 ありがたくはないが、モンスターペアレンツと敵対するに辺り、
 彼女は不可欠の存在だ。
 もし、加藤カズコMPが噂通りのクレーマーなら、俺の手には余る。
 でも、この毒舌シスターズがいれば、どうにかなるかもしれない。
「何故か不快な気分です」
「同感。誰かが嫌がらせの波動でも出しているのかしら」
 野性の勘も申し分ない。
 と言うワケで、頼りになる戦力を左右に携え、いざピンポン。
「……どちら様ですか?」
 初のモンスター対面と、相成った。



 -  vs. 1st Monster Parent " Kazuko Katoh "  -



「父兄訪問?」
 ゆっくりと頷く俺の目の中には、これまでずっと想像上の中の生物だった
 モンスターペアレンツがハッキリ映っている。
 モンスターペアレンツ――――総称。
 モンスターペアレント――――個人。
 なので、この場合はモンスターペアレント、と言うべきか。
 いずれにせよ、その彼女の姿は、当然ではあるが、ごく普通の主婦だった。
 高校生の親と言うコトは、恐らく40歳前後。
 その年代としては、比較的若々しい女性に見える。
「はい。実はこの度、萌木学園生徒会が再編成をしまして、学校と保護者の
 新しい窓口として稼動するコトになったんです。それで、手始めに
 各家庭に挨拶に回っているんです」
 俺のその発言に対し、加藤MPは小刻みに頷いていた。
 特に、問題視する行動はない。
 到って普通のリアクションだ。
 ただし、今のトコロは予定通り。
 昨日、数時間を費やして行った彼女に対するプロファイリングの結果、
 彼女は『潜伏型』の可能性があると言う結論に到った。
 正確には、『自己中心 - 潜伏型』。
 俺等SSSS執行部は、昨日図書室を利用し、モンスターペアレンツに関する
 幾つかの情報を調べ、纏めてみた。
 その結果、モンスターペアレンツに泣かされている学校だけあって、
 幾つかの資料となりそうな本を発見。
 その本を元に、分類表を作ってみた。
 そして、その分類の鍵となるのが『行動』と『状態』。
 どのような行動を、どう言った状態で行うか。
 この『自己中心』と言うのは、自分本位、自分の子供本意の考えをもって
 教師、学校にクレームを付けるMPのコトを指す。
 そして、状態と言うのは、MP化する、若しくはした後にどのような状態になるか。
 潜伏型って言うのは、普段は平凡な親だが、何かトリガーがあった場合、
 一気にMP化するタイプ。
 この加藤MPは、テストの結果に対してだけクレームを付けている。
 また、子供の証言からも、先天性、つまり持って生まれた性格でMP化してる
 ワケじゃないコトが明らかになった。
 よって、潜伏型。
 ドス黒い感情を、心の何処かに隠しているってワケだ。
 けど――――俺の中に一つ、疑問がある。
 果たして、本当にそれは彼女自身が生み出したモノなのか、と言う疑問。
「そうですか……」
 その加藤MPの表情は冴えない。
 バツの悪い顔。
 まるで、怒られるのを待つ子供のようですらあった。
 俺と風祭先輩は、顔を見合わせ、確認をする。
 潜伏型で、間違いない。
 後は――――
「ただいまー……あれ? 誰か来てるのー?」
 その刹那。
 玄関口から、加藤日菜乃の声が聞こえて来た。


 夕日に彩られた公園には、幾つもの影が伸びている。
 その影が揺れ、重なり、また離れていく様を眺めながら、俺は隣の
 ブランコに座る加藤さんの言葉を待っていた。
「本当に、昔はああじゃなかったんです。優しくて、温和で……理想の母でした」
 ポツリと、語り出す。
 赤い光に包まれるその姿は、少し異質に見えた。
「最初に、兄のテストを見て激昂した時の母は、今も忘れられません。まるで、
 悪魔が憑いたかのようでした。顔つきも変わって……」
「それで、学校まで押し掛けて?」
 風祭先輩の言葉に、揺れるブランコが止まる。
「……直ぐにクラス中で話題になりました。幸い、他にもっと強烈な事をしてる
 親が別のクラスにいたから、それにかき消されましたけど……暫く友達とも
 気まずくなりました。引かれてるの、感じていましたから」
「今は?」
「今は、大丈夫です。笑いにしてくれたりしますし」
 親がモンスターペアレンツ。
 小学生なら、孤立する事になるだろう。
 じゃあ、高校生なら?
 親と子の関係が小学生時代ほど濃密でない高校生ならば、
 そこまで深刻にはならないかもしれない――――?
 ――――いや、違う。
 そんな筈はない。
「あの……出来れば、そっとしてやって下さい。きっと、兄の進学に対して
 ナーバスになってるんだと思います。先生達には、迷惑かもしれませんけど、
 兄が卒業すれば、きっと納まると思います」
「貴方に対しては、同じような行為には走らないと?」
 ずっと黙っていた九頭竜坂が、ここで口を挟む。
「それは、ないと思います。私は兄ほど優秀じゃないので……」
 自嘲気味に呟いた加藤日菜乃の言葉は、その日、俺の記憶に最も残るものとなった。


 翌日。
『SSSS執行部』と記されたプレートがぶら下がる、元生徒会室改め『SSSS執行部室』にて、
 緊急ミーティングが開かれた。
 と言うか、俺が開いた。
「……試す? 加藤カズコをか?」
「そやかて、今の時期、学校はテストやらへんで。中間までは、もう暫くあるさかい」
 御園生&皇先輩に、俺は首を横に振ってみせる。
 確かに、今からテストを学校に実施して貰うのは、無理だろう。
 学校には、ね。
 と言うワケで――――サクッと進んで3日後。
 萌木学園の三年生は、テストを行う事になった。
 地元の大手進学塾主催の。
「……一体、幾ら使ったの?」
 SSSS執行部室にて、呆れ気味に訪ねる九頭竜坂の問いに、俺は思案顔を作る。
 学校側にスケジュールを変更させるのは、経営者となった今、難しくはなかったけど、
 大手塾に依頼して3日でテストを作って貰うのは、結構お金が掛かった。
 と言うのも、このテスト、萌木学園だけじゃなく、周囲の学校全部で行われている。
 塾の性質上、一つの学園だけで、と言うのは通らないらしい。
 だから、この界隈の高校の三年生は、全員がいきなり『あー、三日後試験やるぞー』
 と言う勧告をされ、蒼褪めたみたいだ。
 ま、受験生なんだから、テストを受けるのは寧ろ喜ばしいハズ。
 ただ、数が多い分、アルバイトの人達を総動員して問題制作と印刷と配達をして貰わなきゃ
 ならなかったんで、その分の費用は掛かった。
「しめて2000万円くらいかな?」
「呆れた……」
 俺より遥かに金持ちの家で育った九頭竜坂が、俺の金の使い方で頭を抱えている。
 妙な構図だ。
 ま、今コイツにはそんな財力はないらしいから、仕方のない事かもしれない。
「皇先輩、半泣きでした。『なんでこうなるんやー』って」
「気の毒なコトしちゃったな」
 あの先輩には、後で謝っておこう。
 良くしてくれてるし。
「で、このテストの採点は塾の方でやるの?」
「いや、学校に一任するように頼んでおいた。解答マニュアルも作らず、
 教師の裁量で採点するように、って」
「抜かりありませんね」
「きゅー」
 ロロちゃんに褒めて貰い、恐縮しつつ、俺は静かに時を待った。
 そして、やっぱりサクッと時間は進んで、2日後。
 3教科で行われた『抜き打ち風学力テスト』は無事採点を終え、各生徒に
 答案が返却されていった。
 そして、その翌日――――
「来たようだぞ」
 本日は、日中からSSSS執行部室に待機。
 土曜日なんで、問題はない。
 そして、窓際から門の方を眺めていた御園生先輩の合図を受け、
 暫く時間調整した後、俺と九頭竜坂、風祭先輩の3人で職員室へと向かった。
「さて、ようやく本当の意味での対面か」
 流石に、緊張する。
 現在、社会問題となり、学校はおろか、文部省すらも脅かすモンスターペアレンツ。
 その脅威を目の当たりにするコトに、少なからず萎縮する自分がいた。
「……」
 九頭竜坂は、少し思い詰めた顔をしている。
 風祭先輩は、いつもと変わらない。
「きゅー……」
 ロロちゃんはちょっと恐々していた。
 そんな、各々の精神状態の中で、奥から喧騒が聞こえる職員室の扉に手を掛ける。
 そして――――

「どうして! どうしてこの問6の3、ここが×なの!? どうして!?
 間違ってないじゃない! 解釈はあってるじゃない! これで×なんて、
 一体どう言う、どう言う神経してるんです!? おかしいんじゃないですか!?
 どうして!? どうして!? おかしいでしょ! どうして!? ホラ、しっかり
 見なさいよ! ここはこの『静香』の感情を表現している描写でしょう!?
 康彦の解答見なさいよ! 『不安な様子を表している』って書いてるじゃないの!
 どうして!? どうして×なの!? ○じゃないの! ○にしなさいよ!
 ○以外にあり得るの!? どうして!? どうして!? どうして!? どうして!? 
 ねえ!  どうして!? どうして!? どうして!? どうして!? どうして!?
 どうして!? しっかり見て下さい! どうして!? どうしてそうなるの!?
 どうして!?どうして!? どうしてよ!? どうしてそうなるのよ!? どうしてよ!?」
 
 それを、俺は初めて目の当たりにした。
 圧巻。
 そして、壮絶。
 クレームと言うのは、突き詰めると、暴走族の出す夜間の爆音と同じ種類のモノになる、
 と言うコトを、俺はこの瞬間に学んだ。
 途中から言葉が文章として入ってこない。
 これは、異音だ。
 人間の言葉とは違う。
 ボリュームも、職員室と言う場所としては、余りにも大き過ぎる。
 教師達は精一杯宥めているけど、全く収まりそうにない。
 身の毛がよだつ――――そんな表現が、俺の身体の表面を駆け巡っていた。
「……想像以上ですね」
 ポツリと、風祭先輩が漏らす。
 あの九頭竜坂ですら、圧倒されている様子だ。
 これが、モンスターペアレンツ。
 これが、この学校を廃校の危機に追いやっている化物か……!
 以前加藤家で見た女性とは、完全に別人じゃないか。
 ここまで化けるのか、人ってのは。
「お、お母さん、落ち着いて下さい! まずは落ち着いて!」
「私は落ち着いていますよね! ちゃんと落ち着いています! 貴方の言葉も聞こえています!
 話題転換ですよね! それって! それって後ろめたい事をしている証拠ですよね!
 ほら! ほーら! ほら御覧なさい! ほら御覧なさい! 間違いない! もう間違いない!
 貴方、私の息子を不当に低く採点したでしょう! もう間違いない! 私の息子を陥れて
 どうするつもり!? おかしいもの! 私の息子が、70点台なんておかしいもの!
 ずっとおかしかった! 1年生の頃はずっと90点取ってたのに! 採点基準を変えたの!?
 そうじゃないでしょう!? 私の息子だけを! 私の息子だけを低くしたんでしょう!?」
 加藤MPの舌は止まらない。
 ただ――――当事者じゃない分、俺はその様子を幾分冷静に見られた。
 勿論、その異常性に脅威を感じ、怯えてはいる。
 が、その一方で、心の底から震えるような感じはなかった。
 まるで、舞台役者の迫力ある演技を近くで見て圧倒されているような――――
 そんな印象だった。
 まず、興奮状態にある事は、間違いない。
 それは演技じゃない。
 彼女自身、演技をしている意識は、ないだろう。
 が、俺には不自然に見えてしまう。
 これまで、俺が融資を拒否した際に見てきた、何人もの大人の激昂の中に、
 このパターンはない。
 大声で、断続的に、同じリズムで叫び続ける。
 そんな憤怒は、きっとない。
 常に大声の場合は、一つ一つの言葉の間が空く。
 断続的に喋る場合は、もっと早口になるし、リズムが乱れる。
 何か、変だ。
「……」
「待つのだ、ののか。ここは人が多い。場所を変えなくては」
 こんな時に腹話術!?
 風祭先輩、ご乱心か――――と思った刹那。
「な、何……?」
 九頭竜坂が、困惑の声をあげる。
 その声の要因は、加藤MPではなく、風祭先輩にあった。
 身体が発光している。
 見間違え……じゃない。
 何だ?
 何が起きてる?
「このまま、放置出来ません。ここで闘います」
「ののか、抑えよ。今ここでこれだけの人間に見られたら……!」
 風祭先輩の声と、その後にする声が、一部重なる。
 腹話術じゃない……?
 どう言うコトだ。
 まさか、ホントにロロちゃんが喋ってるってのか?
「少年!」
 そのロロちゃんと、目が合う。
 少年と言う言葉は――――俺を指している、らしい。
「頼む、ののかを止めてくれ。このままでは、ののかも自分も破滅だ!」
「止めるって、なにをどうやって」
「何でもいい! この子の気を削いでくれ!」
 全く良くわからない状況に、全く良くわからないリクエストが重なる。
 考えが纏まらない。
 どうする?
 ワケわからないし、兎に角ロロちゃんの言うコトを最優先すべきか?
 けど、気を削ぐって何だ?
 って言うか、風祭先輩の発してる光がまた強くなった。
 ロロちゃんも不安げにしている。
 気を削ぐ。
 それをするしかない。
 気を削ぐ。
 女子の気を削ぐ。 
 女性のならではの――――
 よし、コレだ!
「うおおおおおおおおおおおっ」
「!?」
 俺は、全力で右手を下げ、そして――――
「っーーーーーーっ!?」
 風祭先輩にアッパーカットをお見舞いした!
 手応え抜群。
 ロロちゃんもろとも、派手に後ろへと倒れ込む。
 って、アッパーって何だ!?
 スカート捲りの予定だったのに!?
 ああっ、スカート掴み切れずに捲り上げようとした手がそのまま彼女の顎に!
 なんてこったい。
 折角、大義名分ありでスカート捲りなんて言う夢の体験が出来るハズだったのに、
 女子にアッパーお見舞いすると言う、あり得ない方の行動に出ちまったよ。
「ののか!? しっかりするのだ! ののかーーーっ!」
「ううう……」
 ロロちゃんが心配そうに風祭先輩の気付けを行っている。
 き、気まずい……
「……い、些か強引な手段ではあるが、礼を言う、少年」
 あ、御礼言われた。
 結果オーライ?
「アンタね……何処の世界に先輩の女子をアッパーでKOする男がいるのよ!」
 でも、九頭竜坂に超怒られた。
 そして、教師達の目も、加藤MPじゃなく俺に集中。
 ついでに加藤MPの視線も。
 異常性行動を収める手法の一つとして、よりエキセントリックな行動をもって
 注目を集めるというのは、とっても有効。
 知ってはいたけど、再確認した。
「と、取り敢えず……落ち着いて何よりです」
 被害に遭っていた国語教師の言葉が、妙に寒々しく聞こえた。


 報告書――――1st Monster Parent『加藤カズコ』。
 テストの採点に対する不満を教員に直訴。
 大声で捲くし立て、その後居座り続け、仕事に多大な支障を来す。
 その行動理由は、長男である康彦の成績不振による心労及び不安。
 解決方法は、ストレスの解消と、息子とのコミュニケーション。
 長期的治療を推奨する。


 ――――と。
 一応、そういう書類を作り、学校側へ提出したその足で、俺と九頭竜坂と
 風祭先輩の3人は、ある人物の待つ場所へと赴いていた。
 呼び出したのは、俺。
 当然、目的があってのコト。
 聞きたいコトがあったからだ。
 その待ち合わせの場所とは、奇妙な魔法陣が描かれている、不気味な屋上。
 風祭先輩がそうするようにと指示したんで、それに従った格好だ。
 理由はわからないが――――例の発光や喋り出したロロちゃんに関連するものらしく、
 全てをそこで明らかにすると約束してくれたので、敢えてそれ以上は聞かずにいた。
 屋上は、高い。
 上るのも面倒なくらい。
 その為、ちょっと『苦労』するコトになったんだけど。
「申し訳ない、待たせちゃって」
 先に着いていたその人物に、俺は笑顔を作り、そして一定の距離を保った場所で止まる。
「聞きたい事があったんで、貴方に」
「……何を?」
 その人物は、首を捻る仕草を見せる。
 堂に入っている。 
 そう思った。
「失礼を承知で聞きますけど……母親をモンスターにしたのは、貴方じゃないですか?
 加藤康彦先輩」
 俺の、その言葉に、加藤先輩は切なげな顔で笑った。
「……そうだよ。俺が不甲斐ないから、俺のテストの点数が落ち込んでたから、
 母さんはああなった。俺の責任だ。それを聞きに来たのか?」
「いえ。そう言う意味じゃなくて。貴方が誘導したんじゃないかな、って
 思いましてね」
「誘導……?」
 その時、初めて加藤先輩の顔が歪む。
 ――――自然に。
「はい。だって、変じゃないですか。テストなんて、見せなきゃ良いんだから」
 俺の発言は、言葉足らず。
 それでも、加藤先輩は察したらしく、顔色を変えた。
「テストがある度に答案を親に見せるなんて、小学生低学年までじゃないですかね?
 普通、高校生は見せませんよ、わざわざ。まして、テストがある度に、なんて。
 もし俺が貴方の立場なら、家にも持ち帰らない。そうすれば、癇癪を犯されずに済む」
「……」
 緊張感が、周囲に広がっていく。
 構わず、俺は続けた。
「他にも、腑に落ちないコトはあったんです。妹さんの仰ってたコトなんですけど」
「妹? 日菜乃が何を言った?」
「貴方のお母さんがクレームを付けに来た時、直ぐに妹さんのクラスで話題になったそうです。
 妹さん、肩身の狭い思いをしたそうですよ」
「それは、当然だろう。妹にも悪い事を……」
「いえ。当然じゃないです。話題になる事自体はまだわかりますが、
 妹さんが肩身の狭い思いをするのは、早過ぎます。だって、そんな早く特定される
 ワケないじゃないですか。クレーム付けに来たのが、日菜乃さんの母親だって」
 そんな俺の台詞は、暫時の沈黙を生んだ。
 そして――――
「それはどうかな。偶々職員室にいた同級生か誰かが言いふらせば、
 当然特定出来るだろう」
 それを破ったのは、加藤先輩のしょうもない言い訳だった。
「や、それはないでしょう」
「何でだ? 十分あり得るだろう。ないと言う保障は何処にも……」
「ありますよ。だって、テストを見て激昂した瞬間を、妹さん見てるんですもん。
 つまり、学校から帰ってきている。片道一時間の距離を。そして、そこから
 お母さんは学校へ向かっている。車も、自転車もなかったから、やっぱり
 一時間は掛かったでしょう。着く頃には、もう日が暮れてる。校内には――――」
「生徒は誰も、残っていません。まして職員室には」
 最後の台詞は、風祭先輩に取られた。
「この事実が示すのは、一つ。誰かが周囲に『加藤家の母親がクレームを付けに来た』
 と言う事実を、誰かが漏らした。当然、教師はそんなコトは漏らさない。
 日菜乃さんじゃないし、お母さんでもあり得ない。可能性があるのは、貴方だけなんです」
 それじゃ、何故そんなコトを――――?
 理由は単純だ。
 恐らく、周囲の評価をこうしたかったんだろう。
『ノイローゼ気味の母親を持って、苦労している息子』。
 そうすれば、成績が落ちたコトに対して、言い訳が立つ。
 周囲に一定の同情を得られる。
 その為に、事前に母親に吹き込んでたんだろう。
『今度のテスト、点数悪いかもしれない。現国の先生が俺の事嫌ってて
 目の敵にしてるんだ。俺、どうしよう。このままじゃ、内申に響いちゃうよ』
 とでも。
 優しい性格の母は、それを見過ごせなかった。
 そんなトコか。
「……それが、どうした?」
 俺の指摘に対し、加藤先輩は少し声のトーンを下げる。
 演技派なお人だ。
「別に、良いじゃんか。ちょっと親に弱音吐いただけだぜ? それを、勝手に
 向こうが騒ぎ立てて、メチャクチャにしちまった。俺は被害者だろ?
 親がモンスターペアレンツなんて、最悪じゃん。お陰で勉強に集中出来ないから、
 また成績落ちちまったよ」
 悪びれもなく、そんなクダのようなものを巻き始める。
 流石に、嘆息を禁じえない。
 ただ、俺の隣にいるヤツは、それでは済まなかったようで、微かに震えていた。
「……勝手に、騒ぎ立てて?」
「な、何だよ」
 そして、その震えをそのままに――――九頭竜坂は、吼えた。
「フザけた事言わないでよ! それだけ貴方の母親が、貴方を心配して、気にかけていたから
 って事じゃないの! それを、そんな……」
 意外だった。
 いや、そうじゃないのかもしれない。
 普段のコイツの姿からは、意外。
 でも――――俺は知っている。
 日本有数の金持ちの父親じゃなく、母親について行ったコイツを。
 なら、意外じゃないんだ。
 母親の愛情を逆手にとって、下らない見栄を張って、転落人生を歩んでいる
 この男に激昂する九頭竜坂は、意外でも何でもない。
 当然だった。
「なーに勝手に熱くなってんだよー。知らねーよ、向こうがヤッタコトダシー」
 加藤先輩の挙動がおかしい。
 目が異常に泳いでいる。
 何だ?
「……まさか、彼だったなんて」
「そのようだ。ののか、今こそ力を解放する時だ!」
 そして、堰を切ったように、風祭先輩とロロちゃんが喋り出す。
 もう、疑いようがない。
 ロロちゃんは、人間の言葉を喋っていた。
 そして――――風祭先輩は、また光っていた。
 今度は、止めない。
 光り続け――――そして――――特に何も変わらなかった。
「え? 変身とかしないの? もうそう言う流れだって半ば思ってたのに」
「変身ではない。力の解放だ。見た目はそのままでも、今、ののかの身体は
 常人とは比べものにならない程に強靭になっている。スティグマを持つ
 人間を打倒する為に!」
「スティグマ?」
 なんかパワーアップしたらしい風祭先輩が、加藤先輩目掛けて走り出す中、
 ロロちゃんに問う。
「スティグマとは、『穢れの烙印』。心を著しく穢した人間に現れる印だ」
「印? それが現れると、どうなるんだ?」
 ボカスカ殴り合う音が遠くに聞こえる中、ロロちゃんに問う。
「魔族の干渉を受ける。魔族の囁きが聞こえるようになり、周囲に
 多大な被害を被る。魔族は人間の苦しむ姿を好むからな。だが、自らは
 人間界で力を振るう事は出来ないから、囁きの聞こえる人間を探し、
 心を奪う。厄介な連中だ」
「魔族……そんなのがホントにいるの?」
 殴り合う擬音がポカポカに変わって行く中、九頭竜坂も話に割り込んで来た。
「無論、実在する。自分もまた、その魔族の一員だ。ののかも、そう紹介しただろう」
「アレ、ホントだったのかよ。って言うか、ロロちゃんが魔族? 信じられないんだけど。
 こんなに可愛いのに」
「可愛い、か……そう言われるのは、いつ以来だろうか。『同属殺し』と忌み嫌われ、
 人間界へ逃げるように亡命した自分を、最初に見つけてくれたののかも、そう
 言ってくれた……」
 遠くを眺めるロロちゃんに、九頭竜坂が顔を近付ける。
「魔族って、他にも沢山いるの?」
「『穢れの烙印』がある所に、魔族は必ず現れる。そして、烙印の主に宿り、
 人間の肉体に力を与える。自分は力だけをののかに与え、その残滓をこうして
 分離しているが、大抵は肉体に入ったまま……」
 ロロちゃんの言葉の途中、突然俺らの身体に影が差す。
「……負けましたぁ」
 泣きべそかきながら、風祭先輩が戻ってきた。
 って、負けたの!?
 えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?
 負けちゃまずいんじゃないの!?
「ののか、気にするでない。勝負は時の運。勝つ事もあれば、負ける事もあるのだ」
「いやいやいや、それはどうなんだ!? 魔族に負けたら色々ヤバいんじゃないのか!?
 その辺、全然事情とかわかんないけどさ!」
「無論、負けるのは良くない。とは言え、精一杯戦ったののかを責める訳には」
「だからそういう問題じゃねーだろ! どうすんだよ! 世界とか終わっちゃうの!?」
「え? 世界が終わるの? 嘘でしょ?」
 それまでイマイチ流れに乗り切れずにいた九頭竜坂が、ようやく顔をしかめる。
「いや、終わりはしないが……放置しておけば、一層モンスターペアレンツが増える。
 連中は、『穢れの烙印』によって魔族に見出され、力を与えられた者の総称だ。
 今回は偶々、モンスターとなったのが当人ではなかったが……」
 なんじゃそりゃ。
 要するに、モンスターペアレンツってのは、魔族とか言うのの仕業なのかよ。
 道理で、意味不明なクレーマーばっかりなワケだ。
「ぐすん……負けた……呪術部に頼んで、魔力増強の魔法陣まで描いて貰ったのに……」
 風祭先輩は、負けたショックを引きずり、咽び泣いていた。
 つーか、勝った方のリアクションがさっきからないな。
 ふと視線を向けると、加藤先輩(魔族入り)は、なんかボーっと突っ立っていた。
 結構ダメージがあるらしく、回復に努めてるみたいだ。
「気を付けるのだ、二人とも。ののかが敗れた今、この場から離脱するしか
 助かる術はない。だが、気を抜くと直ぐに攻撃してくる」
「ホントに……? そんな気配全然ないんだけど」
 九頭竜坂の言う通り、そう言う気配はまるでしない。
 ってか、ホントに負けたのか? 風祭先輩。
 こういう戦いって、死ぬか死にかけるくらいじゃないと、勝負つかないものなんじゃ……
「うう……痛い……あご、痛いよぅ……」
 あ、なんか負けたの俺の所為っぽい。
 これじゃ責められないな……
「む、マズい! 突っ込んでくるぞ!」
「へ?」
「え?」
 それは――――油断だった。
 心の何処かで、この超常現象と言うか、あり得ない展開に対して、何処か
 夢にも似たおぼろげな感覚でいたのかもしれない。
 現実感の希薄。
 それが、俺の中に、そして九頭竜坂の中に、隙を作っていた。
「グロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ!」
 肉声とは思えない、異質な声が、気付けば傍にあった。
 信じられない。
 ついさっきまで、向こうにいた加藤先輩の身体が、もう直ぐ近くに来ている。
 それも、自動車並かそれ以上のスピードで。
 その身体の軌道は――――九頭竜坂に向かっていた。
「!」
 それを認識した瞬間、俺の体はもう、動いていた。
 武術や格闘技の心得なんて、微塵もない。
 ただ、敢えて言えば――――精神的な瞬発力。
 海千山千の手練を相手にしてきた事で得た、瞬時の決断力。
 状況判断。
 そう言ったものが、俺の足を動かしていた。
 別に、親しい訳でもないのにな――――そんなコトを考えながら、
 俺は九頭竜坂を突き飛ばしていた。
 そして、次の瞬間――――強烈な衝撃に襲われる。
 加藤先輩の体当たりを、まともに受けていた。
「……!」
 一瞬、倒れ込みそうな九頭竜坂の、驚愕の表情が見える。
 珍しい。
 そして、悪くない。
 そんな顔を見れたのなら、庇って損なし。
 俺に追突した後も尚、加藤先輩は推進力を止めない。
 衝撃で、身体は動かない。
 痛いかどうかもわからない。
 ただ、景色は流れ続けていた。
 ずっと、流れていた。
 屋上の中央部から、端の方まで、ずっと。
 あ、これは――――落ちるな。
 この学園の屋上、転落防止のストッパーがない。
 このまま、加藤先輩が俺を巻き込んでの前進を続ければ、間違いなく落ちる。
 でも、俺は声も出せない。
 気を失ってるのかもしれない。
 それくらい、強烈な体当たりだった。
 相当、俺を恨んでるな、こりゃ。
 弱いトコロを突っついたからか。
 それは、悪かった。
 でも、仕方なかったんだ。
 俺は、この学園の経営者。
 経営に害をなす人間には、注意をしなきゃ。
 注意を何度もして、受け入れられなけりゃ、処分を下さないといけない。
 だから――――アンタの事、放置できなかったんだ。
 通じる訳のない、そんな言葉が頭を過ぎる中――――
「黄金崎ーーーーっ!」
「黄金崎さん、止まって! 踏ん張って下さい! お願い!」
 女子二人に、俺は初めて名前を呼ばれていた。
 苗字だけど。
 それでも――――ずっと友達のいなかった俺には、女声で自分を示す言葉を
 呼ばれるというのは、新鮮だった。
 相手にしてきた大人は、男ばっかりだったし。
 そう思うと、この状況、結構悪くない。
 そんなコトを考えながら、俺は――――屋上から落下した。






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